真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷

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67:三国連合/あなたらしく②

 ぶっすぅうう……!!

 

「……………」

「あ、あのー……華琳さん? そんなに不機嫌そうな顔するとほら、馬も怯えて……」

 

 本日快晴。

 俺一人で華琳を誘いに彼女の部屋まで行って、仕事中の彼女を誘い出せたまではよかった。「随分来るのに時間がかかったわね」と言いつつ、何処か楽しげだった彼女を見た時は、きっといい日になると確信したものさ。

 だというのに馬屋で待っていた美羽と七乃を見た瞬間、彼女の不機嫌度は飛び跳ねた。

 今は無言で俺が走らせている馬に跨っている。ちなみに俺の前にすっぽりと。

 美羽は七乃が駆る馬に跨り、なんだかご機嫌だ。

 

「一刀? たしかに私も、あなたと二人きりでと言った覚えはないわよ。ええ、それはね。けれど、だからってこれはどうかと思うのよ」

「イ、イエアノー……これはそう、三国の交流のための……さ、ほら」

「……そう言えば納得出来るとでも思っているのかしら? そもそも美羽も七乃も三国に下ったのだから、今更交流がどうのと言っても仕方のないことでしょう」

「じゃあ今からでも他の誰かを連れ痛ァアーッ!?」

 

 (もも)を抓られた!

 いきなりなにをと言おうとした途端、抓られたことで跳ねた体に、華琳の体が深く沈む。

 

「………」

「………」

 

 そうされることで数瞬、胸が高鳴るんだが……不思議と、華琳から発せられる怒気が少しずつ減少していくのと同時に、俺の鼓動も落ち着きを取り戻して……それが当然って気分になってくる。息を吐いても吸っても心地よく、なんというかくすぐったかった。

 この身を三国のためにと誓ったが、やっぱり魏のみんなを一番に考えてしまう頭は、そうそう切り替えられるものじゃない。華琳と二人きりになりたいと思うことなんてほぼだし、そうならないように意識を周囲に向ければ仕事にも集中出来なくなって、そっちはくすぐったいっていうよりはもどかしかった。

 

『………』

 

 意識したわけでもなく、二人の呼吸が重なる。

 吸って吐いてをするだけのことなのに、そんな些細が心をひどく落ち着かせた。

 

(……一刀のことばかりをとやかく言えないわね。所有物だと謳うならば、もっと深く構えなさい、曹孟徳)

「ん? ごめん、聞こえなかった。もう一回いいか?」

「……なんでもないわ。ただ、少し自分を戒めただけよ」

「? そっか」

 

 まるで寝息のように吐かれた呟きが俺に届くことはなく、華琳は俺を見ることもなく一層に寄りかかってきて、長く長く息を吐くと目を閉じた。

 抱き締めたくなる思いをなんとか押し込めながら、今はただ、この温かい重みとやさしいくすぐったさを胸に感じながら、ゆっくりのんびりと邑を目指した。

 

……。

 

 村に辿り着く前に聞こえた牛の鳴き声に導かれるように、馬を繋いで歩いてゆく。

 辿り着いたそこには独特の香りと、笑顔で作業をする飼い主の彼。

 

「おやっさん」

「へ? あ、これは御遣い様。今日は牛の様子を見に?」

 

 穏やかな笑顔で迎えてくれた彼は、牛乳は明後日に許昌に届くことになっていることを知っているために、見学目的かと思っているらしい。それに笑顔で返しながら、事情があって牛乳が欲しくなったことを伝える。

 

「そうですか。しかし牛も人手もそう多いものでもないので、それだけの量を揃えるのは難しいですね」

「だよね……」

 

 元々そういう話だったと聞く。

 華琳が作ったルートにここの牛乳が含まれてはいるが、いっぺんに用意出来ないからこそ間を空けての納品となっている。

 それを今くれ、というのは明後日の納品にも支障が出るというもので。

 

「構わないわ。今日取れた分は今日いただいていく。明日も明後日も来るから、納品はしなくて結構よ」

「え? あの……」

 

 俺の横で飼育環境を調べていたらしい華琳が、視線をおやっさんに戻して言うのだが、おやっさんはどうやら曹孟徳の名前は知っていても顔は知らないようだった。

 名前で王であると認識している人は居ても、実際は顔も知らないって人は結構居る。

 天……日本でだってそういう人も居るくらいだ。子供なんかは特に。

 この世界ではテレビも無ければニュースも無い。

 こんな人だと噂を耳にする程度で、会うことも見ることもなく一生を終える人だって居るのだろう。

 

「おやっさん、この人は───」

「このお方は魏の象徴、曹孟徳さまですー♪」

「あ」

 

 順を追って、驚かせないように説明しようとした横で、にこりと笑って人指し指を立てた七乃が仰ってしまった───途端に笑顔が固まり、サーッと青くなるおやっさん。

 

「もももももっ、ももも孟徳様!? こ、これはっ、ようこそいらっしゃいましたでございます!!」

「おやっさん落ち着いて! なんか言葉がヘンになってる! 七乃もっ! 人の反応を見るために王の姓字を口にしないっ!」

「いえいえ、私はこの方が誰なのかを知ってもらって、迂闊なことを口にしないようにと注意を促しただけですから」

「う……」

 

 それは確かにそうだ……迂闊なことを口にしてしまえば、あとで事実を知ったら相当にきまずいし、ヘタなことを言ってしまえば罰さえ有り得る。地味に正論なために続く注意文句が出て来やしない。

 でもひとつだけ。

 

「……そういうところに頭働かせるよりも、もっと別の方向に向けような……」

 

 それだけ。

 七乃は、「でしたら一刀さんをからかうことに、この知識の全てを使いましょうか?」なんてことを笑顔で返してくださった。……ああ、「勘弁してください」って言うしかなかったよ。

 

「で、でででは今すぐに用意しますのでっ!」

「ってあぁああおやっさんおやっさん! そんな慌てないでっ! よかったら俺にも手伝わせて!」

「え───」

 

 おやっさんが俺の言葉を聞くや、慌てて駆け出した足を止めてゆっくりと振り向く。

 そんな視線を受け止めながら、「ちょっと……」と少し不機嫌そうに言う華琳に向き直って笑顔で伝える。

 

「乳搾り、やってみないか?」

 

 と。

 

……。

 

 提案しておいてなんだが、今俺は大変貴重な場面に立ち会っているんだと確信する。

 元々は美羽にやらせてあげようと思っていたことなんだが───

 

「ん……む……こうかしら?」

「ああ。親指と人差し指で付け根の部分を握って……あ、強くしすぎないようにね」

「わ、わかっているわよっ」

 

 華琳の隣に屈んで、まずは数回絞ってみせる。

 そう……現在、華琳が───あの曹孟徳さまが牛の乳搾りをなさっておられる。

 そんな様子を隣で見て、珍しく緊張している様子にこう……顔が自然と笑顔になるというか。いや、緊張しているのを楽しんでるとかそういうのじゃあ断じてない。

 ただこう、自然な顔の華琳を見られるのが嬉しいんだ。

 

「なかなか難しいわね……というかこれしか出ないの?」

「そ。これを何度も、何百回も繰り返して、あの量が採れるんだ」

「………」

 

 華琳がどこか感心した顔で頷いた。

 俺も子供の頃は、あれだけ大きいんだから牛乳も一気にいっぱい出るんだろうな、なんて妙なことを考えていたもんだ。

 それが、子供の頃に体験した乳搾りでは少量ずつ。しかも何度も何度もやらなきゃいけないから、随分と苦労したのを覚えている。それでもそのあとに飲んだ牛乳が美味しくて、それまでの苦労なんて綺麗さっぱり忘れてしまったんだから、今思い返しても“子供だったなぁ”って苦笑してしまうわけで。

 

「……これ、兵たちの握力強化に使えないかしら」

「いや……こういう時くらいは仕事を忘れてもいいと思うんだけど」

 

 真面目な顔でふむと頷き直す華琳は、見ていて少し……す、少しだけだぞ? その、可愛いかった。直に伝えたら蹴られそうだから言わないけど。

 

「それで、一刀? あの“なまくりーむ”というのは、具体的にどうすれば手に入るのかしら?」

「へ? あ、ああ、生クリームな。絞ってれば出るよ。というか、乳と一緒に出てるようなものなんだ。量が溜まってくれば自然に分離してくるから、それを採る。他の方法としては温めてやることとかがあるけど、まあそれも殺菌の段階で取れるから」

 

 乳搾りをしながら、その過程を自分の知識の範疇で伝えてゆく。

 その一方では七乃が美羽と一緒に乳搾りをしており、「面倒だから直接飲むのじゃ」と言い出す美羽を、七乃が慌てて止めていたりもした。七乃もあれで、からかったり驚かされたりでバランス取れてるからこそ美羽の傍に居るのかも。

 

「んっ、んっ……」

「………」

 

 民の行動を知るためにと、華琳は熱心に乳絞りをしている。

 俺もその隣で絞って、容器に乳を溜めていくのだが……地味といえば地味だ。ただ、そういう作業の上でああいった乳製品が食べれることを、もっとよく知るべきだ。そう思うからこそ、華琳も愚痴もこぼさずに続けているんだろう。

 そうして、民を知ろうとする姿に自然と笑んでしまう自分自身が少しおかしく感じる。非道な王にならぬようにと言ったのは華琳自身だし、こうするのはむしろ当然だというのに、そんな行為が嬉しいのだ。

 だからか、“最初に会った頃の華琳だったらどうしていただろう”と無粋なことを考えてしまう。今のように熱心に乳搾りをしただろうか。それとも効率性を優先させて、誰かにやらせて自分は別のことをと見向きもしなかっただろうか。

 

「主様主様っ、妾にも教えてたもっ!」

「っと、美羽? 七乃とやってたんじゃないのか?」

 

 思考にふけっていたところに美羽が割り込んできた。

 割り込んだという言葉が示す通りに華琳と俺の間を割って入るように。

 そんな彼女を慌てずに受け止めると同時に質問をするのだが、「七乃もわからんというのじゃ」とあっさりと返された。

 いや……おやっさんがちゃんと説明してくれたじゃん……。

 ちらりと七乃を見れば、おやっさんに教わりながら乳搾りをしている。

 あーなんだ、つまり上手く絞れなかったから“直接飲む”なんて行動に出たわけか。

 

「よし、じゃあ美羽はこっちに来てくれ。やり方を教えるから」

「うむっ」

 

 言ってみれば笑顔で応答。

 元気に頷いた美羽は、右隣の華琳とは逆の左隣に屈んで、目をキラッキラ輝かせながら“どうするのじゃ? どうするのじゃっ?”と訴えかけてきた。

 ……どうするもなにも、おやっさんが教えてくれた通りにやれば出るはずなんだけどな。

 

「いいか? まずはこの付け根を親指と人差し指で掴む」

「むむ……こうかの?」

「そうそう、輪を作るように。乳が逆流しないようにするため少し強く押さえたら、次は残りの三本……中指、薬指、小指の順に握るようにして乳を搾り出す」

「むむむー……てやっ! …………出ぬのじゃ」

「ははは、美羽、小指からになってるぞ。ほら、こうやってゆっくりでもいいから」

 

 美羽の手に自分の手を重ねて、ゆっくりと圧迫する。

 すると乳が勢いよく飛び出し、ぶつかるように容器に小さな水溜りを作った。

 

「おおっ、出たのじゃっ」

「よし。あとは今の感覚で、親指と人差し指で輪を作るところから始めて、それを繰り返すんだ。それを何度もやって、溜めていく」

「うむうむっ、こんなものは覚えてしまえばどうということはないのっ、妾にどーんと任せるのじゃ~っ♪」

 

 座りながらムンと胸を張った美羽───だったが、仰け反りすぎてぽてりと倒れた。

 ……おお、実に頼りない。

 けれどやる気は十分のようで、顔を赤らめながらも起き上がると、早速搾乳作業に入った……途端に七乃が満面の笑みでやってきて、

 

「お嬢様お嬢様っ、やり方を完全に把握したのでこちら───で……」

 

 と、途中までは元気に言葉を放ったのだが……俺の横で楽しそうに乳絞りをする美羽を見て、少しずつその勢いを殺すのと同時にゴギギギギ……とゆっくりと首を動かし、俺を睨んだ。冷たい笑顔で。

 ……あれ? なんで睨まれるんだ? 俺はただ、美羽が教えてたもと言ってきたから教えただけで……待とう!? あまりに理不尽だ! ああいやいや、それなら俺が華琳の右隣に屈んで、ここに七乃が来れば《がしぃっ!》…………立ち上がろうとしたら美羽に捕まった。さらに言えば、華琳までもが“そこに居なさい”とばかりに睨んでいる。

 

「………」

 

 否! ぶっ……武士道とは死ぬことと見つけたり!

 支柱になることを自ら望んだなら、一方に偏った考えは出来るだけ無くす!

 

「み、美羽、ほらっ、七乃がもっと上手な絞り方を教えてもらったそうだから、ちょっと教わってみたらどうだ? ───っ! ───っ!」

「───! そ、そうですよお嬢様っ、今私が匠の乳絞りを見せて差し上げますから~」

 

 喋りながら七乃に目配せをして、上手く乗ってくれるように頼む。

 即座に反応を示した七乃はあくまで自然な動作で俺の傍までを歩き、俺もあくまで自然な動作で服を掴む美羽の手をするりと緩め、離れる。

 

(……あれ?)

 

 そうしてからハッと気づくんだが、これで華琳の右隣に座ったら、結局華琳に偏ってるってことにならないか?

 

(…………か、華雄さん……偏らないって、物凄く大変なことですね……)

 

 偏り……偏りか。

 こういう場合、他の誰かだったらどうするんだろうか。

 平均的に上手く付き合っていく? それとも偏ったままでも構わないって、そのまま突き進む?

 

(たとえば及川なら……………………)

 

 少し考えて、やめた。女子からの人気はあるものの、特定の彼女が居ないのがあいつだ。

 女子の話題を出せば、いつもいつも別の女子の名前があがる不思議な男。

 

(少しどっしり構えてみればいいのにな───あれ?)

 

 それって俺のことか?

 

(………)

 

 そうかも。

 ヘンに意識して構えて、支柱になるならこうでなきゃいけないって考えすぎだ。

 もっと自分を客観的に見る癖、つけないと。

 誰かを見た時にそれは見苦しいだろうって思えるような生き様は、出来るだけしないように。

 

(……見苦しくても貫かなきゃならない芯だけは、捨てるつもりも変えるつもりもないけど)

 

 小さく頭を掻いてから、両手で両の頬を叩いて気合を入れた。

 それから結局華琳の右隣に屈むと、美羽に教えるのに夢中な七乃を眺めつつ、華琳に話を振る。

 

「華琳はさ、王になることで不安になることとかって、やっぱりいっぱいあったのか?」

「………」

 

 華琳は無言だ。

 けれど牛乳が容器を打つ音が消え、そちらに俺の視線が向かい、戻した時には目を閉じ、大きく息を吸い、吐いていた。

 そして言うのだ。恐らく、俺が想像している次の言葉、そのまんまのことを。

 

「なに? 今更支柱という役割が重くなってきた?」

 

 ……予想通り。

 だがその言葉に対する返事を、俺はじっくり考えてから返す。

 答えなんて既に出ているのに、それを何度も何度も自分に問いかけながら。

 “お前はそれでいいのか?”と心が自分の頭に訴えるのを、いつも笑って返す。

 “それがこの国に返すことになるのなら”と。

 自分を殺しているわけじゃない。

 国に返すということは自分のためでもあるし、自分で決めて自分で目指した、ある意味での“俺の夢”なんだ。あの日、俺に剣を向けて訊ねてきた雪蓮に発してから始まりだした、俺がこの世界で生きていく意味。

 御遣いとしてでもあり、北郷一刀としてこの世界に立ち、目指していける“俺に出来る何か”がそれなのだと信じている。

 この世界の様々に感謝して、その先で“俺が居て助かった”と誰かが言ってくれるのなら、きっとそれだけで俺は嬉しくてたまらなくなるのだろうから。

 だから言う。安心してほしいという意味も込めて、ゆっくりと、確かに。

 

「いや。自分で決めたことだし、重いっていうよりは浮き足立ってる」

 

 安心って言葉には遠い返事だったけど、華琳はどうしてかそんな返事にこそ安心するように息を吐く。そして言うのだ。やっぱり、どれだけ何をしても一刀は一刀ねと。

 ……いまいち自信が持てない自分で申し訳ない。

 

「やらなきゃいけないことはわかってるんだけど、どこから取りかかっていいかがわからない。いや、それもわかってるんだけど、迷うっていうか」

「漠然としすぎているわね」

「そうなんだよ……まさにそれなんだ」

 

 漠然としている。

 やらなきゃいけないことは今のところ、華琳に出された資料や知らなきゃいけないことを纏めて、頭の中に叩き込むこと。……あ、あとそれを実践出来るようになることか。それをやればいいだけという、道が無いよりは進み易い場所に立ってはいる───ものの、やっぱり浮き足立っているのだ。

 警備隊を任された時も妙に張り切った記憶があるが、今回はその比じゃない。

 

「悩むことはないわ。あなたはあなたらしく在ればいい」

「ん……それって、深く考えるなってことか?」

「一刀。ついさっき、“王になった時の不安”がどうとかと訊いたわよね?」

「ああ」

「私一人が自分が王だとどれだけ言おうと、国というものはなにも変わらないのよ。ここの主人が、王の名を知っていても私と言う姿を知らなかったようにね。国という場所があって、そこで生きる民が居て、それらからの信頼があって、ようやく王という存在が認められる。ならば支柱はどうかしら? 建物がない支柱に、存在の意味がある?」

「………」

 

 建物のない支柱? 支柱っていうものが俺として、じゃあ建物は……国?

 いや、この場合は───そっか。

 自分が王だとどれだけ言おうが国は変わらない。民が居てこそ王となり、民と王が生きてこその国がある。つまり建物っていうのは王であり民であり……現状で言うなら、そこに将も兵も含まれる。

 

「俺が支柱がどうだとか言って悩まなくても、国は動いてるってことか」

「そういうことよ。そしてわたしたちがあなたに望む支柱の在り方は、“無理にそうなろうとして作られたもの”などでは断じてないわ。北郷一刀という、お人好しの馬鹿でないと務まらないものなのよ」

「華琳さん、いいこと言いながらひどい言葉を混ぜるの、やめません?」

 

 事実すぎて反論出来ないのは確かだし、する気も湧いてこないからそれはそれでいいんだろうけどさ。

 そうだよな。

 支柱だからって一人で背負う必要はないんだし、支えるものがあるからこそ“支柱”っていうんだ。建物が支柱と、その周囲とで出来ているのなら、それは国も同じだ。それを理解した上で、自分らしくあればいい。

 

「………」

「一刀?」

 

 何もない宙を仰いでしばらく思考。そのさなか、隣の華琳が黙った俺へと声を投げかけると、苦笑しながら牛へと視線を戻した。

 

「いやさ、この世界に降りてからこれまで、いったいどれだけのことを学んで、どれだけのことをこれから学ぶんだろうなって」

 

 学ぶことが多すぎる。悩むことも多すぎる。当たり前だ。現代ほど人が進める道が確立されているわけじゃない。

 刃物を向けられる恐怖から始まって、女性の強さを知って、真名の怖さを知り、目の前の女性のことを知り。仕事の在り方で怒られて、些細なことでも何度も怒られて。その度に知って、学んで、それでも全然足りなくて。

 お陰で頭の中は学ぼうと努力することを覚えてはくれたが、他人のことでなら懸命になれるくせに、自分のこととなると諦めるのが早い自分は……たぶん様々なものを直しきれていないのだと思う。

 そんな自分が国の支柱になるのだという。

 振り返るように思い返してみれば、可笑しくて笑ってしまう。

 ───なのに、この気持ちに嘘はないのだから、そんな笑いも中途半端に消えるのだ。

 

「どれだけでも、何度だって学べばいいわよ。その理解の数だけ、国に返せるのだから」

「…………うん」

 

 そうだよな、華琳の言う通りだ。

 知れば知っただけ、この世界のことを理解出来る。

 理解出来ればどうすればいいのかももっともっと判断出来て、それが国のために繋がる。

 そういう需要と供給で出来ているから、俺達は信頼し合える。

 ……蜀で桃香とそういう話をしたっていうのに、まったく俺ってやつは。

 まあその、言い訳するなら、ちょっと前まで“こんなもんだ”っていろいろ諦めてた一介の学生に、都っていう場所を任せるなんて言われりゃ悩むよ?

 “やる! 俺に全部任せてくれ!”なんて言える人のほうが凄いんだ。

 しかもだ。周囲に自分より凄い人がたくさん居る状況があるっていうんだから、そっちに任せたくなる気持ちも汲んでほしい。

 

「ん、よしっ、少しすっきりした。ありがとな、華琳」

「感謝の気持ちがあるのなら、それは結果で表しなさい」

「了解」

 

 意識しないようにしていても、やっぱり自分は少し切羽詰った状況にあったのだろう。今は肩の荷が下りたみたいにすっきりとした考えが出来て、そんな状態で考えるこれからが楽しみですらあった。

 そんな気持ちを表すように元気に乳搾りに参加して、言葉少なくだけど不快な気持ちも空気もないままに乳搾りを続けた。

 途中で七乃に絞り方を教えてもらった美羽が、得意げに「主様には妾が教えてあげるのじゃ」と言ってきたりもして、苦笑しながらも教えてもらいながら。

 そうやって黙々と絞り続けて、一定量溜まった牛乳をおやっさんのもとへ。きちんと話を通して、代金と引き換えに今まで溜めておいてくれた牛乳も合わせて受け取ると、感謝を伝えつつ帰り支度。

 

「案外あっさりと終わったわね」

「時間にしてみれば随分と経ってるだろうけどね」

「……そうね。初めてだったから早く感じたのでしょうけれど、慣れてしまった時のことを考えると楽ではないわね」

「ん」

 

 幾つかに分けて、結構な量の牛乳を馬に背負わせる。

 馬が嫌そうな顔でこっちを見た気がするが、ごめん、少しの間だけ我慢してくれ。

 さてと、それじゃあそろそろ帰───って七乃と美羽が居ない。

 きょろりと見渡してみれば、穏やか笑顔のおやっさんに出来たて牛乳を受け取った美羽が、腰に手を当ててごっふごっふと飲んでいた。

 

「な、七乃ー? 美羽ー? もう戻るぞー?」

「あ、ちょっと待ってくださいねー。ほ、ほらお嬢様っ、もう帰るそうですからっ」

「ぷあはーっ、美味いのじゃーっ! 蜂蜜水以外にも、斯様に美味なる飲み物があったとはのっ! 聞いたことはあったが、これは今まで飲まなかったことを惜しむべき味なのじゃ。よい牛を育てておるの、褒めてつかわすのじゃっ」

「ふふっ、これはこれは……ありがとうございます」

 

 おやっさんは牛を褒められたことで今までで一番のいい笑顔で微笑んで、一方の美羽は口周りを牛乳で真っ白に染め上げながら、上機嫌で笑い返していた。

 喜んで貰えたなら、それでいいのか……な? と、とにかく今は少し時間が惜しい。

 流琉に頼んでおいたあれも出来る頃だろうし、出来れば出来たてがいい。

 

「一刀?」

「ごめん、ちょっと急ぎの用事があるんだ。出来れば急いで帰りたい」

「………」

「あからさまに不服そうな顔で睨まないでください。これは華琳に関係があることなんだ」

「……? 私に?」

 

 怪訝そうな顔をする華琳をよそに、戻ってきた美羽と七乃が馬に乗る。

 ……美羽の口周りが真っ白なままなのは、ツッコまないほうがいいのかな、七乃サン。そんな視線を送ってみると、キラキラ輝く瞳で“もちろんじゃないですかっ”と返された。もちろん言葉もない、アイコンタクトで。

 それに気づいた華琳がなんとはなしに美羽を見た途端、肩を弾かせて顔を逸らした。

 既に馬に乗っていた俺の脚の間に跨った彼女が、どうして俺の胸に顔を埋めて震えだしたのかは……ええとその、訊いてやらないほうがいいのだと思う。

 

「? ……よくわからぬが……のう主様?」

「ん? どうした?」

「これで、前の時の嫌な空気は少しは拭えたかの」

「───……ああ。もちろん」

 

 彼女も彼女で気にしてはいたのだろう。

 忘れないためにとは言っても、拳骨された後悔をずっと覚えているのは辛いことだ。

 それでも彼女は笑顔で「うむっ!」と頷き、七乃とともに嬉しそうに燥いでいた。口周りを真っ白にしたまま。

 辛い思い出だけを教訓にするのって、やっぱり苦しい。

 そこにきちんと温かさを混ぜる方法を、美羽は知っていたのだろう。

 ……ほんと、学ぶことが多い世界だ。

 説教した相手に教わることなんていくらでもある。

 自分もそうであるつもりであっても、ふとした時に忘れる考え方なんていっぱいある。

 そういったものを忘れないためにも、俺も……きちんと覚えておこう。

 また浮き足立って迷っても、今日という日を思い出して。

 


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