「……」
執務室にて軍服を着た男性が書類仕事に追われていた。
彼の目の前には、世界最高峰の山であるエベレストか非情の山と呼ばれるK2を連想させる程の書類の山が二つ形成されていた。それは報告書や許可証などの一つ一つが薄い紙で構成される書類の塊だ。なので一つもいい加減に見ることはできない。
素早く丁寧に一見すると矛盾した動作を慣れた手つきで行い、書類を次々と処理していく。
そのためか、みるみるうちに書類の山が縮んでいった。
「ふうぅ……やっと終わった」
タウイタウイ泊地に置かれているタウイタウイ鎮守府の提督である
だが、その喜びは一瞬のうちであった。ふと目に入った一枚の報告書によって顔が引き締められたのだ。
それは、『日本近海侵攻の根拠地となっていたマリアナ諸島が奪還されたのにも関わらず、深海棲艦の活動に衰えは一切見えない。各鎮守府はマリアナ奪還戦の同時期に行われた東京強襲のように、パ号作戦実行中の隙を突いた鎮守府や大規模な通商破壊に警戒するように』という内容であった。
突如現れた深海棲艦との戦争は、今現在勝っているのか負けているのか分からない戦況であった。
確かに日本国防軍は日本海を除いた日本周辺の海域の制海権を失っていた苦しい状況から何とか立て直し、二〇年以上もかけて黄海、東シナ海、南シナ海、フィリピン海、スール海、セレベス海、ジャワ海、深海棲艦の手から解放した。深海棲艦の海上と空路封鎖による苦しい時代を知っている者たちはそれは奇跡と呼んでいるようだ。確かに当事者の一人であった音無も全くの同感であった。
しかし、日本はこの膨大な区域の維持はかつての大日本帝国と同じく苦心しているのが現状だ。戦力が広範囲に分散されたことにより警戒が薄くなったことで深海棲艦艦の根拠地が作られてしまった。それは人類側の優勢が薄氷の上に立っていることを示しており、最近の快進撃に浮かれ上がっていた軍上層部に冷や水をかけた。
「今のところ孤立しているパ号目標攻略に躍起となっているなかで、本拠地の攻略なんて夢のまた夢なんだ。中東や南方の資源地帯とのシーレーンが回復したんだ、今は国力を充実させて戦力を整って現状を維持できる体制を作り上げないといけないんだ、それなのに本国の政治家のど阿呆とマスコミのめくらと外務省の頭でっかちとアメリカの引きこもり野郎は……」
どこかの口の悪い艦娘たちからは、『ほんと私以上に口悪いわね。いくら私でもこんな悪口のオンパレードは言えない』と評され、『毒吐き』、『悪口製造提督』と周りから呼ばれている晃は、顔を大いに歪めて時流を読めない連中を密かに罵倒する。
イライラが募り、手元にあるタバコ一本に火をつけて深々と吸う。肺の臓はニコチンが大量に含まれているタバコの煙に満たされていく。久々であった。今は戦場となっているパシー海峡に赴いている秘書艦の大鳳がタバコ嫌いでまた自分の健康を気遣って喫煙はやめろと散々うるさかったため吸えないでいたのだ。
重度のヘビースモーカーであった彼にとって禁煙の日々は逆にストレスが溜まるだけであった。しかし、大鳳が善意で言っている手前強く言うことはできないでいた。今は密かに持っていたタバコの箱を全部燃やした鬼がいないので自由気ままに吸うことができる。
「命の洗濯というやつだな」
そう言って顔を緩めていると、ドアを三回ノックする音が耳朶に入る。
誰だ? と問いかけると、若い男性の特有の生気溢れた張りのある声が聞こえてきた。
「提督、今よろしいでしょうか?」
この声は聞き覚えのあるものであった。提督となるための最終試験を彼の下で行っている提督候補生の
「蓮候補生か、やっと書類の処分を終えてちょうど一息ついていた頃だ。入れ!!」
非の打ち所がない敬礼を敬礼を行いながら晃を直視する。
目を細めて蓮を見る。睨まれていると勘違いしそうな視線に何も変化がない。実にかわいげがない。彼は堅物である。感情を露わにしたのを一度しか見たことがない。
「午前の分の書類の回収と、報告を持ってきました」
相変わらずの堅い口調であった。淡々と仕事をこなしている感じがする。面白味など全くなかった。
全く、少し前にキツク言ってのに一見すると何も変わっていない。それでは合格を出すことはできないぞ、分かっているのか? と内心で呟いた。
提督という仕事は淡々、黙々とこなしていればできる仕事ではない。それだけでは足りないのだ。難関である最終試験しかも最終段階まで生き残っていることや仕事ぶりからして優秀なのは間違いない。ただ提督として必要なものが一つ欠けている気がした。それを得るのには、まだ他人に心を開き切っていないなと思う。
心の中では他人には想像できない位に葛藤しているのかもしれないが、時間はさほど残されていない。
まったく難儀な奴だと内心でため息をついていると、連が問いかけてきた。
「……提督、タバコを吸っていたのですか?」
「そうだが、それが一体どうしたのだ?」
嫌な予感が猛烈にした。大鳳の奴め。上司であるあいつに一体何を吹き込まれた? と思った。
「大鳳秘書艦の申し入れで、そのことを報告しなければなりませんが、よろしいのでしょうか?」
あいつめと、タウイタウイの女神、特高かケシュタボかと突っ込まずにはいられない。
「その問いはどんな意味だ? それになぜ言った?」
ある違和感に気づいて連に問いかける。黙っていれば表ざたにはならなかった筈だ。なのによろしいでしょうかと問いかけてきた。それが非常に気になった。
「いずれ私がボロを出すと思いまして早めに話しました」
「……」
ちょっと変化が見られた。少し前までだったらこんな正直に話さない。言ったことは無駄ではなかったことに安堵する。
(馬鹿正直な奴だ)
密かに苦笑した。
「まあいい……何があった?」
「前線輸送任務に就いていたパタ号輸送隊が帰還したのですが、ある“拾い物”と一緒に戻ってきました」
「拾い物?
「正確には後者の方のようです。新しい艦娘をドロップしたようです」
「ほう。珍しい」
晃は驚きの声を漏らす。
近年はドロップする頻度は低くなっており、一年に〇件というのもありきたりなものになっていた。なぜそうなってきているのか、戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦、海防艦、水雷艇、水上機母艦、輸送艦、補給艦、給油艦、工作艦など古の帝国海軍が保有していた艦艇全てを建造やドロップなどで入手していることが関係しているのではないかと言われているが、ドロップの原理が殆ど解明されていない以上はよくは分からない。それに加えてドロップする艦娘にも変化が見られるのだが、特に何も言えなかった。
「パタ号輸送隊旗艦『志賀』からそれについて報告書が挙げられました」
「戻ってからすぐに作ったようだな。相変わらず上の姉に似て真面目な奴だ」
それに過酷な海上護衛任務で培ったのか志賀は強い。彼女は今回の輸送任務中の行きと帰りで遭遇した駆逐イ級計五隻を沈めている。流石は帝国海軍艦艇のなかで最後まで生き残っただけはあった。彼女の上の姉たちも、東京湾の海戦にて対深海棲艦用弾薬を搭載した無反動砲を撃ち近接武器を振り回して深海棲艦と戦っており、一歩も引かず類まれなる戦果を挙げる程の実力を持っている。
この戦闘力の高さは前世の経歴が関係するのだろうか? ふとそんなことを思いながら報告書を読む。
「戦艦……穂高……このような戦艦が帝国海軍に存在していたのは記録にないぞ」
名前と艦のクラス、基本情報とも言えるそれを志賀はこの艦娘に付いていた妖精との会話などで得られたものと報告している。それが逆に困惑させる。帝国海軍には穂高の名を持つ軍艦、戦艦は存在しないのだ。微かな情報という明かりがこの艦娘の正体不明という影をクッキリと映し出していた。
「はい。念のためデータベースを漁ってみましたが存在していませんでした」
「ただ気になることが……」
「これのことか? 四六センチ連装砲か……三連装砲は存在するが」
「はい。その連装砲は帝国海軍を始めとして当時の海軍では見られないものです」
唯一の四六センチ砲搭載している大和級は連装ではなく三連装である。連装の四六センチ砲も存在していない。
ただ、晃には四六センチ砲が謎を解明する一つのパズルのピースのように思えた。実際に建造された艦に範囲を狭めるのではなく、計画だけに終わった艦にも視線を向ければ……。
確かに存在する。しかし、それは計画で終わり実際には建造されたことはなかった筈だ。
まさか? 勘が晃にあることをささやいた。
到底信じられなかった。ある報告書の内容は本当だったのか? と軽く混乱してしまう。
(結論を出すのはまだ早すぎる)
話を切り替えることにする。
「情報は少ない。詮索するのは後だ。この艦娘の容態はどうなっている?」
「医務室で眠っています。見立てでは肉体的精神的な疲労でとうぶんは目覚めないと」
「……そうか」
彼女の口から情報を得るのは難しいようだ。少しばかり残念な気がするがこればかりは仕方ない。何せ主砲が一つ使用不能のなかで単艦で深海棲艦の群れを砲撃や斬撃で殲滅したのだから疲労はそれなりのものだろう。まあ、この事態は緊急を要するものではないので、この件に関してはじっくりと腰を据えて全容を解明することにした。今のところは……。
「分かった。この艦娘いや穂高が意識を取り戻したらすぐに報告してくれ。あと」
「はい?」
連は首をかしげた。
「君に、穂高の世話を一任する。通常の職務に支障がない範囲で実行してくれ」
「へっ。世話ですか……」
呆けた連の声に、やっといつもの澄ました顔に罅を生やすことができたとしてやったりと喜ぶ。そして、無理やり作ったこの繋がりが彼に何かしらの良い変化をもたらせばいいのだがと軽く祈る。
「よいな」
「はっ」
何とも言えない複雑な表情をして連は退出した。
「……」
再び一人となった晃はひとりごちる。
「……一体何が起きているんだ、この世界は?」
報告書の山からある報告書を引っ張り出した。
それには、『最近頻発している、史実では存在しなかった艦娘のドロップについて』という簡潔で解かりやすい題名がつづられていた。
「ドロップ自体が減っているなかで、工作艦『三原』『桃取』、巡洋艦『生駒』、戦艦『紀伊』『高知』……史実では計画で終わったり、それどころか元々存在していない艦のドロップが増えて、今では全てになりつつあるな。彼女たちの証言は……」
信じられないと表情を浮かべながら、まるで念仏を唱えているかのように呟いていた。
「並行世界か、異なった流れを経ているが、ただ一つ共通しているな」
晃は何かを確信した目となっていた。
「太平洋戦争で負けている。日本が、彼女はどの世界の日本なんだろうな?」
室内が恐ろしい程に沈黙していた。