それでも彼女は美しかった   作:ふぇるみ

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閑話:とおりゃんせ

『と~おりゃんせ、とおりゃんせ——』

 

 

 五時半を知らせる『とおりゃんせ』が、古いスピーカー特有の、単調な電子音で奏でられている。冬の風にのって届く音は心なしか、かすれていた。

 日が傾き茜色に染まった空には、小さくちぎれた雲が浮かんでいる。

 浮かぶそれらの流れは速く、森の木々は風でざわめき、鴉の鳴き声が木霊する。

 そんな、寂寥とした冬の日の夕刻。

 

 

 この光景には覚えがある。もう何度も見ている夢だ。

 すべての記憶を取り戻してから、もう何度目になるのだろう。目を覚ますと何を見ていたのかを忘れてしまうが、ここに来るたびに私はあの日の出来事を追体験している。

 

 

 確か、数年で一度の寒波が日本を襲ったとかで、とっても寒かった日のこと。

 その日はいつも通りに目が覚めて、いつも通りに顔を洗って、いつも通りにインスタントのコーヒーを入れて、電子端末から流れる情報をぼんやりと見つめていた。そしてお気に入りの音楽を掛けて、今日は外が寒いから部屋でゆっくり一日を過ごそうか? ああでも、冷蔵庫に食材が入っていないから、お買い物に行かなくちゃ。ついでにあの娘を呼んでもいいわね、なんて思ってた。だから、特筆するようなことは何もない、平凡な一日になるのだと信じて疑わなかった。

 

 当然でしょう? なにせ非常識がまだ非常識として認識されていた時代。科学が世界を席巻する“科学世紀”に、“異能”は眉唾物でしかなかったのだ。それに当時、私や彼女のような“異能”持ちは本当に数が限られていたし、探そうと思ってもなかなか見つけられなかった。

 ようするに、それくらい私が飛ばされた世界は、平和な場所だったということである。

 

『——、大発見かもしれないわ!』

 

 ことのはじまりは、あの娘からの電話だった。自分達と同じような存在を見つけられないから、というべきか。彼女は世界の片隅に追いやられた非科学、非常識を探求することを生きがいとしていて、それなりの経緯を経て、私は彼女の無茶に付き合わされるようになった。

 あまりにまくし立てるものだから、今回もきっと、何か厄介そうなものを彼女は見つけてきたんだろう。私はそうあたりをつけて、彼女の話に耳を傾けた。『いつものことだ』と、彼女を止めたりはしなかった。

 ずっとずっと前から兆しがあったのにも関わらず、私は見て見ぬふりをしていたのよ。

 

 その後、結局断れずに押し切られた私は彼女の“冒険”に付き合うことになった。

 寒波だっていうのに、あの娘はぶれない。自分が興味をもったことには全力投球で、思い至ったら即行動。待ち合わせ場所に走ってやって来る彼女を見て、その“はつらつさ”に思わず私は苦笑いしてしまった。

 

 朝からニュースで『外出は控えましょう』なんて言っているくらいだったから、進んで外出をしようとする人なんているはずもなく、道中は静かなもの。電車に乗っている間も、一駅ごとに乗車している人が少なくなっていった。そして、私達が降りる頃には他に誰もいなくなっていた。今思えば当然だったのかもしれない。しかし会話に夢中になっていた私達は、降りるときに気づいたぐらいだった。

 

 ——誰もいないわね。

 

 無人駅に降り立ってそう言った私に、彼女は答えた。

 

『そりゃあそうよ。むしろこんな寒い日にすすんで外出するなんて、正気を疑うくらい』

 

 ——貴方、鏡を見なさい。

 

 強い風の吹く中、電車が駅から遠ざかっていくのを見届けた私たち。

 そろそろ目的地へ向かおうか、などという彼女の後をついて行った私は何気なく後ろを振り返った。電車は随分と小さくなるまで遠ざかっていた。

 少し寂しいような、不安な気持ちになった。

 

 

 

 私たちが降りた駅は大分古い。使用する人なんているのかしらと思うくらいに寂れている。コンクリートで固められたホームはひび割れて間から雑草が生えているし、整備が行き届いているとは到底言えない。

 そういえば彼女が言っていたが、近々廃線になってしまうらしい。この駅も、いずれ廃駅となってしまうのだろう。

 

 この旅を例えるなら、『ぶらり廃駅下車の旅』とでも言えるのだろうか。

 

 駅から少しのところ。

 一昔前までは賑やかだったのかもしれないが、途中で通り過ぎた商店街は随分と寂れていて、人影なんてないし、道路も車の通りがない。だからこそなのだろう。物音と言えば、遠くで鳴いている鴉の鳴き声と、鬱陶しくなるような風の音くらいしかしなかった。

 

『この先ね』

 

 目の前に広がった雑木林。

 彼女は私の方を見ると、意地わるそうに笑う。これは何かを面白がっているときの顔だ。私にはすぐ分かった。

 舗装されていない道を歩くこと数分、私の嫌な予感は的中した。

 

 ——えぇ……こんな長い階段を登るの? 

 

『もちろんよ!』

 

 駅からだと数十分ほど歩いたところで辿り着いた、長い長い階段。目的地への入り口は、随分と人を寄せ付けないような造りになっているらしい。

『彼女がにやにやしていたのはそういうことか』と、私は理解した。見た目からして段差が厳しそうだし、全部登り終えたらきっと息が上がってしまう。あからさまに嫌がる私に、彼女は何としてでも付いて来て欲しいのか、果ては腕を引っ張ってまで連れて行こうとした。

 私はもう一度溜息をついて、渋々彼女の後を付いて行った。

 

 そんな中、風は当たり前のようにびゅうびゅうと容赦なく吹いていて。私は『ねぇ、寒いよぉ。帰ろうよぉ』と弱音を決して口に出さぬよう堪え、無言で階段を昇っていった。弱音を吐いたら余計にからかわれてしまうし、ここまで来たら息を上げずに登りきってやるという、小さな反抗心が私を突き動かしていたのである。

 

 だが私はすぐにでも屈してしまいそうになった。思っていたよりも、登りきるのは難しかった。

 そうして息が上がりかけ、懸命に階段を登っている折。

 

『ねえ、()()()。知ってる?』

 

 ふと彼女は足を止め、私の方を振り返り、言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 夕日で照らされた彼女の顔は眩しく、後ろで手を組み微笑んでいる姿が私の記憶に深く焼き付いている。

 

『それって、とっても不思議じゃない?』

 

 彼女曰く、その神社はどこか別の世界とつながっているのだとかなんだとか。あんまりにも得意そうに話していたから、鼻をつまんで揶揄ってやったことをよく覚えている。

 彼女は少し赤くなった鼻を抑えて言った。

 

『メリーなら、何か見えるんじゃないかなって思ってね』

 

 ——何よ、それ。

 

 いつもそうだった。彼女は本当に、自分勝手。

 私の手を引っ張って色々なところに連れまわしたりして、私の意志なんておかまいなし。自分が行きたいところへ、私を連れていくの。

 とはいえ、なんだかんだと口では文句を言いながら、私は楽しんでいた。振り回されるのは、嫌いじゃなかった。

 

 ——はぁ、はぁ。

 

 階段を登り終えた頃には、大分息が上がっていた。

 辺りを見てくると言って蓮子は先に神社の境内を歩いて行く。取り残された私は、息を整えながら辺りを見回した。すると訪れた時期が悪かったのか出店も全く見受けられないし、掃除が行き届いていないせいで、枯れた落ち葉があちらこちらに散在していた。さらにはこれだけ騒いでいるのにも関わらず人影一つ見当たらないことから、神社の中に住み込みの神職の人がいないことも窺い知れた。

 まさに誰からも忘れ去られてしまった神社、と呼べるような様相だ。

 

『メリー、メリーっ!! こっちよ!』

 

 一足先に辺りを歩き回っていた彼女は何かを見つけたのか、戻って来るなり私の手を引いて走り出した。

 

『ほら、はやくはやく!』

 

 手を強く引かれる。

 そんな感覚は酷く懐かしいものに思えた。確かに、このときの出来事は遥か昔。懐かしく感じてしまうのは当然である。しかし、当時の私もまったく同じ感覚を覚えていたのだ。

 

 今なら、その理由が分かる。けれど当時の私は、疑問に思う程度だった。

 ええ、その程度で済ませてしまったのよ。

 

 彼女のように大きく、誰かを引っ張っていくような人間の傍にいるのは心地よかった。私がもつ“能力”を気味悪がったりしないのも、家族以外では初めてだったから尚更。

 父と母が他界し、路頭に迷いかけた私は、彼女がいたから立ち直れた。毎日を怯えて過ごすこともなくなった。そう、マエリベリー・ハーンは、彼女のおかげで成り立っていた。

 

 だからこそ、私の目は曇ってしまった。

 

 太陽のように周りを照らしてくれるから、あまりに眩しすぎて私は影に潜む物を見つめようとしなくなった。そうして貴方に寄りかかっていた私は、過ちを犯し、最後に彼女の運命を狂わせてしまった。

 

 どこで何を間違えたんだろう。全ての始まりは、一体何だったのだろう。

 きっと最初は小さな小さな歪で、誰も気づけないくらいに些細なものだった。しかし時を経て歪は広がり、取り返しのつかないところまで来てしまっている。

 連鎖を断ち切るのなら、今のままでは間に合わない。

 

『急にどうしたのよ、メリー?』

 

 小首をかしげる彼女の姿に一瞬気持ちが揺らいだ。でもダメだ。

 ここが私の夢の中だと分かっていても、この先へ進むことはできないと思った。

 

『メリー……?』

 

 これ以上、進んではいけない。貴方を巻き込むわけにはいかない。

 貴方をこれ以上、歪ませるわけにはいかない。

 

『……メリー、どうした?』

 

 立ち止まった私に彼女は、心配そうに語り掛けてくれる。

 私は思わず、彼女に『なんでもない』と返事をしてしまいそうになった。口まで出かかった言葉を飲み込み、彼女の手を離す。

 たとえ貴方が私の記憶が作り出した幻影だったとしても、私は貴方について行くわけにはいかないのだ。あの日の焼き直しだなんて、私は許せない。

 

『何か変だよ……? 気分が悪いの?』

 

 あの娘の顔で、あの娘の声で、目の前にいる貴方は私を惑わす。

 私が、貴方と共にあることを肯定してくれる。

 それでも、それでもだ。

 

『ねえ……、ねぇってば!』

 

 ——ごめんなさい。私は、ついて行けないわ。

 

『そんな、メリー……どうして……?』

 

 彼女は悲痛そうな声で言った。そんな彼女に、私は胸が締め付けられるような思いになった。

 そうして貴方は私を、マエリベリー・ハーンとして縛り付けるのだ。

 今までは良かった。心細いときだって、私を安心させてくれた。貴方が私を縛り付けてくれていたから、この自我を、記憶を保っていられた。貴方なしではきっと、取り込んだ他者の“意識”を押さえつけられず、境界を保てなくなっていたと思う。

 

 しかし、だめなのだ。それではあの日と変わらない。私の心の中に貴方がいたら、私はずっと貴方に頼りきりになってしまう。

 

 もう取り返しがつかないことなど、分かりきっている。ふと立ち止まったときには、この手はすでに数多の血で濡れていた。

 だけどこれだけは言わせて。今まで私を止めてくれてありがとう。

 

 

 ——夢は、もういいわ。

 

 

 ——私はここでやるべきことがある。貴方はこの先へ、一人で行くの。

 

 

 ——だから、さようなら、蓮子。

 

 

 その瞬間、私に向かって手を伸ばす彼女の姿が、掻き消えた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「お目覚めですか!? 紫様!!」

 

 彼女が目を開けると、すぐ隣に藍が控えていた。

 どうやら起きるのをずっと待っていたらしい。隣で控えている藍の顔は少しやつれている。

 

「よかった、です……」

 

 しかし、主が目を覚ましたことで彼女の顔には喜色が浮かんでいた。紫はそんな彼女の様子を見て苦笑しながら問う。

 

「今の時刻を教えて」

「神無月一日、寅の刻(午前4~6時のこと)でございます」

「……そう」

 

 紫は自分が想像していたより長い時間眠っていたことを自覚し、藍が焦っていた理由を理解した。

 

「随分眠り続けていたのね。私は」

「はい。お戻りになられてから、急にお倒れになって……」

 

 そのときのことを思い出したのか、声が震えていた。

 

「わたし、どうしたらいいか、分からなくて、でも何もできなくて、その、えっと」

 

 初代博麗の巫女の説得に失敗し、紫が倒れてから、約三日が経過していた。

 主が眠りについたまま目を覚まさなくなったことに藍はひどく動揺し、狼狽していたが懸命に傍で世話をし続け、戦々恐々としながらも日々を過ごしていた。

 そんな折にようやく紫が目を覚ましたのだ。彼女の喜びようも頷けた。

 しかし、だんだんと震えが増していく様子を見かねたのか、紫は隣に控えていた藍を抱き寄せた。

 

「心配かけたようね。でも、もう大丈夫。私は此処にいるわ」

「——はわっ!?」

 

 急にどうしたのであろうか? 普段の主人からすると、らしくない様子でもある。そんな考えが逡巡した藍であったが、

 

「少し、懐かしい夢を見ていたの。まあ、もう見ることはないでしょうけど」

「は、は……ぃ……」

 

 紫の声色は暖かく、優しい。そのことに藍はすっかり安堵し、これまでの疲れがどっと押し寄せたのかそのまま眠りこけてしまっていた。

 それゆえに、眠ってしまった藍は目にしていない。

 紫の瞳が、一層怪しい光を孕んでいたことに。

 

 

 

 

 

 

 ******

 

 

 

 

 

 

 とおりゃんせ

 

 とおりゃんせ

 

 ここはどこの細道じゃ

 

 天津神様の細道じゃ

 

 

 少女は、たまたま選ばれたにすぎない。

 未来から過去へ。過去から未来へ。

 歪の根源を知り、それを正すために。

 

 

 行きはよいよい

 

 帰りはこわい

 

 こわいながらも

 

 とおりゃんせ

 

 とおりゃんせ

 

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