しばらくは空元気に走る日々が続いた。
魏のみんなも気を使ってか、いろいろと付き合ってくれる。
そんなみんなも段々と遠慮が無くなって、やがてまた俺が振り回されるようになる頃には、俺も……気持ちの整理がつけられていた。
「人が死ぬたびにそれでは、身が保たんぞ」
「ラーメン一つ! タマゴ入れて!」
「聞け」
空元気は未だ空元気に近かったものの、少しヤケが入るとあとは回復に向かうだけだと誰かが言った。
実際に俺もヤケが入り始めていて、昼の休憩に入ると思春を連れて街へ降りた。
で、ラーメン屋だ。
「はは……まあ、わかっては居るんだけど……人死には辛いよ。だからってなんでもかんでも許していいってわけでもない。いろいろ考える時間があって、随分と考えたけどさ。やっぱり……殺したり奪ったりしたなら、殺されても文句は言えない。それがわかってたから命乞いもしないで死んだんじゃないかなって思うんだ」
「ただの山賊としての小さな意地だろう。そこには誇りもなにもない。叫びたくなかったから叫ばなかっただけだ」
「そうかな」
「徒党を組まねば人を傷つけることも出来ない輩どもの集まりだ。許されたところで楽な方向を目指し、再び刃を握るだけだろう。私は奴らではないから罪の意識が全く無かったなどと断言は出来ないが、錦帆賊としての自分で言うのなら、賊として好き勝手にやっていたのなら、裁かれる時は素直に裁かれる。それが、糧を奪い、好き勝手に振る舞った代償というものだ」
「………」
「お前がわざわざ気にすることではない。……全てを救うことなど、無理なのだから」
「……うん」
わかってはいる。
ただ、やっぱり悔しかった。
支柱になれば出来ることが増えて、きっと国に返すことも多くなるだろうと思っていた矢先にこんなことが起きた。
そういうものを乗り越えなくちゃ辿り着けない場所にある平和っていうのが、ひどく遠い場所にある宝のように思えてしまうのだ。
手を伸ばしても届かないんじゃないか。
歩いても無駄なんじゃないか。
……今までなにも起きなかったのに、自分が何かを請け負ったときだけとんでもないことが起きた───そんな感覚を思い出す。
全てを救うのが無理だなんてことは、随分前に気づいたこと。
だから手の届く範囲の何かを救って、届かないところへは手を繋いだ誰かと救おうと、そう思っていた筈なのに。
「……手が届いたのに……救えなかったんだよな……俺」
呉で刺されて騒動が起きた。
蜀で初犯の山賊たちをなんとか抑える騒動が起きた。
そのどれもがなんとか治まってくれたけど……今回は救うことが出来なかった。
自分なら出来るって慢心していつもりはなかったのに、心のどこかで“きっとなんとかなる”って思いがあったのだろう。だから悔しい。
「………」
散々と悩んだ。
悩んだが、悔しいって思いは消えない。
偽善か? 偽善だろう。
悪事を働かれた人にしてみれば、バカかお前はで終わる考えだろう。
「へいおまちっ」
ラーメンが目の前に置かれる。
タマゴを落としてからスープをかけたのか、周囲が薄く白んでいる。いい仕事だ。
……じゃなくて。
「……はぁ」
深呼吸。
ラーメンの香りが肺を満たした。でもなくて。
……少しずつでいいから元気になろう。
悪事を働いたなら、裁かれる覚悟は当然あって、そうしたから裁かれた。
それだけなんだから。
「ずぞぞー……」
「わざわざ自分で言うな」
「細かいツッコミが欲しかったんだ……うん。よしっ、張り切っていこう! オヤジさんラーメン追加! 今すぐに食べるから! もちろん味わいつつ!」
「あいよっ!」
「食べる前から追加か……」
「思春。ヤケ食いという言葉がある。ヤケになったら食うべきなんだ。胃に血を送って、一度考えることから休みたいだけとも言う」
「逃避か」
「準備だよ、準備。血が胃から戻ったら、前向きになる。……考えなくてもいいことまで考えるヤツってさ、いろいろやらなきゃ前を向けないんだ」
ただ……張三姉妹やアニキさんたちは受け入れられて、彼らはダメだった。
その事実が、魚の骨のように喉に刺さって取れなかった。
もっと早くに……同じ時期に捕まえていたなら、出来る対処も違ったのかなと思うと、やるせない気持ちがどうしても浮かんできた。
……。
空元気を越えて、ようやく自分の日常に戻る。
拳をギュッと握ったり脱力させたりして、今何をしているのかといえば、凪との鍛錬。
「フラッシュピストンマッハパァーンチ!! ハァーウ!!」
一言で言えば氣の循環速度の向上を目指したものだ。
拳を突き出すのと戻すのを氣だけで行い、腕の筋などはあくまで脱力させて、速度を上げる練習。
拳はキュッと握り締めたままなので、速度が乗った状態で当てればそりゃ痛い。
……ああ、もちろん叫んだ技の名前に意味はない。
「スーパーウルトラグレートデリシャスワンダフルボンバァーッ!!」
ただまあ、あれだ。
ただ拳を突き出しまくるだけだとこう、勢いが足りないというか。
思春なんかは「空元気が行き過ぎたか……」と、可哀相な人を見る目で見てきているわけだが……それでもなんだかんだで傍に居てくれることにありがとうを伝えたい。
なので伝えたら怒られた。なんでだ。
「た、隊長っ……脱力、脱力をっ……!」
「はうあ!?」
いつの間にか力んでいた。
うーん……叫ぶのはいいけど、無駄に力が入ってしまう。
や、叫ばなきゃいいだけのことだし、集中するなら余計に叫ばなければいいんだが。
たとえば叫びながら集中しなきゃいけない時があったとして、俺はそれでいいのか?
否である、実に否である。
いっそ様々を受け入れ、乗り越え、様々を興じる華琳とともにその頂を目指すつもりで、この老いることを知らないかもしれない体で歩み続ける覚悟を……!!
そうすれば、死んでしまう人ももっと減らせるのではと……そんなことを考えた。
「凪!」
「! はいっ! 隊長!」
突然の声にビッと姿勢を正し、俺の目を見る凪。
そんな彼女に向けて構え、「実戦で体術を教えてくれ」と言った。
戸惑う凪だったが、俺が目を逸らさずに言っていることに気づき、すぐに目を鋭くする。
敵わなくてもいい。今の自分を真正面から叩き伏せてほしかった。
叩きのめされてから立ち上がれば、今よりもっと視界が広がる気がしギャアアアアアアアア!!
……。
凪との鍛錬を始めてどれほどか。
大方の予想通り一方的に攻撃される身となったわけだが、最近は反撃してカウンターをくらうようになった。……あれ? これって進歩か? しかしながらいつでも木刀を持っていられるわけでもないので、これはこれでいいと思っている。いや、殴られるのがって意味じゃなくて。
「コォオオオオッ……! 覇王! 翔吼拳!」
氣の行使も相変わらずだ。
自分には氣しかないと気づいてからは、“全ての行動を氣で行う意識”を自然に出せるようにしてきた。
お陰で氣だけは……氣だけは随分と膨れ上がっている。
両手から放った氣が一つの大きな塊となって凪を襲う。
しかし凪はそれに自分の氣弾をぶつけると、あっさり破壊してみせた。
「んむー……大きいのはいいんだけど、見掛け倒しにしかならないかぁ……」
「いえ、錬氣は上手く出来ています。ただ、氣の塊の中心がひどく脆いです」
「うん、まあ両手から出すんだから、どうしても上下だけ強化されてるよな」
接着というとヘンな響きだが、氣の結合面が脆い。
だからそこに氣をぶつけてやれば、塊としての存在は壊れ、放った氣も霧散してしまう。
「けど、やっぱり体術っていいな。いつも木刀があるとは限らないからって習い始めたけど、これはいい」
「そ、そうですかっ? そうですよねっ!」
「え? あ、う、うん」
体術は素晴らしい。そう言うと、凪は目を輝かせた。
おお……笑顔だ。
「では隊長! 早速型の調整を!」
「いや凪、お前、仕事は───」
「………」
うあ……今度は凄く残念そうな顔に……。
「ま、まあまあ、また今度手が空いてたら、その時に教えてくれ。時間さえ空いてれば、もう三日毎じゃなくても鍛錬出来るから。……あくまで氣の鍛錬だけだけど」
「あっ……はいっ!」
そしてまた笑顔。
感情の起伏の激しい子だ……とは、きっと言っちゃいけないんだろうなぁ。
言ったら真っ赤になりそうだし。
(……うん)
山賊のことも随分と割り切れた。
この世界で生きていくなら慣れなければいけないことだ。
ただそれが、“華琳とともに天下を目指している”という理由がないだけで、ここまで重いとは思ってなかった。
(“天下のためだから”って割り切る理由が欲しかったのかな……いや)
じゃあどうすればいいのか。
……この平和を守るためって考えればいい。
そんな単純なことに気づけなかった。
とは思うが、気づけたとして、人の死になんて慣れたくもなかったのも事実だった。
……。
都の完成を目指し、三国の工夫たちが集う場所がある。
とある寒い日、三国からして中心部にある国境。そこに鎚を落とす音が響いた。
とはいっても建築を始めてから随分と経つわけだが、今は俺もそこに参加している。
鎚を振るうのは稀だ。
俺がやるのはもっぱら、氣動自転車で資材を運ぶこと。
なにせ荷馬車も労力も大して必要にならないとくるなら、利用しない手はない。
……もちろん、俺は疲れるんだけどさ。
ともあれ、建築の場というのは忙しいけど楽しい。
休憩時間などには余った木材で矢などを削り、持ってきていた弓を使って弓術の鍛錬なぞをしてみたりするのだが、やはり上手くいかない。
溜め息を吐く俺に、思春が言った。「お前には目標を潰す覚悟が足りない」と。
……なんとなくわかってはいたことだけど、やっぱりそれなんだろう。
射る標的が大木につけた目印だろうと、それが敵の命を奪うかもという意識が自分を止めようとするやもしれぬというのだ。
深層意識っていうのは案外バカに出来ない。
「これでよしっ……と! 他になにか必要なもの、あるかー!?」
「おー! こっちはそれで十分でさー!」
「ありがとぉごぜぇやす御遣い様ー!」
「“様”はやめろというのに!!」
それはそれとして手伝いだ。今では工夫の連中とも気軽に話す仲。
以前様子を見に来た冥琳に、“お前に民たちとの立場の差など、説いても無駄なのだろうな”と溜め息を吐かれたほどだ。
もちろん、そういうのは王様たちに任せるべきだ。
俺としてはこうしてみんなと愉快に生きていられたほうがいい。
「それ重いぞー! 気をつけろよ新入りー!」
「へ、へい!」
「おっ」
と、そんなことをぼんやりと考えていると、新入りらしい若者が綺麗に切られた木を持とうとしていた。
それを手伝うと、「すいやせん」と苦笑いの若者。
なんでもようやく働けるくらいになったから、親のために働いているのだと。
「いつか腕あげて、家を建て直してやりてぇんでさ! 頑張りますぜ!」
威勢がいい青年だった。
へへっ、なんて言って鼻をこすり、手についた汚れが顔についてもその笑顔が変わることはない。
他の工夫に呼ばれて元気にすっ飛んでいく姿を見ると、他人事みたいに“若いっていいなぁ”なんてことを思うのだ。うん、俺も若いけど。体が成長しないって理解してしまったからかなぁ……心がどんどんと老人になっていく気分だ。
「それとも氣を使いまくってるからか? ……まあいいか。心は老いても童心忘れず。俺も頑張ろう」
言って、青年が走っていった方向へ自分も走り出す。
というか、呼ばれたからって木材置いて走っていかないでくれ青年。