107/そして流れる時間
-_-/呉
呉、建業。
その城下では、以前からささやかながらある噂が流れていた。
いつかの無茶ばかりをしていた馬鹿息子代理が、なんでも三国同盟の支柱になるかもしれないのだとか。
孺子一人に何が出来るんだと呆れる者も居たものの、言ってしまえば“それ”を今から自分たちが確かめることになるのだ。何が出来るのか、なんてことはなってからじっくり見せてもらえばいいと。
吉と運ぶならよし、凶と運ぶならやめてもらえば良し。
そう単純なものではないだろうと、やはりそう言う者も居るには居るが、その顔は嫌がっているというよりは苦笑で満ちていた。ようするに、その馬鹿息子にそんな大役を任せることが心配だったのだ。
しかしながら、聞けば三国の王や将がそれを望んでいるというではないか。
ならばよほどのことが無い限り平穏は続き、望むのであればこれからでも……彼が望んだ“誰も死なない未来”を手に入れられるのだろうかと、彼ら彼女らは思った。
-_-/蜀
蜀、成都。
噂が広まる渦中では、やはり笑いながらいつかの青年を思い出す民が多かった。
呉での噂を耳にして興味を示す者や、実際にボランティアで仕事を手伝ってもらった者からの印象は良好。そうでない者も興味が無い者も、“彼を中心に置くことで本当に均衡が保たれるのなら”と考える人が多かった。
なにより自らが信じるやさしき王がその者を支柱にと謳うのならばと、当然といえば当然だが、支柱になる青年を信じるというよりは王を信じる者が多かった。
彼を知る者に言わせれば、「それじゃあこれから知っていけばいい」、「玄徳さまが男になったみたいな、面白い男だった」など評価は様々だが、そうまで悪い印象は無かった。
-_-/魏
魏、許昌。
蜀から広まっている噂に、民たちはおろか兵も笑っていた。
彼の人柄を知ればこそ、戻ってきてからの働きを知ればこそ、呆れと期待を含むなんていう変わった笑い方をしていた。
「ねぇねぇみつかいさまー! しちゅーってなにー?」
「へ? シチュー? ……えっと、誰から聞いたのか知らないけどな? シチューっていうのは天に存在する美味しい食べ物のことでな?」
「へー! たべものなんだー!」
「ああっ、うまいぞ~? っと、お父さんは元気か? このあいだ腰やってただろ」
「うんっ、このあいだ、“かだ”のおじちゃんがなおしてくれたよっ」
「…………来てたんだ、華佗のやつ。あ、えっとな? 華佗はおじちゃんじゃなくてお兄ちゃんだから、ちゃんとお兄ちゃんって言ってやろうな?」
「うんっ! みつかいさまがそういうなら! だからあそんでー!」
「よしっ! じゃあ肩車して、兄ちゃんと街の平和を守るぞーっ!」
「おー!」
当の御遣いはこんな調子である。
ようやく関節痛から解放されても、やることなどほぼ変わらない。
魏の民からすれば、頼まれれば嫌とは言えない彼が支柱で大丈夫だろうかという心配ばかりが込み上げる。しかしながら、そんな人柄だからこそ期待をしているのも確かだった。
「あっ───北郷隊長! 第一区画で無賃飲食者が暴れているとかでっ……!」
「またいきなりだなおいっ! あ、あー……ごめんなっ、ちょっと危ない用事が出来たから、代わりにこの兄ちゃんに遊んでもらっててくれっ! ───この子を頼むっ!」
「? うん、いってらっしゃいみつかいさまー! ……いっちゃった」
「やれやれ、あの人は……。仕事中でも平気で遊ぶ癖は相変わらずのようだ……」
「ねぇおじちゃん、みつかいさま、どこにいったの?」
「おじっ……!? お、お兄さん、な? 自分はまだまだ若いんだぞー? ……まあ、そうだなぁ。“話をしに”かな」
「おはなし?」
「そう、お話。悪いことをしたから問答無用で力ずくってことを、あの人はしないんだ。この間だって、まあもちろん罰はあったけど、代わりに代金を払って肩組んで笑ってたりしたし……信頼はしてるけど、お人好しすぎるのが玉に瑕かな」
それを助けるのが自分らの務めであり信頼でもあるが、と小さく呟いて、兵は笑った。
「ただ、人を傷つける人には容赦しない。温和な人は怒ると怖いっていうが、あの人のはなぁ……」
「みつかいさま、こわいのー?」
「答えづらいものだなぁ。なにせ本気で怒ったところなんて一度しか見たことがない」
そう呟く彼を他所に、無賃飲食者が暴れるという区画までを走った御遣いが、その暴れる者を押さえつけることに成功。
説得も聞かずに散々暴れた彼は酔っ払っていたらしく、店の卓を一つと椅子を二つ破壊。説得はその頃まで続いていたが、砕けた椅子の破片がその店の子供の頭にぶつかった時点で終了。
酔いが醒めるほどの怒気と殺気を感じた彼が、家屋破壊から一刀へと意識を向けた時には腕を取られ、床に叩きつけられていたという。
「どう話したものかなぁ。あー……口では自分のためとか言いながら、他人のためばかりに怒る、と言えばいいのかな。はは、もっとご自愛してくださいと言っているんだがなぁ」
「おじちゃん、みつかさまのことすきなのー?」
「あの方は差別ということを知らないからなぁ。実は“お兄さん”、かつては袁家で兵をしていたんだが……まあ、そうはいっても平民の出で、米の一粒のために志願したくちだ。扱いもぞんざい、苦労も多かった。いつか曹操さまの軍に敗れ、こうして降るまではよく頭を抱えたものだが……その先で警備隊に入り、北郷隊長に出会い……こんな人も居るのだなと、自分の“ものを見る目”が変わったのを感じたものさ」
「ふーん……よくわかんない」
「はっはっは! そうかそうかっ! 実はお兄さんもよくわからんっ! 気づけばあの方と仕事をする自分がこんなにも好きになっていた。米の一粒のために命をかけるのではなく、民の笑顔のために懸命に走る。そんな生き方があったことを教えてくれた。知ることが出来た。わかることなど、それだけで十分なのかもしれないなぁ」
警備隊の兵は笑った。警邏中に笑うなど不謹慎極まりないと、平和になる前は言われただろうが───今はそれを強く咎める者など居ない。
なにせ、“街を、なにより人を守ろうとする人が怖い顔をしちゃいけない”と、隊長こそが笑って言うのだ。怖い顔をする時は、人質もなく、明らかな悪意を持った相手にだけ、と。
「おーい! 隊長が無賃飲食者を取り押さえたぞー!」
「早いなおい! で、相手に怪我は───させるわけないか」
「ああ。困ったことに自分の怪我より相手の無事を優先させる人だ。なんとかしてほしいよ、あの性格だけは」
「まあ……なんだ」
「無理……だろうなぁ。まあ、言ってみただけだって。それより子供が少し怪我をしたらしいから、連行を頼むって」
「こっ!? こっ……子供に、怪我……っ!? 相手、ほんとに大丈夫だったか……!?」
連行とは言うが、大体はじっくり話せる場所まで連れて行き、説教をするだけである。
そう、大体は。
人に怪我を負わせた、何かを壊してしまったともなれば話は別であり、酔っ払って店のものを破壊してなおかつ子供に怪我までさせたとあっては、温厚で知られる御遣いさまも黙ってはいなかった。
「一瞬空気が凍ったね。包囲していた俺達が一斉に“あ”って言うくらいに冷えた。次の瞬間には床にどかーんだ」
「そ、そっか……隊長って今、夏侯惇将軍と鍛錬をしているんだろ?」
「いや、夏侯惇将軍だけじゃなく、張遼将軍や……呉国で将軍をやっていたらしい人や、董卓軍で将軍をやっていたらしい人とも鍛錬をしているんだとか……」
「………」
「………」
「よく……生きてるよな……隊長」
「な……」
「? よくわかんないおはなしはいいよー。おじちゃんたち、あそんでー?」
『おじっ……!? お、お兄さんなっ!? お兄さんっ!!』
二人同時に同じことを言って、仕方も無しに歩いた。
噂の御遣いは相も変わらず将には振り回されてばかりの日々を送っているが、本格的な鍛錬をしない者から見れば、既に身体能力は異常になりつつあった。
「しっかし……隊長も随分と強くなったよなぁ。俺が魏に来た頃なんか、食い逃げを追いかけるだけでもひぃひぃ言ってたのに」
「ああ。なんでも弱い自分のままで居たくなかったとかで、天で修行していたらしい」
「…………なんか、嬉しいよなぁ。天って言やぁ隊長の故郷だろう? そこよりも大事に思ってくれるなんてさぁ」
「俺達も“やらなきゃな”って気になってくるよな」
「でもあの様子だと……自分の強さとかに気づいてないよな、絶対に……」
「仕方ないだろ……将軍たち相手の鍛錬だぞ? 強くなっても勝てないんじゃあ、実感なんて沸かないって」
「だよなぁ。俺だったら絶対に途中でやめてるよ」
「そう考えると、本当に……大した愛国心だよ」
「愛国……? ははっ、そうか、それも一応愛国心だよなっ」
「俺達隊長に愛されてるなー」
「なー」
『………』
「馬鹿やってないで行くか」
「だな」
説教だけでは終わらなかったにせよ、結局は無闇に力を振るうことはしない御遣いは、厳重注意、子供への謝罪、壊したものの弁償などを命じることで良しとする。
結局は子供を連れたままでその裁きを見た兵二人が感じたことは、力を得たのに殴ったりはしない隊長への疑問や呆ればかりだった。
試しに訊ねてみれば、
「へ? あ、いや、んんっ……えと。ほら。今まで守ってもらってばっかだったじゃないか、俺って。それを返したいと思ってつけた力なのに、“守る”以外のことで使うのってなんか違うだろ? それに……
“まあ鍛錬は別として”とちゃっかり付け加えた彼は、頬をカリッとひと掻きしながら笑った。つくづく隊長の威厳はなく、話し掛けやすい人だなぁっていう認識が高まっただけだった。
そんな彼も警邏が終われば多忙を極め……もちろん警邏が忙しくないわけでもないのだが、時間の許す限りはほぼ走り回ったり机に向かったりをしていた。
三日が過ぎれば鍛錬を。
三日を過ごす中では主に仕事と、将兵との交流を深め、また鍛錬だ。
「なぁ。鍛錬の話だけど……まず何からやるって言ったっけか、隊長」
「ああ、なんでも百里を走るとかなんとか」
「よし。ついていけば俺も強くなれるかなーとか思ったけど、すっぱり諦める」
「だよなー……まあ、辛さを共有出来ない分は仕事で返すか」
「だな」
そう言って二人は歩きだした。
いや、歩き出そうとしたら、クンと腕を引かれ、振り向いてみれば先ほどの子供。
『………』
二人は顔を見合わせたのち苦笑、けれど次にはニカッと笑い、これも仕事だと頷いた。
───さて。
子供に付き合い、渋々と遊んでいたこの二人がやがてはムキになり、本気で遊びだすのは少しあとの話。大人げも無く子供のように遊び始める大人を前に子供は喜び、友達を呼んでは一緒に燥いだという。
子供の噂話は広まるのが早い。
そんな“些細”が兵と民の距離を縮め、何かが起これば頼み易そうな一刀を頼っていた民も、僅かずつではあるが兵に歩み寄るようになる。兵たちからも張ってばかりだった気迫が弱まり、しかし注意が散漫になるかといったらそういうわけでもなく───その原因のほぼが、弛んでいれば注意を怠らない凪にあった。
緩みすぎず厳しすぎず。
そんな奇妙なバランスが取れた魏の城下は、以前よりも少しだけ暖かさを増やしながら、人々を笑顔にしていた。
-_-/───
時間は流れる。
当然のことが当然であるように、人もまた成長し、それは人が住む街も同様。
笑顔があれば涙もあり、涙があれば人が走り、走った分だけ笑顔が増えた。
警備などという言葉があって、それは街を守るだけではなく、なによりもその場に生きる人達を守るという意味が強かった。
それもまた当然なのかもしれないが、人を守れば街が守られ、街が守られれば人も守られる。そういった“当然”の連鎖を続けることで、日常の中の笑顔ってものは増えていくのだと誰かが言った。
「これどうかしてるだろっ! よくこんなので音が出せるな!」
「うむむ……七乃は容易く奏でておったのじゃがの……」
「もっと力を抜いてみたら? ……んー、あー、ちょっとちぃにやらせてっ! 出来たら教えるからっ!」
「いやっ……これでも力は抜いてるんだけどな……こっ、ほっ、ぬむむむ……!! 難しいなぁ二胡って! ってちょっと待った! もうちょっと! もうちょっとで出来そうな気がするんだよ!」
「見ててじれったいんだもん、いーからちぃにやらせてみなさいってば」
「あ、ちーちゃんの次はお姉ちゃんねー?」
「……はぁ。こんな調子で次の会合に間に合うのかしら……」
「うぐっ……ごめん人和、迷惑かける……。美羽、悪いんだけどまたこっちで練習しててくれ」
「おおっ、“けーたい”とかいうものじゃのっ! ほんに奇妙よの……こんなものからひとりでに音が出るなぞ……」
「これあったら一刀の演奏いらないんじゃない?」
「人が努力してる横でそれを言うか!? く、くそう見てろ!? 絶対に上手く弾いて見返してやるっ! つか天和も地和も人和もっ! 自分たちの練習しててくれって!」
騒がしくない日などなく、街が賑やかならば城もまた。
覇王の提案もあってか魏で行われることになった三国会合の準備に、皆が普段よりも足を速め、動き回っていた。
二胡を手に苦しむ御遣いが見れると聞けば、それを見ては冷やかしにくる将多数。
しかし準備は確実に進んでゆき、忙しいながらもその顔は笑顔だった。
それは魏だけではなく、向かうための準備をする呉や蜀も同様だ。
「ついにこの日が……。い、いや、今日行くわけでもないのだから、落ち着け……落ち着くのよ蓮華……、───っ! ちち違うっ! “落ち着け”っ! “落ち着け”よ蓮華っ! “のよ”じゃないわっ!」
「お姉ちゃんてばまた鏡に向かって騒いでる。最近ずっとだよねー? んふん? もしかしてぇ……一刀に“綺麗になった私を見て~”とか言うつもりなの~?」
「ひゃわぁあっ!? しゃしゃしゃっしゃしゃ小蓮!? あなたいつからそこにっ!?」
「さっきから居たもん。なのにず~っと鏡見てでれでれしちゃってさー? 今頃は一刀も立派な支柱になろうって頑張ってるかもしれないのに、お姉ちゃんがこれじゃあねぇ~……やっぱり一刀の后に相応しいのはシャオだよね~?」
「お前にはまだ早いっ! だだ大体っ! 私は一刀の后になりたいだなんて、そんな話は一度たりともしたことがないっ! かずっ───彼は、私が戈を預けた大切な人だからっ……だなっ……!」
「お姉ちゃんたら照れちゃって~♪ でもだめー、一刀は私のだもん。お姉ちゃんにだってあげないよーだ」
「……はぁ。自分のものだと騒いでいるのはシャオ、お前だけだ。とにかく、私と一刀は互いを高めると決めた仲だ。妙な誤解は正す必要があるし、そういった誤解をし続けるのは一刀にも、その……め、迷惑、だろう……」
「お姉ちゃんってほんとに顔に出るよねー……。思春から離れて少しはのびのびするようになったかなーって思ってたのに、肝心なところで頑固なままなんだもん。そんな落ち込んだ顔で言われたって全っ然説得力なんかないんだから」
「なっ!? 小蓮っ! お前はっ……!」
純粋に祭り騒ぎを楽しみにする者や、一刀に会うのを楽しみにする者、そしてそれら両方を楽しみにする者、それぞれである。付け足すならば、“合法的に思う存分酒が呑める”と、そればかりを楽しみにする者も居たりもするのだが。
「ああっ、ついにお嬢様と再会する日が来るんですねっ……! この日をどれだけ待ちわびたことかっ……! この日のために溜め込んだ鬱憤の全てを、お嬢様を
「本音だだ漏れで目を輝かせるの、やめてほしいんだけど? そもそもなんであんたがここに居るのよ。せっかく月と二人でのんびりしてたのに」
「東屋は休憩所みたいな場所なんですから、べつに誰が先に居ようが来たっていいじゃないですかー♪」
「……詠ちゃん」
「うぐっ……どーして月はいっつもそうして相手ばっかり庇うのよ~……」
「ああっ、たまには味方をしてほしいんだけど正面からは言えないから、こうして来る人来る人につっかかっちゃってたりするんですね?」
「しないわよっ!!」
「まあそれは別にどうでもいいので話題ごとごみ箱にでも捨てておきまして」
「せめて置いておきなさいよっ!」
「実はお二人に折り入って相談があるんですがー……」
「嫌よ」
「ああそうですかー♪ 引き受けてくれますかー♪」
「嫌って言ってるのになんなのその返しかたっ!」
「いえ、だって“やっぱりお忙しい二人にこんなことを頼むなんて酷ですよね、ごめんなさいやめておきます”と言おうとしたら───」
「あんたそれ嘘でしょ!! 絶対に今思いついたでしょ!!」
「いえいえそんなことは全然これっぽっちも。で、お願いなんですけど、魏に着いたら少しの間だけお嬢様から一刀さんを引き離しておいてくれません? 一刀さんのことだから絶対にお嬢様をあの手この手で飼い慣らし……もとい、懐かせちゃってると思うので」
「だ、だから知らないったら! なんで私がそんなこと───」
「詠ちゃん、正面からお願いしに来ている人のこと、そんなふうに追い返したら悪いよ」
「ゆっ……ゆぅううえぇええ~っ……」
「はいっ、では決まりということでー♪」
「勝手に決めるなぁあーっ!!」
喜び方にも若干(?)の違いはあるものの、嫌だと思う者はまずおらず、そうと決まればと自分に出来ることを探しては、準備に勤しんでいた。
……もちろん、ろくに準備もしないで酒ばかりを呑む王も居るのだが。
「んふふふ~♪ ねぇめーりーん、そんなに難しい顔ばっかりしてないで、お酒───」
「付き合っている暇などないな。後にもせずに一人で呑んでいろ」
「うわ、後にしろとも言ってくれない……。じゃあ手伝うから、空いた時間で───」
「必要ない。お前が手伝うなんて、よくないことを企んでいる証拠だ。その言葉は普段の時にこそ聞かせてほしいものだな」
「うぐっ……ね、ねぇ冥琳? 疲れてるんじゃない? なんか最近冷たいし。少し休んだら───」
「……いやなにな。そうしたいのはやまやまなんだが、しなければならないことはなにも書類整理だけではないというのに、酒を呑むか企むだけしかしない王が居るのでなぁ。出来れば企みようがない力仕事を手伝うか、黙っていてくれれば助かるのだがなぁ」
「う、うー……なによ冥琳のばかっ! 頭でっかちっ! せっかく休んでお酒しましょって言って───」
「それはお前が“お前の怠慢”に軍師を巻き込み、サボリの後ろめたさを誤魔化したいだけだろう」
「はうっ! う、うぅうう~……めーり~ん……」
「構ってほしいのならさっさとやるべきことをやればいいだろう。生憎と、私は何もしない王とともに交わす酒など知らないんだ。大体、集まりを楽しみにしているのは雪蓮も同じだろう」
「んー……そーなんだけどねー……。でも今は誰かに任せて楽に楽しみたいって気分で」
「…………もういい、お前は呼ばないから大人しく建業で酒でも呑んでいろ」
「あーんめいりーん! 冗談、冗談だってばーっ!」
苦労ばかりを重ねる者はどの国にも居るらしく、魏では一刀、呉では冥琳、蜀では詠が頭を抱えていた。その瞬間が奇妙に一致したことは、恐らく誰も知ることはないだろう。
そんな苦労や偶然がどうあれ準備は続く。
なにかと面倒事を押し付けられる人というのはどうにも決まっているらしく、幾つかの問題を抱えながらでも出来ることだけはしておこうと奮闘する姿が各国で確認される。
「あぁあああぁぁぁぁあっ!! そういえば流琉が居ないのに魏で会合って! 料理とかどうするんだよぉおおっ!!」
「あちゃー……舌が肥えとる人らもおるんやしなぁ……隊長、料理出来る?」
「ふ、ふふっ……ふふふ普通の味なら任せてくれっ……!」
「んな腕で歯ぁ輝かせられても状況はよくならんよ、隊長……」
「…………~……たっ、隊長っ! ここは自分がっ───」
「な……凪……! ───……あ、あー……申し出は嬉しいけど、大丈夫か? 緊張して普段より辛くしたりとか」
「だめなの……凪ちゃん、きっと美味しく作ろうとすればするほど辛くするの……」
「うお……あ、でも俺の時は普通に美味かったけど」
「そらぁ隊長が相手やからなぁ……で、隊長? さっきから読んどるその竹簡、なにが書いてあるん?」
「え? あ、ああ、華琳がそろそろ帰るって。で、これが届いた日から華琳が戻る日まで、一切の鍛錬を禁ずる……って。なんのこっちゃ……」
「“鍛錬しすぎてるだろうから休ませろ~”ってことじゃないのー?」
「その通りだと思います。隊長はここのところ、無理をしすぎです。……その、非番の時などほぼ一日中眠ってらっしゃいますし……」
「う……ごめんな、これでも少しずつ慣れてきてるから、もう少しすれば余裕も出来ると思う」
「もう少して、どれくらいやねん……」
「………………いっ……一年……くらい……?」
「それってちっとも少しじゃないのー!」
「しょーがないだろーっ!? あれから小細工無しで鍛え直してるんだから! それよりも料理のほうをどうするかだよ! 今から料理の修業したって間に合いっこないし……!」
「あ、なんやったら隊長が華琳さま専用の料理ってことで、裸体盛りにでも───」
「職の首どころか物理的に首が飛ぶわっ!!」
確認されるだけで、それが確実に実りになっているかはまた別の話なのだが。
「華琳さま、料理の腕に自信がある者を先に発たせる手筈が整いました。呉でも同様に整ったとの報せも」
「結構。流琉、先に戻って準備を進めておきなさい。季衣、万が一ということもあるから、朱里と雛里をしっかりと送り届けなさい。紫苑も居るのだから、そこまで気を張る必要もないでしょうけれど。桂花は引き続き、他国の軍師とともに会合の準備を進めて頂戴」
「はっ」
「はいっ」
「はーい」
「けど……華琳さま? 今回のこの話し合いには、なぜ私や季衣を? 会合の日までには確かに日数はありましたけど……」
「いつまでも“自分が食べること”ばかりに意識を向けられていては困るのよ。たまにはいい刺激になるでしょう? きっと今頃料理をどうするのかを、一刀あたりが思い悩んでいるところよ」
「うわぁ……」
「あははー……兄ちゃんも大変だなー……」
「これを機に、少しは調理に気を向けてくれればいいのだけれど」
「……あれ? 華琳さまー、じゃあボクは?」
「季衣、あなたも少しずつで構わないから作ることを覚えなさい。そうすれば食べる楽しさもまた増えていくわ」
「うーん……ボク、食べる専門がいいんだけどなぁ……」
「華琳さま、どうして急にそんなことを?」
「“学校”に関しての一刀からの報告を見た時から決めていたことよ。天には調理実習というものがあって、幼い頃から料理を学ぶ授業があるそうよ。けれど考えてもみなさい……我が軍の将の中に、調理が出来る者がどれほど居るというの?」
『あ……』
「食べるばかりで料理の一つも満足に作れないのでは、能力的に天の子供にすら劣るということ。だから決めたわ。ここの学校にも調理実習の科目を追加して、学ばせていく。広い目で見てみるとよくわかったのよ。この大陸には、食べることばかりで作ろうとする者が少なすぎるの」
「魏だけで言っても、ほぼが食べてばかりですからね……」
「えへへー、だって食べてる時のほうが幸せだもん」
それぞれがそれぞれの考えを胸に、会合の日を待つ。
その日のために努力する者、その日のために知恵を搾る者、様々だ。
「ぬぬぬっぬぬぬ主様っ! 主様ぁあーっ! 主様主様っ……ぴきゃああああ主様ぁあああっ!! 起きてたもっ! 起きてたもぉおおーっ!!」
「う、うぅうっ!? な、なんだどうしたっ!? まさか仕事に遅れ……って、まだこんなに暗いじゃないか……」
「で、出たのじゃっ……出たのじゃぁああっ……! “冷たい女”が……冷たい女が出たのじゃぁああっ……!!」
「へ? 冷たい───って、あの街を歩くっていう!? いったい何処にっ!」
「あっちの通路なのじゃっ……! か、厠に行こうとしたのじゃがのっ……? 声をかけても返事もせなんだから触れてみたらの……っ!? そしたらのっ……!? そしたらのぉおっ……!?」
「厠のほうか───よしっ! じゃあすぐに、ぃいっとぉっ!? み、美羽? どうした? 掴まれると走れないんだけど……」
「ふ、ふ……ふみゅぅううう……!!」
「…………あのー、美羽? まさかとは思うけど、まだ、その……済ませてなかったり?」
「……~! ……!! ……、……、~……!!」
「いやっ! ちょっ……待った待った! わかった! すぐ連れていくから我慢だっ!」
「ふっ……ひ、ひぅうう……!!」
「がまっ───頑張って我慢だぁあっ! 抱えていくからっ! なっ!? ほらっ!」
「……ぬ、ぬしさまっ……わらわ……わらわ、もう、もう……!」
「キャーッ!!? ががががぁああががが頑張れ頑張れできるできる絶対できる頑張れもっとやれるって! やれる! 気持ちの問題だ頑張れ頑張れそこだっ! そこで諦めるな絶対に頑張れ積極的にポジティブに頑張る頑張っ───……いやぁあああ頑張ってぇええーっ!!」
会合とは名ばかりの宴の日がやってくる。
準備に追われようとも騒がしさは変わりなく───どこまでも、ただ賑やかに。
やがて、ただ普通に……“いつもの今日”が訪れるように、段々と宴という場が形作られてゆく。
あとはなにが必要だっただろうか。あれを忘れていた、さあ早く。
そんな些細なことでも笑みがこぼれ、忙しくても笑顔でいた。
「俺の目が黒い内は、裏通りのやつらに無茶はさせねぇさ。チビ、デブ、おメェらも目ェ光らせとけよっ!」
「へいっ! アニキッ!」
「わ、わがったんだなっ!」
「助かるよ、アニキさん」
「いいってことよ。兄ちゃんには出会いがしらに随分なことしちまったからな。だってェのにこうしてここで働くことを許してくれたんだ、こんぐれェは恩返しの範疇ってもんだ」
「お前、懐の広いアニキに感謝しろよな」
「バカヤロが、感謝するのは俺達の方だっての。元黄巾の俺達なんざ、首切られて当然……ましてや職を貰えるなんてのは奇跡みてぇなもんなんだぞ」
「そ、そうでやしたね、アニキ」
「さ、さすがなんだな、アニギ……」
客が揃ってからお祭りが始まるのではなく、準備を始めた瞬間がお祭り。
敵として見る理由などはもはや無い、見知った者や友を迎えるために奔走するのはどうにもくすぐったく。面倒だ、どうでもいいなどという言葉を聞くことは───結局、準備を始めた日から客人が訪れる日まで、そしてそれ以降も聞くことはなかったのだという。
それは、民だろうと兵だろうと将だろうと、誰もが同じだった。
もはや敵も味方もなく、許せるからこそ笑える今に、皆が皆、感謝する。
そうした、訪れるであろうお祭り騒ぎの気配の中、ある一人が蒼天を見上げて唱えた。
賑やかな城下、動き続ける人垣の中、そんな喧噪の中でもけっして掻き消されることのない、大きく、しっかりと通る声で。
「一筋縄じゃいかない客ばっかり来るけど、皆で力を合わせて頑張ろうな! ───さぁ! お祭りを始めよう!」
『おぉおおおおおおおおおおおっ!!!』
それは別の外史の蒼の下、彼ではあるが彼ではない天の御遣いが口にした言葉。
叫ぶとともに、会合に向けて賑わう城下が一層に賑わいを見せ、ともに叫ぶ。
まるでこれから戦でも始まるのかと見紛うほどの熱気と、しかしそれを思わせはしない笑顔たちが腕を振り上げ心を震わせた。
彼ではない彼→萌将伝北郷さん