さて。
人間はなにもしなくても腹は減るもんである。
興奮したし緊張もしたし、なにより驚いたり身を竦ませたりと忙しかった。
体が欲するもの、即ちエネルギーを求め、俺と華佗は談笑しながら食事が配給されている場所へ向けて歩い───
「待ちなさい一刀」
「え? あ、華琳……と、桂花? 春蘭も……あ、あれ? なんだってみんなこっちに? 昼、食べるんじゃ───」
「ねぇ一刀? 誰に常識が足りていないのか、言ってみてもらってもいいかしら」
「……OH」
……ふ、ふふっ……ふはははは……!
し、仕合を見ているうちにこの北郷、すっかり忘れておったわ……!
解説をしている中、うっかり失言を口にしてしまったことを……!
「エ、エートソノー。じょっ……常識人だったら、こんな一人の男を皆で囲むなんてことはしないんじゃない、かなぁ、と……」
「そう? では絶を構えた私だけが残りましょう」
「ヒィごめんなさいとっても常識的でした! だから瞬時に絶構えるのやめてください!? というかそれは常識的じゃないだろやっぱり! どこから出したんだ!?」
「どうだっていいわよ、そんなこと」
「どうでもよくないから訊いてるんですが!?」
冷たい感触がやさしく喉を撫でなさる。
ええ、とってもやさしいです。やさしいけど鋭いから、あんまり撫でられるとプツリと皮とかが裂けてしまいそうで、引き攣った笑顔のままに謝るしかございませんでした。
理不尽がどうとかよりも、確かにああいう場で常識ってことは大事だーなんて言えば、他の人が常識が欠けていると皆に思われてしまうわけで。さすがに失言だったなぁとわかってはいるのですが。いやいや、まずは謝るべきだ。きちんと。というか座らされた。例のごとく正座で。
「お、大勢の前で常識足らずと言うようなことを言ったのはごめん。素直に謝る。でもな、これだけは言わせてくれ。常識ある人、忍耐力のある人は、話し合いを設けるのに武器は使わないだろ……」
「ええもちろんよ。私だって相手が一刀か、よほどの無礼者でもない限りはこんなことはしないわ」
「無礼者とどっこいなのかよ俺……」
そりゃ、ある意味で王を含めたみんなを常識欠如宣言したようなものなんだろうけど、俺自身にはそんなつもりは………………そんな、つもりは………………や、な、ないですよ? ほんとですよ?
「……気心知れているし、これでは怒らないとわかっているからよ、ばか」
「ん? なんか言ったか? ばか、っていうのは聞こえたんだけど」
「あなたは……はぁ。もっとまともな部分を拾いなさいよ……」
盛大なる溜め息を吐かれた。
深く考えるあまりに、人の話を聞かないのはよくないよなぁ。
この癖、直せるように頑張ろう。
(…………ハテ)
直したら大変なことになると、心が大きな警鐘を鳴らしているのだが。
い、いいんだよな? 直すべきだよな? 人の話を聞かないのはよくないし。
それが、自分の考え事が原因なのは、俺自身も嫌だし。
よし。
考え事はしても、外の情報は聞き漏らさない俺を目指そう。
そしてもっともっと、国に返せる自分になって───なって………………
(……なんでだろう。誤解と血に塗れた未来ばかりが頭に浮かぶ……)
いやははは、気の所為気の所為っ! さ、考え事ばっかりしてないで昼だよ昼っ!
きっと腹が減ってるからヘンなことばっかり考えるんだって!
「じゃ、昼食べに行くか」
「ええ」
一応許可を貰ってから正座を解き、立ち上がると歩き出す。
他のみんなは既に向かったらしい。
訊いてみれば“食べに行く”、というのは少し違うようで、俺達には既に用意されているらしいから、そこで食べればいいのだとか。
うーん、配ってるところに行って、きっちりと盛ってもらうのもそれはそれでワクワクするもんなんだけどな。
そのことを少しだけ残念に思いながら、俺は華琳と一緒に昼餉を食べに行った。
「ところでさ。お残しがダメなら、たとえこの昼に辛いものが出てきても、華琳は食べるのか?」
「……あ、あら。なななにが言いたい、のかしら……?」
「いやほら、華琳って辛いの苦手───」
「苦手じゃないわよっ!!」
「ごめんなさいっ!?」
そう。珍しく大変動揺していらっしゃる華琳とともに、歩きました。
なんとなく心配になって訊いてみたことがあるんだが、「そういえば真桜は出てたのに、どうして凪は出てなかったんだろう」って言葉に、華琳は……
「……“自分の実力ではまだまだ敵わないので”、だそうよ。というより、あなたの前で負けるのが怖いだけかもしれないけれど」
「そっか。確かに負けるのは怖いし、あの大観衆の中じゃあ恥ずかしいかもなぁ」
「……はぁ。話を聞いてもこれだもの。あのね、一刀? 私は───、…………はぁ。まあいいわ。いきましょう」
「ん? 華琳が途中で話を止めるなんて珍しいな」
「あなた自身が改めなければ、いつまで経ってもなにを説いても同じだと思ったからよ」
「……?」
───前略、おじいさま。
話を聞いていてもわからないことってあるものですね。
なるほど。他人の理解力と、相手が求める理解とは当然のことながら一致しないことはありますもんね。
その答えに至れれば、ああなるほどと頷けるものもあります。
「あ、ところでさ。その凪だけど……今なにやってるんだ?」
「っ………」
「華琳?」
「…………は……」
「は……?」
「配給……係り、よ……」
「配給……あ、じゃあもしかして料理も流琉と凪が───だからか。今朝、凪が……」
「………」
「……あの。華琳さ───ハッ!?」
───続・前略おじいさま。
新茶が採れる季節がいつだったかをド忘れしてしまいましたので、とりあえず今ということにしておいて、新茶が美味しい季節になりましたね。
ところで今朝、僕のもとへ凪さんがやってきて、“祭りの中で辛いものを出すのはおかしいでしょうか”と訊いてきたのですが、はい。僕はそれに、“いや。どこまでの辛さに耐えられるかをみんなで競うのも、天の祭りにはあったからいいと思うぞ”と返事をしました。
僕はその時の凪さんの弾ける笑顔を忘れません。
忘れられないのですから───
「………」
「………」
どうか、配膳された食べ物は辛くないのだと信じたいのです。
なんていうかそう、自分の未来のためにも。
……さて。足取りが途端に重く、のろりと歩く中で……離れた場所から悲鳴が聞こえてきました。“辛いというか痛い”……的な言葉だったと記憶します。
『………』
ええ、お残しは許されないんです。
ならばもう、歩むしかない……!
辛きを我が身に受けようとも、歩みて明日を魁る……! きっとそれが王なのだと……
「……っ!」
凛々しくも覚悟を決めた彼女の横顔を見て、そう思ったのです。
さあ、往きましょう。
ただ今より第十仕合、辛さ対王の尊厳を始める───!!
……。
……のちに。
涼しげな顔で最後まで辛きを食し、辛くてもしっかりと味がわかることへ高評価まで出し、凪と流琉を褒めた覇王様。
そんな彼女に強引に連れられ、誰もおらぬ部屋へと辿り着くと、散ッ々と怒られました。
堪えていたであろう涙まで滲ませて、大口を開けて、まるで子供のような罵倒を繰り返す彼女の舌は真っ赤でした。
自分にしか見せない顔があるのって、なんだかんだで嬉しいよね、と思わず笑顔になってしまった途端に正座を命じられて、その上で叱られましたが。
ええ、まあその……食べる前に、凪が言ってしまったのだ。
“隊長の仰る通り、祭りということでうんと辛くしてみました!”と、弾ける笑顔でキッパリと。今でもあの瞬間のみんなの顔、忘れられそうにない。特に華琳。笑顔なのに、背後に巨大な般若面が見えたもの。
「聞きなさい一刀っ! 大体あなたはいつもいつも余計なことをっ!」
「だって、辛いの平気なんだろ?」
「限度というものが必要なことくらいわかりなさい!!」
「揚げ足取ってごめんなさい!!」
でもね、華琳。
その限度って俺が決めることじゃないと思うんだ。
だって作ったのは凪だし。
しかしそんなことを言えば、部下の不始末は上司の───とくるとわかっていたので、宥めるほかありませんでした。
「え、えと……じゃあ、休憩もあるし……その。綿菓子でも食べるか?」
「……、……説教がまだ済んでいないわ」
「ぷっ……ははっ、でも今結構考えてごめんなさい絶はやめてっ!」
じいちゃん……最近、覇王様が俺にだけどんどん遠慮無用になってるんだ。
“これって特別視?”と自惚れて、ならばと告白してみても“察しなさい”なんだ。
「………」
「……な、なによ」
……それでも好きなんだよなぁ。ほんと、しょうがない。
言ったところで“察しなさい”なら、きちんと察して受け取ろう。
好きで一緒に居たいんだから、こうして傍に居られるだけでも十分だ。
……傍に居られなかった一年間を思えば、そんなことは当然なんだから。
「じゃあ、説教が終わったら一緒に街に出るか?」
「………」
「華琳?」
「甘くて冷たいもので、熱くて仕方のない舌を休ませたいわ。一刀、あなたが作りなさい」
「へ? それって…………ははっ、りょーかい。アイスでいいか?」
「知らないわよ。あなたに任せるわ。もちろん、満足出来なければ───……わかるわね?」
「無駄にハードル上げるなよ……舌が痛いのは俺だって同じなんだから、俺だって───」
「あらだめよ。あなたが作ったものは私が頂くのだから」
「え……? じゃ、じゃあ俺の分は!?」
「知らないわよ」
ひどい! なんてひどい! ……と、この時は思ったのだが。
新鮮なものとまではいかない材料でアイスを作る中、どうしてか華琳も一緒にアイス作りをして。なにを言ってみても黙して作るもんだから、「一つじゃ足りないのか? 食いしん坊だなぁ」なんて、場を和ませるつもりで言ってみれば、鎌が喉に突きつけられました。
なのでこちらも黙して作ることにして、やがて完成すると───華琳は自分が作ったアイスを俺にくれて、俺もまた、華琳に自分が作ったアイスを渡した。
「……味比べ?」と首を傾げて言った俺に蹴りをブチ込んできた覇王様だったが、そんなやりとりをしながらも、俺の頬は緩みっぱなしだった。
(現金なヤツ)
自分で自分に呆れながらも、二人並んで座り、甘いアイスを口にした。
それは、とてもとても甘───……辛かった。
「……あの。華琳サン……? これ、中のほうが滅茶苦茶辛いんですが……?」
「限度を知らない結果というものを、一度その舌で確かめなさい」
甘い上の層に、とても辛い中身。
一口で二度美味しいとはよく言うが……甘くて痛い! なにこれ! 痛い!
なのにきちんとした味があって、しかも美味いから残せない!
「どうかしら? それだけ辛いと───」
「完・食!!」
「なっ───!?」
でもまあそこまで大きなものじゃなかったから、ぺろりと食べた。
内側からドクンドクンと体が熱くなってきてますが、きっと気の所為です。
「ふふふ……料理を好む性格が災いしたな、曹孟徳……! 辛くとも味が確かなら、食べずにはいられないのが人のサガ! まして、ここまで美味いならば残すはずもなし!」
「………」
「……って、華琳? ───痛っ!? なんか今さら口の中が熱っ! 痛っ! 辛っ!!」
格好よく返したつもりが、後からくる刺激に堪えられなくなって悶絶。
そんな俺をぽかんと見つめていた華琳だったが、しばらくすると吹き出し……珍しいこともあるもので、声を出して笑った。
普段から“ふふっ”としか笑わない彼女の印象は一気に砕け、背格好相応の笑い方をする彼女を前に、俺も笑───……い、ながら悶絶した。
く、くそういったい何入れたんだこれ……! 穏やかに微笑みたいのに涙が止まらない!
「くふふふふっ……え、ええ、そこまで胸張って美味しいというのなら、仕方ないわね。ふふふっ……本当に、仕方のないことだから、気が向いたらまた作ってあげるわよ」
「いや……辛いのは出来れば勘弁を……」
「くっ……ぷふっ、あはははははは!!」
「な……なにがそんなにおかしいんだよ……」
「だ、だってあなたっ……! あれだけ偉そうにっ……む、胸張っておいて……っ! ぷ、くふっ……あははははは!!」
「~……」
それを言われると、何も言えない自分がおりました。
思い返してみても、曹孟徳相手に偉そうに胸を張った途端に悶絶である。
ああなるほど、そりゃ笑えるな。
納得したところで盛大に落ち込むことにしました。
まあ……華琳の笑顔も見れたし、それだけで心が温かくなったりするんだから……俺ってやつは本当に……。
「……午後もがんばりますか」
笑う覇王様の横で、痛みに瞳を滲ませたままに呟いた。
いちいち格好つかないよなぁ俺……。