……そんなこんなで夜を迎え、倒れて動けない、心身ともにぼろぼろな自分を見下ろしているわけだが。
今はもう朱里も雛里も出て行って、部屋には俺と桃香だけ。
なんだかんだとドタバタやって、外はとっくに黒の空。
ドタバタというか、最後だからととっておきの本を見せようとした朱里と雛里が、その本を星に発見されて騒ぎまくり、騒ぎを聞き付けた美以に再び捕まって、しかも今度はミケ、トラ、シャムにまで噛みつかれて───そのあとは戻ってきた麗羽と遭遇。斗詩と猪々子が止めるのも徒労に終わり、散々と引っ張り回されたりして……一言で済ますなら、ろくでもない目に遭ったというわけだ。
「今日、学校休みだったんだな」
「うん。お兄さんが居る最後の日だもん。みんな出来るだけ時間を空けられるようにって、無理言ってお休みにしてもらったの」
「そっか……ありがとう。それと、ごめん」
「? どうして謝るの?」
「えっと……ほら。結局言いかけたこと、聞いてあげられなかっただろ?」
「あ……そっかそっかー、えへへ……ちゃんと覚えててくれたんだ。うん、あれはもういいんだよ。ちょっとどたばたしちゃったけど、楽しかったし」
寝台に寝かされた俺は、はっきり言って本当にボロボロ。
服とかが本当にボロボロになっているわけじゃなく、筋肉とか氣道とか、いろいろなものに無茶させた所為でボロボロって意味だ。内側だな、つまり。
なもんだから現在上手く動けなかったりする。
無理してここに運んでくれた桃香に感謝だ。
「はぁ……最後の最後でとんでもない一日になったな……。せっかく休みをくれたのに、これじゃあ全然休みになってない」
「あう……ごめんねお兄さん」
「あぁ、はは、いいって。散々な目には遭ったけど、俺も楽しかったし」
騒ぎに笑いはつきものって……いったっけ? まあいいや、つきものっていうし。
なんだかんだで皆が楽しんでたなら、それはいい休日だった証拠だ。
学校は休みでも、騎兵訓練や警邏は当然のようにあったみたいだ。実際、警邏中の愛紗には助けられた。
「………」
「………」
ふと、会話が途切れる。
話すことが特にあるわけでもない。
自然と沈黙が増えるが、嫌な空気が漂うなんてこともない。
眠気は正直無いものの、静けさに釣られるように目を閉じて息を整える……んだが、眠気のかけら程度も掴めやしない。掴めたら寝てしまおうと思っていたのに。
氣を使い果たせば気絶出来るかなぁと試してみようとするが、死にそうだからやめた。
「……桃香? もう大丈夫だから、部屋に戻って」
「え───えと。ここに居ちゃ、駄目?」
「? ここにって、居ても話相手くらいにしかなれないぞ? 桃香だって一緒に巻き込まれて、疲れてるだろ? もう遅いし、眠れそうなら寝たほうがいいよ。それに───」
「は、話相手でもいいからっ! お昼寝しちゃったし、眠くもないからっ、だからっ」
桃香が焦った表情で口早に言う。
それはまるで駄々をこねる子供のようだったが……あの、桃香?
話相手もそりゃあいいんだけど、ちょっと問題が───
「北郷一刀は居るですかーっ!!」
「ひゃうわっ!?」
「ああ……」
扉を蹴り開けての突然の来訪者に、俺は溜め息を吐いて、桃香は短い悲鳴をあげた。
部屋に明りがついていると誰かしら乱入してきそうだから、今日のところはって伝えたかったのに……。
「はぁ……居るけど、どうしたんだ?」
「動けなくなったと聞いて、友達が見舞いに来てやったのです。さあ、存分に歓喜に打ち震えるがいいのです」
「そっか、ありがとな。でもごめんな、生憎だけど打ち震える余裕もないんだよ……この通り体がガタガタで……」
「おまえはねねの貴重な時間をなんだと思っているのですかーっ!!」
「それって俺の所為なのか!?」
両腕を上げて怒るねねをなんとか宥めようとするが……あれ? 宥めるって、俺なにか悪いことしたっけ?
若干の疑問を抱きつつも体を起こして話そうと「おごぉっ!?」……無理でした。身体を起こそうとした瞬間、ビキィと痛みが走って硬直。中途半端に起こした姿勢のまま、寝台にぼてりと倒れた。
笑えるくらいに体がボロボロだ。まさか鍛錬よりも皆との相手のほうが体を痛めつけることになるなんて、思ってもみなかった。
加えて、開けっ放しだった出入り口からは次から次へと将たちが入ってきて……ちょっと待てみんないつからそこに!? 今来たばっかりじゃないよな!?
「よぉアニキ、お見舞いに来たぜ~」
「ごめんなさい一刀さん、麗羽さまの無茶に付き合わせてしまって……」
「……ちょっと斗詩さん? なぜそこでわたくしだけが悪いような言い方をするのか、きっちりと説明してくださる?」
「いや、結局あのあと散々アニキを引っ張り回したじゃないですか。アニキが倒れたのって絶対に麗羽さまの所為ですって」
「なっ……あ、あれしきで倒れる方が軟弱なんですわよっ! それは、最後だからと連れ回しすぎた感は……ごにょごにょ」
「あ……やっぱり少しは罪悪感があるんですね」
「斗詩さんっ!? 何か仰いましてっ!?」
「な、なんでもないですぅっ!!」
……。えぇと、あの。出来れば静かに───なんて願いが届くはずもなく、人が集まれば騒がしくなるのは当然。
いつかのように蜀将でいっぱいになった部屋を見て、また酔っ払い地獄になりはしないかと……それだけを心配した。
などと心配しているうちに、のしのしとすとすと寝台に登ってきた犬猫たちに、体の上や寝台の隅々を占領される。
……空気が、一気に犬猫臭に満たされた。
「あうう……ごめんね、お兄さん……」
「あ、は、はは……さ、騒がしいのは嫌いじゃない……から……」
さすがに笑顔も引きつった。
賑やかなのはいい。もちろんいいが、さすがに今日はもう勘弁してもらいたかった……はぁあ。
……って、あの。さっそく酒の香りが漂ってきてますが? これって犬猫たちにとって平気なものなのか? むしろ今日、俺が平気でいられるのでしょうか。
「うぅう……気持ち悪い……」
「だらしがないぞ焔耶、あれしきで酒に飲まれるとは」
「焔耶ちゃん、悪酔いには迎え酒がいいわよ? ほら、飲んで」
「い、いやっ、ワタシはもうっ……」
チラリと見てみると、酒鬼に捕まった焔耶を発見。
酒に負けながらも来てくれた根性には素直に感謝したいが、潰れる前に逃げたほうがいいぞ……と、せめて目で伝えた。
一度も視線が交差することがなかったから、なんの意味もなかったけど。
「北郷殿、肉体の疲労回復にはやはりメンマ。美味なるものを食せば、疲労もたちまち吹き飛びましょう。私の手製ですが、いつか北郷殿が食したらしき私のメンマよりも、きっと美味に仕上がっておりますぞ」
「こらこら星、病人(?)にそんな塩辛いものを勧めるもんじゃない」
「おや白蓮殿。翠との話はもう?」
「これから煮詰めていこうと思ってるところさ。それよりも星、好物だからってそんなに勧めるのは───」
「む……これは心外。確かに好物ではあるが、何も無理矢理に食べさせる気は一切無し。メンマとは広めるものであり、押し付けるものでは───」
……寝台の傍で始まったメンマ談義に、少しだけ頭痛を感じた。
酒、動物臭、メンマ臭、様々な香りが入り乱れる中で、“来てくれてありがとう、でもそろそろ本気で気絶したい”と思う俺が居た。
気絶に限らず、もう休めるならどうでもいいです。
多分、高熱を出して動けない状態なのに、周りが宴会を始めた~っていう状況が、今のこの部屋の状態なんだろう。
呼吸を整えたって全然眠れやしない自分の体を、今日ほど恨んだ日は無い。
お見舞いは素直に嬉しいんだけど、もう、ほんとうに、体が限界なんです皆さん。
だから───あ。
「……桃香。みんなには、そのまま騒いでてくれて構わないって言っておいて」
「え? でもお兄さんが」
「ん、大丈夫。気配を感じたから」
こんな時まで姿を隠す理由がわからないが、辛い時には傍に居てくれる人。
そんな存在に感謝しながら、犬猫に埋もれた両腕をなんとか引き抜いて、頭の上の子猫をどかす。それから「すぅ……」と息を吸い、吐くと、トンッと軽い衝撃。
視界が白んでいくのを感じながら、最後に見えた溜め息を吐く姿に感謝を飛ばした。
「……あれ? お兄さん? …………寝ちゃった」
明日はどんな一日になるだろうと考えてみる。
多分、あまり変わらない日が来るのだろうけど、それはそれで楽しそうだった。
……。
何事も無かったように朝を……迎えられたらよかったんだが、目覚めてから目にした景色は混沌風景だった。
昨夜この場に居た全ての人がそのまま居て、ただし全員眠っていた。そして酒臭い。滅茶苦茶酒臭い。
犬猫たちはいつの間にか居なくなっていて、何故か隣には桃香が寝ていた。
大丈夫だ、落ち着け俺。思春が居て、そんなおかしな事態が起こるわけがない。
彼女が居てくれるなら、俺は誰にも手を出さずに……思春さぁあーん!?
「えっ、あっ、え、えぇえーっ!!?」
皆が様々な場所で眠る混沌風景の中、呉から同行してくださっていた思春さんまでもが酔い潰されて寝ていた。
思わず飛び起きて傍らに走る───前に、つい着衣を調べてしまうのは、悲しい男のサガとご理解ください。……ん、大丈夫。桃香のほうもおかしなところはない。
じゃなくて思春!
「思春? 思春っ? どうしたんだいったい……」
「う、ぐ、ぅうう……! 喋るな、頭に響く……!」
わあ、二日酔いでいらっしゃる。
なんだか物凄く珍しいものを見た気分だ。
「や、けど思春が酔い潰れるなんて……酔い潰れたんだよ……な? まだ顔赤いし」
「ぐっ……と、止める間も無く酒を嗜んでしまった桃香様が、突然暴れ出して……な……」
「………」
ちらりと、布団ですいよすいよと眠る桃香さんを見る。
なるほど、王に勧められた酒を飲まないわけにもいかず、っていうやつか。
そういえば酒癖悪かったもんなぁ……その、華琳の胸を触りに行くくらいの暴走っぷりだったらしいし。
「…………ところで思春?」
「なんだ……」
「こんな調子で俺……気持ち良く蜀を去れるのかな……」
「……濁しても仕方の無いことだからはっきり言ってやろう。不可能だ」
「ですよね……」
まさか二日酔いの将に見送られることになりそうだとは、ここに来た時は思いもしなかった。ていうか普通思わないし思えない。
これも記念になるのかなぁなんてことを思いながら、まずは思春を連れて、厨房へと水を求めた。
……。
……水をもらい、食事を取ると、ようやく体が目覚め始める。
まさかぐったりな思春をそこらに置いて朝の体操をするわけにもいかず、今日は体は動かさずにいた。
部屋に戻ると七乃がみんなを介抱してくれていて、戻ってきた俺をにっこり笑顔で追い出し、「乙女の弱った姿を見るなんて、いけませんよ」と言って、部屋の扉は閉ざされる。
「………」
「………」
思春とともに、無言で待つ。
しばらくして開かれた扉からは、ゆらゆらと歩く幽鬼が将と王の数だけ登場。
あ~う~……とくぐもった声を出しながら、彼女らは部屋へと戻っていった。
えと……うん、なんかもうこのまま蜀を出たほうが気持ち良く別れられる気がしません?
こんなんじゃあ逆に心配で、出発しづらいんだけど……。
なんて思いながらも、七乃に兵と街のみんなに挨拶を済ませたら、すぐにでも出発する旨を伝える。「随分と早いんですねぇ」と言う七乃だったけど、変わらずの笑顔でピンと人差し指を立てると、それをくるくる回しながら了承。
「それらが終わったら玉座の間へどうぞー。なんとかそう出来るように運んでみますから」と言い残し、歩いていった。
「…………思春、俺は兵のみんなと別れを済ませてくるけど、どうする?」
「……昨日、喝を入れたばかりだ……。こんな無様を見せられるか」
「だよな。じゃあ部屋……は、酒臭いから東屋で待っててくれるか?」
「………」
こくりと頷いて、よろよろと歩いていくのを見送る……ことは不安で出来ず、抱きかかえて問答無用で運び、椅子に座らせてから言い分も聞かずに駆けた。
よし、早く回ろう。普段が普段なだけに、あんな思春は見ていて心配だ。
「え~っと……」
足早に兵舎を回る。
今日も頑張ろうと、互いを励まし合っている兵を見ると、こちらも頑張ろうって気になるから不思議だ。
そんな彼らに声をかけ、笑い合いながら話をする。
「あ、そういえば今日だったか……悪いなぁ、昨日も調練はあって、抜け出したりはできなかった」
「いいって。昨日会えたとしても、体がガクガクで動けなかっただろうし」
「ガクガクといえば、聞いたぞ? 鍛錬の日に五虎大将軍と戦って、こっぴどくやられたって」
「あぁ、それ俺も聞いた。よく無事だったなぁ」
「……その反動で昨日は筋肉痛でさ。なのに恋……呂布とやることになってさ……」
「……つくづく思うけど、お前ってよく生きていられるよな……」
「あの飛将軍を相手に……というか、うちの将軍を相手に五体満足って……」
……笑いながら、だと思う。
どちらかというと乾いた笑いの方が多かったかもだが。
そうして見送られるままに歩き、擦れ違う侍女さん達にも別れと感謝を口に、また歩く。
街へと向かい、ボランティアで知り合った人達と話し合ったりもして。
「そっかぁ、今日だったかぁ……あぁ、だから昨日は引っ張り回されてたってわけか」
「張将軍は走り始めると止まらないからなぁ、がっはっはっはっは!」
「まあ、なんにせよ楽しかったぜ、にいちゃん」
「またいつでも遊びに来るといいや。そん時ゃ、饅頭の一個くらいはおまけしてやるよ」
「たくさん買ったら、だろ?」
「はっはっはっは、よ~くわかってんじゃねぇか!」
饅頭屋のおやっさんと話す傍ら、声が聞こえたのかぞろぞろと集まってくる人達にも事情を話す。
すると、案外“近いうちに俺が帰る”って話は知ってはいたけど、それが今日だとは知らなかったって人が多かった。
そのためか「今日だったのか」、「今日なのかい」という言葉ばかりを耳にした。
そんなみんなに今までの感謝や挨拶をして、もう一度城へ。
その頃にはさすがにみんなシャッキリと───していませんでした。
「うぅうう……頭痛いぃいい……」
東屋で休んでいた思春を連れ、玉座の間に来た……のはよかったんだが、玉座に座る王様が頭痛に敗北し、ぐったりしている様は中々に衝撃的だ。
愛紗に小さく「桃香さまっ……!」と怒られ、桃香はビクリと姿勢を正すんだが……今度はその愛紗が今の小さな叫びでも顔をしかめ、頭痛に負けていた。
ああ……なんか“蜀に居る”って感じがする。
強いんだけど、どこか家族の絆みたいな緩さを感じるこの国に、思わず笑みがこぼれる。
辛いようだし、あまり喋らせるのも悪いから、伝えたいことだけを軽く伝える。
あの山賊まがいのことをしてしまった民の出発は、いつ頃になるのか。
それに対しての呉の反応はどうだったのか。
訊きたいことはあったけど……なんとなく、訊かなくてもいい方向に転ぶ気がしたから、訊くことはしなかった。
「あまり長く話すのもなんだし……そろそろ行くな?」
「うぅう……ごめんねお兄さん……。こんな筈じゃなかったんだよぅ……」
心底申し訳なさそうに、やっぱりたぱーと涙を流す王様が居た。
変わるものはやっぱりたくさんあるけど、変わらないものもあるなぁと……そんな涙に感謝した。
そうして“変わらないものへの安心”ってやつを受け取って、一度皆を見渡してから、「お世話になりました」という感謝の言葉と同時に頭を下げた。
返事は無かったけど、皆一様に目を伏せ、笑みを浮かべて頷いてくれたから、それを返事として受け取って……歩き出す。
(じゃあ……帰ろうか)
道中、兵をつけてくれるという桃香のやさしさに感謝しつつ、しかしながら思春がこんな調子なのでやんわりと断る。
こんな調子だから、付き添いが居てくれたほうがいいかもだが、問題ないと言う思春の言葉を信じて、あくまで二人での出発。
……さすがに歩きで魏まで行くには、どれほどかかるか解ったものではなく……馬は借りることになったけど。
「………」
馬屋へ行き、麒麟にも別れの挨拶を済ませ、城を出た。
お供は名も無き馬が二頭。
いつかの呉の時のように、見送る姿は一切無い。
街を抜ける傍ら、街の入り口前に居た警備兵に声を掛け、成都を出る。
二度と会えなくなるわけでもないのだから、別れは静かに。
というかまあ、あんな状態で街の外にまで見送りに来られたら、さすがに町人たちが呆れる。
そんな、どこかに感じる“蜀らしさ”にやっぱり笑いながら、大きな町を振り返った。
落ち着いたらまた来させてもらおう。
その時は、仕事とかは関係ない自分として、ゆっくりと見て回りたい。
そんなことを思いながら道を進み───…………道中。
馬に揺られた思春が、口も利けなくなるくらいにぐったり状態になりました。
やっぱり付き添ってもらったほうがよかったかなぁと思いつつ……魏への帰路を進む歩は、ようやく一歩を踏みしめた。