86/子猫のあやし方?
「……終わらないな」
昼。
重ねた竹簡が山になる様に溜め息を吐き、伸ばした手の先にある竹簡の山にも溜め息。
目覚めた昼から続く書簡整理も、まだまだ終わらない時間が続いていた。
ちなみに今日は袁術も起きている。
寝台の布団の上に座り、じーっとこちらを観察しているのだ。
「うぐ……目が霞んでる」
机で寝た所為か熟睡も出来ず、寝不足がたたって、文字を追う目も霞んでくる。
目頭をマッサージしたところで大した効果も得られず、眉間に皺を寄せながら見ることに……
「……、……っ……!」
「………」
……出来るはずもなく、穏やかな笑顔のままの作業が続く。
だって少しでも怖い顔すると袁術が怯えるんですもの。
目薬がほしいな、切実に。昔のCMの如く、一滴たらして“来たァァアーッ!”とか叫びたい。あ、うそです、目薬差して、ただただそのまま眠りたい。温かい布団で。
華佗の鍼って眼精疲労にも効くんだろうか。
そういうのがあったら是非ともやってもらいたいもんだ。
「……ん」
気を使う時間が続いたからか、少し喉が渇いた。
刺激しないようにゆっくりと椅子から立ち、ちらりと袁術を見る……と、布団を抱き締めて、子猫か兎のようにカタカタと震えていた。
せっかくだからと、これまた刺激しないようにやさしく語りかけることにする。
「……袁術? 今から厨房に水をもらいに行くんだけど、一緒に───」
「嫌じゃっ! 出たくないのじゃ!」
これぞ……のちのHIKIKOMORIの誕生である───!
……冗談のつもりで想像してみたのに、シャレにならなそうなので思考を打ち切った。
「そ、そか。じゃあ蜂蜜以外で飲みたい飲み物はあるか? 一緒に貰ってくるぞ?」
「……う……蜂蜜はだめなのかや? 妾は蜂蜜水がよいのじゃがの……」
昨夜(昨夜?)の昔話が効いたのか、多少は話すようにもなってくれた袁術だが、ただ単に己の欲望に正直なだけであり、近づけばビワーと泣き出すところは変わっていない。
自分を包む氣にはもう慣れたのか、もうどーのこーのと言うこともなくなったのに。
「だ~め。それは袁術が自分で外に出て……俺と一緒でもいいから、厨房に行った時にだ」
「うぅ……」
俺の言葉にちらりと扉を見るが、動こうとはしないおぜうさま。
そんな彼女を見て溜め息混じりの苦笑をひとつ、換気のためにと窓を全開。部屋の出入り口である扉も解放したまま、厨房へと向かう。袁術が窓と出入り口とを涙目で交互に見まくっていたが、何かを言われる前に歩いた。
あのままじゃあ部屋の中の空気が濁り切る。
そんな中での書簡整理はさすがに勘弁していただきたいのだ……本当に。
(さて……と)
特に急ぐでもなく歩き、道を間違えることもなく厨房へ。そこで水をもらって喉を潤したところで、自分の分とは別にもらった水を片手に通路を行く。何処へ向かっているのですかと訊ねられれば当然、自室へと答えるわけだが……
「げっ」
「目にした瞬間に“げっ”はないだろ……」
途中で桂花と遭遇した。
そうすることが然であると断言する眼力が、全力で俺を汚物として睨んでくる。
こいつの頭の中がどうなってるのか、本当に一度見てみたい。
……どうせ、俺への憎しみが2割、残りは華琳への愛で満たされているんだろうが。
「なに? わざわざ移動して水を飲むの? そんなもの厨房で済ませてきなさいよ。飲みながら歩かれたら、落ちた水滴で床が腐るじゃない」
「どんな生命体だよ俺は! 大体これは俺が飲むやつじゃないんだから、飲みながら歩いたりなんかしないっつーの!」
「あんたが飲むんじゃない……? はっ! まさかあんた、性懲りもなく華琳さまに!」
「ええい常時爛漫な脳だなちくしょう……時々お前の頭の中が羨ましくなるよ」
前言撤回だ。一割が俺で九割が華琳だ。
むしろ一割の中にも華琳が含まれていて、十割を占めることが出来ないからって俺を憎んでいる。突き詰めれば、そんな嫌な方程式が完成しそうだ。
「せっかく天に帰ったって安心していたのに、居なければ居ないで華琳さまに溜め息なんかを吐かせて……! 戻って早々に他国に飛んで、ざまぁ見なさいと思えばまた溜め息を……! しかもその上、戻ってきたと思えばねちっこくも華琳さまを付け狙う始末……!」
「“華琳って花”が爛漫なんだな、お前の頭の中って」
「なに当然のこと言ってるのよ。そんなことに今さら気づくなんて、よっぽど馬鹿ね」
うんごめん、一割にも届いてないよ俺の存在。
気づいていたとも、ただ理解したくなかっただけのことさ。
たとえ既に理解していたとしても、忘れていたかっただけのことさ。
頭の中が春、とか比喩的表現で言うものがあるけど、ここまで華琳のことで頭がいっぱい、桜花爛漫軍師も珍しい。春蘭だってもう少しは……ほら、秋蘭のこととか気にかけてるし。
「………」
ただ知識が武か、どっちに得意分野が向いているかの差で、人は春蘭にもなれば桂花にもなる、なんて想像をして、身を震わせた。怖いわ。
「……それで、桂花はこれから何をするつもりだったんだ?」
いい加減話を終わらせないと、延々と馬鹿呼ばわりされそうだ。
なので、ちらりと桂花が手にするものに目を向け、訊いてみる。
もちろん返ってくる言葉なんてのは容易に想像できるわけで。
『なんであんたなんかに私の予定を話さなきゃならないのよ』
「───なっ!?」
「あっはっはっはー、言うことが単純だなぁ桂花さんはー」
だから声を重ねて言ってやると、カッと顔を赤くする軍師さま。
そんなささやかな仕返しに、ふるふると肩を震わせた桂花が言葉にならない罵倒をする中でゆったりと歩く。……たまにはいい薬だろう。今日か明日あたりにでも仕返しされそうな気がするのに、寝不足でまいっている心に少しだけ活力が沸いた。我ながら嫌な活力だ。反省。
背中に冷や汗、頭に嫌な予感を浮かばせながら、引きつった笑みのままに部屋に戻った。OK、反省とともに、仕返しにはきちんと正面から向き合おう。もちろん落とし穴に嵌りたいわけじゃないので、それは避けさせてもらうが……はぁ。
「馬鹿なことをした……。仕返しとなると、宅の軍師さまは手段を選ばないからなぁ……」
しかし、それはそれとして……茶器なんて持ってどうするつもりだったんだろうな。
そう、桂花は茶器を持っていた。
茶でも淹れるつもりだった? にしては向かう方向が厨房だったわけだが。
……淹れたあとか。華琳に自分が淹れたものを飲んでもらおうとしたとか。
「まあいいや、それよりも、と」
開け放たれっぱなしだった自室へ戻ると、袁術の様子をそっと見てみる……と、寝台の上にアダマ○タイマイ───じゃなくて、布団を被って丸まっている袁術を発見。
掛け布団と敷き布団の隙間から、こちらの様子を伺っている。
せっかくの換気も無視で、新鮮な空気を吸う気すらないらしい。
(しょっちゅう追い出されてたとか聞いたけど、そういう時はどうしてたんだか)
何を思ってこの部屋に寄生し始めたのかは謎だが……居心地がいいとかいい匂いがするとか、やっぱりそこなんだろうか。自分の匂いを嗅いでみたところで、美以の時と同様に特別な匂いがするわけじゃない。
あれか? 放置されすぎて野生に目覚めた? いやちょっと待て、氣を満足に扱えるようになったのは呉に行ってからだぞ? なのに俺からいい匂いなんて……じいちゃんとの鍛錬で、多少は氣が身に付いてたんでしょうか。初めて会う筈のセキトも、なにやら懐いてくれたし。……あ、なんかちょっぴり嬉しい……!
と、それはそれとしてと。
「袁術~? 水、もらってきたぞ~?」
「………」
様子を見ていたくせに、俺の声だと確認するまで顔を出しもしない。
ようやく顔を出しても、じーっと俺が持つ水の入った器を睨むばかりで……
「……毒なら入ってないぞ?」
仕方も無しに言ってやると、ようやく少しだけ睨むのをやめた。
人に頼りきりの少女が一人になると、こうなるのか……覚えておこう。
(……? そういえば、風呂とかどうしてるんだろうな)
静かに寝台に近づいて、その端に座って水を差し出す中で、ふと気になった。
差し出した水を手に、掛け布団を押しのけて女の子チックな座り方をし、こくこくと水を飲む袁術。その髪を見てみると……少しごわごわしていた。
まあ、布団に潜りっぱなしじゃあこうなる。
少し梳いてあげようか───とも思ったが、男の部屋に櫛などあるはずもなく。
「………」
「うん? っと、一杯じゃ足りなかったか?」
すっと差し出された器を見ると、中身は空っぽ。
しかし俺をちらちらと見る目は何かを欲しがっているようで……ようするにお代わりだろう。ついでに何か食べれそうかと訊いて、蜂蜜水だけは却下しつつ、何を持ってくるかを軽く考えた。
「一刀は意地悪じゃの……」
「おお、意地悪だぞー? 意地悪だから、嫌って言っても食べ物は持ってくるぞー? きちんと食べて、今日も頑張らないとな」
「う、うむ……」
困り顔の袁術から器を受け取り、あくまで自然な動きでその頭の撫でた。
突然のことだったのか反応出来なかったらしい袁術は、撫でられるままに硬直。そんな少女に自然と微笑みながら、「じゃ、言ってくる」とだけ言って行動開始。
換気は続けたままだから、開けっ放しの窓と扉からは心地良い風が流れている。
そんな風に誘われるように、軽い足取りで厨房を目指した。
先ほどと同様に軽い足取りで、しかし桂花が潜んでいないか注意しながら。
……居ないな。
(気にしすぎだな。大体、あいつだって暇じゃないんだし)
気にするのはやめて、そのまま厨房へ。
で、貰った昼食を自室に運び、袁術と済ませてからは書簡を整理する時間が続く。
目はぼやけたままだが、見えないわけでもないので続行。
飽きることなくカロカロバサバサと書簡竹簡を片付けて……そのたび、街で起こった些細なことで苦笑する。中には“その場に居合わせたかったな”と思うものもあって、惜しいことをしたと思うこともしばしばだ。
……その問題の原因のほぼが春蘭絡みだったりするのは、華琳の頭痛の種だろう。
それでも兵や町人に慕われてるのは素直に凄いよ、春蘭。
いつか秋蘭も納得してたっけ、春蘭が可愛いのは馬鹿だからだって。
実際に俺が馬鹿って言ってしまった時は、剣を振り回して追いかけ回されたもんだけど。
「ふむふむ……」
そういった、自分の知らない出来事を目で確認出来るのが嬉しくて、目はぼやけていても読むのをやめられない。机にかじりついている主な理由はそれなのだ。
(ん……真夜中に蠢く少女の影?)
ふと、竹簡を見ていく中で不思議な事件(事件?)を発見。
もう解決したのかどうなのかは読みきらないとわかりそうもないが……
「………」
「……?」
寝台の上で俺を見る袁術へと目を向ける。
もしかして袁術のことだろうか───とも思ったんだが、HIKIKOMORI状態の彼女がそんなことを出来るはずがない。もしやすればHIKIKOMORIになる前のことなのかもだが……まあいいや、とりあえず読み進めてみよう。
(……真夜中の街に怪事件。奇妙な音を耳に、起き出した何人かの町人が、街をゆらゆらと歩く少女を見たとのこと。話し掛けてみても返事もせず、呼び止めるように肩を掴むと、人とは思えないほどの冷たさを感じ、思わず離した……少女はそのまま、何も喋らずに歩いていってしまった、と)
どうやら未解決のことで、その後も何度か目撃例があるらしい。
発見し、肩などを掴むことで呼び止めた者は、一様に“冷たかった、硬かった”と言っているのだそうだ。
……町人が川へ行って、水浴びでもしていた……? にしては返事もしないでっていうのは気になるな。しかも硬いっていうのが……どうにも引っかかる。
(硬い女性? ……筋肉ゴリモリの不思議少女が、真夜中の鍛錬を終えたのちに……)
マテ、それは余計にありえないだろ。硬いと思われるくらいの筋骨隆々少女ってなんだよ。むしろそれだけ筋肉があれば、体温も多少は高かろうに。
……わからないことは後回しだな、次。
(……ありゃ?)
続きがあった。ご丁寧に硬い少女の話だ。
(竹簡って案外、書くスペース少ないもんなぁ)
続けて目を通してみる。
曰く、硬い少女は妙な音を出す。時折に鈍い音も出し、そんな時は何者かが驚くべき速さで連れ攫い……なんじゃこりゃ。
「あ、あー……うん……?」
何かが引っかかるんだが……なんだろうな。
……わからん。次に行こう。
「怪奇、猫と会話する軍師? ……いつから警備隊はゴシップ新聞社になったんだ?」
これ書いたの、もしかして沙和か?
報告することが無くて(恐らくサボって)、目に付いたものを適当に書いてみたって匂いがプンプンする。
これ、出した後は絶対に華琳に呼び出されたろ……。
「……くふっ、ぷっふふふ……」
その後も、見ているうちにみんなの失敗等が発見出来た。
どの国も同じだなぁと思う反面、完璧な人なんて早々居るわけもないことに、妙に安心する。そこのところは、鍛えても凡人だねぇと自分自身を笑う。
「……の、のぅ一刀……? 何ぞ可笑しいものでもあったのかや……?」
「お?」
竹簡を見て笑うなんて、おかしなことをしている俺に興味を持ったのか疑問を持ったのか、袁術がおずおずと語りかけてくる。
俺はそれに、大した思考も巡らさずに素直に手招きをした。
袁術はふるりと、そんな動作に怯えさえしたが……やはりおずおずと寝台から降り、てこてことこちらへ……掛け布団を持ったまま歩いてってこらこらこらっ! ……あ、あー……いいや、布団はあとで叩いて埃でも取っておこう。素直に渡してくれたらの話だが。
そんなわけで近寄ってきた袁術に竹簡を見せる。
仕事のものだから、誰彼構わず見せていいものじゃないんだが……まあ、どうかここは仲良くなるためだと納得してほしい。
見せるのは他愛無い街での出来事のものだし。
「字が……いっぱいじゃの……」
「読めないか?」
「ば、馬鹿にするでないのじゃっ、これくらい妾にかかれば造作もないことじゃ!」
竹簡がばっと奪われる。
そうした動作の中、離された掛け布団がドサッと落ちるが、袁術の意識はもはや掛け布団よりも竹簡に向かっているらしい。目を向けることもなく、竹簡を凝視していた。
俺はといえば……そんな少女の意地を苦笑とともに眺めつつ、落ちた布団を抱えて歩き、窓際で叩いた。
……埃らしきものは、そう出はしなかった。
そういえば誰かが定期的に掃除してくれてるとか言ってたっけ。誰なんだろうな……片手間で凪に訊いてみても、知らないっていうし。
「誰かは知らないけど、ありがと」
なるほど、こんな布団なら包まれて寝たくもなる。
寝不足だし、こうして抱いた布団に埋もれて寝れたら、それはどれだけ───お、おおっ?
「ふぇっ!? へ……あ、ああ……? 袁術か、どうした?」
窓枠に掛け布団を掛け、そこに顔を埋めていたら本気でオチそうになった。
そんな時に服を引っ張られる感触を覚えて振り向くと、竹簡を睨みながら俺の服を引く袁術。
「わ、わざわざ妾が読む必要もないであろ? 特別におぬしに読んで聞かせる任を与えるから、今すぐ読んでたも?」
「………」
プライドが恐怖に勝ったのか、恥ずかしさや無知が恐怖に勝ったのか。
任せるって言ったのに、読んでたも、と頼む姿に笑みながら受け取る。
なんにせよ、おかしな方向で俺達の接触は始まるらしかった。
「じゃあ、そっち座るか」
「うみゅぅ……仕方ないの、妾はここから動きとうないのじゃからの……」
早々と寝台の上に乗り、俺には寝台の端を指差し、提供する袁術さん。
ここ……俺の部屋だよな……?
ああいや、我慢我慢……とまあそんなこんなで寝台の端に座った。
机の上から持ってきた幾つかの竹簡を敷き布団の上に置き、カロカロと広げては話して聞かせる。
袁術は───そんな俺の隣に座り直すと、不安げな顔はそのままに、しかし足をぷらぷらと動かしては続く俺の話に耳を傾けている。
「昔々あるところに、お爺様とお婆様がおりました。お爺様は持ち前の武力を以って芝刈りに、お婆様は持ち前の知力を以ってどう芝を刈ればいいかを指示。二人は長い時をこうして生きてきた最強の老夫婦でした」
「……のう一刀……? それは本当にこの竹簡に書いておるのか……?」
「書いてないぞー? ただ、難しい話よりも楽しい話のほうがいいだろ?」
「むう……ど、道理よの? さすが一刀なのじゃ、ならば続きを話すがよいぞ?」
「ああ」
どこの一刀さんがさすがなのかは、今の僕には理解できなかった。
ただ、まあ……そう言いながらも不安げな顔で服を掴まれては、何も言えない。
少なくともそう、危害は加えないってことだけは受け取ってもらえたのだと喜ぼう。
「お爺様は普段の温厚な性格、そして痩せ細った体とはまるで別物の、筋骨隆々の姿となって憎き芝めを刈り滅ぼします。素手で」
「ななななんじゃとーっ!? 素手なのか!?」
「素手なのです。彼が手を振るうとズバズバと切れる芝は、まるで刃物で切ったと見紛うほどの見事な切れ目。いつにもまして見事な仕事に、指示をするお婆様も満足げに頷きます」
「お爺様は凄いのじゃの……!」
「最強ですから」
もちろん作り話なのだが……袁術は思いのほかお気に召したご様子。
とはいえ、即興話だからどこでどうオチをつけるか───……
……。
……さて。
「流れてきた桃には、なんと赤子が入っておりました」
「なんじゃと!? だだだ誰が捨てたのじゃ!?」
「モノ言えぬ赤子を桃に封じ、流した者こそ……鬼ヶ島の鬼!」
「ひぅうっ!? ででででは鬼の子ではないかーっ!」
「いや、違うな……。その赤子、実はコウノトリさんが人里に送るのを間違え、鬼ヶ島に届けてしまった赤子。それを風の噂で知った、すくすく育った赤子は思いました。“おのれコウノトリ……! 何年経っても桃の匂いが取れぬこの恨み、晴らさでおくべきか……!”と」
「ひどい話よの……」
「そしてかつての赤子……桃次郎の旅が始まります。いや、始まるはずだったのですが」
話始めてしばらく───……話はまだ続いていた。
話しながらでもなかなかどうにか出来るもので、未確認分の書簡の数は大分減っている。
しかしながら、当然の如く話はどんどんと脱線していき───
「なんとそこで桃次郎を気絶させたのがお爺様」
「なっ……なんじゃとーっ!?」
「子に恵まれなかった老夫婦です。そんな子供に旅をさせるほど、老いぼれてはいなかったのでしょう。身支度をするとお爺様とお婆様は頷き合い、諸悪の根源であるコウノトリさん、そして育てられないからという理由で、子供を桃詰めにした鬼どもを倒すための旅に出たのです───」
「おぉおお! お爺様は最強じゃからの! こうのとりや鬼なぞちょちょいのちょいなのじゃ! うわーはははははーっ!!」
そしていつの間にか、袁術の中でお爺様最強説が定着してしまっていた。まるでいつかの吾郎くんが如く。
……これ、もう全然怯えたりしてない……よな?
でもなぁ……話をやめると戻りそうだから、中々オチをつけられない。困った。
この話をするまで、こんな元気な袁術なんて見なかったし。
三国の宴以来か? こうして高らかに笑ったのって。
そんな調子でゆっくりと話して聞かせていた話も、いよいよ佳境。
それなりの山場を迎え、それなりの解決を経て、それなりの終端を迎えたわけだが───
「うぐっ……ぐしゅっ……お爺様……立派だったのじゃ……!」
「あ、ああ、うん……」
話し終えてみれば、どうしてか感動の涙を流す袁術さんが居た。
立派だったと言われても、別に戦死したとかそんなことはないのだが……なにやら感動された。お笑い中心のドタバタ活劇だった筈なんだけどな。
ともあれ涙を指で拭い、頭を撫でてやると、袁術は恥ずかしそうに軽い抵抗をする。
てっきりすぐに払われるかと思ったんだが……と思った途端にハッとした袁術が俺を押し退けるようにして離れ、掛け布団を被───ろうとしたが、掛け布団は窓枠に引っ掛けて干したままである。
すぐさまそこを目指してパタパタと走り出す袁術を眺めつつ……俺はやれやれって苦笑を漏らして竹簡の片付けに入った。
そろそろ陽も暮れる。
夜も袁術と食べようか。せっかく、少しは慣れてくれたんだから。
「じゃあ、終わった分を隊舎に片付けてくるから」
一応声をかけてから、布団にある書簡を抱える。
そうして数瞬目を離したその時……視界の端に、なにか見えたような気がしたんだが……戻してみても、掛け布団を引きずり下ろして包まる袁術が居るだけだった。
「?」
なんかこう……待ってとばかりに手を伸ばされたような……っと、陽が暮れる前に持っていかないとな。凪に迷惑かけることになる。
自分で言うのもなんだが、作り話が長引いてしまったこともあり、急がないとやばい。
なので気になることも半端に、軽く早歩きで部屋を出た。
そして───
近道とばかりに中庭を通るその途中、落とし穴に落ちたのは───
そんな、陽も暮れようとしていた空の下でのことだった。