真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷

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35:蜀/歪でも暖かなカタチ③

 吐いた溜め息がきっかけになったのか、隣に座る朱里がおどおどしながら「え……えぇ……? か、帰っちゃう……んですか?」と訊いてくる。俺はその言葉をまっすぐに受け止めて、きちんと理由を話していく。ここで濁したまま帰る気には、さすがになれなかったから。

 

「元々は学校について相談するために呼ばれた俺だし、教えられることは全部教えることが出来たって思ってる。最近は俺が見てなくても回転するようになってるし、そりゃあ今日覗いてみたら考えちゃう場面もいくつかあったけど───うん」

 

 ポフリと帽子の上から朱里の頭を撫でながら、言葉を紡ぐ。

 華琳にはさっさと行ってさっさと帰ってきなさいと言われたが、べつにそれだけが理由ってわけじゃない。

 帰りたいと思うことはよくありはした。それは事実だ。でも、心残りを残したまま帰るのは違う気がしたのだ。

 むしろ半端な仕事のまま帰れば、彼女はきっと怒るだろう。そうならないためにも、少しずつ回転が安定するのを待った。

 そうしてこういった機会が回ってきたわけだが───それでも少し早いと思うのは、自分が甘いからなんだろうか。

 出来ることならずっと見守っていたいとか、そんなふうに思ってしまう自分が居ることは否定出来ない。

 

「天についての授業は頭の回転に刺激を与えるだけのものだし、今一生懸命に字や農学を学んでる生徒のみんなには、どっちかっていうと必要じゃないものなんだ。それが必要になるのは、逆に学校で学ぶことが少なくなってから。今はじっくりと字や農学のことを学ぶのを優先するべきだ。そしてそれは、俺じゃなくても教えられることだろ?」

「はわ……」

「べつに蜀のなにが嫌いになった~とか、そんな理由で出て行くわけじゃないんだ。時間がとれたらまた来たいし、何も明日すぐに出て行くわけじゃないよ」

「……本当、ですか?」

「ん、もちろん」

 

 撫でられるままに上目遣いの質問。

 それに笑顔で頷くと、ようやく不安げだった朱里の顔に笑顔が戻った───途端、こてりとその体が俺へと倒れてくる。

 ……見れば、くーすーと寝息を立てる朱里さん。

 もしかして、眠かったのをずっと我慢してた?

 桃香や雛里に続いて、自分まで眠ったら悪いって思ってたのかな。……ん、違ってたとしても、ありがとうは届けられる。

 言葉にはせずに頭を撫でて、せめて枕代わりにでもなろうと、寄りかかられるままに苦笑した。

 そんな俺を見て、俺の正面に座る詠が“やれやれ”って顔で朱里を見ながら口を開く。

 

「はぁ……急と言えば急で、遅かったといえば遅かったくらいの切り出しだけど。べつに今日いきなり思いついたってわけじゃないんでしょ?」

「ああ。学校って場所の回転が安定化したら言おうとは思ってたんだ。だからここ最近は、自分の授業の数を減らしてみんなの様子を見てたんだけど───」

「あーはいはい、わかってるわよ。心配事が多すぎるっていうんでしょ?」

「へ? どうして……」

「ここの将が一を教えたら十を学んでくれたなら、ボクら軍師はもっと楽が出来たわよ」

 

 そんな言葉を口にする詠サンは、どこか影が差した憂い顔で……どことも知らぬ虚空を眺めていた。

 ご愁傷さまです。そしてやっぱり軍師は偉大だ。

 

「ま、まあ……いいんじゃない? 時々客だってことを忘れるくらいに溶け込んでたけど、事実は客なんだし。むしろ客だってことを忘れる理由の大半が、こなした仕事の量だったわけだし……なのにうちの将ときたら、隙があればサボったり買い食いしたり」

「………」

 

 すいません、少し耳が痛いです。

 以前、買い食いやサボリばっかりしててすいませんでした、華琳さん。

 

「そ、そっか? 世話になってるんだからって、手伝えることを手伝っただけなんだけどな……そっか。そう言ってもらえると、慣れないことに頭を働かせた甲斐もあったよ」

「“慣れないこと”できっちり教えられるほうがどうかしてるわよ。で? 出発はいつ頃にするつもりなの?」

 

 ……どうしてかじとりとした目で睨みながらの言葉。

 いつ頃……いつ頃か。

 

「一週間くらいは取りたいって思ってる。それこそ今言って明日帰るつもりはないし、一度じっくりと蜀って国を見て回りたい」

「そういえば……来て早々にどたばたしていましたね」

 

 どこかお疲れ様ですって言葉を混ぜた声で、月が言ってくれる。

 そうなんだよな……どたばたばっかりで、ゆっくりと街を見て回る余裕がなかった。

 そりゃあ、用事にかこつけて街の人との交流はちくちくと重ねていた。……が、子供の相手や、店の主人との世話話、魏や呉から来た商人との話ばっかりで、結局は時間を潰しては行くことの出来なかった場所だけが増えた。

 麒麟もじっくり洗ってやりたいし、弓の練習もしたい。

 魏延さんとも一度じっくり話し合いたいし、メンマ園にも……俺だとわからないように変装でもして、もう一度くらいは行ってみたい。

 結構な時間が経ってるし、今さらバレたりはしないだろう。……バレたらいろいろと大変そうだ。

 

「あ、もちろん仕事は今まで通りやるし、魏に帰るまでに気になることがあったら、どんどん訊いてほしいっていうのはあるから。……むしろ、最近朱里と雛里以外しか質問してくれなくなって、寂しいなぁとか思ってたりしたし」

「……そうやって頻繁に訊ねられてる理由、わかってて言ってる?」

「へ? わからないことがあるとか、相談したいことがあるから……じゃないのか?」

「……はぁ」

 

 あれ? た、溜め息? 何故?

 しかもその溜め息の仕方、思春がよくしているものに似ている気がするんですが?

 

「いいわよ、好きにすれば? むしろその一週間でやりたいことやってなさいよ。元々あんたは桃香が学校についてを相談するために呼ばれたんだし、執務まで手伝う理由はないわよ」

「や、けどさ」

「けどじゃない。“世話になってるんだから当然”なんて言葉、もうこっちが返したいくらいよ。桃香も以前より取り組む姿勢が良くなったし……まあこれは見栄を張りたいだけだろうけど。朱里や雛里も、他の将だって頑張ってるところをよく目にするようになったし……まあサボる時は平然とサボってるのが腹立たしいけど。だからね、むしろその一週間はありがたいくらいなの。わかった?」

「全然さっぱりわかりません」

「ちょっとは考えてから言えぇっ!! 馬鹿なの!? あんた馬鹿なの!?」

「ごめんなさい冗談ですなんとなく予想はつきましたっ!」

 

 ぶちぶちと愚痴っぽくなってきてたから、宥める意味も込めての冗談……だったんだが、かえって状況を悪化させただけだった。

 

「えと、つまり……その一週間はあまり仕事を手伝うなってことで……いいんだよな?」

「ふんだ、わかってるんだったら最初からそう言え、ばか」

 

 ジト目で放たれるそんな言葉に苦笑を返しながら、言葉の意味に頷く。

 手伝ってもらうことに慣れてしまった甘えん坊の王様を、一週間かけて直しましょうということらしい。

 甘えを見せてくれるようになったのはいいことだとは思うんだが、ところ構わず甘えてしまう癖は少しずつ直さないと、後々困ると……そう言いたいのだ。

 それこそいつか、前に俺が思い至ったような“依存”って言葉に後悔するより先に、なんとかしないと……って、さすがに、俺みたいにあそこまで考え込むことにはならないだろうけどさ。

 

「ん。詠がみんなのことを大事に思ってることは、本当によくわかった」

「な、なななっ!?」

「わ……詠ちゃん真っ赤……」

「……赤いな」

「ち、違うわよっ! 大体暗くて顔の赤さなんて……っ! ってそーじゃないっ! いきなりなに言い出してんのよっ!」

 

 すぐ隣に座る月に指摘され、大慌ての詠の言葉を聞きながら思う。慌てた時の詠って、翠に似てるよなー……と。

 

「見栄を張ってるだけとか、堂々とサボるとか、ちゃんと見てないとわからない部分ばっかりだろ。それって詠がきちんとみんなのことを気遣ってる証拠なんじゃないか?」

「別にっ! べ、べつにボクはっ……~……だ、だって仕方ないでしょ? ほうっておけば問題起こすし、無茶するし、ボクや月は侍女の役割も担ってるから嫌でも目に付くことはあるし……」

「そうして見たものをいい方向に持っていく努力をしてなきゃ、多分そういう愚痴はこぼせないと思うけど」

「ふぐっ!? な、ななななんであんたはそう……! してないわよそんなのっ! 戦も終わって兵の指揮をする必要もなくなったし、侍女でしかないボクがそんな───!」

 

 大慌てで否定。

 さっきから否定されてばっかりなのに、その慌てっぷりも赤い顔も、なんというか可愛くて。否定されて嫌な気分が浮かぶよりも、なんというかこう、微笑ましく思えてしまう。

 

「詠はツン子だなぁ」

「ふふふっ、はい、ツン子ですね」

「ゆっ……月ぇえ~……! 月までこんなやつみたいなこと言わないでぇ~……!」

 

 つい口からぽろりと出た言葉を月が拾った。……ら、ひどい言われ様だった。

 でもまあ、これくらいが丁度いいんだと思う。

 気安く出来るくらいが友達の位置としては最高だ。

 そして思春さん、“こんなやつ”って部分に激しく同意するみたいに頷かないでください。

 

「さてと。あんまりここでこうしてると朱里が風邪引いちゃうし、そろそろ戻るな」

「なんだ、もう行くんだ。もうちょっとゆっくりしていってもいいのに」

「……言葉と裏腹に“しっしっ”て動くその手に対して、俺はどう反応すればいいのかな、詠ちゃん」

「ちゃっ───ちゃん付けて呼ぶなぁっ! ボクをそう呼んでいいのは月だけなのっ!」

 

 わあ厳しい。

 でも余裕の笑みがあっさりと赤面の慌て顔になる瞬間は、確かにこの目に焼き付けた。微笑ましい。

 

「はは……桃香からの了承が得られるかは別として、これから一週間よろしくな。蜀を見て回るだけじゃなくて、お互いのことをもっと知れたらいいなとも思ってるから」

「あんたに知られたら月が(けが)れるわよ!」

「穢っ……!?」

「え、詠ちゃんっ、そんなこと言っちゃだめだよぅ……っ」

 

 遠き他国の地に来てまで桂花みたいなこと言われた!

 いやちょっと待て! 俺べつにやましいこととかしてないぞ!?

 そんな、仲良くすると穢れるとか言われるほど……言われ……言わ……───風呂、覗いちゃいましたね。ででででもあれは不可抗力ってやつでっ! いやっ、けどっ……!

 

「ゴメンナサイ……」

「うえっ!? な、なんで急に謝ってるのよ!」

「イヤ……イロイロ考エテタラ、情ケナクナリマシテ……」

 

 人生ってままなりません。

 強くあろうと誓ったあの黄昏の教室の日も今は遠く、辿り着いたこの世界で一体俺は何をしてらっしゃいますか?

 そんなことを、遠い目で虚空を眺めながら思っていると、詠がフリフリのメイド服の端をちょこんと抓み、一言。

 

「……この服の意匠。考えたの、あんたなんでしょ?」

「へ? や……俺が来る前から詠と月ってその服で───って、まさか」

「真相なんて知らないけど、そういうことなんじゃない? 呉にも一人、似たような意匠の服を着ている子が居るし」

「…………あのー。まさかそういった意味で、穢れるだのなんだのって」

(かくま)ってもらってたとはいえ、この名軍師賈駆さまがこんな格好をさせられて、日用品の買出しや掃除やお茶酌(ちゃく)み侍女の真似事までさせられて……。しかもこの服の所為で無駄に視線を集めて恥ずかしいったらなかったわ……!」

 

 ……ア。怒っテらっしゃル。

 口調にどんどんと怒気が混ざっていって、後になればなるほど声が震えて肩が震えて……!

 

「で、でも似合ってるぞ? 可愛いし、たとえ意匠だけが流れて出来たものだとしても、我ながらいい仕事が出来たと思う。な、なぁ、月?」

「はい。詠ちゃん、とっても可愛いよ?」

「うぐっ……そ、そりゃあ、月にそう言ってもらえるなら悪い気はしないけど……───だからってあの羞恥心を忘れたわけじゃないんだからねっ!?」

「………」

 

 あの。それって俺の所為なんでしょうか。

 俺はただ意匠を商人さんに提供しただけであって、作ったのは商人で……あのー……。

 

「なんか償うって言葉を使うのにこんなに戸惑いが生まれるのも珍しいなぁ。……なにかしてほしいこととか、ある? 掻いた恥の分だけ、俺に出来ることなら───」

「そんなの無いわよ」

「え……えぇええ……っ!? いや、じゃっ……じゃあどうしろと!?」

 

 ふん、とそっぽを向いてしまう詠を前に、おろおろするしかない俺が居た。

 あれだけ散々と言葉を投げてきたのに、いざ訊いてみれば無いって……どういった不思議空間?

 そうやっておろおろしていると、小さくくすりと笑った月がフォローしてくれる。

 

「あの、本当に無いんですよ、一刀さん。詠ちゃん、“この服の意匠を考えた人には絶対に文句飛ばしてやる”って、前からずっと言っていたんです」

「……す……っ! ……すごい執念だ……!」

「うっさいっ!」

 

 思わず言葉の途中で息を飲むほどの、深い執念を見た。

 詠は詠で、過ぎたことを執念深く引きずっていたことに多少の恥ずかしさがあったのか、言ってから後悔しているようで……なんかそれっぽいことをぶちぶちと小声で呟いていた。

 しかしまあ……商人さん、いい仕事、しています。一言で言うならグッジョブ。

 俺の趣味満載で、二人によく似合っている。

 ……もちろん口に出したらいろいろと言われそうなので、ここは言わないでおこう。っとと、言っておきながら話し込んでちゃあ、それこそ朱里が風邪引くな。

 

「はは、じゃあ俺はこれで───っと、そうだ」

「? な、なによ」

 

 詠に向けて、円卓を挟んだまま右手を伸ばす。

 彼女は何故かその動作を酷く警戒して、座ったままに後退するような動作を見せ……って、なにやら盛大に誤解されてる?

 

「握手。これからもよろしくって意味で」

「……あんた、そうやって目に映る女全員に甘言振り撒いてるんじゃないでしょうね」

「? 友達にこれからもよろしくって言うの、おかしいか?」

「…………」

 

 で、言葉の途端に警戒が呆れに変わった。

 百面相とまではいかない、警戒から呆れに変わるその瞬間は、その間に百面の変化があっても違和感無しと思えるくらいに凄まじかった。

 

「……ねぇあんた。ほんとに北郷一刀? 今更だけど、噂で聞いた人物像と全然一致しないんだけど」

「噂って? ……って、月? なんでそこで頬染めて俯くの? し、思春さん? どうしてそこで溜め息吐くの!? ねぇ!」

「女と見れば見境無く手を出して、目が合えば穢れて、触れれば妊娠するって」

「けぇえええいふぁぁあああああああああああああっ!!」

 

 もう言葉だけで誰から流れた吹聴なのかがわかってしまった。

 

「ち、違うっ! それ違う! 大体目が合うだけで穢れるとか、そんなことあるわけないだろ!? 触れられたら妊娠とか、ないないないっ! 大体、それが事実だとしたら、魏は天下を取る前に妊婦だらけで戦えもしなかったよ!」

「……あんた、それだけ手を出してるって自覚があるわけね……」

「ぎっ……!? や、それはっ! 違っ……わない、けどっ……でもあの、えっと……!」

 

 今度は俺が大慌てだ。

 そりゃあ、手を出しましたと言えば真実になり、手を出してませんと言えば嘘になる。

 

(でもそれはそのー……なんといいますか。うう……!)

 

 どう言っていいかを見失い、おろおろする俺。

 そんな俺の右手に、きゅむと小さな圧迫感。

 ハッとして視線を移せば、そっぽを向きながらも手を握ってくれている詠の姿。

 

「え……詠?」

「……これで、掻いた恥の分は無しにしてあげるわ。べつにあんたが魏の連中にどれだけ手を出そうが、ボクには関係ないし。ただし月に手を出したらぁああ……!!」

「あっ! 痛っ! や、やめっ……右腕はまだ病み上がりでっ……!」

 

 捻るように腕を引っ張られ、悲鳴をあげる。

 そんな俺を見て可笑しくなったのか、詠は小さく……ほんとに小さくだけど笑みをこぼし、自分でそれに気づいたのかすぐに不機嫌(のような)顔に戻る。

 その横では月が、「もう……素直に笑えばいいのに……」と呟き、詠の顔を赤くさせた。

 

「………」

 

 賑やかな二人の関係を前にして、俺も小さく笑む。

 「なに笑ってるのよっ!」っていきなり怒られたけど、それがまた可笑しくて笑う。

 そうした小さな賑やかさの中で、離れた手を少しだけ残念に思いながら……今度は月に手を差し伸べて───

 

「穢れるって言ってるでしょ!?」

 

 ───怒られた。

 

「だっ……だからそれは誤解だって! たった今握手した詠は穢れてないだろ!?」

「それはあんたがボクを穢すつもりがなかっただけで、本命は月かもしれないでしょ!? ───ハッ!? まさかボクと一番に握手することで油断させておいて、月を穢すつもりなんじゃないでしょうね!」

「自分の言葉に得るものを見たって感じに人を疑うのやめない!? そんなつもりはないからそんなに警戒しないでくれ!」

「なっ……ちょっと! 月に魅力が無いってわけ!?」

「どうしろと!? いや、そりゃ可愛いし魅力的だとは思───」

「本性を現したわねこの変態! それ以上近づくんじゃない!」

「まぁああーっ!? まままま待って待て待て落ち着けぇえええっ!! それこそどうしろと!? ていうかせめて最後まで言わせて!? 言葉の途中で変態扱いとか傷つくから!」

 

 前略華琳様。

 お元気でしょうか……僕は元気とともに慌てています。

 理不尽という言葉がありますね。僕は今、それを体感しているところなのだと思います。

 

「そもそもここで月とだけ握手しなかったら、俺が月を友達として認めてないみたいじゃないか!」

「うぐっ……月を盾にとるなんて、卑怯よ!」

「理不尽な上に卑怯って言われた!?」

 

 体感ついでにショックでした。泣いてもいいでしょうか。

 ……その詠も、直後に月に小さく叱られて、しゅんとしていた。

 

「ごめんなさい一刀さん……詠ちゃんはただ、恥ずかしがってるだけですから」

「はばっ!? 恥ずかしがってなんかっ! どどどうしてこの賈駆様がこんなやつ相手に恥ずかしがる必要がっ……!」

「詠ちゃん」

「うぐっ…………う、ううー……月ぇえ……」

 

 ……どういう力関係なんだろう。

 頭が上がらないとはまた違った意味があるんだろう。

 ぴしゃりと咎められた詠は、一層しゅんとしてしまい、しぶしぶといった感じに俺と月が握手するのを眺めていた。

 

「改めて、これからよろしくな、二人とも」

「……よろしくされてあげるわよ。少なくとも今のやりとりで、頭ごなしに怒鳴り散らしたり傷つけたりするやつじゃないってことの再確認は取れたし」

「再確認だけのために、どれだけ辛辣な言葉投げかけるの詠ちゃん……」

「だからっ! 詠ちゃん言うなっ!!」

 

 でも、そっか。

 そこまでしてまで大事にしたいのが、詠にとっての月なら……認められた上でよろしくって言われたことが、素直に嬉しいって思える。

 “言われた”というか、よろしくされてもらったんだけどさ。

 

 ───そういったやり取りのあとに小さく手を振って、二人と別れた。

 蒸篭は片付けておいてくれると言ってくれた二人に甘え、朱里を抱えて思春とともに歩く。

 そうして、せっかくだからと執務室の奥の部屋へ戻り、大きな寝台に朱里も寝かせたのちに自室へと戻っていく。

 

「あ……明るいって思ったら、今日は満月か。眺めながら酒でも飲みたくなるなぁ。……もっとも、お酒なんて持ってないけど」

「…………」

「思春って酒は強いほう?」

「知らん」

「即答であっさりしていらっしゃる……」

 

 その過程で見上げた空には綺麗な満月。

 かつて華琳を置いて消えてしまった時も、こんな満月の下に居たなと小さく思い、空を見上げながらの溜め息。

 今では自分が消えてしまう心配をすることもなく、ただ一言、明日もいいことがありますようにと小さく願う。

 それが終われば自室に戻り、思春とともに寝台へ潜り、いつまで経っても完全には慣れてはくれない緊張感に包まれながら、今日という日を瞼とともに閉ざした。


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