12/しばしの別れ……の前に
待てって言ったんだ。俺は待てって言った……言ったのに……。
「腹……へったなぁああ……」
気づけば夜が訪れようとしていた。
沈みゆく太陽が空を茜色に変えていく中で、考えてみれば朝からなにも食べていないことを懸命に叫ぶ俺の腹。
なのに凪も真桜も沙和も、途中から混ざった霞も春蘭も秋蘭も、面白がって俺になにかを教えようとした。
霞は騎馬兵法、春蘭はもちろん剣で、秋蘭は弓だった。
当然ながらそんないっぺんに出来るはずもなく、懸命に学ぼうとするのも空回りなままに、氣の集中に失敗したり絡繰を壊して怒られたり、意匠なら俺も詳しいぞとうっかり言ってしまって拗ねられたり、馬にくくりつけられ引きずり回されたり、刃引きされた剣でボッコボコにされたり鏃を潰した矢で狙い撃ちされたりと、まあロクな目には遭わなかった。
「はぁ~あ……」
ヒリヒリと痛む背中をさする。
霞に馬で引きずり回された時に痛めた場所だ。
まさか三国志時代で西部劇みたいなことをされるとは思ってもみなかった。
“今回だけや……こんなん許すんは、今回だけなんやからな……?”
思い出すのは、再会を果たしたあの時のこと。
宴の夜に説明はしたけど、やっぱり納得なんて出来なかったんだろう。
“一刀のうそつきー! あほー!”と言いながら、縄で縛った俺を引きずり回す霞はとても恐ろしかったです。
「どこにも行かないって言葉に頷いた矢先だもんな……そりゃ怒るさ」
しかも向かう先が呉だっていうんだから、“天の国まで行って俺を奪い返す”なんて言葉も果たされることがないわけで。
それが余計に悔しかったのか、俺はちょっとした罪人気分で街の外の草原をゴシャーアーと滑走させられたのでした。
服……破れなくてよかった。代わりに頭にあった宝譿は見るも無残にグシャグシャだったが。
真桜には元の宝譿に戻すようにって厳重注意をしたから、今度こそ大丈夫だろう。
それよりもだ。
「……今は痛みよりも空腹をなんとかしたい……」
ところどころに青痣が出来てるけど、空腹の状態で今まで訓練めいたことをやっていたのだ、いい加減限界だ。
なにを食べようかと考えながら動かす足は、街のほうへと向かっている。
炒飯、水餃子、拉麺、メンマ丼もいいし……青椒肉絲や麻婆豆腐と白飯もいいな。
ああ、考えるだけで夢が広がる。へっているお腹がさらにへっていくようだ。
「……よし! 麻婆豆腐に決まりっ! それと白飯!」
いわゆる麻婆丼である。がっつり食いたいし餃子もつけよう。
あとは様子を見ながら追加をするのもいいし…………おお、ツバが出てきた。
(絶対大盛りで食おう)
にやける顔を押し殺すような顔でごくりと喉を鳴らして、食事に想いを馳せた。
追加分の料金も頭に入れておかないとな───、……ん? りょ、料金? りょ……料金だろ? りょ……はうあ!
「しまった」
心がすっかり麻婆丼の魅力に包まれている中で、気づかなきゃいけないことだけど気づきたくなかったことに気づいてしまった。
「……俺、金持ってないじゃん……」
ごくり、ってツバ飲んでる場合じゃないだろおい! 魏に戻ってきてから何度泣きたくなれば気が済むんだよ俺ぇええ!!
そ、そうだ華琳に金を…………え? 借りる? ……華琳に?
「後が怖い。却下」
少し考えてみればあっさりと出る却下の答え。
そりゃ事情を話せばくれるとは思うけど、どうしてだろうなあ……あまりいい方向に転ばない気がするのは。
「うぅ……腹へったなぁ……」
黒檀木刀を杖代わりに歩く姿は、もはや天の御遣いというよりは物乞いのようにも見えたに違いない。
体作りをしていたとはいえ、空腹の中で氣の集中や剣術鍛錬、加えて弓術や馬術(引きずり回されただけだが)など、体力がどうとか以前にエネルギーの無い状態での無茶がたたり、眩暈さえ起こしていた。
お陰であっちへフラフラこっちへフラフラ、いっそ倒れてしまえと思えるくらいの状態で………………いや待て、厨房に行けば何かあるんじゃないか?
「そうだ。厨房、行こう」
歩き始めた足は、もう止まらなかった。
空腹でも二日くらいは断食できるんじゃないかって思っていた時期が、俺にもありました。
けれどそれは大して動かなければの話だ、って思った瞬間が、今ここにあります。尊い。……べつに尊くないか。
───……。
厨房に着く前に感じたのはフワリとしたやわらかい香り。
香りにやわらかいもなにもないだろう、と頭の中でツッコミを入れるけど、カレーというよりはお吸い物、といった感じの……まあ多少の香りの違いを思い浮かべてくれれば十分だ。
もちろん香ったのはカレーでもお吸い物でもないわけだが。
「…………?」
フラフラだった足が急に活力を取り戻す。
しっかりとした足取りとまではいかないものの、歩む足は速度を増し、競歩でも出来るくらいの動きでやがて厨房へ。
そこでは───
「流琉ー、まだー? ボクお腹すいたよ~……」
「もう出来るよー。お皿出しておいてくれるー?」
「このおっきいのでいいー?」
「小さいのに分けるから、大きいのはだめだよー」
料理をしている流琉と、卓の辺りをうろうろと動きつつ皿を用意しようとしている季衣が居た。
油が跳ねる音に負けないように、少し声を大きくして会話している二人の姿。そして、流琉の手で仕上げられてゆく料理の数々。
それを目にしたら、言うべき言葉なんて一つしか見い出せなかった。
「流琉……季衣……」
声を張り出そうとしたのに、喉から漏れるのはか細い声。
そんな声に自分自身が一番驚きつつも、振り向いてくれた二人に弱りきった笑顔を向け───
「……どうかこの御遣いめにお恵みを……」
のちに、もっと別に言うこととかあっただろ、と過去の自分にツッコミを入れる俺だったが……人間、余裕がなくなると何を口走るか解ったもんじゃないということだけは、ポカンとする二人を前にしたこの時、ものすご~く身に染みたのでした。
───……。
卓に着くのを許可された俺は、季衣にも負けない速度と豪快さで食事をとる。
皿を傾けレンゲを動かし、ご飯を掻き込み、咀嚼しては汁モノで流し込んで、薄味だけど味覚と腹を満たしてゆく味に涙すら流したりして。
季衣と俺は、それこそ競うように手と顎を動かし、次々と小分けにされた料理を嚥下する。
そんな光景に流琉だけが口をあんぐりと開け、「うわあ……」とこぼす。しかしすぐに笑顔になると、絶妙なタイミングで飲み物を差し出してくれたりした。
「んぐっ、んむっ……はふっ、ふっ……うぁちゃっ!? ふっ……はふはふ……っ!」
舌を火傷しようが構わず、一心不乱に。
そんな俺を、卓の反対側に座った流琉は頬杖をしながら見つめていた。
行儀が悪いとかそんなことさえ気にする余裕もなく、ただただ美味い美味いと言って食う俺を。
季衣も箸休めとしてか時折に俺を見ると、頬を緩ませて……また料理を口に運ぶ。
楽しげな会話なんてものはなく、ただ
だって、仕方ない。
宴の席での料理も美味かったけど、これは“流琉”の味だ。
宴用に作られた料理の中にはもちろん流琉の料理もあっただろうけど、これはいつもの……季衣のために作られた料理だ。
それを一年ぶりに口にする俺の心は、もう感動でいっぱいだった。
(漫画とかで料理に感動する人の気持ち、そこまでわからなかったけど……)
それも、今ならハッキリとわかる気がした。
帰ってこれたんだなぁって……ああ、流琉の味だなぁって、いろんな思いが心を満たしていった。
そうして空腹が満たされていった瞬間、ハタと気づくことがあった。
俺と季衣ばかりが食べていて、流琉は全然食べていなかったということ。
「あ───流琉、もしかしてこれ……」
“流琉の分だったんじゃ”って考えに至ったのは、皿に盛られたものをほぼ完食した頃だった。
皿を見てももう何も無いに等しく、悪いことをしたと思ったんだが───流琉は満面の笑顔で首を横に振った。
「こんなに夢中で食べてくれた兄様に、文句なんて言えませんよ」
そして、笑顔のままにそう言ってくれる。
「う……すまん」
「いいですってば。……あの、美味しかったですか?」
「ああ、流琉の味だなって……帰ってきたんだなって、改めて思える味だった。また腕あげたか?」
「そ、そんなことは……」
「うんっ、美味しくなったよねー、兄ちゃんっ」
「なー?」
「季衣まで……っ」
俺と季衣の賛美に顔を赤くしながら俯く流琉に、思わず顔が綻んでゆく。
懐かしい味と懐かしい“魏”の空気。
それらを感じていられる今の自分に、よかったな、なんて客観的に言ってやりたい気分になる。
「………」
口回りにべったりと料理のタレをつけっぱなしの季衣の口を、照れながらも拭ってやる流琉。
季衣は少し嫌そうにするけど、結局されるがままに拭いてもらうと、皿に少し残っていた料理をペロリと平らげた。
流琉はそんな季衣を見て「しょうがないなあ」って苦笑をこぼすけど───その苦笑も年季が入っていて、どこか楽しそうだった。
……やっぱりいいな、友達ってのいうのは。
(…………友達…………友達か)
昨夜は宴のあと、寝る間も惜しんで兵のみんなと騒いだ。
軽く挨拶するような、ささやかな騒ぎではあったけど。
後片付けを任される代わりに僅かな酒の残りをもらっていいという許可も得たから、みんながそれぞれの部屋などに戻る中、門番をしていたあいつに声をかけて始まる、男ばっかりの騒ぎ……だったけど、その中に友達って呼べる相手は居なかった。
みんな俺のことを北郷様とか隊長と呼ぶし、仲良くはなれても友達ってところまではいかない感じ。
男としか出来ない会話っていうのもあるから、欲しいんだけどなぁ……男友達。
(……友達かぁ……───あ)
二人を眺めながら思考の海に沈んでいた自分が、急に浮上する。
(俺に出来ることって、やっぱりそう多くない。けど───)
自分で出来ないことを補ってくれる誰かを探すこと。
何度も何度も思い、そのたびに心に刻んできたことを心の中で復唱する。
手を繋ぐだけじゃない、繋いだ人と一緒に出来るなにかを探し、見つけていくその全てを国に返してゆく。
(……友達を作っていこう。それこそ、いつまでも絶えることのない“親友”って呼べる人を)
立場や地位が近しい人じゃなくてもいい。
民だって兵だって、将だって誰だって、望めばきっと友達になれる。
「よしっ!」
「ひあっ?」
「うわっ!? ど、どーしたの兄ちゃん」
勢いよく席を立つ俺に二人は目を丸くするけど、俺はそんな二人に自然とこぼれる笑み……というよりはニヤケ顔を盛大に振り撒き、
「二人ともっ! ありがとうなっ! 俺、もうちょっと自分で考えてみるよ!」
礼を言うだけ言うと返事も待たずに走り出す。
後ろから二人の声が聞こえたが、立ち止まることはしなかった。
俺にしか出来ないこと。天の御遣いにしかできないこと。雪蓮が“俺を”と望んでくれた答えは、本当に勘なのかもしれないけど───その勘に応えるためにも、出来るだけのことはやろう。
具体的になにをすればいいのか! ───うん! わからない! ごめん!
でもジッとしていられないならとりあえず走る! 情報が足りてないなら情報を得よう! 情報は足で探す! この世界で得た教訓を活かすためにも、今は手探りででも道を探す!
「まずは雪蓮を探して呉の状況をあぅわあああああああっ!?」
勢いよく走り中庭に出て、東屋への道を走っている時だった。
急に右足首に圧迫感を感じたかと思うと、景色がぐるりと回転。
気づけば俺は、太い木の枝に逆さ吊り状態に……!
「え……? あ、え……? な、ななななんじゃあこりゃぁあーっ!!」
あっという間に、太陽にほえるどこぞのジーパンさんのように叫ぶ俺の完成である。
じゃなくて、なんだこれ───ハッ! 桂花!? まさか桂花か!?
「桂花っ、お前っ! 以前華琳を落とし穴に落としそうになったってのにまだ反省を───!」
「捕らえたにゃぁーっ!」
「とらえたにゃあーっ!」
「にゃん」
「…………………………ホワイ!?」
ジワジワと頭に血が上る(……この場合、上るでいいのかは疑問だが)俺を囲むように、なにやらちっこいのが集まってきた!?
いや………………誰? ってそうだ! 宴の席で恋と一緒になって物凄い勢いで料理を食い荒らしてた───たしか孟獲!
……そんな子たちがこんなところにトラップ? しかも捕らえた? …………え? 俺……食われる?
「あ、あのー、これはいったい……」
「? ……おー! おまえ、“うたげ”のときに歌うたってた雄にゃ! なにやってるのにゃ? こんなところで」
「雄言わないっ! それから“なにやってる”は俺の台詞だ!」
「みぃたちお腹がすいたから、猪を獲るつもりだったにゃ!」
「城の中庭に猪が居てたまるかぁっ!! どーすりゃ人間と猪間違えられるんだよ!」
「どかどか勢いよく走ってきてたから猪と間違えたにゃ。もっと静かに走るにゃまったく」
「え? あ、ごめ───え? 俺が悪いの?」
な、なんですかこの理不尽! 俺はただ情報を……ってそうだよ、こんなところで逆さ吊りになってる場合じゃ───
「ここにいないなら場所をかえるにゃ! ミケ! トラ! シャム! いっくにゃーっ!!」
「にゃーっ!」
「にゃーう!」
「……にゃー」
───場合、じゃ…………あれ? あ、あれちょっ───待ってぇええええええっ!!!
そんな勢いよく走っていくことないじゃないかっ……えぇ!? 俺このまま!? ウソ! ウソです! 俺もう猪でいいから下ろし───下ろしてくれぇええええっ!!!
「うぉおお……顔がジンジンしてきた……! だ、だぁああれかぁああああ……たすけてぇええええ……」
そうして出鼻を挫かれた俺は、通りすがりの稟に発見されるまでずぅっと吊るされて───あ、だめっ! 吊るされて、ってべつに新手のプレイじゃないから───アーッ! 止めて! 鼻血止めて! 気絶しないでくれ! 助けてぇえええっ!!