───その先で、美羽が寝ていた。
寝台の上で、とても気持ち良さそうに寝ている。
外の雨なんて知らんのじゃーってくらいに幸せそうだ。
で……問題なのは、どうして俺の着替えを抱くようにして寝ているのか、なんだが。
「……“なんにもせぬぞよー”はどうしたんだ~、美羽~」
幸せそうにすいよすいよと寝ている美羽の頬を、つんつんとつついてみる。
反応は……身動ぎするだけだった。
いつかと同じだな。また袖を掴まれそうだ。
「うんうん」
だが大丈夫だ、こちらも同じ轍は踏まないぞ。
えぇっと、たしかアレももう十分に冷えている頃だよな───…………。
……。
と、いうわけで。
「こちらに出来ているものを用意してあります」
厨房から自室に戻り、サッと持ち上げてみるのはよく冷えた蜂蜜。
……いや、どうせならさ、自分で用意した巣箱で採れた蜂蜜をあげたかったんだけどさ、これがまた中々溜まらないんだ。
一応コロニーというか、ミツバチが巣を作ってくれはしたんだけど。
蜂一匹が一日中花を巡って、ようやく集められる蜂蜜の量ってのがなぁ……なんでも小匙一杯分にも満たないらしい。
ミツバチは確かに数が多いが、それでも花も蜂も気色悪いほどいっぱい居るわけじゃないのだ。巣の大きさに対して、存在出来る蜂の数は決まってるんだっけ? ともかく、美羽が蜂蜜を飲むために、ミツバチたちがどれだけ苦労していたのかを知る結果になったよ。いつもお疲れさまですミツバチさん。
「で……」
蜂蜜水ってどうやって作るんだ?
水、ってつくからには水で割ったりするんだろうか。
いっつも蜂蜜~とか蜂蜜水~とか言うくらいだから、きっと美味い作り方があるのだ。
好きな者にしかわからない黄金比率! とかさ。
ふむ……それはそれとして、今度蜂蜜カラメルプリンでも作ってみようか? や、でもな、せっかく単品でも甘いのに、砂糖とか混ぜるのもな。
少し焦がしてみれば、これもカラメルみたいになったりするのか? いや待て、なんか熱するのがもったいないぞ、これ。
「…………まあ、とりあえずご開帳」
“帳”じゃないけど気にしない。
カコリと蓋を開けてみれば、冷やされてなお濃厚な香りが、ふわりと辺りに漂う。
すると寝ている美羽の鼻がヒクヒクと小刻みに動き出す。……こう見ると犬みたいだな。
「美羽ー? 掃除してくれてありがとうなー? お礼に蜂蜜持ってきたぞー……───ほぉうあっ!?」
ぉおおお起きたっ!? 反動とか無しに無拍子で!? すごいな美羽! やっぱりこの時代の女性って、基本の体力とか身体能力とか、どうかしてません!?
あ、でもなんか滅茶苦茶眠たげだ。
産まれたばかりの子猫みたいに震えながら、閉じたままの目でふるふると辺りを探っている。……あのー、その調子で抱き締めてる服も解放してやってもらえないでしょうか。べつに“服質とは卑劣な!”とかは言わないから。
「美羽?」
急に掴まれてこぼされても困るから、一応蓋をコパリと戻して蜂蜜を差し出してみる。
反応は…………無い。
「行動の一つ一つが一種のクエストみたいだよな、もう……」
着替え一つを得るために、どうしてこうも回り道を……。
仕方ないので肩をゆすってみる。
激しくではなくやさしく。反応が無いから蜂蜜を軽く掬って口に近づけてみると、ハモリと口にした。直後にとろけるような幸せ顔になり、ふるるるるるぃっ、と震えたのは言うまでもなく、一応は……それで起きてくれた。
「……うみゅ……? 主様……? おお、帰っておったのじゃな、お帰りなのじゃ、主様」
「ただいま、美羽。よく眠れたか?」
「むー……少々眠り足りぬの……。それで、主様の仕事はもう終わったのかの?」
「いや、まだまだ終わらない。着替えたら傘……あー……この場合は
「大変じゃの……」
「警邏ってそういうもんだよ」
雨の中で親とはぐれた子供が居たら笑えない。
あの春蘭でさえガタガタ震えるほどの寒さだ、雨に当たりっぱなしは非常にまずい。
「というわけで美羽、その着替えを離してくれるとありがたい」
「着替え? 着替え……お、おおっ? お、おかしいの……何故妾は主様の服を……?」
「いや、俺に訊かれても」
「ち、違うのじゃ主様っ、妾、掃除をしていたら疲れてしまっての? その、あの、の……、すこ~しだけ休憩を取ろうと思った次第での……?」
そんな、あからさまに視線を逸らされながら言われてもな。
「美~羽? 人と話す時は?」
「……“相手の目を見て話す”じゃの」
「ん、よし。べつに怒ってないから大丈夫だって」
はい、と手を差し出すと、そこに着替えをはいと渡してくれる。
受け取ってからは美羽に後ろを向いていてもらい、パパッと着替えて準備完了。
濡れた服は……窓際で搾って、室内に吊るしておこうか。
仕事着扱いにしてたから、これ着ないとほとんど庶人なんだけどなぁ俺……。
「よし、と。じゃあ行ってくるな美羽。留守番よろしく」
「うむっ、妾にどーんと任せるがよいぞっ? うわーははははーっ!」
手を上に突き上げ、「主様の期待には必ずや応えてみせるぞよ!」と息巻く美羽。
その頭をやさしく撫でてから出発した。一応、タオルを懐に仕舞った上で。
……。
ざああと水滴の群が地面を打つ。
その数は尋常じゃなく、傘を支える手もしんどく感じるほど。
風が無いのが救いではあるが、この量は珍しい。
「天の恵みではあるものの、大陸で洪水はシャレにならないんだぞー……」
言ってはみるも、空は雨以外になにも返しちゃくれない。
降ってるのがせめて、ここだけならいい……ってわけでもないか。止んでください。
「北郷隊長、この区画には人は居ないようです」
「そっか。他の区画担当とも連絡を取り合って、早く終わらせちゃおう」
「はっ」
ぶつぶつとこぼしながらも、傘を構えて走り回る。
俺も魏兵の鎧とか着てみようかな。あれなら雨合羽代わりに……ならないか?
むしろ誰も俺だと気づかなそうだ。それはそれで楽しそうではあるけど。
「あーっ! 隊長ずるいのー!」
「うあ~……女にそのまま働かせて自分は蓋持ってすたすたかいな……隊長、少しは空気読まんと嫌われんで……?」
「それ言う以前にその格好で雨の中はセルフ拷問もいいところだろ! 特に真桜!」
「え? なに?」
「なにじゃないって! いーからこれ着る! 兵たちにも目に毒だろ!」
「べつにスケたりせぇへんで?」
「そういう問題じゃないのっ!」
着替えてきたのにいきなり上着を渡す俺……いっそ笑ってくれ。
けれどこれは危険だ、いろいろな意味で。
大体にして、胸に対して服の幅が小さすぎるだろ。
ほら、あっちに居る兵なんか、そわそわしてこっちも満足に向けない状態だし。
「真桜ちゃんばっかりずるーい! ねぇねぇ隊長、沙和は? 沙和にはー?」
「……この蓋あげるから、真桜と一緒に休んでなさい」
「ほえ? ええの?」
「雨の中、ご苦労さま。さすがにもう上がれなんて勝手なことは言えないけどな、少し休んでていいよ。寒かったろ?」
「おー、もうめっちゃ寒かったわ……大地の上で溺れるか思うくらい降るんやもん……」
その格好にも問題があると思うんだが……ともかく渡した蓋を差した沙和と、その下に潜り込んだ真桜をタオルでわっしゃわっしゃと拭いてやり、上着を着させる。
タオルは……いいか。このまま沙和の頭の上にでも。
「……? たいちょー?」
「よく拭いておくこと。俺もちょっと兵たちと走ってくるから」
「隊長、胸は拭いてくれへんのー?」
「自分でやりなさいっ!!」
にやにや笑いながらの言葉にそう返すと、地面を蹴って隊舎へ。
流石に庶人服(上無し)のままじゃあ風邪を通り越して、最悪肺炎とかになりかねない。
なので隊舎で、非番の誰かの鎧を借りてみようと思った次第だ。
そうして鎧を纏い、区画ごとに人探しやら雨宿りをしている人を案内したりやら、いろいろしているうちに───
「おーい! 北郷隊長を見なかったかー!?」
「いやー! その代わり、やたらと脚が速いやつがあちらこちらで駆け回ってるぞー!」
「……ってあれ隊長だよ! 鎧なんか着てなにやってるんだあの人はー!」
「隊長!? 北郷隊長ー!? 示しが付きませんからいつもの天の服を着てください!」
兵に捕まり、あっさりと鎧は返すはめになった。
しかもそれまでの経緯を話すや、「隊長こそ風邪を引いたらどうするつもりです」と注意されてしまう。まあ、そうなんだけどさ。
「北郷隊長が我々警備隊を大事にしてくれるのは嬉しいのですが、我々にとっても隊長はなくてはならない存在なのです。あまり無茶をされては困ります」
「うぐ……わ、悪い」
まるで凪みたいなことを兵に言われ、口ごもるしかない俺がいた。
その頃には激しかった雨も止み、ずぶぬれの俺達が残された。
「はぁあ……凄い雨だったなぁ」
「作物が喜ぶ前に地面が抉れそうなくらいの雨でしたよ」
「だなぁ」
迷子も居なかったようでなによりだ。
でもなぁ……あれだけの雨が降ったからには、絶対にどこかで不都合が起きている。
その不都合を、華琳に報告される前に出来るだけ消化していかないとな。
華琳の仕事を無駄に増やすわけにはいかない。
「よしみんな、一度着替えてからもうひと頑張りしよう! 頭もだけど、足もよく拭いておくように!」
「はっ!」
動き回るのは、水びたしでふやけた足にはちょっと辛い。
なので一度みんなには隊舎に戻ってもらい、その間の街の巡回などは俺が担当。
どこか壊れたものはないか、倒れたものはないかを確認して、あればこなしてゆく。
(誰かに頼んでサボったりしなくてよかったよ、まったく)
こんな日に誰かと交代したとあっては、さすがに気分が悪い。
そんなことを考えてしまった分も含めて一層に張り切り、区画毎を走り回っては困りごとを処理。兵が戻ってくると交代で隊舎に戻って、自分も随分と濡れてしまった体を拭いた。
そこまで長くは降らなかったものの、記録的な豪雨だろうなぁ。
「隊長、お疲れのところ、失礼します」
「っと、どうした?」
足も拭き終えたところで、さてと立ち上がろうとしたところに兵の一人が。
「はっ、なんでも雨漏りがひどいと訴える者が幾人か居るとか」
「…………段々雑用係になりつつあるなぁ」
民からの認識も、それでもやろうとする自分らから見ても。
「軽い処置なら出来るけど、そういうのは誰か工夫の人に頼んできちんとやってもらわないと、後が怖いって伝えておいて。下手なことして雨漏りが広がったら目も当てられない」
「はっ」
笑顔のためにとどれだけ走ろうと、出来ないものは出来ないと言わなければ期待させ損だ。きちんと言うやさしさ……やさしさじゃないな、必要性か。そういうのもある。
「よしっ」
じゃあ、残りの仕事もちゃっちゃと片付けようか。
どうか風邪を引いたりしませんようにと願いつつ。