静かに、抱き締めていた華琳を解放する。
多少顔は赤かったものの、俺を見る目はいつも通りの華琳だったから、俺ももらった勇気とともに顔と気を引き締めて、華琳と向かい合う。
「というわけで華琳」
「……ふふっ、吹っ切れた顔になったわね。なに? 今からでも───」
「わたあめを作ろう!!」
…………。
「……額に手を当てても、平熱以上の熱はないぞ?」
「なら、この状況でそれを言う理由はなによ……」
「や、明日から復帰なら、今日の今以降は非番扱いになるんだろ? 次の三国連合に向けて、催し物のネタを考えるのもいいかなって。目を通した書簡の中に、結構それっぽい話が混ざってたから気になってはいたんだよ」
「……わたあめ、というのは……貴方が消えるより大分前に話していたあれね? 凪が食べてみたいとか言っていた」
「そうそう。一応、簡易的なものではあるけど、綿菓子機の作り方も天で調べてきたから。あとは真桜さえ頷いてくれれば出来ると思う。砂糖結構使うけど」
「…………使う量は?」
「これくらいの大きさの綿菓子に対して、砂糖の量はこんなもの。なんだかんだで溶かした砂糖を棒に巻いただけだから、空気50砂糖50くらいの雲みたいなお菓子って考えればいいぞ」
「………興味深いわね。雲のようなお菓子……ふぅん」
「?」
顎に手を当てながら軽く俯き、けれど視線はやたらとちらちらこちらへ向けてくる。
なんだかその目に何かを期待されているような……顔が少し赤いままなことに関係がある? 綿菓子の話をしてるんだから、つまりは……───ああなるほど。
そういや凪も言ってたもんなぁ、華琳さまに教えて差し上げたらお喜びになるのでは~ってな感じで。
つまり華琳も綿菓子を食べたいと。
「大丈夫大丈夫、味に保障が出来るようならちゃあんと華琳にも届けるから」
「……本当に、どうしてこう望んだ時ばかり気が回らないのかしら、この男は……」
「え? なにが?」
「なんでもないわよっ!」
「うぇいっ!? ご、ごめんなさいっ!?」
なにがなんだか、急に怒られてしまっては謝るしかない。
図星だったってわけでもなさそうだし……気が回らない? なんのことだろ。
「まあ……とにかく少し考えてみるよ。っていっても、決心ってやつは自分が思うよりも固まってるんだと思う。魏は大事だけど、呉と蜀に行って得たものも大事だ。多分……魏を理由にしないなら、俺はもう呉のみんなや蜀のみんなのことが好きだから」
それは、焔耶が俺に向けた言葉によく似ている。
同属嫌悪がどうとか、思ったっけ。
おかしなところで人っていうのは似ているもんだ。
“自分の言葉で語れない自分”をなんとか横に置いて、自分の気持ちを語ってみても、そんな自分に自信が持てない時がある。
ただ……彼女らを大切に思う自分が居て、伝えられた言葉が嬉しかった自分も居るなら、断り続けるのは確かに胸が痛い。
(惚れやすいのかな、俺……───惚れやすいんだろうなぁ)
現に魏将や魏王に惚れ込んでしまっているんだから、否定なんて出来なかった。
あとは、心変わりばっかりするくせに他人のことには首を突っ込みたがる自分でもいいのなら、自然の流れに任せていこうと思う。
本当に……つくづく他人のことには気がつくのに、自分のこととなると頭が回らない。
人間っていうのはどうしてそうなのかな。
自分のことは自分が一番わかってるって言葉は、いったい誰が言い出して、誰に当てはまることなんだか。
少なくとも俺は違うよな。自分のことなのに、周りに教えられてばっかりだ。
(逆に俺も、他の誰かに対してそう在れてるだろうか)
少しでも周りに教えることが出来ているといいなと思いながら、「そろそろ行くな」と告げて歩き出した。
一度真桜と相談してみよう。もちろん惚れやすい自分がどうとかの話じゃなく、綿菓子機のことで。次の三国連合の宴がどんなものになるのかは知らない。というより……宴の中に急に降りたような俺だから、どんなことをするのかもまるで見当がつかない。
ドキドキはしている。またみんなに会いたいなって思いもあるし……会いたくなるようなみんなだからこそ、支柱になりたいと思った自分が居たわけで。
(……あー……なんだ、それってつまり……)
自分はもう相当に、みんなに惚れ込んでいたんじゃないだろうか。魏を理由にしないのなら、友達として好きとかじゃなく、力量が不足していようが守りたいと思えるくらいに。
「~……」
自分の理解の無さに顔が赤くなるのを感じた。
部屋を出るはずだったのに、歩みを止めた足がある。
ただ顔を片手で隠すようにして俯き、どうしようもないくらのむず痒さに襲われて、叫び出したくなった。ほんと、恥ずかしい。
「一刀?」
「あ……や、ごめん、ちょっと自分の情けなさに呆れてた」
「随分と今さらなことを言うわね」
「はぐぅ!?」
今さら……まあ、今さらだ。
さっきの例えじゃないが、自分が気づかなかったってことは周りはとっくに気づいていたんだろう。なにせ“自分のことは自分が一番わかっている”なんて人、その言葉の知名度以上に多くなんてないんだろうし。
「貴方は人はそう簡単には変われないって代表例だから、それでいいのよ。表面でどこがどう変わっていようと、根本が変わらない限りは変わったとは言えない。今の貴方が鍛錬だ勉学だとどれだけ走ろうと、根元が変わっていないのと同じようにね」
「うぐ……そうか? 自分では結構変わったと思うんだけどな」
「惚れ易い。女と見ればほうっておかない。困っている者は見捨てられない。妙なところでよく動くけれど空回りのほうが多い。他人のことには聡いというのに自分にはそれが向かない。だというのに他人が求めるとそれが逆の方向に向く。……まだあるけれど、全て聞きたい?」
「勘弁してください」
ぼろくそである。
なるほど、俺のことは華琳のほうがよっぽど知っているらしい。
「付け加えるのなら、鍛錬や勉学についても似たようなことが言えるわよ。勉学で言うのなら、この国の文字の書き方を知らなかった貴方が、この地で学び、書簡整理も出来るようになった。鍛錬で言うのなら、自ら警備隊に入り、体を痛めながらも隊長職につき、中々の安全を保障できるようにもなった。今の貴方はその鍛錬と勉学の幅が広くなっただけで、根本は何も変わっていないのよ」
「うわ……そうなのか?」
と言ってみるものの、反論が思い浮かばない。
「貴方が貴方として、わたしのものであるのなら細かいことには目を瞑るわ。だから、他国の王や将に手を出すことくらい、同意があれば頷いてあげる」
「手を出すこと前提なんだな……はぁ」
「わたしがそう望んでいるからよ。───大陸制覇は成った。この平穏が乱れぬようにわたしは王としての然を守り通す。桃香はここからでも自分の願いを叶えることが出来るし、雪蓮も……“誰もが笑顔で”という宿願を果たすことが出来る。だから一刀、貴方はそれら三国の王の意思を守る支柱……礎となりなさい」
「礎?」
「ええそう。武力で得た平穏ではあるけれど、とりあえず一年は保たれたわ。宴を設けることで連合の心の安定も保たれている。好き好んで戦を起こす馬鹿も居なければ、賊の数も減ってきている。それらを戒める王や将が一層纏まるための礎になりなさい」
「それはまた、難しそうな注文が来たもんだな……」
「あら。支柱になるのと何が違うというのかしら? 貴方が口にした支柱というのはつまり、今わたしが言ったことの全て。三国を安定、邑を街を豊かにし、手と手を繋ぎ、人を笑顔でいさせる者のことよ? わたしたち三国の思いを支えるというのなら、それくらいも出来ないようでは支柱とは言えないわよ」
「…………まあ、そうだよな」
頭を軽く掻く。
わかっているつもりでも、いざ言われるとやることの多さに頭が痛くなる。
だったらやめるかと言われれば、これが困ったことにやめる気なんてさらさらないのだ。
どこまでお人好しなのか……って、これは自分で言うようなことじゃないよな。
「でもさ、それで例えると、その支柱が魏に住んでいるのはずるいーとか言い出す輩も出たりするのかもな。支柱なのにどうして三国の中心に居ないんだーとか」
いろいろ考えてみて、ふと気になったことを口にしてみる。
本気でそう思ったわけじゃなく、ただなんとなく……言葉で負けそうだったから、冗談でも言って緊張をほぐそうとしただけなのだが。
「……一理あるわね」
「あれ?」
なんか頷かれた。
いやあの、華琳さん? 今のはちょっとしたフランチェスカジョークってやつで……。
や、そんなジョーク存在しないけどさ。
「そうね。もし不満の声が上がるようなら……三国の中心に都を構え、貴方の城でも設けようかしら」
「い、いや、今のは冗談で……」
「悪くない冗談だわ。今ほど“天の御遣い”という言葉が相応しくなる時が、いったいいつ訪れるというの? 予言も神も信じないけれど、少なくとも貴方という御遣いは存在した。わたしも桃香も雪蓮も、もちろん将も兵も民も、本当の意味で奮起するのはこれからよ。だから貴方も───御遣いである以上、この三国を照らす光とやらになってみせなさい」
構わず続ける華琳に、どうしたものかと天井を仰ぐ。
もちろん天井を仰いだのだから、今も聞こえる雨音から想像した曇天の空が見えるわけもないので、視線を戻しながら溜め息。
「はぁ……わかった。管輅も困った言葉を残したもんだよ……まさか乱世を鎮めるって予言が成っても、まだ御遣いで居なきゃいけないなんてな」
「あら。わたしがいつ、管輅の予言に従えなんて言ったの?」
溜め息を吐いていると、ふと華琳がニヤリとした笑みを浮かべた。
ニヤリ? フッとした笑み? ……ニヤリだよなぁ。
「へ? でも御遣いとして、って」
「乱世は鎮めたわ。その時点で貴方は役目を終えて天に戻った。けれどもう一度貴方は降りて、ここにこうして存在する。けれど管輅の予言の中に、再度御遣いが降りるなんて言葉は無いわ」
「……えと、つまり?」
「言ったでしょう? わたしは予言も神も信じない。ただ、この場に確かに存在する貴方のことは信じてあげる。予言にない御遣いが大陸に降りてすることなんて、貴方が決めなければ誰が決めるのよ」
「───……なるほど、そりゃそうだ」
でもあの華琳さん? あなた今、御遣いである以上、三国を照らす光とやらになってみなさいとかなんとか……ああ、つまりそれが支柱なんだから、なるほど。決めたのは俺か。
「ただ───」
「ただ?」
「眉唾だとしても、予言が無ければ御遣いとして利用出来なかったというのなら……多少は管輅に感謝してあげるのも、悪くはないわね」
「………」
そう言って華琳は可笑しそうに笑っていた。
人生、なにがどう吉に転ぶかなんてのは本当にわからないもんだ。
初めてこの世界に降りた時、最初に会っていたのが星や風や稟ではなく春蘭だったら、俺は絶対に死んでたし。何度想像してみても、華琳の真名をうっかり口にして首を刎ねられる自分にしか辿り着けない。
あの頃の春蘭と華琳、やたらと俺の末路を首刎ねにしたがってたし。
「とにかく。貴方を三国の種馬にすることに、なんの異論も問題もないわ。仕事も随分と出来るようになったみたいだし、都一つを任せるのも面白そうだもの」
「面白そうって理由で都作りから始める気か覇王さま」
「もちろん、貴方が支柱になれてからの話よ。桃香や雪蓮にも話は通すから、貴方はそのまま支柱に必要な知識を学んでいきなさい。そればっかりは、書物に書いてあることだけでは学べないことが大半なんだから」
「そうだな……ん、頑張ってみる」
「ええ頑張りなさい? やると言った以上は結果を残さなければ許さないわ」
「了解。……って、じゃあ鍛錬却下の条件は? 結果、残せなかったけど」
ハタと気づいて質問を飛ばす。
すると華琳は今度こそハッキリとニヤリと笑み、仰った。
「あれは元々、貴方に鍛錬をやめさせるためのものだから構わないわよ。むしろ将の皆が付き纏わなければ、本当に三日で終わらせることが出来たっていうのが信じられないくらいよ。それがわかっただけで、結果は得られたと言うべきね」
「うわっ! ひでぇ! 人が散々苦労してる中でそんなこと考えてたのかっ!?」
「言ったでしょう? “様々”を興じてこその王よ。……まあ、意外といえば意外だったわね。大方、鍛錬が響いてすぐに捕まって、一日目から何も出来ずに終わると踏んでいたのに」
「うう……まあ、回復力だけは地味にあるぞ? 当時、自覚はなかったけど」
警備隊に入ったばっかりの頃も、筋肉痛に苦しんでいた割に案外動けたし。
あの頃から御遣いとしての力とか、あったりしたんだろうか。
「って、そんなことを言うってことは、だから都を任せるのも~とか言ったのか?」
「呉や蜀を回ることで、王の仕事の大変さは身に染みたでしょう? もっとも、雪蓮は楽しんでいただけでしょうけど。そういった経験を生かすなら、都を任せるというのはそう悪いことではないわよ」
「う……でもな。急に一つの場所を任されるって言われてもな」
「べつに貴方一人に全てをこなせなんて言わないわよ。むしろそうしたら、三国の中心だけが珍妙な場所になりかねないもの」
う……否定出来ない。
知識振り絞って面白い街とか作りそうだ……それはまずい。
もしそうするんだとしたら、確実に真桜は連れていかないとだが……どうしてだろう、作ったとして、誰よりも目を輝かせそうなのが華琳な気がするのは。
「まあどちらにせよ、刺激の足らない日々にはいい刺激になるわ。その都に屋敷を構えて住んでみるのも面白そうだし。そうした時点で雪蓮は間違い無くとして、桃香も屋敷を構えたがるでしょうけれど」
「王が居ない国ってどうなんだ……?」
「移動することで国の在り方を見通せないなら、作った都で見通せばいいじゃない。場所が変わるだけで、することなんて変わらないわよ」
誰かこのマリーさんなんとかして……。
都が出来ること前提で話進めちゃってるよ……今の大陸ってそんなに刺激が無かったのか? ええい都が建ったらジュノ大公国とでも名づけてくれようか、ちくしょう。
「さて一刀? それはそれとして、貴方はこれからどうする気?」
「俺? 俺はこれから真桜のところに行って、綿菓子機のことを話してみようかって思ってる。カメラのことでもひとつ、見せたいものがあるし」
隊の連中にも、迷惑をかけた人達にも謝らなきゃいけないしなぁ。
「かめら……北郷隊の訓練の際、真桜が言っていたものね?」
「ん、そう。今回は携帯も壊れなかったし、真桜に写真機能を見せるのも面白いかなって」
「───……」
「…………了解、まずは華琳さまにお見せします」
「良い心がけね」
言うと思った。
そんなわけで自室に戻り、バッグから携帯電話を取って華琳の部屋まで戻───る前に、寝台の上ですいよすいよと暢気に眠る袁術の寝顔を写真に収めると、今度こそ華琳の部屋へと戻った。
「というわけでこれが携帯電話っ!」
ソイヤー! と無駄にテンション高めで見せてみると、華琳は珍しそうにソレを手に取り、シゲシゲといろんな角度から見つめた。
「今回は、と言ったわね。前に降りた時も持っていたということ?」
その割には、と目が語る。
生憎と前回はあっさり壊れちゃったからなぁ……。そういったことを伝えると、華琳は俺を見たまま「はぁ」と溜め息を吐いた。いや、俺べつに悪くないんですけど?
「それで? かめらというのは“けいたいでんわ”とは違うの?」
「ああ。この携帯に撮影機能ってのがあって……ちょっといいか?」
手触りにホウ……と何かを感じていた華琳から携帯を抜き取り、パカリと開いて機能を選択。撮影モードに切り替えると、じっとこちらを見ている華琳の顔をパシャリと撮影。
それを華琳に見せると、心底驚いたのちに……少し呆れていた。
「……こんな顔をして見ていたのね」
顔が多少引きつっている。
うん、まるでおもちゃを渡される前の、わくわくした子供みたいな顔だったしな。
そんな自分を忘れたく、さらに消したい思いだったんだろう。
華琳はよく知りもしないで適当なボタンを押してしまい、画像が次のものへと移る。そこには……俺と肩を組み、無駄に笑っている及川の姿が。
一番最初、この携帯電話を買った時に「記念や記念!」とか言って、及川が撮ったものだ。だから及川の腕が携帯で見るこちら側へと伸びている。
「……?」
「ああ、そいつは天での友人で、
写真を見下ろす華琳の横に立ち、眺める。
楽しそうにしている及川と、一枚目からお前を撮らせるなとばかりに、携帯を取り戻そうと手を伸ばす俺が映っている。
華琳は「へえ」と口にして、また適当にボタンを押す。
俺が教えてやるとページ切り替えボタンを覚えて、次は迷い無く。
学校やら道場やらが映され、及川が映り、プレハブ小屋が映り、及川が……おぉい及川!? お前いったい他人様の携帯でどれだけ自分を撮ってんだ!? 確認しなかった俺も俺だけどさ!
「……仲がいいのね」
「まあ、友達……じゃないな。悪友だから」
そう返しながら、ちらりと華琳の顔を見る。
……また、少し不安を混ぜた表情をしていた。
「…………ねぇ一刀?」
「ん? なんだ?」
顔を見てたのバレた!? と焦ったが、どうやらそういうことじゃないらしい。
表情はそのままに、椅子に座ったまま傍らの俺を見上げてくる。
「不満はないの? 勝手に鍛錬を禁止したと思えば、次は都に住ませると言っているのに」
「不満はそりゃあいっぱいあるぞ? だって人間だもん。どうして俺がーとか、なんで俺までーとか、魏だけじゃなく呉でも蜀でもいろいろあったし。鍛錬は条件満たせなかった今でも、叶うならやらせてほしいって思う。都の話は、必要であり、そうしたほうがいいなら別にいいとは思うけど。えと、つまりだな。理不尽に対してはいつまでも冷静じゃあいられなさそうってことで。不満はあるけど、我慢出来ないわけじゃないし」
言いながら考えてみる。
桂花は少々どころか相当にやりすぎだ。
あの時間からなら、頑張ればなんとか書簡整理も終わってたかもしれないのに。ツンデレどころかツン100%な所為でデレが無いなんて辛すぎるだろ。もう少し俺にやさしくあってくれ。
「逆に、俺が本気で怒ってたらどうしてた? というか……あそこで放心してなかったら、間違い無く暴れ回ってた気がするけど……───自分の怒った顔は想像出来ないくせに、そういうところはなんとなく感じるのってどうしてだろうな?」
「暴れるのは多方向、怒るのは一方。そういうことでしょう? 一方に怒鳴り散らして嫌われるくらいなら、多方向へ向けることで周囲からの嫌悪感を低くする。暴れる程度ならば周りが止める。けれど一点に集中された純粋な怒りは止めようとしても止められないものよ。貴方はね、一刀。そういったものを不満を覚えるたびに抱え込んでいるの。だから、爆発して誰かを傷つける前に怒りなさい」
「簡単に言うなってば。すぐ怒る人の気持ちはわからないけど、怒らないヤツの中には、怒らないんじゃなくて怒れないヤツだって居るんだから」
「…………」
華琳は俺の言葉に目を伏せると「はぁ」と息を吐いて、再度俺を見る。
その顔は、やっぱり不安を混ぜたような顔だった。
華琳らしくもない、と言ってしまえばそこまでなんだろうが……誰にだって不安はある。何が原因で彼女がそんな顔をしているのか、なんてものは、この場に居る人を考えれば見えてくる。
華琳を除けば俺しか居ないんだ、そんな顔をさせているのは俺なのだろう。
「……ねぇ一刀。貴方は忠誠があるから怒らないの? それとも誓いがあるから?」
「? なんのことだ?」
ちらりと扉を見て、窓を見て、誰も居ないことを確認してからの言葉だった。
居ないと判断するや、不安の色が増したように見える。
「天には貴方の友が居る。家族が居る。それをほうってまでこの大陸に居る理由は、わたしが天より降れと言ったから?」
「……なぁ華琳? どうかしたのか? さっきから少し変だぞ?」
「自覚しているわ。でもね、仕方がないでしょう? わたしは貴方がもう一度この地に降りた理由を知らない。以前はわたしが天下を手にしたら貴方は消えた。なら今回は? 次はあるの?」
「華琳……」
「理不尽に思われようが、あんな思いをもう一度するくらいなら、わたしは……!」
「………」
覇王然とした険が剥がれ、その体躯に相応しいとでも言えばいいのか、悲しげに俺を見る少女が、視線の先に居た。
俺はそんな華琳を見て、思わず息を飲んだ。
かつて、消える前……似たような声を聞いた気がする。
逝かないで、と言われた時、こんな声を聞いた気がする。
その時の彼女はこんな顔をしていたのだろうか。
けれどそんな顔も、俺が見ていることに改めて気がつくと……もとの表情に戻る。
だから思わずにはいられない。王っていうのは大変だって。
……年がら年中、王で居る必要なんて無いのにな。