それでも彼女は美しかった   作:ふぇるみ

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鬼の章:博く世を見守るべし

 意気揚々とした出発をした私だったが、あの女はなかなか見つからなかった。

 そもそも私は密と疎を操る程度の能力を使って自らの分身をばらまき、広い範囲を探すことができる。だからあの胡散臭い奴のことだ。きっと目立つだろうから、痕跡を辿るのは容易いと思っていた。

 

 しかし辺り一帯、奴の隠れていると思われるところを隈なく探しても、その痕跡がまったく見つからない。どうやら一筋縄でいかないようで、一週間、二週間と時間が経つたびに焦りと怒りが募ってくる。

 そろそろ限界だった。

 

「ああ~、もうっ!」

 

 とりあえずもうむしゃくしゃしたので地面に拳を突き刺した。どこかに発散しないと気が済まなかったんだ。

 拳が地面にめり込み、轟音と共に地面が陥没する。

 ちょっとだけやり過ぎたかもしれない。

 急に大きな音がしたものだから鳥が驚いて飛び立っていく。『やっちまったなぁ』なんて思いながらも飛び立つ鳥をぼんやりと見つめていると、丁度その方向から走って来る人影が。

 

 うん、見知った奴だ。最近出会った人間の少女、なんだが……。

 なにあれ、めっちゃ速い。奴は本当に人間か? 

 

「す~いかおね~ちゃ~んっ!」

 

 大声で私の名前を叫びながら走ってくる。

 なんか恥ずかしいね。

 いやまてまて。

 

「んぁ!? え、このまま!? のわっ!?」

 

 気づいた時にはもう遅い。

 そのまま飛びかかってきたと思えば、私の腰に抱き着いてきた。なかなか勢いがあったのと飛びかかりを予期していなかったこともあって、後ろに倒れこんでしまい軽く後頭部を打った。

 痛い。

 これは痛い。

 あれだ。羞恥と共にくるやつだ。

 こんな小さな娘っ子に飛びかかってこられて尻もちを着いたなんて、きっと仲間に見られていたら笑われるに違いない。『鬼の頭領角ともあろう者が』とか絶対からかわれる。

 

「く、くぅう……こんのぉ、急に飛びかかってくる奴がいるかいっ! っていうか今日で何度目さ! アンタまさか私をずっと追ってきてるんじゃないだろうね!?」

「えへへっ! まさか~」

 

 私が叱りつけても反省する様子がない。それどころか満面の笑みで私のお腹辺りに顔を摺り寄せてくる始末だ。こちらが先ほどまで苛々していたのも馬鹿らしくなってきてしまった。

 まったく。コイツがいるとどうにも調子が崩れちまう。

 

「駄目だ……アンタにはかなわないよ」

「うーん?」

「いや、何でもない」

 

 会うたびにこれだ。というのも私はこの数日間コイツに何度も会っている。

 まさか別れてその日にすぐまた会うことになるなんて思わなんだ。

 

『あ、さっきぶりだねっ!』

 

 なんて言いながら私の頭上から現れたときには思わず全力でぶっ飛ばしてしまうところだった。聞くところによれば木の実を集めるのに木々の間を飛び移りながら移動していたらしい。本当にこの娘は人間なのか? 

 と、それからもことあるごとに、

 

『また会ったね!』

『きょうは会うことが多いね!』

『おはよう。あさから会うなんてびっくりだねっ!』

『ねえ、うんめいってしんじる?』

『なんかわたし、ちょっとこわくなってきたよ……』

『……萃香おねえちゃんって、じつはわたしのことつけてるの?』

 

 最後の方のやつは流石に看過できず、軽く額を指で弾いてやった。『あ゛うっ!?』って呻き、その後数時間ほど泡を吹きながら気絶していたが気にしない。この娘には制裁も時には必要だ。じゃないとどんどん調子に乗ると、この数日で嫌っていうほど学んだんだ。

 私は覆いかぶさってきているこの娘っ子の腰辺りを両手でひょいと抱えて、そのまま体を起こした。

 すると、

 

「まだ、見つからないの?」

 

 親とはぐれた子犬みたいに不安そうな顔で聞いてくる。まるで自分のことといった風な問いに私は苦笑した。いつもいつも付きまとってくるものだから面倒くさい印象が強いが、やはりこいつはかなりのお人好しだ。じゃなければ人間のコイツが妖怪の私をこうやって心配してくるはずがない。

 

「ああ、そうだね。なかなか見つからないんだ。本当に厄介な奴だよ。痕跡一つのこっていやしない」

「どこか、ちがうところに行っちゃったんじゃない? とおいところとか」

「そうかもね……っていつまで上に乗っかっているつもりだい。ちょっと、どきな。邪魔で仕方ない」

 

 身長があまり変わらないため膝に乗られると邪魔で仕方ないとこの前言ったはずだが、どうやら聞いてなかったようだ。

 

「いや、いごこちがよくて。なんていうか、おおきさ? みたいな」

「……あ゛?」

「あっ!? いや、そういうのじゃなくてね! べ、べつに萃香おねえちゃんがちいちゃいとかじゃなくてねっ!! そうっ!! ちょうどいいの!!」

「……こんのぉ」

「あうっ!?」

 

 私が小さいと申すか。いい度胸だね。

 額を軽く小突けば後方へ軽く吹っ飛んでいった。どうだい、いい薬になっただろう。

 

「い、いたい。これ、他の人にやっちゃだめなやつだよぉ」

「いや、アンタ意外にやるわけがないだろう?」

「そんなぁっ!? なんでわたしだけ?」

 

 こいつの体はひどく頑丈だ。普通の人間に同じことをやれば頭蓋骨が砕かれて死ぬ。こんな娘っ子が一人で森の中に生きていられる時点で何かしらの理由があるとは思っていたが、どうやら強力な神通力を持っているらしい。

 

 食糧なんかは時折人里で手に入れたり、川で魚を取って食べたり、木の実を採集したり。冬なんかはどうしているのかと聞いてみたところ、そのときだけ人里の空き小屋に身を置かせてもらっているようだ。

 人間は一年を過ごすだけでもこれほどまでに難儀をしているのかと私は改めて思う。それでもこの娘が異常なのは変わらないが、それ以上の詮索はやめた。考えても無駄だとこの数日でよく分かったからだ。

 それにしても——。

 

「それにしても、アンタ。どうしたっていうのさ? なんか急いでいるようにも見えたけど」

 

 これまで、コイツは私を見つけても飛びかかってくるようなことはなかった。それだけに、急な用事でもあるのかと思ってしまうのもまた当然だった。

 

「あっ」

 

 やっぱり。思った通りだ。

 きっと今の今まで忘れていたんだろうよ、まったく……。

 

「ほら、何かあるんだろ? 話してみな」

「う、うん……いやね、さいきん天狗が山をよくおりているのを見かけるようになったんだよ。ちょうどさっきも天狗がたくさんあつまって山の方へ飛んでいったのを見たの」

「ほぉう……それはまた、急だねぇ」

 

 興味深い。

 山に戻ってからあまり天狗を見かけなかったが、コイツの言ったことと何か関係しているのだろうか。

 

 もともとこの辺りの山々は天狗の縄張りだったが私たち鬼にとって変わられている。それ以来、奴らは私たちに対して下出に出ることが多くなった。しかしそれは表面上の話。

 天狗の中の一部の者達は鬼の支配に対して反対している。力で負けた奴らがみっともないことだが密かに徒党を組んで力を蓄えているらしい。

 

 詳しいことは知ろうとも思わなかった。

 なにせ私達は誇り高き鬼だ。向こうから仕掛けてくるなら嬉々としてそれを迎え撃つだけだからね。

 

 とはいえ、こんなことはこれまでなかったはず。最近になって天狗の頭領である天魔の首が挿げ替えられてからというもの、少しずつおかしくなっていった気がする。

 影で何かこそこそとしているのではないだろうか。

 一度、締めてやったほうがいいかもしれない。そのついでにあの女の居場所でも探させるか。

 

「なんか萃香おねえちゃん、悪い顔してるよ?」

「ふ~ん、そうかい?」

「うん、鬼みたいな顔してる」

「そうかい…………え?」

 

 真剣な顔つきで、見逃せないことをのたまいやがる。

 おかげで反応するのが一瞬遅れた。

 

「…………私、鬼だからね? 大事なことだからもう一度言うけど私は鬼だからね?」

 

 失礼な奴だ。私はれっきとした鬼だというのに。

 とりあえずもう一回額を指で弾いてやろうと思った。

 しかしすんでのところで避けられる。コイツめ、ちょっとずつ学んでやがる。ちくしょう。

 それはともかく。

 続きを話すよう促せば『それでね』と、

 

「わたしが今日来たのはね、しばらく会えなくなりそうだからなの。むずかしい顔をした里の人たちがわたしに話があるんだって言ってきてね」

「えっ?」

 

 またもや聞き逃せないことを言っている。

 コイツがなぜ里の人間に呼ばれる必要があるのか。私はまったく分からなかった。天狗どもが動いていることと、なんの関係があるのだろうか。

 

「わたしがいないからって無茶なことしちゃだめだからねっ!」

 

 そうして、いつもと変わりなく笑う。

 

「どういうことだい……? なんだって急に——」

 

 私にとってコイツとの時間はかけがえのないものになっていた。鬱陶しく思うことはあってもこの娘の前では穏やかな気持ちになれた。素面の自分でいることができた。

 それはきっと山にいる他の仲間たちに見せる自分とも違う。

 くだらないことで笑ったり、驚いたり、怒ったり。私にとってそれが何よりも新鮮でかつ、居心地のいいものだった。

 

 本当のことを言えば、私の知らない場所に行ってしまうのは何としてでも引き留めたかった。しかし、

 

「(いんや、まてよ)」

 

 そこで思いとどまる。

 彼女を私はもっと信じてやってもいいんじゃないだろうか。

 コイツは嘘をつかないと。

 

「ああ、そうだな。アンタのことだ。また、ひょっこり現れるんだろう?」

「……えへへ」

 

 だからこそ、私はコイツを止めたりはしなかった。

 

 

 

 ******

 

 

 

 母の月に関する記憶を見てから、私はすぐに計画を立てた。それはひとまず件の妖怪探しを中断し、月に潜入して母の記憶の謎を解き明かすというものだ。ここのところ件の妖怪探しの進捗が悪かったのもあって、優先順位を切り替えることにした。

 そしてここ数週間に渡って都に潜伏して古い文献を調べると、興味深いものがあった。

 

 その名も、竹取物語。

 

 月から来た使者たちが、かぐや姫とかいう人物を連れていくために老爺が手配した護衛の者達を容赦なく殲滅したという。

 どうやら月の民は地上に住む生命を不浄の者達と呼んでいるらしい。生まれながらにして穢れを持っていて寿命があるからだとか色々と好き勝手なことだが、敵意を持っているのは確かなようだ。

 

 しかし幸いなことに文献から月への移動手段は大体見当がついた。

 私の能力を使って湖に映った月から彼らの住む月へと移動すればよいのだ。

 彼らは彼らが住む月全体を虚構とする結界を張っている。そのため通常の手段ではたとえ月へたどり着くことはできてもそこには何もない。

 そこで、湖に映った月を利用する。

 湖に移った月もまた実在しない。ゆえに映った像と彼らの住む月を実と虚の境界を操作して繋げば、いとも簡単に結界を超えられるはずなのだ。

 

 ただし、移動した後が問題である。

 月に移り住んだ者達は恐らく私のような存在を歓迎しないだろう。

 彼らに気づかれぬことなく行動をするためには何らかの隠れ蓑が必要となる。それをいかに準備するかが問題だ。

 

 この解決するために今、手を回しているのが私の拠点が位置する山の隣に住む妖怪達である。最近勢力を増し、血気盛んなようだ。これらを月へと攻め入るように上手く誘導できれば、これ以上ないほど有能な隠れ蓑になる。こちらは実はもう手を回しており、その成果が徐々に出てきているのだが最後にもう一手足りない。

 要するに、数が圧倒的に足りないのだ。月に誘導する妖怪達の規模が大きくなければ、隠れ蓑の役目を果たす間もなく月の兵士達に皆殺しにされてしまうだろう。

 

 “山”というそこそこ大きな社会構造そのものに詳しくない私では、彼らを扇動するには少々情報不足であるとも言える。

 誰か協力者が必要だ。幽々子でもなく、妖忌でもない誰か別の協力者が。

 

 焦っても仕方ないのでゆっくりと計画を進めながらも、忙しい毎日を送っていたある日。

 私は何日ぶりに帰ってきた拠点で深い深い眠りについた。

 

 妖怪の身になった今でも思うことなのだが、睡眠とは至福の時間である。

 

 私の力は強大な分、消耗が激しい。特に人間の都に潜入するのには最大の注意を払ったので帰ってきた頃には疲れ切っていたのだ。不本意にも忌み嫌われ日々命を狙われ続ける私にとって、精神と身体に癒しを与えてくれるのは白玉楼での一時か、睡眠くらいのものである。

 ゆえに一人きりで好きなだけ睡眠を享受できるこの拠点を、私は大変重宝している。

 

 私の睡眠の話についてはこれくらいでよそう。

 眠りについてからどれほどの時が経ったのか。

 深い眠りについていた私は急な物音で目を覚ました。

 

『!?』

『あれ、迷った?』

 

 若い女の声が外からする。初めは悪意ある者の襲撃が頭をよぎったが、その線は薄いとすぐに判断した。周囲に認識阻害の結界を張ってあるからである。

 月の研究をする中で考案したものだが、なかなか性能がいい。

 

 まず、この拠点に辿り着くには無意識の中で結界をすり抜けるしかない。

 特定の目的をもっている者の意識は阻害され、結界の存在すら認識することもできず拠点が存在する区域にまで到達できないのだ。

 つまり、私を襲うという目的をもった状態で、この拠点を見つけることはできないということになる。

 もしも運よく辿り着くことができたとしても一目では見つけられないように周囲の景色に擬態もさせている。ここまでやればそう簡単には私の居場所を特定することはできないだろう。

 

 しかし、まさかここまでしたにも関わらず辿り着く者が現れるとは思わなかった。どうしたものか。認識阻害の結界をすり抜けたということは、少なくとも私への悪意はないということになるが……。

 

 このまま素直に出てもいいけれど、私の姿を見ればかなりの確率で相手は警戒するだろう。最悪敵対されて戦闘に発展することも十分にありうる。私としては、やはりこのまま気づかれずにやり過ごしたい。

 面倒は何としてでも避けるべきだ。

 

『ん~やっぱり、この辺りにはいらっしゃらないのかなぁ』

 

 このまま立ち去ってもらえると助かる。できればもう少し寝ていたい。そして、彼女が去った後、二度と迷い込んでもここに来れないように術をさらに強化しておくことを心に留めた。

 それにしても、何かを忘れているような気がする。とても重要な何かを。

 ………………あ。

 

『あれ、なんでこんなところに小屋が?』

 

 やってしまった。

 第二の対策、周囲の景色への擬態は戸が閉まっていない限り発動しないのだ。なぜ戸に鍵をかけなかったのか。それは多分眠すぎて意識がすっ飛んでいたからだろう。私は内心で舌打ちをした。

 弛み過ぎだ、私は——。

 

『鍵開いてますね……入ってもいいってことなのかな? ……お、お邪魔しま~す……』

 

 そうこうしている内に中に入られてしまった。というかなぜ鍵が開いていれば入っていいことになるのだろうか。

 いやいや、まてまてそれどころではない。

 このままではこの拠点を失ってしまうことになってしまう。どうにか策をめぐらせようと考えたが、寝惚けた今の私は何時ものように頭が働くこともなく、ただオロオロとするばかりであった。

 

『あれ? すみません、人がいる……とは……思いません、でし……た?』

 

 やはり、間に合わなかったみたいだ。

 侵入者は私の姿を目で捉えるとともに顔を青くする。まったくこれだから嫌なのだ。皆、私を視界に捉えればその顔をする。

 こればかりは何時になっても慣れない。

 

『うわあぁぁっ!? ごめんなさいごめんなさい食べないでください命だけはお助けぇぇぇ!?』

『はあ……』

 

 ため息をついた私にびくっと肩を震わせる侵入者。

 背中には黒い翼があり、耳は少し尖っている。その目は真紅、そして乱れた黒い着物の裾から覗く、白い肌がよく映えていた。

 

 鴉天狗、か。

 

 まだ若い。齢は精々、二、三百年といったところだろう。

 立ち上がって近づくと、『ひぇぇ』と言いながら尻餅をついている彼女。敵対どころか恐れられてしまったようだ。まあ、寝起きで殺し合いをするよりかはいくらかましなのだが。

 そこで私は一つの希望を見出した。このまま恐怖を植え付けて帰ってもらうことはできないだろうか、と。

 

『鴉天狗、すぐにここを立ち去りなさい。今なら無事に返してあげる』

 

 できるだけ威圧感を込めて鴉天狗に向けて言った。大抵の者はこれだけで尻尾を巻いて逃げていくだろう。

 私の経験上、間違いない。

 そう考えていたのだが……。

 

『うぇ? ……あり、ありがとうございます!』

 

 私の予想に反して、鴉天狗は元気な声で返事をしてきた。それも『ありがとうございます』などとのたまうのだ。どうにも調子が狂う相手である。

 

『あ……!?』

 

 突然、何かに気づいたらしい鴉天狗の顔色は青ざめていった。

 何やらぶつぶつと独り言をつぶやき、『あああぁ、しまったぁぁ』などと言ってがっくりとうなだれ、勢いよくこちらを向く。それはさながら質の悪い悪霊に憑依された人間のよう。

 髪の毛で目元が隠れていたこともあってなお質が悪かった。

 

 ちなみに、彼女のあまりの剣幕にちょっとだけびっくりしたのは内緒である。

 

『だ、駄目なんですよ! もう私どこにも頼るところがなくてですね!?』

『は?』

 

 何だ、この天狗は。

 少なくともここで食い下がってくるような奴は今までいなかった。というかさっきまであれだけ怖がっていたのにどういう風の吹き回しなのだろうか。

 何を考えているのかさっぱり分からなかった。

 

『貴方ねぇ、そんなに怖がっているのにどういうことかしら? 足元だって覚束ないじゃない』

『こ、これはその……ちがうんですっ!! いや、そうじゃなくてっ!! な、何をされても構いませんっ!』

『ちょっと——』

『本当にもう、頼るところがないのですっ! お願いしますっ!』

 

 こちらの話を聞かない上に答えも容量を得ないもので謎が深まる。私に向かって勢いよく土下座をする鴉天狗は額を床に擦り付けんばかりだ。

 

『何でもしますからしばらくここに私を置いてもらえないでしょうか!? ……あ、でも命だけはどうか——!?』

 

 なぜ私は無断で家の中に入って来るような輩を家に迎え入れなくてはならないのだろうか。冗談は寝てから言ってほしい。

 直接的な敵意を感じなかったので手荒い真似はしなかったが、そろそろ殺してやった方が良いのではないかという考えが頭をよぎる。

 

『……』

『ひっ!? ほ、本当ですよ!? この身を捧げる所存です!!』

 

 その身を捧げられても困るのだが。なんだか、ささくれ立っていた気がそがれた。

 先ほどの私の殺気に焦った鴉天狗は、血迷ったことまで言い出す始末。面倒くさいなと思いつつももう一度深いため息をつき、私は少し真面目にこの鴉天狗のことについて考え始めた。

 よくよく考えてみると、天狗がこんなところにいること自体がおかしい。

 彼らは高度な社会を形成しており、縄張りの外に出ることはあまりない。それは鬼が山を支配するようになってからも変わっていなかったはずだ。

 すると消去法的にこの天狗は里から追われた訳ありの者、といったところだろうか。

 

『追われている者を置いておくことはできないわ。悪いけど他を当たって頂戴』

『えっ、なぜそれをっ!?』

 

 こちらの予想は図星であったらしい。鴉天狗は顔を上げて驚いて見せた。

 そしてすぐさま彼女の表情が変わる。一瞬のことでいまいち分かりづらかったものの、その様は別人のように見えた。

 それはともかく、追放された者をかくまって天狗達に目を付けられる事態は避けたい。計画に支障をきたしてしまう。

 

『一目見れば何となく分かるわ。さあ、早く出て行ってくれないかしら? 私、眠いの』

 

 最後に少し不愉快そうな声色で凄みをきかせた。流石にこれ以上付きまとってくることはないだろう。

 ……そう思っていた頃が私にもあった。

 

『な、なおさらです! 逃がしませんよぉ!』

『え……?』

 

 逆にやる気にさせてしまったようだ。目がぎらぎらと血走っている。そんな彼女には尋常ならぬ必死さが窺い知れた。

 

『捕まえましたっ!!』

『ひっ!?』

 

 鴉天狗の両手が私の腰に回される。引き剥がそうと手で彼女の顔を押しのけるが、かなりの力がかかっているためなかなか剥がせない。

 こちらも相応の力をかけているはずなのだが尋常ならない執念というやつか、びくともしないのだ。

 

『ちょ、離しなさいっ!』

『貴方がいいとおっしゃるまで離しませんっ!!』

 

 頭がおかしいのではないだろうか。いくら私が殺す気がないとはいえ、抱き着いて家に置いてもらえるように懇願するなど自殺行為に等しい。

 それともまさか、私に殺意がないことを見抜いたとでも言うのか?

 いいや、それでも十分に狂気の沙汰である。力の差など分かり切っているというのに。

 

『あ……いい香り……』

 

 などと考えていたら、この鴉天狗は私の腰に顔を押し付け、寝ぼけたことをのたまっている。彼女の表情を窺い知ることはできない。しかしだらしない顔をしているということは分かった。

 

『離しなさいってば』

『うぇへへ、いやですぅ』

 

 完全に舐められている。

 まったく。こちらが手を出さないことをいいことに!

 何だか無性に腹が立って来た。私は込み上げてくる怒りを何とか抑えながらも冷静な声で語り掛けた。

 

『分かった、分かったわ……すぐさま追い出したりはしないから、ひとまず落ち着きましょう。ね?』

『え……? 本当ですか!?』

『ええ、だから少し離れましょう? でないと貴方のお話を聞いてあげられないわ』

 

 私を怒らせた罰だ。無駄な殺生は嫌いだし、部屋が汚れるから殺しはしないが、痛い目には会ってもらおう。

 

『こ、こんな感じですか?』

『……そうそう、丁度その辺りに立って……ええ、いいわ』

『良かったぁ、ようやく帰る家ができま——って、うぇぇ!? 何これぇっ!? いやぁぁぁぁ!?』

 

 不意打ちで足元にスキマを展開させ、そのままどこか遠くに飛ばしてやった。空を飛ぶ暇も与えてやらない。完璧に不意打ちは成功した。

 彼女の悲鳴がどんどん小さくなって完全に消えたのを確認し、

 

『ああ、眠い……』

 

 私は布団にぽすりと倒れこんだ。

 一仕事を終えてすっきりした、なんて言わない。

 まったく、寝起きだというのに疲れてしまったではないか。しかしまさか自分を忌避しない者が現れたというのに、それを自分から追い出しに行くことになるとは思わなかった。幽々子や妖忌に出会う前であれば違ったのだろうか。

 いや、そうでないと思いたい。

 

 ともかく、あの厚かましい鴉天狗を家の中から排除できて良かったと言える。このような事態がこれ以降ないとは限らないため、起きたらさっそく認識阻害の結界の効力を再検討すべきだろう。あのようなことが二度あっては身がもたない。

 そこで、私は再び眠りについた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 と、ここまで私のそんな回想じみたことを話したところ、

 

「ふふ、それは災難だったわねぇ」

 

 笑われてしまった。全く不服である。頬を膨らませた私を指でつつきながら、幽々子は私の肩に頭を乗せて微笑んだ。

 

「ふふ、でも眠いからって戸締りを忘れるなんてどじねぇ。紫らしいわ」

「い、いつもはしっかりしていますわ!」

 

 確かに今回の元凶は私が戸締りをしなかったことにある。次からはもっと気を引き締めていかなければならないだろう。

 

「しかし困ったものね。もっと遠くへ飛ばしてやっても良かったかもしれない」

「うふふ。その鴉天狗さんはどこへ行ってしまったんでしょうね」

「さあ、今頃自分の知らない地で強く生きているのではないかしら?」

「案外、帰ってきたら家の前で貴方を待っていたりして——」

「それはないわぁ。なにせ少なくとも国一つ分は離れたところよ? 私みたいな力を持っていない限り難しいわ……って、幽々子。なんで信じていなさそうな顔をしているのよ?」

「別にぃ~」

 

 あまり不吉なことを言わないでほしい。私にとってあの拠点がなくなるのは流石に困る。あそこは立地がいい上に静かなため結構気に入っているのだ。

 

「そういえば今日妖忌はいないの?」

「ええ、人里が最近妖怪に襲われることが多いらしくて。心配そうだったから彼に行ってきなさいと言ったの」

 

 妖怪達の活動が活発になっていることは知っていた。しかし実のところ、人里の勢力が弱まっているのことも原因の一つである。最近、周囲の国が戦を繰り返しているため里の守りに十分な人員を割り当てられないのだ。妖忌の心配も当然と言える。

 それにしても、幽々子は一人で大丈夫なのだろうか。余り彼女が身の回りのことができるとは思えない。特に料理など、もっての他ではないだろうか? 

 

「ゆかりぃ?」

 

 そんなことを考えていたら幽々子に押し倒された。馬乗りになった幽々子は、私の頬を引っ張る。

 

「私だって料理くらいできるわよ? それにこの館には他の幽霊たちがいるし」

「に、にゃるほど」

 

 ふと、幽々子は何かを思いついたように私の頬を引っ張るのをやめた。

 

「ねえ、紫。紫が会ったその鴉天狗から何か山の様子を聞けないかしら? いくら貴方でも全体を把握できるわけではないのだし。きっとその娘は妖怪達の住処の山についても詳しいのでしょう?」

「あ、ああ。そうね。でもできればもう会いたくないわ。主に私の精神衛生的に」

 

 性格的に彼女とは合わない気がする。

 これはあくまで直感だが。

 

「自分を怖がったり襲ってきたりしてこない妖怪に出会えたのに。もったいないわ。せっかくだからもっとお話ししてみれば良かったじゃない? そのときは焦ってとんちんかんなことを言っただけかもしれないのに」

 

 たしかに、今思えば目がぐるぐると回っていたし混乱していたようにも見えなくもなかった。

 でも。

 

「ぐいぐいくるのは苦手なのよ。何というか、怖いし」

「そんなんだから何時まで経ってもお話しできる人が増えないのよ? こういうのはね、ちょっとした勇気なの。貴方だってよく分かっているはずでしょう。それにちゃんと話を聞いてあげなくちゃかわいそうだわ」

 

 もっともなのだがどうにも出会い方が悪かったのよ……。

 

「ま、前向きに検討しておきますわ……」

「もう、紫ったら」

 

 そんなことを言いながら苦笑する幽々子。

 その後、私にのしかかるのをやめてほしいと幽々子に言ったが、受け入れてもらえなかった。

 どうしてだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 白玉楼でひとときを過ごした私。

 特に用があったわけでもないので、幽々子に解放されてから再び拠点に戻った。ただ愚痴を幽々子に聞いてもらいたかっただけだったのに、諭されてしまったのは不服だが仕方あるまい。

 スキマを開いて小屋の前に辿り着くと、辺りの様子がおかしいことに気づいた。

 よくよく気配を察すると拠点の小屋の前あたりに、何者かがうずくまっているのが見える。

 

 これは、まさか。

 私の背に冷や汗が伝っていく。

 なぜだ、遠くへ飛ばしてやったはずなのに! 

 たった半日にしてここまで帰ってきたというのか。

 幽々子め、あんなことを言うから……。

 

「あ、す、すみません! ずっとお帰りを待ってましたっ!! ってうわぁぁぁっ!?」

 

 開幕早々、私は光線を放った。しかし相手は速さに定評のある鴉天狗。紙一重で避けられた。殺す気でやれば良かったのだが、なぜだが殺す気にはなれなかった。

 せめて気を失わせてからどこかもっと遠くへ放り投げておこうと思ったものの、どうやら無駄なようである。

 

「っち……」

「あ、今舌打ちしましたね!? こちらのお話を聞いてくださいよ!? 私は決して怪しい者ではなくてですね!?」

「あら、勝手にひとの家に上がり込んできたり、留守の間、家の前で待機しているのは怪しい者でないのかしら?」

「えと、それは私も気が動転していたというか……、す、すみませんっ!? どうかしていましたっ!!」

 

 そう言って見事な土下座をする鴉天狗の少女。

 このまま弁明を聞かなくてもいいのだが、さすがに気が引けた。気になることがあったし、幽々子に話を一度聞いてみて欲しいと言われたことも理由の一つである。

 こうして面と向かって話すのは得意でないが、あまりこういうことは長引かせるものでもないだろう。

 私は大きく息を吸った。

 

「はあ……、分かったわ。私も悪かった……ひとまずは話を聞いてあげる」

「す、すみませんっ!! じゃなくてっ!? あ、ありがとうございます!」

 

 酷く慌てた様子の鴉天狗を改めて見ると、彼女はなかなか美しい容貌の持ち主であった。黒い髪を肩に少しかかるぐらいまで伸ばし、活発そうな印象を与えつつも端正な顔立ちである。

 白い茜の花の刺繍が施された黒い着物に赤い山伏風の帽子、そして腰には葉団扇。着装そのものは目立たないが、並みよりも上等な生地でできていることが分かる。

 もしかすると高貴な一族の者なのかもしれない。

 

「先ほどはお休みのところ、無礼なことをしてしまいました。申し訳ありません。しかしそれほどまでに追い詰められてしまったのです。どうかお話を聞いていただけないでしょうか?」

 

 少し落ち着いた声色になった彼女はこれまでの雰囲気とは異なっていた。

 私が彼女に持った違和感。それは彼女が時折、別人のように様子が変わるというものだった。

 ひょっとすると、彼女は何らかの目的を持ってここに来ているのかもしれない。

 そんなことを考えていると、天狗は再び口を開く。

 

「私は()()()茜。このような身なりですが、天狗の里では有力な一族の者です」

 

 私は息を呑んだ。『射命丸』は天狗の中でも名家と呼ばれている。それは天狗の頭領たる『天魔』を襲名する人材を多く輩出してきたからだ。しかし最近は勢力を落とし、敵対する家に潰されてしまったと聞く。

 

「貴方が言われましたように、私は里から追われる身。そして私以外の一族の者は皆処刑されました。しかし、それは射命丸家と敵対する家の陰謀によるものなのです。その者達は天狗の里の中でも鷹派と呼ばれる集団で、天狗の山における権力の復活を企んでいます

 鬼による山の統治に不満を持つ彼らは近いうちに大きな動きを見せることでしょう。そうなれば山の妖怪はおろか、人里までも巻き込んだ大戦争になりかねません。彼らの野望を察知した今代の天魔様を含めた我が射命丸家は、対抗措置をとる前に言いがかりをつけられ処刑、排除されました」

 

 元より天狗の里の動向を探っていたため、その辺りはよく知っている。頭領たる天魔までもが処刑されるという極めて異例な事態。老人から女子供まで一族郎党処刑されたこの事件には天狗という種族の厳しさを思い知らされた。強い個が力を持っていたとしても郡が固まって動けば滅ぼされるのだ。

 しかし生き残りがいたことに私は驚きが隠せなかった。天狗ほどの閉鎖した社会で里を抜け出すということはそれだけでも命がけの行為である。

 

「私以外にその真実を知る者はいない。だから私は何としても鷹派を天狗の里から一掃しなくてはならないのです。この命に代えても」

「なるほど。しかし貴方ほどの力があるのならここ以外にいくらでも頼れるところがあったでしょう?」

「いいえ、鬼の皆様に頼ることは射命丸であってもできません。それどころか、きっと『やれるものならやってみろ』、『かかってこい』と、言われてしまわれるに違いありません。これでは被害は免れないのです。

 そこで私は山で密かに協力者を募っていたのですが鷹派が刺客を放ったことが大きな原因となっておりまして、あまりその結果は芳しくなく……。ようやっとの思いでここに辿り着いたというわけです」

 

 彼女がなぜここまで執着していたのかが分かった。私以外に頼るものがいないとは、そういうことだったのだ。

 そうか。

 ずっと、ずっと()()()()()()()

 

「貴方様の名を初めて耳にしたときは恐ろしいという印象を受けましたが、実際にお会いしたときに確信したのです。貴方様が、噂に聞くような方でないことを。鷹派を一掃した暁にはこちらから可能な限りのお礼を致します。ですから——、

 どうか、お力をお貸しいただけないでしょうか? 境界の大妖怪、八雲紫様」

 

 こんなことがあるだろうか。幽々子の言ったとおり、話は聞いてみるものだ。私は朝した自分の行いを反省した。

 それにしてもこれは、

 これは想像以上の収穫だ。

 まさかこんなところで計画に必要な駒がそろうとは思わなかった。

 それに信じられないことだが、私と彼女の目的は一致している。

 鷹派を焚きつけて月に攻め込ませ、そのまま一掃してしまえばいい。私としても妖怪、人間双方の勢力を掻き回す鷹派の存在は邪魔でならないのだから。

 初め彼女はただ頭がおかしい奴なのかと思っていたがなかなかどうして。

 

「……ふふふ、とんだ食わせ物だったわね。貴方」

「数々の非礼、お許しください。しかし——」

「いいわ。協力してあげる」

「それは!?」

 

 こちら側からすればむしろ願ってもないこと。断る理由などなかった。

 

「ただし私の存在は控えなさい。鷹派にこちらの動きを察知されないためにも」

 

 今はまだ彼女自身が頼りない。この状況で大きな動きを見せれば勢力をひっくり返す前に彼女が殺される。ひとまずは彼女を保護し、力をつけさせる必要があるだろう。

 

「はい、心得ました。ご協力感謝します」

 

 そう言って射命丸は頭を深く下げた。

 すると途端に彼女の張りつめた雰囲気が弛緩する。彼女は先程までの気の抜けた様子に戻り、その場にへたりと座り込んでしまった。

 

「よ、よかったぁ……断られていたらどうしていたか……」

 

 聞こえないとでも思っていたのだろうか、小声で呟いた射命丸。不安でいっぱいだったからこそ、思わず漏れ出てしまったのかもしれない。

 わずかに聞こえた彼女の本音を聞かなかったことにしてもよかったのだが、ついつい、いたずらごころが働いてしまった。

 

「そっちが素なのね?」

「あ!? す、すみません。どうにも慣れないんですよ。ご無礼なことは承知の上なのですが」

 

 聞いてみればあっけらかんと答える。突けばもう少し慌てるかと思ったのだが。

 いっそ清々しいものだった。

 

「まあ、いい。しばらくここにいることを許すわ。色々と、知りたいことがあるし」

「ありがとうございます。そして、これからよろしくお願いします。八雲紫様」

「ふふふ、そうねぇ。早速で悪いけど、まず貴方は何ができるか教えてくれないかしら? 時間が惜しいわ」

「いいですよ! ええと、まずは——」

 

 楽しそうな彼女を無視して言葉を挟む。

 

「いいえ、別に何も話さなくていいわ」

「え?」

「これからじっくりと見てあげるから」

 

 私はスキマを開いて射命丸と二人きりの空間に移動した。ここなら多少荒っぽくしても大丈夫だろう。なに、この空間の中であれば時間はある。

 それはもうたっぷりと。

 

「ま、まさか……」

「ええ、そのまさかよ」

 

 いちいち聞くなんて面倒くさいことはしない。実際に体感してみることが一番早い。百聞は一見に如かず、である。私は彼女の周囲に無数の弾幕を発生させた。

 まずは、ほんの小手調べといこう。

 

「お、お手柔らかにお願いしま~す…………」

 

 射命丸茜の顔は真っ青になり、肩はがくぶると震えている。しかしこの程度で恐れをなすようではこの先、生き残れない。

 そう、彼女の試練は始まったばかりなのだから。

 

 

 

 ******

 

 

 

 人里から離れた真新しい神社には人だかりができていた。その数は里にこんなに人がいたのかと驚くほどである。どうやら近隣の里からも来ている様子。

 なぜこれほどまでに人が集まったのかと言うと、近年若い男衆が戦に引き抜かれ、守り手が不足しているため妖怪達による人里への被害が深刻化しており、その打開策が発表されると里長から通達が来たからであった。

 国の領主は今回の打開策を認可し、里長に一任している。それ故に里の人々は期待を寄せていたが気になる噂もあり、素直に喜べないでいた。

 

「なあ、聞いているか?」

「ああ、何でも新しい巫女様なんだってな。なんの神様を祀っているのかは知らんが」

「信じられるけえ? その巫女様ってのは、十になるかならないかぐらいの娘っ子なんだってよ」

「そんな娘っ子に里を任せられるものかっ! そもそも里を襲いにくる妖怪の数は十や二十ではないんだぞ! この里もいよいよ終わりか……」

「いいや、そんな年で選ばれるってことはそれだけの力があるってことじゃないか?」

「そんなわけが……いや、それもあるかも知れねえな……」

 

 様々な憶測が周囲から飛び交っている中、ひと際立派な服を着ている里長が神社の中から現れた。それに伴い人々の話し声が静まり、注意が里長へと集まる。

 

「皆の衆、よく聞かれよ!」

 

 老いた身でありながらもよく通る声で話す里長は威厳に満ち溢れていた。

 

「我らの里は妖怪達によって多大な被害を被った。戦によって若い男手が減り、まともな警備もままならないからだ。しかし! 

 夜に怯え、外に出ることが憚れるような生活は、最早終わった! これからは新たな巫女様が、我らをお守りくださるのだ!」

 

 再び、ざわざわと辺りが騒がしくなる。新しい巫女に関する噂が本当であるかどうか、人々は神社の本殿の奥に目が釘付けになっていた。

 里長はそんな人々の反応を気にすることなく、言葉を続ける。

 

「巫女様は未だに幼くあらせられるが、その神通力をもってして妖怪達を追い払ってくださるだろう!」

『おおっ!?』

 

 民衆の中で、どよめきが上がった。神通力とはごくまれに人間が持つと言われる不思議な力で、それを持つ者は人間にとって非常に頼もしい戦力であると共に希望の象徴であったのだ。しかし神通力を持つ者はその希少性から都に行ってしまうことが多く、今まで里に呼ぶことすらかなわなかった。

 まして領主が今回の決定を認可しているとだけあって、人々の期待は最高潮まで達した。

 

「それでは巫女様から挨拶をしていただこう。見よ! この方が我らの里をお守りくださる巫女様であらせられる!!」

『おおおぉ!!!』

 

 緊張と期待に満ちた境内。しばしの間を置いて現れたのは——。

 ふと、とたとたと小さな足音が近づいてくる。

 

「へぅっ!?」

 

 何かが前のめりになって、すっ転んだ。

 それはなれない巫女服に身を包み、焦って走ったせいか。

『痛ったぁ……』と頭を抑えて悶絶している白衣(しらぎぬ)緋袴(ひばかま)という伝統的な巫女装束に身を包んだ少女。

 

「え、ええっとぉ……よ、よろしくお願いします……?」

 

 大衆の前で羞恥をさらしたことに対して、涙目でふるふると震えながら起き上がったのは萃香を助けたあの少女であった。辺りが一層ざわつく中、一人の若者が少女を指さして叫ぶ。

 

「あ、あの娘っ子、知っているぞ!?」

 

 それを皮切りに、次々に声が響く。

 

「本当だ。この前うちの畑を荒らした妖怪を追い払ってくれた娘だ!」

「知っているのか?」

「それはもう、頼もしい限りよ! 見た目はあんなんだが、実力は保証できるぜ!」

「なるほど! それならばならあるいは……!」

 

 少女がよく通う里の人々である。時折少女が妖怪達を撃退している姿を見ているため、彼らは少女が巫女になることに一定の理解を示した。

 彼らの声もあり、少女をよく知らない者達までもが一縷の希望を見出す。そうして者たちが一定数いたことで、ぎりぎりのところで体裁は保たれた。

 しかし少女が里の守り人となることを疑問視する者も少なくなく、決して皆が喜べたものではなかった。少女はきっと多くの人々からその実力を問われ続けるだろう。

 望もうが、望むまいが。

 

 

 かくして、新たな巫女が生まれた。

 

 ——その者、麗らかなりて博く世を見守るべし。

 

 その名は博麗の巫女。

 

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