ストライクウィッチーズ オストマルク戦記 作:mix_cat
オストマルクウィッチ隊の再建と、ブダペスト進攻作戦の再興は、芳佳の小さな双肩にかかっている。とりあえずまずやることは負傷者の治療だ。呼び寄せたバランツォーニ軍医中尉と嶋軍医中尉に重傷者の治療をするように指示すると、軽傷者を医務室に寄越すように指示して、芳佳自身も医務室に行く。さっと白衣を羽織れば、きりっと気が引き締まる。いや、別に軍司令官でいるときは気が緩んでいるというわけではない。医者として、違った面での気持ちの引き締まりを感じるということだ。呼ばれた軽傷者が入ってくる。
「はい、そこへ座って。」
見れば、左の頬に大きなガーゼを張り付けている。軽傷といいながら、結構な怪我だ。確かに、戦闘行動に支障はなさそうなので、軽傷といえば軽傷なのだが。
「名前は?」
「はい、エステルライヒ隊のギルベルタ・シュトラッスル准尉です。」
「じゃあ、治療してあげるね。傷を見せて。」
しかし、シュトラッスル准尉は体を引き気味にしながら答える。
「いえ、こんなのかすり傷です。わざわざ軍医殿のお手を煩わせるほどのものではありません。」
対する芳佳の声が思わず高くなる。
「何言ってるの。けが人は医者の言うことを聞きなさい。」
急に強い調子になった芳佳の剣幕に、シュトラッスルはちょっとびくっとして、それから神妙に傷付いた頬を前に出す。
傷口を覆うガーゼをぺりぺりとはがすと、どうもとりあえず押さえつけて止血しましたといった感じで、余り傷口の状態が良くない。このままでは、治っても結構目立つ傷跡が残ってしまいそうだ。
「だめだよ、こんな傷があるのにそのままにしておいちゃ。折角かわいい顔をしているんだから、大切にしなきゃね。」
かわいいと言われて、戦陣にあってはそんなことを言われる機会もなくて慣れていないのか、シュトラッスル准尉はちょっとどぎまぎしている。
「か、かわいいとか、戦うのに関係ありません。」
「ふふっ、別に戦うのに関係なくてもいいじゃない。女の子がかわいいのは正義だよ。」
芳佳は顔を赤らめるシュトラッスル准尉を引き寄せると、じっと傷口を観察する。間近くじっと見つめられて、シュトラッスル准尉は何か不思議な感覚を覚えて耳たぶまで真っ赤になった。まあ、芳佳は傷をよく観察しているだけで、他意はないのだが。
一通り観察を終えると、芳佳は傷口を丁寧に洗ってから両手をかざして魔法をかける。魔法力の淡い光に包まれて、シュトラッスル准尉は驚きを隠せない。
「こ、これは?」
「うん、治癒魔法だよ。傷跡が残らないように綺麗に治してあげる。」
芳佳の説明にもシュトラッスル准尉は半信半疑だ。ウィッチの中には、顔の様に目立つところではなくても、傷跡を残している人は少なくない。もちろん、名誉の負傷なので、傷跡が残っていることを苦にする人はほとんどいないが。
「はい、いいよ。」
そう芳佳が言うと魔法力の光が消える。
「ちょっと見てご覧。」
そう言いながらにこにこと手鏡を差し出すので、シュトラッスル准尉は鏡に映る自分の頬を見てみる。
「あ、綺麗に治ってる。」
そこには、まるで最初から傷などなかったかのような、滑らかな肌が映っていた。10代前半の少女らしい、きめ細やかで瑞々しい肌だ。
「凄いです。まるで怪我なんかしなかったみたい。」
ちょっと興奮気味のシュトラッスル准尉に、芳佳も嬉しい。
「治癒魔法の使い手は少ないからね、まあ仕方ないけど、でもできるんだったら傷なんか残したくないよね。もしまた怪我するようなことがあったら、また治してあげるからね。」
「あ、ありがとうございます。」
シュトラッスル准尉は感激の態で、何度も何度も頭を下げる。軍人たる者少しばかりの傷など気にする物ではないと思っていても、やはり綺麗に治ればうれしいものだ。芳佳もこれだけ感激してもらえれば、医者冥利に尽きると言うものだ。
「次の負傷者を呼んで。」
そう指示する芳佳はすっかり軍医の気分になっている。本当は、軍医として来ているわけではないので、指示する権限も、治療する権限もないのだけれど。
「失礼します。」
次にやってきたのはハンガリー隊のポッチョンディ大尉だ。突破した時にネウロイの破片が当たった頭と、脱出するときに傷付いた太腿に包帯をぐるぐる巻きにしていて、見るからに痛々しい。
「ええと、軽傷? なんだよね。」
芳佳の問いかけに、ポッチョンディ大尉は気丈にも立ったまま姿勢を正して答える。
「はい、軽傷です。命令があればすぐに出撃します。」
「いやいや、出撃するなら万全の状態で出て欲しいな。」
芳佳はポッチョンディ大尉を座らせると、包帯を解いて傷口を改める。なるほど、自称軽傷というだけあって、それほど深い傷ではない。これならすぐに治せそうだ。
「じゃあ治してあげるね。」
傷口にかざした芳佳の手から魔法力の淡い光が広がって、ポッチョンディ大尉を包み込む。
魔法力の青白い光に包まれたポッチョンディ大尉は、何分治癒魔法を受けるのは初めての経験なので、驚かずにはいられない。
「こ、これは?」
「うん、治癒魔法だよ。アーフォニャちゃんは治癒魔法は初めて?」
「はい、噂には聞いていましたが。何分、分散して他国の部隊に間借りするような形で戦っていましたから、魔法医がいてもハンガリー人まで治療してはくれませんでしたね。」
ポッチョンディ大尉の答えに、芳佳は嫌な感じを受ける。医療に従事する者は赤十字の精神を忘れてはいけない。苦しんでいる者は、敵味方の別なく救われなければならないというのが赤十字の精神だ。まして国は違えど仲間ではないか。むっとする芳佳だったが、ポッチョンディ大尉は案外あっけらかんとしている。
「まあ、医療の体制が十分ならともかく、どこでも不足していましたからね。自国民の治療を優先するのは仕方ないんじゃないですか。」
そして、きりりと表情を引き締める。
「だからこそ、自国を奪還して、国を再建しなきゃいけないんです。それに、こう言っちゃあなんですけれど、自国が失われても何の不自由もなかったら、命懸けで奪還しようなんて気にならないかもしれないから、少し不遇なくらいで丁度いいんですよ。」
芳佳にはこういう動機付けはないから、小さく感動する。もっとも、こういう動機だと、前にクロアチアの人が言っていたように、自分の地域が奪還されたら、それ以上戦いたくなくなってしまうという面もあるので良し悪しだ。
「はい、治ったよ。」
そう言う芳佳の顔を、ポッチョンディ大尉は不思議そうな表情を浮かべながらしげしげと見つめている。
「うん? どうかした?」
「あの、先生は司令官に似ていますね。」
芳佳はぷっと吹き出す。
「そりゃあ似てるよ。だって本人だもん。」
「ええっ!」
司令官が一ウィッチの治療をするなど、仰天するしかない。
「うん、まあわたしは、軍人である前に医者だからね。本当は、司令官の立場としては、こんなことしてちゃいけないんだけどね。」
そう言って芳佳は悪戯っぽく笑う。ポッチョンディ大尉は感動だ。命に係わるほどの重傷ならまだしも、自分程度の軽傷に、自分の立場が悪くなるかもしれないのもいとわずに、忙しい時間をやりくりして治療してくれるなんて、何て部下思いの司令官なんだろう。この人の命令なら、例え火の中水の中、何だってできると思う。
「ところで次の負傷者は?」
芳佳の質問に、ポッチョンディ大尉は我に返る。
「この基地にはもういません。チェコ隊とスロバキア隊に各1名負傷者がいますが、どちらも前線基地にいます。」
「そうなんだ。わかった。じゃあちょっと行って来るよ。」
ポッチョンディ大尉はますます感動する。軽傷者の治療のために、司令官が前線基地まで出向くなど、ちょっと考えられない。もっとも芳佳にしてみれば、限られた戦力を最大限に活かすためには、負傷者はさっさと治療してその戦力を最大に保った方が良いという考えもある。まあ、そこで他の軍医を派遣しないで自分で行ってしまう所が芳佳なのだが。
芳佳がケストヘイ近郊のシャーメッレーク基地に行ってしばらくしてから、ザグレブ基地に1機の飛行機が着陸する。参謀長の鈴内大佐の到着だ。出迎える大村航空隊戦闘飛行隊長の千早多香子大尉は、まずいことになったと思う。芳佳が治療のために前線基地に行ったと知ったら、鈴内大佐は烈火のごとく怒るに違いない。
「ご苦労、宮藤さんはどうしている?」
鈴内大佐に問われて、千早大尉は内心どきどきしながら答える。
「はい、前線のシャーメッレーク基地に行っています。」
「そうか、早速前線視察か。」
「そう、そうなんです。早速視察に行ったんです。」
そう思ってくれればいいと、千早大尉は話を合わせる。しかし、ちょっと白々しかったか、付き合いの長い鈴内大佐の目はごまかせない。
「うん? 何か知っているのか? 知っていることがあるなら隠さずに話せ。」
鈴内大佐の目が険しく光る。こうなっては蛇に睨まれた蛙も同じ、千早大尉は芳佳が負傷者の治療に行ったことを白状するしかない。
「で、でも、前線視察のついでに治療もしてくるっていうだけですよ。きっと。」
「白々しいことを言うな。お前は止めなかったのか。」
「私が止めて、聞く人だと思いますか?」
千早大尉の答えに、鈴内大佐は長嘆息する。それはそうだ、そういう人だ。しかし、今何事かあったら、司令官不在で誰がどう指揮を執るというのか。
「こうなることも予想できたはずだったな。一人で出した自分がいけなかったのか。戻ってきたら、こってり絞って差し上げなければいかんな。」
そう呟きながら、鈴内大佐は険しい表情で拳を握りしめる。
「参謀長、お手柔らかに。」
「馬鹿者、上官を殴るわけがないだろう。あれでも宮藤さんは司令官だ。」
憮然とする鈴内大佐だが、千早大尉はどこか可笑しい。もちろん今の状況で笑ったりしたら、滅茶苦茶怒られるのは必至なので笑うわけにはいかない。だから可笑しさを誤魔化すために、殊更に難しい表情を作って見せる。そんな所へ、遠くからエンジン音が聞こえてきた。どうやら芳佳が前線基地から帰って来たようだ。何と言って叱れば効果があるだろうかと、鈴内大佐は頭を巡らせる。もっとも、そのような規律や立場を考えない行動に走りがちなことも含めて、愛すべき司令官だとも思う。ふと、特に問題が発生したわけでもなし、ことさらに叱りつけるのが馬鹿馬鹿しくなってくる。芳佳と顔を合わせたら、思わず笑ってしまいそうな気がしてきた。