11/明日のために今始めよう
宴が終わり、夜を越えて朝が来る。
だが呉や蜀のみんなが帰るにはまだ早い今日という日に、俺は城内通路を駆け、ある人物を探していた。……まあその、宝譿を頭に乗っけたままで。
部屋にも居なかった。兵舎にも居ない。
ならばと街に繰り出し、いつものと呼ぶには離れすぎていた料理屋へ入ると、店の中を見渡して───凪を発見する。
「凪!」
その姿を見るや周りの目も気にせずに叫ぶと、真桜、沙和とともに食事中だったその目が俺に向けられる。
「隊長……? ───何事ですか!」
ただならぬ俺の様子を感じ取ったのか、その表情は真面目そのもの。
急に身を正した所為で、食べかけだった麻婆豆腐が口の端に少しついているのはご愛嬌ということで。
「凪……お前に、お前にしか出来ないことを頼みたい!」
「自分……私にしか出来ないこと、ですか……?」
「ああ。どうしても凪が必要なんだ……出来れば頷いてほしい」
「隊長……」
凪の顔がカッと赤くなり、だがすぐにキリッとすると真っ直ぐに俺を見て頷く。
「はっ! この楽文謙、隊長の願いであればどのようなことでも!」
その目は白馬に乗った王子に焦がれる少女のようでもあり、憧れている誰かに必要とされた瞬間の少女のようでもあり───
希望に満ち溢れた表情がそこにあり、凪は食事を完全に中断すると自分の分の料金を卓の上に置いて、その場を離れて俺のもとに……
「ちょ、ちょちょちょちょい待ち、凪!」
「そうなの! ちょっと待つのー!」
───来る前に、真桜と沙和に捕まった。
「な、凪ぃ? いつの間に隊長とこんな羨ま……羨ましい状況になるようなことしとったん……?」
「……言い直す意味がないぞ、真桜」
「そんなことはどーだっていいの! 隊長となにかするときは三人一緒って言ったのー!」
「せやぁ? やから隊長、凪連れてくゆぅなら漏れなくウチらもついてくで~」
真桜がニッと歯を見せながら笑う。
沙和は沙和で凪を後ろからガッチリとホールドしていて、意地でもついてくる気らしい。
「……いいのか? 痛いかもしれないぞ?」
「うあっ、隊長痛いことするん?」
「いや……痛くないかもしれない。逆に気持ちよかったりするのか?」
「いえ、わたしに訊かれましても」
「なんのことだかさっぱりなの……」
三者三様。
共通点といえば、俺の頼みがなんなのかがわかってないことくらい……だよな。
ってそうだ、俺まだ用件の方をきちんと伝えてなかった。
「えっとな、折り入って相談……じゃないな、教えてもらいたいことがあるんだ」
「教えてもらいたい? ……まさか隊長~、戻って早々“俺の知らない凪を教えてくれ”とかゆーて……あ、ちょ、たんまっ! 暴力反対っ! あたっ!」
どうせ茶化されるだろうと予測して、真面目な雰囲気を出しつつ言ってみればこれである。ツッコミするように額を叩き、いい加減真面目に受け取ってくれとばかりに言葉を発する。
「ヘンなこと言わないっ! 話がややこしくなるから真桜はここで待機!」
「あぁ~ん、べつに変なことなんてゆーてへんやぁ~ん!」
「場所を弁えてくれ頼むから……!」
叩かれた額をさする真桜に声を潜め、周りを見ながら言ってやると、さすがに「あ……あちゃあ~……」と言いながら頭を掻くしかなかったようだった。
そんな真桜の横で、いつの間にか凪を押さえるんじゃなくて抱きついているだけの沙和が言う。
「それでたいちょー? 結局教えてもらいたいことってなんなの?」
「ああ───凪」
「はい、隊長」
ごくりと息を飲む音がした。
見れば……どこか緊張しているような、でもなにかに期待しているような風情で俺の言葉を待つ凪。
べつに引き伸ばす理由もないし、俺は覚悟を決めると凪の両肩を掴み、真剣に言った。
「俺に───俺に“氣”の使い方を教えてくれ!」
「はい!! ………………───はい?」
顔赤らめた返事から一変、首を傾げて疑問を絞り出すような声が漏れた。
真桜と沙和がズッコケた理由もわからないまま、ともかく了承を得たことにより、鍛錬は始まったのだった。
───……。
それからしばらくして、洛陽の中庭には俺と凪と真桜と沙和の姿があった。
ここで宴があったことなんて忘れられるくらいに、ザッと見ただけでもすっきりと後片付けされたとわかる中庭。
それでも地面に染みついているのか、時折香る酒の匂いに少し苦笑が漏れる。
こればっかりは大目に見てもらうしかない。さすがに匂いまでは片付けられなかったのだ。
そんな中庭の中央で準備運動をしている俺と、俺の視線の先に立つ凪。その後ろには真桜と沙和が居る。
「おいっちに、さんっし……───っと。それで凪、氣を練るってどうすればいいんだ?」
「…………」
「あの……凪さん?」
料理屋を出てからここまで、やたらと暗い凪は……俺がなにを言っても心ここにアラズといった感じで、時折ぶつぶつと何かを呟いているんだが、声が小さすぎて聞こえない。
思わず問いかけるように名前を口にするが、それでも暗雲を煮詰めたような暗く重苦しい空気を背負ったまま、返事もしてくれなかった。
「やぁ~……隊長、今回は隊長が悪いで」
「え? 俺?」
「一年経っても鈍いままなの……」
「えぇ!? おっ……俺が悪いのか!? や、だって……氣の練りかたって他に出来る人知らないし、凪なら誰よりも詳しく教えてくれるって思ったんだけど……」
ワケもわからないままに自分の気持ちを口にするが、そんな俺に真桜はチッチッチと指を振るい、ニヤリと笑う。
「あー、そらアカンで隊長。もっと細かいとこに目ぇ向けたってくれんと。一年ぶりに会ぅたゆーのに氣の使い方教えてくれ~なんて、いくら凪でも───」
「自分ならば誰よりも詳しく…………わかりました隊長。氣の扱い方、教えさせていただきます」
「ほれみぃ隊長、凪かてうぇええっ!? 凪、それでえぇの!?」
「隊長が必要としてくれているんだ。断る理由は……その、見つからない」
「凪ちゃん、乙女の純情を踏みにじった~とか言えば理由になるよ? がつんと言ってやるの」
「純情?」
よくわからんが俺は凪の純情を踏みにじったらしい。いったいいつの間に?
気になって訊いてみようとしたが、早速凪が説明に入ってしまったので機を逃してしまった。
「隊長。まず知っておいてもらいたいのですが、“氣”は誰の中にでもあるものです」
「誰の中にも……ってことは、俺にも真桜にも沙和にも?」
「はい。体内にある氣を一箇所に集めることが出来るようになるのが、最終目標ということになりますが───まずは自分の中にある氣を感じ取るところから始める必要があります」
「ふむふむ……」
凪の説明は丁寧だった。
こんな感じでやればいい、こうしたらわかりやすいかもしれません、などなど。
懸命に俺でもコツが掴めるように、いろいろと助言をくれる。
「大事なのは集中力か。む───……集中、集中……」
「あ、目を閉じるのはやめておいたほうがいいです。目を閉じると意識が耳にいってしまうので、逆に集中が散漫になります」
「う……難しいな」
それでもやる。
足を肩幅に開いて、腰をほんの少しだけ落として膝もちょっとだけ曲げて。
丹田に力を込めて、その力を心臓にまで持っていく感じ……だったか。
あとは騒音の中で心臓の音を拾えるくらいの集中と、鼓動の音に紛れて聞こえる僅かな音に耳を傾ける……だったよな。
「……………」
…………。
……。
───5分後。
「俺……! 五行山で孫悟空助けて天竺目指すよ!」
「隊長、なにゆーとるん?」
「うん……なんでもない……」
よし落ち着け俺。出来ないならもっと意識を集中させよう。
(………)
……違うか。集中しようだなんて考えるな、自然体でいい。
そもそも集中とか言っても、自分がそうしていることが本当に“集中”という行為なのかさえわからないんだ。
だったら余計なことを考えるよりも……自分を失くすように念じる。
「すぅ……はぁ……」
目は閉じない。
が、意識は自分の内側へ。
目に見えるものに意識を囚われず、ひたすらに目には見えない内側へと───……
…………。
「……隊長~、隊長~? ……うわ、すごいで凪。隊長、なにやっても気づかれへん」
「面白いねー。あ、真桜ちゃん、くすぐったらどうなるか試してみるの」
「おっ、そら名案やな~、くっひひひひひ……!」
……。
「う、うぉお……くすぐってもビクともせんで……」
「ねぇ凪ちゃん、これって大丈夫なの?」
「ん……問題はないはずだ。むしろすごい集中力だと思う。これが出来るならあとは……隊長、聞こえますか、隊長」
……右肩になにかが触れる。
自分以外の鼓動がそこから響いてくる。
自然とそこに意識が向かい、鼓動以外の“なにか”もそこへと向かってゆく。
…………これが……氣……?
「隊長、私が氣で誘導します。今感じている“違和感”が右手に集まるように、集中を傾けてください」
右肩からなにかが離れ、次いで右手になにかが触れる。
途端に右肩に向かっていた“氣”だと思うなにかが右手へと流れていき───
「…………凪? べつになにも起こらへんで?」
「失敗なの?」
「いや……氣は確かに集まってる。集まってるけど…………その。弱すぎて形にならないみたいなんだ」
「あぁらっ!? ここまできてそれかい……」
「さ、さすが隊長なの……」
右手に集まるなにかを見たくて、開いているけど何処も見ていなかった目で自分の右手を見る。
と、光ってるわけでもない、普通の俺の右手がそこにあった。
「…………えーと…………あれ? 失敗?」
思わず首を傾げる。
なにかがそこにある感覚は確かに存在するんだが、凪のように燃えるような闘気があるわけでもない。
不安になって凪、真桜、沙和を見るんだが、何故か真桜がズッコケてた。
「いえ隊長、氣の収束は成功しています。ただ体外に出せるほど、隊長には……その、氣が無いようで……」
「……うわーあ」
失敗してくれたほうが、いっそ諦めがついた結果だった。
どこまでも凡人ってことなんだろうか……ああいや、諦めがつかないんだったら氣を高めていけばいいんだよな、うん。
「氣を増やす方法ってあるのか?」
「あるにはありますが、一朝一夕で身に着くものでは……」
「だよなぁ……」
……うん、でも氣ってやつを感じることは出来た。
氣を集めた右手がフワフワと暖かい。
普段も重力なんて感じないくらいなのに、今は右手だけがやけに軽いようだ。
暖かい暖かい……………………って、あれ?
「なぁ凪? 右手に氣が集まってるのはわかったんだが、これってどうすれば戻るんだ?」
「あ……そうですね。集めた氣を放たない場合は───」
そうして始まる凪流氣教室。
今感じた“違和感”を身体全体に行き渡らせる感覚で集中する……らしいんだが、どうにも“集中”のコツが掴めないでいる。
一回出来たからって、またすぐに出来るとは限らないってことか。こりゃ難しい。
「沙和や真桜は出来るのか?」
「あー、どないやろー……そらぁウチかて試したことあるねんよ? けど隊長みたく成功したことあらへんもん。螺旋槍は氣ぃで動かしてるねんけど、体内収束なんてよーわからへん」
「沙和は試そうともしてないの」
「そうなのか……」
言いながらももう一度。
違和感を全体に逃がす感覚で…………イメージして、集中して……えーと…………。
「……おっ」
右手の暖かさが無くなった。
どうやら成功してくれたらしく、なんとなく重かったような身体の“だるさ”も無くなった。
「凪は戦闘の中でもこんなことが出来るのか……すごいな」
「いえ、隊長もすぐに出来るようになりますよ。初めてで収束が出来るのは筋がいい証拠です。やはり修行を積んでみては?」
「せやなぁ~……以前は“暇があったらな”とかゆーて上手く逃げとったし、自分から言い出したんならここは一発、びしーっとやってみたらどーなん?」
「ああ。やる気は充実してるくらいだからさ。教えられることがあったら教えてくれるとありがたい。……けど、まずは自分でどこまで出来るか試してからにするよ。答えばっかりを求めるのは、もうやめにしたんだ」
この氣の扱い方だって、じいちゃんとの修行の合間に“出来ないもんかなぁ”ってやってみていたもの。
もちろん俺だけじゃ無理だった。こうして凪に誘導してもらわなければ、“こんな感覚”を掴むことすら出来なかったのだ。
ちょっと掴んだような気がして、“もしかしてこれが……!?”なんて思って少し嬉しかった時の俺よ……あれは間違いだったようだよ。
「隊長どうしたのー? 遠くの空なんて見つめて」
「いや……うん……馬鹿だったなぁって……」
しみじみと恥ずかしかったけど、せめて無駄ではなかったと思うことで今後の教訓にしよう。
恥ずかしさがあれば、もう間違うことはないだろうっていう教訓に。うん。
「ところで隊長? 呉に行くゆーとったけど、氣のことはそれと関係あるん?」
「ん? んー……あるといえばある……かな。ほら、帰って早々に別の国に行くわけだろ? だからさ、魏の誰かからしか得られない“なにか”が欲しかったんだ。すぐに戻ってくるつもりだけど……俺、まだ呉の状況を知らないから、結局はいつ戻れるかもわからないし」
「状況を知らないって、それなのに呉に行くって決めたのー!?」
「う……悪い。でも困ってる人を見捨ててなんておけないだろ?」
「はぁ……お人好しにも程度っちゅーもんがあんで、隊長。いくら同盟結んだゆーても、あっちが困ったらあっちへ、こっちが困ったらこっちへなんて、そんなんやっとったら体壊れんで?」
「うぐ……」
言葉もない。
何かを守るためにと立ち上がった俺だけど、そもそもの目的は魏の国へ恩を返すため、魏のみんなを守るためだったはず。
同盟を組んでいるからって、俺が行かなきゃいけない理由はそこにあるか? って訊かれれば、言葉にも詰まってしまうのが今の俺。
けど、今……そんな“俺”が求められている。
天の御遣いって名が今も役に立ってくれるなら、利用でもなんでもしてくれればいい。
それで誰かが笑ってくれる未来が築けるなら、利用される価値もあるってもんだ。
「……すまん、それでも行くよ。戦が終わって一年経ったのに、まだ“争い”から抜け出せないヤツが居るなら、そいつらに日常ってやつを教えてあげたい」
「日常……ですか?」
「ああ。戦いを常としてた人の中には、戦いこそが己の生き甲斐って思ってる人も居るだろ? 平和になった代償に張り合いを失くす人も居る。霞とかが実際そうだったわけだけど、でも……戦いだけが全てじゃないってこと、教えてやりたい。平和の中にあるちょっとしたことも……意識して見てみれば、そう捨てたもんじゃないんだってこと、教えてやりたい。それと同じように、呉の人達にももっと広い視界で“今”を見てもらいたい」
「ん~……相手は呉の民なん? 呉の民相手に教えるゆーてもなぁ……具体的にどーするん?」
「ああ。……実は今もまだ考え中だったりするんだけど……どうしよ」
「だぁ~ぁあっ!? そこが一番肝心なとこやで隊長~!」
頭を掻きながら言う俺を前に、真桜はまたズッコケていた。
凪も呆れているのか、目を伏せて小さく息を吐いていた。
「まあ、自分に出来ることをやっていくしかないんだよな、結局。だからさ、いろんなことを覚えよう、出来るようになろうって思ったんだ。凪に氣のことを教わるのだってもちろんそうだし、それが魏との絆だと思えば離れるのも寂しくないよ」
「隊長……」
「絆かぁ~……せやったら隊長、ウチは絡繰のこと教えたる」
「え? いや、それは……」
「ずるいのー! なら沙和は阿蘇阿蘇で覚えたこと、い~っぱい隊長に教えてあげるのー!」
「真桜も沙和もちょっと落ち着けって。そ、そんないっぺんに覚えられるわけないだろ? な?」
「あ~、ウチそんなん知ら~ん。“覚えられんなら覚えるまで”って袁術とかにゆーたんは隊長やもん。一度ゆぅた言葉の責任、ちゃあんと実践してみせんと。な~? た~いちょ」
「あ、う、うー……! ……手短にお願いします……」
そして、ぐぅの音も出ない俺が居ました。
基本的に俺のポジションって、どれだけ強くなっても変わらないのかもしれない……そう思った、とある日の昼下がりであった。