のんびりとしていながら、どこかくすぐったい時間の中。
ふと、華琳が美羽のことをじ~~っと見ていることに気づく。
ハテと思い、「美羽がどうかしたのか?」と訊いて見れば、「なんでもないわ」の一言。
なんでもないのにあんなふうに見るだろうか。
会話とともに華琳の視線は寝台から外れるのだが、少しするとじぃっと見つめる。
……軽く思考を回転させてみても思い当たるものは何もなし。
まさか美羽の時みたいに即興作り話や怖い話を聞かせろってわけでもないだろう。
だったらなにが? ……と思っていた矢先に、それが実はその通りだったことを知る。
「一刀」
「っと、なんだ?」
「昨日は軍師との勉強のあと、美羽と遊んだと言ったわね」
「ああ。っていっても作り話を聞かせたりしただけだけど」
「へぇ、そう。いいわ、退屈していたし私にも聞かせなさい」
「エ? ……あ、いや、わかった」
断るのは簡単だが、断りきるのは不可能だ。
なら無駄は省いて聞かせてみせようホトトギス。
「話の内容はいっつも適当だから、楽しさはあまり求めないでくれ。あと、作り話だから現実味も求めないこと」
「……そんなものが遊びになるというの?」
「言葉遊びだって。在り得ないことだからこそ、考え方の幅も広がる。架空、空想、幻想は人の考え方を柔軟にするし選択肢も増やしてくれるものなんだぞ?」
「そう。まあいいわ、始めなさい」
「む……よし」
言われて、頭の中で適当な物語を組み立てる。
もちろん舞台は“アルト=コロ”。時代は“昔々”で、登場人物は適当だ。
「昔々あるところ、普通の民家の普通の家族のもと、一人の少年が産まれました」
「ええ」
「争いなんてない世界でのびのびと成長する少年は好奇心旺盛で、やりたいことはとにかくやってみるといった無鉄砲っぷりを見せつけ、いつも両親をハラハラさせていました」
「……おかしいわね。少年と言われたのに春蘭の顔しか思い浮かばないわ」
「はは、そうそう。そうやって聞いたことから想像を膨らませてみてくれ。それが唯一の楽しみ方と言っても過言じゃない」
「随分と相手任せな遊びね……まあいいわ、続けなさい」
さっきから“いいわ”ばっかりだなと思いつつ、ちらりと見てみた華琳の耳が赤かった。
……もしかして状況に照れていて、余裕を無くしてる?
そうだったら嬉しいかも。恥ずかしながら、俺自身がそうだから。
「少年には特に秀でた能力もなく、良くも悪くも普通の少年。なにをやらせても平均かそれ以下で、取り得があるといえば元気なことくらいです」
「………春蘭の像は消えたわね」
「ある日、そんな少年に何か才能がないものかと期待した両親は、少年に様々なことをやらせます。家事や勉強、絵や歌、思いつく限りのことをやらせてみますが、どれも平均かそれ以下です。なにかをやらせるにもお金がかかり、一向に才能を見い出せない少年に対し、次第に勝手な苛立ちを募らせます」
「親の気持ちはわからないでもないけれど、平和な世の中にあって、才能というものはどうしても引き出さなければいけないものなのかしら……あったほうがいい、というのは認めるけれど」
「しかし親は頑張ります。子の将来のため、才能あるものを伸ばすことで、彼に力強く生きてもらうため。そうした日々を幾日も続け、やがて……少年になんの才能もないことに気づき、我が子に向けたものといえば落胆と侮蔑の視線。少年は親から向けられる感情に戸惑い、上手くやれなかった自分を嫌いました」
「……ねぇ一刀? これは本当に楽しい話なのかしら」
「親子間での会話も減り、親は子に期待しなくなり、しかし少年はまだ期待されていると思いながら必死に努力を重ねます。けれど並以上にはなれても天才にはなれません。才ある者に近づけはすれど、越すことは叶わなかったのです。それでも頑張ったのだからと、親に成績を見せるのですが、親はやはり出来損ないを見る目で見下ろすだけでした」
「………」
話しかけられても話を進める。
作り話の中で大事なのは腰を折らないことだ。
たとえば歌ってる最中に話しかけられて、中断してからまた歌うとノれないのと同じ。
華琳には悪いけど、そのまま続行させてもらおう。
「ああ、自分の頑張りが足らなかったのだと思うことにした少年は、さらに頑張ります。何日も、何ヶ月も。……けど、ある日のことです。少年に弟が出来ました。少年はとても喜び、弟の模範になれるよう一層に頑張ろうと心に決めます。才のない少年に落胆したからこその、新たな生命であるとも知らずに」
「…………一刀?」
「そんな、親からの要らない子を見る目に気づきながらも少年は頑張ります。一流になれない自分を追い詰めながら、頑張ります。両親が弟を可愛がる姿を羨ましく思いながらも、頑張ります。……が、そんな無茶がたたり、彼は倒れてしまいました」
「ちょっと」
「大事な試験を前にしての出来事であり、いよいよもって親は少年に落胆します。お金を出して医者に見てもらえば治る病気。しかし必要な額は普通の額ではありません。親は現状維持を装うつもりで、最低限の処置だけをさせて放置しました」
「………」
「ああ、また期待に応えられなかった。自分はもうダメなのだと少年は自分自身に絶望しました。落胆して落胆して、自分にはもうなにも出来ないと悟ると、そういえば弟と何も会話していないことに気づきます」
「………」
「少年は親の目を盗み、弱った体で弟に会いにいきました。かけられた言葉など“お兄さん誰ですか?”という言葉。自分が兄だということにすら気づいてもらえないほど構ってやれなかった自分に苦笑をもらしながら、彼は言います。“哀れな道化師です”と」
「………」
話しかけられても続行。
そんな意思が伝わったのか、華琳も口を出すことを諦めて俺の胸に遠慮なく身を預けた。
「道化師はおどけながら、勉強をしていた弟に思いつく限りの遊びを教えます。小さい頃に親としたかった遊び、今やればきっと面白いであろう遊び、本当にいろいろです。ムスッとしていた弟が次第に笑み、笑い、大燥ぎする様を見て、やがて彼も大笑いします。そんな騒ぎに気づいた親が来て怒鳴りながら扉を開けますが……兄弟は笑顔のままに遊びに没頭し、親に気づいても笑みで返すだけです」
「……そう、それで?」
「怒鳴り散らそうとした親でしたが、あることに気づきました。……そう。自分たちは、弟が生まれてから今日まで、彼のこんな笑顔なんて見たことがなかったのです。勉強をしろ集中しろと言いつけるばかりで、遊びらしい遊びなどさせず、自分らも遊んでやることがありませんでした。そして……兄の笑顔でさえ、見ることが久しぶりだったのです」
「………」
しかしながら、美羽に話して聞かせるのと華琳に話すのとでは緊張の度合いが違う。
回転させている思考がどうにも上手く働いてくれず、だが中断するわけにもいかないだろと自分に言い聞かせながら続ける。おかしなことにならなければいいが。
「ああ、なんということでしょう。両親はようやく気づきました。兄の才能は、遊ぶことだったのです。人を喜ばせることに長けていた彼に、自分たちの理想を押し付けすぎたために、笑むことを忘れさせてしまっていた。親は今になって自分たちの卑しさに気づき、すぐに医者をと手配しますが……時既に遅く、兄の病は治らぬところまで進行していて、彼は亡くなってしまいました」
「なっ……!?」
「両親は自らを責め続け、弟はそれが兄であることすら知らず、残りの人生を生きます。弟には様々な才能があり、一流以上に至るのですが、結局……兄と過ごした一日以上に笑むことの出来る日に辿り着くことはなく。彼はやがて結婚し、子供を授かりました」
「……そう。それでなに? 子供に兄の名前をつけ───」
「子の名前は
「ろどぉっ!? ちょっ───なっ……!?」
「何にも負けぬ
……で、照れ隠しめいた話がヒートしていくと自分でも止められず、いい加減おかしな方向に向かいだしたところで華琳に額を叩かれた。
「な、なにを……?」
「なにをじゃないでしょう!? 兄や弟の話はどうなったのよ!」
「や……だからな、華琳。言葉遊びに感動とかって結果を求めちゃいけないんだぞ? 何故ってこれは楽しむために作ったものなんだから。楽しめなかったらそれまでで、楽しめたならもうけもの。気楽に出来るから落ち着けるんじゃないか」
「…………なんだか物凄く時間の無駄をした気がするのだけれど?」
「うーん……言っとくけどな、華琳。死んだ人の名前をつけられるのなんて、つけられた人にとってはいい迷惑だぞ? その人のように立派であれ、なんて勝手に押し付けられた日には、話の中の“兄”と同じように期待に押し潰されるだけだ。能力が高いならそれもいいだろうけど、現実はそうじゃないんだから」
「それはそうかもしれないけれど、もっと流れというものがあるでしょう!? どうしてあそこでろどりげすなんて名前が出てくるのよ! 弟の感性と妻の許容力に呆れ果てたわよ!!」
「お、おおお……?」
なんだか物凄く怒っておられる……! もしや少し感情移入しかけてた……?
いや、でもな、そういう話だったわけだし、美羽はこの急展開が好きで、いっつもきゃいきゃい燥ぎながら聞いてくれているのだが。
「こほん、じゃあ別の話を」
「はぁ……そうして頂戴。次はもっと楽しめるものを───」
「題名、不思議の国のロドリゲス」
「ろどりげすはもういいわよ!!」
「ごめんなさいっ!?」
冗談でタイトル言ってみたら怒られてしまった。
同時に太腿をぎううと抓られてしまい、悲鳴にも似た情けない声が口から漏れる。
んむ、ここは少し楽しげな方向で話をしよう。
「昔々あるところにお爺さんとお婆さんが住んでおりました」
「お爺さんの名前がろどりげすだったら、首を刎ねるわよ」
「怖ッ!? だだだだだっだだ大丈夫大丈夫! もうロドリゲスは出ないから! お爺さんの名前は吾郎! ね!? 吾郎だから!」
「ならいいわ。続けなさい」
「ちなみにお婆さんの名前がロドリゲスってオチでごめんなさい冗談です絶しまってくださいっつーかどこから出したのそれ!!」
いつの間にか握られていた絶の刃が、ヒタリと俺の喉元に押し付けられた。
自分の肩越しに見上げてくる華琳の目は笑ってはおらず、鋭い眼光だけがそこにある。
こうなるともはや「つ、続けます」としか言えず、俺は喉に絶を押し付けられたまま話をすることになった。
「お爺さんは山へ芝狩りに、お婆さんは川へ洗濯に行こうとしたのですが、何故か急に洗濯をしたくなったお爺さんはお婆さんに代わってくれと頼みます」
「勝手な老人も居たものね」
「張り切って洗濯に出かけたお爺さんは童心に返り、洗濯をしつつも川で遊びました。流れる川の水は透き通るようで、じっと見つめてみれば川の生き物がたくさん居ます。中でもお爺さんの目を引いたのはヤゴ。トンボの幼生でした。お爺さんはそれはもう大燥ぎ。“ウッヒャッホォーゥイ!”と老人らしからぬ声をあげ、虫取りに夢中です」
「……早速雲行きが怪しくなってきたわね」
「童心を得たお爺さんの力はとどまることを知りません。長年蓄えられ続けてきた若さは今この時にこそ力となり、お爺さんを突き動かしました。爆笑しながら川の流れに逆らい泳ぎ、口の中に水が入って咳き込むことさえ些細なことです。お爺さんはそうやって洗濯のことさえ忘れて遊び続け、童心の分だけ何日も遊び、腹が減れば魚を掴み、火を熾して焼いて食べてをしているうち、若者さえ勝てぬほどのムキムキマッスルに変貌していました」
「む、むきむき?」
「お爺さんは気づきます。“この力さえあれば鬼など取るに足りぬ!”と。今さらですがお爺さんお婆さんが生きる世には鬼がおり、人々を苦しめていたのです」
「物凄い今さら感ね……」
だからこそ即興作り話は楽しいんだが。
「お爺さんは早速離島である鬼ヶ島を目指すべくカヌー作りに励みました。あ、カヌーっていうのは木で作った小さめの船だから。お爺さんは今日まで鍛えた素晴らしい肉体を以って木をばっさばっさと切り倒し、木を削って船の形を作っていきます」
「随分と元気なお爺さんね。まあ、そういうところを楽しむ話なんでしょうけど」
「ちなみに切り倒したのも手刀ならば、削るのも手刀です」
「元気すぎでしょう!? 作り話だからって、もう少し現実味を持たせるべきじゃないの!?」
「家をほったらかしで自然とともに生きることで悟りを得たお爺さんは、既に人の実力を遥かに越えた存在になっていたのです。無駄な肉は落ち、げっそりとしているものの、皮の下にある無駄の無い筋肉はホンモノのソレ。口癖は“まだまだその気になれば空だって飛べますよ”でした」
「誰に対して卑屈になっているのよ……」
「自然しか友達がいないので、誰ということはありません」
「お婆さんのもとへ帰りなさいよ!」
まったくだった。
なんだかんだで可笑しくて、笑いながら話す俺を見て、華琳もいつしか完全に力を抜いていた。ツッコミの時以外。
ツッコミが飛んできたり語調が激しいのは、少し力が入っていたからなんだろうなって思ってしまえばもう遅く、そんな事実に対しても笑んでいる俺に気づくと足を抓ってくる。
そのお返しに頭を撫でると、笑むのも半端に話を続けた。
……むう、頭を撫でるだけじゃなくて両腕でしっかりと抱き締めたいのに、この腕じゃ無理だった。