恋姫†国盗り物語   作:オーギヤ

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第二十五話

 

「月影! その首、私が叩き斬ってやる!」

 

 気炎を吐きながら一騎駆ける夏侯惇。

 その標的は勿論、敵総大将月影の首。大剣を振り上げ一直線に月影めがけて突き進む。

 

 夏侯惇は曹操軍の中でも第一将。

 曹操軍の兵の中には、夏侯惇の一撃が当たれば月影を討ち取れると思う者が多く存在した。

 曹操軍内で最強の武勇を誇る夏侯惇。並ぶ者も無く絶大な信頼を寄せられている。一撃で討ち取る。手傷を負わせる。得物を砕く。誰もがそんな想像を頭に思い浮かべる。だが────。

 

「────曹操軍の大剣使い。夏侯惇だな」

「────ちぃっ!!」

 

 月影は態勢十分に夏侯惇の剣を受け止める。

 そのまま数合打ち合いもすれば、互いに相手の力量を察する。外野の目からは伯仲していた。

 

 剣を得物とする両者の間合いは、槍や薙刀に比べると幾分狭く、その分小回りが利く。

 利き腕に剣を握り、もう一方では手綱を操る。力強くも巧みに打ち合いながら夏侯惇は次第に違和感を深めていく。簡単な相手じゃないことはいい。そんなことは事前に重々承知していた。

 

 夏侯惇の違和感は月影の戦い方にある。

 実力者同士の打ち合いにおいては最低限、攻守のバランスを意識する必要がある。

 相手の刃が先に届くと判断すれば瞬時に受けに回る必要がある。攻めるより守りの意識を高めることが生き残る上では重要。誰に教えられるでもなく戦場に立てば自然に身に付く意識。

 

 その意識が月影には決定的に欠けていた。

 少々の後手を取っても相打ち覚悟で踏み込んでくる。斬られることを恐れている様子がない。

 

「────くっ! この狂人が!」

 

 さらに十合打ち合いを重ねる。

 その間、夏侯惇が振り抜いていれば互いに致命打になりかねない場面が幾度もあった。

 夏侯惇は咄嗟に受けに回るも、そうなると攻めが続くのは月影。苦しいのは夏侯惇。夏侯惇には相打ち覚悟で振り抜くことが出来なかった。

 

 ならばと両手で大剣を握り、鍛え上げられた膂力を頼りに打ち下ろそうとする夏侯惇。

 手綱から手を離したのを見た月影は馬をぶつけ、夏侯惇のバランスを崩しにかかる。半身になりながらも踏ん張り豪快に大剣を薙ぎ払う。月影は柔らかくいなし、その背後を狙うも────。

 

「────手強いな。夏侯惇」

「我が武が貴様に後れを取ることはない!」

「お前とこのまま斬り合うのも悪くはないが、今は相手をしている時間が惜しい。文鴦!」

 

 夏侯惇が瞬時に反応したのを見るや、長期戦は望まないとばかりに月影は勝負を切り上げた。

 

「待て! 月影!!」

「おっと、次の相手はこのオレだぜ!」

 

 夏侯惇の相手を文鴦に任せ、その場を離れる。

 月影の言葉を受けた文鴦は周囲の曹操軍の兵をなぎ倒し、夏侯惇の前へと馬を進めた。

 夏侯惇は文鴦の名を既に把握おり、そして一目見て強敵であることを十分に察し身構える。

 

 それ故に離れていく月影ではなく文鴦へと意識を向ける。目の前の大男を最短で討ち取り月影の後を追う。そう考えた夏侯惇。だが突如、騎乗する馬が大きくバランスを崩し悲鳴を上げた。

 

「その女、厄介だから確実に始末しろ」

 

 夏侯惇は月影が、敵が言い放った言葉をそのまま鵜呑みにするべきではなかった。

 

 夏侯惇の意識から外れたのを認識した月影は、背に刺さる矢を抜いては再度振り返る。

 そして夏侯惇が騎乗する馬の後ろ足へと矢を投擲する。自身へ向けられた矢であれば死角からでも弾けた夏侯惇であったが、自分ではなく馬に向けられた矢では咄嗟に反応しきれなかった。

 

「了解したぜ。オラァァッ!!」

「────なっ!!」

 

 月影の言葉に合わせた文鴦が夏侯惇へ向けて、渾身の力で矛を振り下ろす。

 態勢を崩していた夏侯惇は間一髪でそれを受けるも、背中から地面へと叩きつけられる。

 鈍い音が耳に響き、呼吸の仕方を忘れる夏侯惇。ほんの数秒、決定的な隙を晒すことになる。

 

 その隙を逃さず追撃にかかる文鴦。

 矛を振るい夏侯惇の首を躊躇なく斬り落とす態勢に入るも瞬間、こめかみに飛矢が届く。

 攻撃の手を止め、間一髪で身体を逸らし致命傷を免れる文鴦。馬から投げ落とされ、飛矢が掠った頭部からは血が噴き出す。文鴦は地面の土を乱暴に掴むと傷口に押し当て、大声で笑った。

 

「ハッハッハ! いいぞ。よく防いだ!」

「こ、この馬鹿力が……」

「少しも油断ならねえなあ! だが、これこそオレが望んでいた戦場。楽しくなってきたぜ!」

 

 よろよろと起き上がる夏侯惇。その鈍い動きからは負傷している様子が窺えた。

 それでも夏侯惇は表情に出さず、引くことなく堂々と構える。文鴦はその様子に満足して斬りかかった。月影は「先に二人がかりで仕留めるべきか」と考えては、視線を矢の延線へ向ける。

 

「────それを阻む射手の存在。夏侯淵か」

 

 憤怒の表情を浮かべる夏侯淵と目が合う。

 冷静さを欠いているのだろう。二射目を構えると真正面から月影に向けて強弓を引く。

 

「月影! 姉者はやらせんぞ!」

「アレに背を見せるのは不味い。狙いが文鴦と分散している間に突破口を見い出さないと……」

 

 この場で全滅するかもな、と月影。

 月影は夏侯淵の飛矢を剣で弾き、周囲の戦況を確認する。一目で劣勢とわかる有様だった。

 

 奇襲を受け、討ち取られる南陽軍の兵。

 ここに至るまでの消耗具合。精強な曹操軍相手ということもあって明確に旗色が悪い。

 包囲の薄い地点を狙い突破を図るか。それとも後続の味方が破るまで守勢に徹するべきか。

 

 状況は悪いが、時間の経過は好ましい。

 事態は一刻を争うも、一刻凌げば増援が見込める。その考えが月影にあった。だが────。

 

「────曹操を前にして守り一辺倒はつまらん。手の届くところに、あの曹操がいるんだぞ」

 

 月影は曹操軍の本隊と思わしき精兵に視線を向け、誰が曹操なのかを一目で理解する。

 

 戦場は既に最終盤の様相を呈している。

 誰もが声を張り上げ死力を尽くす中、ただ一心に熱の籠った視線を向けてくる金髪の少女。

 その姿は美しくも、名状しがたい圧力があった。その蒼い瞳に射抜かれると血が沸騰した。

 

 月影は試してみたくなった。自分の力がどこまで通用するのか。どこまで突き進めるのか。

 

「こいつを狙わない手はねえよなあ! 余裕ぶっこいたそのツラを切り刻んでやるよ!!」

 

 そう叫び一直線に曹操へと斬り進む月影。

 それに呼応して三十騎が追従する。楽進率いる重騎兵が進路を塞ぐと激しく激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 荊州、南陽郡は本拠地、宛城。

 城壁の上から遠く戦場を見守る孫権、甘寧、周泰の三名と第四軍団の兵士達。

 第四軍団の兵は月影が討伐軍の本隊を貫くのを見ては歓声を上げ、自軍の勝利を確信する。

 

「いやはや、流石は天下に轟く大悪党ですねえ。大将軍の軍勢を返り討ちにするとは!」

 

 そう言って笑顔を浮かべる周泰。

 周泰にとって南陽軍の勝利は好ましく、周囲の兵と同じように声を上げて大いに喜んだ。

 

 その一方で孫権と甘寧は沈黙を保つ。

 孫権はどこか心配そうな、甘寧は不満気な表情を浮かべている。周泰は孫権に訊ねた。

 

「あの人は一体どこまで進むのでしょうか」

 

 周泰の言葉には含みがあり孫権も理解した。

 この大戦に限った話ではない。この先の世で月影はどこまで進むつもりなのかと。

 戦いの果てに何を求めるのだろう、と周泰。孫権はしばらく考え、そして口を開く。

 

「彼は昔から目を離すと、どこかへ消えてしまいそうな、そんな危うさを秘めていた」

「蓮華様?」

「それでも帰る場所があれば、きっと帰って来るわ。どれだけ遅くなったとしても必ずね」

 

 私はそう信じている、と孫権。

 外の景色を眺めながら暫しの時が過ぎる。沈黙を破ったのは城外に響く数多の足音。

 

 足音と共に現れたのは袁紹軍の兵。

 退却したはずの袁紹軍の兵の一部が、ここに来て城へ取り付く動きをみせる。

 これは袁紹が撤退するときに放った『後方に向かって前進』という、独特の言い回しを誤解した袁紹軍の兵がそのまま前進行動に移した結果であり、数自体は大したものではなかった。

 

 それでも敵軍の兵が迫って来ている状況に兵士達は慌て、軍団長の甘寧に指示を仰ぐ。

 

「────戦えではなく、判断は任せるか」

 

 甘寧はやはり不満気な表情を浮かべていた。

 理由は月影の言葉にある。月影は出陣前に甘寧へ『判断は任せる』と言い残していた。

 その言葉は孫権を連れて逃げ出すことを想定しているように聞こえ、不満を露わにする。月影に悪意がないことは理解していたが、そう思われているのは甘寧にとって心外であった。

 

「人の機微を理解出来ん男だ。半年以上も寝食を共にした連中を、部下を見捨てられるものか」

「そうですねえ。まったく困った人ですよ」

 

 甘寧は逃げ出す気などさらさらなかった。

 甘寧の言葉に同調し、やって来る敵兵を見つめては静かに武器を握り応戦の構えを取る周泰。

 

 そして孫権も二人を止めることはなかった。

 孫権もまた逃げ出すつもりは最初からなく、こういう状況になることも十分に覚悟していた。

 

「帰って来たら文句を言ってやりましょう」

「ええ、まったくです。そのために私も役目を果たすとします。第四軍団、敵を蹴散らすぞ!」

 

 こうして孫家所属の三人も明確に南陽軍へと与する姿勢を示し、城の防衛戦へと加わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 南陽軍と曹操軍の決戦。

 戦況は明確に曹操軍に分があるも、勝敗を決定づける最後の一押しに欠けていた。

 兵の数こそ曹操軍が圧倒していたが、南陽軍の支柱となる将の奮闘が崩れることを許さない。

 

 負傷を引きずる夏侯惇は文鴦相手に劣勢を強いられるも、なんとか踏み留まっている。

 弓隊を率いる夏侯淵はよく働いたが、その働きを脅威と見た文鴦の副官である姜維が決死隊を率いて側面から強襲をかけると、次第に迫られ月影や文鴦を狙うどころではなくなっていく。

 

 そして重騎兵を率いて月影の前に立ち塞がった楽進。楽進は月影に全く歯が立たなかった。

 

「────ぐふっ。ま、まだまだあっ!」

 

 全身を真っ赤に染め上げ、吐血を吐き、息も絶え絶えに食らいつこうとする楽進。

 曹操はそんな戦場を静かに見つめ、今日この場で月影を討つことが叶わないことを知る。

 

「月影。私の想像に違わぬ傑物。その月影に従う将兵もまた、私が擁する武となんら遜色ない」

 

 素晴らしいわ、と曹操は心から称える。

 南陽の地まで足を運んだ価値があった。月影は自分が首を狙うに値する傑物だと確信する。

 

 それ故に曹操は惜しいとも感じていた。この規模の戦いで決着をつけてしまうのは、あまりに惜しいと。両軍共に将兵の質が素晴らしく、ここで散らしてしまうには惜しいと曹操は思う。

 

 曹操は殿を務めた公的な役割と、月影を見るという私的な目標の二つを既に果たしていた。

 討ち取れれば最良ではあったが、凌がれるのであれば、それはそれで良いとも考えていた。想定していた半数の包囲網では薄く、今にも破られそうである。優勢も長くは続かないとみる。

 

「やはり真に決着をつける舞台は遥か先。あまり欲張り過ぎると、多くを失いかねないわ」

 

 曹操は引き際をよく心得ていた。

 南陽軍にとってもこれは悪い話ではない。今からでは何進に追いつくことは不可能である。

 互いに矛を収め引き返す。月影も状況を把握していると曹操は考える。張り詰めていた曹操から弛緩した空気が流れ、前線で奮闘する夏侯惇の退路を確保するため兵を走らす。だが────。

 

 

「────オレの首はここにあるぞ。曹操」

「あら、わざわざ私に会いに来てくれたのね」

 

 

 その一瞬の緩みを月影は見逃さなかった。

 粘る楽進を置き去りにし、曹操の護衛が薄くなった隙を見て強引に突破を図った月影。

 そして遂に曹操をその射程圏内に捉える。護衛兵が応戦するも瞬く間に斬り捨て、曹操に得物を向け堂々と構える。曹操は愛刀の死神鎌を構えながら、やって来た月影へと視線を向ける。

 

 月影の身体はとうに限界を超えていた。

 静止した四肢は本人の意思とは無関係に痙攣を起こし、吐く息は規則性を失い、ただ荒い。

 全身の至る所から血が流れ、古く流した血は既に凝固し、赤黒く変色している。身に纏う衣服も騎乗する馬も身体もボロボロであったが闘志だけは衰えていない。黒い瞳が物語っていた。

 

「手負いの身体で、この私を討てるとでも?」

 

 幾多の苦難を退け、自分の下へやって来てくれた月影を、曹操は慈しむような瞳で見る。

 ここで散らすには惜しいと思った。そして欲しいとも思った。引き分けを許さない、どこまでも完全なる勝利を望む、狂気を孕む月影の内面を、もっともっと深く知りたいと曹操は感じた。

 

「ねえ、月影。私は貴方のことが知りたいわ。そして私のこともよく知って欲しいと────」

「悪いが、お喋りに付き合う気はない」

 

 さあオレを討ってみろ、と月影。

 互いに必殺の間合いで得物を振り上げると、躊躇うことなく互いに全力で振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 南陽軍の後続部隊が曹操軍の包囲網を突き破ると、一番に駆けたのは城から放たれた伝令兵。

 伝令兵は袁紹軍が城に取り付いた一報を触れ回ると、両軍は動きを止め迷いをみせる。南陽軍側は城に戻るべきか。戦闘を継続するべきか。曹操軍側は増え続ける敵にどう対処するべきか。

 

 互いに進む理由と引く理由があった。

 判断に悩んだ両軍の兵は示し合わせるかのように、一合斬り交えた両大将へと視線を送る。

 そこには新しく右瞼から出血する月影と、金糸に輝く髪の一部を斬り落とされた曹操の姿。

 

「────私は縦に、貴方は横に逸れた」

「…………………………」

「僅かではあるけど、これは天意でしょう」

 

 月影は右目が血で覆われて見えないのか。斬られて見えないかの判断がつかなかった。

 

 だが、そんなことよりも斬った手応えの無さに不満を示し、伝令兵の一報に眉をひそめる。

 このまま戦闘を継続していては次第に不利になると両雄が思う。潮目の変化を感じ取っていた。

 

「やはり天は決着を望んでいないようね」

「城に取り付けれた程度で引くとでも?」

「物事には流れがあるのよ。戦うべき流れと引くべき流れが。貴方もわかっているでしょう?」

 

 包囲網が破られた曹操軍。

 これから増え続ける南陽軍の相手を続け、全てに勝利を収めるのは流石に困難を極める。

 

 城を落とされれば本拠地を失う南陽軍。

 城に取り付いた袁紹軍の数が判明しない現状、戦闘を切り上げて引き返すべきであった。

 

「流れは自分で引き寄せるものだ。城が落とされたなら再び落とし返す。それだけのこと」

「ふふっ。どこまでも勇敢ね。月影」

「ノコノコ何進が戻って来るなら願ってもない。お前も何進も、まとめて討ち取ってやるよ」

 

 城には最低限の備えをしていた月影。

 袁紹軍の全軍が諸葛亮を出し抜いたとは到底思えない。陽動の可能性だって考えられる。

 目指していた何進は遠く、その姿は既に見えなくなっていたが、今はそれよりも遥かに値打ちの高い曹操の首が目の前にある。月影はどうにも、このまま素直に引く気になれずにいた。

 

「貴方は強い。なにより心の在り方が。そして強い故に弱者に対する理解が足りていない」

「何が言いたい?」

「本質的に戦いを望む者なんて極限られた少数ということよ。南陽軍であっても例に漏れない」

 

 曹操は為政者としての見解を述べた。

 戦いをいたずらに長引かせる必要があるのか。従う将兵がそれを望んでいるのかと問う。

 

 

「月影。貴方には勝ち切る責務があるわ。南陽の乱の勝者として、この騒乱を鎮める責務が」

 

 

 この私を退けたのだから、と曹操。

 曹操の言葉を受けて月影は考え、孫権達が防衛戦に加わっていると聞き考えを改める。

 

 城に取り付けらたら逃げるだろうと踏んでいた、孫権、甘寧、周泰の三人が城に留まり奮闘しているとの報告を受けると驚き、そして僅かに頬を緩ませてはわざとらしく溜め息をつく。

 

「まったく、アイツらは官軍相手に何をしてんだか。どうなってもオレは知らんぞ……」

 

 次第に月影から狂気が薄れていく。

 その様子を見ていた曹操は戦いの終わりを理解し、最後に月影に言葉をかけた。

 

「またね、月影。逢えて本当に良かった」

「ああ、そうかい。オレは良くなかったよ」

「決着は何れ必ず。その時はこの百倍の軍勢を率いて来るから。楽しみに待っていてね」

 

 おっかねえ女だ、と肩をすぼめる月影。

 そして長く共に戦ってくれた愛馬を労いながら歩を進め、背中越しに曹操へと声をかける。

 

「────使者を遣わすなら、早めにしろと伝えておいてくれ。オレの気が変わらんうちにな」

 

 その言葉は朝廷へと向けられたもの。

 南陽の乱の終結を示唆する月影の言葉に曹操は了承し、去って行く背をジッと見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあな、女。満足のいく闘争だったぜ」

 

 月影が戦いを切り上げるのを見た文鴦は、それに倣うと満足して矛を収める。

 そして『引き上げるぞ』との声を聞くとそれに従い、長く斬り合った夏侯惇にそう告げた。

 

「文鴦! 私はまだまだやれるぞ!」

「だろうな。だが、大将がヤメと言ったらヤメなんだよ。オレは行かせてもらうぜ。女」

 

 大剣を地に突き刺し片膝をつく夏侯惇はそう叫ぶも、文鴦は気にする素振りもない。

 

「────私の名は夏侯元譲だ」

「ああ?」

「貴様を打ち倒す者の名だ。憶えておけ!」

 

 負傷した夏侯惇は文鴦に及ばなかったが、それでも命を落とすことなく生き延びた。

 そして最後に己の矜持を示す。文鴦はその態度に満足感を示すと夏侯惇の健闘を称えた。

 

「嫌いじゃないぜ。お前みてえな気の強い女。次は互いに万全の状態で斬り合おうや」

 

 夏侯惇は睨み付けるも文鴦は気にすることなく、腕を回しながら満足気に去っていく。

 

 

 

 月影との戦闘で深く負傷した楽進には夏侯淵が傷の手当てをし、静かに労った。

 立ち上がることも儘ならず、地面から滲み出るほど流血する楽進。激戦の跡が見て取れた。

 

「全く歯が立ちませんでした」

「無理して話すな凪。傷口に響く」

「華琳様をお守りする役目を果たせず、月影には見逃され、自分の不甲斐なさが悔しいです……」

 

 楽進は己の不甲斐なさを悔やむも、夏侯淵は楽進のことを責める気にはなれなかった。

 夏侯淵は曹操の策を聞き、自軍ならば問題なく圧倒するだろうと踏んでいた。その認識故に姉である夏侯惇が窮地に晒されては我を失い、的確な判断が出来なかったという自覚があった。

 

 南陽軍の力量を事前に正しく認識出来ていれば、犯さなかった失態。夏侯淵もまた己の認識不足を深く恥じていた。だが、それでも生き残ることが出来た。やり直す時間は十分にある。

 

「ならば精進するしかないな。互いに」

「はい……」

「さあ、華琳様の下へ戻ろうか。左翼の救援に向かった沙和や真桜の身も心配だ」

 

 夏侯淵はその場にいない于禁と李典の身を案じながら楽進へ、己へ聞かせるように言った。

 

 

 

 

 

 中平一年(184年)に勃発した南陽の乱の顛末について、後の歴史書は以下のように語る。

 

 三月。南陽軍が宛県で蜂起。月影率いる精鋭は半月で一郡を平定する。

 

 四月。右中郎将、朱儁は三万の軍勢を率いて南陽へ進軍。同月、宛県にて南陽軍と激突し敗走。

 

 五月。朱儁は再び宛にて南陽軍と対峙するもこれに敗走。将官五名を失う。

 

 六月。月影は文鴦に南郡攻略を命ずる。文鴦は二万の兵を率いこれに従い平定する。

 

 七月。月影の命を受けた文鴦は江夏郡を攻めこれを平定。月影は荊北三郡を支配下に治める。

 

 八月。朱儁は再び南陽を攻めるもこれに大敗する。皇甫嵩は魯陽まで兵を進めたが南陽軍に勢いがあると見ては戦わずに撤退する。

 

 九月。宦官は南陽軍の懐柔を進言するも司徒の袁隗はこれを笑い、一族の袁紹・袁術を立て南陽軍の排斥を申し出る。大将軍の何進がこれに同調すると袁家主導の下、編成が進む。

 

 十一月。大将軍何進、袁紹、袁術、曹操、朱儁が南陽を攻める。袁紹は城を攻め、曹操はよく守るも、朱儁が討ち取られると何進は撤退し、郡境に堅塁を築き南陽軍の進攻を阻止した。

 

 十二月。月影は捕虜を解放すると朝廷に帰順の意思を表す。朝廷は高い徳を示したとしてこれを認め、月影を荊州牧に任命し、支配する南陽郡、南郡、江夏郡の統治権を与えた。

 

 

 

 黄巾軍と時を同じく漢王朝に背いては反乱を起こし、遂にはその支配が認められた南陽軍。

 四度討伐軍を退け官職を得た棟梁の月影。これを月影の勝利として南陽の乱は締め括られた。

 

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