………………目が覚めた。
「………」
辺りを見てみると、自分の部屋。
隣ではすいよすいよと美羽が寝ていて、そういえば即興話をしている途中で寝てしまったことを思い出した。
腕だって激突してないし、心だって砕かれていない。もちろん酔い潰されたりもされていないのだ。
「…………夢かぁああ……」
思わず、だはぁあああと溜め息が出た。
むしろ出ないほうがおかしいだろってくらいの安堵から。
……ああうん、これは警告だな。調子には乗らないようにしよう。
“勝てたからなんだ”ってくらいに考えて、もっと自分を高めよう。
俺は弱い、俺は弱い……だからもっと自分を磨かなくちゃいけないんだ。
そう何度も自分に言い聞かせて、自己催眠にも似た覚悟をノックとともに胸に刻む。
「ん、よしっ」
それが終わればパンッと両の頬を叩いて寝台から降りる。
窓を開ければ気持ちのいい朝の空気が部屋の中に入りこんで、心を穏やかにしてくれた。
次に言う言葉を頭の中で決定させると苦笑が漏れたが、それでも構わず口にする。
今日も頑張るか。
その言葉は、朝の空気に飲まれて消えるが、俺のやる気に種火をつけるくらいには役に立ってくれた。
「美羽~、起きろ~、朝だぞ~」
向き直り、てこてこと歩いて寝台の傍へ。
そこに手をついて美羽を揺すると、「むにゃうぅう」と妙な声が漏れた。
苦笑をもらしながら、少し出ている涎をハンケチーフで拭うと、もう一度改めて揺する。……のだが、起きない。というか、嫌味ったらしいくらいに寝息が丁寧だ。これは起きている。絶対に起きている。
「………」
ハンケチーフを横に置き、きしりと寝台を軋ませて彼女の顔に唇を寄せる。
そうしてやさしい笑顔でそのまま……───語り始めた。
「それはある夜のことだった。一人の少女がふと目を覚ますと辺りは暗闇に包まれており、右か左かもわからぬほどの黒に覆われたそこでは奇妙な音がミシミシと……」
「ひやぅわぁああーっ!!」
起きた。
「ぬぬぬ主様!? なぜじゃ!? なぜそのような怖い話をするのじゃー!」
「HAHAHAHA、なにを言うか嘘寝少女さん。今のはただ月のない夜のお話をしただけだぞ? ミシミシ鳴ってたのだって風が吹いてただけだし。最初に言っただろー? ある夜のことだったー、って」
「それにしても他に言い方というものがあるであろ!?」
「言い方……その夜は暗かった」
「おお! それはとてもわかり易いのっ!」
それでいいのか。…………いいな、うん。
「よしっ、それじゃあ今日も元気に行くかっ」
「うむっ、たいそーからじゃなっ」
二人して朝から体操。
体が温まると厨房へ行き、水をもらって一息。
今日は気力充実のオフ日ということで、みんなも仕事は無しで休んでいるはずだ。
そういう時こそ騒ぎを起こす輩が居るから、休みながらも目を光らせている人の方が多いのだろう。もちろん俺も注意はしているものの、気配を尖らせすぎてもOFF日の意味がないので、柔らかく柔らかく。
「それで主様、これからなにをするのじゃ?」
これからどうするかを今正に考えていた俺の服を、くいくいと引っ張りながら言う。
そんな美羽の頭をぽふぽふと撫でつつ、さてどうするかとこちらも思案。
あんな大会のあとってこともあり、休みたいのは確かなんだが……悲しいことに、体を苛め続けることにも慣れつつある自分が居る。つまりはべつに休まなくても行動が可能です。
「軽く現実逃避したいところなんだけどなー……よし、出かけるか」
「乳を搾りにゆくのかの?」
「いや。のんびりと散歩」
きちんと自覚してからの顔合わせも含めて。
え、えーと、遠慮なく……分け隔てなく、だっけ?
呉のみんなや蜀のみんなには、魏のみんなへ向ける感情を以って接する……だったよな。
難しいことを願ってくれたよなぁ、本当に。
けど、覚悟を決めたからにはある意味吹っ切っていくべきだろう。
俺はみんなのもの。俺は国の支柱。俺は……同盟の中心に立つ柱。
俺らしく~……俺らしく~………………ん、よ、よし、たぶんきっとおそらくは大丈夫。
「よぅし行くぞ美羽ー!」
「お、おおっ? なにやら今日の主様は元気じゃの。まあよいのじゃうははははー!」
「うははははー!」
ヤケになった人はある意味で強いと思う。
そのヤケをきっちり受け止めた人はもっと強い。
ならばそのヤケ、飲み込んでくれようぞ! 難しいことを考えなきゃいけないのはこれからだ! だったらその“これから”になる前や、その隙間に存在するであろう休憩の時くらいはせめて楽しいことを考えようじゃないか! ヤケだっていいじゃない! そうじゃないとなんかもういろいろ大変そう!
なので美羽を抱え上げて肩車セットOK! 片腕だけで肩車するのは大変だったが、なんとか出来た!
扉の前ではきちんと身を縮めることを教えて聞かせ、遠慮も無しに走った。
さあゆこう、これから続く苦労と笑顔のその先へ……!
俺達の戦いは───始まったばかりだ……!
……。
そんなわけで捕まった。
うん、始まったばかりなら、そうそうぶらぶら歩いてられるわけもなかったのだ。
「………」
「………」
捕まったというか、遭遇した、というべきか。
部屋を出た先には思春が居た。
長い髪をストレートのままに、庶人服のままの姿で。
なにか用があったのだろうが、急に出てきた俺に少なからず驚いたようで、無言のままに呆然としていた。……ぬう、珍しい表情であります。じゃなくて。
「あれ? 思春? えと、なにか用事か?」
言いつつも頭の中で、思春がここに来る理由を捜してみる。
なにかないだろうか。
庶人扱いなのだから、好き勝手に城の中での行動が出来るというわけでもないだろうし……じゃああれか、華琳に何か言われたのか。
などと思っていると、思春が仰った。
「こほん。───華琳様からの命だ。本日より再び、貴様の傍へつけと言われた。当然、貴様が都へ行くことになれば私も行くことになるだろうが───」
「……えっと? なるだろうが? ていうか、え? また俺の傍に?」
急なことに戸惑うが、思春は俺の戸惑いなど知らんとばかりに話を続ける。
「貴様が断るのならそれはそれで構わん。その場合は好きにしろと言われている。もっとも、呉に行くことだけは許されてはいないが……ようするに“私の先”は貴様の決定で決まるということだ。好きにしろ」
好きにしろって…………えと、なに? なにこの状況。
好きにしろ? 好きに………………いやいやそういうアハンでイヤンな方向じゃなくて。
ここでそっちに走ったらむしろ罠が張られていると知りなさい。俺は知ってる。
華琳に言われて俺のところに来る。しかも本日づけでまた俺の護衛みたいなものになってくれるという。……もしかして俺が妙な行動に出ないようにって監視的な意味を込めて? だとしたらちょっと嬉しい……とかそんなことは忘れるとして。
つまりこれって、俺が“一緒に来てくれ”って言ったら来てくれるってことか?
それとも───
(よいところに来た。おぬしの武、我が前で存分に振るうがいい)
(も、孟徳さん!)
孟徳さんがまた妙なことを仰られた!
我が前で? 我が前───ああ!
「えと、気に入らなかったら断ってくれ。まだ出来てもいない場所だけど、都は───甘興覇殿を武官として受け入れたい。……応じて、くれますか?」
なんとなくピコーンと頭に浮かんだことを言ってみた。
するとどうだろう。俺が差し出した手に、珍しくびくりと肩を弾かせ、手と俺の顔とを何度も見比べてきた。
……アレ? もしかして違った? 孟徳さん!? なんか違ったみたいですが!? と、脳内孟徳さんにツッコミを入れた途端、思春が動きを見せた。
「~……きっ───」
「へ? あ……き、き?」
「貴様が……支柱に見合わぬと思えば、即座にその首を掻っ切る───それが条件だ」
口早にそう言うと、拒否は許さんとばかりに俺の手が握られた。
視線はそっぽを向いたまま。
しかし俺が手をきゅっと握ると、ゆっくりとだがこちらを向いて……視線を合わせた。
「よろしく、思春。なんだかんだで長い付き合いだから、一緒に居てくれて嬉しいよ」
「なっ!?」
思春がビシィと固まる。
ホワイ何故? あれ? 俺、魏のみんなと同じ態度で接してられてるよな?
……言った言葉を振り返ってみてもおかしなところは無しだ。
完全に魏のみんなに向ける感情、言葉で話せているはず。
じゃあなにがいけないのか? ……相手がいけないに決まってますよね!?
いやいや嬉しいのは確かだぞ!? 言葉に好意を乗せて喋ったのはまずかったけど!
長い付き合いなのも確かだよな!? 聞き間違えると“傍に居てくれ”って言ってるみたいだけど! ギャアやばい今さら恥ずかしい! 命令ってこともあって自分にいろいろと刻んでたのがまずかった! なにも好意まで向けることなかったんじゃないか!? あぁあああでも隔てなくそうしろって言われてるんだからこうしないとダメだしああでもそれでもギャアアアアアアア!!!!
「おぉおお!? どどどどうしたのじゃ主様! 危ないであろ!」
急に頭をぶんぶん振り出した俺に、今も肩車中の美羽がしがみついて驚いている。
そうされることで多少は冷静になれたが…………はぁあぅう……俺って……。
「ところで主様? 散歩はよいがどこへ向かうつもりなのじゃ?」
「適当にぶらぶらと……だな。思春、よかったら一緒に───…………あれ?」
握っていたはずの手に、思春の手の感触がなくなっていた。
そして目の前にも居ない思春さん。
…………ホワイ!? イリュージョン!?
気配を探ってみるも、てんでダメだった。
「…………なんだったんだろ」
「うみゅ? ………………知らんのじゃ」
そりゃそうだった。
……。
散歩である。
適当に歩き、知り合いが居れば声をかける。
肩車状態であったためか、様々な目で見られたが、べつに気にするほどでもない。
それどころか途中で美以に背中にしがみつかれ、鈴々に右腕にしがみつかれ、それを見た季衣が怒りつつも左腕に痛ァァァァ!?
……などということもあり、現在は美羽だけを肩車した状態で歩いている。
激痛による涙なしでは語れない時間だった。
「主様は誰からも挨拶されるの。みな笑顔なのは良いことなのじゃ」
「って、七乃が言ってたのか?」
「うむっ! 時折、“りちてき”な妾を見せることで、主様からの評価がぐんぐん上がると言われたのじゃ! ……上がったかの?」
「ああ。“美羽のは”な」
「おおっ、そうであろそうであろっ♪」
七乃の評価は下がった。気にしないでGOだ。
そんなわけで散歩&顔合わせを続けた。
気持ちを切り替えるのにはいろいろと必要なんだ、ツッコまないでやってくれ。
「ふぅむ……仲良く、皆に話かけられるのは悪くないものじゃの……」
「ん、そうだな」
「…………妾も……そうありたいものじゃの」
「今からでも十分間に合うだろ。少し頑張ってみたらどうだ?」
「うみゅ……そ、そうかの」
「踏み出す一歩が肝心らしいよ。じいちゃんの受け売りだけど」
「祖父殿? 主様の祖父殿ならきっとやさしいのじゃ」
「いやー……どうだろうなー……。まあ、何かをしたいなら、まずは一番難しいことからするのが一番だ、っていうのがじいちゃんの考え方だな。難しいのを終わらせれば、あとの問題なんて無いみたいなもんだって言ってた。そのくせ基礎がどうのと人の頭をぼこぼこと……」
途中から愚痴がこぼれたが、美羽は俺の頭の上で考え事をしているようだった。
「一番難しいことから……う、うみゅうぅう……」と、なにやら唸っている。
……雪蓮のことでも考えているのだろうか。
雪蓮に、美羽との仲直りのことについてを聞いてから、美羽の前で雪蓮の話を増やすことを、少しだけ意識した。
美羽はよく難しい顔をしていたが、それでも話は最後まで聞いた。
基本はいい子なんだよな。ただ、我が侭放題に育ったってだけで。
「まあ、なにか勢いに乗れる状況が来たら、勢いのままにやってみるのもいいと思うぞ」
「い、勢いか。なるほどの、うむ」
歩きながらそんなことを話す。頭の中では別のことも考えながら。
とにかく一度、自分の中のみんなを見る目を変える必要がある。
華雄が言うように支柱になった途端にみんなを愛する権利が生まれるわけじゃない。
けど、そういうことも前提に置いた覚悟は、早めに胸に刻んでおいて損はない。もちろんそういうのが必要じゃないと言ってくれるなら───ああいやいや、一方に傾いたらだめだ。そのために会いに行くんじゃないか。
そんな、自分革命とも思えることを実行するための散歩を続けているのだが……
「おう北郷。曹操から聞いたぞ? ついに三国の父になる覚悟を決めたそうじゃのう」
と祭さんに背中を叩かれたり、
「うふふ……璃々にはいつ、新しいお父さんを紹介しましょうか」
と悪戯っぽい顔で微笑む紫苑に服を直されたり、
「ふふっ……これで、騒いでばかりのじゃじゃ馬どもも、少しは落ち着くだろうて」
にんまりと笑う桔梗に酒を飲まされたりと……なんだか奇妙なことになってい───
「あっ、一刀一刀~♪ 一緒に町まで買い物いかない~?」
───た、締めようとしたところで雪蓮に捕まったり、
「北郷ぉ!! 私と戦えぇっ!!」
そこへやってきた、金剛爆斧(本物)を片手に仁王立つ華雄さんに勝負を挑まれたり、
「はうわ! かかかっかか一刀しゃん!」
逃げ出した先で、なにやら怪しげな書物を抱えた朱里と遭遇してしまったり、
「あわっ……!? しゅ、朱里ちゃん……!?」
逃げてる最中だったので、朱里を抱えて適当な部屋に入ってみれば、そこに雛里が居て、
「ふ、ふおお……!? な、なんなのじゃ!? これはなんなのじゃ主様……!」
出ていくわけにもいかず、結局は例の書物を見るはめになり、口では言えないようなことを美羽に何度も訊かれて泣きそうになったり……
「なぁ白蓮……散歩ってこんなに辛いものだったっけ……」
「いや、いきなり言われてもな」
詳しく言えるわけもなく抜け出し、走った先に居た白蓮に声をかけ、遠い目をした。
逃げる際に美羽を置き去りにしてきてしまったが……くっ、美羽……キミの尊い犠牲は、決して忘れな───
「くくく、北郷……見つけたぞぉ……!」
……ごめん忘れる。
あっさりと華雄に捕まった俺は、事情を訊いてくる白蓮に極上のガイアスマイルをプレゼントした。……本気でわからないって顔をされた。
「ふふふ、白蓮? ガイアスマイルっていうのはね? 地下闘技場に現れたガイアが最初に見せた、よくわからないけど何故か極上だった笑顔のことをいうんだ。あの時ガイアが何を思ってスマイルだったのかはきっと誰にもわからないんだろうなぁ…………というわけで助けてぇええええっ!!」
引きずられてゆく。
恐怖のあまりによくわからない説明をしてしまった俺に、白蓮が向けてくれたのは儚げな笑顔だけだった。まあその、つまり“がんばれ”ってことらしい。
支柱、頑張り中───
やるからには全力ということで、胴着と木刀を装備して華雄とぶつかった。
左腕には氣を通すことで痛みを我慢し、そう、それこそ全力で。
下手な小細工を用いれば華雄は納得しないだろうから、それはもう自分が出せる全力でぶつかった。
振るわれる攻撃を真っ向から受け止め弾き、隙を探しては剛の撃で返す。
痛みで心が折れかける中でも歯を食い縛って攻撃を続けた結果……
「はごぉ!?」
「うわっ!?」
……華雄が後ろから殴られた。
頭を押さえながら振り向く華雄だったが、その先に居るコメカミをぴくぴくと痙攣させている霞を見て顔を引き攣らせた。
「華~雄~……♪ ……おんどれなにしくさっとんねぇええええん!!!」
「い、いやこれは」
「やっぱええわ黙り!! 骨にヒビ入っとる一刀に挑戦なんぞしくさって! おんどれそれで勝って嬉しいんか!? あーもーうだうだ言うのも無しや! とっとと構えんかい!」
「なに……!? お前が代わりに戦うとでもいうのか? ───いいだろう、中々の手応えだったが、やはり腕を壊した者と戦って勝ったところで───」
「やるゆーたな? んじゃ恋、こてんぱんにしたり」
「……する」
「なぁあああーっ!?」
そして、コメカミ躍動中の霞の、そのまた後ろには、どこか目をぎらつかせた恋さん。
既に手には方天画戟が握られており、それをゴフォォゥンと振り回して肩に担ぐと、すたりすたりと華雄へ向けて歩き出す。
「あ、い、いや、だな、わわ、私は霞とやると言ったのであってだな───」
「ほー。華雄は一刀が何かゆーて、その言葉をきち~んと聞いてやったんかー?」
「うぐっ!」
「うちには“助けてー”と叫んどったようにしか聞こえへんかったんやけどなぁ」
「聞いてたなら助けよう!?」
「助けよー思たら一刀が男の顔するもんやから、止めるに止められんかったんやもん。覚悟決めた時の一刀の顔、ウチ好きやし」
「ぐっ……そ、そうか」
真正面から好きとか言われると、それ以上言えなくなった。
わかってて言ってるんだとしたら、随分と人のことを知ってらっしゃる。
そして───
「くっ……いいぞやってやる! 我が剛撃、一撃にして───」
「……遅い」
よく晴れたその日。
一人の女性が大空を舞った。