真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷(ぜろくろ)

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42:蜀/乙女心と青の空①

79/同情の価値

 

-_-/一刀

 

 腕の付け根……腋辺りから走る、痺れるような痛みで目が醒めた。

 

「いづっ……! ~っ……つはっ……あぁ……!!」

 

 目覚めたと認識してからは既に腕の感覚はなく、思い出したのは気絶する前の光景。

 なんとか恋の攻撃を氣で受け止めて、吸収して返した……まではよかったんだが、そのあとがまずい。

 きょとんとした顔で俺を見たその姿が、今も目に焼きついている。

 “自分の力で吹き飛ばされた”なんて、まさか夢にも思わないだろうけど、その目が興奮に満たされるのにそう時間は必要じゃあなかったのだ。

 目を爛々に輝かせて、そのくせ本気かと見紛う“構え”を取って───えと、本気じゃなかったよな? さすがに俺相手に本気って……なぁ?

 

「えっと……こうして倒れてるってことは、あの一撃で気絶したってことだよな?」

 

 氣で受け止めようにも、恋の一撃を返した時点でほぼを使ってしまっていた。

 だから、掻き集められるだけ集めた氣を木刀に託して、それを受け止めた……───までしか覚えてない。その一撃で気絶したのは確実なんだろうな。

 

「しかしすごいな……腕の感覚が消えるほどの一撃か。こんなの戦場でされたら、そりゃあ人垣だって一撃で吹き飛ぶよ。三国無双の名前は伊達じゃ───OH」

 

 痺れた左腕を苦笑混じりに見た───筈が、その腕で三国無双さんが気持ち良さそうに眠っていた。

 そして、苦笑のまま固まる俺。

 ……アア、そりゃあ腕を枕にされちゃあ痺れるよな。ナールホドー。

 

「……アレ?」

 

 じゃあ右腕まで痺れているのはナゼ?

 

「……ゴ、ゴクッ……!」

 

 声として出るほどの大きな音で、息を飲む。

 バッと振り向こうとしているのに、あまりの緊張か嫌な予感のためかギギギ……としか動かない自分の首に、更なる焦りが生まれる。

 それでもなんとか振り向いた先に、栗色の髪と幸せそうに眠りこける蜀王さま。

 現実を直視したくない一心がそうさせたのか、ギシリとしか動かなかった首が、バッと空を正面に捉えた。

 その正面に、先ほどまでは存在しなかったにっこり笑顔の美髪公。

 ……喉の奥でヒィって悲鳴が出た。ホラー演出そのものだった。

 

「……………」

「……、……」

 

 笑顔には笑顔を返す……善き日々を送る秘訣です。だから笑顔。引きつろうとも笑顔。音にすれば、“ニ、ニコッ?”って疑問符が出そうなものでも笑顔。

 だがその日、わたくし北郷は確かに祈っておりました。

 どうか平穏無事に今日という日を乗り越えられますようにと、またしても神様に。

 

「一刀殿ぉおおおおおおっ!!」

「うわわわわわわぁあああああっ!! なんだか知らないけど誤解だぁああああっ!!」

 

 それが無理だということは、恋と対峙した時からわかりきってたことなんだけどね……。

 

……。

 

 説得。

 話して聞かせ、相手に納得してもらうこと。“説いたものを得てもらう”と書く。

 ただし納得するかはあくまで相手次第であり───

 

「まったく何を考えておいでか! 昨日の無理を度外視し、さらに恋に本気を出させるなど! もし命を落としたらどうするつもりだったのです!」

「い、いやぁ~……命が無くなってたら、どうしようもないんじゃあ……」

「そのようなことを言っているのではありませんっ!!」

「ごごごごめんなさいっ!?」

 

 ……どうしてかいつの間にか、説く方と説かれる方が逆転していた。

 そしてこの場合は説得じゃなく説教と言います。もちろん正座してるのは俺だけ。

 

「聞けば恋にねだられたから武器を手にしたそうですが、それでも本気にさせるのはやりすぎです! もしやすれば飛んでいたのは五体ではなく首だったのかもしれぬのですよ!?」

「いやままままま待って待った待ってくれってば! 俺はただ普通に返しただけなんだってば! くらうわけにはいかないから反撃して、そしたら恋が目を輝かせてっ!」

「何を馬鹿な! 恋がそれしきで本気を出すわけがないでしょう!」

「信じてくださいっ!? ほんとなんだって! なぁ恋!? れっ───あれちょっ……! 恋!? れっ……恋起きて! 恋ーッ!!」

 

 振り向いてみれば眠り姫。

 俺だけが雷を受ける中で、二人は未だに眠っていた。

 

「証明する者は眠っているようですが……さて、一刀殿? あの恋が相手を吹き飛ばすほどの力を振るうならば、それなりの理由が必要となります。争ったあともあるようで、重いものが落ちたような跡もある。確かに一刀殿は吹き飛ばされたのでしょう」

「ハ、ハイ……」

「では、なにが恋をそこまで本気にさせたかですが───」

「……あの、だから反撃しただけで───」

「───食べ物、ですか?」

「違いますよ!? 聞いて!? お願いだから聞いて愛紗!」

 

 愛紗の中では“恋=食べ物”なんだろうか。

 わからないでもないが、まずは聞く耳をどうか持って欲しい。

 半眼でジトリと見られたままだと、さすがに自分が悪いのかって錯覚を覚えてくる。

 

「……はぁ。わかりました、そうまで言うなら信じましょう」

「あ、愛紗……! ───……目が、全然信じてないんだけど?」

「気の所為です。ええ、気の所為でしょうとも?」

「………」

 

 ワ、ワーイ、信じてもらえて何よりだー。じゃなくて。

 

「……愛紗、じっくり説明するから、ここ座って」

「生憎と警邏の続きがありますので。ここには昼をとりに来ただけです」

「いいからいいから、すぐ済むから座って座って」

「なっ! い、いえっ、ですからその昼の時間自体がそう長いものでは!」

「誤解して貴重な時間を説教に使ったのは愛紗なんだから、自業自得。で、誤解かどうかは今説明するからきちんと聞く。ちゃんと知れば怒る必要なんて無くなるんだから、まず聞く耳を持ちましょう。いいね?」

「うぐっ……」

 

 正座をしたまま、愛紗の手を握って引っ張る。

 文句を言うわりには軽くすとんと座るその姿に笑みがこぼれるが、説明はきちんとしないと意味が無い。

 

「恋が本気になった理由だけど、多分これの所為だ。焔耶と戦うことになった時、ぶっつけ本番でたまたま成功したものなんだけど……あ、きっかけを教えてくれたのは明命───呉の周泰なんだけどね」

 

 まずは氣のことから、わかりやすく説明。

 明命と“相手から受けた衝撃を散らす方法”などの話をしたことや、化勁の話をしたことなどを説明しながら、それを焔耶との戦いで成功させたことを話す。

 で、実際に愛紗に俺の左手を殴ってもらい、そうするのとしないのとでの拳の威力を比べてもらった。

 

「これは奇怪な……。氣とは応用次第でこうも不思議なことが出来るものなのですか」

 

 愛紗はとても驚いていた。

 物珍しさからか「もう一度試しても?」と訊ねてくるけど、さすがにもう氣が底を尽きてしまった。気絶することで休まった体に、多少は戻った氣だが……今ので使い果たした。くらくらする。

 

「う……申し訳ない。勝手に誤解し、怒るだけ怒った私に、わざわざ説明させてしまうとは……」

「はは、いや、誤解が解けてなによりだよ。……えと、言っておくけど、俺自身も恋の攻撃で気絶してたから、どうして二人が俺の腕を枕にしていたのかは───」

「ええ、大方桃香さまがそうしたのを恋が真似たのでしょう。つくづく申し訳ありません」

「いいって、四六時中王で居る必要なんて無いと思うし、それで日頃からの頑張りが少しでも報われるなら、俺の腕も痺れ甲斐があるからさ」

「……そうですか」

 

 俺ならそう言うと思っていたのか、それともそんな言葉を期待していたのか、愛紗がやさしく微笑む。愛紗も相当気苦労が絶えないよなぁ……誤解とはいえ、こういうことが何度もあったら身が保たない。

 あ、だったら───

 

「なんだったら愛紗も寝てみるか? 俺の腕くらいならいつでも貸すけど」

「は? ………………、───!?」

 

 あ。赤くなった。

 

「ななななにを急にそんなっ……い、いや結構です! 私はそんなものを貸してもらわずとも毎夜毎朝を快眠で過ごしています!!」

 

 早口言葉大会で優勝出来るってくらいの早口だった。

 しかも活舌が素晴らしい。

 

「そ、そうか? いっつもとばっちりっていうか、面倒ごととかを回しちゃってる気がするから、俺に出来ることならって思ったんだけど」

「だとしても行きすぎです! だっ……大体! 貴方は妙に無防備すぎる! 魏を、魏に、魏がと呉では散々と拒んでいたと聞きますが、だというのにこうも甘い! 貴方にその気が無くとも、それではいずれ誤解をする女性(にょしょう)がっ……、……? ……一刀殿?」

「え……───あ、いや……うん……」

 

 言葉が突き刺さった。

 そして思う。善意はやっぱり、自分が思うほどに相手にとっての善にはならないのだと。

 それを真っ直ぐに突き付けられたら、さすがに言葉を失っていた。

 失っていたから……散々言葉に詰まって、出る言葉といえばこんなもの。

 

「ごめん、軽率だった。でも、何かしてあげたいって思ったのは本当なんだ……それは信じてほしい」

「あ───いえ、私も少々、勢いに任せて言いすぎました……」

「………」

「………」

 

 気まずい空気が流れる。

 でも、言われても仕方の無いことだったのかもしれない。

 そして、言われて良かったと思うべきことだ。

 

「ごめん、ちょっと頭冷やしてくるな? いろいろ考えておかないと、大事なもの……壊しちゃいそうな気がするんだ」

 

 自分に向けて“仕方ないの無い奴だ”って思ったら、自然と笑みが浮かんだ。

 そんな笑みを顔にくっつけたままそう言って、氣を使ったばかりのふらふらな体で立ち上がる。

 ……川にでも行こう。

 思いっきり頭冷やして、そして───…………そして……、ホワゥ!?

 

「っとぉ!? おわっ! たっ、たととへぶぅ!?」

 

 歩き出したところで、ズボンを掴む誰かの手。

 痛打した顔面を押さえながら、振り向いて指の間から見てみれば……眠たげに目をこする桃香と恋。

 

「い、ぢぢぢ……! ふ、二人とも、なにを……」

「ふぁう……ふぁひゅひゅぅう……おにいさん、おふぁよぅ……」

「……、……」

「…………お、おはよう」

 

 挨拶しながらもズボンは離してくれないのな。

 斜面降りるところだったから、その分速度が増して滅茶苦茶痛かったんだが……。

 そして今さらだけど恋って物凄く長く寝てなかったか? 何度寝なんだろう、それは。

 

「ぁ、あー……えっとその。二人とも? ……ごめん。少し頭冷やしたくてさ、離してくれるとありがたいなぁと───」

「え~? だめだよぅ、お兄さんはこれから、私とい~っぱい遊ぶんだから~……♪」

「……わあ、ばっちり寝惚けてらっしゃる」

 

 ちらりと恋を見てみても、どうやら同じ反応らしい。

 そんな中にあって、ただ愛紗だけが気まずそうに顔を伏せていた。

 ……普通に接していたつもりがああいうことに繋がるなら、普通じゃない自分で行くべきなんだろうかと考えた。───けど、その普通じゃない自分っていうのがイメージ出来なくて、少しだけ自分が嫌いになる。

 掴まれている手を叩いてでも逃げ出そうか?

 適当なことを言って離してもらおうか?

 それとも───……

 

「っ───せいっ!!」

『っ!?』

 

 自分の頬を、気合いと一緒にずばぁんと叩いた。

 それとも、じゃないだろっ……! なにを情けない言い訳ばかりを、って、ああああ痛っ……! 頬叩くにしたって、もうちょっと加減すればよかった……!

 

「……~……ごめん、愛紗。やっぱり頭冷やすの無しだ。自分が自分として、自分をそういう奴なんだって自覚して受け止めるなら、誤解する人が出てくるのは仕方ないってことも受け止めなくちゃ嘘になる……。そんないろいろを受け止めた上で、それでも支柱を目指したいって思うなら……そこで“自分の普通”を変えるのって、なんかずるいじゃないか」

「……一刀殿……」

「ふぇ……? なに? なんで叩いたの? わっ、顔赤いよお兄さんっ! 大丈夫!?」

「いや、ははは……正直滅茶苦茶痛いです……!」

 

 俺はこう思うんだが、貴女はどう思う?

 そんな言葉を誰かさんに送った。

 それなのに自分の意思をころころ変えてちゃ、面目の立つ場所が滅びてしまうだろう。

 そんなものが立ってくれるほど、自分の立ち位置が残っていたらの話なんだが。

 人は変わるもんだけど、自分が自分を信じられなくなるほど変わってしまったら、それはもう自分じゃない気がする。だめだろう、それは。

 

「俺は俺のまま支柱を目指すよ。誤解も罵倒も全部受け止めるつもりだ」

 

 俺は俺らしく。

 そうじゃないと、目指す意味も無い。

 その意味っていうのがどこに落ち着くかなんて、結局は自分と自分の周りのためっていうのに落ち着く。

 落ち着くくせに、困っている人は見捨てられないって自覚がある。自覚があるから行動に出て、誰かの笑顔が自分のためになる。

 行動の全てが笑顔に変わってくれれば、とってもありがたいんだけどなぁ。

 そう上手くいかないのが世の中だ。

 

「……それは、口で言うほど易いことではありませんよ?」

「うん。だからみんなで目指そう。断言出来るけど、俺一人でなんて絶対に無理だ。俺は出来る限りの天の知識を提供するし、自分に出来ることは“なんでもする”つもりだよ。だから───」

「───なんでも?」

「へ? あ、うん」

 

 愛紗と話している中、ピクリと肩を動かした桃香が割り込んでくる。

 斜面の下で、ズボンを引っ張られながらっていう、冷静に考えると妙に恥ずかしい状況で。

 

「ほんとになんでも? お兄さんが支柱になれば、出来ることならなんでもしてくれるの?」

「さすがに限界はあるぞ? 人一人に出来ることなんて限られてるし、俺だって朱里や雛里みたいに知力が高いわけでも───」

「じゃあ賛成っ!」

『───へ?』

 

 俺と愛紗の声が、綺麗に重なった。

 対するは桃香一人で、恋は俺のズボンを引っ張るかたちでずるずると俺に近づき、足を枕にまた眠りについてしまった。

 

「お兄さんが支柱になることに、私は賛成するよ?」

「え───なっ! 桃香さま!? 他の者の意見も訊かずにそれはっ───!」

「愛紗ちゃんは反対?」

「はんたっ……い、いえっ! 反対だとかそうでないとかを問うているのではありません! 現状───今のままでも十分だと言っているのです! 日取りを決め、他国に集い、宴をする! それを出来る今が一年も続いています! これ以上を望めば必ず、別のところで綻びがですねっ……!」

「そうかなー……街の人も村の人も、兵のみんなも将のみんなも、お兄さんのこと嫌いじゃないと思うんだけどなぁ。んー……愛紗ちゃんは、お兄さんのこと、嫌い?」

「なぁあっ!? 今はそういうことを話しているわけではないでしょう! す、好き嫌いの問題ではありませんっ!」

「じゃあ嫌いな人でも優秀だったら、誰でもいいの?」

「うぐっ……!」

「愛紗ちゃんは───口が悪くて態度も悪くて、だけど仕事がとっても上手で、綺麗に纏められる人なら誰でもいいの?」

 

 それは……俺だったら嫌だなぁ。

 だって、国は豊かになりそうだけど、代わりに笑顔が消えそうだ。

 そんな国に住んでいても、ちっとも楽しくない。

 

「それなら少なからず憎まれてもなくて、交友関係も多いお兄さんのほうがいいんじゃないかな。それに、支柱ってだけで、王様になってほしいって言ってるんじゃないんだよ? この国で頑張れるのは私で、その責任をお兄さんに押し付ける気は全然ないもん」

「…………と、桃香さま……! あの、口を開けば的外れなことを言い、仕事とくれば投げ出すばかり……街を歩けばつまみ食いをし、子供に手を引かれては仕事をほったらかしで一日中遊んでいた桃香さまが……っ! そ、そこまでの覚悟を決めていたとは……!」

「………………お兄さん。愛紗ちゃんって、時々本当に容赦ないよね……」

「うん……お前もそう思ってくれるか、桃香……」

 

 桃香に言葉の棘が刺さるのをなんとなく確信しながら、ただ見守った。

 いや、俺にも関係のあることなんだけど、桃香の目が本気だったから……ここで割り込むのは邪魔になるだろうって思って。

 

「わかりました。それとなく他の将にも話を通してみましょう。支柱というものがどういった形で働くことになるのかは、まるで見当がつきませんが───貴方が来てから、少しずつではありますが蜀は変わった。そんな貴方の目標を言葉一つで否定するのはあまりに無粋」

「愛紗───」

「ただし」

「───へ?」

 

 納得してくれたと喜んだ───次の瞬間には、相変わらず何処から出したのかもわからない青龍偃月刀が、俺の鼻先へと突きつけられていた。

 

「貴公がその器に相応しくないと感じた時は、曹操殿の進言と同様、迷わず貴公を討たせてもらおう」

「───……」

 

 “私が非道な王と思ったのならば……劉備、孫策。あなた達が私を討ちなさい”。

 いつか、華琳が言った言葉が思い返される。

 それは“自分は絶対にそうならない”という覚悟だ。

 華琳はあの時から今まで、そういった覚悟を抱いたまま生きている。

 つまり愛紗は、それほどの覚悟が無ければ、王など……ましてや支柱になることなど無理だと言いたいのだろう。

 だったらどうする? 怖いからやめる? 器ではないと判断され次第殺されるのならば、そんなものになどなりたくない?

 

(………)

 

 ちらりと桃香を見る。

 たった今、愛紗が言った言葉の意味を何度も何度も確かめて、その上で俺の言葉を待っていてくれているのであろうその姿を。

 でも大丈夫。答えはきっと、その時にこそ桃香と華琳に教えてもらったことなんだから。

 

「………」

 

 胸に手を当てて、深呼吸をした。

 桃香はもうこの時点でハッとして、同じように胸に手を当てる。

 その顔は───笑顔だった。

 

  覚悟、完了。

 

 誰にも聞こえない声で言って、けれど桃香にはきっと伝わった言葉の魔法。

 それをした時点で、逃げ道なんてものは無くなったのだ。

 先に進むしかないなら、進むだけだよな───じいちゃん。

 

「わかった。その時は、よろしく。って言っても、愛紗より先に華琳に斬られてそうだ」

「ふふっ、確かに。では私はその後でさらに八つ裂きにしましょうか」

「やめてくださいっ!?」

 

 軽口をきけるようになる頃には、俺も笑っていた。

 視線の先にも笑顔。愛紗も、桃香も笑っていた。

 

「………」

 

 いつか、様付けで呼ばれなくてもいい、ただの一人として誰かに感謝されたかった王。

 王になんてなりたくなかったと。

 ただ周りに居てくれる誰かと同じように、互いに感謝する誰かで居たかったと願った王。

 そんな彼女が本当の笑顔で笑っていられる一年後の青の下、俺は───自由にされた体で立ち上がり、同じく立ち上がる彼女へと伝えた。

 未だ眠りこけている恋に苦笑し、急いで昼を食べねばと慌てる愛紗を見送って。

 

「さっき……桃香が華琳と戦ってた頃のこと、思い出した」

「……うん」

「“王になんてなりたくなかった”。口にしたのは華琳だったけど、多分本当のことなんだろうなって思った。俺も、王で居るよりもみんなの隣に居たいって思う。様なんて呼ばれなくてもいい、もっと……町人だって兵だって、気軽に背中を叩いて笑い合ってくれる……そんな未来が欲しかった」

「……うん」

「でもさ、そんな考えに答えをくれたのも、やっぱり桃香だった。華琳が言うみたいに甘すぎたのかもしれないし、現実を見ることを、自分が頑張らなきゃいけないことまでを任せっきりにしていたら、絶対に辿り着けない場所があるってことを……知った」

「……っ……うん……」

 

 隣に立って、もう見えなくなってしまった愛紗を見送ったそのままの姿勢の桃香の頭を撫でる。

 王にはなりたくなかった。

 でも、誰かが変えなきゃいけなくて、待っているだけなんて嫌だったから立ち上がった。

 野望があったわけじゃなく、様をつけられ、尊敬されたいから立ち上がったわけでもない、小さな女の子。

 教えてもらったのは“現実”。

 そして、挫かれても立ち上がる“勇気”。

 そのこと全てを伝えるには長すぎて、だけど伝えるべきを伝えると、もう笑顔はそこには無く───ぽろぽろと涙し、かつての自分の弱さに泣く少女だけがそこに居た。

 

「“何も出来ない”って辛いよな。役に立ちたくても力が無くて、力が無いならせめて知力でって思っても、何にも提供出来やしない」

 

 “自分の知識”が活きたことなんてあっただろうか。

 天に当然のようにある知識だけが活躍し、それは自分じゃなくても出来たことで……御遣い様なんて呼ばれるたびに、自分は本当に様をつけられる立場にあるんだろうかと疑った。

 剣を握れば軽くあしらわれて、剣を握るほどの力が無いと勝手に決めつけた。

 自分のやるべきことは自分でと立ち上がってみても、それが他人の仕事を奪うことに繋がることを初めて知った。

 やることの全ては空回りばかり。

 どうすればいいのかを詳しく教えてくれる人などおらず、天の知識を武器に“様”呼ばわりされる自分が嫌になり……なのに、そう呼ばれることに慣れていく自分がたまらなく悔しかった。

 御遣い様なんて呼ばれなくてもいい。もっと傍で、同じことで笑ってほしかった。

 天の知識ではなく、自分の知識が活かされた時に……“一刀が居て助かった”って笑ってほしかった。

 

(ああ……)

 

 きゅっと、制服の袖を掴まれた。

 俺も、やさしく撫でる頭を、よりやさしく撫でる。

 この世界で桃香の傍に降りることが出来たなら、どれだけ助け合っていけただろう。

 別の場所に降り、敵として戦ったというのに……自分たちはこんなにも似ていた。

 ただ、桃香は戦で王としての敗北を知り───俺は、御遣いとしての勝利を知った。

 互いに勝利を知らず、敗北を知らぬ者としてこうして会ってとして……それでも、同情がどうとか言い合っても始まらない。

 同情なら戦いながら、姿も知らない頃から今まで、何度も、ずぅっとしてきたのだろう。同じ思いを抱き、それでも相容れることなく。

 口にしなくても、一緒に過ごす日々で気づけることがたくさんあったのだ。

 自分たちは本当に、いろんな意味で似ていたのだと。

 

『………』

 

 軽く見下ろし、軽く見上げて交差する視線。

 拭われることなく流れる涙を見て、その痛みがわかってしまう自分も相当だ。

 ───けどさ。

 わかってしまうからこそこうして笑んで、言うべきをしっかり伝えることが出来る。

 それは事実ってやつで、同じ思いを抱いてきたからこそわかる、同情っていう名の絆だ。

 

「───桃香」

「───お兄さん」

 

 じゃあ、言おうか。

 俺も、きっと桃香も、わかってくれる人にこそ心を込めて言われたかった言葉を。

 

「桃香が居てくれて、」

「お兄さんが居てくれて、」

『本当に、よかった───』

 

 笑んだまま、涙したままに交わされる言葉。

 涙は余計にぽろぽろと零れ出して、思わず拭おうと指が動いた途端───桃香は俺の胸に抱き付き、わんわんと泣き出した。

 “居てくれて助かった”じゃなく、“居てくれてよかった”と伝える意味は、とても単純なもので───自分達が互いに似ていると感じた頃から、互いに助かったと思うことなどたくさんあったのだ。

 だから、助かったじゃなくよかったを伝える。

 

(……うん。頑張ろう、もっと、もっと……)

 

 これからこの世界で、自分は何を学び、どんな明日を作れるだろう。

 考えたところでちっとも浮かんでこないイメージに、早くも苦笑が漏れる。

 けどまあ、難しい顔をしてうんうん唸るよりも、ヘラヘラした薄笑いを浮かべてでも、みんなが笑っていられる未来を目指そう。

 頭が足りていないって思われたって、それはきっと誰かの笑顔に繋がるから。

 王になるべきではなかったと言われても、御遣いとして力不足だったって言われても、もはや悔やむまい。

 力不足に嘆き、人が死ぬ世は……もう終わったのだから。

 




秋の空じゃあござんせん。
ちなみにこのお話は“成都の長い一日”の中に入っているものなので、長い一日が二話で終わったぞというツッコミはしなくても大丈夫です。

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