95/食に対する幸福度
適度な運動は、体への栄養吸収を助けるっていう。
むしろ運動することで、体が栄養を欲するから吸収するだけな気もするが、吸収しようと本人が意識すること自体が大切なんだから、それはそれでいいのだろう。
「なるほど。激しい運動ではなく、じっくりとする運動ならば私でも……」
中庭で運動をするのは稟。
こんな感じにやってみてくれと、事細かに説明してみせたのち、現在は風とともにストレッチ中。
座り、足を広げ、芝生に胸をつけようとするのを風が手伝っている。
食事も済んだあとだから、こうしてたんぱく質、カルシウム等を吸収していけば、上手くすれば鼻血も止まるんじゃないかと…………思うわけだ。
ただ……まあその、止まったら止まったで、ただの妄想好きの女性が完成するだけな気もする。鼻血が出た時点で止まる妄想が、止まりどころを忘れたように展開され続け……あれ? 今度は血管破裂したりするんじゃあ───?
「余所見しとる場合やないでぇ一刀ぉっ!」
「サッ……
腕に響く重い一撃。
目の前には飛龍偃月刀を構えた霞さん。
仕事の合間に軽く休憩しに城へ戻ったはずが、どうしてこんなことに……。
……いや、別に回想するまでもなく、ま~た華雄とがんごんとぶつかり合っていた霞が、そこへやってきた俺をとっつかまえて「誘われれば鍛錬してもえーんやろっ?」と仰った。
その時の俺はといえば、休憩がてら、途中で会った稟に食事の世話と運動についてを質問され、振る舞ったあとだったわけだが……そんなこんなでこんな状況。
風と稟は完全に我関せずモードで、俺の視線など見て見ぬフリである。
ええいくそぅ! 男尊女卑も女尊男卑も大嫌いだーっ!
「あ、あのなぁ霞! 俺、これが終わったらまた仕事でっ……! 確かに鍛錬に誘われるのは嬉しいけどさっ、出来れば仕事が無い時にっ……!」
「あぁほら、一刀が強なれば、ウチ一刀と一緒におったらそれだけで楽しめそうやん? やから一刀、それまで我慢我慢やっ、男の意地、見せたりぃっ!」
「見せる相手が霞な場合はどうすりゃいいんだよっ!」
「んー……隙突くこと無しでウチに勝ったら、もっと一刀のこと好きなるよ?」
「ウワーイ嬉しいナー!! って質問の答えになってないだろそれはぁあーっ!!」
でも鍛錬に誘われた時点で迷いもせずに乗った自分こそに馬鹿野郎をお届けしたい。
そんなわけで木刀と飛龍偃月刀がぶつかる。
もはや何を言っても、目の前の戦にしか目がいっていないらしい霞。
そんな彼女とぶつかり合い、ねばりはしたけど負けてしまい、へとへとになりながら仕事に戻り……待っていてくれた凪に心配された。
「あの、隊長? 休みに行った筈では?」
そうツッコまれるのも、一応想定内だった。
一度でいいから、嬉しい想定の中で溺れてみたいもんだ。
……。
警邏を再開、凪と一緒に歩く傍ら、思ったことを口にしてみた。
街の賑わいの中にあっさりと消える言葉でも、口にすることでなにかを得られる瞬間はあると思うのだ。自己満足だっていいじゃない? だって一時でも誰かが満たされるんだもん。
「誘われた時点で断れれば、俺ももっと賢い生き方が出来るんだろうなって思うよ……うん思う」
思うだけで実行しないのは、もう惚れた弱みでいいだろう。
自分は国に返すためにここに居る。
ならば望まれたことは出来るだけ叶えたい。
頷いた時の相手の笑顔が好きだから断れないってのもあるけどさ、頼られるのって案外嬉しいんだよな。そうは思っても、余裕がある時だけに限って欲しいのは事実だ。
「世の中がもっと、漫画やアニメみたいに心の準備が出来るように出来ていればいいのに」
「……? 隊長、今なにか?」
「ああいや、なんでもないなんでもない」
現実は無情で無常。情ばかりがあるわけでもなく、常である事柄なんて割と少ない。
身に起こるほとんどのことなんて突飛で突発的なことばかりで、心の準備なんてそうそう出来ないものばかりだ。
でも、じゃあ、先ほど起きた鍛錬への誘いを事前に知っていたとして、俺はどういった行動を取れただろう。
仕事があるからだめだと言う? そもそも中庭には近づかない? …………なにがどうあれ、知っていてもいなくても鍛錬は受けた気がする。
心の準備が出来るか出来ないかの問題だな。
「なぁ凪。もし今突然、でっかい地震が来たらどうする?」
「でっかい地震、ですか」
「そう。立っていられないくらいの、街ひとつを壊すような大きな地震」
ふと声をかけられて、子供に手を振り返す。
訊ねられれば道を教え、わからないというのなら案内も。
もう警備隊っていうか街の案内人状態だ。
「それは、どうしようもないと思われます。自分個人が地震をどうこう出来る力を持っているならまだしも、“立っていられない”という条件が突き付けられた以上は……」
「だよなぁ……」
「……けれど、這ってでも行動はします。もしその時の自分が混乱していないのであれば、自分……わたしは、守りたいものを守るために動くのだと思います」
言いながら、ちらりと見られた気がした。
視線を向けてみればこちらを見てもいないわけで、自意識過剰かなぁなんて思ってしまうわけで。
「じゃあ、もしその地震を事前に知ってたらどうする?」
「それはもちろん───…………いえ、はい。皆に逃げてほしいと叫ぶでしょう」
「はは、だよな。俺もそうするよ」
「はい。ですが」
「うん。きっと、誰も信じちゃくれない」
地震が来るから逃げろ。
そんなことを言ったところで、住んでいる場所を捨てて逃げるには準備が要る。
心の準備どころじゃない、もっとたくさんの準備が。
動けない人だって居るし、住み慣れた場所だっていう事実と愛着もある。
そんな事実が人にひとつの結論を持たせる。
“地震なんてくるはずがない、どうしてあんたにそんなことがわかる”
一度そう思ってしまえば疑うのは簡単だ。
子供が、誰かに教えられたことを馬鹿正直に心に刻むのと同じ。
「地震が起きないならそれでいいし、起きるのだったらたくさんの人が死ぬ。起きなければ、地震が起こると言った人は街まるごとを騙した悪人として裁かれて、起こるのであり逃げ出せてたなら命の恩人。リスクを考えれば、街まるごとを騙そうとしている時点で信じる価値はあるんだけどね」
なかなか信じてやれないのが人間だ。
「なぁ凪、人を簡単に騙せるウソって、なにか思いつくか? ……ああいや、誰かを騙すつもりで言ってるんじゃなくてさ」
警邏中の小話程度に思ってくれと付け足して、歩く。
途中、おやっさんから豚まんを貰ってしまい、頬を掻きながら食べたりして。
仕事している最中なんだけどなぁと思いながらも、温かいうちにじゃないともったいない。そこのところは目を瞑っていただこう。誰に、とは言わないが。
「嘘……ですか。自分はそういったものは少し……」
「まあ、嘘が苦手そうだっていうのはわかるよ」
性格からして真っ直ぐだもんなぁ。
これと決めたら迷わないっていうのかな。これをこうしてくれって頼んだら、どんな手段ででもそれをそうすることしか見えなくなるような。会ったばかりの頃から比べれば、そりゃあ落ち着いてくれたわけだが。
最初は凄かったもんなぁ……相手を捕まえると決めたら、躊躇わずに氣弾飛ばして。
「………」
貂蝉の言葉じゃないけど、警備隊の纏め役を任されなかった軸があったとして、そんな状態で凪と知り合ってたらどうなってたんだろ。ただの役立たずとしてしか映らなかったのかな。
「なぁ凪。俺がもし警備隊をやめるって言ったら、みんなの中の俺の価値って変わるかな」
「!?」
「へっ!? あ、やっ、やめないっ、やめないって! もしもの話だっ! もしものっ!」
「……、……」
……おじいさま。僕は今、凄まじい安堵の息を目の当たりにしております。
人とはここまで安心出来るものなのですね。
「隊長……たとえ嘘でも、その手の戯れはそう許容できません」
「すまん、ちょっと思っただけなんだ。俺が居なくても機能する警備に、俺が居なくても続く世界。……死んだ人が思い残すことなんて、生きていく人や世界にとっては、案外どうってこともないことなのかもなって……」
何気なく生きてても、思う事なんてたくさんあるだろう。
自分が死んだあとの世界なんて自分には知りようもないんだから、その時点で自分が見ていた世界は死ぬ。それなのに続く世界が確かにあって、そんな世界をいつか見れなくなることが辛くもあり……いつか誰かが頑張ったことが、誰かの頑張りの影に隠れてしまうのを知ることもまた、辛い。
「……やっぱり、心の準備が出来ようが出来まいが、起こることもやることもそう変わらないんだよなぁ……よし凪、夕餉は真桜と沙和も合わせてどこかで食べようか」
「はい。……しかし随分と急に、どうかしましたか?」
「あ、即答なのにしっかり疑問はぶつけるのね……。えっとさ、ほら。自分で最初に決めたものへ、心の準備期間を設けてみようかなって」
「?」
首を傾げられた。
そんな凪に細かな説明をわざとわかりにくく伝えて、考えるように仕向けてみる。
凪もそれが授業の一環だとわかっているのか、眉間に皺を寄せながらも考えることを放棄しなかった。
……。
さて、そんなわけで警邏が終わってからの食事。
「おっ、この料理、新しい味っ」
「んまいやろー? ここ、凪のお気に入りの店なんよー」
「や、それは聞いてたけど」
凪と一緒に沙和や真桜と合流し、話を通すとあっさり了承。
当然“食うんはえーけど、何処にいくんー?”とけだるそうに訊いてくる真桜に、凪と話して決めていた場所を提案。二人も気に入っていたのか前言通りにあっさり了承は得られ、ここにこうして居るわけだ。
円卓に運ばれたものを舌で味わい、掻き込んだご飯と一緒に咀嚼……たまりません。
他のところよりも辛味を前に出した料理が多いらしく、刺激と一緒に味が舌に残るからご飯が進む。そして追って現れる、舌を刺激する痺れ……花椒か? なるほど、これはいい。
「濃い味付けが恋しいと、こういう味付けは逆に嬉しいな」
辛さの中にしっかりと味を感じられる絶妙な味付け。
舌に残る刺激がそれを味の濃さと勘違いしてくれるのか、しっくりくる味というのか。
唾液が溜まるし噛めば噛むほど口内が幸せ。
ただし口の中を噛んだりしたら地獄を見そうだ。
「………」
チラリと見れば、一心不乱に食事する凪。
あるよなー、自分に合った食事処を見つけた時とか。
誰にも邪魔されずに食いたくなるんだ。
大体は数回来るうちに味が変わったような気がして、がっくりくるんだが。
「あ、たいちょー、その餃子一個もらっていい?」
「さっきからじ~っと見られれば、あげたくもなるわ。どうせ真桜もだろ?」
「お、くれるん? せやったららウチの焼売と交換しよ」
「ってこらこらっ、食いかけを寄越すんじゃないっ」
「隊長とウチらの仲や~ん、今さら食べかけがどうとか気にする間でもないんちゃうん?」
「じゃあ早々と米を食い滅ぼした真桜さん? 俺の食いかけの、少し赤い米、食べるか?」
「…………」
「………」
「なるほどなぁ……たしかに食い物となると、抵抗でるわぁ……」
「だろ?」
言いながらも食事を進め、やがてそれも終わると店を出る。
あとは見回りという名の道先案内人になった気分で、街を巡回するわけだ。
平和になってからは悪さをする者は減ったという。
むしろ大変なのが、将たちが起こす揉め事だったりするわけだが……そこのところはほら、華琳がしっかりと叱ってくれるから何度も何度も起こるわけじゃないし。
……たまに叱られること目当てで揉め事を起こす者が居たりするんだが、華琳もそういうところは見切っているので、相手が望むような罰は絶対に与えない。
「あ、そういえば聞いたで隊長、なんやわからんけど最近、稟に料理振る舞っとるそうやん」
「ん? ああ、あれか。ほら、稟って興奮しすぎると鼻血が凄いだろ? 鼻血が出るのは鼻の血管や粘膜が弱いからだ~って天で調べてきたからさ、だったらその血管自体を丈夫にしてやれば大丈夫かなって」
「隊長、血管も鍛えられるものなんですか?」
「鍛えっ……や、まあ間違ってはいないか。食生活で血管を鍛える、みたいな感じだ」
「へー、それで治ったりするの? 稟ちゃんの鼻血は食べ物なんかでは治らないと思うの」
「そうきっぱり言ってくれるなよぅ……えっとだな、どういう原因が付きまとうにせよ、一応俺達は食事で生きて、食事で体を作ってるだろ? だったら鼻のほうもなんとかなるって考えて、あとは少しずつ血管が丈夫になるまで、無理に興奮させたりしなければ───」
きっと治る。
そう続けようとした俺の耳に届く、俺を呼ぶ声。
何事!? と声のした方向を見てみれば、こちらへ走ってくる警備隊の一人。
……わあい、なんだろう。なんとなく予想がついちゃった。いつかもこんなこと、あった気がするし。
「……なぁ真桜。これって……」
「あー……なんや予想ついたわー……。ツッコミきれんのが相手だと、駆け足も歩んでまう……」
「というわけで凪、沙和、あとは任せ……ハイ、行きます……」
俺は凪に、真桜は沙和に、あっさり捕まった。
そして警備兵に連れられるままに通りの先に行ってみれば……予想通りに血溜まりの中に倒れる誰かさん。驚くことでもないのは、その血の全てが鼻血であるからだろう。
「……いっつも思うんだけどさ。稟ってこの服、何着持ってるんだ? ここまで浸ってると、普通の洗濯じゃあ落ちないだろ」
「何着でも持っとるのとちゃうん……? んなことよりこの
「だよなぁ……」
一応、兵たちにバリケードを作ってもらい、傍に屈んで頬をぺちぺちと軽く叩く。
反応は……なにやら少し苦しげに呻いている。
しかし、なんだってまたこんな場所で? いつかのように艶本にでも手を出したか? と見てみても、大事に本を抱き締めているわけでもない。
となると、何かがきっかけになって妄想が膨らんで、爆発したと見るべき……なのか。
どうでもよくないけど、近くの店の人にはいい迷惑だろこれ。
“血を見てモノを食べたくなる”なんて人、そうは居ないし。
「とりあえず運んだほうがいいよな。風は……居ないみたいだし」
キョロキョロと辺りを見渡してみるが、いつものように風が居るわけでもない。
しかし、すぐ近くの店の奥から……どうしてか華琳が現れた。
「華琳?」
「あら、あなたたちも来てたの」
俺、沙和、真桜、凪といった順に俺達を確認し、こちらへ歩みながらの言葉。
その手には濡れた手ぬぐいがあって……なるほど、鼻を冷やすためか。
ならばと稟を起こし、座るような状態にする。
喉に血が溜まるのは大変よろしくない。
そうすると華琳が俺に手ぬぐいを差し出し、俺はそれで稟の鼻を軽く圧迫する。
冷やしてやると血管が収縮して、鼻血が止まる~って聞いたことがある。大体の場合は血管が収縮する前に、タオルとかがぬるくなって効果がないけど。
どちらにしろ鼻血が固まるまで待つしかないよな、これって。
血液中の成分が鼻血を固めるまで、その鼻血自体が流れ出ないようにするのがいいんだっけ? まいった、もうよく覚えていない。覚えるための勉強とかしたのに、なんとも情けない限りだ。
でも仕方ないといえば仕方ない。
鼻血の止め方とかって一般的すぎるから、偏りもそれはもうありすぎるのだ。
どれが正しいのかなんて覚えきれない。
あれだな、体質に合った止め方をしましょうってやつ。
そうなると稟の場合は、首の後ろをトントンするのが丁度いいってことになるのか?
「……で、なんだって華琳はここに?」
「稟に訊きたいことがあっただけよ。最近、一刀に食事の世話をさせているらしいじゃない。天の料理には興味があったから、稟を連れ出して材料を揃えに来たのよ」
「………」
それ、つまりデート?
稟ってそれを勘違いしてこうなったんじゃあ……。
「ところで一刀? わたしはあなたに給仕係りになれだなんて、一言として言った覚えがないのだけれど?」
「鼻血のことを任せはしただろ? だからだよ。聞いてるとは思うけど、稟の鼻血のことの解決を、精神面じゃなくて体作りから始めてみようって思ったんだ」
「体作り……そう。食事をすれば鼻血が止まるっていう、漠然とした説明しかされなかったわよ」
「…………稟、案外大きな理解も無く付き合ってくれてたのかなぁ……」
だとしたら、なんとなく申し訳ないことをした。
……さて、そうして話し合っている内に鼻血も止まり、軽く揺さぶりながら声をかけると、ゆっくりと開かれる稟の瞳。
鼻血でいたるところが赤いが、そこはツッコんじゃあいけないところだろう。
ほら、真桜も微妙な顔で見守ってるし。ツッコんでもツッコみきれないことだってある、なんてこと、戦が終わる前から悟っているのだ。
「一刀、あなた料理なんて出来たの?」
「一応って程度は。味気ないもので申し訳ないとは思ってるけどね、どうにも美味い物っていうのが作れないみたいだ。これでも頑張ってみてるんだけど、味が普通以上に上がらない」
「………」
「………」
ぼーっとしつつも、のそりと立ち上がる稟の様子を見ながらの会話。
やがてふらふらながらも立ってはいる稟だが……見てて怖いな、やっぱり肩は貸そう。
「そうね、一刀。わたしに一品作ってみせなさい」
「へ?」
で、俺が稟に肩を貸して、これからのことを考えていると、そんなことを口にした。
「や、だから、普通なんだってば。華琳に食べさせるほどの腕じゃないし」
「あら。蜀では星を……あの趙子龍を唸らせたと聞くけど?」
「あれはメンマが良かったからであって俺の腕じゃないって。蓮華の時も稟の時も、普通としか評価が貰えなかった俺の料理なんて食べたら、華琳だって気分を害するに決まってるだろ」
「わたしが作れと言ったのだから、文句なんて言わないわよ。怒るけど」
「結局怒るんじゃないかっ! だだだダメだだめだめっ! 大体、食事じゃないけど天の食べ物ならもう渡しただろっ!?」
「───」
「………」
「…………?」
「……おや?」
え? なに、この間。
ぴたりと華琳の動きが止まって、俺の顔をまじまじと見てきて……
「もらってないわよ」
一言、そう仰った。
「…………エ? や、だってほら、この間……桂花が綿菓子持っていっただろ? なんか俺に耳を塞いで騒いでろ~って言って、丁度綿菓子持ってたから耳塞げなくて……で、桂花に持っておいてもらったら、何かぶつぶつ言ったあとにビャーって逃げて」
「………」
「………え? と……届けて……ないのか?」
な、なに? なんなんだこの嫌な空気。
感じるコレは殺気ですか? むしろ華琳の回りの空気がモシャアアアアと歪んで見えるような……!! ぬ、ぬう、なんだこの異様な空気……! あまりの威圧感にこの北郷の足も震えておるわ……!
「一刀。その“わたがし”、というのを最初に口にしたのは誰?」
「華琳───になる筈だったんだけどな、桂花がきちんと届けていれば。でも届けてないとなると……あー……袁術、だな。次に凪、沙和の順で、俺も味見したから……」
「へぇ……そう」
……喉が、勝手にヒィとか叫びそうでした。
怖ッ! 笑顔なのに怖いぞ華琳!!
「よ、よし華琳っ! 一緒に料理を作ろう! 作り方を全力で教えるから!」
「全力じゃなくていいわよ。あなたの言うとおりに作れば、普通にしかならないんでしょう?」
「はぅぐっ!」
普通って言葉が突き刺さるものだと、改めて認識した。
言葉の棘ってなかなか取れないから嫌いだ……けど、ここで諦めないのが賢い生き方だ。多分。
「や、やー……そうだったな、はは……。あ、でも頑張って作ろう今すぐ作ろう! 俺、なんだか急に華琳の作ったものが食いたくなっちゃったなぁーっ!!」
「なにを言っているのよ。食べるのは稟であってあなたじゃないでしょう?」
「ッ……ゴヘッ!」
再度、華琳の言葉が突き刺さる。
言葉を濁すどころかキッパリ言うもんだから、その刺さり具合といったらもう……。
「…………いや……うん……そうなんだけどさ……」
「ちゅーか隊長、さっきウチらと食べたばっかりやん」
「……へぇ、そう」
「空気読んでぇええーっ!!」
神様こんにちは。こんばんはになりそうな空ですが、こんにちは。
世の中ってとっても理不尽ですね。そして男ってやつはどうしてもいろいろなところで損をする生き物みたいです。
惚れた女のためならなんにでも応える? 頼まれればなんでもこなす? どんな理不尽でも愛があれば大丈夫? そんなことがあるわけがない。
そもそも俺は───………………アレ?
「えーと、華琳? 静かにお怒りのところを申し訳ありませんが、俺の役職って警備隊の隊長だよな?」
「……ええ、そうね」
それがなに? と視線を向けられる。
ふむ。───って、あれ? お怒りの部分に対する否定は無しですか?
「俺と華琳との“契約”みたいなのはあくまで“利用価値がある内は”であって、俺は華琳にそういった意味で拾われたのであって……えぇと」
……この平和になった世界なら、俺じゃなくても隊長務まらない?
ていうか俺が復帰するまで平気だったなら、務まってたってことでして……その。
「なぁ華琳? 今の俺の利用価値ってなんだろう」
「そうね。支柱になることで同盟を安定させることくらいじゃない?」
「出来ないって言ったら?」
「魏を出て野垂れ死になさい」
「………」
まあ、元々がそういう話だったわけだし、それはOK。
な~んだ、つまり俺には元から最低限の拒否権くらいしかなかったのか、わっはっはー。
「……と、こう言われれば満足かしら?」
「ん。自分の立場を再認識したかっただけだから。俺は俺として、華琳のものであればいいだけだ。文字通りに拾われた命なんだし、返したいものも山ほどある。魏だけじゃなく、いろいろなものに」
「そう。なら蜀と呉から届けられたものに返事を飛ばさないといけないわね」
「?」
返事?
ハテ……なにやら嫌な予感が。
「返事って?」
「簡単なことよ。一刀を大陸の支柱にするために、蜀と呉が動き回っているだけ。三国の中心に都を置くことにも賛成だそうよ」
「早ッ!? いくらなんでも了承が早すぎるだろっ! ていうかそんな話いつからしてたんだ!? 全然聞いてないんだけど!?」
「雪蓮がここを発って、呉に戻った時点で蜀との話し合いが進んでいたそうよ」
「へー……って、あ、あぁああっ!? 頻繁に魏に遊びに来てたって聞いたのに、俺が帰ってきた途端に来なくなった理由はそれかっ!」
呉と蜀が動き回ってるって、じゃあ桃香も……ってマテ? “呉に戻った時点で”? ということは……雪蓮が戻る前から、呉にはそういった蜀からの報せが届いてたってわけで……?
「どんなことをしてきたのかは詳しく知らないけれど。随分と好かれているようね、一刀」
「どんなって……ただ話したり喧嘩したり馬小屋だったりしただけで、これといったことなんて特には……」
ていうかなんでいつの間にか俺への尋問みたいなものに?
俺、ただ稟を介抱しようとしただけだよな?
首を傾げる俺に対して、華琳は「馬小屋……?」と言って小さく困惑していた。
「華琳」
「なによ」
「綿菓子、ご馳走します。甘いぞ」
「あらそう? なら夕餉のあとにいただきましょう。より心を込めて作りなさい?」
「了解」
「ふふっ……それじゃあ夕餉も楽しみにしているから、せいぜいがっかりさせないで頂戴ね、一刀」
「ああ───……あ? えっ!? 晩メッ……夕餉も俺が作るのか!? 普通になるじゃないとか言ってたのに!?」
「教えてもらうのと作ってもらうのとじゃあ違うでしょう? 一刀の中の普通を基準に、わたしが美味しく完成させればそれで済むのだから」
もはや普通確定。確かにその通りなんだが、それはそれで悔しいな……。
いや、ここで妙な感情を燃やしたら普通以下の味になりそうだ。それは勘弁。
模擬戦とかなら華琳も、模擬戦なのだから無茶な命令をしてみるのも面白いとか言うだろうけど……自分で食うとなれば話は別だろう。
よし、普通に作ろう。不味くは作らないこと前提で。
命大事に! 命大事に!
(今こそ好機! 全軍討って出よ!)
(も、孟徳さん! …………つか孟徳さん!? 貴方にそれ言われて突っ込んで、よかった試しってあんまり無い気がするんですが!?)
だが……ああだが、そう言われると出なくちゃいけないような気が……だって仮にも孟徳さんだし。脳内だけど。
いや待て? 妙な手を加えて混沌料理を作るのは、味見をしないヤツか味覚音痴と決まっている! ならば厳重に味見をしつつ、注意しながら作れば……!
「任せてくれ! 俺の全力を以って作るから!」
「“余計”な手間は要らないわよ?」
「わかってるわかってる、あくまで目指すのは普通以上であって、普通以下は作らないから」
腕が鳴る。
そうと決まればと、話の腰を折らないようにと黙っていてくれたらしい三羽烏に手招きをして、肩を貸している稟も合わせて相談開始───と思ったら、稟は華琳にくいと引かれ、そのまま連れて行かれてしまった。
……まあそりゃあ、血を大量に失った人を引き止めるの悪いしな。
「三人とも、メシ食ったばかりですまん。これから華琳用に料理を作るから、味見や手伝いを頼んでいいか?」
「やー……ウチこれからちぃっと用事がー……」
「申し訳ありません隊長、実はわたしも……」
「わたしもなのー……」
「ゲッ……そ、そう……なのか……?」
訊ねてみれば、こくりと申し訳なさそうに頷かれた。
……俺の全力とは言ったものの、実は凪の料理の腕にも期待していたりしたのですが。
うわっちゃー……なんてことだ。確認を怠るからこんなことになるんだ。人生ってほんとに上手くいかない。
だが諦めない! それが俺達に出来る戦い方だって、偉い人も言ってた!
「そっか、じゃあ他の人を探してみるから。あ、あー……俺、買い物とかしなきゃいけないからここで上がるな? あとは報告書を書くだけだから、それは俺が預かるよ」
「あー……なんやすまんなぁ隊長」
「気にしない気にしない、その代わり、俺に用事がある時も容赦なく断るから」
「うあ、みみっちぃで隊長」
「たまには我が侭くらい言わせてくれ。べつにほんとに断ったりしないから。もちろん、その時の状況にもよるが」
「……隊長の場合、どんな状況でも問答無用で連れて行かれてそうなのー……」
「不吉なこと言うんじゃありませんっ!! ……じゃあ凪、あと任せるな」
「はい。隊長……ご武運を」
……いつからか料理は武になっていたらしい。
作る相手が相手だから、あながち間違いじゃないのがひどいもんだ。
(桂花がきちんと綿菓子を届けてくれていれば、こんなことにはならなかったのかなぁ)
小さく頭によぎる思考に溜め息。
流琉にでも協力を仰ごうかとも思ったが、それじゃあ俺の料理じゃなくなる。
なので却下。あくまで味見役を……と考えたところで、料理を手伝ってもらわないなら別に流琉でもいいんじゃないだろうかという結論が。
「……いや、それだけじゃないしなぁ。ある程度、料理の知識がないと指摘も出来ないだろうし」
たとえば春蘭だったら美味い不味いか硬い柔らかい、濃い薄いくらいの指摘しかしてこないだろう。……ダメじゃん。よ、よーし流琉を探そう! 流琉がいいな! 暇であってください流琉さん! お願いです!
そんなこんなで結論を胸に、城を歩いて流琉を探したわけだが……親衛隊の報告纏めがあるそうで、季衣の手伝いをしているからこっちは手伝えないとのこと。
まあ……相手があの華琳じゃあ、仕事を投げ出して料理の手伝いなんてのは無理だ。
「………」
俺、サボったりしてよく無事だったよな……。
お待たせしております、凍傷です。
いえまあそのー、PCは無事なんですけど、いろいろありまして。
時間さえ取れれば更新はしていくつもりなので、のんびりと見てやってください。
基本、皆様が休みの日にはこちらは忙しいので……くそう夏休みなんて! 夏休みなんてー!
いえまあ今一番怖いのはお盆休みなんですけどね。
はぁ……僕も休みたい……。