ストライクウィッチーズ オストマルク戦記 作:mix_cat
西に傾く日を浴びて、ブダペストのネウロイの巣を撃破したウィッチたちが、シャーメッレーク基地に帰還してくる。本来なら基地は歓喜に包まれ、盛大な歓声とともに迎えられるところだが、傷付いたウィッチたちも多く、重傷を負って他の隊員に抱えられて帰ってくる者もいるため、戦勝気分に浮かれている状況ではない。滑走路脇には衛生兵が待機して、ウィッチたちが着陸するや否や、装備を外すのを待つのももどかしく、担架に乗せて医務室へ運んで行く。医務室では次々運ばれてくる負傷者を、軍医たちが慌ただしく治療している。その中でも、魔法医二人の働きは目覚ましく、あらかじめ手配していた芳佳の差配が光る。
そんな喧騒とは裏腹に、幹部が集まった司令部は、勝つには勝ったが損害が大きかったことでやや沈滞した空気が覆っている。チェルマク少将がそんな空気を明るくしようと、笑顔で労をねぎらう。
「みなさんお疲れ様でした。見事にネウロイの巣を破壊して大勝利ですね。」
確かに、大勝利に間違いはなく、芳佳も表情を崩す。
「はい、作戦計画通りに巣を破壊できて良かったです。」
グラッサー中佐も、疲労の色の濃い表情に笑顔を作る。
「ネウロイの巣が崩壊するのを直接見たのは初めてだったので感動しました。さすがは幾多の戦いを制してきた宮藤司令官です。感服しました。」
感服したとか言われると、芳佳は面映ゆい。謙遜するつもりでもないけれど、照れが出る。
「ううん、わたしの力じゃないよ。皆が一致協力して頑張ってくれたおかげだよ。ブリタニアが艦隊を出してくれなかったら無理だったし、みんなが頑張ってネウロイを防いでくれなかったら、艦隊も巣を攻撃できなかったからね。」
この謙虚さが周囲の協力と、隊員たちの頑張りを生むのだなと、グラッサー中佐は自分もそのように心がけなければいけないとの思いを胸に刻む。
「ところで、次はウィーンの巣だと思うんだけれど、どうしようね。」
芳佳がそう言うと、皆一様に表情を曇らせる。グラッサー中佐が答える。
「今回の戦いで、負傷者が大勢出ました。まずは隊員たちの治療を進めて、回復してもらわないと次の作戦には入れません。」
チェルマク少将も言う。
「今回の作戦は、冬季でネウロイの活動が不活発な隙を突いての攻撃でしたが、次はそのような条件は望めません。今回も結構際どい勝利だったように思いますから、次はもっと戦力を強化して望まないと難しいと思います。次の冬まで待つのなら別ですが・・・。」
「そうだよね・・・。」
考え込む芳佳に、参謀長の鈴内大佐が言う。
「地上部隊がドナウ川に沿って防衛線を固めななければ、側面が不安で次の作戦を行うわけには行かないと思います。そのためには前線への兵器や資材の輸送が必要ですが、生憎雪解けに伴って道路輸送の効率が低下することが見込まれます。必要な輸送量は膨大になると思いますから、トラック輸送ではいつになったら防衛線が出来上がるかわかりません。ここは、鉄道の復旧が鍵になると思います。」
トラックは、リベリオンからUS6軍用トラックが潤沢に供与されているので数に不足はないが、何分1台に2.5トンしか積載できないので輸送もはかが行かない。鉄道を復旧できれば、1列車で1000~2000トンは一度に運べるので効率が段違いだ。鉄道が復旧して、防衛線が完成して、それからでなければ地上部隊は動けないということだ。
「まあ、それもそうだよね。でも、地上部隊の準備ができて、ウィッチ隊の戦力が強化できたとして、それでウィーンの巣をどうやって倒すかが問題だよね。」
芳佳はそう言うが、戦力の増強は必要なものの、ブダペストの巣を攻撃したのと同じようにやれば、ウィーンの巣も撃破できるのではないかとグラッサー中佐は思う。
「ウィーンもドナウ川に沿っている街なんですから、ブダペストと同じように艦隊を送って攻撃すればいいんじゃないんですか?」
「うん、ハンガリーは平坦だったから地上部隊をドナウ川沿いに進出させて援護できたけれど、ブダペストからウィーンの間は山がちになるから、地上部隊を併進させるのが難しそうなんだよね。それに、山岳地帯を越える辺りではドナウ川が狭隘になっていて、艦隊を通すのに不安があるんだよ。コシツェの巣やプラハの巣に近くなるのも不安だしね。」
ドナウ川は、ブダペストから北上するとハンガリー地域北部の丘陵地帯を大きく屈曲しながら抜け、西に向きを変えてハンガリー地域とスロバキア地域の境界を成す。スロバキア地域の中心都市ブラチスラバで少しスロバキア地域内に入ると、小カルパチア山脈の末端部を狭隘な峡谷で抜けてエステルライヒ地域に入り、さらに西へ進んでウィーンに至る。道路を通っての距離は、ブダペストから240キロで、マリボルからの260キロとあまり変わらず、ケストヘイからなら200キロと近い。やはり南側から北上して攻めるのが順当ということか。そうなると、艦隊は使えない、ブカレストで使ったラッテも200キロも走らせるのは無理ということで、決め手になるような武器が使えないということになる。
「作戦を発動するのはまだ先になりますから、おいおい考えればいいのではないですか?」
考え込む芳佳に、鈴内大佐が言う。確かに、急いで結論を出さなければならないことでもない。
「そうだね、当面は防衛体制をしっかり固めることだね。ネウロイの活動も活発になってくるだろうからね。グラッサー中佐、明日からの哨戒は何人ぐらい出られそう?」
「はい、各隊合せて10人程度は出られると思います。」
「うん、じゃあローテーションを組んで回してね。まだしっかりした防衛線のできていないドナウ川方面に重点を置いて。」
「はい、了解しました。」
戦線が進んだ分、防衛しなければならない範囲も広がった。その一方で可動戦力は大幅に低下している。巣を一つ破壊したからといって、決して楽な状態になったわけではないのだ。
長かった一日が終わって、基地は昼間の喧騒が嘘のように静まり返る。隊員たちは激戦の疲れで早々に寝入っており、軍律に反してこっそり夜更かしをしている隊員も、今夜はいないようだ。そんな中で、グラッサー中佐はなかなか寝付けずにいた。薄暗い基地内をあてどなく歩いていると、明かりの灯る部屋がある。
「誰かいるのか。」
消し忘れかと思いながら声を掛けてみると、返事が返ってくる。
「あら、ヘートヴィヒ、遅くまで書類?」
中にいたのはリッペ=ヴァイセンフェルト少佐だった。
「エディタか。そうか、こんな日も夜間待機か。」
「そりゃそうよ。ブダペストの巣を破壊したからといって、夜間襲撃が止むとは限らないもの。」
忘れていたの? とでも言いたいかのように、リッペ=ヴァイセンフェルト少佐は笑う。まあ正直な所、グラッサー中佐は忘れていたというのが本当だ。
「済まない。ブダペストの巣との決戦で頭が一杯で、夜間の事まで気が回っていなかった。」
「うふふ、ヘートヴィヒは正直ね。」
そんな真直ぐさが、指揮官の立場には似合っていて、忘れられていても好感が持てる。元々ナイトウィッチは影が薄くなりがちだから、忘れられたくらい一々角を立てるほどの事でもない。
リッペ=ヴァイセンフェルト少佐が唐突に尋ねる。
「何か悩み事でもあるの?」
「驚いた。ナイトウィッチは人の心の中まで見えるのか?」
「何言ってるの、魔導針なんか出してないでしょ。ヘートヴィヒはわかりやすいのよ。」
そう言ってリッペ=ヴァイセンフェルト少佐はくすくす笑う。グラッサー中佐は敵わないなと思う。
「今日、今後の作戦について話があったんだが、どうもウィーンの巣は今回と同じように攻撃すればいいというわけには行かないらしい。」
「あら、そうなの? じゃあどうするの?」
「それがどうすればいいかわからないから悩んでいる。」
「そうね・・・。」
リッペ=ヴァイセンフェルト少佐は少し考える風だったが、さして悩むでもなく続ける。
「それって、ヘートヴィヒが考えるように言われたの?」
「いや、特にそういう指示は受けていないが・・・。」
「だったら別に悩まなくてもいいじゃない。ヘートヴィヒの役目は戦闘指揮なんだから、チェルマクさんや宮藤さんにお任せすればいいんじゃない?」
それもそうだが、グラッサー中佐としてはそれでいいのかとも思う。
「そうもいかないだろう。仮にもオストマルクウィッチ隊の指揮官なのだから。」
「うん、それならチェルマクさんや宮藤さんと相談すればいいんじゃない?」
「そうだなぁ。」
そう言われても、チェルマク少将は親子以上の歳の差があって、ちょっと相談しにくい。宮藤司令官は歳は近いが・・・。
「宮藤司令官はつかみどころがなくて、気安く相談してよいものやら・・・。」
「そうね、つかみどころがないって感じはするわよね。それに、司令官と言いながら、威厳みたいなものは感じられないしね。」
そう言って、リッペ=ヴァイセンフェルト少佐はくすくす笑う。仮にも司令官を笑っちゃ駄目だろうと思うが、感覚的には同感だ。
「でも、戦歴は圧倒的なんだよなぁ・・・。」
そう、伝え聞く戦歴は、個人の戦果も指揮官としての実績も驚くほどのものがある。正にウィッチの中のウィッチ、仰ぎ見る存在だ。
そこでグラッサー中佐は気付いた。
「そうか、だから相談しにくいんだ。」
「え? 何で? 圧倒的な実績があるんだったら、それ程頼りになる相談相手はいないんじゃないかしら。」
「そうじゃないんだ。ウィッチとしての戦闘力は、及ばないまでも少しでも近付こうと努力しているが、わたしももう自分では戦えなくなる日も近い。そうなると指揮官としての能力が問われるが、宮藤司令官はウィッチ隊の指揮はもちろん、上層部との交渉にも長けているし、陸海空の通常戦力との連携や、統合作戦立案や統合指揮までやってのけるから、わたしは到底及ばない。そう思うと、なにかこう、もやもやした気持ちが湧いてきて、素直に相談できないんだ。」
嫉妬、というのとも違う。あるいは、どうしようもないような劣等感を抱かせる存在、そんな気がしてどうにも近寄りにくい感覚を抱いてしまうのかもしれない。
「あら、ヘートヴィヒは20歳になっても引退しないの?」
リッペ=ヴァイセンフェルト少佐の話の流れを大きくずらす指摘に、グラッサー中佐は面食らう。正直、飛べなくなったからといって引退することは考えていなかった。だから飛ばない指揮官として、どうやって行けばいいのか考えていたのだ。
「引退なんて・・・、欧州解放はまだまだなのに、引退なんてしていいわけがないだろう。」
「そんなことないわよ。ヘートヴィヒはもう十分役割を果たしたんだから、後は後進に任せて、自分の事を考えていいのよ。」
自分の事と言われても、これまでひたすら人類の勝利だけを考えてきたから、何を考えたらいいのか思い付かない。
「自分の事って・・・、何を考えればいいんだ?」
「ふふっ、本当に真面目で真直ぐね。でも、指揮官として軍に残ったりしたら、行き遅れるわよ。」
「えっ?」
グラッサー中佐の顔に赤味が上る。さっきよりもっと意表を突かれて動揺を隠せない。
「な、な、な、何て事を言うんだ。不謹慎じゃないか。」
しかし、リッペ=ヴァイセンフェルト少佐は動揺するグラッサー中佐が可愛らしくて仕方がない。いつもの毅然とした指揮ぶりとの落差が、グラッサー中佐も年頃の女の子なんだと感じさせて、新鮮な印象を与える。
「あら、別に不謹慎じゃないわ。女の子は、普通はお嫁に行くものよ。ヘートヴィヒはどんな人が好み?」
「こ、こ、こ、好みだなんて、軍人の考えることじゃない。そう言うエディタはどうなんだ。」
そう聞かれても、リッペ=ヴァイセンフェルト少佐は落ち着いたものだ。
「あのね、貴族は家同士の歴史的関係とか、家格とかいろいろ条件があるから、早いうちから相手が決まっちゃうのよ。除隊したらすぐにお嫁に行くことになっちゃうから、もうしばらく自由にやっていられるように、なるべく引退を引き延ばしてるのよ。」
こういうことには初心なグラッサー中佐は、顔を真っ赤にして何も言えずに固まっている。ネウロイの大群には勇敢に切り込んで行くグラッサー中佐もこんな場面ではからっきしだ。しばらく固まっていたグラッサー中佐は、突然癇癪を起こしたように叫ぶ。
「明日は哨戒のローテーションを決めなきゃいけないから、夜更かしするわけには行かないんだ。もう寝るぞ。」
そして、さっと踵を返すと怒ったように荒々しい足取りで引き返して行く。それを見送りながらリッペ=ヴァイセンフェルト少佐は微笑む。
「いいじゃない、年頃の女の子なんだから、そんな夢を見たってね。」
いつもは一人きりで黙って待機し続けなければならないリッペ=ヴァイセンフェルト少佐には、いい気晴らしになったようだ。グラッサー中佐には悪いけれど。