真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷

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57:魏/目を見ることで知る想い①

99/謝るよりも容易いこと

 

 一度決心が出来ればあとは早い……なんてものは、当然個人差が出てくるものだ。

 結局一歩を踏み出そうとした日以来、袁術が踏み出すことは……実は何回かあったものの、その悉くがタイミングって悪魔に阻まれ、気づけば彼女は姿を消している。

 

「にーちゃーん!」

「よしっ! 飯に行くかっ!」

「おー!」

 

 何度もそんなことが続くと、さすがになんとかしてやりたくはなるものの、自分にもやらなきゃいけないことっていうのはどうしてもある。

 空いた時間も誰かが誘いに来るし、そんなことを続けていれば袁術が一歩を踏み出しても構ってやれないことになり、罪悪感を抱きながらも……いっそ突き放すような感じで、全てを押し退けてでも踏み込む勇気ってやつを待っていた。

 ただ、間違っちゃいけないことがある。

 勇気を誰かに望むのは悪いことじゃないし、成長を望むのならなおさらだ。

 けど、それが全ての人にとっての成長に繋がるかといったら、そうじゃない。

 悩み続けて潰れてしまう人だっているし、袁術の場合は諦めてしまうかもしれない。

 

「おぉおおおおおおおっ!!」

「せぇええええぃいいいっ!!」

 

 それでも、視線は感じた。

 誰かに見られている感じは何処に居たって感じるってくらいに、ずっと俺を追い続けていた。振り向いて手を差し伸べられたらどれだけ楽だろうな、って思うのに……成長を望めばこそ、そんなことが出来ないでいる。

 華雄と模擬戦をし、へとへとになって部屋に戻っても、悪態をつきながらも迎えてくれる誰かが居るのはいいものだったんだなって……いつの頃からか感じるようになった。

 

「えっと、これで酒になってるはず……ん、んー……げぼぉっはぁあっ!? うぅわマズゥウッ!! な、なんだこれ!」

「また失敗か……これで何度目だ?」

「いや……華雄? そんなしみじみ言われても……でも大丈夫! 今日仕込んだこれこそ、明日を照らす太陽になる! 今のうちに名前でも決めておこうか。あー……鬼桜(きざくら)頭領(どん)】!!」

「む…………お前が今吐いたものの名前はなんだった?」

北濁里(きたにごり)……失敗だったけど、これは大丈夫! 多分!」

「前回もそう言っていただろう……酒蔵も無しに作れるものではないのではないか?」

「うぐっ……だってさ、酒蔵作っておいて失敗続きだとさすがに責任持てないだろ?でもやめる気にはなれないんだよなぁ……霞も楽しみにしてるって言ってたし」

「ふむ? しかし北郷。こんなことをしなくとも、曹操が酒蔵を作っているだろう。それに任せればいいだけの話ではないか?」

「…………ホエ? 酒蔵……って、え? なにそれ、知らない……」

「うん……? 本当に知らんのか? 少し前から城庭に工夫が入り浸っているが」

「いや、近くに居た桂花に訊いたら、“あれは俺用の拷問室を作ってるだけだ”って……。まともな返事はこないだろうって、諦めてたんだけど……」

 

 それでも時間は流れる。

 期待と不安を胸に、ただ待つだけではなく、あくまで自分の仕事やするべきことを続け、しかし待つべきを待っていた。

 なんとなく思い立って、作業中の工夫さんに余った木材を分けてもらい、あるものを作ってみたり、いつか届けられる勇気を待ちながら、待った分だけの笑顔が得られますようにと願っている。

 

「んあ? なぁなぁ隊長~? なんやのこれ」

「あ、これか? これはな、蜂の巣箱だ」

「巣箱? 蜂の……へー、こんなんが。で、隊長、蜜蝋でも集めて売るん?」

「んぁあ、いやいや、個人的に蜂蜜を集められればなって。真桜の目で見てどうだ? これ」

「やー……言われんと巣箱やなんてわからへんわ。ガラクタか思たもん」

「そっ……! そ……そこまでひどいか……?」

「よーするに蜂の巣ぅみたく網目状の穴がいっぱいある板が欲しいんやろ? そんくらいウチに言ってくれればぱぱーっと作ったるけど?」

「ん……なんか最近忙しそうだったしさ。それに、俺の手で作りたいかな、とも思ったし」

「そーなん? せやけど……こんなんで蜂蜜が採れるん?」

「蜂が中で巣を作ってくれればな。そのためには蜂の巣の近くでしばらく置いておかなきゃいけない。眼鏡に叶えばこの中に巣を作ってくれて、しばらくすれば蜂蜜も溜まるってわけだ」

「気が遠くなるような話やなぁ……」

「それより真桜、氣動自転車(きどうじてんしゃ)の話、どうなってる?」

「んっへへー、順調やでぇ……! けど考えたもんやなぁ、氣ぃで車輪動かす絡繰なんて。あれが完成したら一気に機動力上がるわ」

「俺、その気になれば空だって飛べると思うんだ。もちろん、絡繰でだけど」

「……氣ぃ使い果たしたら死ねんで、それ」

「ああ……見極めが難しそうだよな……」

 

 仕事に追われる日々が続く。

 非番はほぼ誰かと一緒に居て、それ以外は仕事。

 食事中でも常に隣には誰かが居て、袁術はそんな俺と誰かをじっと見つめていた。

 そんな日々が続いたある日………………ふと、視線を感じなくなった。

 

……。

 

 ……ドキドキしながら視線を落とした。

 手に持っているのは……グラタンもどき。

 クッキーが作れるならばと作ってみた、“手作りチーズ”と“ホワイトソース……?”のグラタン。残念ながらマカロニまでは用意出来なかったから、鶏肉と野菜のグラタンだ。

 ホワイトソースが疑問系でしか語れない理由は、ホワイトソースの作り方がうろ覚えだったからだと了承していただきたい。

 

「オーブンレンジが無いからって、炉で焼くのってどうなんだろうなぁ……」

 

 しっかりと外はサクサク中はしっとりクッキーを作ってみせる流琉は、ある意味料理の達人…………いや、この場合は炉の火力調整の達人って言うべきなのか?

 

「華雄、食べてもらっていいか?」

「ま、またわたしか。しかしこれは……太るのだろう?」

「食べた分動けば大丈夫だって。なんだかんだで華雄も鍛錬を怠らないし、今は平和でも……三国からじゃなく、外国からの攻撃にも気をつけないといけないし」

「ふむ……五胡や、それ以外か」

「平和なことはいいけどね。平和だからこそ、気を引き締めなきゃ」

 

 武官が要らなくなる日は近いかもしれないが、本当に要らなくなるのかは誰にもわからない。

 物欲が強い人が居れば、発展した大陸を狙う誰かも現れかねないのだ。

 もしかしたら日本とも戦うことに? ……さすがにそれは勘弁だ。

 

「北郷。お前はその……なんだ。鍛錬はしないのか?」

「しないんじゃなくて、禁止されたんだ。誰かに誘われるならいいんだけど、俺自身の鍛錬は禁止。今はもっぱら氣の鍛錬ばっかりだ」

 

 お陰で氣脈の大きさにも磨きがかかった……って、この場合磨きがかかるって言うのか?

 

「ふむ。たとえばどのようなものなのだ?」

「まず朝起きたら水と食事。体を温めるために準備運動をこれでもかってくらいやって、あとは城壁の上をひたすら走る。で、走り終わったら実戦訓練というか……華雄とよくやるようになった、模擬戦を誰かとやるわけだ。魏に戻ってくるまではずぅっと思春だったけど、自分が想像する相手とも戦ったな」

「…………それは“鍛錬”か?」

「鍛錬だよ、少なくとも俺や祭さんの中では。祭さんに、日に十里は走れ~とか言われたし。氣のことでもお世話になったから、この世界での事実上の師匠って祭さんってことになるのかなぁ」

「ふむ……っと、話もいいが、頂くとしよう。ん……むうっ!? このこんがりと焼けた、あー……ちぃず、だったか? と、その下にある“ほわいとそうす”とやらの味! そしてなにより肉の柔らかさ……! これは美味い……!」

「ありがと。熱いから気を付けて食べてくれな?」

「ふふっ……戦も食も怯めば負ける。既に処理された肉ごとき、何するものぞ!」

 

 華雄はそう言うと、無駄に気合いを入れて食い始め……って、あぁあああ!! そんな勢いよく食べたらっ!!

 

「───…………~っ……!!!」

 

 おお!? 震えてるけど耐えている!

 めちゃくちゃ熱いだろうに耐えてるぞ!

 悲鳴のひとつもあげないとは、さすがは華雄! ……さすがなのか?

 しかしやがて熱さにも慣れたのか、停止していた顎を動かし始めると……ごくりと嚥下。涙が滲んだ目で俺をキッと睨むと、

 

「……水をくれ」

「……だよなぁ」

 

 大変正直なお言葉を頂きました。

 そんなわけで水を差し出して、後片付け。

 華雄もゆっくりと味わうことにしたらしく、火傷したらしい舌を庇いながら、はふはふと食べている。ちびちび食べているところをみると、なんだかんだで味は気に入ってもらえたようだ。

 やっぱり乳製品料理は強いなぁ。

 

「む……この水は随分と冷たいな」

「ああ、華琳がアイス用に使った氷を使って冷やしておいたやつだよ。ああ、あくまで外側から冷やしただけで、水には入ってないから安心して。……で、どうだ? キンと冷えてる水っていうのも珍しいだろ?」

「うむぅ……確かにこれは……雪があるわけでもないのにこの冷たさは珍しい」

「うん。そういう冷たさを、暑くなってきた日にも味わえないかな~って思ってさ。今、硝石と塩を使って冷蔵庫が作れるかどうかを真桜と話し合ってるところ」

「れいぞうこ? なんだ? それは」

「いつでも冷たい、小さな倉庫みたいなもの。ただ、それを実現するだけの硝石と塩を確保出来るかが問題なんだよな」

 

 塩が貴重だっていうなら生産すればいい……のだが、これが案外難しい。海水がぽんぽん手に入るわけでもない。塩井、解池で生産出来る量もそう多いものじゃないし。

 や、解池は広ければ広いほど採れるだろうけど、欲しくなればすぐ採れるほどの便利さはない。海水を干すのが一番ではあるものの、その海水がなぁ……。塩井から汲み上げた塩水で塩を作るにしても、薪がどれだけ必要になることか。

 硝石や岩塩や海水がごろごろ取れたりするならいいんだけどな。

 硝石で冷蔵庫作るにしても、いったいいくつ必要になることやら。塩も硝石もそうポンポン使えるようなものじゃないのだ。

 難しいなぁ、知識だけがあったって生産出来るか否かはその場所にもよるわけだ。

 日本よりは硝石の生産(この場合自然生成っていうのか?)は、こっちの方が多かった筈ではあるが、それも無限ではないわけだ。

 しかも大陸全土で取れるわけじゃないとくる。

 

「理屈云々はわからんが……確かにこの冷たさが暑い日に飲めるのなら、それは随分と楽だな」

「がばがば飲んで、腹壊す誰かさんが目に浮かぶようだけどね」

 

 浮かんだのは春蘭と季衣と……袁術だった。

 他国でいうなら麗羽も猪々子もだな。

 ……呉って真面目だなぁ。せいぜいで雪蓮かシャオだろ? ……あ、王族だった。王がそっち方面で心配されるって、それでいいのか、呉よ。

 

(…………袁術か)

 

 ふと、頭によぎれば気になってしまう。

 どうしたんだろうか……視線も感じなくなり、華琳も何も言ってはこない。

 

「華雄、最近袁術のこと、見かけた?」

「む? いや……ああいや、見たな。少し前に、ガタガタブルブルと震えながら曹操に話し掛けている姿を見かけた。それが最後だ」

「最後!? それが!?」

 

 いや……いや、ちょっと待て? なんだこの嫌な予感。

 もしかして全てが嫌になって、華琳にとんでもないこと言って、カッとなった春蘭がその首をズッパァーンとだからちょっと待てああもう混乱するな一つずつきちんと考えろ!

 ……、……うん、落ち着け落ち着け。

 

「……なにがあったのかは知らないけど、とりあえずはそれって、華琳は何かを知っているってことだよな?」

「いや、見かけただけだから詳しいことは知らんぞ?」

「華雄……どうしてキミはそう、“あと何か一つ”が毎回足りないのさ……」

「た、足りんか……? むぅ……そんなつもりはないのだが……」

「ああいや、ごめん。なにかしらが足りないのは俺もそうだから、人のこと言えたもんじゃあなかった」

 

 一言謝ってから考えてみる。

 華琳……華琳かぁ。

 そういえば中庭とかでも見かけなくなったよな?

 アイス製作の残骸(キンキンに冷えた氷)以外も見かけなくなったし。

 片付けは相変わらず桂花にやらせてるんだろう。そりゃあこれは始末に困るだろうなぁ。この余った氷を使ってなにか出来ないかなって考えたのが、華雄が飲んでいる水なのだ。

 言った通り、周りから冷やすためだけであって、飲み水の中に直接この氷は入れられないけどね……。

 

「よし、ちょっと華琳に訊きたいことが出来たから、探してくるよ」

「ああ」

 

 パパッと片付けを終えてから、華雄に一言言って厨房をあとにする。

 通路を歩き、「さて、何処に行ってみるのがいいかなぁ」とわざわざ口にして。

 今日は簡単な書類整理だけで仕事が終わる。

 少しくらい時間がかかってもいいから、いい加減にこのもやもやを解消したい。

 なのでと歩く足も大幅になり、焦ってるなぁと自覚しつつも、もはやそんな行動さえ止められない自分が居た。

 やがて通路を抜け、角を曲がったところで───ぽすんっ、と、腹に当たる何か。

 それが人だとわかった瞬間には手を伸ばし、相手が倒れるより先に救出してみると……そこには、目をパチクリさせる小さな子。

 

「あれ? 袁術……なんでこんなと───」

「ぴきゃぁああーっ!?」

 

 なんでこんなところに、と続く筈の言葉が悲鳴に遮られた。

 袁術は真っ青な顔になると俺の手を払い、HIKIKOMOっていたとは思えない速度でババッと離れると、近くの柱の影に隠れた。

 ……え? なにこの状況。俺、なにかした? ───……拳骨したよ。怒ったよ。

 

「あ、袁じゅ───……」

 

 “ほうっておきなさい。

  一歩も進まない者に手を差し伸べるのは、

  やさしさじゃなく成長の妨げでしかないわ”

 

「………」

 

 伸ばしかけた手が、口から出しかけた言葉が止まる。

 手を差し伸べるだけがやさしさじゃない。

 やさしさだけじゃあ人は成長できないし、厳しくするにも意味ある厳しさじゃなければ受け止め切れない。

 そういったものは散々と、この世界やじいちゃんのもとで学んだ筈だ。

 だから、今は袁術が一歩を……自分自身で一歩を踏み出すまでは……。

 

「っ……」

 

 知らず、ギチリと歯を食い縛っていた。

 拳は握り締めたまま、伸ばさぬようにと耐えたまま。

 そして、怯える袁術の目を見て……勢いよく歩いていたことだけはきちんと謝り、歩き出す。

 …………もやもやは、今日も晴れそうになかった。

 

「あ……か、かずっ……一刀っ……!」

「───」

 

 そう諦めかけた瞬間、背中に届けられる声。

 自分が思うよりも強い期待に、通路を歩く歩は勝手に止まり、続く言葉を待った。

 が……

 

「あ、あ……う…………の、のぅ一刀? 一刀がどうしてもというのであれば、妾をぶったことも怒ったことも、聞かなかったことにしても……その、よいぞ?」

 

 ……期待した分だけ、続いた言葉に対するショックは大きかったのだろう。勝手に歩を止めた体は歩みを再開し、振り向くことも返事をすることもせずに通路をゆく。

 

「あ、あっ……待つのじゃっ……待って……待ってたも……!」

 

 歩は止まらない。

 後ろから、泣きそうな声で懇願されても歩みは続き……

 

「そうじゃっ、それで足りぬならば、七乃の代わりにずぅっと妾の傍に居ることを許すのじゃ。ど、どうじゃ? 我ながら惚れ惚れするような提案であろ?」

 

 歩く。

 袁家としてもプライドがそうさせているのか、それとも他の言い方を知らないだけなのか、自分を上に置かなければ済まないのであろうその態度から遠ざかるために。

 

「こりゃ……こりゃっ! 聞いておるのかや!? 一刀っ! 一刀っ!? ~……か、かず……うみゅうぅ……!」

 

 段々と嗚咽が混ざってきても、声も返さず振り向きもせず、ただ歩いた。

 何処へ向かっているのかも忘れてしまうくらいのショックを受けて、今、何処を歩いているのかもわからないままに。

 

「何故振り向かぬのじゃ……? 人と話す時は、相手の目を見て話せと妾に教えたであろ……? そ、それとも妾は、話す価値もないほど一刀を怒らせたのかや……?」

「………」

「う……ううぅ、うー……! ぶたれたのは……痛かったのは妾であろ!? 何故それで妾が謝らなければならぬのじゃ!? 妾が怒り返して当然であろ!? なのになぜ妾が無視されねばならぬ!」

 

 ……歩く。

 袁術はまるで、今まで話せなかった分を罵倒にして吐き出すかのように、本当に思っているであろう言葉を叫ぶように口にした。

 それを聞きながら、それでも待った。

 立ち止まらず、振り向きもせず、返事もせず……手も差し伸べず。

 

「なんじゃ……なんじゃなんじゃなんじゃというのじゃ!! 妾の目はもう見るのも嫌なのじゃな!? ならばもうよいのじゃ! 一刀のことなど知らぬ! 勝手に何処へなりとも行くがよいであろ!? 構ってくれぬ一刀など要らぬ! 頭を撫でてくれぬ一刀など要らぬ! 眠る前にお話をしてくれぬ一刀など要らぬっ……起きた時におはようと言ってくれぬ一刀などっ……ぐしゅっ……一緒に……朝餉も昼餉も夕餉も食べてくれぬ一刀など……ひぐっ……要らぬ、要らぬのじゃあ……っ!」

 

 ……嗚咽が続き、俺を追う足音が消える。

 数瞬だけ立ち止まろうとした俺の体が、けれどそのまま歩く。

 やがて、どれだけぐるぐると回っていたのか、最初に袁術とぶつかった曲がり角までに至り、その角を曲がることで俺の姿が見えなくなるその瞬間。

 聞こえなくなった足音が泣き声とともに近づいてきて───俺の服を、掴んだ。

 その引っ張られる感触に初めて振り向き……泣き顔で俺を見上げる袁術と、視線を交差させた。

 

「………」

「……ひぐっ……かじゅっ……一刀ぉ……」

 

 誇りも威厳もなにもない。

 振り向いた先には、ただただ弱いひとりの少女が居た。

 泣きながら、しかし真っ直ぐに俺の目を覗き込み……じっと、必死に嗚咽を殺しながらも覗き込み、我慢し切れず泣き出し……それでも覗き込む少女が。

 

  俺の目なんて見て何を得たいのか。

 

 目を合わせぬ俺に腹を立てたから? ……違う気がする。

 じゃあ言葉通りに目を合わせて話したかったから? ……それも、違う気がした。

 俺は袁術じゃないから、袁術が俺の目から得るであろう答えなんて想像もつかない。

 ただ一つ理解出来たことは、俺の目を見た袁術が、高貴さも血筋のことも忘れ、大声で泣き出したということくらい。

 ただしそれは安堵や怒りといったものからくるような泣き声ではなく、深く色濃い申し訳なさからくるもののようで……───袁術は、泣きながら俺に何度も何度も謝ってきた。

 すまなかったのじゃ、そんなつもりではなかった、許してたも……そんな言葉が、嗚咽混じりに何度も何度も。

 

「………」

 

 突然謝られた理由まではわからなかった俺だけど。

 ……ああ、ようやく。

 ようやく、この手を伸ばせるのだ。伸ばしてもいいのだと知り、小さく震える体を抱き締めた。


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