1.画竜点睛/竜を殺す
竜を殺す、それは祝福なりや?
黄昏の空に光輪が広がっていた。
消えない光の輪、先の次元において判明する数億本の光の下で咆哮が上がっていた。
――GARAXXAXXァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!
震える、震える、黄昏に染まった大地の元で。
大地が震えて恐れている。
百年の戦争を"続けようとする"歪んだ世界の中でそれは翼を翻し、雄雄しき牙を震わせて、巨大なる体躯で見下ろしていた。
その背丈は数十メートルにも達する巨躯、城一つにも到達せんばかりの偉容、漆黒の鱗に触れるだけで千切れ飛びかねない圧倒的な魔力濃度。第五真説要素(エーテル)を噴き上げ、その毒の吐息を鮮やかなる光の吐息と零す。
生命の頂点たる幻想種の頂点、神話に語られる最強の存在。
それが竜、それはドラゴン、それが最強たる証。
それが魔竜。
「あれが魔竜……ファヴニール!」
そう呟くのはこの戦場にただ一人存在する人間。
赤銅色の髪を軽く結わえ、本来ならば凛々しく前を向くだろう黄金色の瞳に、豊かな乳房を持つ少女と女の中間点のような年齢。
人類最後のマスター、英霊使い、凡人でありながらその使命を背負ってしまった人理修復の担い手。
「ッ……!」
思わず噛み締めた唇の端から血が滲む。
視界が揺らめく、陽炎のように揺らいで、決して優れているとはいえない魔力回路を最大限に回転させていてもこれだ。
肌が粟立ち、折れそうな心を奮え立たせなければ今にも失神してしまいそうな膝を叩く。
意識するだけで死を感じさせる超越者との対峙。
「……苦しいだろうが目を逸らすな、マスター」
そういったのは鋼のように冷たくも頼もしい声。
白髪の髪、褐色色に黒ずんだ肌、赤い外套を纏った見事な体躯の東洋系の男性。
特異点Fの後から共に歩んでくれているエミヤ。
弓使いの英霊。
「これはこれは……でかいな、三枚に卸せば食い応えがありそうだ」
飄々とした声、そう告げるのは同じく東洋系の男性。
けれども身に付けているのは袴、和風の様相に、大太刀を手にした侍と呼ぶべき男性。
佐々木小次郎、イレギュラーたる暗殺者の英霊。
「毒を吐くあれを思い出しますね」
「まったく音楽家がやることじゃないよね」
「ドラゴンがなんぼのもんじゃーって感じね」
「……同じトカゲ同士戯れてきてはどうですか?」
「なによあんたー!? あんなのと一緒にしないでくれる?!」
「やれやれ師匠の修行を思い出すぜ」
さらに竜殺しの聖人が、神の才を持つ音楽家が、何故か竜になってるアイドルが、龍へと変じた少女が、杖を持った英雄が。
魔竜を目の前にしながらもいつも通りの言葉を取り、恐れはしない。
それが英霊、サーヴァントとしての強さだと隔絶した存在だと感じられて。
「……大丈夫です先輩、私が守ります」
そんな彼女の前に、盾を構えた少女が立った。
マシュ・キリエライト。
自分を先輩と呼んでくれる少女、銀色の髪、抜けるような白い肌、淡い藍色の瞳に、可愛らしいどこか世間離れした少女。
そして、自分を守るためにデミ・サーヴァントとなってくれた守らなければいけない、守ってくれる子。
その十字型のどこか不可思議な気配がする盾を構えた彼女のクラスはシールダー、盾の騎士。
絶対な防護能力を持つ頼もしいデミサーヴァントで……
(うん、そうだよねマシュ)
その盾を持つ手が僅かに震えているのに気付いた。
だから。
「ありがとう、でも無茶しないでね」
その手に手を重ねて、声を掛ける。
彼女はデミ・サーヴァントになったけれども、その心は人間のままで。
そんな彼女を見ていつの間にか震えは消えていた、自分だけじゃない、誰もが勇気を振り絞っているのだって気付いたから。
それはきっと彼女もそうに違いない。
向ける先、魔竜がいる方角の先陣に佇む聖女を、赤銅髪の魔術師は見た。
「それが貴方の切り札ですか」
そこにいるのは聖旗を手にした聖女。
蜂蜜色のブロンド、祝福された戦装束に、決して戦場では抜くことのなかった帯剣に、女性らしい柔らかな体躯を持った、透けるような瞳を持った美しい女性。いや、少女。
世界に名だたる悲劇の名で呼ばれる聖女、紅蓮に焼け落ちた聖処女、裏切られた魔女の汚名を被せられ、そして遠い未来でその名誉を回復された聖人。
ジャンヌ・ダルク。
「"ジャンヌ・ダルク"」
ジャンヌがそう呟いたのは自分の名前。
否、もう一人の目の前の黒き少女の名前。
「ええ、そうよ。ジャンヌ・ダルク、頭の沸いた癲癇の狂人」
それは鏡写しのようでいて、そしてその全てが逆だった。
白い戦衣装は黒ずんで、黄金の髪は銀色に、手にした帯剣は血を吸った錆色で汚れていて、唯一共通するのはその抜けるような白い肌。
遠目からすれば火炙りの刑で死に果てたジャンヌが蘇ったように見えるだろう、否、そう勘違いされていた。
復讐の魔女として蘇ったジャンヌ・ダルク・オルタナティブ。
反転した霊基を与えられて作られた贋作聖女。
その背後にいるのは復讐の調停者による令呪によって使役された狂気に彩られた英霊たち。
いつか知る超越者によって作られた聖杯の力で生み出されたものたち。
「ここにこの世界は終わる、黄昏の、邪竜による百年の連鎖が永久に続いて世界を飲み込むわ」
魔女は謳う、狂気の言葉を紡いで聖女に謡う。
「終わりません、この世界は、この時代は、後に続く。人理が焼け落ちてもなお皆の未来は続くのです」
聖女は謳う、正気の言葉を紡いで魔女に謡う。
「続かないわ、私たちのように紅蓮に焼け落ちるの、何故分からないの? 全ては手遅れだというのに」
「続きます。私たちは終わっていても、まだ続く者たちがいる限り、世界も歴史も終わりはしない」
言葉は平行線に続く。
憎しみに歪んだ魔女は聖女を睨んで、許しに満ちた聖女は魔女を見つめる。
「……チッ!」
魔竜を目にしてもまるで怯えない、揺るがない聖女にジャンヌオルタは舌打ちを漏らして、その手を振り上げた。
「ファヴニール、焼き殺せ!!」
GARAXXAXXァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!
ニーベルングの指輪に記される幻想種が咆哮を上げて、竜の魔女の意思に従い動き出す。
こちらには精々英霊が七体。
幻想種の頂点にして魔竜の力を考えれば、あちらの英霊の数も考えれば圧倒的に格上だ。
ジャンヌ・オルタはルーラーの力をクラススキルを持っている、そのためデミサーヴァントであるマシュ以外のスキルもステータスも把握しているだろう。
彼女の目は竜殺しの聖人ゲオルギウスに向けられている。
事前に打ち合わせにおいて彼は言った。
「おそらく私はジャンヌオルタには敵わないでしょう」
「何故です?」
「彼女が"竜の魔女"だからです。彼女は本来の原典……ああ、ジャンヌにはないスキルを持っています。それは竜の活性化、すなわち竜種の強化です。私やマルタなどの聖人が持つ退散の伝承、それの反転……ランクでいえば規格外ですね」
おかげで竜殺しの英霊ですがここの飛竜共にはとても苦労しました。
それをスパスパ斬っていたあのサムライはなんなのでしょうね? といわれたが、私だって知りたいです。
「竜ならゲオルギオスさんのアスカロン……
「ええ、そうです。<
「強化ですか?」
「ええ、ただでさえ規格外のルーラーであり復讐者の面を持っている。それが自身を強大化出来るのであればなおさらに手に負えなくなります。竜殺しの剣があっても厄介過ぎます、本来の聖杯戦争であればともかく、今の私では霊基が不十分ですからね……ですから」
「ジャンヌ、そちらは任せます!」
ファヴニールの移動に伴って、ゲオルギオスが言いながら駆け出す。
ざっと足を踏み出し、"ファヴニール"ではないワイバーンたちの方角へと。
「!? どこに」
「――ジャンヌ、これが私たちの切り札です」
聖女が手を掲げる、そして私もそれと共に魔力回路から、カルデアからの供給される魔力を回して、告げた。
「「ジークフリート!!」」
そして、霊体化から解除されて現れたのは一人の剣士。
黒ずんだ皮膚と同一化した甲冑、鋼色の髪に、端整な美貌を共に鋼で構成された大剣を握り締めた男性。
英雄――ジークフリート/セイバー。
竜殺しの勇者。
「なっ!?」
出現したジークフリートをみてジャンヌオルタの瞳孔が動揺に歪んだ。
彼女からすれば当の昔に叩き潰し、呪いを打ち込み、消し去ったはずの相手。
それの生存の影に、狂乱の呪いに抗って竜を退散させた伝承を持つ聖女がいたことを知らないだろう。
(ジークフリート!! 竜殺しの勇者!? 何故生きて、いや、それよりも……まずい!)
「殺しなさい! 我がサーヴァント!」
魔女の表情が一変した。薄笑みを浮かべていたものから焦燥へと彩られる。
あれだけはまずい。あれはまずいと
彼女の看破スキルには映る――【竜殺し(A)】
――竜殺しを行なったものは竜を殺せるようになる。
伝説は繰り返される、何故ならば一度起こり得たものは証明されたからだ。
不可能ではないからこそ可能性が発生する、それが因果の逆転であり、後世に紡がれる英雄譚の軌跡。
奇跡ではなく軌跡、"不可能を行なったものはそれを可能へと引き摺り落とす"。幾多の魔法が技術の発達と共に魔術へと貶められたように。
故に指示の為の手を振り下ろしながらも、血塗られた旗を持って駆け出す。
「ジャンヌ! "ジャンヌ・オルタを出来るだけ足止めして"!!」
その前に出現するのはジャンヌ、まるで瞬間。否、実質転移に近い速度での出現と対応。
「させません!!」
「!?」
火花が散る、咄嗟に振り下ろされた二つの呪われた旗と聖旗が激突する。
空気が唸る、火花を散らして溢れ出す紅蓮の魔力放出の憎悪が、見ているだけで虫唾が沸く聖旗の聖女に拮抗していた。
同時に指示を受けたサーヴァントたちが、敵味方入り混じって足止めをするように激突した。
(馬鹿な、距離がまだあったは――あいつか!?)
激突し、打突を交差させながらジャンヌ・オルタの目線が捕えたのは赤髪のマスター。
既に駆け出し、邪竜へと向かう三体のサーヴァントを連れたその左手の甲に刻まれた令呪の数を捉えていた。
刻まれていたのは二画。
サーヴァントへの絶対命令権。カルデアが作り出した本家聖杯戦争の令呪の紛い物、劣化した拘束力と権限ではあるがその戦闘のサポートにも使える、一昼夜ごとに充填される擬似ブースター。それを契約したジャンヌに発動させ、奇襲と足止めにしたのだ。
「どけえええええええええ!!」
「退きません! 貴方の相手は私です!」
どこかの世界線の、既に焼け落ちた外典の聖杯大戦の如き英霊たちの激突が始まった。
大地が震撼する。
手指が震える、心臓は今にも弾け飛びそうなほどに脈動し、その全身は甲冑が軋んで、まるで歯を鳴らすかのように音を立てる。
自分の汗の臭いが鼻に付く、蝋が溶けたように滲み出す脂汗、マナで構築された偽りの肉体でありながらその体機能の殆ど全てを再現する、英霊という器。
手に握った剣の重み、甲冑の重み、大地の重みで足が震え出すのだけは押さえ込む。
まるで新兵のような、初陣の騎士のような有様、だがこの感覚には憶えがある。
(あの時と同じだな)
見据えるのは邪竜、かつて己が滅ぼした悪竜、人間で在った最後の強敵、己が震えて恐怖した最後の感情。
邪竜ファヴニール。
「ハッ。三度、貴様と相見えようとはな」
(――?)
今告げた言葉に自分で違和感を覚える、三度?
はてどこかでもう一度"彼"を見たことがあったのだろうか。
(いや、構うな。俺がやるべきことは一つ)
迷いを振りきる。
「お願いします、ジークフリートさん!」
「いきます!」
「さて、どのようなものか」
駆けつけた少女のマスターが、盾を持った何故か"懐かしい気配"のする少女のデミ・サーヴァントが、そしてサムライのサーヴァントがいる。
かつてと同じように、かつてとは違った仲間を連れて。
一人ではなく共に戦う戦士がいる、それだけはかつてとは違う。
「再び貴様を黄昏に叩き込む。我が正義、我が信念に従って」
そう告げて、踏み出した。
戦闘が始まった。
竜の強みとはなんだろうか。
それは巨大なる体躯か、それとも鉄よりも硬き鱗か、その撒き散らされる吐息か。
あるいは圧倒的な存在感か、生物としての格差か。ああ確かにそれはあるだろう、それは間違いではない。
だがしかし、もっともおぞましく畏れるべきは……
「ッ!?」
轟音。
舞い上がった砂塵を切り裂く爪、それの一撃に少女の体が跳ね飛ばされた。
しっかりと盾を構えて、重心を深く沈めて構えた防御姿勢でありながら十数メートルの空を滑空し、大地を転がった。
「マシュ!?」
「大丈夫です!」
マスターの声にすぐさま横に転がりながら、跳ね起きて、マシュは姿勢を正した。
唇の端から血と唾をえづくように吐き出しながら、彼女は震えて痙攣する手を見た。
(……物理的圧力は計算上防げたはず、なのに、それ以上に重くて"深い")
竜の強みとは。
その幻想としての神秘性の高さである。
そう、<竜>とは幻想種の頂点であり、"神秘はより高い神秘に屈するのだ"。
それがこの世界のルールであり法則性。
一つの例えを語ろう。
とあるライダーのサーヴァントがいる。
かつては女神であったがその美貌故に神に呪われ、人々から迫害され、怪物へと貶められた半英霊。
彼女は二つの宝具を持ち、その片方は己の逸話たる血潮から生み出した天馬を産み出すことだ。
そして、その天馬は騎乗者の宝具で最高に強化されたとはいえ触れた存在を消し飛ばす力を持っていた。何故か?
それはその天馬が<幻想種>であり、サーヴァントですら触れれば消し飛ばされる高い神秘性を持っていたのだ。
そして、魔竜は天馬よりも格上の幻想種である。
故にこのファヴニールもまたこの時代に無き存在でありながら霊器を与えられ、本来のそれよりも弱体化しているとしても。
神秘性に劣るサーヴァントではまともに触れただけでも死に至る。
(やはり今の私では盾じゃないと……!)
盾越しの接触だけでこれだ。その払い除けるような爪の一撃だけで骨が軋み、肉がよじれ、神経が痺れて痛みすら鈍くなるのが恐ろしい。
神秘の格差が半ば物理的圧力を発生させていた。
だから事前の打ち合わせ、ジークフリートやロマンとの情報交換でマシュは徹底的に盾での防護での援護に専念することに決めていた。そして、佐々木小次郎はこれまでの飛竜殺しでの経験となによりも圧倒的な見切り……「まあ拙者なら不可視の剣だろうが見切りは余裕でござるしー?」 と信じていいのか、ドン引きするべきなのかわからない言葉もあって参戦。
そしてなによりファヴニールを斃したことのあるジークフリートの合計三人。援護用の魔術礼装とまだまだカルデアからの供給魔力を制御仕切れていないマスターである彼女が把握制御出来る最大同時戦闘人数が三人だった。
(これで斃せなければ勝ち目がない……、ッ!?)
カルデアレイシフトプロジェクト、Aチームのマスター候補としても選ばれた魔力回路を意識して廻しながら、全身の修復と感覚補正に回していたマシュの顔が驚愕に歪む。
魔竜の正面で打ち合っていたジークフリートが、吹き飛ばされた。竜殺しの英雄が。
「ジークフリードさん!」
身体から湧き上がる感覚に従って魔力を流す、砂に汚れた艶かしい足を駆け出し、その靴底から魔力が噴出して――跳んだ。
熟練のサーヴァント、あるいは神代時代、神秘濃き英雄であれば当然のように身に付けている魔力による身体制御技能。
唸りを上げて追撃にかかる魔竜、それの前へとロケットのように飛び込み、地面へと片足を叩き付け――振り回した丸盾の正面と人一人分はあるだろう巨爪が衝突する。
それは雷雲のような音を立てて、零れ出る少女の悲鳴と決意の吐息を掻き消した。
体が動く。体軸が翻転する、こうではないと告げるように白い少女の滑らかなハーフプレートが滑る。
「■■■■■■■■■■!!!」
現代であればビル一つ軽々と粉砕するだろう巨大質量の腕が地面を砕きながら奔る。
それにマシュが踏み込む、盾の握りを軽く――女らしい肢体に合わせて駆けた。
(そうじゃない)
轟音と共に砂礫が飛んだ。
既に退避している小次郎の位置でもなく、血を溢れ出させながら顔を上げたジークフリートの位置でもなく、後ろにいるマスター。彼女のいる位置をも巻き込む大質量の散弾砲。凌がなければ彼女が死ぬ。
――やはり魔竜には知恵がある。竜の魔女に従っているのは彼女のスキルのせい? それとも。
迷いは意識に浮かび上がりかけて、だがその前に希薄となってきた。
(こうですね!)
踏み込む。
――大事なのは間合い。
身体を捻る、重さを着こなす動き。
――そして、退かぬ心。
銀色の髪が揺れる、幾度に魔竜の爪を受けてもなお曇りの無い盾を、こんな神話のような戦場に居たらいけない優しい人が握ってくれた手を、デミ・サーヴァントと化した体躯を稼動させる。
――盾は防具にあらず。
「ぁ、あああああああああああああ!」
――武具であり、■■の象徴である。
<
踏み込んだ大地が放射線状にひび割れ、ミルククラウンのような砂塵を残してマシュが飛び込む。
何処かにいる英雄の、黒く染まった彼女ではない、彼女の霊器が従う"唯一の王"のそれに似た動き。
薙ぎ払うように降り抜いた盾が砂礫を撃ちつけ、その表面から噴出した蒼銀の魔力がそれを砕いて散らした。
「マシュ!」
「マシュ・キリエライトは大丈夫です! それよりも――ジークフリートさん!!」
大丈夫ですか、と続けようとしたマシュは見た。
怒涛の如く迫る木の幹のような爪に、態勢を立て直したジークフリートが両手剣で受け止めていた。
だが重い。圧倒的な質量さと大剣で受け止めてもなお人外のツヴァイハンダーめいた爪が受け止める彼の肩に食い込み、マグマの煮えるような異音を響かせて肉を焼いている。
「ぐぅぅううううううううっ!」
そうだ、血を流し、肉を焼いている。
Bランク以下の攻撃を全て無効化する、不死身の英雄ジークフリート。
"まるでただの人間のように"。
(やはり、か!)
激痛が脳髄を焼く、流し込まれる魔竜の爪毒に生前であれば三度憤死していただろう爪熱。
ジークフリートは半ば無効化された悪竜の血鎧の機能で相殺しながら耐える、耐える、そうだ、耐えている。
――<悪竜の血鎧>は眼前のファフニール、それを斬り、■■して浴びた血によって受けた恩恵/呪詛だ。
真正の竜、それの血は人の身には変性を齎すほどの力を秘める。曰く龍を殺して龍へと変じたもの、曰く竜の血を浴びて不死身となったもの。
竜殺しの勇者ジークフリートはその後者であり、そのサーガにおいて不死身の体と衰えることを知らない体躯によって数々の冒険と悲劇の結末を迎えた。
バルムンクに次ぐ、第二宝具<悪竜の血鎧>はその不死身の身体そのもの。
だが忘れてはいけない、その力を与えたのは何者か。そして、その加護を与えた血を持っているのは何か。
――目の前の邪龍ファフニールに他ならない。
呪いと祝福を浴びせた血の持ち主がその与えた相手の鎧を破れぬ道理があるものか。
――GARAXHAHAHA。
咆哮が響き渡る。
硫黄臭にもすえた息吹、魂までも焦がし尽くす竜炎を吹き散らしながら魔竜の瞳孔が歪んだ。
彼を見て歪んだ。細く嗤うように。
嘲笑の咆哮が上がった。そう嗤ったのだ。
――弱くなったなとかつて己を殺した勇者が落ちぶれた様を見て嘲笑う。
ズンとと大地が震撼する、いや、それは彼の体の骨格の軋みか。
重く重く、サーヴァントの規格外の筋力でも頑強性でも耐え切れない、戦車すらも踏み潰す重みがジークフリートの体をひび割れさせ、鎧が軋んで砕けていく。
それにただ受け止めるだけの彼には逃れる術はない。
(強い、いや、ちがう……俺が弱くなったのだ)
自覚する、思い知らされた。俺は弱い、俺は弱くなった、俺は落ちぶれた。
この第二宝具<魔竜の血鎧>、いや、俺の心の弱さが故に。
加速度的に近づいていく死の淵に、記憶が錯綜する。
俺の人生が色付いていたのは何時までだったのだろうか。
呪われた黄金を隔てなく分配することを頼まれ、だがそれでも納得されずに襲われ、それを殺してしまった時までだろうか。
いや、それともこのファヴニールに挑んだ時までだっただろうか。
だが、いつしか思い出す記憶のなにもかもが色がない、灰色の思い出で、実感も悲しみも記憶もどこか遠く感じられる。
戦いは互いの命を賭けるものではなくただの作業で、痛みというものすら死んだ時の一瞬以外には酷く懐かしく、自分の妻だった人の女の熱すらも確かに思い出せない。
誰かはいった。
――竜の加護は祝福ではない、呪いだ。
このファヴニールを挑んだ時は不死身ではなかった、この剣もなく、何もなくただ勝利の為の切り札の一つもなく挑んだ。
――英雄は何故英雄なのか、それは不可能を可能にする強靭さが故に。
竜殺しの力もなく、手にした剣は半ばから折れ、鎧は砕け散り、無事なところはなにもなく、どうやって勝ったのかも覚えてない。
――だがそれでも人であるならば努力をし続けた、命は儚いものだからこそ、燃やして輝かした。
だが、だが、その後において俺は何をしたのだろうか。ただ剣を振って、向けられる刃に躱す、防ぐ、駆け引きというものをしただろうか。
――それを忘れれば英雄は英雄ではなく、勇者は勇気を忘れた愚者となる。
誰かと戦っていた。赤き黄金の誰か、槍を使う誰か、それとの戦いの時に痛感したのではないか。
――竜は呪う、英雄を祝うのではなく呪う。その力は。
"俺はもはや英雄ではなくなっていたと"。
――勇者を勇者ではなくする破滅の呪い。
自覚する、それと共に足から勝手に力が抜ける。流し込まれる邪毒に反応し始めたように、今更痛いのだと、喉から込み上げる血が熱いと感じた。
(駄目だ)
勝てないと心が気付いてしまった、信念が折れる。
自分の意思では止められない、血飛沫を噴出す身体は崩れ落ち、めり込んだ爪はより深く、身体を割っていく。
(すまな――)
「失礼」
涼やかな刃金が奔った。
身体からふっと重みが消えた。
目を見上げる、ファヴニールの爪が三本斬り飛ばされていた。
ジークフリートを押し潰さんとしていた爪、その内の三本が根元から斬り飛ばされ、宙を待っていた。
思わず言葉を失う、だがその沈黙は怒号に満ちた咆哮に掻き消えた。
「ふむ」
声を上げたのは魔竜、大人の体躯ほどにもある爪の根元、それを三本。斬り飛ばされた激痛はどれほどのものか。
そして、それをなしたのがジークフリートの目の前に滑り込んできた少女と、それから三歩離れた位置に佇む流麗な男。
ジークフリートの記憶においてはまるで女子供が使うものような薄っぺらい、剃刀のような片手剣を手にした英霊。
佐々木小次郎。
「なるほど、どうしてでかい蜥蜴よなぁ」
大気が震えた。
「来ます!」
マシュが膝を落としたジークフリートの前で盾を構える。
「真名・偽装登録」
彼女は盾を突き出し、謳う。
悪竜が激情のままに顎を開く、中に溜め込んだ激熱の、神代の元素を燃焼させて迸らせる死に真正面から立ち塞がりながら。
「仮想宝具
白銀の壁がそれを受け止めた。
「―――ぁあああああああああああ!!!!」
少女の咆哮が激突する息吹の轟音にかき消されて、だが不意にその声が音を取り戻した。
悪竜が息吹を途中で中断した故に。
疾風の剣士がブレスを吐き出す直前に一歩踏み込み、二歩で側面へと到達し、三歩でその腹から駆け上がり、その腹から喉下までを裂いたからだ。
立直に支点を刹那でも確保さえ出来れば、重力の位置方角など関係はない。
それをなせるだけの剣技を持つのが彼であり、溶岩のように煮え滾る血飛沫を浴びることなく飛び離れた。
「四歩、間境いを踏み越える」
閃く二条の銀閃は緩やかに、奮う手元は魔力の光を帯びてまるで月弧の艶。
息吹を途中で辞めて身震いするように悪竜の爪が振るわれる、それこそ風のような速度で離れて間合いを広げ、宝具の展開で凌いだマシュとジークフリートも位置を変えながら合流する。
「竜殺し殿」
激痛に地団駄を踏む悪竜から目線を逸らさぬままに、小次郎が尋ねた。
声をかけられたのはジークフリート。漏れ出す血残滓の黄金の粉雪のようで、耐久限界に近づいた体の一部は霊子へと近づいていた。
そして、ここまでの無様にどう告げるか逡巡した時。
「あれは鉄よりも軟いぞ?」
侍の男は軽やかに告げた。
「な、に?」
予想外の言葉に目を見開く――それこそ彼をよく知るものでなければ分からない程度に微かな驚愕の顔、その前で小次郎は涼しげに手にした長大な太刀を振った。
刀身の波紋はゆるゆると広がる波間のようで、銀色に朧げな燐光を灯している。
まるで朧月を思わせる魔力の彩り。
「ますたぁ殿の強化があれば拙者でも刃筋が通る程度」
供給強化されているのは後ろに控えて身に纏った礼装を励起維持させ続けている魔術師の少女の強化魔術。
刀身の強化、そして筋力と動作速度の瞬間強化。
維持時間は大よそ一呼吸、なんとも心もとない効果時間だが。
(まあ拙者ならば一呼吸もあれば四つは打ち込める)
それだけの時間があれば四撃は叩き込めるという自負となによりも。
(合図に合わせて瞬間強化するだけのおしごとぉおおお!! だから安心してね!)
(先輩、安心していいんですかそれ!?)
繋がっているパスを通じて聞こえてくなんとも情けな頼もしい主従少女たちの声に苦笑する。
思えば生前魔術などというものにはトンと縁もなかったが、本来は聖杯戦争に、無論のことこのような抑止力として人理修復のために呼び出される抑止力でもほぼありえないこの身に刻まれている奇縁には感謝というには複雑なものだ。
いつかどこかの世界線のどこかの、唯一無二に己が呼ばれた記憶がある聖杯戦争の。
「なので拙者でもまああのように斬れたわけでござるからな」
言葉を続け、こちらを睨みつける悪竜の目を見る。
それは怒りだ、それは恥辱に震える憎悪の眼差しだ。
何故貴様如きに傷つけられるのか、ありえないと、許せないと傲慢無知なる顔だ。獣ではありえない、感情と知恵を持つ恥知らずの憤然に、侍は言った。
「絶対に自分が当てねば倒せない、ということでもあるまい?」
ジークフリートの表情が凍りついた。
いや、まるで後頭部を殴られたような顔だった。
「竜殺し殿もいっていたであろう、無数の敗北から僅かな勝ちを拾い上げるような勝利だったと」
声は紡ぎ出される、単語が繋がる、それすなわち言葉になる。
「慎重に策せ、大胆に動け、拾い範囲で物事を見ろ、深く一点に集中しろ。と、どうにも難しい言葉だが」
そして、彼は言った。
「今の自分でやれることよりも過去の自分の動きを思い出すべきではないか?」
静寂の中で染み渡るような言葉だった。
ジークフリートの、竜殺しの勇者の顔が流れるように変化する。驚愕と硬直から、苦悩から逡巡。
「……なるほど」
そして。
「どうやら自分で言っておいて出来ていなかったのは俺か」
決意。
血塗れの体を引き起こす、悪竜がすでに態勢を整えて、ジークフリートを、二人を、全員を見ていた。
"自分だけではない脅威を認識していた"。
――海のように、空のように、光のように、闇のように矛盾する二つの行動をとる。
自分がファヴニール、それを倒す時に必要だと感じるがままに謳った方法。行動のあり方。
「で、なければ倒せないか」
血塗れの唇を舐め取り、油のように絡みつく唾液を飲み込んで、呟く。
喉は渇き、空は晴れ、乾いて、痛んで、死に近づいていて、だがそれでも。
「来ます! 分散を――」
マシュの声が響いた。
悪竜が翼を広げた、巨大な体躯、奴は飛べない、だが滑空することは出来る。
まっしぐらにこちらを叩き潰すと迫ってくる、それにマシュは、小次郎は左右に位置を替えて、攻撃の目を互いに背けようとして。
「――ジークフリートさん?!」
ただ一人、ジークフリートだけが真っ直ぐに飛び込んだ。
血塗れの身体で、皹割れた甲冑のままで、大剣を手にして、真っ直ぐに走っていた。
「ジークフリートさん!!」
声が上がった、悲鳴が上がったマスターの少女の声が。
轟!
だが悲鳴も掻き消える、ファヴニールの咆哮と大地を砕く爪の一撃で。
大地は砕け散り、砂塵は噴火のように舞い上がり、血は溶岩の噴出のように飛び散って、火山の噴爆のように咆哮が響いた。
そう。
血が飛び散り、咆哮が轟いた。
ファヴニールの腕が千切れていた、悪竜の血を迸らせて。
「すまない」
振り抜かれた竜殺しの刃に断ち切られて。
「何故こんなにも愚かなことを考えていたのだろうか」
左半身、肩から血肉を吹き飛ばされ、<魔竜の血鎧>を無惨に砕かれながらも揺ぎ無く。
爛々と燃やし輝けるバルムンクを突き立てた英雄は――"仕切り直す"ように告げた。
「竜を相手に、命があるなんて考えるほど馬鹿なことはない」
血塗れの彼は不死身などではなく。
「ああ、そうだ」
痛みに顔を歪ませながらも、目は決して怯まず。
「貴様を相手に素面で勝ったわけじゃない」
それは人間の顔で、かつての死に物狂いで竜を倒した王子の目つきと、そこから伸びて鍛え上げられた魂を燃やし。
「俺は」
吼えた。
「――何で勝ったか自分でも覚えていない! だから無我夢中で打倒するしか思いつかん!!」
竜の血を浴びながら、再び肌を、魂を焼く呪いの血潮を掻き分けながら、刃を、鉄を叩きつける。
木屑でも鉄槌で蹴散らすように竜麟を粉砕した。
「ぁあああああああああああ!!」
竜の腕が叩きこまれる。
英雄の刃が撃ち返す。
轟音。陥没。
人間如き数十人を一撃で粉砕してあまりある巨腕を、ただの不死身ですらなくなった英雄の刃が受け止めて半ばから引き裂く。
ありえない光景をなしてこその竜殺し。因果の逆転、当然のように成立する理不尽の奇跡。
空気を裂いて迫る竜躯、腕が千切られながらも体の勢いが止まらず、否、止まることも知らずにジークフリートの剣を振り抜いた全身に激突し、大地ごと押し潰す。
その巨体に足を止めることなくさらに一歩、踏み出し、ジークフリートが跳ねた。
乱撃が交差する。
それはありえない戦場だった。
ただ一人を殺すために見上げるほどの悪竜が、巨大が、化物が、死に物狂いで殺しにかかる。いや、存在すらも粉砕せんと噛み付き、押し潰し、千切れた手足を叩きつけて、尾をぶつけていく。
雷鳴のような破裂音、天災のような暴虐、大地が激震し、空は吹き荒れる幻想と神話の再現に捻れて黄昏の空へと変じていく。
怒涛異形の戦場に、金属音と人の声が入り混じる。
嵐のような攻撃を捌いて、砕け散る砂塵を叩きつけられながら、戦う者たちがいたからだ。
――戦場の合間を縫って、涼やかな剣士が刃を混ぜて、その竜鱗の隙間を刺し入れて、斬り飛ばす。
「マシュ殿、ぶれすと衝撃波だけは頼む!」
――少女の戦士が飛び込んで、致死となる一撃を盾で受け流しながら吹き飛ばされ、何度でも立ち上がる。
「はい!! 私が届く限り、絶対に死なせません!」
二人の援護、あるいは二人こそが主役、否、全員が主役としかいいようがない戦いっぷり。
その中で彼は獣のように吼えた。
命を賭けながらも、死なない為に全身全霊を賭けて、危険を承知で踏み込み、迫る死を捌いて生き延びながら、さらに死地へ死地へ飛び込んでいく。
――矛盾とは、自分が死ぬと考えながらも死なないと思って動くこと。
機械のように刃を振るう、痛みも感覚も無視して正確無比に災害としかいいようがないそれを凌いでいく。
魔竜の息吹が吐き出される。
それに上から飛び込んだ少女が一瞬受け止めて、吹き飛ばされそうになるその背に飛びついて支える。
――自分が勝てると盲信せずにだがしかし負けるつもりを捨てること。
息吹が途切れる、佐々木の刃が空間を裂いて、息吹を三枝に割った。その残滓にマシュを置いて、ジークフリートが飛び出す。
――命を捨てて、勝利を勝ち取る。勝利を捨てて、命を奪う。
(ああ、これは矛盾だろう。だがそれでこそ俺はかつて勝った)
焦げながら、焼けながら、疾風のような速度で飛び出したジークフリートは息吹に飲まれた。
「!? なにを」
――邪悪なる竜は失墜し、
ファヴニールよ、貴様は見えているか? 自分が吐き出した黄昏の光に。
――全てが果つる光と影に、
"貴様の息吹は眩く黄金のように眩しい"。
――世界は今、落陽に至る。
だから。
炎が止む、そして、黒焦げた大地の灰煙の中で映るのは。
尋常ならざる光景、光を失い、血みどろに黒く染まった手足で、半ば炭になりながらも黄昏の輝きを解き放った魔剣を掲げる勇者。
「撃ち落とす――」
唯一無二の隙に可能性を捩じ込んだ。
「<
黄昏の光が、かつてのように悪なる竜を両断した。
そして。
「俺一人の勝利ではなく、仲間がいた」
右半身はもぎ折れて、身体の八割は炭となり、ただ黄昏の中に立ち尽くす。
それは英雄の残骸、英雄の続き、そして今でもなお夢を見る。
「それだけが生前よりも進歩した今の強みだ」
強くなった正義の味方の最後の言葉だった。
第一章 邪竜百年戦争 オルレアンより
参戦面子 マシュ 小次郎 NPCではなくフレすまないさん。
このSSでは令呪での簡易的なサポートも可能という設定になっています。