真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷

145 / 454
52:魏/騒がしい日①

幕間/ある日の建業

 

 -_-/呉

 

 魏を発った雪蓮が建業に着いた翌日のこと。

 城の自室で───ではなく。中庭の東屋の、その円卓の椅子に座って息を吐いた彼女は、届けられていた蜀からの巻物をゆらゆらと揺らして遊んでいた。

 

「んー……庶人交流ねぇ……。悪くないけど、良くするのも悪くするのも庶人の都合なのよねー……。交流にここをああして付き合いなさいって指示を出しても、余計なお世話な気がするし」

 

 傍には誰もおらず、もはや魏に遊びに行って戻ることに誰もツッコむ者は居なくなっていた。最初こそは蓮華が、それはもうガミガミと口煩くしていたものだが……言っても無駄だと早々に悟ったか、そうであると軍師さまに諭されたのだろう。いつしか王がふらふらと居なくなることを強く咎める者は居なくなっていた。

 

「ま、どうなろうと……わたしはべつに面白そうだからいいんだけど。笑顔でいてくれるってことが前提としてあるのなら、ね」

 

 揺らしていた巻物をもう一度広げ、内容を確認する。

 そこには───軍師らと相談し、これからのことを纏めたものなのだろう。桃香が書いた文字がぎっしりと並んでいる。

 そんな文字を見て、“なんとなく纏め方が上手くなっているかな”と感じた雪蓮は、それが誰の影響であるかを想像して笑った。

 

「王の仕事を全うするより、街でみんなの手伝いした方が楽しいし。いっそ蜀から来た庶人を一刀みたいに引きずり回……もとい、連れていって……」

 

 ふむ、と思案する。

 巻物は広げれば広げるほど文字が見え、恐らくはこの全てにびっしりと文字が走らされているのだろう。

 魏から戻ったばかりで、それら全てを見るのは少々億劫だ。あとで冥琳に目を通してもらって、纏めたものを聞かせてもらおう。

 ……そんなふうに思考を切り替えた彼女はもう一度溜め息を吐くと、巻物を巻いて円卓の上へと置いた。

 

「なんだかんだで桃香も落ちたみたいだし……一刀もちゃ~んと強くなっていってるみたいだし」

 

 世が平和になってから、戦をしなくなった分、街を駆け回り手伝うことは増えた。

 手伝いで収穫した茘枝が酒になる日を待つのも楽しい。

 老人に絵師を紹介し、喜ぶ顔を見るのも嬉しい。

 けれど、時折に体を襲う、何かに対する不満を満たすものは、いつまで経っても現れない。

 なにが足りないのか───そんなものは簡単だ。

 世は平穏に至ったが、平穏であるからこそ、肝を冷やすような緊張や興奮が圧倒的に足りなかった。

 天の御遣いである少年が彼女にもたらしたのは、そういった緊張と興奮だった。

 鍛錬をしているとはいえ、明らかに弱いのだろうと踏んでいた少年が放った一撃。

 勘に動かされるままに避けなければどうなっていたのか。

 それを考え、思い出すだけでも小さな緊張が走り、体がうずいた。

 

「んー……んん、んー……」

 

 軽い興奮状態になると、なんでもいいからめちゃくちゃにしたくなる。

 それは破壊衝動にも似ていて、たとえば傍に置いてある巻物であろうが、指が触れた瞬間にめちゃくちゃにするだろう自分を簡単に想像できた。

 

「んー……勘ってものがなかったら何度死んでるんだろ、わたし」

 

 勘が働いたために助かった回数を数え、彼女は「うわー……」と眉を顰めた。

 そう考えれば、軍師にも将にも随分と無茶なことに付き合わせた。

 

「………」

 

 興奮が少しずつ引いてゆく。

 一刀が強くなるのを待つのもいいが、自分で自分を抑えられるようにもなろうと思ったのだ。ことあるごとに興奮し、我を忘れるようではいつかは誰かを傷つける。

 本能のままに動くのもいい。冥琳を閨に招くのもいいのだが、なんとなく……一刀がそうしていたように、耐えてみるのも面白いかもしれないと思ったのだ。

 魏を愛しているからこそ、他に手を出さなかった少年。

 ならば自分は、呉を愛しているからこそ自分の興奮をぶつけるのを抑えてみようと思った。……思っただけであり、昨夜は興奮を抑えられずに冥琳を襲ってしまったわけだが。

 反省が必要だ。そういった意味も含めて、耐えてみようと思ったのだ。

 昨日の時点でこう……明日から本気を出そうって心構えで。

 

「珍しいこともあるわよねー……思春がちゃんと人を褒めるなんて」

 

 それだけ一刀は強くなってきてるってことだろうから、彼女としてはそれが嬉しかった。男で、しかも戦いで自分を満足させてくれる存在が至るべきところに至るかもしれない。

 そういった期待がやがて興奮となり、帰って早々に爆発した。

 彼女はそれを抑えようともせず、軍師さんを閨へと引っ張り込んだ。

 ……今、少し反省している。

 

「“我慢しようって思った時点で我慢出来ないようじゃあ、本当の我慢なんてのは身につかない”って、蓮華から有り難いお小言ももらっちゃったし」

 

 一刀が呉を離れてからの蓮華はいやに張り切っていた。

 それは姉である彼女が見ても妹が見てもそうだと思うものであり、ようするに呉に生きる将や王に張り切りすぎだと、自然と認識されるほどだった。

 訊いてみれば、ただ“約束がありますから”と返すだけ。

 蜀での彼がこうであると聞けばさらにさらにと行動を増やし、蜀での彼がああであると聞けばさらにさらにと努力する。

 いっそ危ういと思うほどの行動力だが、しかし当の本人の表情には笑顔が増えた。

 やり方はどうあれ、充実した日々を過ごしているのだろう。

 そう思うと雪蓮も何も言えなくなり、“体を壊さない程度に楽しみなさい”としか言ってやれなかった。……残せる言葉が他にあったとしても、あえて選んだのがこれだったと、軍師さまは語るが。

 

「思春が居なくなったことで、自分を見守る視線を気にすることが無くなったっていうのも、きっと関係してるんだろうけどねー……楽しそうで羨ましいわ」

 

 砂にまみれながらも祭に戦を習い、叩きのめされてなお笑顔な妹を思い出し、また笑う。

 無理がすぎれば即座に止めた思春はおらず、蓮華は限界までを突っ走っては中庭に倒れているのを発見されることが多くなった。

 しかし己の務めを疎かにはしない。

 そんな突っ走り方を誰に習ったのか。

 自分を高めようとすること、“出来なかったこと”を“出来ること”にするのが余程に楽しいらしい。

 そういった、妹の新しい表情を見るに至ると、なんとなくそれをもたらしたのが自分でないことに……微かな、ほんとうに微々たる嫉妬が彼女を襲った。

 生き方を見習えなんて言うつもりはさらさらない。むしろ蓮華くらいの固い存在が居てくれたほうが、次代の呉王としては丁度よかったとさえ思うほど。

 それが今は……

 

「……それが今は」

 

 思っていたことを口に出した彼女が、人の気配にちらりと通路を見やる。

 中庭の、階段の先にある東屋からでは丁度軽く見下ろすかたちとなるそこには、料理を片手に笑顔で歩く妹が。

 

「………」

 

 戦も終わったし、王は蓮華に任せて自分は……と思っていた孫伯符は、妹の可愛らしい姿を見て軽く途方に暮れた。

 笑顔があるのはいいが……なにがどうなって、あのしかめっ面ばかりだった妹がああなったのか。理由なんてものはもちろんわかりきっているわけだが。

 

「これだけは言えるわね。母様……宿願は果たされるわ。だって、ただ一人硬くて仕方なかったあの子がああなんだもの。もう笑うしかないでしょ?」

 

 空を見上げての、溜め息混じりの言葉。

 しかし憂いなどなく、むしろこれから作られてゆく呉の在り方というものを思い、楽しげですらあった。

 

「…………もし子供とか出来たら、どうなるんだろ」

 

 楽しげな顔から一変、通路へと視線を戻しての一言。

 既に蓮華の姿はない。

 料理は恐らく小蓮に振る舞われるのだろう。

 いや、そうではなく……と頭を巡らせ、勘任せに言葉を発してみた。

 

「……なんか、蓮華は育児は苦手ってことしか浮かばないんだけど。なにこれ」

 

 笑顔で料理を運ぶ妹には言えない言葉が浮かんだ。

 出来ないことを出来ることにしていってはいるものの、妹の育児技能だけはどうしてもその先が見えない感覚。

 対する自分はどうだろうと、適当に考えてみる。

 ……育児よりも、相手と一緒に居ることを選びそうな気がした。

 それは、王が仕事よりも街の手伝いをしていた自分を連想しての考え。

 小蓮はどうだろう……と、考えるまでもなかった。

 いつか、子が欲しいと言ってはいたものの……子よりも相手だ。絶対に。

 元々が縛られる生き方を嫌うのだから仕方が無い。自分も含めて。

 

「子供より相手。相手より自由時間。……うん、好き勝手にやれるのが一番ね。だって、好き勝手の時間の中で、子供も相手も相手にしたい時だけ相手にすればいいんだもん」

 

 “わ、名案だー”と続く暢気な声。

 妻と母の役割は、そうなる前から放り投げる気満々のようである。

 しかしながら真実などは、そうなってみなければわからないことで満ちている。

 相手が出来たなら、子供が出来たなら、自分がどうなるかなどは勘だけでは想像しきれるものではない。

 

「家督を蓮華に任せるのは良し。補佐は国全てに任せればいいし、その上で笑顔であればなんの問題もないわね。一刀のことも気になるけど、街のみんなのことも気になる。だったらどうすればいいかなんて、前みたいに一刀を連れまわして街を走ればいいんだもの。簡単簡単」

 

 そのためには、なんとしても一刀を大陸の父にする必要がある。

 それは彼女だけがどうのこうのと悩んでいても始まるものでもなく、各国の了承と当の本人である一刀の了承が必要だ。

 桃香は飲んだ。華琳もそうしたければすればいいとまで言っている。

 一刀は……そう、問題は一刀だ。呉に居る間も散々と仕掛けたけれど、どれもが拒否。 

 けれど魏を理由にしているって時点で、諦めるつもりなんかさらさら無かった。

 むしろ手に入らないなら逆に燃えた。火がついたのだ。

 その火が取らせた行動が、魏へ通うことだった。

 

「そういえば、全員で企んでた悪戯は成功したのかしら」

 

 一刀の反応を楽しむ意味も込めて、いろいろとやっていたようだけど……と考え、少しして“それは考えてもわからないことだ”と諦めた。

 それよりもなにか、頑固者を頷かせる方法を……と知恵を絞って……───

 

「あ。そうだ、これ……」

 

 巻物をもう一度広げて、ざっと目を通してみる。

 蜀には───桃香だけならまだしも、朱里も居るし雛里も居る。

 一刀のことを気に入っていた二人が、桃香が落ちた今、何もしないはずがない。

 呉に居た時から、一刀の言葉に何かしらの感じるものを抱いていた二人。蜀で行動を起こさなかったのならば、起こすとしたら今こそか。

 そうして巡らせた思考の中、彼女の目にとまるのは桃香の字とはべつのもの。

 これは恐らく……

 

「ふふっ……あははははっ、王が相手を好きになった途端になんて、二人とも大胆ね~」

 

 一刀を三国の支柱にする作戦。

 巻物の最後辺りには、そういったものが書かれていた。

 王である雪蓮は当然として、将や軍師、兵や民に至るまで、頷いてくれる者に協力を求めたい。協力は強制ではないのでよく考えてから答えを出して欲しいと。

 

「将や軍師、兵や民……ふぅん? まあ確かに、少しずるいなとは思ったけど」

 

 なにかしらの勘が働いたのか、彼女は薄い笑みを浮かべた。

 ここまでくると、勘どころか予知と言いたくもなるが。

 

「そうね……わたしなら、三国の中心に一刀を置く。同盟の証として自国の誰かをそこに駐在させて、一刀にはその中心を治めてもらう。こういうのってなんていうんだっけ? ん……まあいいわね、重要なのは名前よりもその場が果たすべき役割だし───あ。じゃあこの際、都でも作って、そこに駐在するのは家督を蓮華に譲ったわたしで……」

 

 考え始めると止まらない。

 ここはこうして、あれはこうしてと口にしながら煮詰めてみると、顔がどうしようもなく笑っていた。

 

「んっ、今度は蜀に行こっと」

 

 これからの行動が決まった。

 都なんてものを構えるのなら、確かに王だけの一存でどうのこうのと出来るものでもない。ならばこその民の交流と、皆の許可が必要になる。許可を得られたのなら、あとは走るだけ。

 

「めいりーん! めいりーん!? わたしこれから、蜀に行ってくるからーっ!」

 

 そうと決まれば行動は早く、呉国の女王さまは目を輝かせて東屋を駆け下りた。

 聞こえたのならそれでよし、聞こえなかったのなら言伝を頼めばよし。

 馬屋へと辿り着くと、馬が楽しげな彼女を見て恐怖したように見えた。

 こうして……休憩時間はたったの一日程度あたりで、馬の旅は再開したのだ───

 

「きゃんっ!? いたっ! いたたたたたっ! みみっ、耳ーっ!」

 

 ……った、と続くより早く、呉王の耳が引っ張られる。

 傍らに立ち、引っ張るのは……呉の軍師だった。

 

「豪放磊落、奔放不羈も大概にしろ、伯符」

「あ、あははー……やっほ、冥琳……………………怒ってる?」

「仕事の全てを人様に任せ、各地に飛び回る王を前に、怒らない軍師が居るのなら是非見てみたいのだが?」

 

 一言を放つごとに、メキリと指に力がこもる。

 当然引っ張られる方としてはたまらない。

 しかし“雪蓮”ではなく“伯符”と呼ぶ彼女からは、相手がどうたまらなかろうが関係ないと断言出来る凄みがあった。

 

「で、でもほら、いずれ蓮華に家督を譲るつもりなんだから、やる気になってる今こそ」

「……孫伯符。わたしはな……“いずれ”ではなく“今”の話をしているんだ……!」

「いたたたっ! いたっ! いたいー! 痛いってば冥琳ー!!」

「お前はなにか? 好き勝手によそで暴れ回り、興奮すれば戻って人を閨へ引きずり込み、興奮が治まったらまたよそへを繰り返す気か……!?」

 

 笑顔である。

 笑顔であるが、コメカミ近くに浮き出た青筋が、彼女の怒りの度合いを示していた。

 

「あ、あー! じゃあ冥琳も一緒に来るっ? 一刀を大陸の父にしようって、桃香や朱里から報せが届いてたんだけど───いたっ! いたたいたいたいたいいたい~っ!」

 

 耳がさらに引っ張られ、しかしすぐに離される。

 雪蓮は引っ張られていた右耳を片手で押さえながら、涙目で冥琳を睨むが……そこにある迫力は、きっと欠片ほどにも満たない。親に叱られた子供状態である。

 そんな彼女に冥琳が一言、「そういったものこそ軍師に任せるべきだろう」と口にする。

 

「やだ。こんな楽しいことを他の誰かに任せっきりなんて、つまんないじゃない」

「王としての仕事が残っている。つまるつまらんはそれをこなしてから言うんだな」

「うぐっ……」

 

 胸を張っての言葉はあっさりと返された。返す言葉はもちろん無い。

 

「諸葛亮とは少々話したいこともある。いいから伯符、お前は溜まりに溜まった仕事を片付けていろ。いくら処理をしようが、王であるお前の落款が必要なものなど山ほどある。それとも、お前は“要らない王”とでも呼ばれたいか?」

「要らっ……わ、わかったわよもう~……! 少しくらい空けたからって、そんな目くじら立てることないじゃない、冥琳のけちんぼ」

「お前はその“少しくらい”が頻繁すぎる。耳を引っ張るくらいは甘んじて受け容れろ」

「こんなのを甘んじてたら、近い将来わたしの耳なんて千切れて無くなっちゃってるわよ~だっ! 冥琳のばかっ、いけずっ!」

「…………」

「あ、うそ。落款くらいいくらでも押すから、ほらほら、わ、笑って冥琳~?」

「ほう、笑えばいいのか。いいだろう伯符、お前が落款を押し終えるまで傍らで見守っていてやる。当然笑顔でだ」

「あ、あー……あはは? わ、笑わなくていいから、ほっといてくれるって選択は……」

「あると………お思いか?」

「うんある───ふぎゃんっ!? いっ……いったーいっ! 殴ったぁっ! 今本気で殴ったぁ~っ!! いたたっ!? あ、やっ、ちょっ、冥琳っ、痛い冥琳っ、耳は、耳は~っ!!」

 

 拳骨が落とされてからは問答無用だった。

 耳を引っ張られ、抵抗も空しく執務室まで連衡される。

 そこでしっかりと監視されながら政務をこなし、ようやくそれが終わる頃には……一日二日など軽く過ぎていた。

 終えるまで、自由と呼べる時間がなかったことに文句を飛ばす王様だが、「誰が溜め込んだ仕事だ」と一言返されただけで、何も言えなくなっていた。

 

 ……しかし懲りることもなく、政務を終えたその日に城を抜け出す王が確認されたらしい。軍師が口の端を引きつらせ、あとのことを穏と亞莎に任せて飛び出したのは、その報せがあった直後であった。


 ▲ページの一番上に飛ぶ