一九四四年一二月五日。
フィリピンルソン島マニラ湾にて一隻の戦艦が果てようとしていた。
二〇本前後の魚雷を叩き込まれ、艦は大きく傾いている。無数の直撃によって艦上構造物の多くは徹底的に破壊されてしまい、精悍さと優美さを兼ね備えた姿は見る影もなかった。
魚雷と砲弾によって食い破られた傷口から黒い煙が吹きだしており、それらから発生した炎は時を経るごとに成長していき周囲を生きている死んでいる人間を平等に燃やし尽くす。
満身創痍――――という言葉が似合う状態であった。
それでも、主砲を旋回させ俯角をかけて敵に狙いを定めていた。
息絶えるときが刻一刻と近づこうするなかで、最後の最後まで抵抗し続ける気迫を醸し出していた。
しかし、ここまでであった。
艦の傾斜が増しておりどの場所でも直立は困難になっている。遺体、負傷者、体力が尽きた生存者が次々と海に転げ落ちていった。転覆し沈むのはさほど遠くはない未来だろう。
それでも、この艦は耐え続ける。圧倒的な敵の攻撃を受けているなかで。
自分以外の味方は全て海の底に沈んでおり、この艦が沈めば今の海戦、所属する部隊の物語、様々なものが終わりとなってしまう。そして、祖国の敗北の刻も近づくことになる。終わらせないように、近づかないように浮かび続ける。
轟音が響き渡る。
今まで無事であった艦橋に砲弾が直撃したのだ。瞬く間に炎に包まれた。
艦全体が激しく揺さぶられる。炎は全体に拡大していた。
それでも浮かんでいる。
だが、ついに沈むときがきた。
まるで炎に溶けるように艦橋が倒壊する。それで糸が切れたのか艦が横倒しとなって海に吸い込まれるように瞬く間に沈んでいった。
それが伊吹級巡洋戦艦三番艦『
◇
戦艦『穂高』
八八艦隊計画最後の計画艦である伊吹級巡洋戦艦三番艦として建造され、後に建造された日本海軍最強の戦艦であった『大和級戦艦』と伊吹級四隻にしか搭載されていない一八インチ砲を主砲として搭載され、『八八艦隊計画艦のなかで、最も新しく、最も大きく、最も美しい』と評された。
条約によって搭載を禁じられていた一八インチ砲を搭載し、しかも公表した写真を修正するなどして事実を隠蔽したことで、敵国であるアメリカからは条約を違反しただまし討ちを行った戦艦と不名誉な烙印を押されているものの、生まれ祖国の日本では大和級戦艦と並んで人気が高い。
後に陸の独ソ戦、海の日米戦と呼ばれ苛烈な戦いであった太平洋を姉妹と共に駆け巡り、数多くの激戦を生き残り、多くの敵戦艦を沈めるなどの武勲を挙げた。
フィリピン沖海戦にて、長姉である『伊吹』と妹である『戸隠』を失い。彼女にとって最後の戦いとなったマニラ湾での海戦に次姉である『鞍馬』と共に赴いた。
敵の妨害によって前の海戦で受けた傷が癒すことができず一砲塔が使用できず、敵の圧倒的な戦力の悪条件のなかで死兵と化し激しく抵抗し、米英の戦艦を計三隻を沈めるなど傷ついた戦艦としては尋常では戦果を挙げた。
「まるで羅刹のようであった」
運良く生き残った駆逐艦『早波』の乗組員はそう語る。
「傷ついて全力を出せない戦艦二隻に戦艦三隻も沈められる光景は悪夢を見る気分であった」
残敵掃討で無駄で無意味な損害を出したと非難されることになった米海軍指揮官はそう後述した。
衆寡敵せず。最終的には駆逐艦の雷撃が致命傷となり沈没するが、最後の戦いでの抵抗が沖縄沖海戦での戦艦《大和》の奮戦と重なっており、後世での高い人気の要因となっていた。
羅刹、修羅と評された彼女は終焉の地であるマニラ湾の底で静かに眠っている。
◇
声が聞こえてくる。
――――タスケテクレ。
――――シニタクナイ。
絶叫が。
――――カアサン。
――――〇〇、〇〇。
断末魔が。
感じる。
――――(……)
声にならなかった想いが。
次第に声は明瞭なものとなり、感じる想いも強くなってくる。
――――帰りたかった。
鼓膜が破けそうな位の大きな声、胸が張り裂けそうな強い想いに耐えきれなくなった
「いやあああ」
喉が枯れるまで続けた。
痛くなってせき込んでしまう。すると、痰だけではなく水も口から吐き出した。潮の匂いがしたどうやら海水のようだ。
海水?
私の鼻が濃密な周囲に潮の香りが漂っていることに気づく。
そうなって初めて私が海にいることを、海面に座っていることを認識した。
「えっ、嘘!!」
沈む沈むと慌ててふためくが、いつまでたっても海に吸い込まれないことに少しばかり落ち着きを取り戻す。
「何がどうなっているの?」
訳も分からなかった。私は困惑してしまう。周囲は見渡す限りの大海原だ。陸地は一つも見えなかった。ここはどこなのか全然分からない。
「……」
意を決した私は立ち上がった。ちょっとフラフラしたがすぐにバランスが取れた。
周囲を見渡してみた。
高さが変わったせいなのか、座ったときと立ったときで見える世界が違うように見えた。
「なにこれ……」
二本の日本刀が腰に差してあった。左右を見ると大きな物体が存在していた。それは何なのか? 私はなぜか分かってしまう。
「四六センチ連装砲、一四センチ単装砲」
何でこんなものが自分の体に固定されているのだろうか? そんな疑問が脳裏に過った。
すると――ある疑問が浮かび上がる。
私の名前は何だろうか?
考える。すぐに自分の名前が出た。
「穂高……」
そう呟いた瞬間、ひとい頭痛がした。
頭の中に膨大な情報が流れ込む。私に固定されているものからそれが流れ込んでいる気がした。
物言わぬ軍艦であった頃の記録が浮かび上がる。
最初は疑問が湧き上がっていたが、次第に自分のものとして受け止めるようになっていた。
「思い出した……」
頭痛が落ち着いたとき、私は無意識に呟いていた。
「私は死んでいるんだ」
マニラ湾にて、第二艦隊の生き残りたちと共に敵艦隊と一戦交え、最後に沈んだのを思い出す。
じゃあ、ここはどこ、あの世なのか?
違う。鉄の塊であった頃と違う生き物として生きている温もりがあった。死んではいない、生きている。
何がどうやら、本当に訳が分からなくなった私は空を見上げる。
憎々しい程の青空であった。
私はため息をついた。
戦艦『穂高』の人生は終わり、戦艦娘『穂高』の物語が新たに始まる。