122/意識するほど遠退くもの=自然
覇王の威圧感とともに迎えた朝。
体勢の悪さの所為もあって疲れが大して取れていないにも係わらず、誘われるままに準備をする人達の視察へと向かうことになった俺は、現在華琳と一緒に長い通路を歩いていた。
「それで、まずは何処に行くんだ?」
「そうね。まずは天下一品武道会会場へ行きましょう。といっても力を注いでいるのがここばかりだから、行く場所なんて限られてくるけれど」
天下一品。
武道のみならず、知性や勘などといったものも武器とした催しものをするとして、その舞台は随分と大きく用意されている。
天和たちが“私たちもこの舞台で歌いたい~!”とか言っていたが、まあ機会があれば。歌唱大会はあるけど、本業のお方が出ては他の方があまりにも目立たない。なので数え役萬☆姉妹の出場は禁止されている。
「荒っぽいのは結局、武道会だけなのか?」
「ええそうね。それ以外はあくまで平和なものよ。一言で言えば地味なものになるわ」
「え……地味なのか? 武官同士が戦うのに?」
「知性で戦うとして、たとえば
「………」
象棋……たしか中国の将棋のことだったよな?
ふむ。
(…………)
想像してみた。
間近で見るならわからないなりにドキドキするかもだが、大舞台でやるとなると……遠目で見ててもなにがなんだか解らない。
「なるほど、地味だ。でもあれだ、妖術とかでばばーんとなんとか出来ないか? マイクの時みたいに盤上を妖術で空中に映し出す~とか」
「……考えなかったわけではないし、話も通してはあるけれど、力の無駄遣いって気がするじゃないの、それ」
「まあ、わかる」
妖術、なんて便利なんだ! で済ませるには大掛かりすぎるよなぁ。
「あれ? でも準備はしてるんだよな?」
「武官ばかりが目立つようでは、学校へ通う者もそうでない者も武官ばかりを目指すようになるでしょう? 一刀も知っているでしょうけど、今必要なのは武官よりも文官よ。だからこそ、地味だろうとやる意味はあるわ。もちろん、地味で無くすためにも地和には話を通してあるけれど」
「へぇえ……そうなのか」
「条件として、天下一品歌唱大会まで用意してくれと頼まれたけれど」
「ははっ、さすが、ちゃっかりしてる。その条件、飲んだのか?」
「書類に目を通しているのなら知っているしょう? 本職の参加は遠慮願うとしてもよ。相手の用件は聞かずに自分の意見ばかりを押し付けるわけにもいかないわ。自分に妖術を扱うことが出来ないのなら、扱える者を頼るのは当然のことよ」
「そりゃそうだ」
先ほどの気恥ずかしさはどこへやら。
話しているうちに調子を取り戻した俺達は、普通に横に並びながらも歩いてゆく。
視線を合わせればやはり恥ずかしくもなるのだが、それだけだ。
むしろそんなくすぐったさが心地良い。
あーその、なんだ。デートっぽくて、なんかいい。
「…………」
「……なによ」
「ん? いや。最初の頃に比べれば、随分と丸くなったなーって痛っ!」
足をトーキックされた。
しかし嘘は言ってない。最初に会った時なんか、言っちゃなんだがこの体躯であの威圧感だから驚いたもんだ。
なのに今は剥き身の刃が鞘に納まったみたいに落ち着いている。
平和になったからって理由が大半なんだろうな、こういうのって。
(……自分のお陰だなんて考えそうになった。口にしたら笑われるな)
自意識過剰は危険なものだ。
もっと落ち着きを持たなきゃな……なにせもう俺は支柱なんだから。
落ち着き……落ち着きか。
(どしっと構えてるほうがいいかな。それともニコヤカな好青年で、やさしさを具現化したような存在のほうが……?)
国を任されるわけではないのだからとかそんな甘い話じゃないよな。
って、ぁああまた難しく考えそうになってる。
でもこれ考えておかないと後々大変なことに……!
(───俺らしく!)
俺らしくあればいいのだ。
もう、考え方に困ったらこれでいこう。一度そうしようって思ったならとことん!
そうじゃないともう失敗した時の言い訳を人に押し付けてしまいそうだ。
都を任される、なんてとんでもないことなんだから。
立つなら己の責任でしっかりと、だな。
「………」
………。
(俺らしくって、どうだろう。みんな“あなたらしく”って言ってくれるけど……)
……まあ、自然体かな? よし。
「ヤ、ヤア、いい天気だネ華琳」
「ええそうね」
「………」
「?」
会話終わったァアーッ!!
あれぇ!? 俺らしくって本気でどうだ!? 意識すると解らないぞこれ!
自然体って誰ェ!? 自然体って何処ォオ!!
と、思わずビキニパンツのモンゴルマッチョ風の踊り子(貂蝉)を思い出すようなことを心の中で言ってしまった途端、ひどく冷静になれた。
のぼせ上がった体に氷柱を差し込まれたような感覚……! これは寒気だね、うん。
「はぁ……。んっ」
肩の力が抜けるのを感じた。もう大丈夫だ。
見もしないでいい天気だと言った空を見上げると───そこには通路の天井があった。
「………」
思うだけで緊張が抜ければ誰も苦労はしませんね、はい。
笑顔のままで天井を見つめる俺を、立ち止まって呼んでくれる華琳を追って歩き、溜め息を吐いた。
……。
視察。
現地・現場に行き、その実際の様子を見極めること。
つまり祭りの準備現場に行って、進行状況を見極めようってもの。
国の王の視察といえば、それこそ馬にでも乗って遠出をしてというのが多かったが、今回はそんなこともない。徒歩で辿り着くような場所を回り、挨拶もそこそこに調子を訊いてみるものだ。
「おっ、よぅアニキー!」
「うん? あ、猪々子か。なにやってるんだ? こんなところで」
天下一品の舞台の脇、作業していたらしい猪々子に声をかけられ、華琳に断ってから近寄ってみれば……なんだこれ。
「おいおいアニキぃ、なにやってるんだはないだろー? 今日が準備の最終日だってことくらい、アニキならわかってるだろ?」
「や、そりゃそうだけど。猪々子ってなにかやるんだったっけ? 武道会に使うものじゃないよな、それ」
なんだこれ、と考えたモノを見る。
猪々子が作っているもののようだが……台? まさか鈍器じゃないよな?
「え? あ、あー……これはさ……ほら、歌唱大会あるだろ? 麗羽さまが急に、“美羽さんが出るというのなら同じく袁家であるこのわ・た・く・し・も! 出ないわけにはまいりませんわぁ~!”って言い出してさ。でも“他の方と同じ目線で歌など歌えるもんですか”って、あたいにこんなもの作るように命じてきてさー……」
で。出来たのがこの台だと。
これに乗って歌うのか……? と、思ったことと同じことを訊いてみると、彼女は疲れた様子でコクリと頷いた。おまけに「あたいと斗詩も一緒に歌わされるんだ……」とこの世の終わりのような顔で呟いて。
「お供っていうのも大変だな……」
「いやまあ好きでやってるってのも確かにあるんだけどさー。麗羽さまに巻き込まれてやることって大抵恥を掻くことばっかりだってことに最近気づいて……」
「最近なのか……」
「あたいは斗詩と一緒ならそれでいいかなーって、あまり考えずにしてたから」
いや、そこは考えなきゃまずいだろ。相手はあの麗羽なんだし。
……でも、斗詩か。
「ところで猪々子。衣装とかは考えてあるのか?」
「衣装? これでいーだろ」
疲れた表情で、クイッと自分が着ている服の端を摘む。
それはそれでよく似合っているんだが、どうせならってやっぱり思う。
「もったいなくないか? 恥を掻くって気づいたのになんの得もないまま終わらせていいのか? なんだったらお前が見立てた服を斗詩に着せて歌わせるとか───」
「おおおおお!! アニキそれ最高! やる気出てきたぁあーっ!!」
「………」
……ごめん、斗詩。
これも元気な人を落ち込ませないためだから……。
祭りには祭りに相応しい、騒ぐ人が必要なんだ。
だからその……静かに十字を切る俺を許してほしい。
「ところでその斗詩は?」
「ああ、木材もらいに行ってる。麗羽さまのことだから、こんなただの台じゃ絶対納得しないだろうから、飾り付けをって斗詩がさぁ」
「作ったら作ったで、こんな飾りでは~とか言いそうだなぁ」
「うぅ……って、そぉ~じゃんっ! なぁアニキぃっ、アニキのほうから何か口添えできないかなぁ! ほら、“可愛い麗羽には可愛い舞台が似合ってるよ”~とか!」
「……で、猪々子も斗詩もその可愛い舞台で歌って踊るのか」
「あ゛」
言われて思い出したらしい。
自分が考えた可愛い舞台で自分が歌って踊るイメージをしてみたのか、珍しくも真っ青になっていた。
「あ、あにきぃい~……」
「頼むからチビみたいな呼び方はやめてくれ……」
真っ青な顔でふるふると震えながら、涙を溜めてひっしと服の袖を掴んでくる。
いや、俺にそんな目を向けられたって俺にどうしろと? いやでもはい、これがギャップでしょうか。可愛いです。
「え、えっとな猪々子ヒィ!?」
殺気!? 誰!? ……と、辺りを見渡してみれば、こちらを睨んでらっしゃる孟徳様。
あ、あれ? なんで睨まれてるんだ? ちゃんと断ってから来たよな?
……もしかして必要以上にひっついてるからとか? や、そりゃないだろ。
じゃああれか。可愛いって思ったのが顔に出てたとか? ……だろうなぁ。
でもマテ、もしそうだとしても、“何故誰ともそういうことをしないの”とか仰ってた人の行為とは思えないぞそれは。じゃあ……?
(……ヤキモチだったら嬉しいなぁ)
平和なことを考えてしまった。
だって、そういうのって理屈じゃないだろうし。
俺も国のためになるんだったらって条件を出されたら、嫌でも何かの条件を飲むさ。
それと同じで、もし華琳が“自分が認めた者に気に入らない者の子を産ませたくない”という考えを自分で飲み込んだとしたら…………う、うぁっ……うぁあああっ……!! や、やばいまずい! なんか顔が勝手に笑って……! それならほんとにヤキモチかもとか思って喜ぶなんて、どこの青春真っ盛りの学生さんだ! ……学生さんだった!
「どうしたんだよアニキ、さっきから頭抱えてうねうね動いて。天の踊りか?」
「み、“身悶えする者の舞い”とイイマス」
俯き盛大に溜め息を吐いての言葉が、腹の底からボシュウウと吐き出された。
あぁ……そうだなぁ、とりあえず……───
「とりあえず、麗羽のことは別の方向へ褒め倒して納得させるしかないんじゃないか?」
「うあー……やっぱそうなるかぁ。ちぇー、アニキが可愛いって言ってくれりゃあ一発だろーに」
「それ、さっきも言おうと思ったけど……言った分だけ麗羽に嘘つくことになるだろ? だから、言われたい一言を利用して誘導するのは気が引けるんだよ」
「えー? 褒め倒しと大して違わないじゃん」
「騙そうとしてるのと本気の違いがあるんだよ。多分、言えば麗羽は素直に受け取ると思うよ。でも、もしそれで喜ばれたら喜ばれた分だけ言葉が軽くなる気がしてさ」
「………」
「………」
ん……ん? なんだ? 猪々子のやつ、人の顔見たまま動かなくなった。
……かと思いきや、後頭部を掻きながら驚いた表情で溜め息。
「ふはー……驚いたぜー。麗羽様の周りに集まる男といえば、上辺ばっかで地位のことしか考えてないうすっぺらなヤツらばっかだったのに。アニキっておかしなヤツだな。本気で麗羽さまのことを考えて傍に居る男なんて、あたいでも初めて見たかもな」
「……そうなのか?」
「ははっ、だってあの麗羽さまだぜー? 男より女って意識はそりゃああったけどさ。男はほぼ下男扱いだったし、気に入らなきゃ女だって無視するし。なのにアニキを男として認めますなんて書簡まで渡して、しかも可愛いって言われると真っ赤になってさ。いやー、苦労してでも麗羽さまと一緒に居てよかった。あんな麗羽さまが見れるなら、今までの苦労はむしろ楽しみの前の……ね、捻挫?」
「……もしかして前座か?」
「あーそれ、たぶんそれ。蜀でちょくちょく学校の授業受けてるんだけど、いまいち覚え切れないんだよなー。なんか小難しいこと言われても頭に入ってこないってゆーか。でも知ったことって、アニキだってとりあえず言ってみたくなるだろ? 街の子供たちに頭いいねーとか言われた時なんか、胸がきゅんって鳴ったんだぜー?」
腰に手を当てて、祭さんみたいにあっはっはっはー! と元気に笑う。
どうやら知識を披露して褒められたことがよっぽど嬉しかったらしい。
……だな。子供たちに遊びを教えて、喜んでもらえた時とかも嬉しいしな。その気持ちはわかる。気持ちの方向性が違う気もするけど。
……というか、麗羽の話はもういいのか?
「で、アニキは魏の大将と様子見か?」
「ああ。珍しく二人とも時間が取れたから」
「そっかそっか。んじゃーあんまり引き止めるのも悪いし、あたいも作業が残ってるから」
「そだな。じゃ、明日に疲れを持ち越さないようになー」
「おー!」
猪々子に軽く手を振って歩くと、華琳のもとへ。
華琳自身も別の人の視察を済ませたようで、腕を組みながら俺を迎えた。
「随分と楽しそうだったじゃない」
「実際楽しかったよ」
苦労人って何処にでも居るんだなーって、再度確認できただけでも嬉しかった。
相手にとってはいい迷惑だろうが、ある方向での仲間が出来たみたいでこう……ねぇ?
華琳は「そう」とだけ返すと、特に表情を変えることもなく歩き出す。
……やっぱり気の所為だな、ヤキモチとかそっちのは。
気持ちを落ち着かせるためにも、ひとつ
「それで次は?」
「朱里を探すわ。象棋の準備はあの子に任せてあるから」
「朱里に? ……やっぱり朱里も象棋、強いのかな」
「先の先を読まなければ勝てないものなのだから、知将としての力が必要になることは間違いないわね。そう考えれば、諸葛孔明が弱い筈がないでしょう?」
「そうなんだけど」
普段のあの“はわわ”ぶりを見てるとなぁ。
や、俺も勉強のことで随分と助けられてるよ? そりゃあもちろんありがとうばかりを口にしたい相手だし、あの諸葛孔明にものを教わるなんて普通は在り得ないことなんだ。彼(ここでは彼女)を尊敬する人にしてみれば、泣いて羨ましがられるほどの事実だ。
でもやっぱりあの“はわわ”ぶりを見てるとなぁ。
「それで、その朱里はどこに?」
「仕事内容の確認は各国の王に任せているから、私は知らないわよ。報告に来てくれはするけれど、客の行動を逐一報告するように言うのは持て成す者としてはあまりに醜いじゃない」
「じゃあ、桃香を探しに?」
「他の視察をしながらでも構わないわ。先に見つけられればと思っただけだもの」
そっかと頷いて歩く。
大会会場は大きな舞台となっており、そこを一周するだけでも地味に時間がかかる。
某・龍の球のお話の武道会場もこんな感じだったっけ?
……いや、思ってないよ? あの舞台の上でかめはめ波を撃ってみたいなんて。
「なにをそわそわしているのよ……」
「ウェッ!? しっ……してたか?」
「ちらちらと舞台を見ているじゃない。まるで褒美をちらつかされた春蘭だわ」
「微妙に例えが嬉しくないんだけど……なのにわかり易いのが悲しい」
俺、そんなトロケた顔してたのか。
頬を染めてトロケた表情の春蘭を思い浮かべてみたら、春蘭には悪いけどちょっとだけ空を見上げたくなった。だって、そうまで露骨に顔に出てたなんて。
「その……俺のことはいいから。それより視察視察っ」
「……はぁ。まあ、いいけど」
ちらりと俺と舞台を交互に見てから、止めていた足を動かす。
そんな華琳が次に向かったのは、目に見える位置に居る人物……鈴々だった。
「鈴々」
「にゃ? あ、華琳なのだ!」
「……目を合わせた途端、人を指差して妖でも見たような反応をしないでほしいわね」
「にゃはは、似たようなものなのだ」
「似ていないわよっ!」
「……華琳、反応がまんま愛紗だぞ」
「へぇ……!? 一刀は、普通に声をかけたのに妖と同等の扱いを受けて怒らない者が居るとでも……!?」
「ん」
とりあえず手を挙げてみた。
相手によりけりだが、鈴々相手ならまず怒らない自信がある。
軽くふざけているだけって解るし、本気なんだとしても……なぁ?
「それに、三国を纏めたって意味では、ある意味で妖でも叶わないくらいのことをやってみせてるじゃないか」
「比喩対象に問題があるでしょうっ!?」
「怒ったのだ!」
「怒るわよ!」
……ごめん華琳。これなら妖も逃げ出すかもって本気で思ってしまった。
とりあえず祭りの雰囲気がゴシャーって逃げ出してしまうので、怒気を鎮めてくれると助かるんだが。
「……あれ? そういえば鈴々、ここでなにやってるんだ? 武道会に向けての練習?」
「違うのだ。天下一品駆けっこ大会のための鍛錬なのだ!」
「華琳さん。なんでも天下一品つけりゃあいいってもんじゃないと思うんだ、俺」
「名づけたのは私じゃないわよ……」
溜め息を吐かれてしまった。
うん、やっぱり随分丸くなったよなぁ。
他国の将にこんなにも感情を露にするなんて、前の華琳だったらしなかった。
「お兄ちゃんはなにをやってるのだ?」
「う……デ、デデデデート?」
「視察よ」
「視察デス」
いや、いいんだわかってる。視察だもの。
華琳とは買い物したりしたこともあるけど、あれを考えれば向こうのほうが全然デートっぽいもんな。……男に下着を選ばせるとか、とんでもない経験させてくれたし。
「にゃ? デートってなんなのだ?」
「む。難しい質問だな。んー……まあ、好きな人と楽しく過ごすこと、でいいのか?」
「だったら今は毎日がデートなのだ」
「へ? …………そっか。そうだな、ははっ、そうだなっ」
言われてみて、納得してしまった。
そうだよな、そんな理屈で言うなら毎日がデートだ。
楽しくない日なんてほぼ無い。好きな人は傍に居る。条件は十分じゃないか。
でも、デートか。
この世界を知らず、フランチェスカに通っていた頃は随分と憧れたなぁ。
お嬢様学校の中にあって、そんな世界に憧れぬ輩が居るはずもない。
青い空の下、手を繋いで歩くだけでもいい。
ステップアップすれば腕を組んだりとかして……バカップルなところまで行ったら、後ろから目隠しされて“だ~れだ?”なんて言われたりして。
ぐいぐいと押し付けられる胸の感触が、なんというかこう、背中に広がって心地良くって、とかなんとか………………はぁあ。落ち着こう、俺。
「それで……その駆けっこ大会っていうのは? 鈴々が考えたのか?」
「鈴々と明命とで話し合ったのだ。お兄ちゃんとの鍛錬で走り回った者同士、どっちが上かを知りたいのだ」
「思春だな」
「思春ね」
「むー! 鈴々なのだっ! それにふんどしねーちゃんは参加しないのだ!」
褌ねーちゃん!? なんか予想外の言葉が出てきた!
「ふんどっ……ぶふっキャーッ!?」
「貴様……なにを笑っている……!」
「イ、イイイイラッシャッタンデスカァーーーッ!!?」
思わず吹き出してしまった瞬間、例のごとく首に曲刀が……!
つーかもうどっから出てくるのこの人!
「いつも警備ご苦労さま、思春。変わりはないかしら?」
「はい華琳さま。国の支柱がしゃんと立っていないこと以外は問題ありません」
「え? それって俺? って切れる切れる! 支柱折れちゃう倒れちゃう!」
あぁああ青い空の下! 解放してくれるだけでもいい! 関係がステップアップすれば殺気を向けなくなってくれるとかして、そんな彼女への警戒態勢を緩めるところまでいったら、なんか突然後ろから目隠しされて“質問に答えろ”なんて言われたりして! じゃなくてもっと平和なのがいい!
ぐいぐいと押し付けられる鈴音の冷たい感触が、なんというかこう、喉から様々な筋を通して全身に回って、寒気ばっかりで生きた心地がしなくってェエエエ!!
「貴様は成長しないな……」
「これでもさ……ずっと前に比べれば、随分と度胸と氣は身についたんだよ……」
なのに自分の立ち位置はあまり変わっていない。
アニキさんたちに刃を向けられたり春蘭に刃を向けられたり華琳に刃を向けられたり、なんで俺っていろんな場所で誰かに刃を向けられているんだろうか。
軽く両手を挙げて降参を示すと、音も無く思春が離れてくれる。
振り向いてみれば、庶人服に身を包み、髪を解いたいつもの思春。
「ふんどしねーちゃん、どこから来たのだ?」
「………」
「にゃ?」
「ふんどしねーちゃんはやめろ……私は常に華琳さまの警護に立っている」
「……全然気づかなかったのだ」
「だよなぁ」
……慣れてたつもりの俺でも全然わからなかった。
本気を出すと、もうさすがとしか言えないよ、思春。
そんな思春が鈴々に振られた話を、ひどくぐったりした様子で返す。
「よく春蘭や桂花が許したよな」
「あのねぇ一刀? あの二人に警護をさせたら、私はいったいいつ休めばいいのよ」
「いつって」
いつ……? うーむ。