時間を戻せたなら二度とすまいと思う事って、絶対にあるよなー……。
俺の場合は……もちろんあるけどありすぎて困るというか。
春蘭の場合は、今まさにだろう。
「で……聞きたくないけど、桂花は春蘭に何をどうしろって?」
「“わたしを楽しませることが出来ないようなら、華琳さまを楽しませる道化になんてなれっこないわ”って言って……」
「……言って?」
「言われるままに妙な構えや妙な行動をとっているところを、華琳さまに見られた……」
「うわ……」
「桂花は笑ってたから、わたしはいけると思ったんだ……そしたら……華琳さまに“そんな道化など必要ないわ”と……!! わ、わたしはっ……わたしはっ……うわぁああーん!!」
「………」
必要ですか? いや、要らない。
泣き出してしまった春蘭を前に、自分の中で自分に質問してみた。
即答だった。
そうだよなぁ、それは華琳なら当然要らないって言う。
で、あくまで予想だけど……
「それで、いたたまれなくなって華琳をほったらかしにして逃げ出してきたと」
「きっと華琳さまはわたしが道化になりきれていなかったから……ひくっ、呆れられたにちがひなひ……ひっく」
「うわ……いよいよ酔いが回ってきたか……? 華雄、厨房で水もらってきてくれるか?」
「あ、ああ、わかった」
「それと秋蘭~? 悲しむ春蘭を見てほっこりしてないで、なんとかしてくれー……」
華雄が開けっぱなしの出入り口から出ていく中、そう言ってみると……部屋の外の壁に背を預けていたんだろう、音も無く姿を見せる秋蘭。
「気づいていたか」
「いや、言ってみただけなんだけど……まさか本当に居るとは」
「まあ、姉者が道化として振る舞うのを見てはいた。季衣と流琉に少々願われ、華琳さまと今後のことを話し合っていた時……だったのだがな」
「部屋で話さないなんて珍しいな」
「姉者も居なければ意味のない話だったんだ。しかし、姉者が想像する“道化”の服を手に入れてからずっと、姉者はそれを着て、華琳さまを楽しませる道化になることばかりに意識が向いていてな」
「その結果が桂花にからかわれて、探しに来た秋蘭と華琳にそれを見られた、と……」
「詳しく言えば季衣も流琉も居た」
「………救いが無いなぁ……」
そりゃ、その組み合わせに見られた上に、そんな道化は要らないって言われたんじゃあ逃げたくもなる。
「けどさ、それってつまり……」
思っていることを伝えてみると、秋蘭はあっさりと頷いた。
「そういうことだ。最後まで聞かなかった姉者が悪いと言えば悪いのだが……」
言葉を区切り、ちらりと春蘭を見る秋蘭。
その顔が、ホゥ……と静かに赤く染まる。
「……誤解に怯え、震える姉者も可愛いなぁ」
「言ってる場合じゃないだろ……どうするんだよこれ……」
「これとはなんらぁっ!」
「おおうっ!?」
座り込み、ゆらゆら頭を揺らしながらうーうーと唸っていた春蘭。
思わずコレ扱いしてしまったら、しっかりと反応された。
……ここまで反応するなら、最後までしっかりと聞いておけばよかったのに。
華琳は“道化は要らない”と言っただけであって、春蘭のことを要らないなんて絶対に言わないだろうに……。
「ほんごぉお……きひゃま、わらひがこんなにくるひんでいるというろに……」
「……秋蘭、どうすればこんなに酔えるのさ。まさか城の酒全部とか」
「さすがにそれはないが、問題が無いわけではない。というか……それは北郷、お前に任せたい」
「え? 俺? なんで───」
「…………───ぁ……ぁああずとぉおおおーっ!!」
「へ!? な、なななに!? なになになにっ!?」
なんで俺に? と返そうとしたら、遠くから俺を呼ぶ声!
どんどんと近づいてきたそれは、勢いそのままに部屋へと滑り込み、俺だけをしっかりと見据えると近づき、俺の両肩を掴んでガックガックと揺らしてオワァアーッ!!
「一刀っ、なぁ一刀っ!?
霞である。
切ない顔で俺を見て、しかし切なかろうが奥底に熱い魂を燃やしているような、ちょっと怖い霞さん。
元ちゃんて……春蘭だよな? すぐそこでしくしくと泣きながら、床にのの字を書いてるんだが。
「しゅしゅしゅ春蘭が、ががががが、どどどうか、したのかかかか……?」
しかしながらしっかり教えたくても揺らされているので上手く喋れない。
なのでまずは探している原因から───
「うー……! 聞いてぇ!? 一刀聞いてぇっ!? 元ちゃんなぁっ!? ウチが楽しみにとっといた大事な酒、みぃーんな一人で飲んでしもたんやぁっ!! 一刀が戻ってきてしばらくしたら、また夜の川の近くで飲も思っとったのにぃい……っ!! ひどいやろっ!? なっ、あんまりやろっ!?」
「…………」
「………まあ……すまん」
ちらりと見ると、秋蘭が素直に目を伏せて謝罪した。
ちなみに俺がどんな思いを込めて秋蘭を見たかといえば、“こんな霞を俺に任せると?”といった感じでございまして。
いや……無理だろこれ……。
「し、霞……? そういうのはさ、ほら、男の俺が誘ったほうがさ、そのー……」
「そんなんゆーたって一刀、魏に戻ってきてから忙しそうなんやもん……。やから今日の夜、誘うつもりで用意しとったのに……」
「あー……」
今日、霞を見かけなかったのはそれが理由か。
準備までしたのに、酒を全部飲まれてしまってはそりゃあ怒る。
……逆に、街で道化服(と思っている)を買って、“秘密だ”とまで言っていた春蘭がこれだ。……フツーに霞は巻き込まれただけだもんなぁ、泣き顔の春蘭をフォローしたくても、こりゃ素直に無理だ。
ちらりと再び秋蘭を見てみれば、気まずそうな顔で目を伏せていた。
「んー……よしっ、じゃあこれから外に出るか? 酒なら今日買ってきたのがあるし。……まあ、金の都合で高いものは無理だったけどさ」
「むぅっ……でもそれ、ウチのために買うてきたのとちゃうんやろ……?」
「それはまあ、勘弁してほしい。自分が飲むつもりで買ってきたものだからさ」
「………」
胸の前で両の人差し指をついついとつつきながら俯く霞。
しかし俯きながらもちらちらと俺の顔は見てきて……ていうか春蘭には本当に気づいていないのか、霞さん。
……まあ、今はそのほうがいい……のか?
いや、今は霞のことだけを考えよう。俺を誘おうとしてくれたと言う。
その思いに応えられるくらいの気持ちをもって。
「な、霞」
「………………ウチなりに“雰囲気”作ろって頑張ったの、わかってくれる?」
「もちろん」
「ホンマに?」
「ホンマに。だってそうじゃなきゃ、あんなに必死になって春蘭を探し回ったりしないだろ?」
「…………」
「ありがと、霞」
そう言って、上目遣いにこちらを見る霞の頭を撫でる。
まるで親に叱られた子供のように大人しい霞は、撫でられるがままになっていたけど……少しすると笑み、機嫌を治してくれたようだった。
そして───いつしかニコニコ笑顔に変わった表情で俺の手を引くと、
「ほなら、イコ? なんやもう、こだわる必要なんて無いってわかってもーたし」
そう言って、上機嫌で歩き出した。
さっきまでの表情なんて、完全に忘れたみたいな笑顔だ。
「え? え……霞?」
「一刀……ウチわかった。ウチな? 一刀がこうしてやさしく女の子として扱ってくれたら、それだけで……そんな些細が、“雰囲気”になってまうんやな~って」
「霞……」
そんなことを言われたら、もう戸惑う理由もなかった。
戸惑いに理由が必要かって言われたら、これがまた案外必要だったりもする、ということで。
聞かせてやりたいこともあるし、落ち着いてくれた今のうちに春蘭から離して……、おふっ!?
「……OH」
「ん? どないしたん、一刀」
…………服を、引っ張られた。
冷や汗だらだらで振り向き、見下ろしてみれば、こちらを見上げる魏武の大剣さま。
「ほぉおんごぉおお……わらひを置いていく気なのかぁああ……! わらひが、わらひがこんなに頼んれるろりぃい……」
「──────」
「………」
「───」
いつ、何を頼まれたでしょうか……そう叫びたくなるのを必死にこられてみたが、もはや遅い。今まで気づかなかったほうがどうかしているわけだが、霞の目がしっかりと春蘭をとらえてしまった。
もちろん認識してしまったからには黙っている霞ではなく───
「元ちゃん、手ぇ離し。過ぎたことはぐちぐち言わへんから」
───い、いや。さっぱりした様子のまま、そんなことを仰った!
しかも穏やかな笑顔……これは余裕ってやつか……? 静かな笑みのまま、聞き分けの無い子に言い聞かせるように───
「いやらぁ! ほんごぉはここで、わらひのあたまをなでなでするんらぁ!」
「へっへっへー、悪いけどそら却下や。一刀はウチと一緒に外に行くし、勝手に酒飲んだこと許す条件まで入れてるウチ相手やったら、元ちゃんは引くほかないもんなぁ」
「らにをぉお~? わらひが、このわらひが退くもろかぁ~っ!!」
「……姉者、そのへんにしておけ。責められる謂れはあれど、責める理由は一切無い」
「むぅううう~っ……しゅ~らぁ~ん……」
「邪魔をしたな、北郷。それから霞も、すまなかった」
「ああ、べつにえーよ。楽しみにはしとったけど、きちんと飲まれたんやったら……酒も、造った人も喜ぶやろ」
ケタケタ笑い、春蘭を抱えて歩き出す秋蘭を霞が見送る。
ハッとして手伝おうとしたんだが……秋蘭は一言「構わん」とだけ言うと、そのまま歩いていってしまった。
「よしゃっ、ほなら一刀~♪」
「あ、ああ……よし、それじゃあ」
行こうか、と……霞と二人して歩き始めた。
今日は雲が少ない。
きっといい夜空が見えるだろう。
その空の下、自然の中で酒を飲む。
いつか日本酒の約束をした時も、特に何を約束し合ったわけでもなく酒を飲んだっけ。
約束して酒を飲んだのは“雰囲気造り”の夜だけだ。
日本酒のことも、約束したあとに酒を飲んだといえば飲んだのだが。
そう、聞かせたいことっていうのは他でもない、日本酒の造り方だったりする。
生憎とワンカップやイェビスは祭さんにあげちゃったし、つまみ等も残っていたりはしない有様。
ならば自分で造り、もしくは造り方を教え、造ってもらうのもいいだろう。
どこまで出来るかわからないし、そもそも華琳の許可が下りるかだが……なんだろうなぁ、華琳ならあっさり許可を下ろしそうな気がする。あれで案外、天のことについては知りたがってたし。
と、そんなことを考えながら、部屋を出───たところで、水を持った誰かさんに遭遇。
「水を持ってきたが」
「あ」
……部屋の中を、自分の肩越しに軽く振り向いて調べてみる。
もちろん、そこには水を欲していた春蘭の姿など無かったわけで。通路の先を目で追ってみたところで、考え事をしていた所為ですっかり見えない夏侯姉妹。
「………」
「………」
なんとなく申し訳なくなって、ありがとうを口にして受け取った。
受け取って…………受け取って………………えーと。
「…………華雄、喉渇いてない?」
「………」
返事はなく、呆れた視線だけが送られました。
ただ喉は渇いていたらしく受け取ってくれ、喉を鳴らして一気飲みを見せてくれた。
と、そんな様を見て、せっかくだからと口を開く。
「今日は散歩に付き合ってくれてありがとな。退屈じゃなかったか?」
「む? ……いや、たまには悪くないな。案内されるというのも、中々面白かったぞ」
「そっか」
面白いか……不思議な表現をされた気がする。
間違っちゃあいないんだろうけど、なんとなく。
「ん? なに? 華雄、一刀と一緒に街に行ってたん?」
「うむ。特にすることもなかったのでな。そこで豚まんを食らい、服を見て回り……まあ、特に気になることなどない散歩だったが───それもまた良し。一流の武人たる者、心に余裕を持つことも必要だからな」
「あー……せやったなー……“一流の武人はいつ如何なる時でも安眠出来てこそ”~とかゆーとったお前やからなぁ……」
そんなこと言ってたのか。
しかも“確かに”と頷ける。
寝不足で戦えないなんて、話にならないしなぁ。
寝不足で散々苦しんだことはあるから、それだけは深く頷ける。
「で、……あ……いや、なんでもない」
「?」
どうせなら一緒に酒でも……と誘おうとしたんだが、霞に軽く服を引っ張ってきた。
……そうだな。元々は霞が誘おうとしてくれた小さな酒宴だ。ここで誰かを招くのが無粋なことくらい、いくら俺でも気づける。……引っ張られてから思い当たるくらいじゃあ、むしろダメダメだが。
言葉を言いかけた俺を見て首を傾げる華雄に軽く悪いと返して、行動は始まった。
酒を片手に手を繋ぎ、ゆっくりのんびりといつかの川のほとりを目指した。夜の道をゆき、ゆるやかに吹く風に撫でられながら。
いつかの日は先に待っていた俺だから、なんとなく二人一緒にあの場所を目指すのは恥ずかしかったりした。それでもその場へ辿り着くと、二人で顔を見合わせて……照れくさくなって笑った。
そこには、雰囲気作りのための蝋燭があるわけでも、美味しい料理があるわけでもない。自分で買った、少し安い酒と大きな杯がひとつあるだけだけど───霞は嫌な顔ひとつせず、いつかと同じ場所まで俺を引っ張ると、先に俺を座らせてから自分もその傍らに座った。
『………』
なんとなく恥ずかしい。
けれど嫌な気分じゃあなかったから、もう一度顔を見合わせて苦笑にも似た照れ笑い。
景気づけにと杯に酒を注いで、まずはひと飲みずつ喉に通した。
自分が口につけた部分を、指でキュッと拭ってから相手に渡す。そんな些細でさえ懐かしくて、困ったことに笑みが絶えない。
霞もそうなのか、何を話すでもなく笑顔の彼女は、はぁ……と暖かな溜め息をこぼすと俺の肩に寄り添うように座り直す。
そんな彼女を自分でも軽く引き寄せて、やっぱりいつかのように髪に鼻を埋めて香りを嗅いでみた。霞はもちろん嫌がったものの、それが頭を撫でる行為に変わると途端に大人しくなった。
大人しくなって……一言。
「酒。あんま美味ないなぁ……」
「……そっか」
聞いてみれば、この酒は俺が消えたあとに、ヤケ酒としてがばがばと飲んだものらしい。あくまで酒の中ではそう高いものでもないし、多く飲むには丁度よかったのだろう。
なるほど、それを俺が買ってくるなんて、知らなかったとはいえ偶然的な嫌味になる。
考え事をする俺を見て、なにか感じることがあったのか……霞は俺に酒を含ませると、飲み込んでしまう前に……俺の口に自分の口を押し付けてきた。
突然のことに驚いて小さくこぼれた酒も、密着している口が吸い、舐め取り、嚥下していく。
そんなことがしばらく続いて、やがて口の中から酒の香りが引き、甘い感触だけが残ると……霞は離れ、女の子な顔で言った。
「でも、今は……嫌いやない」
顔を俯かせながらの穏やかな笑み。
そんな霞を見て、赤くなっているであろう自分の顔を誤魔化すようにして、酒を注いだ杯を傾けた。
「……うん」
その拍子に見えた空。
あの時のような綺麗な満月はなかったけれど、二人でここに訪れるたびに思い出すんだろう。思い出すだけで、雰囲気なんてものは勝手に作られてしまう。
そんなことがわかってしまうと、ただただ穏やかな気持ちだけが溢れて、何を言うでもない静かな夜を堪能する時間だけが続いた。
(……静かなままで終わらなくてよかった……かな)
結果論ではあるけれど、春蘭が部屋に現れたことで吹き飛んだ静かな時間にさえ、妙に感謝したくなるほど穏やかな気分だった。
酒をなみなみ注いで、交互に飲んで、満月ではない月を見ながら穏やかに笑う。
落ち着いて、ゆっくりとした時間の流れの中でこうすることで、今さらながらに“ただいま、おかえり”と挨拶ができた気がした。
「……今度、勝手に居なくなったら承知せぇへんからな」
「ん……わかってる」
一時的に騒がしくはあったけれど、静かな時間は続いた。
酒が無くなっても、体から酒による熱が消えても。
そうした時間の中で、日本酒のことをいつ切り出そうかと考えてみるのだが……なんとなく、今はなにを言ってもこの穏やかな時間の流れを壊してしまいそうな気がして、口には出さなかった。
だったら……せめてこの時間を堪能しようか。
飾った言葉も必要ない、喜ばせたいと思う言葉よりも、この時間が続く言葉を自然と紡いで。