継続高校自動車部   作:skav

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亀裂

うっすらと白んだ冷たい空気の中を、早起きな鳥たちが忙しなく森の中をはばたく。朝露をまとった真っ赤な紅葉を弾くと同時に、家主を起こすように囀る。その声が耳に入ると、静かに瞼が持ち上がる。少しずつ気温が低くなってきたせいか、布団の魔力が日に日に力を増しつつあった。あと1分で鳴り出す時計のアラームを止め、思い切って布団を跳ね上げる。窓を開けると「バサバサ…」という羽の音とともに冷たく柔らかい風が吹き込んできた。手早く制服に着替え朝食の準備を始める。ベーコンエッグとトーストを焼きながら、弁当箱にアスパラベーコンやサラダを詰め込む。

「おいミカ、起きろ。」

コーヒーを淹れるためにお湯を沸かしている間に同居人を叩き起こす。いつの間にか寝袋から這い出し、春樹のベッドにもぐりこんで布団にくるまっていた。そのせいかいつもよりも目覚めが悪い。ミノムシになっていたミカがもぞもぞと顔を出す。そしてとても満足そうな表情で体を縮こませた。

「あぁハルが抱きしめてくれている…」

「顔洗って来い。」

軽くデコピンをして二人分の朝食とコーヒーを食卓に並べる。

「「頂きます。」」

元々あまり話す方でない二人は、黙々と朝食を食べる。その後は少しだけまったりとした時間を過ごす。ミカはいつもの椅子に座りカンテレを奏で、春樹は愛車の暖気をするためにエンジンをかける。気温が下がったせいか、アイドリングが不安定だ。そろそろキャブレターを調整しないといけない。洗濯物を外に干してから、冷蔵庫に貼ってあった買い物リストを財布に突っ込む。

「さて、そろそろ行くぞ。」

「分かったよ。」

CR-Xデルソルに乗り込み学校へ向かう。もう一台の愛車であるランサーは現在部室でエンジンの定期点検中だ。車内では学園祭についての話が交わされていた。

「お前の所は今年は何をするんだ?」

「肝試し…だったかな。ハルの所は?」

「うちのクラス…というか整備課は毎年ポスター発表だぞ。」

「そうだったね。」

「資料集めやら、先生のチェックやらで忙しくてな。それならお化け屋敷とかのほうが断然楽だ。」

そうかもしれないね、とミカは静かに笑う。

駐車場に車を停めて校舎へ向かう。今は学園祭の準備期間のため、授業は午前のみ行われる。教室の後ろのロッカーには書きかけのポスターなどが乱雑に置かれていて、少しずつ非日常に塗りつぶされつつあった。

「さて、新学期早々ですが本日から2週間皆さんと学業を共にする新入生を紹介します。」

この時期に転校とは珍しい。そんなことを考えながら扉の方を見る。廊下から辛うじて頭が見えた。相当身長が低い生徒なのだろう。

「入ってきて下さい。」

「はい。」

教室の扉を開けて入ってきたのは見知ったあの少女であった。緊張なのか顔をすこし強張らせて、きっと口を結んでいる。

「島田愛里寿さんです。この度短期留学生として、このクラスに編入となりました。」

愛里寿はゆっくりとお辞儀をする。表情を一切崩さない様子は相変わらずだ。実をいうと春樹はこのことを知っていた。数日前に島田千代から連絡があったからだ。しかしながら、その意図はまだ分からないでいた。黒森峰は別として、聖グロやサンダースとか名だたる学校へ行けばよかったのに。…もしくは大洗とか。まさかここにミカがいる事を察知して来たのだろうか?

「それじゃあ島田さんは、そこの席に座って下さい。」

「はい。」

愛里寿は窓側の一番前の席に座る。そこは春樹の隣の席だった。様々な考えが頭をよぎり難しい顔をしている春樹をアリスは不思議そうな顔で見つめる。

「はるき、どうしたの?」

「いや、何でもない。よろしくな。」

「よろしくね、愛里寿ちゃん。」

後ろの席にいたユミが早速愛里寿に話しかける。そんな彼女を愛理寿は冷ややかな表情で返す。

「私は大学生…つまり先輩。」

「うわー凄いんだね、私なんか全然敵わないや。」

「連絡事項は特にありません。あ、学園祭の準備で外に買い出しに行く時は外出許可を忘れずにね。」

SHRが終わり、次の授業の前のちょっとした休み時間に入る。そこで春樹は真っ先に教室を出ていった。向かう先は屋上へつながる階段、そこにいつもミカがいる。

「やあ珍しいね、ハルがこんな時間に来るなんて。」

「予定通り島田愛里寿が転校してきた。」

「今朝職員室の窓からあの子を見かけたよ。継続の制服姿も似合っていたね。」

「どうするんだ?」

「どうもしないよ。彼女には短い間だけどちゃんとした高校生活を体験して欲しいからね。」

「もし、お前を探しに来たとしたら素直に会うか?」

「……正直、まだ会う勇気が出ないんだ。彼女が”私”をどう思っているのか、それを知らないまま会うのは怖い。」

「ま、お前がそうしたいなら良いんだけどよ。」

「ありがとう、ハル。」

次の授業の予冷が鳴る。…長い二週間になりそうだった。教室へ戻ると突然愛里寿が駆け寄ってきて隠れるように春樹の背中に回り込んできた。

「あ、隠れた。」

「ねーねー春樹クン?愛里寿ちゃんと知り合いってホントカナー?」

背中に恐ろしいほどの覇気を宿したユミがじわりじわりと春樹に近づく。成程、確かにこれは逃げたくもなると納得する。

「そうだな…一回島田流の家元のとこで戦車を直したことがある。そん時に初めて顔を合わせたな。」

「春樹は…私の大事なものを守ってくれた…恩人。」

ふぅんとユミは意地悪そうな笑みを浮かべる。

「エリカさんはそのこと知ってるのかな?」

「ティーガーを修復したときに一応説明はしてある。」

ちぇーとユミは面白くなさそうな顔をした。春樹の弱みを握る折角のチャンスくらいに思っていたようだ。

「ほれほれ、次の物理数学はお前から当てられる日だぞ。予習はしてあんのか?」

「うぐっ、そう言えば……お、覚えてろよ!」

それ以上の追及を諦めたユミは自分の机に戻る。

「物理数学って高校に無かったはずよ。」

「ウチはが数学が2種類に分かれてるんだ。物理数学と工業数学った感じで。」

物理数学が理論を重視したもので、工業数学は設計などの実践的な数学を主に取り扱う。これが継続高校が高専に変わる一番の要因とも言われている。

「何それ、聞いてない。」

少しだけ愛里寿の顔が引きつる。どうやら一般的な高校数学の内容をやるものと思っていたのだろう。それに戦車道がメインの大学ということは、体育大学に近いことが予想できる。

「春樹は頭良いの?」

「理数科目は得意だ。」

「嫌味か、学年主席ー!」

後ろで予習をしているユミが野次を飛ばしてくる。時間は少ないが予習がしたいと言うので、二人は次の授業で使う物理の教科書を開く。

「今やってる範囲は熱力学。先週に始まったばかりだからそこまで進捗に差は無い。大学で4力は?」

「熱力学は…まだ。」

愛里寿は最初こそ戸惑っていた様子であったが、あっという間に基礎の式やその成り立ちを理解してしまう。天才少女と言うのは尾ひれでは無かったと実感する。

「はるきは教えるの上手。大学の先生よりも分かりやすい。」

「ここまで理解が早いと教えていてとても楽しいよ。」

 

 

1時間目:物理数学

2時間目:現代国語

3時間目:地理

 

午前中の授業を終えて、生徒たちは各々好きな場所で昼食を取る。天気が悪い日以外は殆どの生徒が教室から出ていき外で食べている。どうにもこれは継続高校独特な風習らしい。春樹も普段であれば外でミカと一緒に非常階段か、部室で車を眺めながら昼食を取ることが多いのだが、今日は少しばかり勝手が違う。教室でユミと残っていた愛里寿に弁当箱を差し出す。それを見た愛理寿が驚いた顔をした。

「わざわざ作らなくても…。」

「生憎お前の母親から食事代を貰ってるんでね、食わせないわけにはいかねーんだよ。」

愛里寿の机の上には朝のうちに買っておいたのであろう惣菜パンとお茶が並んでいた。流石にこれでは栄養が偏るのは間違いない。心配そうなユミの表情が安どの色の変わる。

「良いな~愛里寿ちゃん。春樹君の料理食べれて~」

「羨ましいの?」

「うん、この人めちゃくちゃ料理上手なんだよ。この学年で一番なのは間違いない。」

そうなんだ…と言って弁当箱を開けたとたん愛里寿は静かに目を輝かせる。色とりどりのサラダ、ふりかけのかかったご飯、一口サイズにそろえられたハンバーグ。そこには久しぶりに見る普通のお弁当があった。小学校は給食、大学は学食だから昼食は毎日弁当という習慣がなかったのだ。

「これ、はるきが作ったの?」

「一応な。不味いものは入れてないつもりだ。」

愛里寿は小さく「いただきます」と呟いてから箸でポテトサラダを取って口に運ぶ。その瞬間愛里寿の目が輝いた。

「…美味しい。」

「それは良かった。」

気に入ったのか黙々と弁当を食べ始める。笑いながら美味しそうに食べるその姿がミカにそっくりで自然と口元が緩んだ。

「うぅ~良いな~愛里寿ちゃん、ちょっと頂戴~」

「駄目。」

目を潤ませるユミを横目にあっという間に弁当箱を空にしてしまう。

「ご馳走様。すごく美味しかった。」

「おう、お粗末様。何かリクエストはあるか?」

「はるきの作ったものなら、何でも良い。」

満面の笑みを浮かべるその表情は年齢相応のとても無邪気なものだった。ようやく午前中の緊張が解れた様子で少し安心する。

「普段はどんなもの食べてるんだ?」

「いつもは大学の食堂。あとは…時々アズミとメグミとルミがおかずとか飲み物が沢山あるお店に連れて行ってくれる。」

それってもしかして居酒屋なのでは…と春樹は駄目な大人たちの顔を思い浮かべる。それを保護者が知ったらかなり怒られそうだな。よし、今度会ったら脅してみよう。心の中で悪いことを考える春樹であった。

午後からはポスター発表の準備のため、各々資料を作ったり図書館で調べ物をしたりする。少し離れた普通課の教室からは賑やかな声が聞こえてくる。

「はるきのクラスは静かね。」

「整備課はポスター発表だからな。賑やかな方が良かったか?」

愛理寿は静かに首を横に振る。

「それより、はるきのポスターは文字ばっかりで分かりにくい。」

「ちゃんとグラフもあるぞ。」

「そうじゃない。これじゃ誰も見てくれない。折角面白いのにもったいない。」

そうは言われても、目を引くポスターなんてどうすれば良いのだろうか。自分では分かりやすくまとめたつもりだが、他人から見ると違うらしい。愛理寿にアイデアがあるなら任せても良いのかもしれない。

「それなら、共同発表ということで手伝ってくれるか?」

「分かったわ。」

モノクロレイアウトで、要点を赤字で書いた無骨なポスターの改造に取り掛かる。まず初めに着手したのはイラストの拡充だ。彼女曰くグラフは結果であり、理解を助けるものではないらしい。その前にしっかり背景や論理を理解をさせることが重要なのだと。手書きで丸っこいイラストは少々ファンシーな気もするが。なるほど、確かにこれなら目を引く。それでいて内容の要点はしっかりと抑えていて、分かりやすい。

「良いポスターに仕上がった。ありがとうな。」

「勉強を教えてくれたお礼よ。はるきはこれから部活動?」

「ああ、お前はどうする?」

「自動車部も見てみたい。」

それならばと、春樹とユミは愛理寿を自動車部の部室へ連れて行った。

「みんなー!二人が小さい子連れてきたー!」

誤解しか生まれな声につられてあっという間に部員全員が集まってきた。今日一日で愛理寿の噂は学校中に広まっているはずなので、あえて楽しんでいることは明白であった。いきなり大人数に囲まれて気押されたのか、愛理寿は再び春樹の後ろに隠れ、顔だけ出す。

「島田愛理寿、よろしく。」

「ほら散った散った、各自作業再開!」

今は次のラリーに向けて各々自分の車を整備している期間だ。春樹は自分の工具セットを並べていく。今日は自分が普段使っている工具のメンテナンスをする予定だった。よく使うソケットレンチの6角ソケットの角を入念にチェックする。まだ使えるもの、角が丸くなっているものを選り分けていく。選別が終わったら丸くなったソケットを削っていく。ボルトの頭はほとんどソケットの先端付近しか接触しない。そのため、奥のほうはまだ角が立っている状態なのだ。だから摩耗した部分を削ってやれば、ソケットを再び角が立った状態にすることができる。極限まで短くなったソケットは油圧プレス用のスペーサーを経て廃棄される。マイナスドライバーの先端がつぶれていたので、これもグラインダーで整える。削る系のメンテナンスを終えたら、今度は磨き系に移る。学園艦は海水を含んだ湿気の影響で、金属が錆びやすい環境だ。そのため、定期的に磨いたり防錆剤を塗る必要があるのだ。愛理寿は興味津々な様子で春樹の作業を食い入るように見ていた。

「こんな作業見てて楽しいか?」

「継続高校の整備力は有名だから、一度見てみたかった。それに、はるきの名前も時々耳にする。」

日々の酷使で汚れていた部品たちが綺麗に掃除されて並べられていく。金属の光沢を放つ工具たちで組まれたエンジンはさぞ、軽快に回るだろう。

「部長、学園祭で展示する車両はどうしますか?」

「特に文句なければ全部出す。掃除をさぼったら恥ずかしい目にあうぞ。」

「うへぇーい」

折角だから春樹のランサーはエンジンを外に出した状態で展示をする予定だ。よく色々な学校からエンジンを見せてくれと言われるので、この機会に見せてしまおうと発案したのだった。愛理寿、ユミと一緒にランサーの車内を掃除したところで今日の活動は終わった。

その日の夜、愛理寿は母親に今日の出来事を報告していた。

『学校はどうだったかしら?』

「授業が少し難しくて驚いたけれど、それ以外は大丈夫。あと、はるきのお弁当が美味しかった。」

『そう、それは良かったわ。2週間、不安なく過ごせそうかしら?』

「うん、ありがとう。お母様。」

母親との通話を切ると、ほんの少しだけ寂しさを感じる。いくら虚勢を張っていてもまだ幼い少女であることには変わらない。一人で寝る事にも慣れたが、やっぱりふと不安になることもある。そんな時はいつもボコを抱いて寝る。

お姉さまは今頃どこで何をしているんだろう…。継続高校の水色のBT-42。ふらふらしていて今にも壊れてしまいそうな動きをするあの戦車にどこか懐かしい匂いを感じ取ったのだ。確証はないし、いつの間にかいなくなってしまったので確かめるすべも無かった。最初は気のせいだろうと思い、気にも留めないつもりだった。しかしどうにもあの水色の戦車の姿が頭から離れない。だからこの機会を使ってここに来たのだ。聖グロリアーナでもなくサンダースでもなく。ここ、継続高校に。

 

「なるほど、だからいつもより内容が豪華だったんだね。」

夕食の準備中、焚火の前でカンテレを弾くミカはとても満足そうな笑みを浮かべていた。

「お前の分も入ってたからな。」

「それじゃあ明日も期待して良いのかな?」

三人分の弁当箱を洗っているとミカが春樹の背中に寄りかかってくる。

「少なくとも昼食はな。そろそろ焼けただろ。」

魚の油が沸き立つ音と共に、香ばしい匂いが漂ってくる。豪華な昼食とは打って変わって夕食は川魚と野菜がメインの質素な食事だ。保護者からは3食分のお金をもらっているのだが、ミカがこちらが良いと言ってきかないのだ。魚をほぐして焼いたパンに野菜やチーズと共に挟む。

「確か愛里寿は結構好き嫌いが多かったな。アレは何か理由があるのか?」

ミカの顔色が少しだけ暗くなる。

「彼女の嫌いなもの…いや、嫌いになってしまったものと言った方が正しいね。」

「ミカ、お前が原因か?」

静かに頷く。成程大方事情は察した。よほどミカの事が大好きだったのだろう。ミカの好きだった食べ物を見るたびに思い出してしまうほどに。

「それは看過できない問題だな。誰だって好きなものを腹いっぱい食う権利がある。そうだろう?」

「…そうだね。」

ただでさえ彼女は普通の少女が背負うには大きすぎる物を抱えているのだ。このままではあの子の心が潰れてしまう。そして背負わせてしまった本人はまだ隠れ続けている。

「ミカ。」

「……うん。」

やはり彼女に対する後ろめたさか、ミカは一歩を踏み出せないでいるようだ。確かにこの歪な姉妹関係は誰かがきっかけを作らないと、何も変わらない。しかし、下手に手を出してもそれが良い結果に結びつくとは限らない。だから物事は慎重に進める必要がある。互いに知られないように、しかし二人と話し合いながら。

しかしどうにも姉妹と言うのは良く分からない。こんなにもこじれる物なのだろうか。ここはひとつ、情報を収集した方が良いのかもしれない。

 

「兄妹どうしで喧嘩ぁ?そんなの日常茶飯事だって。すっごく下らない理由で起きるしさ、おやつの量が違うとか。」

「お前のとこは賑やかだろうな。」

「あの時は本気で悔しい思いしたけど確かに今思えば楽しい思い出かなー。なんだか久々に兄ちゃんの下手くそな目玉焼き食べたくなっちゃった。酷いんだよ?端っこなんか真っ黒こげでさ、これでもかって明太子マヨネーズかかってるの。卵に玉子と卵増量してどうするんだってね。」

スピーカーの奥でローズヒップは楽しそうに思い出を話していた。

「それは果たして美味しいのか?」

「いやいや、普通に不味いんだけどねー。両親が仕事で朝早いし、上の兄ちゃんたちも部活で朝練だし、兄ちゃんも忙しいのにいつもご飯作ってくれるからさ。刷り込みって言うのかな。ウチの学校の綺麗なスクランブルエッグとか食べてたらちょっと恋しくなるの。」

「なるほど、そんなもんか。」

「いつか兄ちゃんの目玉焼き食べさせてあげよっか?」

「そん時はせめて美味しいやつで頼む…。」

ローズヒップの話を聞いて少しだけ兄妹というものの雰囲気を知ることが出来た。しかし具体的な解決策はすぐには浮かんでこない。できればもう一人くらい話を聞いてみたいのだが…。身近に姉か妹がいて、どちらかというとこじれた関係と言えば…心当がある。

「というわけでお話を伺いに来ました。」

「もはやお前がいても驚かなくなったな。」

学園祭は全国の学校が一堂に集まって開かれるので、合同会議と言うものが何度か開かれる。そのためこうして黒森峰とも会議をする機会があるのだ。春樹はそこを利用して、まほを呼び出したのだった。まほに案内されている途中で何人もの生徒に挨拶をされた。幾度となく出入りしているせいか、黒森峰の生徒からも普通に挨拶を受ける程度には顔なじみになっているようだ。黒森峰も学園祭の準備に追われていて、いつもより空気が浮いている感じがした。応接室に入ると、その喧騒が嘘のように静まり、大きな時計の時間を刻む音が響く。遅れて入ってきたエリカがザッハトルテとコーヒーをテーブルの上に置く。これは文化祭で出品の予定をしているエリカの作った試作品である。甘さは控えめでありながら、チョコレートの濃厚なコクをしっかりと感じられる1品だ。しかし春樹の来訪を知らなかったため、エリカは2つしか用意していなかった。

「せっかくだから春樹が食べたらどうだ?私は後日でも構わない。」

「いやいや、本来二人で食べる予定だったんでしょう?お気遣いなく。」

「ああ、もう面倒くさい!ほら、アンタはこっち!」

遠慮の塊である二人にキレたエリカが自分のザッハトルテを真っ二つに切り分け、半分を春樹に渡した。

「それで、今度は何の面倒ごとよ?」

「こじれた姉妹の仲を取り持つにはどうすれば良いか、それも当人には知られずに。その相談に。」

それはまた難題だとまほは腕を組む。流石最近までこじれていた人間が言うと説得力が違う。

「エリカのところも姉がいたな。お前の所はどうだ?」

「どうだと言われましても、私の所はいたって普通の家庭ですから…。」

「もしもお前の姉さんが突然自分の意志で名前を捨てて家を出たとしたらどうする?」

「また具体的に妙な質問をするわね…。つまりアンタが関わろうとしている姉妹がそうなのね。」

エリカはコーヒーを一口飲み、腕を組んで考える。そしてすぐに顔を上げた。

「そんなの決まってるわよ、縛ってでも連れ戻すわ。」

「何のために?」

「昔から散々迷惑かけられて突然消えますなんて許すわけ無いでしょ?」

じつにエリカらしい返答であったが、その表情は少しだけ暗くなっていた。

「ただ…そうさせてしまったことについてはショックを受けるわね。」

「自分が原因じゃないかって?」

「そうね…。」

良く知っていたはずの家族だからこそ、それを察知できなかったことに後悔する。そして嫌われてでも、引きずってでも連れ戻すのが家族である。現に愛理寿はそのために継続に来たと言ってもいい。

「そうだな…春樹。この答えはとても単純、単純だからこそ解決までの過程が難しい問題だ。あまり他人が口を出すことではない。」

度を過ぎれば、それはかえって関係を悪化させてしまうことになる。まほはそう言いたいのだ。

「だけどな春樹…。」

まほは目の前に座っている春樹の両手を包むようにして重ねた。

「私たちは君に何度も助けられている。君の意志で、君の選択でだ。だから春樹の出来ることをやれば良い。もしダメだったときは、私たちが協力する。」

「隊長の言う通り、好きにすれば良いんじゃない?大体、頼みもしないのにいつの間にかアンタの名前が出てくることとかしょっちゅうなんだから。」

まあ何かあったら言いなさいと最後にエリカは付け加えた。何だかんだ手伝う気持ちはあるらしい。

「ありがとう。そのときはよろしく頼む。」

素直に礼をいうとエリカはいつも通りそっぽを向く。

「それはそうと、継続高校は随分と大胆な景品を出品したな。」

春樹は何を言ってるのかわからず首をかしげる。

「代表者から連絡を受けてないのか?」

まほに見せてもらった用紙の内容を確認した春樹は、引きつった笑みを浮かべた。

今年の主催は聖グロリアーナとなっており、かなり大がかりなイベントを考えているらしい。特に戦車道関連のイベントは数日またいで行われる予定だ。戦車道とは良妻賢母を育成するために生まれた武道である。であればそれを証明するためのコンテストがあっても不思議ではない。毎年各校の代表者が選出されるのだが、大体は隊長が出る場合が多い。ちなみにその年の優勝賞品は各校持ち寄りだ。裕福なサンダース学園はとても豪華な景品で盛り上がる。それに対して継続高校は良くて野菜の盛り合わせや保存食セットなんてこともザラだ。そのため外れ枠などと囁かれている。そして今年の継続高校の景品は―

「おい、ミカ。これはどういうつもりだ?」

「君はわが校の貴重な財産さ。だから君の1日を景品にしたんだ。」

「聞いてないぞ。」

「言ったら断るだろう?」

癪に障ったのでミカのチューリップハットを思いきり下げて、手綱の如く後ろに引っ張る。視界が遮られ、鼻から上を圧迫されたミカは抵抗し始める。

「どうせ今から変更はできないんだろう?」

「あちらの隊長さんは大喜びだったよ。継続高校がやっと価値のある景品を出してくれたって。」

それでもなおあっけらかんとした言い方に腹が立ったので引っ張ったことで余った帽子の生地を固く縛り、そのまま放置することにした。それでもなお器用にこちらに寄ってきて腰に手を回してくる。

「心配はいらないよハル。何人だろうと君を渡さない。優勝して見事、君を手に入れて見せるから。」

格好をつけているつもりなのだろうが、トンチキバンダナ覆面で言われも腹が立つだけだ。春樹は深いため息をついて、チューリップハットを無造作に引きはがす。髪がぼさぼざになってもミカは全く気にするそぶりを見せない。

「お前が出るのか?」

「出るわけないじゃないか。君に依存している人間が良妻賢母なわけがないだろう?」

代表者リストを確認すると島田愛理寿の名前が書かれていた。前言っていた”とっておき”とはこれだったのか。相変わらず用意周到なことで。

「ハル、髪を直してくれないかな?」

ミカは放っておいて、ダメもとで主催者である聖グロリアーナのところへ景品変更を求めるメールを送ってみるが、数秒で変更は受け付けない旨を伝える返信とハート形の湯気が立つティーカップの絵が添えられた。大きなため息でPCの画面が少しだけ曇る。仕方がない。こうなってしまっては腹をくくるほかない。これで周りの空気が白けてしまっては、それこそ彼女が束の間の高校生活を楽しめなくなってしまう。

春樹の個人的な目的をよそに学校は日に日に忙しさを増していく。春樹のクラスも後夜祭用の衣装作りで大忙しであった。去年は制服で参加していたのだが、流石に味気ないからとクラスの一人が仮装がしたいと提案したのがきっかけだった。これをきっかけに停滞気味だったグループ発表資料はあっという間に完成し、教室内は学園祭らしい空気が流れている。

「よしできた!愛里寿ちゃん、ちょっとこれ着てみてよ!」

愛里寿が女子生徒たちに連れられて空き教室に消えていった。暫くすると、水色と白色を基調とした衣装にに身を包んだ愛里寿が姿を現した。教室内に黄色い歓声があがる。

「じゃーん、コルトver. ALiCe!不思議の国エディションだよ!」

「変…じゃない?」

不安そうに春樹の顔を伺う。その様子が庇護欲を掻き立てられ自然と頭を撫でてしまう。

「すげー似合ってるぞ。」

「子ども扱いしないで…。」

しかし頭を撫でられることは嫌いではないらしい。言葉とは裏腹にそれを素直に受けていた。

「丁度いいから春樹君さ、布買ってきてよ。このままだと春樹君だけ上半身裸になっちゃう。私はそれでも良いけど。なんならみんな喜ぶけど。やっぱ買ってこなくて良い気がしてきた。」

公序良俗に反することも、一部の変態どもを喜ばせるつもりも一切ないので、二つ返事で了承する。

「布の柄は、俺が選んでで良いのか?」

「あぁ……駄目だね。絶対黒の無地とか買ってくるもん。じゃあ愛里寿ちゃんも行ってきて、その恰好で!」

「……はるきが良いなら。」

やはり恥ずかしさはあるのだが、似合っていると言われて嬉しいのも事実。春樹の一言で後押しして欲しいという表情だ。

「折角の可愛い恰好だし、良いんじゃねーか?」

愛里寿の顔がぱっと明るくなる。二人のやり取りを見ていたクラスメイトは微笑ましいものを見ている顔をしていた。春樹のCR-Xで学園艦を下り、港の近くにある雑貨屋に向かう。何も言われなかったらホームセンターに向かうところだった。

「うちの学校には慣れたか?」

「小さい学校だけど、みんな親切で居心地が良い。」

「それは良かった。」

すると愛利寿がぴたりと足を止めて上のほうを見つめる。視線の先には鮮やかな緑色の生地にチェック模様が描かれた布のロールがあった。よく見ると緑色の濃さが微妙に変化していて、光の加減で印象ががらりと変わる。

「…きれいな色。」

「ちょっと派手すぎないか…?」

「絶対はるきに似合う!}

もう少し主張の控えめな柄がよかったのだが、結局愛理寿に押し切られる形でその布を買うことにした。

「…ふぅ」

なれない格好で歩き回ったせいか、ため息をつく愛理寿の顔に疲労の色が見えた。

「ジュースでも買って休むか。」

「良いの?」

「みんなには秘密だぞ。」

近くのコンビニでリンゴジュースとコーヒーを買い、公園の日陰で一休みをすることにした。

「あぁ生き返る…」

「美味しい。」

ベンチに座って周辺を眺めると、犬を連れて散歩をする人や小さい子供と遊ぶ人の姿があった。学校を抜け出して、公園でジュースを飲む。本当は悪いことのはずなのに、ちょっとだけ楽しい。

「はるきはどうして戦車の整備をしているの?」

「自動車部は戦車の整備も任されてるからな。それで予算の優遇をしてくれている。持ちつ持たれつってやつだな。」

「……そう。」

「というのは建前で、一昔前の機械は設計者の創意工夫が詰まっていて面白いし勉強になるんだ。」

今みたいに小型化、軽量化が進んでいない昔の機械は設計段階で様々な制約が存在する。出来るだけ様々な用途に対応するための汎用性と整備性を第一に考えた設計であったり、思い切って一つの用途に絞った設計であったり、現場で改修されたものであったり、知れば知るほど興味が湧き上がってくる。

「はるきは楽しそうに戦車と接するのね。…みほさんみたい。」

「ガキの頃から親父の仕事を見てたし。おもちゃ代わりにエンジンをばらしたりもしてた。その点じゃあいつら西住姉妹と似てるかもな。」

「……そう。」

姉妹という言葉をきっかけに、少しだけ愛理寿の表情が曇る。

「愛理寿は戦車に乗って楽しいか?」

愛理寿はしばらく考え込んでから首を横に振る。

「よく分からない。私にとって戦車に乗るのは当たり前のことだから。」

自分は周りとは違うということを自覚し、戦車道に関する勉強に尽力してきた。言葉にすればとても立派なことなのだ。ただそれが12歳の少女の口から出ていることにただならぬ歪さを感じる。こうして無邪気に学校生活を楽しむことさえも自ら断ち、島田流のためにすべてを捧げる覚悟を持つ少女。だから戦車が好きだという彼女がずっと分からなかった。それでも、あの試合で強く感じたことがある。

「今ならみほさんに負けた理由が分かる気がする。私がもっと強くなるためには、私を良く知ってる人がそばにいる必要があるって。」

そんな彼女が自分自身で成長したいと願っている。誰がそれを止めることが出来ようか。

 

休日の朝春樹は愛理寿を自動車部のラリー練習へ連れ出した。まだランサーの整備が終わっていないので今日はCR-Xを持って来ている。折角キャブレターエンジンを載せているのだから、一度思い切り回してみたかったので丁度良い。山の上の広場に車を停めてボンネットを開き、早速キャブレターの調整をする。

「今日のはるき、楽しそう」

そんな心中が外に出ていたようだ。興味津々な様子で愛理寿も一緒にエンジンルームをのぞき込む。調整が終わると、先ほどよりもアイドリングが安定したリズムを刻みだした。

「よし、まずは一発目!春樹君、お先に!」

目を輝かせながらユミはRX-8のアクセルを踏み込み、リアタイヤを空転させながら山を駆け上って行った。排気系を変えたおかげか高回転までもたつきもなく、素直にエンジンが回っている。ブレーキを踏みこみノーズがダイブした瞬間、ペダルをリリースしつつハンドルを鋭く切る。少しだけ大柄なボディが遅れてロールするのを感じつつ、外のタイヤに荷重がかかるタイミングでアクセルを思い切り踏み込んだ。途端リアタイヤが空転し、車がスライドを始める。勿論レッドゾーンまでアクセルを踏みぬく。パァァァァ!とロータリー特有の高音が車内に響く。ピストンエンジンでは出せないこの独特なメカニカルな音が、NAロータリーエンジンの魅力だ。ついつい、低速コーナーでも回転数をキープしたくなりクラッチを蹴飛ばしてしまう。サイドブレーキを引き、次のコーナーもドリフトを維持して駆け抜ける。

「くぅ~これこれ!。痺れるぅ!」

そんなご機嫌な運転は下の広場からでもよく聞こえていた。楽しそうなスキール音と甲高い排気音を聞くと、だんだん体がうずうずしてくる。こちらだって負けていられない。

「俺たちも行くか。」

「うん」

愛理寿を助手席に乗せて、春樹のCR-Xもヒルクライムを楽しむ。トランストップの屋根を開けると、キャブレターのカチャカチャカチャ…というメカニカルな音とマフラーの排気音が直接耳に入って来た。ニュートラルの状態でアクセルを煽ると、キャブレターが空気を吸い込む音も聞こえてくる。5千回転付近でクラッチをつなぐ。上り坂だというのに、フロントタイヤはすんなりとボディを引っ張り加速していく。

カアアアアアア!

限界付近でタイヤが鳴き、リアが暴れそうになるところをアクセルで無理やり捻じ伏せる。それが楽しくて、ついつい荷重移動とアクセルを使って高回転を維持したままコーナーを曲がってしまう。いわゆる突っ込み重視のコーナーリングだ。ランサーで同じ運転をしたら1コーナーで刺さる予感しかない。まったく練習にはならないが、今日は楽しむ方が大切だ。なぜこの車をわざわざキャブレターにしたのかよく分かる。こんなの楽しいに決まっている。確かにインジェクションに比べたら美味しいところは狭いが、決まればこんなに気持ちのいいパワーフィーリングを見せてくれる。これに軽快なオープンボディとの組み合わせは、絶妙だ。

年相応の少年のようにはしゃぐ春樹を、愛理寿もまた普段とは違い無邪気に笑っていた。

ひとしきりライトウェイトスポーツカーを堪能し、今日は午前で解散となった。家の手伝いがあるユミと別れ、二人はいつものコーヒー屋で昼食を食べることにした。

「今日は随分可愛らしいお客さんと一緒だね。」

「ええ、うちの学校に短期留学中なんです。」

程なくして2人分のハントンライスと、コーヒーが出される。いや、見た目はコーヒーなのだがその香りはまるで紅茶のようであった。ちなみに愛理寿も本人たっての希望で同じコーヒーが出てきた。

「今日は不思議なコーヒーが出てきましたね。」

「折角だからとおもってね。駄目だったら紅茶を用意するよ。」

コーヒー豆はコーヒーチェリーと呼ばれる果実の種を焙煎したものだ。本来はその果実を取り除いて豆を乾燥させるのだが、このコーヒーは果実を残したまま乾燥させたものらしい。そのおかげで紅茶のような華やかな香りと、はちみつのようなまろやかな口当たりとなっている。

「これ…すごく美味しいです」

「ソースの酸味とよく合うでしょう。」

そのコーヒーの味は春樹を満足させるに足るものだったようで、あっという間に皿は空になってしまう。愛理寿もいつの間にかコーヒーを飲み切っていた。

「コーヒーは大丈夫だったか?」

「ミルクを入れたから大丈夫。お母さまが聞いたらびっくりするかな?」

そう言って愛理寿はいたずらっ子のような笑みを浮かべる。確かにいきなり娘がコーヒーを飲みだしたら千代が倒れかねない。そして間違いなく春樹に小言を言うだろう。だけどそれはそれで面白そうでもあった。また一つ二人の秘密ができてしまった。

 

愛理寿を宿泊しているホテルに送り届けてから、春樹は二人のことについて考えていた。愛理寿にあって西住みほにはあるもの。それが彼女を成長させてくれるのだとしたら―

「だから私はここに来た。お姉様を探すために。もう、待つのは…イヤ。」

彼女はまだ13歳の少女だ。そんな彼女が自らの意思で”姉”の帰りを待っている。ただでさえ大きいものを抱えている彼女には支えが必要だ。それは母親でも無く、友人でもない。彼女の力になりたい。望むものを叶えてあげたい。島田愛理寿と学校生活を共にするにつれて、そんな気持ちがどんどん大きくなってくる。そして同居人のことも…。帰る途中、いつもの精肉店でハムカツと豚バラ肉を買う。ミカは今の生活に満足していると言っている。だけどそれは幸せなことなのだろうか。彼女が享受すべき本当の幸せはもっと別のところにあるのではないだろうか。夕食後、いつものようにコーヒーを飲むミカに尋ねる。

「ミカ、お前は来年どうするつもりだ?」

継続高校は来年から5年生の高等専門学校へと変わる。そのため今の1年生までは大学受験をするか、来年以降も在学するか選択をすることができる。ミカはいつものように椅子を揺らしながらつぶやく。

「ここは本当に居心地が良い。まるで世界から切り取られたみたいだ。」

ミカの本心としては春樹の下で隠れるように生活をするこの毎日が、すでに当たり前になっていた。当然来年以降もここにとどまっていたいと思うのは当然だった。

「俺としては他所の大学へ進学すべきだと思う。この生活にも限界があることを分かっているだろう?」

「…でも、猶予はある。すぐに答えを決める必要はない。」

あくまでもミカはここに留まるという選択肢を取るつもりだ。だが、それでは駄目だ。それでは二人の関係は歪なままで固まってしまう。

「もし…島田愛理寿にお前を合わせる言ったらどうする…?」

焦って出てきた言葉は、ミカを蔑ろにするものだった。それを発してから気が付く。

「ここから出て行けと?あの時、一緒に居て良いと言ったのは嘘だったのかい?」

「そうは言ってないだろ、ただ……ここじゃミカは幸せに出来ない。お前の本当に幸せにしてくれる居場所は別にあるはずだ。」

それでも春樹は止まらない。ここを踏み越えなければきっと何も変わらない。二人の亀裂は深まるばかりだ。

「そんなの……君が決めることじゃない。」

そう言ってミカは震える手で寝袋を掴み、外へ出ようとする。このままではどこかへ消えて行ってしまうと、頭で理解するよりも先に体が動いた。ミカの右腕を掴み、引き留めるようとするが―

「………」

ミカの拒絶をするような表情を見て、氷のように冷たく震える手を放してしまう。そして、まるで風のようにミカはフッと森の中へ消えて行ってしまった。そのあとを追うように、一瞬だけ吹いた強い風が、ミカの足音を、焚火の炎をかき消し、一瞬にして暗闇と静寂が支配する。

「……ハル。」

去り際に放ったその言葉が脳裏にこびりつき、離れなかった。くすぶった灰色の細い煙が暗闇に吸い込まれる。

「くそっ…やっちまった…。」

家の壁に叩きつけた右手には、ミカの冷たい手の感触が残る。丸太のベンチに寝ころび、ジンジンと痛む腕で目元を覆う。

”私たちは君に何度も助けられている。君の意志で。だから春樹の出来ることをやれば良い”

まほの言葉がやけに大きく頭の中で響いていた。

「…ごめんなさい、まほさん。駄目だったよ。」

二人の関係を一歩進めるためにはこの機会を使わない手はない。いや、これを逃したら二度とこのままなのかもしれない。そんな焦りが春樹を焦らせていたのだろうか。今更悔やんだところで、ミカを傷つけてしまったという事実は消えない。きっと彼女は、ここには戻って来ない。それだけははっきりと分かる。いつもの春樹であればすぐに次の行動に移っていたのだろう。しかし、今の春樹の頭の中はミカの悲しそうな顔で一杯だった。

 

「それでは会場周辺の警備スケジュールは概ねこの通りで行う。来週は赤レンガ倉庫周辺の監視カメラの確認を行う。以上、解散。」

会議室を後にして、担当の教員に会議が終わった旨を伝え、鍵を返却する。来週のスケジュールを再度確認して、戦車が保管されているガレージを覗く。学園祭準備期間ということもあり、人はまばらだった。ティーガーⅠもしばしの休息期間中だ。すぐにガレージを離れて、寮に変える。夕食のメニューを確認してから、今日は先にシャワーを浴びようか…と頭で考えながら自室のドアを開ける。部屋の明かりをつけると、ここにいるはずのない人影がたたずんでいた。水色の制服は泥やほこりで汚れていることから、正規の手順で来たわけではないようだ。

「やあ、まほさん。お邪魔してるよ。」

「どうやって侵入した?」

「風の導きのままに、ただ流されてきただけさ。」

とりあえず保護者の春樹に連絡をしようと携帯電話を取り出すが、目にもとまらぬ速さでミカに取り上げられてしまう。

「ダメだよ、今は…ハルに会いたくない…。」

「…今は学園祭の準備期間だ。目をつぶってやる。ただし、外泊許可書は書いてもらう。春樹に心配をかけさせるな。」

「………あそこにはもう、戻れない。」

だとしても、最低限の生存報告は必要だと言って無理やり了承させた。しかしながらなぜわざわざ黒森峰に来たのだろうか?継続高校の生徒であれば、多少は野宿が続いても平気で生活できると聞いている。そうでもなければ、アンツィオやサンダースのような大らかな学校の方が家出先には最適ではないか。…いや、待て。以前春樹が相談していたこじれた姉妹の話は、もしかしたら―

「購買で良いなら何か買ってきてやる。食べたいものはあるか?」

「ハムカツサンド。」

「黒森峰では扱ってない。…はぁ、適当に買ってくるぞ。」

購買に向かい、サンドイッチを2種類とコーヒーを2つ購入する。

「珍しいですね、この時間に軽食でしょうか?」

コーヒー豆の入った紙袋を抱えたエリカと鉢合わせになる。

「…継続高校の隊長が私の部屋にいる。」

「…っとっと、はい?」

驚きのあまり落としそうになった紙袋を慌てて持ち直し、小声で話し始める。

「保護者はどうしたんですか?」

「連絡を拒否された。どうやら痴話喧嘩でもしたらしい。」

二人は同時にため息をつく。まさか自分たちの所に飛び火をしてくるとは…。

「エリカは外泊許可受け入れの書類を事務で取ってきて欲しい。私は奴から出来るだけ事情を聞き出す。」

「分かりました。」

食料を買い込んで部屋に戻ると先ほどと同じ姿勢で窓の外の景色を見ていた。

「ほら、好きなものを食べろ。」

机の上にサンドイッチとコーヒーを並べる。ミカはゆっくりとした手つきでポテトサラダのサンドイッチを食べ始めた。

「美味しいよ。」

「……春樹と何があった?」

「…君になら話して良いのかもしれない。」

そういってミカは淡々と自分が島田愛理寿の姉であること。しかしながら、血がつながっているわけでは無く、ミカ自身は養子として島田家に引き取られたことを話す。その話を聞いても不思議と驚きは無かった。彼女の非凡な才能は先天的なものに加えてどこか型のようなものを感じていたからだ。

「ではなぜ島田から出て行った?」

「愛理寿はとても素晴らしい才能を持っている。それこそ島田の名を注ぐに相応しいほどにね。でも、私が島田にいたままじゃそうはならない。あの子が若すぎる故に…。」

だからすべてを投げ出して、継続高校に流れて来たというわけだ。そして運よく春樹に拾われ、今の生活を送っている…と言うわけか。

「彼は随分と甘いんだな。」

「ハルは…ハルは悪くない。全部、私の傲慢が原因なんだ…。」

島田家から逃げ、妹から逃げ、そして今度は春樹から逃げ出した。今まで向けられていた彼のやさしさが少しだけ、彼女に向けられたから。そんな子供のような理由。

「ふぅん、黙って聞いてれば随分身勝手な理由ね。それで、今度は何から逃げるつもりかしら?」

事務室から戻ってきたエリカが部屋の扉の前で立っていた。彼女の眼には明らかに怒りの色が見えている。対してミカは薄ら笑いを浮かべたまま、壁の奥を眺める。

「君だってハルの優しさに甘えているじゃないか。」

ミカの吐き捨てるような言い方に、何かが切れる音がした。抑え込んでいたものが一気にあふれ出る。

「一緒にするな!」

詰め寄り、襟元をを掴む。そこまでされても、ミカは俯いたままだった。そんな様子に更に腹を立てる。

「アンタと同じで甘えっぱなしですって?ふざけるな!アイツの隣に立つために、私がどれだけ頑張って…。なのに、アンタは!!」

「甘えてるよ。ハルが君のためにどれだけの努力をして、たくさんの物を君にあげているか…。君は知らないだろうけど。」

「分かってるわよ!知らないわけないでしょ……。」

どれだけ努力を重ねても、彼にはまだ届かない、何かを与えるなんて到底出来っこない。それでもこの脚を止めるつもりはない。指先一つでもいい、彼に届くために、隣に立つために…。だからこそ背中をむけたまま彼の隣にいるミカが許せないのだ。たとえ春樹が許したとしても。気に入らない。気に食わない。納得できるわけがない。エリカの呼吸はまるで獣のように呼吸が強く、浅い。。

「……エリカ、やめろ。」

まほの言葉で沸騰した血が少しだけ収まる。そんなことをここで言い合っても何も解決にならない。これは彼からのSOSなんだ。だったら個人の感情を優先している場合じゃない。このまま感情に身を任せていたら、目の前にいる人間と同じだ。大きく息を吸い目を閉じる。固く閉じた右手を緩め、震える呼吸を整えながら立ち上がった。

「申し訳ありません、隊長。外の空気を吸ってきます。…見損なったわ。アンタはもっと芯のある人間だと思ってたのに。」

動かないミカは、深くかぶった帽子のせいで表情は分からない。乱れた制服をを整え、ミカをもう一度睨みつけてから、エリカは部屋を去っていった。

「分かってるさ…そんなこと。だけど、…暗くて、冷たくて押しつぶされそうになるんだ…。」

ぽつりと誰に言ったか、ミカは呟く。それを見たまほは深いため息をついた。

「今日はもう寝ろ。話は明日、たっぷり聞かせてもらう。」

そういってまほはミカに毛布を渡した。横になったミカはすぐに眠り始めた。どうやら、相当疲れがたまっていたらしい。精神的な疲労を随分とため込んでいるようだった。

 

 

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