18/街角探検隊……一人だけどね。
ボロボロの私服で、顔を真っ赤にしながら走っていた俺を冥琳が止めてからしばらく。「そんな格好で街に出る気か」とぴしゃりと言い、冥琳が侍女さんたちに用意するようにと言ったのが……
「……あの。庶人の服とか……ないのかな」
“ワー、これ高価ダー”って一目でわかるような服だった。
もちろん俺はこれを断固として拒否。「公瑾様のお申し付けですから……」と渋る侍女さんをなんとか拝み倒して、庶人の服を用意してもらった。
俺は王族でもなんでもないんだから、こんなの着てたら笑われるって。主に雪蓮とか祭さんとか雪蓮とか雪蓮とか祭さんとか雪蓮に。
冥琳だってそのヘンはわかってると思うんだけど……あ。もしかして、魏からの客人に粗末な物は着せられないとか、そんなふうに思ったのかな。
「う、う~ん……それなら着ていかないのはかえって迷惑になる……のか?」
けど考えてもみよう。
これから街に食べに行く俺が、こんな王族御用達みたいな服を着ていったら───
=_=/想像です
ワヤワヤワヤ……
「あぁちょいとっ、饅頭どうだい饅頭っ! 蒸かしたてだよっ!」
「おおっ、それはいいなっ」
「嬢ちゃんにはこんな服とかどうだい」
「ととしゃま~、わたちこれがいい~」
「はっはっは、そうかそうか」
建業の街は賑やかだった。
すたすたと歩くだけでもあちらこちらから楽しげな喧噪が聞こえ、それだけで頬が緩んでしまう自分が居る。
「ほらっ、そこの兄ちゃんもっ! 饅頭───はうあ!?」
「んあ? どしたい女将さん……うおっ!?」
「だ、誰だあれ……」
「いや、知らねぇ……あぁいや待て、そういや少し前に魏から天の御遣いが来たって……」
「あ、あいつが!? あいつが呉に降りなかったために俺達は!」
『死ねぇええええっ!!』
「ギャアアアアア!!」
/魏伝アフター……了
-_-/一刀
「庶人万歳!!」
それはとても輝かしい笑顔だったという。
けど、急に両手を天にかかげて叫ぶ俺に、当然侍女さんたちは奇異の目を向けるわけで。
「ア、イエソノ」
急に恥ずかしくなった俺は、顔を赤くしながら街を目指し、歩きだしたのだった。
っと、この服のこと、誰かしらに言っておいたほうがいいよな。じゃないと侍女さんが怒られるかもしれない。
俺が無理言って庶人の服を用意してもらった、って……ああ、なんというか……状況的に嫌だからとか、ワガママ放題だな俺……。
自分自身に呆れ、に溜め息を吐きながら、誰かとの遭遇を求めて歩いた。
まあきっとすぐに、雪蓮か祭さんあたりに会うだろうと思い。
「………」
しかし、こういう時に限って見つからないのがセオリーというか、パターンというか。
一通り歩いて、脳内マップを構築していくのをやめると、出発地点の近く、中庭に来ていた。
さすがにここには居ないよなぁと見渡してみると、東屋に頬杖ついて座る祭さんを発見。
そっと近づいてみると、こちらを見たわけでもないのに「うん? 北郷か」なんて気づかれてしまった。
この世界の人って背中に目でもあるの? ってくらい、気配に敏感だよな、ほんと。
「祭さんは休憩中?」
「応、元はここに策殿がおったんじゃが……ああいや、皆まで言うまい。北郷は───……なんじゃその格好は。身分を捨て、庶人にでもなりたくなったか?」
「や、そーゆーのじゃなくて。街に出かけようとしたら、いろいろあって服がボロボロだったのに気づかされてさ。で、冥琳が侍女さんに頼んで豪華な服を用意してくれたんだけど……」
「なるほど、似合わんかったか」
「………」
あっさり理解された。そうなれば、赤面しようがこくりと頷くしかない、恥ずかし乙女チックな俺が居た。
い、いや、だってさ、あんまりにも似合わないっていうかっ……! 姿見を前にした俺のあの心境は、きっとあそこに居た侍女さんにしかわかるまいっ……!
着てるっていうか、豪華な意匠の服に俺が飲み込まれてるっていうかさ、ほら……マネキンの方がまだ映えるっていうか。
……やめよう、悲しくなる。
「ふむ。しかし街に、か。……北郷」
「? なに? 祭さん」
「お主、ここが魏国でないことは、きちんと理解しておるな?」
「え? ……そりゃ、孫呉の地を魏のものだーとか、あの華琳が許してない状態で頷いたりはしないぞ?」
「そういう意味ではない」
「……民のこと?」
「なんじゃ、わかっておるのか」
そりゃあ、これから行くつもりのところへのことを、そんな真剣な顔で言われればさ。
そうだ、ここは魏じゃない。
ここの民はきっと、魏の民ほど親しげにはしてくれないだろうし、御遣いだと言えば睨んでくる人だって居るかもしれない。
祭さんはそんな人達に、俺が何かしらをされるのが怖い……ああいやうん、怖いっていうのじゃなくて、きっと心配してくれているのだろう。
魏からの大使が民にボッコボコにされました、なんて笑えない。
けど、ある程度は踏み込まなきゃ、諍いの原因を口にすることなて絶対にしないだろうし───いつまで経ったって問題の解決には繋がらない。
「説得、とは違うのだろうが……相手の状況の確認でもしてくるつもりか?」
「いや、正直に言えば普通に外に出かけるつもりだったんだ。気負いすぎもよくないし。ただ……うん、自然な目で見て、見たこと感じたことを参考にしようとは思ってた、かな」
「ふむ。策殿は内側から呉をよくしてくれ、とは言ったが、なにも北郷、お主に全てを丸投げにするつもりはないぞ? わからんこと、知りたいことがあれば、訊ねてみるのも手だろうに」
「“情報は足で探す”って意識を尖らせておかないと、怠けそうでさ。でも……必要になったらお願いしていいかな」
「まあ、今の北郷では気楽に頼れる相手も少ないじゃろう。応、どんと任せておけい」
言って、かっかっかと笑ってみせる。
おお……頼りになる……! とか、心に勇気を貰えた気分なのに……どうしてその勇気をくれる相手の背後に、豪快に笑う春蘭の影が見え隠れするのか。
あ、あれー……? なんだか面倒になったら適当にはぐらかされそうな予感が……!
「………」
けれど、まあ。
気になることは気になるから、祭さんには相談に乗ってもらった。
どうすればいいかの具体的な方法はわからないままってこととか、呉の現在の状況とかも。
客人として来ている俺だけど、諍いを治めようっていうんだから、説得のために一発二発は殴られることを覚悟しているし、その上で向き合いたいって思ってることも。
もちろん、殴られないに越したことはないのだが。
「そういう感じで、向き合ってみようって思ってたんだけど───まずいかな」
「当たり前じゃ馬鹿者」
きっぱり言われた。そりゃ、現実的に考えれば当たり前だろう。
現実的云々を言うんであれば、俺が呉に来た理由だって呉のためなんだから、この状況の鎮静、という意味では間違ってはいないわけで。
そのことを祭に告げると、祭さんは難しい顔で唸った。
「大使に怪我でもさせたら、ってみんな言うだろうけどさ。俺自身が大丈夫ってどれだけ言おうと、自己責任ってだけにはならないのかな」
「応。無理じゃろうな。やるとしても、目立たない箇所を殴られる程度ならば誤魔化しも利くじゃろうが……」
ああうん、その場合、顔面一発でも殴られたらあっさりバレそうだ。
「しかし、殴られることを前提で踏み込む、か。かっかっか、北郷、お主は随分とまぁ面白い性格をしておるのぉ」
「え、と……そう? 普通だと思うけど」
「ほう? 民に殴られてでも、と言えることが普通か? 随分とやさしくない場から来なすった御遣い様のようじゃな、まったく」
「いや……勘違いされてるかもだけど、べつに好んで殴られたいわけじゃないからね? 理不尽に難癖つけられて、武器を片手に追われりだとか、ぐっすり寝てたら虫が詰まった籠を持った軍師に襲われただとか、そういうことに慣れてるだけだから」
……あれ? それって俺自身の感覚がおかしくなってるって言えるのか? ……言えるな、うん。
でもこればっかりは俺が悪いんじゃないって、声を大にして言いたいんだ。ていうか言わせてくださいお願いします。
「冗談じゃ。……まあ、生憎と一緒に行って護衛をする、なんてことはしてやれん。一応これから用事があるのでな。それに、まさか一歩出た途端に面倒事に巻き込まれる、などといったことはないじゃろう」
「? 祭さん?」
「やりたいことをやってみせぃ。もちろん儂が止められるようならば止めるが。……その場合、仕事のついでといった感じになるが」
「いや……もし仕事の都合で俺を見かけても、諍いの現場に俺が居た時はさ、ほらその……少しの間くらいは見守ってやってほしい。たぶん、国のお偉いさんとか将とかが出てくると、言いたいことも言えなくなると思うから」
そう言う俺を見て、祭さんは「ほう?」と言いながら少しだけ笑い、けれどそれは拒否した。
「知らん。儂は儂で、その時に必要な行動を取らせてもらうだけじゃ。というか、お主がどこでどう諍いを起こすかをいちいち儂が見ておるわけにもいかん」
そりゃそうだった。外に出たところでいきなり諍いの現場に遭遇するわけじゃない。
大体それは仕事じゃなくて、国の者として当然の行動なんだろう。
俺だってもし、たとえば魏に孫尚香が遊びに来たとして、民に囲まれていたのを発見すれば、とりあえずは止めに入る。
けどやっぱり、そうして囲まれていたとして、自分が耐えられる程度の騒ぎは見逃し……とは違うけど、少しの間でも見守ってほしいとは思う。
結局自分には、そうやって踏み込んでいって、自分を知ってもらうところから始めてるくらいしか出来やしない。
自分の中で、あの頃の自分からの変化や成長を感じたところで、根本はそうそう変わってはくれないのだ。
つまりは、やることがわからなくて踏み込んで、踏み込みすぎて、他人の仕事を奪ってしまったあの頃のまま、強く高くなんて成長は出来ていないっていうことで。
「諍いがどうのと、それを起こす者の気持ちもわからんでもない。だが、わかるからと見ない振りもできん。……戦が終われば、持つものが無くなる者が、そうしたものに踏み込んでいくべきなのだろうがな」
「祭さん……」
「“武”を手に駆けていた者も、いずれは手に持つものを改めねばならん。いや、儂などはまだいいが、思春はな……そこに集う部下の数を考えれば、一層考える必要が出てくる」
思春? ……甘寧、だよな。甘寧っていえば……錦帆賊か。
そうだ、自分のことだけじゃない、部下のことも考えなきゃいけない人はたくさん居る。
今すぐじゃないにしても、解散するにしても、どうするのかは……だよな。
俺がよく知る警備隊だって、警備だけで全員が繋げいでいけるかっていったらそうじゃないと思う。
いろいろ考えないとだ。
「………」
考えた上で、その考えとかの上から襲い掛かってくるような事態に見舞われるんじゃないかなー、とか。少し考えて溜め息を吐いた。
予想の斜め上の事態とか、誰かさん達の所為で散々味わってるからなぁ……。
ほら、魏武の大剣さんとか、猫耳フードのあの軍師とか。
「だがな、北郷。今のお主が呉の将のその後を心配しても始まらん。普通の行動で諍いが終わらんのであれば、多少の無茶くらいはしなければ始まらんのだろう。期待をしている、と言って気負わせるのもあれじゃ。ならばいっそ……そうじゃな、どどんと失敗してみせぃ。国にも王にも民にも迷惑をかける方向で」
「それ、下手すると同盟関係とかひどいことにならない?」
「安定を願うあまりに思い切ったことが出来んのはどこも一緒じゃろう。平和を平和をと意識するあまり、敵陣……ああいや、この場合は民、ということになるが。相手の懐へも踏み出せんでいるじゃろう。ならばどうするか? ……外の者が一度、そういった意識をぶち壊してみせるしかなかろう」
「それ、下手すると同盟関係とかひどいことにならない?」
「ええい聞こえておるわ! 同じことを言わんでもわかっておる!」
そうなんだけど。
はぁ、やっぱりみんな、考えてることは同じなんだなぁ。
平和を、泰平を手に入れても、じゃあその泰平がどうすれば長続きするのか、を考えすぎて、思い切ったことが出来ないでいる。
たとえ踏み込んでなにかを起こしたとして、それがよくない方向に転がれば罰しなければいけないし、その確率の方が高いんじゃないかって思ってしまえば、もう踏み出せない。
そうなれば結局は、誰かが一歩を踏み出してみせるしかないわけで。
……で。このお方が俺にそれをやってみせろと。
「お主だけにやれと言うのではない。どの道、武官もいずれは仕事がなくなるのだから、最後に国のための一歩をと踏み出してみるのもひとつの方法じゃ。そうしてもいいと思えるほどには、儂も国を愛しておる」
「祭さん……」
「というか、ほうっておけば策殿あたりが突貫しそうでな……。民に好かれておる者が失敗をすれば、よくないことにしか繋がらんだろう。ならば儂が、と考え───」
「いや、祭さんはたぶん子供に好かれてると思うからだめだと思う」
「ぐっ…………北郷、なぜお主がそれを知っておる……?」
「へ? あ、だってほら、建業に来た時、子供の目線が祭さんに集中してたから、てっきりそうなんじゃないかって」
「………」
ばつの悪そうな顔って、たぶんこんなの。
そんな顔になった祭さんは、片手で顔を覆って俯いてしまった。恥ずかしいらしい。
俺は俺で、このまま話をするのも気の毒になったっていうか、一応参考にはなったから……ありがとうを口にして、歩き出した。こちらを見ない祭さんに、無理はするなと言われながら。
「外に出るなとは言われてないけど、出る場合は出来るだけ問題を起こさないように、だよな」
言い回しが既に問題を起こすこと前提で言われていた気がするんだが……気の所為だよな?
……。
そんなわけで、呉国は建業の街を歩く。
魏からここへと来る時も盛大なお出迎えがあったわけだけど、やっぱり呉は賑やかだった。
民たちは王の帰りを喜び、老人から子供まで元気に燥ぐように。
ただ……どうしてだろうか。その喜びと視線のほぼが雪蓮のみに向かい、他の武将たちにはあまり向いてなかった気がするのは。
たしかに向いてはいたんだけど、その数はあまり多くはなかった気がする。
お陰で俺の顔を覚えている民はまず居ないだろう。うん、それはどうでもいいんだが。
子供たちの視線が主に祭さんに向いていたのは、驚くのと同時に面白かったけど。
王を出迎えるんだから、王に目を向けるのは当然といえば当然なんだろうけど……どうにも引っかかる───
「……うぐっ……」
───のだが、鳴る腹は抑えられない。
モノを食べながらでも考え事は出来るし、とりあえずは適当な料理屋へ入ることに決めた。
手持ちは……値段にもよるけど、軽く食べられる程度。
本当に狙っているとしか思えない手持ち金だ……あまり高いものは頼まないようにしよう。
「いや待て」
べつに料理屋に入らなくても、点心を買い食いするって方法もある。
それなら情報収集もしやすいし……なによりがっつり食うよりも安値で済む。
腹持ちは少ないだろうが、ようは昼まで繋げればいいのだ。
この僅かながらだろうが“華琳がくれた金”……一回の食事で全て無くしてしまうのは忍びない。
「……って、違うだろ」
この国に居る限りはこの国に尽くす。そう決めた。
だったら……すまん、華琳、これより北郷一刀は修羅道に入る!!
まずは呉に馴染むために華琳……お前にもらったこの金を使わせてもらう!
そうだ! 店は適当に決めてぇえっ! ……あれ? 魏の通貨ってこっちの国で使えるんだっけ? ま、まあ訊いてみればいいよな! うん!
「おっちゃん! この店で一番美味いものをくれ!!」
本当に適当に決めた店へと勢いよく入るや、声高らかに食事宣言!
……それは。客もまばらな時間に起きた、とある晴れの日の物語である。
───……。
……はい。結論から言いまして、お金が足りませんでした。
「……それ洗ったら次そっちだ」
「は……はいぃいい……」
きっかけ欲しさの勢いに任せて、一番美味いものなんて頼むんじゃなかった……。
「……うちはなんでも美味ぇよ……」とドカドカと出され、全てを平らげてからハッと気づけば足りやしない。
神様……俺は本当に馬鹿なんでしょうか……。
(ああしかし、しかしだ……)
……大変おいしゅうございました。むしろ悔いはない。
有り金全部と、あとは数日働けば返せるそうだから、そこはこう、なんとかしよう。
代わりになるものよこせ、とか言われなくてよかったよ。
「……注文、取ってこい」
「っと、はいはいっ」
適当に入ってみたこの店は、どうやらおやっさん一人で切り盛りしているようだった。
味もいいし内装もいい。だけど、どうにもおやっさんは暗い人だった。
美味いからそれなりに客も来るし、おやっさんに声をかける人が大半のようで、おやっさん自身に人望がありそうなんだけど……
「青椒肉絲ひとつ、麻婆豆腐ひとつ、餃子四つに大盛り白飯二つですっ」
「……おう」
注文を聞いてくれば、また皿洗い。
手が空けば指示されるままに動き、される中でも学び、次にどうすればいいのかを自分の中で組み立てていく。
少しずつ、ほんの少しずつだが組み立てていったそれを実行し、失敗しようがそれも組み立ての材料にして、仕事のパターンを“行動の基盤”にするように身に叩きこむ。
幸い、体力だけには多少の自信がある。
今こそそれを活かし、国の役に立つ時さ。
「ありがとうございましたっ! いらっしゃいませっ! こちらが採譜になります! ご注文は以上で!? お待たせしましたっ!」
キビキビと動く。
集中し、ミスをしないように出来るだけ注意して。
ミスをしたら反省し、同じ失敗は起こさないようにと胸に刻む。
(いやっ……しっかし……!)
どうなってるんだこの店……客の入りが異常なんだが。
これを普段一人で? おやっさんだけで? 冗談だろ?
そんなふうに考えていると、客の一人が笑いながら声を張り上げた。
「おーいそこのお前~!」
「へ? ……お、俺!?」
……何故か、俺に向けて。
「そ、お前だよ。お前なにやらかしたんだぁ? 食い逃げか? おやっさんところで食い逃げするたぁ運がねぇ」
「食い逃げ!? 違う、違うって! 俺はただ───……えと、食ったら金が足りなくて」
「それを食い逃げって言うんだろうが」
「逃げてないっ! そこだけは譲れない! 金は足りなかったけど逃げなかった!」
「いや……それ胸張って言うことか?」
「あ……はい……正直もう泣きたいです……」
俺の言葉に、豪快に笑うお客さん。
どうやらおやっさんの知り合いらしく、麻婆を掻っ込みながらもおやっさんに気安く声をかけていた。
そんな人なら知っているだろうかと、気になる疑問を投げかけてみた。
「あの……ここっていつも、おやっさんだけで……?」
「あん? ああ、そうだぜ? ここはおやっさんだけで切り盛りしてんだ。一年と少し前までは息子が居たんだけどよぉ」
「息子さん?」
「連れは早くに亡くなっちまってよ。男手ひとつで育てた、そりゃあ立派なやつだったよ。それがよぉ、なにを思ったのか兵に志願しちまって。そのままコレよ」
男性が目の前で拝むように手を合わせた。
……ようするに死んでしまったんだろう。
「それからだよ。おやっさん、なにをやるにも覇気が無くなっちまって───」
「………」
よっぽど親しいんだろうか、男性はまるで自分のことのように悲しんでいた。
卓に飲み干した杯があるにせよ、顔が赤くなっているにせよ、この人が言っていることは事実で───
「おーい兄ちゃーん! 回鍋肉まだかー!?」
「ボーっとしてんなよーっ! こっち酒追加なーっ!」
「っとと、はいっ! ただいまーっ!」
慌てて、止まっていた体を動かす。
おやっさんのことを話してくれた男性はその後、何度か酒を注文して煽ると出ていった。
まだ訊きたいことがあったんだけど……引き止めるわけにもいかないし、こればっかりは仕方ない。
(……卑怯かもしれないけど、料理屋は情報収集にはもってこいかもな)
何気なく入った料理屋にでさえ、戦によって心に傷を負った人が居る。
ただ賑やかなだけじゃないんだ……目を凝らして見てみないと気づけない傷だってたくさんある。
俺の認識にしたってあの男性に言われなきゃ、おやっさんはただの“あまり喋らない人”ってだけで終わっていた。
(もっと視野を広げないとな……)
金が足りなかったのは完全に失敗だったけど、こうして街の人の話を聞ける場に立てたことは一応成功だったってことにしておこう。
ありがとう、華琳。……決してこんな状況を見越して、あの微妙な金額を渡したわけじゃないよね?
-_-/魏
……同刻、魏国洛陽。
「はっ───くしゅんっ!」
「……華琳様!? まさか風邪を!? ───すぐに閨の準備をっ!」
「……? 大丈夫よ桂花、大事ないわ。いちいち事を大げさに捉えないの」
「いけません華琳様。風邪を甘く見られては困ります」
「稟、“大事ない”と、この私が言っているのよ。構わないから話を続けて頂戴」
「は……」
軍議というよりは些細な話し合いの場。
集まった文官と話をする中で彼の想いが届いたのか、この後彼女が何度かくしゃみをすることになったのは、べつのお話。
-_-/一刀
………………。
「はぁ~……終わったぁああ……」
終わってみれば、すっかりぐったりな俺が居た。
体力に自信があっても、やること自体が違うんだから疲れもする。
そんなことを頭に入れずに動き回った結果がこれだ。
「………」
最後の客が出て行き、それを送り出して、後片付けをして掃除をして。
ようやく解放されて、店の卓にでも突っ伏したい気分になるが、なんとか抑える。
もうすっかり夜だ。いい加減戻らないと、誰になにを言われるか。
「…………飯だ。食え」
「え? あ、おやっさ───って」
卓に手をついて重苦しい溜め息を吐いていた俺の目の前に、美味そうな料理と白飯が置かれる。
見ただけで溢れてくる唾液をぐびりと飲み、訊いてみると……おやっさんは何も言わずに背を向けて、自分の分と思われる料理を持ってきた。
「……座れ」
「あ、はい……」
促されるままに座り、食卓を囲むことに。
いきなりの展開に目をぱちくりさせるが、つまりこれは賄い料理なんだろう。
俺はもう一度唾液を飲み下すと、いただきますを唱えて食いにかかった。
…………。
食事が終わり、その片付けをして、終了。
食事中、会話なんて一言も無かったけど……お疲れさんって言いたかったのかなって思うことにして、城に……戻ろうとして、肩をがっしと掴まれた。
「あ、あーのー……おやっさん?」
「……仕込みをする。手伝え」
「やっ、でも俺帰らないと……」
「……いいから、とっととこっち来い」
「おわったたっ!? わ、わかったよっ、行くからっ!」
……捕まりました。
そりゃそうだよなー、今日会ったばっかりのやつを、ちゃんと金を返せてもいない状態で帰すわけがない。
けど待て、あれだけの忙しさの中で働いても、俺はまだ返せてないのか?
いったいどれだけ高いものばっかを食ったんだ、俺……。
(空腹すぎた所為で、覚えてねぇ……)
自分の馬鹿さ加減に頭を痛めながらも、結局は仕込みを手伝うことに。
仕込みっていったって、あれを用意しろこれを用意しろ、それを片付けとけこれを片付けとけと、雑用ばっかりだったが。
……で、仕込みが終わる頃には夜も相当に深く、促されるままに泊まっていく事態にまで至り───
(……戻った時の反応が怖そうだ……)
無断外泊に不安を覚える学生のように、ひどく怯えながら夜を越すのだった。
……や、学生で無断外泊なのは事実なんだけどさ。
仕方ない、周泰か甘寧が監視してて、雪蓮たちに伝えてくれることを願おう。
“食べたはいいけどお金が足りなくてこき使わされてます”って……ただの恥さらしじゃないかっ!
まずいぞ、なんとかして帰らないと───ああいや、足りなかったのは事実だしね。
寝ます……僕もう寝ます……。
明日はいい日になるとイイナー……。
19/痛み
朝を迎えた。
料理屋の朝は早く、仕込んでおいた具材や汁などがいい感じになっている中、仕込んでおいておけないものの準備を始める。
冷蔵庫がないこの時代では、料理に使う具材の扱いも相当に丁寧にしなければならない。
うっかりそこらに放置していれば、簡単に悪くなってしまうのだから仕方ない。
「ふぅっ……」
昨日は昨日、今日は今日。卓を掃除して床も掃除して、夜を越す間に積もったであろう多少の埃を拭い、手を綺麗に拭いてからべつの仕事へと移る。
最初は指示をされるがままに、徐々に疑問に思ったことのみを訊くように動いて。
そうして始まる今日一日をこなす中で、人とふれあい、笑い合い、時には怒られて笑われて。
そうしているうちに、昨日引っかかっていたことが……少しだけ、ほんの少しだけだけどたぐり寄せられた気がした。
民の視線のほぼが雪蓮ばかりに向いていたこと。
それはたぶん───雪蓮以外の将が、雪蓮ほど積極的に民と触れ合わないからじゃないか、ってことだった。
雪蓮のことだから誰かを引っ張り出して、民と戯れることをするだろうけど───でもそれだけだ。
他のみんな自身が率先して動かなきゃ、好印象なんて残らないに違いない。
「そういやぁよぉ……聞いたか? 御遣いの話」
「あぁ……魏から来たっていう男の話だろ?」
そんなことを考える中でも、やっぱり人の噂話っていうのは耳に届く。
聞きたくないことだろうと聞きたいことであろうと、届いてしまうのだ。
「“国王様”はなにを考えているんだろうなぁ……魏っていったらお前、かつては敵だった場所じゃねぇか」
「いくら同盟を組んだからって、息子を殺された俺にとっちゃあよぉ……」
「……仕方ねぇさ、戦ってのはそういうもんだろ」
「仕方ねぇことあるかっ! 同盟を組んではい終わりってんなら、なんでもっと早くしてくれなかったんだ! 一戦……! あと一戦早けりゃ、俺の息子は死なずに済んだんだぞ!」
「お、おいっ、飲みすぎだぞお前っ、おやっさんだって同じ気持ちなんだから、ここで騒ぐのは……なっ?」
酒を飲み過ぎたんだろう、顔を真っ赤にして呂律が回らない男性は、さらに浴びるように酒を飲むと泣き出す。
……正直、居たたまれない。謝ってでもこの場から逃げ出したくなる。
(………)
そんな弱い心を押さえ込んでいく。
覚悟はしておいたはずだ。誰かのために乱世を駆けるってことは、誰かに恨まれること。
そして俺は、そうすることで傷つく誰かに、たとえ自分がどれだけ泥をかぶることになろうとも、伝えてやりたいことがある。
それが俺の、単なる押し付けだろうと構わない。
叫ぶことで届くのなら伝えよう……戦はもう、終わったのだと。
終わったのだから、いつまでも悲しむだけではいられないのだと。
俺がここに呼ばれた理由を果たすなら、俺はここで───……内側から変えていくための努力を、するべきだと思うから。