恋姫†国盗り物語 作:オーギヤ
小が大に打ち勝つには、戦いが始まる前段階から勝つための条件を整えておく必要がある。
五分の条件で戦えば負ける。事前に優位を築いてこそ勝ちの目が見出せる。月影が討伐軍との緒戦において最も重要視したのは、兵の数でも練度でもなく如何に敵を欺けるかであった。
月影は討伐軍相手に正面から戦う気など端からなかった。それは兵の数や質が同等であっても同じことだ。戦いに勝ったとしても自軍の損失が多ければ、それは敗北に等しいと考えていた。
仮に自軍の兵が半数に減れば最悪の場合、次の戦いはその半数で挑むことになる。新たに徴兵したり志願兵を募ることで数は補えるかもしれないが、確実に集まる保証なんて有りはしない。それにただ討伐軍を追っ払って勝つというのは、自軍が消耗するだけで実益の無い戦いである。
討伐軍三万に対して自軍は一万余り。非常に劣勢な状況ではあったが、強欲にも月影は戦いに勝った上で成果が欲しいと考えていた。見方を少し変えて見れば、討伐軍は宝の山でもある。
三万の兵が長く行進するに足る兵糧。武器や防具を始めとした軍事物資。さらには貴重な馬。
月影はその全てが欲しかった。それらを手にする絶好の機会は、討伐軍との緒戦において他にないと考える。こちらを油断させて巧みに欺き、賊らしく全てを奪い盗んでやろうと決意する。
そのためには戦って勝つだけでは足りない。討伐軍を退けるのではなく、敗走へと追い込む必要があった。打てる手立ては限られていたが、成功率は緒戦こそが一番高いと月影は考えた。
「戦略の要諦は敵を欺くこと。意表を衝いて混乱させては撃破する。これが一番手っ取り早い」
軍議の場で月影が話した作戦案は夜襲。
討伐軍が遠征疲れで疲弊している初日の夜を狙い、その虚を衝くという作戦。一見すると効果的に思えるが、これはお決まりの戦法でもある。遠征軍が夜襲に備えるのは基本中の基本。
荊州方面の討伐軍を率いる右中郎将の朱儁は十分に良将と呼べる人物だ。指揮に戦術、または兵站運用に至るまで高い能力を誇る。討伐軍の一軍を預けられるに足るたけの指揮官であった。
朱儁の評判は周泰を通して月影の耳にも届いていた。評判なんて何時の世も都合良く誇張されがちなものであるが、月影は周泰の話を聞いて朱儁が決して無能な将ではないと判断する。
月影は討伐軍を欺くために、その指揮官である朱儁の立場に立って考えた。そして自分が朱儁なら敵を知ることから始めるだろうと考える。敵の情報を知らなければ戦いなんて勝てはしない。
例えば城に百万の兵隊がいるとわかれば、三万の討伐軍は刃を交えることなく引き返すだろう。その逆に百人しかいないと知れば、三万の討伐軍は一息の間に強引にでも攻め落とすだろう。相対する敵の強さによってその戦法を変える。なんてことない極々当たり前の話である。
賊討伐の詔勅を授かった朱儁は、こちらの情報を十二分に調べ上げた上で攻め込んで来るはずだ。薄氷は踏まず石橋を叩いて渡りたいに違いない。大軍を率いる将ならそうするのが普通だ。
朱儁は定石通りの方法を選ぶはず。そこに討伐軍の隙があると考える。それならば────。
「ウチの情報は敢えて垂れ流す。兵の数や兵糧の備蓄について探ってるヤツがいても見逃せ」
間者、間諜と呼ばれる役割の者。要するにスパイがこの城に入り込んでいると月影は考えた。
討伐軍の標的となる城であれば当然の如く調査は入るだろう。素性の知れない荒くれ者がやって来るような城である。潜入することは難しくない。間者は複数人いると考えるのが自然だった。
情報を封鎖したり偽りの情報を流すことも可能ではあったが、見破られた時に打てる手が限られてくる。それならいっそ、全て正しい情報を送り込んだ方が対策が練りやすいと思い至る。
「向こうは三万。こっちは一万。野戦じゃ勝ち目が無いから籠城する。普通の発想だよな」
月影は正しい情報を送り込むことで相手の動きを逆に縛りつけることにした。
城壕を掘って塁を固めること。城外まで薪や水を集めに行ったこと。兵に攻城戦の鍛練を課したこと。城民の居住を内に集めたこと。一万余りの兵を常に目立つ場所に配置したこと。
これら一切は夜襲には必要の無いことだった。全ては籠城するという裏付けのために、わざわざ間者へ向けて見せるための寸劇である。そのため直前まで夜襲の話は一般兵には伏せていた。
本命は夜襲。だがこちらも監視の目が光っている以上、普通の方法じゃ決行はできない。
「少数精鋭で敵陣深くに夜襲をかける。数は千……いや、五百ってとこか。文鴦はついて来い」
「よっしゃ!」
「魏延と高順は城に残る兵を分けて待機。火の手が上がったら真っ直ぐ敵陣深くまで突っ込め」
「お頭! バッチリ任せて下さい!」
淡々と作戦を述べる月影。その場にいた孫権と甘寧は危険度の高さに目を丸くした。
三万人の敵に五百人で夜襲を敢行。少しでも勘付かれるか仕損じれば全滅は免れないだろう。それでも誰一人懸念の言葉を口にすることなく、指示を聞いてはキビキビと準備に取り掛かる。
「…………おい」
「なんだよ甘寧。お前も来るか?」
「馬鹿を言うな。…………貴様こそ正気か?」
「正気なら城なんて落とさんよ。孫権と甘寧は留守番な。敗勢と見れば南門から抜け出すといい」
表情一つ変えることなく言い放つ月影。
甘寧が城へやって来てから半月余り。城の住人は血の気こそ多いが、民を虐げる事もなければ、その逆に物資を施し支持は篤い。月影の下、荒くれ者なりに和を重んじているように思えた。
元々江賊の出である甘寧は城の住人と馬が合うと感じることも少なくなかった。また荒くれ者達の中でも唯一知的な月影は、ひょっとすると戦う道を選ばず降伏を願い出るんじゃないかとも考えていた。今の時勢や月影の徳行を鑑みるに、僅かながらも許される見込みはある。だが────。
「失敗すれば全滅。まあ、それだけの話か。どうせ死ぬなら名のある将に討ち取られたいもんだ」
その言葉を聞いた孫権は目を伏せる。
王朝に真っ向から叛いた月影。やはり普通の精神じゃない、と甘寧は小さく身を震わせた。
討伐軍は都のある洛陽を出発しては河南の伏牛山脈を越え、新城、陽人を抜け荊州へ入る。
魯山から博望を目指さず雉、西鄂県を抜けたのは豫州の黄巾賊との接触を避ける狙いと、南陽郡の賊を早急に鎮圧する目論見があった。都から程近いこの地を野放しにするわけにはいかない。
結成時は五千から七千人の賊も日を追う毎にその数を増やしているとの報告。今はまだ一万程度との話だが、蝗の如く現れる賊を看過することは到底できない。早急な鎮圧は急務であった。
討伐軍を率いる右中郎将の朱儁は表情や言動には出さぬものの、南陽郡の賊を甘く見ていた。賊は斥候を出すこともなければ、宛の地まで抵抗らしい抵抗もせずに素通りで抜けさせる有様。下手をするなら賊共はもう城から抜け出して、他郡へと逃げ出しているんじゃないかとも考える。
道中、行進する討伐軍には弛緩した空気が流れる。朱儁はその空気を引き締め直そうかと考えるも、討伐軍の最終目的は南陽郡ではなく、鎮圧した後に豫州へ入ることにあった。先はまだまだ果てなく長い。遠征の疲労もあるだろう。常に気を張り詰めたままでいろというのも困難だ。
宛の地へ入った討伐軍に宛城内に潜む間者からの報告が届く。賊は討伐軍が南陽郡内へ進行してから慌しく篭城の準備に掛かり始めたと。初動があまりに遅過ぎる、と朱儁は嘲笑する。
それでも朱儁は賊が攻城戦に向けての鍛錬をしている報告を聞いたり、城回りにそれなりの準備を整えているのを見ると少し考えを改める。城攻めとは守り手より攻め手が不利である。兵法のへの字も知らない賊相手なら問題ないだろうが、急いで攻めて悪戯に被害を増やすこともない。
「三里離れて布陣する」
少し考えた朱儁は一晩ゆるりと遠征の疲れを癒してから城を攻め入ることに決めた。
宛の地へと入った当日には複数の間者から一万の賊が城に滞在しているとの報告も入っていた。それでも一応は警戒を怠らず、事前に伏兵が伏せられそうな地形を簡単に調べ上げる。
「よし。見張りは城門の監視を怠るな。少しでも動きがあれば、すぐに報告を挙げろ」
伏兵無しと見れば朱儁もやっと気を緩める。間者の報告と完璧に一致していると。
朱儁は気を緩めた。そしてそれ以上に幕僚以下兵士は気が緩んでいた。賊の居城を監視する見張りの兵は城外に上がる僅かな砂煙に気付く事はなく、そのまま夜を迎えることになった。
草木も眠る丑三つ。夜の帳はすっかり下り、暗い空には丸い月だけが微かに光輝いていた。
薄い雲が空を覆い隠し、星の光を遮断する。南西の風は未だ冷たく、吹き抜ける風の音だけが討伐軍の陣中に静かに鳴り響いた。遠征疲れの兵士達は夢を見ることもなく深い眠りに落ちる。
静かな静寂。それを破ったのは音も無く歩み寄る黒い影。瞬間、陣隅の篝火がフッと消え、その脇に立つ数人の見張りの兵士が倒れた。一度倒れてしまえばもう二度と起き上がることはない。
見張りが倒れると蹄の音が聞こえる。月影を先頭に現れたのは五百人の精兵は枚すら噛まない。
「柵の一部を取り外せ」
月影は簡易に打ち立てられた柵を取り外すように命じると、馬を止めて陣内を見回した。
眼前に広がるのは漆黒の闇。その暗さに月影は作戦が仕損じれば生きては帰れないことを思い知る。討伐軍がこちらの狙いを丸々読み取っていたとしたら、一刻の間に全滅するだろうと。
そのことは文鴦を筆頭とした五百の精兵も承知であった。それでも不安を微塵も見せないのは大将である月影を信じていたからである。月影に従い殉じて戦うことに、なんら不安はなかった。
「切り込めば後は早い。目に入る全てが敵だ」
馬を止めた月影は後ろを振り返ると、突入前の最後に仲間へ向け飛檄を発する。
「高官だろうが遠慮はいらん。天に出会えば天をも穿ち、ただ獣の如く死力を尽くして戦え」
その言葉には然しもの猛将文鴦さえも一瞬息を呑んだが、すぐにニヤりと口の端を上げた。
手綱を緩めると歩を進める。月影は優しく馬のたてがみを撫でると足で合図を送る。漆黒の闇に向かって馬が速度を上げれば、誰もが声を張り上げて敵陣深くへと切り込んでいった。
「銅鑼を鳴らし幕舎には火矢を放て」
月影率いる五百の精兵が夜襲を敢行すると、討伐軍の陣内は直ちに恐慌状態に陥った。
討伐軍の兵士たちは甲冑も忘れ着の身着のまま外へと飛び出しては月影達の的になる。剣に矛で斬られ、槍で突かれ、矢で射ぬかれ、馬に踏みつけられては簡単にその命を落としていく。
それでも五百人で出来ることなんて限られている。幕舎から上がった火の手を合図に城の兵がやって来るまでの間、混乱を加速されるべく月影は声のでかい者を選んでは叫ばせた。
──夜襲だ! 五千から一万はいるぞ!
──既に本陣にも火の手が上がっているらしい!
それを聞いた討伐軍の兵はさらに混乱した。
討伐軍の兵士はまだ徴兵されたばかりの寄せ集めが多く、人影を見つければ恐怖に駆られ、敵だと思い込んでは同士討ちを始め出す。それを見た月影は剣を一旦鞘に納め、馬を走らせた。
「雑魚に構うな。大物を討ち取るぞ」
月影の狙いは指揮官の首。総指揮官の朱儁が最良ではあったが、まずは近くの首を狙う。
幕舎は階級によって違いがあるが、今一番わかりやすい判断要素は護衛の厚さであった。恐慌、混乱状態の今、数十人単位で守りを固めている幕舎には高官が居ると判断して間違いない。
「わ、儂の警護をもっと固めんか。儂は大司農──の弟で家柄も──褒美は望むだけ────」
馬を走らせ討伐軍の陣中を回っていると、それなりに位の高そうな人物が目に入る。
「大将! ありゃ名のある首に違いない!」
「あんな無能には興味ない。生かしていた方が混乱を助長させるだろうからほっとけ」
文鴦の言葉を月影は一蹴する。月影が討ち取りたい首は、今この場で邪魔な人物であった。
「怯むな! 聞けば声色は限られている! 騒ぎ立てる輩をひっ捕らえ、場を落ち着かせろ!」
混乱を収めようとする者。兵を奮い立たせる者。つまりは優れた指揮官。将兵を狙い討つ。
「あいつは邪魔だな」
「だがけっこう守りも堅そうだぜ?」
「張り子の虎だ。オレが仕掛けるからお前ら離れてろ。馬を降りたのを合図に突っ込んでこい」
月影の言葉を受けて文鴦以下は手綱を絞る。ただ一騎抜け出した月影は一直線に進む。
月影は一見すると冷静そうな者の内にこそ不安が犇めいていることを理解していた。月影が『伝令』と声を張り上げるだけで容易に目的の首へ近づけたことこそが、その良い証明だろう。
討伐軍の甲冑をつけていない月影に周囲の兵は気が回ることもない。月影は下馬し目的の首の前で膝を折ると、静かに力量を値踏みする。大した腕前じゃない、と判断すれば後は早かった。
「本陣より急報です!」
「うむ。して火急の知らせ……と…………は」
月影は兵が傍に控える中、腰に帯刀している剣を抜くと瞬く間に目的の首を刎ね飛ばした。
「これまでご苦労さんだってさ。半端に優秀だと早死にするのは、なんとも不憫ではあるがな」
月影の凶刃を見てその場が凍りつく。
鋭い反応を見せる兵は無く、みな口を開いたまま呆気に取られていた。その場の兵には何が起こったのかを理解するまでに時間が必要であったが、戦場においてそんな悠長な時間は無い。
月影の背後から文鴦率いる騎馬兵がやって来れば、数分と経たず地は赤く染まり、兵の悉くが骸と化した。将来を渇望視されていた若き将兵は史に名を刻むこともなく宛の地に斃れた。
「手応えのねえ連中ばかりだな」
「本当だよな。拍子抜けもいいとこだ」
「で、次はどこを狙う。大物なんているのか?」
「そろそろ魏延と高順がやって来そうな頃合いだから退いてもいいが、面白い旗を見つけたぞ」
再度乗馬した月影は南東の方角を指差す。
「…………へえ。当然突っ込むよな。大将!」
「そうだな。せっかくだし覗いて行こうか。守りが薄ければ混乱に乗じ、大将首を狙ってみよう」
風に棚引く牙門の旗。その旗が意味するは、総指揮官である朱儁の幕舎が近いということ。
誤字報告いつもありがとうございます。ぜんぜん減りませんが気をつけます。
次話はこの続きと呉+魏か蜀か美羽視点の話。候補の三つについては何れ書きますが、順番はまだ決まっていません。長くなったら呉だけとなります。二話先で朱里と雛里の回を予定。