真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷(ぜろくろ)

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59:魏/希望は百里先に③

-_-/華琳

 

 模擬刀が宙を舞い、地面に突き刺さる。

 視線の先には息を切らせた桃香。

 

「はっ……はっ……はぁあ……」

「……励んでいるようね、桃香。けれど、これじゃあまだまだだわ」

 

 そんな桃香に言を投げ、手にした模擬刀を揺らす。

 手にする得物が絶ではない私に敵わないようでは、本当にまだまだだ。

 けれど、だからといってその努力に関心が向かないわけではない。

 

「あぅう……やっぱり……まだまだ、全然敵わなぃい……はっ……はぁあ……」

「当然よ。一刀に鍛錬の仕方を教えられただけで簡単に越されるほど、浅い己の研磨などしていないわ。精進しなさい桃香。今の貴女の目は嫌いじゃないわ」

「うぐっ……じゃあ今までの目は嫌いだったの……?」

「さあ? どうかしら。ふふふ……」

「うう~……」

 

 たまたま城内を歩いていたら見かけた光景。聞いてはいたけど、まさかあの桃香が本当に鍛錬をしているとは思わなかった。

 しかも氣を混ぜた、なかなか面白い鍛錬だ。少し試してみたくなり、剣を取った。

 結果だけを見れば一方的に私の勝ちではあったものの、以前の桃香から比べればまるで違った。得物を構える姿勢、覚悟、なによりも目が。

 その目は、私のよく知るあの男の目に似ていた。

 

「それで、華琳さんはこれから?」

「魏から届けられた書類の整理ってところでしょうね」

「うわー……蜀に来てまでですか」

「王としての務めを果たすのは王としての然よ。人が生きるために地を耕すそれと、なにも変わらないわ」

「うーん……それはそうなんだけど。ねぇ華琳さん? 戻ってきたお兄さんに、そればっかりじゃだめだ~とかは言われなかったの?」

「………」

 

 言われたわね。常に王である必要などないんじゃないかと。

 

「私はいいのよ。特別、したいことを我慢しているわけでもないもの」

「でもでも、そう言いながらすることしたいことを限定してませんかっ? これは王らしくない~とか、これは邪道だ~とか言ったりして」

「………」

 

 どうしてこの子はこう、妙なところで鋭いのかしら。自分のこととなると目を逸らしたがるくせに、人のこととなるとこうも首を突っ込みたがる。

 確かに、王として然であるなんて言ったばかりだし、一刀が勧めた料理も邪道だと一言で切ったわね。王道を王道だと信ずるあまり、道をせばめすぎるのも悪い癖ではあるのだろうけれど。

 

「というわけで華琳さんっ」

「な、なによ」

 

 急に近寄り、私の手を取って顔を寄せてくる桃香に、思わず軽く身を逸らす。

 けれどもそんなことは知ったことかとばかりに寄ってくる桃香に、軽く抵抗を感じながら返すと、にこーと笑う目の前の子。

 

「他国に居る時くらい、お客さんとして振る舞っちゃいましょう! 邪道とか王とか難しく考えないで、もっとこう、楽しく楽しくっ!」

「あのね、桃香。振る舞うもなにも、客でしょう」

 

 桃香の言に溜め息を吐くと、そんな私の言に溜め息を吐く者が。

 

「相変わらず硬いわねぇ……そう尖らずに、自然体になりなさいって言ってるのよ」

「あ、雪蓮さんっ」

「雪蓮……あなた、いつからそこに?」

 

 突然の声に振り向いてみれば、酒を片手に笑っている呉王。

 また昼間から酒を飲んでいるらしい。苦労に頭を痛める冥琳の姿が容易に浮かぶわ。

 

「さっきから居たわよ。ただし、木の上だったけど」

 

 笑顔で「あなたもどうー?」なんて、軽く徳利を掲げる。

 結構、と返してもまるで聞きやしないソレは、上機嫌でとことこと歩いてくるや、桃香を片手で抱き寄せた。

 

「やー、いいお酒造ってるじゃない桃香~♪ 鉱石のことでもお世話になっちゃったし、これは何かお返しを考えないとね~」

「わぷっ、雪蓮さん、お酒くさいっ」

「雪蓮、臭いわよ」

「ちょっ……ちょっと華琳ー! それじゃあ私がただ臭いみたいじゃないのよー!」

「酒を楽しむなとは言わないわ。ただ、絡むなと言っているの。で? 私の何が自然体じゃないというのかしら?」

 

 ぶー、と唇を尖らせている雪蓮へと続きを訊ねる。と、尖らせていた口をにやりと横に広げ、彼女は楽しげに笑んだ。

 「そういうところがよ」と返す言葉の真意は……まあ、わからないでもない。だからといって、素直に受け取る気があるわけでもないのだが。

 

「一刀のほうがよっぽど素直で面白かったわよ? 邪道だろうとなんだろうと、とりあえず首を突っ込んでは、邪道の中にある王道に活かせるものを見つけてくるんだもの。それなのに、どうしてそんな御遣いを迎えた王がコレなんだか」

「“コレ”で悪かったわね……生憎だけど、自分の生き方をそうそう変えるつもりはないわよ」

「そういうところまで頑固だって言ってるの。常に王である必要なんてない、なんてことを一刀に言われたことくらいあるでしょ?」

「……あるわよ。それがなんだというの? 少なくとも、砕けすぎて昼間から酒を呑んで誰かに絡む誰かさんよりは、よほどにいいと思うけれど?」

「ああー……たしかに」

「ちょっと桃香、そこで頷かないでよ……」

 

 邪道の中から王道ね……確かに一刀なら、そういったことも平然とやるのでしょうけれど。

 だからといって、自分の中の芯を曲げてしまうのはどうにも癪ではある。

 

「まあそれはそれとして、ほらほら、なんかないのー? 一刀が華琳に提案してきて、それは邪道だーとか言って断ったなにかとか」

「…………。麻婆豆腐をご飯の上にかけて食べると美味しいらしいわよ」

「麻婆豆腐を? ……あー、そういえば呉の飯店でも、たまに一刀がやってたかも」

「あ、それ知ってます知ってますっ! 前に魏にお邪魔した時に、凪ちゃんが案内してくれた飯店に特製麻婆丼っていうのがあってー♪」

「ああ、そういえばここでも星がやたらと勧めてくる、えっと───」

「極上メンマ丼っ」

「そうそう、それが美味しいらしいじゃない」

「勧めるだけあって、とっても美味しいんですよー? あ、せっかくだから今日の昼餉はそれにしませんか?」

「いいわねー、なんだかんだでお酒にも合いそうだし。ね、華琳も行くでしょ?」

「………」

 

 “王が三人揃ってそんなところに行ったら、店主が腰を抜かすわよ”。

 そうは思ったものの、そういうのも悪くないかもしれないと考える自分も居た。

 なにより……

 

(一刀が考えた料理、ね……。ふぅん)

 

 メンマ丼自体は知っている。

 季衣と一刀が食べていたのを見たことがある。が、好んで食べたいと思ったことはない。

 

「華琳さん?」

「華琳? ちょっと、華琳」

「聞いているわよ。……ええ、構わないわ。その極上メンマ丼とやらを、私も味わってみることにする」

「やたっ」

「なんだ、嫌がると思ったから話を振ったのに」

「美味しいものならばなんであれ食べてみようとは思うわよ。もちろん、それが邪道でなければだけど」

「あとは“辛いものじゃなければ”、でしょ?」

「かっ……辛さは問題じゃないわよっ!」

「じゃあ華琳のだけとびきり辛くしてもらいましょ? ほらほら、行くわよ桃香~」

「なっ! 待ちなさい雪蓮! なにをそんな勝手にっ!」

「問題じゃないんでしょ? だったら平気よ、へーき。あははははっ」

「あ、だめですよー? 味に関して適当な指示とかすると、星ちゃんが怒るから」

 

 喋りながらも歩は止まらない。

 雪蓮を追いかけ捕まえようとするも、けたけたと笑いながらひょいひょいと逃げる。

 桃香はそんな私たちを笑顔で追い、途中で道を逸れる。着替えてくるのだろう、小さく断りを入れると走っていった。

 

「へぇ……三日毎に鍛えてるだけあって、結構早くなったわねー」

「前の鍛錬では胸が痛いとぼやいていたけれどね」

「あははははっ、まあ華琳にはわからない痛みよねー」

「……何処を見てなにを言っているのよ」

「べっつにー?」

 

 まあ、好きに言えばいい。

 これが私なのだから、自分の物語を自分らしく生きると決めた時点で、そういったものにはさほどの興味も未練も無くなった。

 未練がましく、酔っ払った桃香の甘言に惹かれたこともあったけれど、それからはもうどうでもいいと思えるようになった。

 

「雪蓮? 桃香に関心を向けるのも結構だけれど、蓮華の方はどうなの?」

「蓮華? ああ、こっちも頑張ってるわよー? 王としての在り方、料理、三日ごとの鍛錬と、一刀となにを話し合ったのかは知らないけど、随分と張り切ってるわ」

「へえ、そう」

「桃香が一刀に鍛錬の仕方を教えてもらったそうよーって教えてあげてからは、特にね」

「そう。楽しそうでなによりね」

「そりゃもう楽しわよー? だってあの子ったら、桃香のことを知るや“負けるものか”ってくらいに鍛錬の時間を増やすんだもの。可愛いったらないわよもう」

 

 その在り方は姉として王としてどうなの?

 軽い疑問が浮かんだけれど、立場は違えど私や秋蘭も似たようなことを魏将や春蘭相手にしていることを思うと、言いたいことも軽く霧散した。

 

「あ、そういえば聞いてなかった。一刀って今も鍛錬やってる? 祭に、機会があったら聞いてきてくれーって頼まれててさ。あ、もちろん私も知りたいことなんだけど」

「しばらく禁止させたわ。鍛錬の域を越えていると判断した上でね」

「えぇえーっ!? なんてことしてくれてるのよ華琳っ! 一刀には、暴れ出した私を軽く止められるくらいに強くなってもらわなきゃいけないのにー!!」

「あのねぇ雪蓮? それは貴女が勝手に言い出したことでしょう? それを理由に一刀に無理をされたらこっちが迷惑なのよ」

「無理なんかじゃないわよぅー! 一刀ってば自分から好んで鍛錬してるじゃない! ほっといたって中庭で木剣振るってるような子なんだから、鍛錬くらい好きにさせなさいよー!」

「ええそうね。辛そうではあったけれど、楽しんで鍛錬をしていたわね。けれど、とりあえず無理もしていない、なんて言葉は腕の一本を折ってみせた貴女の言葉ではないわね」

「はぐっ! ……あ、あー……あははー……あれはそのー……」

「なに? まだ何か言えることがあるの?」

「一刀のことちょーだい?」

「あげません」

 

 呆れたことにとんでもないことを言い出す呉王に、溜め息混じりに返してやる。

 対する彼女はぷくーと頬を膨らませ、子供みたいに訳のわからないことを喚き散らしてくる始末。

 見るところも見ていて、武に関しても目を見張るものあり。

 民からの信頼も結構なもの……だというのに、この子供っぽさはなんだろう。

 これが王だというのだから、どうかしている。

 それとも私の中の王としての然の見方がおかしいのだろうか。……それはないわね。少なくとも雪蓮に対してだけは断言できる。

 

「で? どうなのよ。まさか本当に鍛錬の機会を完全に奪ったなんて言わないでしょーね」

「しつこいわね……もう一度機会を与えてきたわよ。私がここに来ている間、春蘭の鍛錬についていけるようなら許可しますって」

「春蘭の…………また随分と難題を振ったわね。あれでしょ? 春蘭の鍛錬って、百里とか走らせるっていう」

「ええ。季衣も流琉も普通にこなしてみせたわ。それくらい出来ないようでは、いざという時に身も振れないでしょう?」

「んー……まあそうだけど。ま、いいわ。一刀なら平気だろうし、今は無理でも華琳が戻る前にはなんとかなってるでしょ」

「? どういった理屈を以って、そうだと断言するのよ」

「んー? んふふ、勘よ、勘。ただの勘~♪」

 

 そう言って、彼女はやっぱり笑った。

 ───なんだかんだで気づいたことがある。

 今までの三国連合の集いの中、見てきた将や王の笑顔はもう無いのだということ。

 代わりにあるのは、以前にも増しての自然な笑み。

 一刀の話題が出るや、そこには穏やかな笑顔が浮かぶ。

 それは町人だろうと変わりなく、呉からの商人などは自分の息子として一刀を語るほど。

 報告だけでは全ては受け取れない。

 笑顔っていう“見るもの”は、書簡だろうが竹簡だろうが一刀の手紙だろうが、受け取ることは出来ないのだ。

 それがわかって、腹を刺されたり腕を折られたりしたというのに、あのばかが怒らない理由までもがわかった気がした。

 “誰かを好きになれる”というのはいいものね。

 一刀の場合、それが人を選ばずに向けられるのだから、ある意味では大したものだ。

 好かれるのを嫌う者は多くない。

 そんな人懐っこさや、困り人をほうっておけない性格が幸いとなったのだろう。

 

「ところで、貴女のほうはどうなの? 一刀を三国の中心に置くという話」

「順調よ。むしろ町人のみんなは魏だけで独占するなんてずるいーって言ってるくらいだし」

「はぁ……それは貴女の言葉でしょう?」

「わ、もうバレた。あはは、でも本当のことよ? 一刀のことを息子だ~って思ってる人達は、“大した野郎だ~”なんて笑ってるくらいだし。それに……」

「それに?」

「他の不満を抱いていた人もね、少しずつ変わってきてる。このあいだ話したおじいちゃんなんかは、独り言みたいに“それがお前に出来ることか”なんて言って、何度も頷いてたし。そもそも同盟の絆が深くなることに反対する者なんて、普通はそんなに居ないわよ」

 

 それはそうだ。

 好き好んであの乱世を繰り返したいと思う者など、よほどの戦闘狂だ。

 その一人である目の前の女性も、戦をしたいとは言うものの、乱世を繰り返したいだなんてことは口が裂けても言わない。

 

「まああれね。言った通りこっちは順調。華琳のほうこそどうなのよ」

「こちらはそもそも乗り気よ。天の御遣いとして降りて、事実魏は天下統一に至ったのだから。平穏の象徴として一刀を中心に置くことに異を唱える者は居ないわ」

「へぇ~? そうなると問題なのが……」

「ええ。蜀でしょうね」

 

 一刀の噂が商人を介して広まれば、少しずつでも印象は良くなるでしょうけど、どんな噂が広まるかも問題でしょうね。

 印象の良い噂が流れればいいけれど、これがもし種馬としての噂ばかりならば……逆に引かれる可能性が増えてくる。

 

「そうね……貴女のところに送った者達が、どう交流を深めるのかにもよるでしょうけど」

「悪いことにはならないわよ。味方が居ない状況で、自分の首を締めるようなことは子供だってそうそうしないわ」

「そうは思っても、どうしようもなくそういう輩が現れるから、かつての乱世が存在したのではなくて?」

「……はぁ。否定は出来ないわね」

 

 出る溜め息はいつの世も変わらないのだろう。

 私たちは民のお陰で生き、民もまた統率の中で生き、統率があるからこそ平穏があり、平穏があるからこそ満足の中で無理に不満を探し、暴れる者が現れる。

 いやな連鎖で成り立っているものだ、平穏というものは。

 と、そうこう話しているうちに戻ってきた桃香と合流、城を出ると、桃香の言う“メンマ園”という場所を目指して歩いた。

 メンマ園、というからには食事のほぼはメンマで占められているのだろう。

 

「さて、どんな味を楽しめることやら」

「えへへー、きっと雪蓮さんも気に入ると思うよー♪ えと、ただ……」

 

 言葉の途中で、桃香は胸の前で人差し指同士を合わせ、視線を私に向ける。

 途端に雪蓮は「あー……」と苦笑を漏らし、呆れ顔にも似た表情で言葉を投げてくる。

 

「ちょっと華琳? 自分の舌に合わないからって妙な話をしないでよね? わたし、お腹空いてるんだから」

「はいはいわかったわよ。けれど、言ってあげたほうがその者の上達にも繋がるでしょう? それをわかっていながら言わないのは、やさしさじゃなく()れ合いでしかないわ」

「華琳のは“言ってあげる”じゃなくて“言いすぎ”なの。貴女にとっては一番じゃないものでも、他の誰かにしてみれば替えようのない味っていうのがあるんだから」

「………」

 

 ふと、いつかの屋台のことを思い出す。

 あの程度の店にしてはいい味をだしていた、と認識している店だったが、店主が早々に引き上げてしまった。

 その跡地を見て寂しそうにしていた季衣を思うに、なるほどとは受け取れるものの……。

 

「……わかったわよ。けれど私だって、美味しいのならば口を出したりしないし、より美味しくなる可能性を秘めているからこそ口を出すの。味がよくなれば店のためにもなるじゃない」

「華琳に言われたことを正直に受け取って、自分のために活かせる商人や庶人なんてそれこそ稀よ。店を開くってことは、それなりに自分の味を誇ってるんだから」

 

 そんな話をしながら、護衛もつけずに歩いた。

 食に関してを話す私と雪蓮とは一線を引いて苦笑いをする桃香はともかく、雪蓮もなかなかに強情だ。どうせならば美味なほうが良いと解るからこその意見と、言い方に問題があるとの言い分。

 それらをぶつけあった先に辿り着いたメンマ園にて、

 

「これがメンマ丼ね……。先にメンマを食べさせておきながら、個別ではなくメンマを白ご飯の上に乗せる意味がどこにあるのかしら」

「わぁあっ!? 華琳さんっ! ここでメンマを悪く言うのは駄目ですよぅっ!」

「誰もメンマが悪いだなんて言っていないわよ。ただ、単品でもいい味を出しているというのに、こうも見た目の華やかさを食ってしまうような盛り付けをされてはね」

 

 出されたものに対して、早速この口は遠慮無用に動いていた。

 隣に座る雪蓮も額に手を当て溜め息を吐いている。

 

「フッ……嬢ちゃん、あんたぁ……このメンマ園へ来るのは初めてだな?」

「ええそうね。それがどうかしたのかしら?」

「へへっ、なぁに……味ってのは理屈で固めるものじゃあねぇ。その目、その鼻、その舌で知るもんさ。どれだけ言葉を放ったところでこの味は伝わらねぇ。……どういう意味か、わかるね?」

「へえ? この私にそうまで言ってみるとは良い度胸ね。いいわ、その度胸に免じて味を確かめるくらいはしてあげる」

「……恐れ入りやす」

 

 屋台を挟み、互いにニヤリと笑う。

 とはいえ、香りは悪くない。

 盛り付けに関しても決して大雑把というわけでもなく、メンマ園というだけはあり、メンマが栄えるように盛り付けられている。

 あくまでメンマが栄えるのであって、華やかさがあるのかといえば、言った通り否だ。

 

「あら。あなたたちは食べないの?」

「先に華琳に食べてもらうわ。そのほうが面白そうだし」

「えへへ、わたしも。美味しいのはわかってるんだけど、華琳さんがどんな反応するのかなーって気になるから」

「はぁ……物好きね。まあいいわ」

 

 箸を取り、早速メンマを摘む。

 卵が絡んだツヤのいいメンマが、私の意思で私に近づく。

 それを口に含み、ゆっくりと咀嚼すると、いい味ではあったけれど単調でくどくなりがちだった味がやさしさに変わり、口いっぱいに広がっていった。

 これは……酒と卵で濃い味を抑え、にんにくと……舌を軽く刺激するこれは……軽く山椒を振ってあるわね。

 メンマに絡む卵は固まる前の滑らかさを保ったまま。

 少々の辛さもあるけれど、これは逆に味を引き立てる辛さ。

 けれど……

 

「一歩も二歩も足りないわね。これでは合格点は───」

「ああ違う違う。嬢ちゃん、そうじゃあねぇんだ」

「───なんですって?」

 

 違う? いったいなにが? 軽くそう思ったが、すぐに意味に辿り着いた。

 ……そうね、そういうこと。

 

「そうだったわね。私はメンマではなく“メンマ丼”を注文したのだからね」

「へへっ、そういうことでさ」

 

 言う前に理解したのが嬉しいのか、店主は子供のように笑った。

 そんな店主の目を気にするでもなく、ご飯と一緒にメンマを口に運ぶ。

 すると、その瞬間に例えようのない味が口の中に広がった。

 

「───! これはっ……!」

 

 “味が広がる”。

 その意味が口から全身に広がる感覚を覚えた。

 先ほどメンマから受け取った味とはまた別に、メンマ、卵、にんにく、酒等が合わさって完成する旨味が白ご飯に染み込み、それをメンマとともに咀嚼することでまた違った味わいがあることを知る。

 その感覚は炒飯のようだが、それとは違う歯ごたえとこの味。炒飯のように混ぜるのではなく、白ご飯の上に直接乗せるからこそ完成する味だ。

 硬すぎず柔らかすぎず、かといって辛すぎるわけでも甘すぎるわけでもなく、噛めば噛むほど味が変わるとさえ思う味わいはどうだろう。

 なるほど、これがメンマ丼。

 一刀と季衣が、メンマメンマと落ち着き無く食べる理由も、まあわからなくもない。

 

「ちょっと桃香、どうなってるのよ。華琳ってば、なんか黙々と食べ始めたわよ……?」

「ど、どうって言われても……とりあえず、冷めちゃう前に食べちゃいましょうっ」

「……まあ、わからない以上はそうするしかないんだけど。冷ますのも癪だし、いっか」

 

 きちんと味わい、最後までを食し終えてから丼を置く。

 そうして一息を吐いてから店主を見やり、一言を。

 

「ご馳走様。中々に美味しかったわ」

「……その割にゃあ、なにか言いたそうだねぇ嬢ちゃん」

「ええ。店主、味そのものはいいものだわ。初めて食べたけれど、美味しいと言えるものね」

「そりゃあどうも。…………それで?」

「酒の量はもう少し減らしていいわ。メンマも、メンマの園だからといって多ければいいというものではないでしょう? 初めて食べに来てあの量では、少々味わいたい者にとっては苦痛よ」

「む……」

「あとは、にんにくの香りが少々強いわね。メンマを引き立てたいのなら、隠し味程度の量で十分といえるわ」

「むむむ……嬢ちゃん、あんた何モンだ……? 一食でそこまで見切るなんて、趙雲さま以外ではそうそう居なかったってのに……」

 

 何者? ……ふむ。何者、ねぇ……。

 

「べつに何者でもないわよ。強いて言うなら、ただの一人の料理というものが好きな者ね」

「ただ料理が好きってだけでそこまで言えるのかい。すごいもんだねぇ……」

 

 名乗りは伏せ、軽く濁してみればうんうんと頷く店主。

 そんな中、腕を引っ張られて振り向いてみれば、すぐ隣で私の耳に口を寄せて囁く雪蓮。

 

「どうしたっていうのよ、てっきりひどいけなし方とかするんじゃないかって思ってたのに」

「……あのねぇ雪蓮? 私だって“控えるべき”くらい見極められるわよ。星のお気に入りなのでしょう? そこを貶すようなこと、するわけがないじゃない」

「あ。じゃあ思ってはいたこととか、あるんだ」

「ええ。メンマ好きには気にならないのでしょうけど、味が濃いわ。卵で抑えていても、これは濃いと言えるわよ。それがこの量でくるのだから、初めての者には辛いでしょう? だからといって残そうものなら、拘りを持つものなら許そうとはしないはず。それでは次第に客足も途絶えるわよ」

「へぇえ~……よく考えてるわねぇ」

「まあ、美味しいと感じたのは確かなのだから、これを機に一層励んでもらいたくはあるけれど」

「名乗らないあたりで気を使ってるのは、なんとなくわかったけどね。っと、言うより食べましょ。あ~……んっ、んん~っ、おいしっ♪」

 

 ……でも少し食べ過ぎた。なんなのよあの量は。

 普通盛りを頼んであの量は、少々どころか異常よ。

 新しい味を味わえたのはいいけれど、あの量は無い。

 そんな風にぼんやりと考えていたというのに、この場に流れていた穏やかな空気はあっさりと霧散した。桃香が放った一言をきっかけに。

 

「へぇ~、食べただけでそこまで言えるなんてすごいなぁ華琳さんっ。やっぱりそこまでいろいろなことを知ってこそ、覇王だ~って名乗れるんですかっ?」

『───』

 

 空気が凍った。

 それは、私や雪蓮や桃香がどうこうと言うよりも、店主が原因で。

 

「はっ……は、ははは……覇王……!? 覇王って───まままさか魏の、そそそそっ……そそそそぉおおおぉぉぉーっ!?」

 

 店主が見る間に真っ青になり、震え出し、叫びだした。

 次の瞬間にはまな板に頭を衝突させるほどの勢いで頭を下げ、とても痛そうな音が鳴ろうとも頭をあげようとはしない。

 

「すすすっ……すいやせんでしたぁああっ!! まさか貴女がそうとは知らず、ぶぶぶ無礼な口をっ……!! 玄徳さまとともに居る時点で、そうだと気づくべきでっ……あっしは、あっしはぁあーっ!!」

『………』

「え……あ、あの、あれぇ……!?」

 

 私と雪蓮の視線が桃香に向けられ、桃香は困惑するばかりだった。

 わざと名を伏せたというのに、まったくこの子は……!

 

「だだだ大丈夫だよ店主さんっ! 華琳さんはこう見えても、そりゃあ体は小さいけど、心はとっても……ひ、広いっ……と、いいなぁ……!?」

「なっ……誰の体が小さいっていうのよ! というか桃香!? そこは嘘でも心は広いと言い切りなさい!!」

「あっははははははっ! いい! 桃香いいっ! 今のすごくいいっ! そうねー、広いといいわよねーっ!」

「……雪蓮っ! あなたもっ! なにがおかしくてそんなに笑っているのっ!?」

「んふー♪ 恥ずかしくて真っ赤になりながら怒る、華琳のそんなとこー♪」

「くっ……! ええそうよ小さいわよ! だからなに!? これが私なのだから、誇りこそすれ恥ずかしくなんかないわよっ! 大体心の広さだって、メンマを前に出す店なのだからメンマ自体が濃いとか味が単調とか言わないだけ十分に───! ……あ」

『あ』

 

 そして、場の空気はもう一度凍りついた。

 勢いのあまりに滑った口は、きっと後悔しか産まないことを散々と理解してきたつもりだというのに、どこまでいってもつもりはつもりだったらしい。

 今回ばかりは自分の軽率さに呆れるとともに、

 

「か、華蝶仮面だっ! 華蝶仮面が現れたぞーっ!」

「なにやら物凄い形相で駆け抜けていったぞーっ!」

 

 遠くから聞こえた声を耳にして、軽く空を仰いだ。

 よく一刀がやっていたことを真似てみただけだけれど、なんの解決にもならないことだけが理解できた。

 

 ───一刀、今あなたは何をしているのかしら。

 私は……何処に居ても、やることは大して変わっていないわ。

 けれどやはり、どこかで気が抜けるのでしょうね。こういった迂闊さを露呈しては、雪蓮に笑われたりしているわ。

 それとは別に、都を構える話も順調に進んでいる。

 時間はかかるでしょうけれど、あなたとこの世界との絆を深める方法をみすみす逃したりはしない。

 だから……あなたは私の傍に居させる。いいえ、居なさい。

 帰りたいと言えなくなるくらい、この世界のことで頭をいっぱいにさせてあげるから。

 

 日々のほぼを自由奔放な雪蓮や、どこか抜けている桃香に振り回されてばかりだけれど……まあ、これで存外楽しく過ごしているわ。

 あなたはどう? ……なんて、訊くだけ無駄でしょうね。

 精々頑張って鍛錬しなさい。健康であることを疑ってなんてあげないから。

 そして、魏に戻った時は……どうして麗羽が私に対して“可愛らしさ”で勝負を挑んできたのかを、きっちりと説明してもらうわよ。


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