真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷

108 / 454
38:蜀/友と同士、そして同志。ところにより雷①

幕間/泣かされた子の心

 

-_-/華琳

 

 私室の一角で小さく溜め息が漏れた。

 他の誰でもない、椅子に座りながら、呆れ顔をしているであろう私の溜め息だ。

 何故そんなものを出してしまったのかといえば、原因の一つは……今や魏でも他国でも種馬扱いされているあの男だ。

 ……一つ、どころかほぼがあの男が原因なのだけれど。

 

「大陸の父、ねぇ……」

 

 それだけの器量があるのならば、勝手にしなさいと言いたいところだが……雪蓮といい桃香といい、受け入れやすすぎだと思う。

 桃香はまだしも、雪蓮があそこまで一刀に入れ込むのは少々……いや、普通に意外だ。

 遊びに来るたびに将を口説く姿勢は、一刀のことで相談に来て以来まるで変わっていない。もちろんずっとここに滞在するわけにもいかないから、呉国に戻っているにはいるのだけれど……頻繁に来すぎじゃないかしら。

 干渉しないと言った手前、踏み込んだことは訊けない……むしろ訊く気もないが、それにしたって本当に懲りない。

 そこにきてこの手紙だ……溜め息くらい吐きたくもなる。 

 

「視野を広げたい、出来ることを探したい……その気持ちはわからないでもないわ。けれどね、一刀。それはちょっとやってみて、出来ないようならやめるなんて簡単に言えるものじゃない。それを知った上で言っているの?」

 

 ペラペラとした手紙を、頬杖をついた左手とは逆、右手の人差し指と中指で挟みながら口を開く。当然返事などあるはずもない。

 ……はぁ、と。手紙をゆらゆらと揺らしながら、二度目の溜め息。

 手紙……めも、とやらを切って作られたそれには、“自分はこうしたいんだけど、華琳はどう思う?”といったことが書かれていた。こんなことをわざわざ私に訊くなんて……いつか叱った、計画実行のための根回しのことを気にしているのだろうか。

 そうなのだとしたら、少しばかり訊きすぎだ。

 頼ってくれるのが……まあその、嫌なわけではないけれど。

 こんなことを事ある毎に訊かれたら、せっかく思いも溢れてこなくなったというのにまたもやもやとしてくる。

 

「はぁ……行動の全ての決定権を私に委ねるようでは、先が不安に……」

「でも委ねられなきゃ委ねられないで、怒るんでしょ?」

「っ!? なっ───」

 

 一人きりの私室───だった筈が、いつの間にかその場に居る雪蓮。

 無様なことに、盛大に驚いた私は何よりも冷静になるべきを手放し、ただただ慌ててしまった。慌ててしまったが、すぐにそんな自分を戒めると咳払いを一つ───って。

 

「……なにがおかしいのかしら?」

「だって華琳ってば、慌てた時の反応が蓮華に似てるから」

「………」

 

 けたけたと笑う雪蓮に呆れの視線を送ってやる。

 構わず笑う雪蓮は好きに笑わせてやるとして、問題は私だ。

 いくら私室だからといっても、手紙一枚に意識を持っていかれすぎだ。

 人が部屋に入ってくる音にも気づけないなんて、自分に対して自分こそが呆れる。

 つくづくあの男は私というものを狂わせる……おかげで恥を掻いてしまった。

 

「それで? 将は口説けたのかしら?」

「ああ、全然だめ。こうまで頑固だと笑うしかないかなーって思うわね」

「そう。それは残念だったわね」

「……可笑しそうな顔で言われても嬉しくないわよ。締まりのない顔しちゃって」

「あら。私室でくらい好きな表情をしても、誰にも迷惑はかからないでしょう? むしろ、何処でだって締まりの無い顔をする貴女には言われたくないわね」

 

 意外なことがあるとすれば、それは魏将にも言えたこと。

 一刀を三国共通の財産とする、なんて話を持ち出し、やる気を見せていた雪蓮だけれど、魏将の説得には一度たりとも成功していない。

 そう。

 春蘭や秋蘭は、元より“私が頷くのなら”といった姿勢であり、他の将は口々に拒否。

 意外なことに、あの桂花ですらそれを拒んだのだ。

 ……もっとも、桂花の場合は“共通の財産ではなく、そちらがもらってくれなければ意味がない”といった対応だったけれど。

 まあ、あの娘らしいといえばらしい。理由がつけば追い出せる、とでも思っているのね、まったく。

 

「それで? そんなことを報告しに来たの?」

「違うわよ。なんかここに来るといいことが起こりそうな予感がしたから来たの」

「………」

 

 つくづく思う。

 この女の勘は、“勘”って範疇を越えていないかと。

 隠すものでもなし、溜め息を吐きながら、指で挟んだ手紙を「どうぞ」と促す。

 雪蓮は子供のようなわくわくした顔で手紙を受け取ると、それに目を通し……表情を輝かせると、即座に部屋を飛び出ようと───したところに声をかける。

 

「? なによ」

 

 振り向いた雪蓮は笑顔のままに訊ねてくる。

 我は武器を得たり、といった顔だ……締まりの無い顔なのはどっちなのか、訊いてあげたいくらいだ。

 

「それを持って将の説得に回るつもりなら、勘違いをしないように言っておくわ。書いてあるのは“財産”ではなく“支柱”であることよ」

「ああこれ? 大丈夫よ大丈夫、むしろ大陸の父になるくらいのほうが、支柱には相応しいじゃない。魏の誰かを悲しませてまで受け容れることじゃないって、一刀が言ったんだもん。その一刀自身が支柱になりたいって決心したなら、応援しないとね~♪」

「………」

 

 頭が痛い。

 あのばかは本当に、なんだってこんな時に手紙なんてよこすのよ……。

 

「……はぁ」

 

 考えるだけ無駄だ。

 そもそも私は賛成だった筈だ。私が認めた存在が、くだらない男に抱かれて子を成すくらいならばと。

 だというのに……このすっきりとしない感情が、どうしても溜め息を吐かせる。

 何が気に入らないのか、何がすっきりしないのか。

 ……疑いや恨みがあるわけでもないから、釈然って言葉は適当じゃない。

 ただ……いいえ? 恨みならあるわね。人をこんなにもやもやさせるあの男には。

 

「ところで華琳」

「だから、なによ」

 

 変わらず溜め息を吐く自分に少々の嫌気を抱きながら、心底楽しそうな雪蓮を見やる。

 と、彼女は手紙を見直しながら、私も思っていたことを軽く口にした。

 

「こんな手紙が来るってことはさ。一刀、考えを改めたってことよね?」

「………」

 

 改めた? それはどうだろう。

 確かにこうして、手紙には“支柱になりたい”といったことが書かれている。

 それは“魏が、私が”と言っていた頃の一刀と照らし合わせれば、改めた考えと受け取れるだろう。

 けれど、大陸の父になりたいとは一言も書いていない。

 支柱になろうと、私や雪蓮が思うように、認めた相手を抱くことがないのだとするなら……それは改めたとはいえないのではないだろうか。

 乞われれば断りきれない性格も、真摯な思いには弱いところも、きっと変わっていない。変わっていないが、まあその、もしも、もしもの話だけれど、愛する対象があくまで魏のみだとするのなら、結局のところ私達の思惑通りに事は運ばない。

 

「……? 華琳?」

「その手紙がここに届くまでの間、一刀の中でどれだけ考えが変わったか、ね」

「?」

 

 誰にともなく呟いた私に、彼女はきょとんとした表情を向ける。

 そんな彼女に「なんでもないわ」と言いつつ、助言にもならないだろう言葉を届けた。

 

「雪蓮、恐らくだけど一刀はなにも改めてはいないわ。ただ、視野が広がっただけ。いいえ? 広げようとしているところなんでしょうね」

「視野を? …………あー」

 

 手紙をちらりと見て、少しだけ呆れた顔をする。

 構わずに続ける私に溜め息を吐く雪蓮は、部屋から出ようとしていた体をもう一度こちらへ向けると、人の寝台に腰掛け、ぐぅっと伸びをした。

 

「この手紙を出してから今まで、どれだけの経験を積んだかで、今持っている考え方も違うのでしょうけれどね」

「ああ、そういうこと。視野を広げすぎて、目が回ってないといいけど」

「すぐに思い知るわ。一人で視野を広げようとしたところで、そんな気になっただけで躓くだけだ。そうでしょう? そうなると、支柱になりたいという考えには頷ける部分は多少はあるわ。統率者には向いてないって断言できるもの」

「まあそうね。命令するっていうよりは、“頼む、お願いする”って感じだもの。それなら提案通り、大陸の支柱、父、財産になったほうがまだ同盟に貢献できるし」

 

 まるで物扱いだが、一刀もそれを承知でこんな手紙を出したのだろう。

 自分でも出来ることを探す……やり始めたことは責任を持って最後までやり通す。

 それは、彼がまだ曹の旗に降りたばかりの頃に、私が教えたことだから。

 ……本当に、どんな仕事をすればいいのかもわからずにおろおろしていた男が、随分と大きくなったものだ。この大陸の蒼の下でも……私の中でも。

 

(利用価値があるうちは、ね)

 

 自分でどんどんと利用価値を作ってしまう相手を、どう捨てろというのか。“いつか自分よりも国のために役立つだろうから、斬り捨てる”なんてことは、乱世のうちならばどこぞの心の狭い王が考えたでしょうね。

 なるほど、あの言葉は乱世においては随分と都合のいい言葉だった。利用価値を自分で増やせば、少なくとも死ぬことはないのだから。

 ……もっとも、本人にやる気があればの話だったんでしょうけれど。

 利用価値云々を唱えておきながら、仕事はさぼるわ将には手を出すわ。

 もし私がそれを許容しなかったらどうするつもりだったのかしら。

 

(………)

 

 魏を追い出される一刀を想像してみて、なんだかんだと運が重なり、桃香あたりに拾われている彼の姿が簡単に浮かんできた。

 行き倒れてそのまま死ぬ姿がちっとも浮かんでこないのは、どういうことだろうか。

 もう一度溜め息を吐いてから、にこにこと笑みながら私を見る彼女の目へと視線を戻す。

 

「それで? その手紙を持って、一人一人説得に回る?」

「華琳が皆を呼んで、報せてくれてもいいんだけどね。普通に考えれば手紙一枚のために招集するのは、皆がやっている仕事に対して失礼でしょ」

「そう? ここが自国で、貴女が王なら平気で招集させそうだけど」

「………んふー♪」

「……否定くらいしなさいよ」

 

 わかってるじゃない、って笑顔だけで返された。

 そんな理解が欲しくて国を任せたんじゃないのだけれど。

 まあ、いい。

 

「まあ、華琳もまだ仕事あるみたいだし。私が説得と合わせて報せてくるから」

「恐れ多いことね、まったく」

 

 言いながら、腰を下ろしていた椅子から立ち上がると、焦るわけでもなくゆっくりと歩き───

 

「いーじゃない、反応が面白そうだし───あっ」

 

 彼女の指と指の間でひらひらと揺らされていた手紙をひょいと抜き取り、きちんと折り畳んで……やはり溜め息。

 ……まったく、王であることを自覚しながら、よく言う。

 小間使いでもあるまいし、そんなことを王に任せたら私の人格が疑われるわよ。

 そう考えると、先ほど見送ろうとしていた自分は何をそんなに動揺していたのか。

 ……やはり溜め息が出た。どうかしている。

 

「恋しい?」

「ばっ……!? なっ……ん、んんっ! ……なにがかしら?」

 

 動揺の理由は簡単だった。

 “恋しい?”と問われ、真っ先に浮かぶ顔に腹が立つ。

 けれどここで浮かんだ存在の名前を口にすれば、このにこーと笑う女の思う壺だ。

 たとえ……そう、たとえ、動揺した時点で全てが思う壺であったとしてもだ。

 重ねて見透かされるよりは、まだしらを切るほうが心地良いわよ。

 

「………」

「?」

 

 つくづく上手くいかない。

 弱さを見せたくなどないのに、自分が不安定になるのを抑えきれない。

 自分が弱さを見せた瞬間など、生涯を通してあの月夜の下だけで十分だ。

 だから自分の物語をと立ち上がったのに、一年経って急に戻ってきて、なのに勝手な約束をして他国を回り始めて、まったくあの男は……!

 

「……ふーん」

「…………な、なによ」

 

 いつの間にか、折り畳んだ手紙を見下ろして固まっていた自分に気づく。

 そんな私を見て雪蓮が何を思ったのかなど、正直想像したくもない。

 

「ねぇ。もしもの話なんて今さらだけど……もし戦いの中で、一刀を人質にとったら……私達が勝ってたと思う?」

「それはないわね」

「ん、そうよね」

 

 確かに、今更だ。

 訊ねてきた雪蓮自体が“そうでなくちゃ”とばかりに笑っている。

 人一人の命で躊躇出来るほど、手に入れた今の世は安くない。

 たとえそれが、私達にとってどれだけ大事な人だとしても。

 私達にとってはただの兵の一人だとしても、“待っている者にとっては大事な一人”が何人も死んできた。そんな願いの先にある天下を、人質のために掴まないのは嘘になる。

 だから、訊かれた瞬間に返した。非道だと言われようと、それは譲れないことだ。

 

(………)

 

 けれど、思う。本当にそうなった時、自分がどんな反応をするのか。

 本当に見殺しにする? それとも、他人に殺されるくらいならばと己で弓を引くのか。

 突撃を仕掛けた時点で、人質は意味を為さないのだから殺されるだろう。

 私はそれを……───王だからと涙も流さず見送るのかしら。

 それとも、いつかのように一人になった時にこそ涙するのかしら。

 

「………」

「で? いつまで手紙と睨めっこしてる気?」

「っ、あ、なっ……───……はぁ……」

 

 だめだ。

 自分が保てない自分にこそ溜め息が出る。

 少し落ち着きなさい……と、こうして自分を戒めようとするのも何度目だったかしら。

 数えるのも馬鹿らしいわ。それこそ、さっさと帰ってきなさいと思った回数ほどに。

 

「招集をかけるまでもないわ。報告の時を待って、それぞれの経過、進捗を聞いたあとにでも私が報せるわよ」

「“一刀を大陸の父にする”って?」

「“一刀が支柱になりたいと言っている”……そう言うだけよ。なれるかどうかは一刀自身の問題だもの」

「………」

「……だから。なによ」

 

 寝台に座る彼女の横に立ったままの私を、どこか楽しそうに見上げる雪蓮。

 そして一言。

 

「華琳がそんな調子だから、一刀もああいう性格になっちゃったのかもねー」

「………」

 

 少し意味がわからない。

 なんとなく自分でも引っかかることがあるような気がするものの、それは自分自身で答えとして出したくないような、そんな心境だ。

 

「まあ、華琳がそれでいいっていうなら私もそうするけど。その方が面白そうだし」

 

 心底愉快そうに言いながら、寝台に寝転がり、足をパタパタと揺らす。

 私はそんな姿を一瞥だけすると扉へと歩き、部屋を出た。

 仕事は残っているが、篭りっぱなしではどうにかなってしまいそうだ。

 

「………」

 

 部屋から出て、通路を抜け、蒼の下に立つ。

 そうしてから深く吸い込んだ空気でも、もやもやした気分は払ってはくれなかった。

 いつ以来かしら、こんな嫌な気分。

 一刀が春蘭の部屋を覗いたっていう、あの騒ぎ以来? それとも一刀の膝に季衣が座った時? 人には一切の誘いもなく、霞や警備隊の三人娘と夕飯を食べたことを知った時? それとも…………

 

「………」

 

 やめなさい、馬鹿馬鹿しい。

 さっきから一刀のことばかりじゃない。

 一刀……一刀の………

 

「…………重症ね」

 

 振り返ってみて、こんな気分になったのが全て一刀絡みであることに気づいた。

 なら……そうなのだとしたら、私は…………嫌なのだろうか。一刀が、他の女の……いいえ、私以外のものになることが。

 一刀が魏将を受け容れる程度ならば、むしろ自分のものであることを深く認識出来る。

 魏と深く結びつくといった意味を感じられるから、それは当然だ。

 けれど、それが三国にまで広がるのだとするのなら───

 

「……冗談でしょう?」

 

 そんなにまで心は狭くない筈だ。

 なによ、たかだか男の一人じゃない。一刀は私のもので、だからこそ手元に戻ってきたのでしょう? それが今更……再び天に戻るわけでもないのに、なにをそんな……。

 そう、一刀は一刀として、私のものであればそれでいい。何処で誰に手を出そうと、最終的には私の傍に居ればそれでいいのだ。

 手に入れたいものはなんでも手に入れてきた。

 一刀だって変わらない。

 物扱いがどうとか、そりゃあ思ったわよ。思ったけど……けど──、……なんだ。思いが溢れてこなくなったなんて虚言もいいところ。

 

「……呆れた。本当に、呆れたわ……」

 

 ある月夜を思い出す。

 あの日、自分は初めて“泣かされた”。

 “悲しい”を味わわされて、何も出来ない自分が悔しくて泣かされた。

 女であることを思い知らされて、手が届かないものはどうしてもあるのだと、もう一度思い知らされて。

 いつか、馬騰を引き入れたいと願い、叶わなかった時でもあそこまで悔しくはなかった。

 当然涙なんて流さなかった。流すはずもない。

 ……それなのに、泣かされたのだ。子供のように。

 その瞬間、自分の中ではきっと、一刀は特別になりすぎていたのだろう。

 初めてこの私を泣かせた相手としても、初めて傍に置いておきたいと思った男としても、初めて傍に居たいと思った存在としても。

 

「本当に……なんて無様」

 

 一刀が、私に見せない表情を別の誰かに見せるのが気に入らない。

 一刀が、誰よりも私の近くに居ないことが気に入らない。

 一刀が、この私よりも別の誰かを優先させることが……気に入らない。

 そりゃあ許可したわよ。でもさっさと帰ってこいとも言ったわよね? それが守られていないのは何故? 私との約束よりも他国のことがそんなに大事?

 それとも“大陸の平和を乱さない限り、あなた達の国の在り方には干渉しない”と宣言したから、何も口出さないと思って他の女とよろしくしているっていうの? 気に入らない気に入らない、あれは私のものだ。私のもとに帰ってきた、私だけの───

 

「………」 

 

 静かに頭を振るった。

 もやもやは消えてはくれないけれど、それならそれでいいと受け容れた。

 “私だけのもの”と思っているのなら、今やこれからがどうあれ、自分のもとに戻ると信じればいい。

 そう、前から思っている通りだ。一刀が一刀として、私のものであるのならそれでいい。何も変わらない。

 気に入らないならぶつければいい。なにもかもをぶつけて、困らせてやればいい。

 子供みたいだと思われてもいい。だって、子供のように泣かせたのはあの男なのだ。

 “自分の物語を生きよう”と立ち上がるまでの一年は長かった。長くて、辛かった。

 そんな不安定さを私に晒させたあの男を、困らせてやればいい。

 だから………………だから……。

 

「さっさと……帰ってきなさいよ……ばか……」

 

 自分の物語を生きる覚悟も中途半端に潰されて、結局私は一刀に寄りかかってしまった。

 ……立ち上がるのに一年必要だったというのに、また一人で立ち上がるのなら、どれくらい必要だろう。

 それとも、自分の物語を歩く必要は、もうないのか。

 

「…………ああ、もう……」

 

 結局また一刀一刀だ。

 ……戻ろう。気分転換にもならない散歩なんて無駄だ。

 仕事をして、頭の中から一刀を追い出そう。

 このままでは本当に駄目になる。

 

(いつから……)

 

 いつから自分はこんなにも弱くなったのか。

 そんなもの、泣かされた夜からに決まっている。

 そんなことを自覚できる今だからこそ思う。

 雪蓮が訊いたように、一刀を人質に取られたなら……そう、今もし取られたのなら、私はどうするのだろうと。

 降伏する? ……いいえ、それは絶対にない。

 どれだけ大切な存在が捕まろうとも、答えは先ほどとなにも変わらない。もはやこの天下は私だけのものではないのだから。

 だから……許さない。

 人質を取った相手も、攻撃を仕掛けることで人質を始末する相手も、なにもかも。

 

「………」

 

 そしてまた一刀一刀だ。もう、本当に駄目にもなり嫌にもなる。

 溜め息を幾度も吐きながら、何も考えないようにして自室へと戻った。

 ……人の気も知らないで、人の寝台で暢気に寝ている呉王へ八つ当たりを仕掛けたのは、その直後だった。





「もっと私を頼ってくれていいのよ?」

 ところにより雷、とタイトルにあっても、そんな雷は出ません。

「ひどーい!」

 ▲ページの一番上に飛ぶ