20/いつか、本当の笑顔で笑い合えるその日まで
ふと、意識が浮上する。
静に開いた視界で見たものは天井。
道場の天井じゃないだけ、少しマシかなって思ったのを、少し反省。
ここは宛がわれた自室だろうか……なんにせよ生きていることを喜ぼう。
「……よあいぃぃいいっ!?」
“よっ”、と起き上がろうとして激痛。掛け声と悲鳴が混ざり、おかしな声が完成した。「なに!?」と自分の体を確認してみれば、腹部が包帯ぐるぐる巻きにされている事実に驚愕。
あれ? 俺……ってそうだよ、さっき生きてることを確認したばっかりじゃないか。
「あ……そうだった。刺されたんだよな、俺」
現実的じゃなかったからか、刺されたって事実を飲み込むまで時間が要った。
いや……うん、ほんと、現実的じゃないよな。まさか自分が、って、こういう時にこそ思うものだろう。
「……うん」
でも、これだけはわかる。こうしてなんていられない。
おやっさんたちがどうなったのか、確かめに行かないと。
そう思って起き上がろうとするんだけど、痛みが勝って力が入らない。
(……よく立ってられたな、俺)
人間、無我夢中の時は案外無茶が利くようだ。
二度とごめんだ~って思うくせに、同じ状況になったらまたやりそうな自分が自分で怖い。
「はぁ……あ、そうだ。傷口に氣を集めたら治るとか、そんな漫画的なことはないだろうか」
早速集中……霧散。
「あれ?」
上手く集中が出来ない。痛みの所為? 違う、なんかこう……下半身がムズムズするっていうか。
「…………エ?」
テントがあった。
腹部ばっかり見てて気づかなかったけど、こう……寝起き特有の“おテント様”ではなく、明らかに強大な力を秘めているであろうおテント様が……!
「い、いや待て、俺は極めたはずだろ? 落ち着け~、落ち着け~……!」
あんなことがあって、目が覚めたらこんな状態って笑えない。
静まれ、鎮まれと二つの意味で落ち着かせようとするが、一向に落ち着いてくれやしない。
そこでハッと気づくが、服が刺された時のものとは違っていた。
あの服よりも若干高級感がある服で、その上着だけをはだけられた状態で寝ていたようだった。
いったい誰が着替えさせてくれたのか……って、はうあ!?
(き、着替え……させた? こんなおテント様を張っている俺を、誰かが……!?)
事実に気づくや赤面状態だ。
顔がチリチリして、今すぐ頭を抱えて七転八倒したい気分である。
い、いやいやいやいやいや!! きっとその時はおテント様を張ってなかったってきっと!
じゃなくて状況を弁えろよ俺ぇえええっ! あんなことがあった直後だぞ!? それを───……
「……待て。直後?」
……今、何時だ? いや、時計なんてないからわかるわけもない。
俺が気絶してからどれくらい経ったんだ? そもそも今日は同じ日なのか?
「………」
わからない。
わからないなら、少し冷静になろう……そう思って、水差しでもないものかと横へと視線を逸らせば、寝床の端に自分の腕枕を構え、すいよすいよと眠っている……周泰と呂蒙。
「───……うあ……」
胸がとくんと大きく鼓動する。
看病してくれたんだろうか、心配してくれたんだろうか、ありがとう、ごめんな……いろんな思いが胸に溢れ出して、申し訳ないと思う気持ちと感謝の気持ちがごっちゃになる。
そんな彼女らの頭を撫でようと手を伸ばしかけるが、ふと目に映ったおテント様がその行為を停止させる。
落ち着きなさい一刀、まずはこちらをなんとかするのが先でしょう? 自分を心配してくれた友達に、こんなものを見せつけるつもりですか?
ていうかこんな状態で頭撫でてるところを誰かに見られたら、それこそ取り返しがつかないだろ。
「よ、よーし落ち着け落ち着け……ってさっきよりも猛っていらっしゃる!?」
え、えぇえっ!? なんで!? 徹夜の修行の成果は!? 極めた俺は何処に───……ハッ!?
「………」
あの時の状態を思い出してみる。
睡眠不足で、空腹で……でも煩悩を掻き消そうと躍起になってた。
ここで問題。人間の三大欲求ってなんだったっけ?
(うあぁああああああああ…………!!)
今こそ頭を抱えて転がり回いだぁああだだだだ!!
「うぁああだだだいがががぁああ……っ!!」
痛みよりも恥ずかしさが勝り、ゴロゴロ転がり回った途端に激痛に苦しむ馬鹿者がここに誕生した。
ソ、ソウカー……ハハ、ソッカー。
俺、ただ三大欲求のうちの食欲と睡眠欲で、性欲を押さえつけてただけなんだー……。
(ぐあぁあっ……! 死にてぇっ……!)
極めた気になっていて、蓋を開けてみればこんなものである。口調が悪い? こんな時くらい勘弁してくれじいちゃん。
そして、睡眠欲が消えるまで寝ていたっていうのに、窓から見える景色が明るいってことは───今日は俺が刺された日じゃないってこと。
いったいどれほど寝ていたのか。
「………」
いや、今がいつかなんてどうでもいい。
今はおやっさんたちが心配だ。
どうする? いっそ抜け出て───……いや、それは、いいのか? 客が怪我して、手当してくれてあるのに、勝手に外に出て傷を悪化させたとあっては、いろいろ問題が……。
(……っ───)
それでも気になる。馬鹿なことしてるってわかっていながらやるんだから、本当に馬鹿だ。ごめん。あとで何度だって謝ろう。謝って済む問題じゃなくなった場合は……ああ、もう。もっと自分の立場を考えろって、俺……。これが雪蓮の言う“内側から変えること”に少しも繋がっていなかったら、民をいたずらに刺激しただけの馬鹿大使だぞ俺……。
……刺された時点で、いや。あの飯店に行った時点で手遅れだったのか。
「………でも」
ごめん、と呟いて、行動に出る。
一応、傍にあったバッグからメモとシャーペンを取り出して書き置きをして、ゆっくりと……傷口を刺激しないように起き上がる。
体に必死さが伝わったんだろうか───氣が傷口に集中し、痛みを和らげてくれた。
そうなれば起き上がることもそう難しいことじゃなく、散々騒いでおいてなんだけど、ぐっすりと眠っている周泰と呂蒙に気づかれないよう、そっと寝床から下りて歩き出す。
おテント様も自重してくれたようで、安堵の溜め息を心の底から吐きつつ、静かに部屋を抜け出た。
……まあその、窓から。
歩き回っているのを見つかったら、寝ていろって言われそうだったからだ。
(甘寧あたりにはもう気づかれてそうな気もするけどね……)
だとしても、押さえつけたりしないならありがたい。
一度こくりと頷くと、走る───ことはさすがに痛すぎて無理だったので、ゆっくりと歩いていった。
「おでかけですか?」
「ああ。おやっさんたちのことがおぉっ!?」
その途中、声を掛けられて返事をすると、にっこにこ笑顔で隣を歩く周泰さん。
……待って!? さっきあなた寝てませんでした!?
「だめですよ一刀様。応急処置はしてありますけど、しばらくは動かないようにって言われているんですからっ」
「う……いや、けどさ。街のおやっさんたちがどうなったのか、気になるっていうか……その。ね?」
「だめです」
「ちょっと見たら戻るからっ」
「だめですっ」
「そこをなんとかっ」
「だめですっ!」
頼み込めば許してくれそうな印象だったけど、さすがに無理だった。
「で、でもなー……ほらなー、気になっちゃって傷もゆっくり癒せないしなー……。ほ、ほんと、ちょっとでいいんだけどなー」
「う……で、でもでもだめです、だめなものはだめなんですっ」
「ちょっとだけだから! ほんのちょっと!」
「だめですっ」
「そこをなんとかっ!」
「だめですー!」
ぷんすかー、といった様相で怒られてしまった。
「だいたい、一刀様は今、歩き回ることだって許したくない状況なんですっ! だというのに窓から抜け出したりなんかして!」
「え? 歩くのもだめなの?」
「だめです!」
「………」
えぇとその。じゃあ。
歩かないんだったらいいのカナー、なんて。
ちょっとした試し。試しのつもりで、ひとつ訊いてみることにした。
「じゃあそのー……周泰が俺を負ぶっていく、とかは───」
「…………、───!!」
あ。なんか“はうあ!”って感じの顔で固まった。
きっと相当真面目なんだろうなぁ。歩いちゃいけないって言われたなら、歩かなければいいって穴を突かれると戸惑う、みたいな感じだ。
たぶんからかい好きな人には騙されやすいタイプ。……あれ? この場合、騙してるのって俺?
……いぃいいいやいやいや! 騙してないぞ!? 要望を口にしてるだけだし!
「で、でででもですよっ? 勝手に出て歩くと冥琳様に怒られますですっ」
「うっ……冥琳かー……」
周公瑾。
“孫呉の融通”という名の壁を担いまくっている軍師さま。
これまでも雪蓮と祭さんに振り回されてきたお陰で、問題児への容赦というものがともかくないことで有名である。……俺が振り回したわけじゃないのに、最初から容赦ゼロとかあんまりじゃないですかちょっと。恨むぞ雪蓮、祭さん。
そこだけは声を大にして言ってもいいよな? ……“俺悪くないじゃん!”
刺されたのは自業自得だけど、最初から冥琳の容赦が無いのに俺は関係ないよね!?
なんて、軽く雪蓮や祭さんへの文句を脳内で叫びつつ、実際の口では外出許可をもぎ取ろうと「ちょっとだから」「だめですっ」の応酬を続けていたら───本人が来た。雪蓮じゃなくて、祭さんが。
「なんじゃまったく、騒々しい」
酒を肩に引っ掛けるようにして、半眼でこちらをじとりと睨みながら歩いてくる。
あ、あー……こりゃ本格的に諦めるしかないかな……。
助っ人ですとばかりに祭さんに駆け寄って、事情を話す周泰を眺めつつ、諦めを胸に抱くと、「なんじゃそのくらい。気になるなら連れていけばいいだけの話じゃろうが」なんて言葉をあっさりくれた。
「えぇえっ!? でででですが歩き回るのは禁止されているのですよ!?」
「なにをけち臭いことを言っておる。北郷が少しでいいと言っとるんだから、ここで問答を続けるよりも連れて行って戻ってくるほうがよっぽど早く、手っ取り早いじゃろうが」
「あ、あうあぁあ……!」
祭さんが仲間に加わった! 百人力の説得で、周泰を説得してゆく!
いやこれ説得じゃなくて屁理屈押し付けて強引に頷かせる手法だ。しかも慣れてらっしゃる。慣れてらっしゃるってことは常習犯さんなわけで。
……上司の気が強いと、下は大変だよな……。わかるわかる。
「わ……わかりました。少し、ですからね? 一刀様。ほんと少しなんですからね?」
「周泰……! あ、ありがとう! 我が儘言って悪い!」
「いえいえですっ、そうと決まればすぐに行きましょう!」
言うや、周泰は俺を横抱きにしてみせ、「え?」なんて俺が戸惑っているうちに駆けだした。
横抱きにされた俺を見て、祭さんが笑いまくってたのが、流れる景色の中で確かに見えた。ほっといて!? 好きでお姫様抱っこされたわけじゃないから!
───……。
そしてやって来た建業の街。
暖かな賑わいを見せるそこは、誰かが刺されたとか乱闘したとか、そんな事実を忘れるかのような賑わいを見せていた。
肉まん片手に呼びかける、少しぽっちゃりした威勢のいいおばちゃん。
買い物をしていった客を送り出す服屋。
書物の整理をしているのか、バタバタと慌しく走り回る本屋。
目に映るもの全てが元気に溢れ、笑んでいた。
ただひとり、ある店の前に座りこんでボウっとしているおやっさんを除いて。
行き交う人の流れを静かに眺め、何をするでもなくボウっとしているおやっさん。
店は開いているというよりは、あの時以来開けっ放しのだったのかもしれない。
噂ってのは伝わりやすいものだ。
本人が口にしなくても、その場に居た誰かが口を滑らせるだけであっという間に広がる。
恐らくは……俺を刺したことが誰かの口から漏れたんだろう。
刺したことじゃあなかったとしても、周りから一歩引かれるような噂が。
そうでなければ、あんなにも込んでいた店を誰もが避けて通るはずもない。
「………」
でも、よかった。おやっさんがちゃんとここに居てくれて。
もしかしたら厳罰に処するとかいって、二度と会えなくなってたりしないかって不安だったんだ。
刺されたのが雪蓮とかじゃなく俺でよかった、とは言えないけど、今は───うん。心配ごとはあるにはあるけど、今はおやっさんだ。
誰にともなくそう頷くと、店の前に座りこむおやっさんのもとへと向かう。……周泰に運んでもらいつつ。
もちろんある程度近づくと下ろしてもらい、声をかける。
途端、自分は邪魔になるとでも思ったのか、周泰がシュパッと…………消えた!? え!? 消えた!? ……あ、ぁああいや、今はそれよりこっちだ、うん。こっち。
「…………? う、お、おめぇっ……!」
おやっさんは俺を見るなり───刺した感触でも思い出したのだろうか、表情を驚愕の色に染めた。
座ったまま俺を見上げる、そんなおやっさんの隣に立つと、困惑顔をしているおやっさんにとりあえずニカッと笑ってみせる。
「や、おやっさん」
「っ……無事、だったのか……」
「それはこっちの台詞だけど。よかった、処刑とかになってたらどうしようかと思ってた」
「王が……“雪蓮ちゃん”がよ……わざわざここまで来て、言ってくれたよ……。客人であり他国大使を刺した罪は重い、とさ。ただ、お前の言う“補い合う一歩目”を“見せしめ”にするのは出来れば避けたい、だそうでよ。……普通、それなりの地位に立つものなんて、ちっとでも傷をつけられりゃ、やれ死罪だなんだって言いやがるのに、お前はそれをしなかったんだから、ってな……。けどな、まあ、当然だけどよ、無罪には出来ない、追って別に下されることがあるから、それは覚悟しておけ……だとよ」
「………そっか」
雪蓮がそんなことを……って、“雪蓮ちゃん”?
「お、おやっさん? 雪蓮ちゃん、って……」
「こう呼べって言われたんだよ……民に手を伸ばすその一歩だ、ってな……。言いたいことがあるなら言ってほしい、一緒に国を善くしていこう、だとよ……」
「………」
真名を、そんなあっさりと───と思ったけど、それは俺がここに来るより前どころか、そもそも相当前のことらしい。ヘタすれば孫堅の代からそんなことを許していたのかもしれない。
「……」
おやっさんが、俺から街の雑踏へと視線を戻す。
ちらちらと行き交う人が店を、おやっさんを見るが、視線が合いそうになると慌てて目を逸らし、足早に歩いていってしまう。
「───建業で騒ぎを起こしてたやつらはよ……雪蓮ちゃんに言いたいこと言って大分すっきりしてたようだぞ」
「……? 名乗り出たのか?」
「お前を殴ったやつの大半がそうだったってだけだ……。結局騒ぐだけ騒いで、殴るだけ殴って……少しはすっきりしたんだろうさ。俺も、あいつらも」
「おやっさん……」
「けどよ……見てくれ、今の俺を。お前の言う通り、あいつの死を悲しむばっかりじゃダメだってことには気づけた。けどな……もう街に自分の居場所が無いみてぇによ……みんなが俺を、店を避けやがる。あれだけ“許せねぇ”とか“死ぬまで殴る”とか言ってたやつらまでもがだ」
「………」
黙って同じ雑踏を眺めている。
おやっさんのようには座らず、だけど同じ景色を。
そうしていると、おやっさんは長い長い溜め息を吐いたあとに口を開いた。
「あいつのために“今”を笑って過ごしてやりたい……今ならそう思えるのによ……。こんな状態で何を笑える……? 滑稽な自分を笑えばいいのか……?」
言葉のあとに、嗚咽が混じったような溜め息を吐くおやっさん。
そんな彼に、小さく言ってやる。
“それはとても簡単なことだよ”、って。
「簡単……? 簡単だったら俺は───」
「すぅっ───……みんなぁあああっ! 腹減ってないかぁーっ!?」
「うおっ!?」
おやっさんの言葉に返事をする代わりに、大きく息を吸いこんで大声を発する。
何事かと街の人たちが振り向く中で、俺は大きく手を振って自分の存在をアピールした。
「さーあ美味いよ美味いよー! 軽く食べられるものからガッツリ食べられるものまで! なんでも作れる料理屋だよー!」
「お、おいっ……!?」
当然おやっさんは困惑顔で俺を止めようとするけど、俺はその顔に向き直って笑いながら言ってやる。
「ほらっ、客が来ないなら呼びこまなきゃダメだろ? ここは休憩所じゃなくて、料理屋なんだから───なっ、親父っ!」
「───……お、や…………?」
「俺さ、結局のところ呉に来たところで自分になにが出来るのか、はっきりとわかってない。受け止めるにしたって、一人でやることには限度があるし……さ。でもさ、無理に見つけてそれをするんじゃなくて、自然に見つかったものをやっていくだけでもいいんじゃないかなって今なら思うよ」
「……? なに言って───」
「そのためにはまず言ったことを守る! 息子さんの代わりになんてなれないってのはわかってるけどさ、手伝えることなら手伝いたいって本当に思うんだから仕方ないっ!」
その一歩目として“親父”と呼ぶことを胸に刻む。
補うための第一歩として踏み出し、行なう行動の全てを笑いにするために……道化でもいい、誰かが笑える道を歩みたいと思う。
「難しく考えることなんてなにもないんだよ、親父。無駄かもしれない行動がなにかに繋がることって、俺達が気づかないだけできっといっぱいある。こんな呼びかけでも“誰か”に届けば来てくれるし、そこから増えていくかもしれない。そうしてさ、自分たちの手で少しずつ呉って国が変わっていくのって、凄いことだって思わないか?」
「! ───……」
俺の言葉におやっさん……親父は目を見開いて、俺を見たまましばらく固まっていた。
その間にも俺は呼び込みを続けて、何人か止まってくれる人に事情を説明しては、食べていかないかと促していく。
そんな中で───
「……おかしなもんだなぁ息子よぉ……。顔も性格も全然似てねぇのに……言うことばっかりがいちいちお前に似てやがる……」
すぐ隣から、やっぱり嗚咽混じりにも似た声で親父が何かを言ったんだけど、呼びかけるのに夢中で聞こえなかった。
一度気になったら知りたくて問いかけてみても、親父はどこか吹っ切れたように笑うだけで。座らせていた体を立ち上がらせると、頬をびしゃんっと叩いて呼びかけに参加してくれた。
「おらっ、そんな小さな声じゃ誰にも届かねぇぞ孺子!」
「……ははっ、ああっ! 親父こそ声が小さいんじゃないのか!? 気が沈んでた時間が長すぎて、声も出なくなったか!?」
「んーなことはねぇっ! ───おらー! 腹減ってるやつはいいから寄ってこーい!! 俺の料理が食えねぇってのかーっ!?」
「なんで喧嘩腰なんだ!? それじゃあ客が逃げるだろっ!」
「うーるせぇ! どうせ今の状態が最悪なら、これ以上悪くなんてならねぇよ! それよりおめぇも声出さねぇか!」
二人して店の前で叫ぶ。
いろんな人が逆に逃げてる気もするんだけど、そうなればたしかにヤケになるしかないわけで。
なるほど、今が最悪ならこれ以上悪くなりようがない。
それなら形振り構わず、むしろ無茶なことも言えるのだ。
「いらっしゃいいらっしゃーい! 美味いよ安……なぁ親父。この店の料理って安いのか?」
「こっ……こらこら……! それ今ここで訊くことか!?」
「い、いや……いろいろ食わされて金が足りなかった俺としては、安いのか高いのか疑問で……う、うん、まあいいや」
叫んでいく。
カラ元気でもいい、最初はそこから始めて、笑うことを少しずつ思い出して。
「おっ、そこのぼうず、腹減ってそうな顔してんなぁ。どうだ、食ってかねぇかい? 心配すんな、金ならこの兄ちゃんが」
「金ないから雑用押し付けられたんだよね!? 俺!!」
冗談半分にじゃれあうように喧嘩をしながら。
チラリとこちらを見て、そのまま素通りする人が多かったけど───
「いらっしゃーい! 手頃な値段でいい味が楽しめるよー! ……時々人を刺すけど!」
「なっ! こ、こらっ!」
「……ぶふっ! は、あっはははははは! 刺された本人と、刺した本人だーっ! でも刺された本人はこの通り元気で、刺されたことなんて気にしてないから! だから食いに来てくれ! もっともっとお互いを知っていくために!」
「…………おめぇ───」
───手を繋ぎたいなら、仏頂面はだめだ。
だから自分の気持ちを打ち明けて、笑顔で呼びかける。
すると……
「お、おい……刺されたって……あの……?」
「じゃああいつが魏から来たっていう御遣い……」
「刺したって聞いたときはもう同盟は終わりかと思ったが……」
「大丈夫……なのか? また戦が起こるなんてことはないのか……?」
いろいろな囁きが聞こえてくる。
それを受け止めながら、やがて全員の目が俺に向けられるのを確認してから口を開いた。
「みんな、聞いてほしい。戦なんて、もう起こす必要はないんだ。俺はたしかに腹を刺されたけど───こうして生きて笑っていられるなら、俺がその事実を許せるなら、どうしてまた戦をする必要があるだろう」
ひとつひとつ、丁寧に……ちゃんとみんなの耳に届くように。
「俺達は互いに、大事な家族を殺してしまったかもしれない。でも、死んでいった人たちが天下の泰平を目指して戦ったなら……今。その泰平に立っている俺達は、笑うべきなんだと思う」
伸ばした手が、たとえ今は振り払われても、いつかは届くと信じて。
「俺はこの人に、子供を死なせてしまった人たちに、無くしてしまったものを“補う”って言った。大事な家族を補うってことは無茶がすぎると思うけど……代わりにはなれないかもしれないけど。でも、どうか手を握ってほしい」
今もまだ、戦に囚われて悲しむことしかできない人に届かせるために。
「俺達はこれから国を善くしていく。そのためには王ひとりが頑張るんじゃなく、民だけが頑張るんじゃなく、国のみんなが力を合わせて頑張らなきゃいけない。それでも善くできなかったとしても、今の俺達には手を伸ばせば伸ばし返してくれる同盟国がある。だから……伸ばしてほしい。助けが欲しいって、辛いって思ったなら……迷わず声を届けてほしい。ずっとそうやって、無くしてしまったものを補っていかないか? せめて……死んでしまった人たちのことを、悲しいだけじゃない……いつか微笑みながら“自分にはこんな息子が居た”って誇れるように───」
そう。国のために武器を手にして、彼らは戦った。
それは無駄なんかじゃなかったし、むしろ誇りに思ってもいいことだった。
それを悲しむことしか出来ないなんて、あんまりじゃないか。
「死んでいった人たちは国のため、家族のため、理想のために戦った。そのことをどうか、誇りに思いこそすれ……悲しむだけしかしてやれない現状のまま、踏みとどまらないでほしい」
『………』
民のみんなが俺をじっと見る。
それは親父も同じで、だけど今度は俺を刺す前に見せた、どこか虚ろな表情じゃない。
新たな思いを心に刻むみたいに、困惑色だった表情をすっきりしたようなものに変えていた。
「あ、あー……みんな、聞いてくれ」
そんな親父が、みんなを見て口を開く。
「俺はよ、その……息子を失った悲しみで、この一年……なにをやってもだめだった。一年って長い時間、ずっとボウっと過ごしてたよ。……けどよ、この男に会って、叫びたいこと叫んで……その、刺しちまったら……俺の息子もこうして誰かを刺したんだ、斬ったんだって思っちまったら……もう、なにも憎めなかったよ……」
ざわりと民がどよめくけど、親父は続ける。
「そうだよな、誰も誰かが憎くて戦ってたんじゃあねぇ。息子たちは国のため、王の理想が眩しかったから志願したんだよ。金欲しさに立ち上がった野郎もそりゃあ居ただろうさ。でもよ……それも結局はよ、国を善くするためだったんだよ」
「親父……」
「こいつはよ、刺されても俺のことを恨みもしなかった。補うって言った言葉は守るなんて言って、俺のことを“親父”なんて呼びやがる。いつかあいつが言ってたみてぇに、“自分たちの手で呉が変わっていくのって、すごいことだって思わないか?”なんて言いやがる……」
『………』
「俺は……俺はよ、あいつが死んじまった時点で、あいつは国を変える手伝いをできなかったんじゃないかって思ってたけど……違ったんだな。違ってくれた。あいつはたしかに国を変えるために戦って、理想のために散っていったかもしれねぇが……あいつが死んでも、あいつが求めた国は作られていってるんだ。俺は……そのことを誇りこそすれ、無様に思うことも情けなく思うこともねぇ。国のために立ち上がったやつを情けなく思うなんて、そもそもしちゃあいけねぇことだったんだ」
親父の言葉が続く。
そんな中で、一人が歩くともう一人も、と……人々の足がこちらへ向く。
「俺はこいつを刺したことを後悔してる。もうこんな気持ち、誰にもさせちゃならねぇ。誰かの命を奪うのが当然の“戦”なんてもの、もう起こしちゃならねぇんだ。死んでいったやつらの……呉だけじゃあねぇ、他の国のやつらのためにも……よ」
親父にかける言葉なんてない。
ただ、その肩を何人もの人がポンッと叩き、店の中へと入っていく。
親父はそんな光景をどこか力が抜けたような顔で見て───
「よっし親父っ! 客だぞ、ホウケてないで仕事仕事っ!」
「へっ? あ、お、おうっ!」
まだ言いたいこともあったんだろうが、俺達を見る人たちの中で、この店に向かっていない人が居ないなら、もう十分なんだ。
しこりは残るかもしれないけど、完全にわかり合うのはやっぱり難しいのが人間だ。
だから、今はこれで。ゆっくりと、気づけたことの輪を広げていこう。
みんなが心から笑っていられる国にするために。
「きりきり働けよ、馬鹿息子代理!」
「ばっ……!? 馬鹿息子代理じゃなくて一刀だ! 北郷一刀! そっちこそ疲れ果てて倒れるなよっ!?」
「あぁそうかよ! だったら一刀! きりきり働けよ!」
「わかってるって!」
叫べば届く言葉がある。叫ばなきゃ届かない言葉がある。
言わないでもわかると思えるまで、俺達はどれだけの付き合いをしなければならないのだろう。
どうして付き合いが浅いのに、言わないでもわかるだろうと決め付けてしまうのだろう。
「親父!? 親父ーっ! 採譜は!? 掃除は!?」
「うおおおーっ! どうせ誰も来ねぇだろうって散らかしっぱなしだったーっ!」
「な、なんだってーっ!? うぅあどうするんだよこれ! 仕込みは!? 材料は!?」
もし決め付けてしまったことで繋げなかった手があるとしたら、それはいつか後悔に繋がるかもしれない。
そうならないためにも……届けたい言葉を口にしよう。繋ぎたい手を伸ばしていこう。
そういう小さなことから人の輪が生まれるなら、こんなことからでも国は変えていけるのだから。
「ととととにかくお客さん第一! まずは卓の整理を───!」
「おうよ! ……って、どうしてこんなに散らかってるんだよ!」
「親父たちが、俺が“御遣いだ”って言った途端に暴れ出すからだろっ!? とにかく急いで用意をいぢぃっ!? ~ツァッ……! そ、そういえば歩くの禁止って……ギャーッ! 傷口開いたーっ!!」
「うおぉおお!? 一刀ーっ!?」
そんな些細なことが出来る今を、精一杯生きていこう。
騒ぎが起きてたのは建業の街だけじゃないだろうけど、だったらこの街を第一歩にして笑顔を増やしていこう。
どんな辛さも、いつかは笑って話せる日が来るまで、ずっとずっと。
……ちなみに。無断外泊や乱闘騒ぎを起こしたこと。
刺傷事件のことや、抜け出したことについては、あとでしっかりと冥琳に怒られました。祭さんと周泰も一緒に。
今回のことは、周泰と同じく起きていたらしい呂蒙より冥琳へと伝えられ、彼女は堂々と店まで来訪。この場で雷が落ちた。
店の中で正座をしながら怒られた俺は、その迫力に怯える民のみんなを見て思った。
民と将が手を繋げる日って……いつ来るんだろうなぁ……と。
……そのさらに後に、城に戻ってから雪蓮と祭さんと周泰と呂蒙に怒られたことを追加しておく。
いや……悪かったけどさ……。祭さんはむしろ共犯みたいなもんなのに、なんで怒るのちょっと……。
あ、でも周泰にはそれはもう心から謝った。祭さんと一緒に謝りまくりました。
明らかにとばっちりだったし。