「……はあ。あんたら馬鹿でしょ」
『はうっ!』
鍛錬が、いつの間にか地獄の強化訓練みたいなものになってから数十分。
俺は脱力しきったナマケモノのようにぐったりと倒れ込み、ただし呼吸だけは荒く、行動を停止していた。
じいちゃん……俺……やったよ……? やり切ることが出来たんだ……。
なんて、目を白黒させながら思う中、騒ぎを聞きつけた詠と月がやってきて、武官に喝を飛ばして落ち着かせてくれた。
「あ、あのー、詠ちゃん? 今日は学校だったんじゃ……」
「何言ってんのよ、もう昼でしょ? 休み時間になったからこうして休みに来たんじゃない。そうしたら武官のほぼ全員で一人をぼっこぼこにしてるんだもん、さすがに呆れたわ」
「はうっ、で、でもこれは思い出作りで~……」
「思い出より先に、御遣いの干物が作れそうなくらいボロボロだけど?」
桃香と話していた詠が、チラリと俺を見下ろす。
うん、自分で言うのもなんだけど、あのまま放置されてたら干物くらいにはなってたかも。
月が介抱してくれてるけど、こればっかりは呼吸で正さないと落ち着いてはくれない。
氣がもうすっからかんだ、今日はもうこれ以上の鍛錬は望めそうにない。
予定通りに精神修行でもしようか……? じゃなくて、まず休もう、それがいい。
「うう、う、うー……」
情けないが、月に肩を貸してもらってなんとか立ち上がり、大きな木の傍までを歩いて腰を下ろす。
木に思いきり体重を任せて吐く息は、なんとも気持ちのいいものだった。
「大丈夫ですか……?」
「はぁ、はっ……は、は……ごめっ……ちょ、無理……っ……!」
勝負自体はそりゃあ大変なものだった。
けど、得るものもあった。
それぞれがどういった立ち回り方をするのか、こんな場合はどう動けばいいのかを学ばせてもらった。その代償がこんな状態っていうのも、なんというか割りに合うのか合わないのか。
合うってことにしておこう。じゃないと報われない。
「すぅ…………はぁあああ…………すぅうう……はぁあ…………」
ゆっくりと呼吸を整える。
汗は依然として出たままだが、せめて呼吸だけでも。
しばらく呼吸だけに専念していると、ソレも大分落ち着きを取り戻し、ようやくゆったりとした呼吸が出来る。
……身体は乳酸だらけで動いてくれないけどね。
「おいおいなんだよアニキー、だらしないなー」
「笑いながら大剣振り回して、人のことを追い掛け回してた人の言葉がそれか」
ケタケタ笑いながら寄ってくる猪々子にとりあえずのツッコミ。
弱っている人をいたぶる趣味でもあるのか、この人達は。
「っと、昼ってことはそろそろ体育の授業があるんだよな。あたしも戻らないと」
などと思いつつ、槍の管理を蒲公英に託し、歩いて行こうとする翠に声をかける。
「……よーするに時間までの暇潰しだったわけね……」
「そ、そう言うなよ、あたしだってまだ子供相手とかは緊張するんだから。朝は走らせてればいいだけだけど、授業としてやる体育は気を使うんだぞ?」
そんな合間を縫ってまで、槍の匠を見せてくれてありがとう。ありがたくて腹に風穴が空くところだった。
頭の中に浮かんだ皮肉もそこそこに、手を開いたり握ったりを繰り返す。
あー……握力が戻らない。これじゃあ木刀は握れない……どころか確実に筋肉痛到来だ。
なるほど、確かにこれは思い出作りにはなったみたいだ。
筋肉が痛みを感じるたびに思い出しそうだしね、ほんと。
「うう……ごめんねお兄さん、もう少ししか時間がないから、思い出作りがしたくて」
「いや、いいよ。こっちも忘れられない思い出に出来そうだ。それより今日はもう動けそうにないんだけど、桃香はどうする? 氣の鍛錬でもしてるか?」
「あ、うん。愛紗ちゃんが付き合ってくれるみたいだから、頑張ってみるよっ」
「そっか。俺はもう氣もすっからかんだから、休ませてもらうよ」
「うん。……本当にごめんね、お兄さわぷっ!? お、お兄さんっ?」
申し訳なさそうにしている桃香の頭を、無理矢理持ち上げた左手で撫でる。
それだけで完全に力尽きたが、言いたい言葉だけは届けよう。
「気にしないでいいから、頑張ってきなさい。なんだかんだで楽しかったし、思い出作りとして残すなら“ごめんなさい”よりも───」
「あ……う、うんっ、ありがとう、お兄さんっ」
「…………うん」
にっこり笑顔で返されて、俺も思わず笑った。
いやぁ……人間、疲れきってても笑うことは出来るんだなぁ。
なるほど、今際の際に微笑むことが出来る人、というのはこれで、案外フィクションばかりじゃないのかもしれない。
小さな発見に息を吐きながら、パタパタと愛紗のもとへ駆け寄る桃香を見送った。
月も詠に呼ばれて歩いていったし、ようやく周囲に気を張らずに休めそうだ。
「………だはぁ」
……さて、思い切り脱力して休もう。
他の将たちも予定があるのか、散り散りに行動を開始している。
疲れに任せて眠るのもいいだろうか……だめだな、疲れきってはいるけど、眠気に変わるのはもう少しあとだ。
「………」
「あ」
目が合った。
槍を二本抱えた元気はつらつ少女と。
すると彼女はにっこり笑顔でパタパタと駆けてきて、槍を地面に置くと……熊のぬいぐるみの如く足を投げ出してもたれている俺の脚の間に座り込み、背中を預けてきた。
「……蒲公英さん? これは……」
「ほら、喋るだけの力が残ってるなら、前に約束した歌を歌ってもらおうかな~って」
鬼ですかアナタは。
「いや、いいけど……別の方向でダメ。胴着、汗でびしゃびしゃだからさ、もたれかかってきたら汗がつくぞ」
「別にいいよ? たんぽぽも汗びっしょりだし。ほら、汗を吸ってぺとぺとな服が、肌に密着して……」
「そーいうことは言わなくていいからっ」
自分の身体の一部だっていうのに、動かすことさえ難儀する腕を無理矢理動かし、べりゃあと蒲公英を引き剥がす。
そうしてから汗でも拭いて、着替えてきなさいと伝える。
俺もこのままじゃあ乾いて臭くなるだけだし、汗を拭いて着替えるとしよう。
「ふ、ぐっ……ぬぅおおお……!!」
しかし立ち上がるだけでこの有様。
がくがくと震える足に、何故か“ぬおお”とか口走る口。いっそ“ええい立たんかこの足め!”とか世紀末覇者拳王様のように足でも叩きたいところだが、その手にさえ力が入らない始末。
ご覧の通り、木を支えにしている手には握力らしい握力が入らず、気を抜けば倒れてしまいそうだ。
そんな俺をきょとんとした顔で見上げる蒲公英が、突如としてにんまりと微笑み……
「えへへぇ……お兄様ぁ~? たんぽぽが着替え、手伝ってあげよっかぁ~♪」
「あ、結構です」
嫌な予感が走ったので即答。
この笑みは真桜とか霞がしそうな笑みだ、受け取ると絶対に痛い目を見る。
「えぇ~? なんで~?」と不満を口に出す蒲公英だが、だったら鏡でさっきの自分の顔を見て、自分だったら断らない自信があるかどうかを問うてみたい。
と、溜め息を吐く俺の傍らに、いつからそこに居たのか、思春がバッグを置いてくれる。
素直に「ありがとう」を返しながらバッグからタオルを取り出して、汗を拭いていく。
「へぇ~……なんか二人って、息の合った夫婦みたいだよね。何も言わなくてもこうして荷物取ってくれたりとか」
「なばっ……!?」
あ。赤くなった。
「……冗談ではない。こんな男が私の……? 冗談ではない」
しかしそれも一瞬。
キリッと凛々しい顔付きに戻ると、キッパリとそう言った。
「二回、冗談ではないって言われたけど……」
「わかってないなぁお兄様は。照れ隠しだってば」
「いや、あの、ほんと勘弁してください。思春はそういうことでからかい続けると、しばらくは俺を睨むことをやめなくなって───ヒィッ!?」
ギロリと睨まれた。ご一緒に濃厚な殺気もいかがですかってくらいに。
俺……なんかヘンなこと言った……?
誤魔化すように汗を拭いていくんだが……ハテ。蒲公英がじーっとこっちを見て……?
「……? どうかしたか?」
「あ、うん。あれだけ鍛錬とかしてるのに、あんまり変わらないんだなーって」
言いながら、腕をもにもにと触ってくる。
「俺としては、蒲公英たちの方が驚きだよ。こんなに細い腕なのに、あんなにブンブン武器を振るってさ」
どんな筋肉をしているんだか。
もしかしてこの大陸にはそういった謎があるものなのか?
そこで鍛錬をしているからこそ、俺もゴリモリマッチョになったりしないとか。
…………それはないよな。……ないよな?
でも確かに、オヤジや蒲公英に言われてみて思う。
呉や蜀を回る傍ら、三日ごとの鍛錬を続けてるのに、目に見えて筋肉が発達したって感じはしない。なんとなく変わったかな~って思うのは、あくまでじいちゃんのもとで修行した分が活かされた気がする程度で……うーん……。
(そういえば、じいちゃんと鍛錬をしていた一年……鏡でまじまじと自分の体を見るなんてこと、しなかったもんな)
それで自分の成長に驚いたんだろうか。
けどまあ、重いものも持てるようにもなってるし、内側の筋肉ばっかりが鍛えられているいい証拠だろう。べつにゴリモリマッチョになりたいわけじゃないもんなぁ。
「さてと。汗も拭いたし、一度着替えてくるよ。弓の練習をしたいところだけど、握力が戻らない」
「じゃあたんぽぽも行くー!」
「着替えについてきてどーすんだっ! 川とかにも寄るからいいって、自分の時間を大切にしてくれっ」
けだるい身体を動かして、スタスタというよりはズシーンズシーンと歩いていく。
これだけ身体が重いのもどれくらいぶりだろう……まるで人に乗っかられているような重さだ……!
「って、何故背中に抱き付いていますか蒲公英さん」
「え~? だって今日お休みで退屈なんだもん。終わったら終わったで、みぃんなさっさとどっか行っちゃうしさー?」
「……まあ、確かに」
あれだけ騒がしかったのもどこへやら、見渡してみれば随分と広くなった中庭があった。
つい先ほどまでは将で溢れかえっていたくらいなのに。
「でもだめ。男の着替えなんて、見ててもつまらないだろ?」
「……にしし~♪ いろいろと勉強になるかも~」
「是非ここで待っててくれ」
「ぶー、お兄様ったらひどい~!」
そんなことを言いながらも顔は笑っているあたり、ただからかっているだけなんだろう。
心身ともに疲れきっているために出る、深い深い溜め息を残して、もうともかく自室へ向かうことにした。
……。
さて、そんなわけで着替えを手に川へ行き、改めて汗を拭って着替えたわけだが。
戻ってきた俺を待っていたのは、俺が座ってた木の幹に背を預ける、らんらん笑顔な桃香と蒲公英だった。
「…………どしたの、二人とも」
「あ、うん。愛紗ちゃんがじゅぎょーの時間になったから学校に行っちゃって、氣の鍛錬が途中で終わっちゃったの」
「そこですかさずこのたんぽぽちゃんが、ここで待ってればお兄様の歌が聴けるよー! って」
エイオー!と突き上げられた手とともに、王様を巻き込む少女が居た。
いや、歌うよ? 歌うけどさ……。
「前の時は私は仲間はずれだったもんね~。えへへ、どんな歌を歌ってくれるのか、楽しみだよ~」
……桃香? その後執務室で、嗄れた喉に鞭打って歌ったの、忘れた……?
「はぁ……じゃあ、どんな歌からいこうか」
「元気が出る歌がいいなっ♪」
「激しい歌!」
「どうしていっつもいっつも統一性がないのさ、きみたち……」
仕方も無しに歌う。
桃香と蒲公英が並んで座っていたので、その隣に座ろうとした……んだが、どうしてか間に座らされてから歌う。
どうしてこんなことになったんだろうかと考えつつ、それでも楽しんでいる自分にどこか安心しながら。
しばらく歌っていると、警邏の仕事がひと段落ついたのか、それとも焔耶と交代したのか、恋がとことこと歩いていくのを発見。
傍らには陳宮も歩いていて、俺を見るなり恋を呼びとめ、とたとたと走ってきた。
「また懲りもせず、女を侍らせているですね」
「開口一番がそれですか、友達のキミ」
憎まれ口を叩きながらも、陳宮はどこかくすぐったそうだ。むしろ嬉しそうだ。
友達って言葉に反応しているのか、顔がどんどん緩んでいっている。
「今日はどうしたんだ? 焔耶が警邏を交代してくれって頼んだらしいじゃないか」
「もう終わったですよ。街の平和は恋殿とねねがきちんと守ってきたのですっ」
思わず“どーん”とか擬音が出そうな胸の張りようだった。
“あんた引っ付いてただけでしょ”とか言いそうな蒲公英の口を咄嗟に塞いだのは……多分、いい仕事だったと思う。
「……お兄様ってば、たんぽぽのことなんでもわかるんだね」
「いろいろな人と関わってると、自然とね……」
こう、危険回避スキルばっかりがどんどん上がっていくのだ。
そりゃあ、いい加減に予想がついたりもする。
「で、つまり途中から焔耶が交代するって言ってきたと」
「うぐっ……そ、そうですよっ、悪いですかー!」
「悪くないから、わざわざ威嚇しないでくれ……」
両腕を振り上げて、ムガーと叫ぶ陳宮をなだめつつ……さて。
何も言わずとも木の幹に腰掛けた恋に釣られるように、陳宮もさっさと座ったわけだが……これ、つまり歌えってことだよな? ああいや、恋や陳宮がどうのじゃなく、さっきから俺をじーっと見てきている蒲公英の視線がって意味で。
「そういえば詠や月は?」
「少しもしないうちに学校に戻ったよ? 休み時間ってもうちょっと長くなんないかしらーとか言いながら」
「うわぁ……わかるなぁ」
学生ならばきっと誰もが思い、教師も多分思うこと。
さすがにそう上手くはいかないもんだけどね。
さて……「それよりも」と言って制服を引っ張る蒲公英に促されるまま、再び歌を歌う。
懐かしの歌から流行の歌までを一通り。
しかしながら、やっぱり英語的な歌詞には首を傾げられ、一から説明しなければいけないことに。こういう時ばっかり、日本人なら日本語で歌えって思いたくなるのは、俺が我が侭だからだろうか。
いっそのこと学校の授業に英語を追加してくれようかとも思ったが、そもそも俺自身がそう英語に強いわけでもなく……口にする前から却下の方向で幕を閉じた。
それでも歌っていると、何かの用事か麗羽が通路を進むのを発見。
歌声に気づくやズンズンとこちらへ歩み寄ってきて、また無茶なリクエストが続くわけだが……後から慌てて追ってくる斗詩や猪々子を見ると、気の毒になってくるわけで……断れないよなぁ、いろいろと。
「~♪」
その少しあと、一人、また一人と人は増え、いつかのように木の周りには人だかりが出来ていた。将だかりか? この場合。
簡単な歌を教えて皆で歌うのもこれはこれで面白く、いつしかそれは、俺だけが歌うリサイタルじゃなく……音楽の授業(のようなもの)に発展していた。
桃香はそんな、“みんなでやる何かに”混ざれるのが嬉しいのか、終始笑顔で。
他のみんなも、軽く歌詞を間違えながらも歌い、笑顔をこぼしていた。
むしろ間違った時のほうが笑顔がこぼれるものだから、そんなくすぐったさが楽しかった。
……やがて、空に朱と黒が訪れる。
いつしかみんな集まっての大合唱になっていたそれが終わりを迎え、静かになった中庭を見渡し、それぞれが思い思いに解散する。
この楽しい時間とも明日でさよならだ。
そんなことを思ってみると、やっぱり悲しいと感じる。
待ち望んだ魏への帰路だというのに、どうしてこんなにも寂しく思うのか。
それはやっぱり……大切なものが増えたから、なんだろうな。
(二度と来られなくなるわけじゃないんだ。元気出そう)
“遣り残したことがあった”なんてことにならないように、頑張ろう。
みんなの背中を見ながらそう思い、やがて俺も───
「っと、なに……って」
「………」
歩き出そうとしたら、服を掴まれた。
振り向いてみれば、そこには視線をうろうろと彷徨わせる……陳宮が。
「どうかしたか? ……もしかしてまだ歌い足りないとか」
「そ、そんなんじゃないのですっ! ───って、静かにするです!」
「……いや、どう聞いてもどう見ても、叫んでるのは陳宮だけだけど」
いいから、と引っ張られ、木の後ろ側へ。
そんなところに引きこまれ、何をするのかと思えば……なにもない。
陳宮はしきりに視線を彷徨わせ、しかし俺と目が合うとバッと音が鳴るほどの速度で視線を外し、俯く。
……何事? ハッ! もしや!?
「陳宮……ごめんな、いっぱい待たせたよな」
「うぐっ……べ、べつに待ってなどいないのです。これはねねから言わなければならないことで、おまえの都合などどうでもいいのですっ」
「いや、それでも長く歌い続けてたら、辛くもなるよな」
「だ、だから待ってなどいないし辛くもなかったのですっ。……今日、恋殿と警邏をしながら話し合い、ねねは確信したのです。そ、そのですね、やはり友達だというのに、ま、まま、まっ、真名を許さないのは───」
「我慢は身体に毒だから、早く行ってきたほうがいいぞ?」
「───……待つです。何を言ってるですかおまえは」
「え? トイ……じゃなかった、厠に行きたかったんじゃオフェエゥ!?」
それはそれは見事な、ちんきゅーきっくでした。
「ばっ……ばばばば馬鹿ですかおまえはーっ!! ねねねっ、ね、ねねはただおまえに真名を許そうとしただけなのですーっ!!」
「えぇええええーっ!? いやだって、あんな、辺りを気にして視線を彷徨わせたりしてっ……!」
「大体なぜ、かかかっかか厠に行くのにおまえの許可がいるですか! 少しはねねのように頭を働かせてから口を動かすです!!」
「やっ……それはそうだけどっ! ぐあぁああ……!!」
自分が口走った愚かさに顔面が灼熱する。
いや、わかってる。
ここ最近、むしろ昨日の夜にあんなものを見たために、いろいろおかしいんだ。
ぐああっ……穴があったら入りたいっ……!!
「何を頭を振ってうごめいているですか」
「っ……恥ずかしいんだって! ~……ごめんっ! 変なこと口走って!」
「今に始まったことではないのです」
「………」
否定したいのに否定できない自分が居た。
ごめんなさい、種馬で。
「それより……え? いいのか? 前はあんなに渋ってたのに」
「だから、恋殿と警邏をしている時に話し合ったのですっ! その……お、おまえは友達です。恋殿に危害を加えるわけでも、ねねを苛め……こほんっ、ねねを馬鹿にしたりもしないのです。だから……だ、だから───そうっ、真名を呼ぶくらいの人格は認めてやるのですっ!」
「………」
えーと。真名を許すって……つまり心を許してくれるってことだよな?
真名が大切なものだっていうのは痛いほど知ってる。
槍を向けられたり青龍偃月刀を向けられたりしたもんなぁ。
それを許してくれるってことは、より一層の友達として認められたってことで……いいんだよな?
「その……音々音、です。好きに呼ぶがいいです」
「ああ。じゃあ……音々音」
「ふぐっ! ……ね、ねねでいいのです」
「そうか? じゃあ、ねね」
「~……」
「?」
何故か帽子を少しずり下げ、俯いて顔を隠してしまった。
「……おまえは他のやつとはどこか違うのです。他のやつらときたら、やれちんちくりんだのお子様だの、何かに付けて言葉の端でねねを馬鹿にするのです。でも……」
「いいじゃないか。言葉が自分に当てはまる内は、それに反発するように頑張れるし」
「え……?」
「言いたい人には言わせておくのが一番だ。案外、その中にも学べるものがあるかもしれないし、そう思えば案外どうってことないもんだよ」
「…………ねねはそこまで強くないのです」
「じゃあ強くなろう。方法がそれしかないなら、強くなって見返すんだ。もちろん、自分が潰れないように適度な方向で」
「なんですかそれは……」
呆れた返事が返ってきた……けど、俯かせていた顔も上を向いたから、俺はそんな顔に笑みを送った。笑って、手を握って、そのままの笑顔で歩き出す。
「夕餉はなんだろうなぁ」
「そんなこと、ねねは知らないのです」
「そこで知らないって言ったら終わっちゃうじゃないか。ほら、日々の積み重ねがモノを言うんだから、頭を動かしてみよう」
「む、むー……麻婆豆腐です!」
「一品だけ?」
「む? むむむ……餃子と焼売もつくのですっ! ただしメンマ抜きです!」
「あれはあれで美味いと思うけどなぁ」
「何度も食べればさすがに飽きがくるものです、そんなこともわからないですか」
他愛ない会話をして、色を変えていく空の下を歩く。
通路まではほんの少しの距離。
それでも手を繋ぎ歩いていく。
見下ろす視線と見上げる視線が合わさっても、ただ頬が緩んで笑顔になるだけで、目が逸らされることはなかった。
「明日も晴れるといいなぁ。最後の日なんだから、思い切り頑張りたい」
「……恐らくおまえに仕事などないのです」
「え? なんで?」
「ここがそーいうところだからなのです」
そういうところ? ……ハテ。
軽く考えてみたが、ピンとくるものが何一つとしてなかった。
明日、仕事が無い……? いや、今日休ませてもらったわけだし、何かしないと申し訳ないような……って、働き者になったもんだよなぁ俺も。
「まあいいや、今日はとにかくゆっくり休みたい」
「夜、おまえの部屋に遊びに行ってやるです。ありがたく思うがいいのです」
「休みたいって言ってるんだけど……はぁ、いいや、こうなったらとことん付き合ってやる」
友達って関係を再確認したからか、陳宮……じゃなかった、ねねの中から“遠慮”ってものが無くなった気がする。上機嫌な笑みを浮かべ、八重歯を見せながら腕を振るって歩いている。当然、繋いだ俺の手も大きく振るわれるが、それが嫌だとはちっとも思わなかった。
(真名を許すだけの人格か……はは)
それはそれで気安いからいいんだが、限度だけは守ってほしい……って思っても無駄なんだろうな。だったら受け止められるだけ受け止めるだけだ。
「よしっ、じゃあいっぱい食べて夜に備えるかっ」
「ふふふ、ねねの計画に穴などないのです!」
二人して笑いながら歩いた。
歌いすぎで少々喉がやられていたが、気にせずに笑いながら。
そうして夜を迎え、自称穴無し計画軍師のちんきゅーさまを待つに至り……少しののち、満腹になった彼女が眠気に勝てずにオチたことを知る。
結局、わざわざ教えに来てくれた恋と遊ぶことになり、こうして残り二日の夜も過ぎ、朝がやってきた。
……そのさわやかな目覚めの朝は、遊ぶことが出来なかった友人のちんきゅーきっくから始まりました。