141/何かのきっかけは、いつも近くに潜んでいるもの
時間はそんな調子で流れていった。
「兄ちゃーん! ほらほら早く早くー!」
「おいちょっ……案内頼んでおいて突っ走るなー!」
「もうっ! 季衣ー!? 兄様を困らせないのー!」
各国の将らが代わる代わる訪れて、各国や都の実りになるためのことを提案、または成して戻ってゆく日々。
「にゃははははっ! おじさん、ラーメンおかわりなのだっ!」
「なっ!? ま、まだ食うってか! ……っへへ、気に入ったぜぇ嬢ちゃん!」
「金……足りるかなぁ……」
「申し訳ありません一刀殿……」
「いや、愛紗が謝ることじゃないでしょ……。全てはこの北郷めの油断ゆえのこと……。くうっ……ダッシュ競争で負けた方が奢るなんて言わなければ……!」
「食べ物が絡むと強いですから、鈴々は」
「今実感してるところ……」
それらが実りを結ぶ度に都は大きくなり、人も増えて絆も増えて、みんなの笑顔も増えてゆく。
「だからね? 美しい華琳さま───曹操さまがその手で料理を5品作りました。食べる野獣夏侯惇はそれを独り占めしようとしますが、卓に居る者は3人。どう分ければいいでしょう」
「ぼくがたべるー!」
「わたしもー!」
「ああもう違うって言ってるでしょ!? つまりこの野獣が───!」
「うつくしいそうそうさまはやさしいから、やじゅうさんにぜんぶあげちゃうのー!」
「美しいと言ったところは褒めてあげる。でも野獣には躾けだけで十分よ!」
「えー?」
「やじゅうさんかわいそー」
「かーいそー……」
「ふん、いいのよそれで。つまり野獣の分は抜かすから、この場合は美しい曹操さまが料理のうちの4を取って、一つはもう一人に。つまり可愛らしく従順な筍彧に渡るという───」
「桂花……お前って懲りないなぁ……」
「うるさいわね
「あ、春蘭」
「ひぅ!? ななななによやる気!? やるならやりなさいよ北郷を!!」
「いや冗談だから……ってなんで俺がやることになるんだよ!」
「うるさいわね野獣!」
「……お前ってほんと、ブレないよなぁ」
それらの変化にも慣れてくる頃には仕事の数も減り、それぞれが新しい環境に慣れることで問題も無くなっていった。
「璃々ちゃんは物覚えがいいなぁ。春ら───どこかの誰かにも見習ってほしいくらいだ」
「えへへー」
「おうおう、だらしなく顔を緩ませおって。北郷はあれじゃのう、子供を持つと牙を無くす人種じゃな」
「え……そ、そうかな。んー……そう言う祭さんはどう? やっぱり厳しくしつつも褒めるところは褒めるみたいな?」
「うん? 儂か? 儂は───」
「あら。祭さんならきっと、育児は旦那様に任せてお酒ばかり飲んでいますわ」
「あ、凄い説得力」
「むぐっ……好き勝手言いおって……!」
「はっはっは、そうよなぁ。この中で育児に向いておる者など、紫苑くらいしかおらんな」
「桔梗は? なんだかんだで子供には甘そうな印象があるんだけど」
「うふふ……ええ、実はその通りなんです。桔梗は口ではいろいろ言いながら、子供を甘やかしてしまって……」
「ぐっ……い、いや、そんなことはなかろう? 甘やかすことなど───」
「つい先日、ここへ来る前。いいと言っているのに璃々に饅頭を買ってあげたのは誰だったかしら……」
「うぐっ!?」
「祭さんも、一刀さんと大事な話があるから璃々の面倒を見てほしいと頼んだのに……張勲さんに誘われるままに、一刀さんが作っているお酒を見にいっていたとか」
「ぬあっ!? い、いや、あれはじゃな……!」
「……璃々ちゃん、覚えておくんだ。こういう状況のことを、“母は強し”って言う」
「はははつよしー?」
「ああ。お母さんはな、強いんだ」
「うんっ、おかーさんつよいー!」
「ほ、北郷! 笑っておらんでなんとかせい!」
「紫苑は説教が始まるとねちねちとしつこくてかなわんのだ!」
「あっはっはっは、なに言ってるのさ祭さん、桔梗。俺がそうやって助けを求めても笑って済ませるじゃないか」
「こういう時に女を守ってこその男だとは思わんのかっ!」
「それってただの“女性にとっての便利な男”ってだけでしょ!? ……うあああああ! 言ってて自分が立ってる今の環境とあまり変わらないだろって思ってしまった!」
「みつかいさま、げんきだしてー?」
都が“開発はひとまずここまでで十分”というほどまでに発展を見せると、思い出すこともある。
誰かとああいうことをするのは、都が安定してから。
そんなことを思い出す度に華琳のことを思い出す自分が居たのだが……自制してきた反動か、やたらとそういうことを意識するようになってしまった。
「はぁあ……」
「む? どうされた、急に溜め息など」
「あ……ごめん、警邏中なのに」
「いや、それは構いませぬが。しかし支柱自らが警邏など、随分と平和な都ですな」
「一人ですることは思春にも華雄にも禁止されてるよ。今は星と一緒だからこうしているわけだし」
「ほう? だというのに溜め息とは。北郷殿は私と居るのは退屈か?」
「や、そういうことじゃなくてさ。いろいろと考えることがあってねー……」
「ふむ?」
「えっ……と……実は───」
戻ってきてからの最初の相手は華琳がいい。
そんな想いを抱いていた俺なのだが、いざ都が安定に向かうと、どう切り出したものかと考えたりなんだりで、妙に落ち着かない。
そういったソワソワした感覚は皆も感じていたようで、会う人会う人それぞれが心配してくれた。申し訳ない。
「はっはっは! なるほどなるほど! 北郷殿は経験豊富と聞いたが、初心であるなぁ! はっはっはっは!」
「はぁ……まあ、笑われるとは思ってたよ……」
「いやいやっ、ある意味では見事な忠誠。そこまで思われている曹操殿が羨ましいくらいですな。いやしかしっ……ぷふっ! はっはっはっはっはっは!」
誰かに話してみれば、それはもう盛大に笑われた。
しかし応援もされて、なんというか物凄い微妙な気分になったのは言うまでもない。
「ふーん? じゃあやっぱり最初は華琳となんだ。一刀ってばほんと、そういうところでは頑固よねー」
「魏のためにー……って、頑張ってきたんだから、こればっかりはね。支柱云々以前の問題だし、というか真面目に考えると物凄く恥ずかしい……」
「はぁ~あ……代わる代わる、都に来る将に甘言吐いて骨抜きにしてる支柱が、中身はこれだもの」
「や、骨抜きになんてしてないだろ。手伝ってくれたことに感謝するのは当たり前だし、お礼に贈り物したり買い物に付き合ったりするのだって当然だ」
「自覚のない甘言だから困るのよ。で? 華琳とはいつするの?」
「真正面からなんてこと言いやがりますか、この元呉王様は」
「することに変わりはないでしょー? だから教えて? ね? ほら」
「そんなの俺にだってわかるもんか。つか、それ聞いてどうするつもりだよ」
「華琳が“鳴く”のって、聞いてみたいじゃない? だから気配を消して盗み聞き───」
「国へ帰れ!!」
まあともかく。
そんな、むず痒い日々が悶々と続いたのだ。
目覚めた朝に大変な過ちを犯すなんてことは、今のところはない。今のところは。
ただ、こうして意識し始めると難しいのが男といふものでありまして。
「はぁああ……」
「う、うみゅ? 主様? 何ゆえに妾の頭を撫でながら溜め息を吐くのかの」
「いや……落ち着くなぁって」
「おおっ、それは新発見よのっ! 妾の頭を撫でることで主様が落ち着くなら、好きなだけ撫でてたもっ!」
「そうして油断させておいて、ゆくゆくはお嬢様をぺろりと───」
「いただきません。そして何処から沸いて出やがりましたかそこの陰謀軍師」
「いえいえ、少し報告をと。きちんと“のっく”もしたんですけど、ちっとも返事がないので勝手に入らせてもらいました」
「……鍵閉めてなかったか。まあいいや、それで?」
「はいはいそれでですね? 都も大分落ち着いて、各国との交流も深くなったじゃないですか。民のみなさんから“過ごし易くなった”とお礼の言葉をいただきましてねー」
「みんなが慣れてくれれば他のみんなの仕事も減ってくれるからなぁ……効率的な意味で。むしろ今までが不安定すぎただけだって」
「まあそれは過ぎたことなので。えぇと、実は民の一部から献上物がありまして」
「献上物?」
「家の倉から出てきた古い物だそうで、よかったら受け取ってほしいそうですよ」
「古い、って……古の剣とか?」
「いえいえ飲み物だそうです」
「大丈夫なのか!? それ!」
「もしや熟成された蜂蜜水かの!?」
「美羽。もし蜂蜜水だったら、高い確率で腐ってると思うぞ」
「なんじゃとー!? 蜂蜜水を粗末にするとは許せぬやつじゃの!」
「……あとな、蜂蜜水って決まったわけじゃないから」
今にして思えば……これがとある出来事のきっかけになったわけだなぁ……。
いつも心と思考の片隅に華琳が居て、妙に落ち着かなくなってしまった俺。
それは───日々を悶々と過ごすようになってしまった俺が、華琳が都に視察に来るということを耳にした、少しあとのことだった。
───……。
そわそわそわそわ……!
「ア、ア、アウゥウ……!」
「あのー、一刀さん? 気持ち悪いですから落ち着いてくれません?」
「また直球だなおい!」
ある、夏が訪れようとしている暖かい日の自室。
今日はそう……華琳が都へ視察に来る日。
言伝を頼まれ、早馬に乗ってきた兵を迎え、歓迎したのち……それからの日々を抑えきれない思いを胸に過ごしてきた。
まだ朝も早い今……俺の心はてんで落ち着きを見せぬまま。
だがもう決めてあることがある。
今日、華琳に視察をしてもらって……都の発展と安定を認められたら、彼女にもう一度告白しようと思っている。
そ、それでその後は、夜をともに、って……ねぇ? う、ううう……! 考えてたらまたそわそわが……!
「アウー!」
「だから落ち着いてください? というかなんですかー? その奇声は」
「落ち着かないんだって! ああもう喉が渇く……! み、水……!」
自分で落ち着きが無いと自覚しながら、緊張のために渇いてしまう喉を潤す。
何杯目かはもう忘れた。飲みすぎて厠に行った回数も結構であり、つい先ほども厠に……って、あれ? 俺、水注いでたっけ? 入ってたからそのまま飲んじゃったけど…………あれ? まあいいか、七乃か美羽が気を利かせてくれたに違いない。
「そんなに喉が渇くなら、もういっそ川で待機しちゃってみるのも手じゃないですかねー。お水飲み放題ですし。……それにしても、到着と同時に視察を開始するつもりだから迎えはいい、だなんて……曹操さんも相変わらずというかなんというか」
「はぁ……そうなんだ、お陰で一層不安なんだよ……。今こうしてる間にも、もう到着して視察してるかもしれない……!」
こここっここ告白の言葉はどんなものがいいだろう!?
ああいや待て! まだ安定を認められたわけじゃないんだぞ!?
あれ? でもその場合、こんな悶々とした気持ちのまま、安定が認められるまで───いやいやいや! その時はその時だ! 煩悩など再び消し去ってくれましょうぞ!
だから落ち着いてください俺の心臓。
「大丈夫なのじゃ主様。主様や皆が頑張って栄を目指した都じゃ。それが早々、認められぬ方向に発展するはずがなかろ?」
「ん…………だな、そうだよな。まず俺が信じないとだよな」
「信じ、成功した暁には曹操さんと性交───」
「はいそこストップ!! それ以上いけない!! ていうか七乃! 仕事は!?」
「途中ですね。ほら、以前言っていた献上物の整理です。華雄さんに頼んでおいたんですけど、大雑把にやって壊してしまいそうだったので、今は私が」
「あぁ……そういえばあれ、結局なんだったんだろな。飲み物だって言ってたっけ?」
「はい、丁度ここに持ってきて───…………」
……? 喋り途中だった七乃が、びしりと固まった。
その視線は机のほうに向いており、そこには俺が飲んだ湯飲みが。
「あ、あのー……一刀さん? あの湯飲みはどこから……」
「え? や、丁度水が入ってたから飲んじゃってもいいかなーって。七乃が淹れてくれてたのか? ありが───」
……。今度は俺がびしりと固まる番だった。
この流れって。沈黙って。つまり……そういうこと?
「エート七乃サン。つかぬことをお訊きしますが……」
「はあ、あの……死んだりするようなものではない筈なので、大丈夫だとは思いますが」
「う、うみゅ? 七乃、先ほどの水がどうかしたのかの……?」
「実はそのー……献上物が少し混ざった飲み物だったりしちゃいまして」
「普通に俺にって淹れてくれたものだと思ってたんですけど!?」
「頼まれなきゃやりませんよ? 頼まれても嫌なら断りますし」
「いろいろ問題ありまくりだろお前……って、え? じゃあ……?」
なにやら嫌な汗がダラダラと出てきた。
え? いや……え?
もしかしなくても本当に俺……飲んだ?
「本当は少し舐めて、効果を調べるはずだったんですけどね。手間が省けたと喜ぶべきなのでしょうか、土葬の準備をするべきなのでしょうか……」
「え!? 俺死ぬの!?」
「いえいえ、毒の類でしたら飲んだ時点でなにかしらの反応があると思いますよ」
「そ、そっか、そうだよな……ってちょっと待とう!? “少し舐めて効果を調べる”って言ったのに、なんで結構な量が注がれていたんで!? これ俺が水飲むために用意しといた湯飲みだよね!?」
「い、いえいえいえっ、ですから大丈夫ですよっ。それはほぼ水で、古の飲み物は数滴垂らしただけですからっ」
「……輝く瞳で言われても説得力が無いんだが……」
「一応付属されていた書物に、効果らしきものも書いてありましたし、そもそも私が飲もうとしていたものを一刀さんが飲んじゃったんじゃないですか」
「じっ……自分の机に置かれた水を飲むなと言われても! って……う、んん……? あれ……ちょっと気分悪くなってきた……。トイ……厠行ってくる……」
「曹操さんがいらっしゃったら、厠で盛大に吐いていると───」
「言わんでいいっ!!」
からかわれたりはしたが、心配そうな顔のままの七乃に見送られ、自室を出て厠を目指した。美羽がついてこようとしたけど、さすがに勘弁願う。
まったく七乃は……ことあるごとに人をからかって───……ん……あれ? なんか……あれ? 妙に体が熱くなって……きた……?
「ん……、……っ!? つっ……!」
そんな感覚を自覚ののちに、突然鋭い痛みが体を襲う。
けれどそれは一瞬……かと思いきや、今度は鈍痛がのっしりと体に圧し掛かり、眩暈を起こして通路の一角に膝をついてしまう。
「あ、れ……?」
目の前が揺れる。
頭が揺れている感覚は無いままに、視界ばかりがぐるぐる回るように。
……気持ち悪い。
なのに吐けない。
「え、と……」
すぐに思い出して、こういう時の医術を華佗に教わったままに思い出す。
しまった……こんなことになるなら、七乃の話を最後まで聞いておくんだった。
効果がどうのこうのって言ってたし……飲もうとしていたってことは、そう悪いものでもないはず、なん……だけど…………───
(あ……だめだ、これ───)
意識が遠退く。
通路の床に、重く吸い込まれるように、視界が暗くなりながら床に近付く。
せめて衝突しないようにと腕に力を込めて体を支えてみるが、それが出来たのもほんの少し。すぐに腕は力を無くし、土下座するような姿勢から崩れ落ちるように、ごろんと横倒れになった。
(───……)
拍子にひゅっ……と息をしたら、意識がスゥッと抜けていった。
最後に思春と華雄の声が聞こえて、心配をかけないようにと抜けていく意識を繋ぎ止めようとしたが、間に合わない。
そのまま意識を手放し、意識の無い暗闇へと埋没していった。
……結局。
その日、“俺”が華琳と顔を合わせることはなかった。