恋姫†国盗り物語 作:オーギヤ
空には真っ赤な太陽が二つ、燦然と輝く。
地には兵が犇めき合い、大地を血で赤く染め上げる。耳に入る喧騒は戦場のそれであった。
周囲の状況にも目をくれず、ただ曹操は迫り来る騎兵を一心に見つめていた。
影に覆われた顔。右手に握られた剣の切っ先から滴り落ちる赤い雫。対面した曹操は名状しがたい圧迫感を感じていた。背に刺さる矢にも怯む様子を見せず、静かに馬を歩ます漆黒の騎兵。
この夢を見るのも何度目だろうと曹操は思った。両手では数えきれないほど見てきた夢。
一度目はすぐ目が覚めるも、回数を重ねるごとに夢の中での時間が長くなっている。迫り来る漆黒の騎兵との距離も、回数を重ねるごとに縮まっていた。今日にはもう手が届きそうであった。
制止する曹操の言葉にも耳を貸さず、声も発さず自分の下へと近づいて来る。間合いに入ると同時に曹操は自らの得物の鎌を強く振るうも、それより早く斬り伏せられ意識を起こした。
昨今、曹操は夢の中で何者かと対峙していた。
それが誰かはわからないが、敗北を予感させるものであることを曹操は認識していた。
これが予知夢の類であるのなら、夢に見た漆黒の騎兵とは決して戦うべきではないのだろう。常人ならば夢の結果を恐れて避けるように備えようとするも、曹操は真逆のことを思っていた。
「────あなたは一体、誰なのかしらね?」
曹操は強敵の予兆に胸を躍らせていた。
その夢を見始めたのは中平一年三月頃から。丁度月影が南陽郡を平定した時期と重なる。
曹操は当初、南陽郡での武装蜂起について袁術が統治を失敗したためだと軽視していた。
続く討伐軍第一陣の敗走も深刻には受け止めていなかった。今の朝廷は一郡の賊相手にも満足に対処出来ないのかと落胆こそしたものの、南陽軍を脅威とは見做してはいなかった。
興味を惹かれたのはそれから少し後のこと。
自領内を探る間者の動きを耳にしてからである。戻る動きを追わせれば出所はすぐ判明した。
「南陽軍からの間者。取るに足らない賊だと思っていたけど、意外と目利きがあるみたいね」
曹操は南陽軍を各地に間者を派遣する用心深い勢力だと認識したが、すぐにそれを改める。
調べると南陽軍は都の他には曹操の居住地である陳留郡と孫策の居住地以外には、ほとんど間者を放っていないことが判明した。極一部の勢力に限定し、深く探りを入れている様子。
この時期の曹操軍はまだ地方の一領主に過ぎず、これといって秀でた功績はない。
名声だけで見れば他にいくらでも警戒すべき相手はいた。それらを無視して自分と孫策軍に限定している理由がわからなかったが、孫策軍の実力はそれからすぐに知ることとなった。
「────孫策は英傑と呼ぶに値する実力者だったわ。南陽軍はそれを知っていたのかしら」
波才率いる潁川黄巾軍との一戦に従軍していた曹操は孫策の実力をその目で見ていた。
自身が従える幕僚にも引けを取らない。いや、それすら凌ぐかもしれない圧倒的な武勇。
なるほど、警戒に値するものだと思う。
孫策に見せ場を奪われた曹操軍は活躍の機会を逸してしまうことになってしまった。
これで南陽軍の警戒が薄れるのであれば自然なことであったが、その後も変わることはなかった。むしろ孫策軍の警戒心が薄れ、その分を自分の領内に充てているようにすら映る。
曹操は自軍が孫策軍にも引けを取らない自負があったが、それを結果で示せてはいなかった。
南陽軍には何が見えているのだろうと、さらに興味を惹かれる。曹操が南陽軍について深く探りを入れ始めたのもこの時期からであったが、月影はこの動きを把握出来てはいなかった。
各方面から派遣された間者だらけの南陽郡内において、多少増えたところでは気づけない。
月影は自軍のことについて調べられているだろうことは十分に認識していたが、まさか曹操の興味を惹いているとは思ってもいなかった。以降も長くこの認識が覆ることはなかった。
「頭領の名は月影。麾下に文鴦、魏延、高順と猛将が続く。月影は黒を基調とした身なり……」
漆黒の騎兵と月影の姿が重なる。
季節が巡り、月日を重ね、南陽軍について調べれば調べるほど曹操は興味を惹かれた。
少なくとも賊軍相手と舐めてかかった討伐軍が第一陣、第二陣と敗北するのは必然であった。
曹操は南陽軍を、月影を早くから雌雄を決するに値する好敵手と見定めていたが、曹操が治める兗州は陳留郡も黄巾賊の勢力が強い。出陣する機会に中々恵まれず悶々とした日々を過ごす。
「────はい。それではこれより第十回、南陽軍掃討作戦についての軍議を始めようかしら」
兗州陳留郡は陳留県。
城内は謁見の間で手を叩き宣言するは曹操。
小柄な背丈に慎ましい体型。金髪縦巻きツインテールと中々に派手な容姿をしている曹操。
「ハッ!」
「ああ、もう十回目になりますか」
「どうして華琳様は蛮族共にご執着されるのかしら。南陽軍の連中、全員死ねばいいのに」
威勢よく返事を返すは夏侯惇。
静かに回数を告げるは夏侯淵。同じ夏侯を姓に持つ美人姉妹は体型も非常に大人びている。
それに続き毒を吐くは荀彧。
夏侯姉妹が武将なら荀彧は軍師。猫耳フードを身に纏い、目つきもどこか猫っぽい。
荀彧は生粋の男嫌いであり毒舌家。男が頭領で幹部も男ばかりの南陽軍が嫌いで嫌いで仕方がなかった。討伐軍の不甲斐なさに一番キレているのは、曹操軍内では間違いなく荀彧である。
「少し前に南陽武道大会なる催しが実施されたみたいね。優勝者は文鴦。準優勝に魏延。以下、高順と甘寧と続いたそうよ。甘寧は孫策軍の一員という認識だけど、どうしてでしょうね」
そう曹操が告げると反応を示すは荀彧。
右手と猫耳フードをピンと高く上げると、待ってましたとばかりに声を張り上げた。
「南陽軍に与しているという証拠ですね!」
「そういう見方も確かに出来るわね」
「これを広め孫策を失脚させましょう! 華琳様の活躍の場を奪った罪は万死に値します!」
「あれは孫策を褒めるべきよ。まあ、甘寧が孫策軍の一員として戦果を挙げたという話は聞かないし、孫策もしらばくれるでしょうね。それに事実だとしたら、面倒なことになるから却下で」
曹操は南陽軍と孫策軍の繋がりについても把握していたが、そこを突く気はなかった。
事を大きくして孫策軍が南陽軍に付く可能性を危惧するなら放置でいいと考える。妹の孫権が南陽に居ることも把握していたが、戦場で倒れたとしても文句は言わないだろうと考えていた。
「ねえ、春蘭。貴方なら優勝出来たわよね?」
「勿論です。初戦から決勝まで全員を切り伏せ、返す刀で月影の首も斬り落としたでしょう!」
「うんうん。秋蘭なら?」
「姉者ほどではないですが、射手が近距離戦で劣るという認識は間違いと改めさせるでしょう」
曹操に真名で呼ばれた夏侯惇と夏侯淵がそう答えると、曹操は満足そうに二度頷いた。
「────二人共、生温いわね」
「あら、桂花?」
「私なら高みの見物を決め込む月影を強襲して目を潰し、頸椎を執拗に攻撃して破壊します!」
同じく曹操に真名で呼ばれた荀彧はそう力強く宣言すると、拳を握っては空を撃った。
「なあ、秋蘭。桂花のヤツどうした?」
「わからん。南陽軍の話となるといつもこうだ。普段より何割か狂暴さが増してるな」
ひそひそと夏侯惇が夏侯淵に訊ねるも、これは割といつものことだった。
男ばかりの集団。野蛮な蛮族。天下の国賊と荀彧が嫌う要素をこれでもかと備える南陽軍。
荀彧は南陽軍が気に食わないのは当然として、主である曹操が気にかけてるのも癇に障った。主人の関心を強く引く南陽軍を、月影を怨敵として見るのは荀彧にとって必然であった。
「そ、そう。桂花も勇ましくて大いにけっこうね。さてさて、続いて本題だけど────」
曹操がそう言うと三人共姿勢を正す。
第十回、南陽軍掃討作戦と題した軍議。過去の九回はほとんど雑談がメインであった。
南陽軍の動向であったり月影の近況であったりと、曹操以外にはそれほど関心がないこと。
ただ、十回目となった今回はいよいよ行動に移す時が来たと三人は思う。それを裏付けるかのように神妙に口を開いた曹操は、やっと巡った機会に覇気を籠めてはこう宣言した。
「────南陽討伐軍の第四陣。私達も出るわよ。月影の顔をこの目で見に行きましょうか」
南陽討伐軍の第四陣が袁家の主導によって編成されていることは既に周知であった。
曹操は自身が軍の一翼を担えるのであれば夏侯惇、夏侯淵、許緒、楽進、于禁、李典、典韋、荀彧と持てる最大限の戦力を余すことなく派遣する算段であったが、そうはいかなかった。
第四陣は既に大将軍である何進を総大将とし、脇を袁紹と袁術が固める布陣で内定している。
曹操と袁紹は古くから付き合いがあり、両者の折り合いは何かと悪い。朝廷並びに袁家の威信回復と銘打った一戦に曹操軍が大軍を率いての参戦は、快く思われないのではないかと考える。
さらにもう一つ。月影はかねてより曹操軍の動向を注視し続けていたという側面もある。
曹操軍が満を持して出陣とくれば相当な警戒心を与えるという認識があった。それでも自分が十全に采配を揮えるのであれば受けて立つも、上記の理由よりそうはいかない事情がある。
「南陽軍は推定五万から七万の兵力ね」
「な、七万ですか。十分脅威となる数ですね」
「麗羽達がどれだけ揃えるかは未知数だけど、例え数だけ揃えても率いる将が脆弱なのよね」
夏侯淵が七万という兵数に考え込む仕草をみせるも、曹操はそれより別の問題を指摘する。
「大将軍と言えば聞こえはいいけど、秦の王翦や高祖に仕えた韓信が出てくるわけではないわ。帝の妃となった外戚の一族。有事には一族の長が大将軍となるのが通例。これは政治的な話ね」
今の大将軍である何進は七光り。
軍の動かし方ぐらいは心得ているかもしれないが、それ以上を望むのは酷な話であった。
元々が庶民出身の何進に多くを望むべきではないと曹操は考える。脇を固める袁紹と袁術も兵法家としては三流もいいところ。大将格がこれでは、かなり厳しい戦いになると曹操は思う。
「討伐軍第三陣を率いていた朱儁や皇甫嵩の方が数段優れているわ。あの二人は確かな名将」
「その二人が敗れたとなりますと……」
「まず麗羽じゃ無理ね。あの子の指揮下に入って勝てるほど、甘い相手ではないでしょうし」
夏侯淵の問いかけに曹操が返す。
「ならば我々は司隸方面からではなく、豫洲を抜けて別動隊として動くのはどうでしょうか?」
「仮にそれが通ったならば、月影は私達を相手取るために容赦なく自領から兵を集うでしょう」
曹操は南陽軍の事情を良く把握していた。
南陽軍が自領から兵を徴兵した場合の試算を叩き出し、その脅威度を悠然と示す。
「南陽郡は漢王朝内で最大の人口を誇る郡。その数は首都洛陽を含む河南尹を遥かに凌駕する。総人口は二百と数十万。半数が月影に呼応しているとしても、徴兵可能数は数十万とみていい」
少なく見積もっても十万は確実。
その数に夏侯惇と夏侯淵が息を呑むも、荀彧は臆することなく問題点を指摘する。
「それだけの兵数を用意したとしても、武器や防具の手配が追いつくとは思えません」
「ええ、そうね。だから月影は江夏郡を落としたのでしょう。あそこには何かあったかしら?」
曹操の問いに荀彧が考える。
ものの数秒で答えに至る荀彧はやはり優秀であったが、その表情はどこか優れない。
「江夏郡の南部には銅緑山があります」
「銅の鉱山地帯ね。貨幣の鋳造を狙って攻め落としたと考えるのが、あまりにも自然よね」
「たかが賊がそこまで……。部下が勝手に攻めたなんて噂話は、やはり月影の流した空言……」
「南陽軍の立ち上げから付き従う商人も多いと聞く。江夏郡を攻め落とす前から周到に準備を整えていたと仮定するなら今、軍事物資が潤沢でもおかしくはない。いや、きっとそうでしょう」
曹操と荀彧は優秀であるが故に、必要以上に物事を難しく考え過ぎる一面があった。
その事実として月影は江夏郡の地理なんて心得ていない。銅緑山なんて存在は知らなかった。
ましてや貨幣の鋳造なんて発想は頭にない。
江夏郡を得たのは文鴦と鄧艾と魏延が勝手に攻めた結果である。だが、こうした月影にとっての誤算が曹操の動きを縛り付けるのだから、月影にはなんらかの天運があるのかもしれない。
「南陽軍が銅緑山に立ち入ったという報告も既に挙がっているわ。まず間違いないでしょう」
「ならば十万という兵数は動員可能ということに。そうなると私達が動いても簡単には……」
月影が存在を知ったのは最近。諸葛亮と鳳統を城に招いて会話を重ねている時のこと。
諸葛亮から教えられ『それじゃあ確保しとくか』と兵を派遣した姿を曹操に見られていた。
噛み合っているようで、絶妙に噛み合っていない月影と曹操の思惑。
曹操と荀彧の高度な推察に、猪武者の夏侯惇あたりはすっかりついていけていない。
頭には疑問符が多く並ぶも、表情だけは凛として参加している感を出す夏侯惇。夏侯淵も話に割って入れるほどではなかったが、月影が厄介であるという認識はやはり抱いていた。
「月影が徴兵を実行しない理由は簡単よ。自前の兵で片をつけた方が領民の信を得られるから」
「余裕ぶっこいてますね。死なないかしら」
「その余裕が命取りになることを教えてあげないと。私達が出ると月影が備えるなら────」
悟られてはならない、と曹操は続ける。
曹操は注視する月影を逆手に取ることで南陽討伐軍へ参戦を果たす段取りを既に整えていた。
「月影は討伐軍の本陣を突破し────」
「月影なら既になんらかの────」
「月影が先陣を切るなら────」
「月影────────」
その後も曹操による独壇場の南陽軍対策、もとい月影対策が喜々として語られた。
曹操は待ちきれないとばかりに言葉を弾ませる。曹操は月影を討ち取ることを目指してはいたが、その一方で月影が自身の策を打ち破り勝利を掴むことも悪くはないとも考えていた。
真に決着をつける舞台が、互いの存亡をかけた誇り高い戦いが先にあることも望んでいた。
自分が参戦していると知ったら月影はどんな表情をするだろう。そんなことを考える度に自然と頬が緩む曹操。出会いの日は近いと自身を落ち着かせようとするも、心身が疼いて仕方がない。
「────月影。ふふっ。ふふふふ……」
悦に入る曹操。彼方を見上げて頬を緩ますその姿は美しくはあったが、どこか面妖でもある。
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
夏侯惇、夏侯淵、荀彧の三人は、そんな主人の姿を見てはひそひそと言葉を交わす。
「ちょっと、ちょっと春蘭」
「なんだ?」
「あんた、分かってるわね。月影とかいう反逆者を見つけ次第、確実に仕留めなさいよ」
荀彧はある種の胸騒ぎを感じていた。
月影を殺し損ねたら色々な意味で大変なことになりそうな。そんな胸騒ぎを感じていた。
「無論だ。そのための武。そのための剣……!」
「姉者が後れをとるなんてことはないさ」
「なんか不安なのよねえ。例えるなら……なんだろう。わかんないけど嫌な予感がするわ」
荀彧のこの予感は的中することになる。
これから先、長く大陸の覇権を争う月影と曹操。その初戦の火蓋が切られようとしていた。
「月影、貴方は正しいわ。貴方の正しさは、貴方が勝ち続けている結果が全てを証明している」
曹操は強大な力を持つ者こそが世を統べるべきだという独自の考えを持っていた。
国家が強力な力を有しているのならそれに従うも、翳りを示し世を乱すのなら役目を代わるべきだと考えていた。それが自分に課せられた使命であるという認識を強く抱いていた。
「さあ、月影。雌雄を決するとしましょうか。矛を収めたいなら、この私を打ち破ってからよ」
空には真っ赤な太陽が二つ、燦然と輝く。
決戦前夜に見た夢の中で曹操は、眼前に迫った漆黒の騎兵へ言葉を投げかけた。
「────いよいよ会えるわね。月影」
漆黒の騎兵は動きを止めると、影に覆われた口元を三日月形に変化させそれに答える。
曹操は満足すると笑いながら鎌を振るい、待ち人との前哨戦を激しくも愛おしく舞った。
後に曹操と邂逅を果たした月影は、曹操軍が周到に備えていた理由を訊ねるも『だって夢の中で何度も貴方に斬られたから』と言って照れる曹操を見て『ガチでヤバい女』と大いに狼狽えた。