偏差値が(ちょっと)高め。
生存報告代わりに近況報告的な短編を投げました。
食べたかったんです。この気持ちに、嘘偽りはありません。
頬をひやりと撫でて、ホームの向こう側へと吹き抜けていく風は冷たかった。
首もとに巻いたマフラーへ口を埋めて、うう、と小さく呻き声をあげる。
屋根の縁に覗くのは、チカチカと一等星の瞬く暗い夜空だ。
一月も末、世の大学受験生の多くは、悲喜こもごものセンター試験を終え、二次試験へ向けた対策にいそしんでいる。
学校はすでに特別時間割に編成されて、高校三年生は自由登校の期間に入った。
これから卒業式まで、学校が決めた登校日以外は出席もとられず、休んでしまっても良い。
推薦で大学を通った奴らはバイトや車免取得にいそしみ、これから受験を迎える俺たちは好きな場所で好きなように勉強する。
個人的には、学校に行って勉強する方が集中できるから、今日も真面目に登校したわけではあるけれど、こうも肌寒いと家の中に籠もってしまいたくなる。
しかしながら、受験生にとって不規則な生活リズムは大敵、三年間続けてきた習慣を崩すよりも、いつも通りに過ごして、平常心で受験を迎えたい。
指をしおり代わりに閉じた英単語帳は、一ヶ月という長い期間を闘って覚えきった相棒だ。
英語を始め、センター直前で必死に詰め込みまくった知識の多くが役に立ち、総合点で九割を取ることが出来た。
短期間に集中して勉強するのは得意ではないけれども、奇跡的なモチベーションを保つことに成功したおかげである。
だが、センターを終えて早二週間が過ぎた今、受験期特有の高い意識とモチベーションが落ち込んできていることを自覚せずにはいられなかった。
「ふぅ…………」
マフラーの編み目から漏れ出した白い吐息が、風に乗って白い照明の光の中へと立ち上って消えた。
息を吐いても胸から出て行かない、ぐにゃぐにゃとした靄のようなものが、単語帳を開こうとする意志を巻き取って沈めていく。
左手首につけた腕時計にチラリと目をやると、時刻は午後八時を過ぎたところ。
この帰宅ラッシュの時間帯に三十分待ちを強要するなんて、一体どこの田舎だと言いたいが、残念、ここは一応都内。
たった一日で千六百万人が移動する首都圏の大交通路のど真ん中、日本の中心、東京都である。
東京の端っこの、畑が広がる地区ではあるが。
▼ △ ▼ △ ▼ △
「ただいまー…………」
返事がないと分かってはいるけれども、暗い家の中へ帰宅を告げた。
一つも靴が並んでいない玄関、小学生の頃から同じ光景を見ているせいで何とも感じないが、この先の人生もずっと同じように続いていくのだろうかと、薄ら寒い思いを抱きながらコートを脱いだ。
シンと静まり返った家の廊下に一つだけ明かりを灯して、階段をゆっくり上っていく──踏み外してスベるのは御免被る──。
自分の部屋に入っても、気温は相変わらず低いままだ。
人気のない家は、夏に暑く冬に寒く、どうにももの悲しい。
外より幾分かマシなのだろうが、やはり芯に届く寒さを感じさせる空気をどうにかしようと、手探りでエアコンのリモコンを探して、暖房を付けた。
ウンウンと唸るモーターの音を聞きながら、パチリと部屋の電気を付けようとして、ふと、ナオはもう家にいるのだろうかと、窓の外へ視線をやった。
隣の家の二階部屋の窓から漏れる明かりに、ああ、塾は終わったのかと察する。
家隣の幼なじみである
小・中・高、合わせて十二年間も同じクラスに所属した、奇跡的な同級生でもある。
中学、高校での部活は、共にバドミントン部に入った。
せっかくの上背をバレーに生かさないのはもったいないとも思ったが、ショットの練習に相手を必要とする競技の性質上、部活がオフの日でも練習に付き合ってくれるナオはありがたかった。
受験に極力金をかけたくない俺とは違って、ナオは塾の直前講習に申し込んでいるため、ここ数日は登下校を別にしている。
ドサリと肩掛けのバッグを床において、ベッドに身を投げ出した。
明日は高校入試の関係で在学生は学校に入れない。
自宅学習の予定を頭の中で立てていると、全身の疲労を強く感じて、ベッドから起き上がれなくなる前に身を起こした。
ああ、風呂を沸かせて、洗濯物入れて、適当に飯食って、寝るのはそれからだ。
ナオもこんな風に疲れ切っているのかも知れないと、そんなことを思った。
アイツは根がまじめだから成績は良い方だし、受験にも抜かりはないのだろう。
無茶をしていないか、少しだけ心配だ。LINEでも入れておこう。
学校に来ている同級生たちも、目の色を変えて勉強しているし、高三の夏まで一緒に遊び回った悪友達でさえ、疲労を見せながらも一生懸命机にかじり付いている。
面倒臭いなぁと思いつつ、隣の家の、空になったベランダを眺めて、すぐに、脳裏に洗濯物の風景を鮮やかに、それは鮮明に思い出した。
風に揺れてヒラヒラと舞う白いYシャツ、綺麗好きのナオらしい、見覚えのある何枚かの清潔なタオル、これ見よがしに干された男物のパンツ──恐らくおじさんの──。
それから。
バスタオルの陰に吊された、
もちろん、紐パンだとか黒レースだとか、そういった淫靡な類のものではない。
正真正銘フルバックのショーツ、純潔の少女がその身に纏いし天の羽衣である。
「────ふぅ」
思わず漏れた吐息は、ホームで吐いたときよりも、幾分かの熱を持っている。
自己嫌悪に陥るべきその認識さえも、今は些末ごとだ。
ショーツとでも言うべきだろうか、否、あれはまさしく尊きパンツであった。
ニューロン・ネットワークが夢も
少女から大人へと移りゆく過渡期、あと二ヶ月で終わる“JK”の期間、その最後まで清純さと純粋さを保ち続けるであろう少女が身につける、白地のパンツ。
部活を引退してしまってから、家に早く帰ってくるようになった毎日の中で、ふと目にしてしまった洗濯物のパンツ。
隣の家の、秋風に合わせて揺れる洗濯物達の中に、チラリと見えてしまったパンツ。
古典文学で言うところの『垣間見る』とは、まさにこのことであったのだ。
それは、静謐満ちた清流の谷間で沐浴を行う、穢れなき少女を前にしたときのような、性の衝動すら忘れる硬骨の感動であった。
或いは、どこまでも広がる青空の中で、一人白き羽を広げて自由に舞う天使に出会ったときのような、人生最高の出逢いの瞬間であった。
黄土色の砂がどこまでも紡ぐ砂漠の景色の中で見つけたオアシスであり、箱庭の楽園で見つけてしまった禁忌の果実である。
様々な解釈の入り乱れる歴史を、ありのままの目であるがままに見たときの感動に通じる何かが、この胸に刻まれ、ジクジクと疼き続けている。
水色の水玉模様が入っていたこともあった。
臀部の布地に何か──文字のようなもの──が印刷されていた時もあった。
黒白のストライプの時もあったし、青白の横縞の時もあった。
ショーツの前面にピンク色のリボンがちょこんと飾られた、愛おしいほどに美しい意匠の日もあった。
最後に確認した三日前までで、十二枚のパンツを確認し、うち二枚は既に捨てられ──恐らく先月末の大掃除の時だと推測している──、一枚だけ穿く頻度の低いパンツが存在する。
恐らく一番お気に入りのパンツなのではないか、うっすらピンク色の布地に小さなリボンを飾ったあのパンツだ。
恋愛事情に全く興味を示さないナオに限って、勝負下着である可能性は低い、お気に入りのパンツであると結論づけられる。
物置の奥に眠っていた双眼鏡を引っ張り出してきて、道行く人に、或いは隣の家の住人に、ナオに、誰にも見つからないように、カーテンを引いて、あくまで紳士的に、隙間から突きだした双眼鏡を覗き込んで観察した。
ナオは百七十と女子の中では比較的に背が高く、スラリとした体型だから、大人らしい体つきの──うちの母親と同じくらいに年齢を重ねている──おばさんとは下着の種類や大きさが違うだろう。
あれらは、この目に収めてきた数々のパンツは、間違いなくナオのものだ。
小さめの尻を包んでいたであろうパンツ。
長い脚の付け根を守っていたのであろうパンツ。
柄は違えど、ナオのほっそりとした脚を通す穴、僅かに皺の寄った股布、何よりナオが穿いたことによる雰囲気と、空気中に拡散されて漂ってきた、ナオの分泌物の甘酸っぱい香りとが、俺の心を鷲掴みにする。
「ふわぁ……」と
俺は違った。一緒になって欠伸をした。
修学旅行の夜更かしで、ルームメイト達は口をそろえてナオの性的な魅力を認めた。
俺は違った。どうしても、ガキの頃の印象から抜け出すことは出来なかった。
最後の大会、個人戦シングルスの試合で、デュースの末に負けて、帰りの電車で静かに涙をこぼしたナオは、純粋に格好良かった。
俺よりも、誰よりも格好良いと思った。
おっぱいに触りたいとか、セックスしたいとか、付き合いたいとか突き合いたいとか、そういう下世話な欲望を彼女に対して抱いたことは一度もないと、胸を張ってそう言える。
ナオは、俺にとって最高の友達であり、無二の親友であり続け、俺も彼女にそう思ってもらえるようにいたつもりだ。
或いは、同性の友達よりも心理的に親しく、世の全ての女性よりも性的に意識しがたい存在だった。
性欲など、そこには介在し得なかった。
男女の隔てなく、純粋に友達として笑い合い、泣き合うことの出来る存在。
それが、たった一枚の
あの日、風に揺れる布々の隙間から垣間見してしまったパンツが、全てを変えてしまった。
スポーツ少女らしく無邪気に笑うナオの、丸みを帯びたスカートのヒップに目を惹かれた。
部活ジャージでストレッチするナオの、浮いた下着の線から目を離せなくなった。
顔をのぞき込んでくるナオの茶色の瞳に、視線が吸い寄せられるようになった。
電車のシートでうとうととするナオの横顔に見とれて、乗り過ごすことさえ起こるようになった。
彼女のことを、生まれて初めて異性として意識するようになった。
全ては一枚のパンツから始まった。
彼女に不埒な欲望をぶつけたいわけではない。それだけは確かなことだ。
中学の頃にも、高校に上がってからも、窓越しに部屋の向こうで着替えるナオの下着姿を何回も見たし、何なら不慮の事故で扉を開けた先にガッツリ見てしまったことも、もちろん見られたこともある。
けれど、お互いに大して意識しあう事もなく、騒ぎ立てることもなく、「あ、ゴメン」で済むような事だったし、あれらの記憶に対して、俺は一切の興奮を覚えない。
ナオは確かに、魅力的な女の子であった。
あのパンツを見てしまった日から、そのことを強く意識させられてきた。
けれど、ナオに対して直接的に欲情したり、セックス願望を持ったことは一度もない。
ナオのパンツを見てしまってから、俺はどうしようもないパンツへの憧憬に取り憑かれてしまった。
下着を盗んでしまう空き巣に対して、今まで抱いたこともないような同情の念と、それ以上の侮蔑を覚えるようになった。
受験勉強は良い息抜きだった。
ペンを動かし、単語帳に目を通している間は、パンツのことを忘れられる。
けれど、最近は脳みそを純白に染め上げるナオのパンツのせいで、気もそぞろである。
何度も目撃したナオのパンツを何十回、何百回と思い浮かべても、下腹部にたぎる熱さは変わらず蘇ってきた。
最近はナオのパンツのことを考えながら空間ベクトルを処理したり、ソラで思い浮かべたパンツを模写しながら英作文を書き上げたりさえしている。
スマホで調べてみれば、どうやらパンツ、ショーツ、女性の下着類は、合成繊維で出来ていることが多いようだ。
綿百パーセントで作られているのであれば、セルロースがパンツの構成物質だ、つまり、野菜と言うことになる。
合成繊維、例えばナイロン百パーセントだとか、ポリエステル百パーセントだとかで作られているのであれば、ε-カプロラクタムの開環重合か、アジピン酸とヘキサメチレンジアミンの縮合重合、ポリビニルアルコールと無水酢酸の反応によって生成されるもの、即ち有機物であり、天然高分子化合物であるデンプンやセルロースなど、単糖類の重合を多く含む米と何ら変わらない、即ちご飯と言うことになる。
したがって、ナオのパンツは、生物学的に食べることが出来るのだ。
ごくごく一般的な教養を修めた理系男子高校生にとって、ナオのパンツは食べられるものでしかない。
食べられるのであれば、パンツを食べたい。
それが、ナオのパンツであるのならば、尚更のこと食べたいのだ。
膣分泌物、汗、ナオの生の匂い、それら全てを凝縮し、ナオの一番大切な場所を守り通す穢れなきパンツ。
ナオのことを、ナオのパンツのことを想うだけて、天にも昇るような快感を覚えるのだ。
「────ああ」
ナオに送ったLINEの返信は、二十二時五分。
『うん、明日は暇。一日中家ー。お母さん明日仕事だから、お昼作りにきてー。そのあと、一緒にベンキョーしよー』
幼なじみに対して抱く感情としては、酷く倒錯してしまったものだという自覚がある。
罪悪感がないと言えば嘘になるし、ナオのことをそう言った目で見てしまう自分はこの上なく嫌いだ。
けれど、ごちゃ混ぜになる心の渦の中で、たった一つ、揺るぎない思いがある。
ナオのパンツを、食べたいのだ。
ぶっかけたいだとか、舐めたいだとか、そういう感情ではない。
ただ、食べたい。
もし明日俺が死ぬとして、十八年の人生を振り返って纏めるとしたら、きっと、色々な思いが過ぎった後で、『ナオのパンツを食べたい人生だった』と締めくくるだろう。
これは、純粋な願いなんだ。
俺はただ、ナオのパンツを食べたい。
ただ、それだけのことなんだ。
ああ…………(賢者)