143/続・少年よ、大志を抱いて日々を踊れ
【璃々って人によっては呼びづらい名前だといつか誰かがそう言った】
さて。
なんのかんのとあって、蜂蜜水を献上することで仲直りが成立して少々。
噂を聞きつけた各国の将や王が一目見ようと都にやってきては、代わる代わるに帰ってゆく日々。見世物小屋の珍生物気分を味わっている一刀はといえば、みんながみんな露出が多い服装で目の前に来るため、終始おろおろとしていた。
「へー、お前“璃々”っていうのか。あ、俺、北郷一刀。よろしくな」
「ほんごう……? みつかいさまと同じ名前なんだ~、すごいね~っ」
「? よくわからないけど、へへっ、すごいだろっ!」
子供同士だと気も許せるのか、紫苑が連れてきた璃々とはすぐに仲良くなる。
将の子供ということもあり、友達が居たとしてもどこかで一線を引かれていた璃々にとっては、遠慮の“え”の字も無く接してくれる子供というのは新鮮だった。
「えっとねぇ……“み~つ~か~い~さ~ま”っていうのは、美羽ちゃんが言う“ぬしさま”のことだよ?」
「むっ!? ぬしさま!? またぬしさまか! むむむ……! き、聞いてくれよ璃々っ、みんなヘンなんだよ! 何かある度にすぐみんな“ぬしさま”のことを口にするんだ! 一刀って呼ばれたかと思って振り向いてみれば、あなたのことじゃないわってジョルジュはからかうし!」
「じょるじゅ……?」
「あ、えと、ほら。そーそーとか呼ばれてる金髪のぐるぐる髪の女だよ」
「わっ……そんなこと言ったら、めーなの! そーそーさまはこの大陸の覇王さまなんだよー!?」
「う……で、でもさぁ。みんなそう言うけど、俺のこといっつもからかってくるんだぞ? 遊び甲斐があるー、とか、いじめ甲斐があるー、とか言ってさぁ。覇王さまってもっとこうさぁ、カッコイイイメージの方が強いじゃんか」
「いめーじ……?」
「うぅう……ああもう、なんでわからないのかな。どこなんだよここ。たいりく……? 日本語はわかるのに、ワケがわからないよ……」
子供の悩みなど軽いものと様々な人が思うだろうが、子供はこれで考えていたり見ていたりするものだ。
自分が知らないことを子供に問われた瞬間から、大人はもっと身構えるべきだろう。
しかしながら大人に訊くという行動があるように、子供同士で話していても答えに辿り着くことは稀でもあるので、一度教えたくらいで覚えきることも稀───……と油断すると痛い目を見る。
家族に教えてもらったことを得意げに話し、それが間違いであることを恥とともに知った瞬間の子供の恨みは相当だ。
……ちなみに。
子供は大人が思っているよりもエビフライなどが好きではない。マジで。
「どこ、って……ここは都だよ?」
「みやこ…………それでいっか。うん、都だ都! じゃあ璃々、何して遊ぶ? 今日は俺休みらしいから、いっぱい遊べるんだぜ~?」
「おやすみ? へぇえ、一刀くんってもう働いてるんだー、えらいんだねー」
「え? 偉いかな……そ、そっか。偉いか。へへへ……あ、それでな? なんかねーちゃんがさ……貴様は子供のうちから“かろーし”でもする気かー、とか言ってきて。かろーしってなんだ? 家に住んでる老師さま?」
「えっと……働きすぎて死んじゃうこと、だよ」
「うえっ……! そ、それはヤだな! よし休む! 俺休む! だから遊ぼうぜ璃々!」
「……あれ? それって休むっていうのかなぁ……」
「な~に言ってんだよっ! 休みってのは遊ぶためにあるんじゃんか!」
「? ?」
ともあれ、少年は少女の手を取り駆け出した。
許可を貰って街に出て、一緒に来ることになった華雄とともに騒ぐ。
最初はキリっとしていた華雄だったが、いつぞやの子供とともにベーゴマをすることになると、やたらと一刀と戦いたがり……勝利を得るや、子供そのものと言っても納得出来るほどに喜び燥いでいた。
「くぅうっ……お姉! もう一回だ!」
「ふふふはははははは! はっはっはぁっ! いいぞ来い! 日々鍛錬を重ねた私に、もはや敗北の文字などぬああああああああっ!?」
そして再戦時にあっさり負ける。
妙に力んだために引きが上手くいかず、回転足らずで弾かれてゆくベーゴマが、彼女にはスローモーションで見えた。
「よっしゃ勝ったぁ!!」
「いぃいいいいやいやいや今のは何かの間違いだ! そう! これは三本勝負! 次で勝敗が決まるんだ! 次で!」
「よぉっし解った! じゃあ次で決着だかんなお姉!」
「打ち負かしてくれるわぁあああっ!!!」
「負けねぇぞぉおおおおっ!!!」
のちに、その状況を見た都の人々は言う。
誰がどう見ても、子供が二人で遊んでいるようにしか見えなかったと。
「ぬぐっ!? ば、馬鹿な!」
「よっしゃ俺の勝ちぃ!」
「焦るな! まだ一回残っている!」
「え!? なんだよそれ! 俺が二回勝ったんだから俺の───」
「三回、と言ったぞ? つまり次に私が勝てば同点。決着にはならん!」
「ず、ずっこいぞお姉! そんなの屁理屈じゃんか!」
「だ、黙れ! お前も男ならば当たって砕けろ!」
「へーんだ! 男女差別なんて、戦いの中で口走る方がどうかしてるんだいっ! だから男とか女とかなんて関係ないんだよーだ! でも勝つのは俺だから受けて立つ!!」
「よくぞ言ったぬぉおおおおおおおおおっ!!!」
「ちぇええええええええぃいいっ!!!」
叫び合う男女の図。
しかしそこにはもはや老若男女の差別はなく、戦なのだから勝たねば死ぬといった迫力を身に宿し、二人は戦い続けた。
途中で璃々も混ぜ、遊んで遊んで遊びつくし、様々なことをしている内にとっぷりと夜になり───くたくたになって部屋に戻ると、何故か腕を組んで黒いオーラを放つ覇王さまを発見した。
「あれ? ジョルジュ?」
「その呼び方はやめなさいと言っているでしょう! ……それより一刀? 私はあなたに休みなさいと、そう言った筈なのだけれど?」
「おうっ、休んだぜっ! おかげでクタクタだー!」
「……あのねぇ一刀。それは休んだとは言わないわよ?」
「? なに言ってんだよジョルジュ、休みの日に遊ばないで、いつ遊ぶんだ。休みってのはなぁ、普段出来ないことを一日かけて思いっきりやるためにあるんだぞー? じいちゃんの受け売りだけど」
「………」
「んぁ? ……あ、あれ? もしかして違うのか? 俺、じーちゃんに騙された!? くそうじーちゃんめ! どうせまた騙された俺を思って、ムヒョヒョヒョヒョとかヘンな笑い方してるんだ!」
「間違ってはいないわよ。ただ、疲れた体を休ませるために休みを与えたの。だというのにくたくたになるまで遊ばれては、休みをあげた意味がないわ」
「そんなの風呂入ってぐっすり眠れば治るじゃん」
「………」
「?」
子供の体力回復能力は凄まじい。
とはいえ、彼女的にもいろいろと考えることはあったのだ。
子供の内に様々を学ばせるのはとてもいいことだ。
そうすることで、元に戻った時の彼がどのようになるのかはとても気になる。
だからこそ、休みになれば遊ぶだけの状態になる癖がつくのは困る。サボリではないだけマシではあるものの、休みの度に遊びに行かれては……いろいろと都合が悪いのだ。
というか、この子供はいつになったら戻るのか。
各国の将が来る度に可愛がられ、学び、遊んでいる。
それが子供らしいのかといえば、学んでいること自体が既に子供らしくない。
戦が終わった世界で武を学び戦略についてを学ぶというのはどうなのか。
けれども少年はそれが格好良く思え、まるで抵抗なく学んでいっている。
すぐに折れると思っていたのに、どういう心境の変化があったのか。
「とにかく。休みなさい。遊ぶなとは言わないけれど、限度というものを覚えなさい」
「……ジョルジュは説教ばっかだなー。そんな、眉間に皺ばっか寄せてて楽しいのか?」
「だからじょるじゅじゃないわよ! そして誰の所為で怒ってると思っているのよ!」
「…………?」
「……、」
戸惑いののち、自分を指差す少年に、華琳は頷いてみせた。
少年はぽかんとしてから、どこかくすぐったそうに笑って言う。
「なんだよ、もしかしてジョルジュって俺のこと好きなのか?」
「なぁっ!?」
それはカウンターだった。
およそ自分が知る北郷一刀ならば言わないであろうことを、こともあろうに子供とはいえ北郷一刀が言ってみせた。
付き合いが長ければ会話の流れというものも理解出来てくるものだが、こんな流れは初めてだったと言える。
「あ。赤くなった。なんだ、ジョルジュも結構可愛いとこあんじゃん」
「なっ、だっ───………、───……誰が、可愛いのかしら?」
努めて冷静な自分を作り上げる。
大丈夫、子供の戯言だ、冷たい心で向かえればどうということは───
「ジョルジュって言ったじゃんか。俺、お前ってただ怒ってるだけのヤツかと思ってた」
「だからじょるじゅではないとっ───…………あぅう……!」
子供相手に何を向きになっているのかという考えと、それでも相手は一刀なのだという考えとが頭の中で踊っている。
だがここで彼女は気がついた。
(……ここで大きく否定などすれば、のちの一刀に影響が出る……?)
北郷一刀の鈍さは異常だ。
ずかずかと歩み寄ってくるくせに近寄ればひらりと躱し、言葉にすれば難聴になる。
動きを封じて間近で言ってやらなければわからないくらいに面倒な男だ。
ならばどうすればいいのか?
……子供のうちにそういうことを刷り込んでおけばいいのでは?
「───一刀」
「ん? なんだよ」
少年は自分の寝台の上に胡坐をかき、華琳を見つめる。
そんな彼に、彼女は言った。
「これは命令ではなくお願いであることを先に言っておくわ。……他人の言葉にはよく耳を傾けなさい。人から送られる好意を疑ってはいけない。たとえそれが複数からのものであっても、受け入れられる男こそに到りなさい」
「…………いたる?」
「辿り着きなさいってことよ。女性の誰かが自分を好きだと言ってきたなら、受け止めてあげること。もちろん自分が相手をどう思っているかもよく考えた上でよ。見境なしは許さないわ」
「? なんでジョルジュが許さないんだ?」
「じょるじゅじゃないと言っているでしょう。これは覇王としての願いよ」
「……それって命令じゃ」
「願いよ」
「………」
「………」
「なージョルジュー、お前せっかく可愛いのに、なんで怒ってばっかなんだ?」
「怒らせる存在が目の前に居るからでしょう? そうさせたくないのなら、もっと落ち着きを見せなさい」
「そっか。ジョルジュは俺のこと嫌いなんだな」
「結論を急ぎすぎるのはよくないことよ。落ち着きを見せなさいと言っただけでしょう」
「落ち着くのなんて大人になってからでいいじゃんか」
「………」
「………」
「そっかわかったぞ! お前、俺を自分好みの男に育てる気だな!?」
「!?」
あながち間違っていないから、大変に困ったそうな。
【言葉にするのは思っているよりも難しい。様々な面で】
翌日。
休みも終わり、再び鍛錬や勉強……というところで、声をかけられた。
「一刀くん、ちょっといいかしら」
「んあ? あ、紫苑おば───」
「───おば?」
「ヒィッ!? しっ……紫苑、ねー……さん?」
「ええ、おはよう」
「お、おぉお……おはよう……ございます」
おばさん発言に光り輝いた眼光を前に、彼は瞬時にそれが禁句であることを知った。
正直に生きると言っても、命は惜しいもの。すぐに無難な“ねーさん”で命を保った。
「それで、えと。なに? 俺、これから華雄お姉と鍛錬があるんだけど」
「少しでいいからお話できないかしら。昨日、璃々がお世話になったそうだからお礼がしたくて」
「んー……わかった」
一つ。相手の話はきちんと聞くこと。
華琳に言われたことを思い出した彼は、とりあえず耳を傾けた。
「昨日は璃々と遊んでくれてありがとう。璃々ったら部屋に戻ってきてから、ずっと楽しかったって同じことを話してくれて」
「俺も楽しかったからいいよ。ていうか、紫苑ねーさんもここに住んでるんだっけ?」
「ええ。少し見てみたいものがあったから」
穏やかに微笑みながら、少年一刀を見つめる紫苑。
随分とほっこりとしている。
「ふーん……でもまあ、お礼言われたくて遊んだわけじゃないから、べつにいーよ。璃々は友達だからな」
「……そう。ありがとう」
「だから、いいってば。他にはない? ないなら行くけど……。お姉、遅れるとうるさいんだ」
「あ、もう少し。……一刀くん、好きな子は居る?」
「うぐっ…………~……い、居るよ」
「あらあら、本当? それは誰?」
「な、なんでそんなこと教えなきゃなんないんだよっ! 自分に正直に生きるって決めたからって、なんでも答えるってわけじゃないんだぞっ!?」
「……そうね。ごめんなさい」
顔を真っ赤にして怒る姿に、思わず謝る……が、顔は笑っていた。
それはまるで、近所の悪ガキの恋を暖かく見守るような笑みだったという。
実は既にその相手が美羽であることは知ってはいるものの、本人に確認を取ってみたかった。恐らくは聞いた通りなのだろう。
「じゃあ最後に。もし璃々があなたのことを好きになったら、どうする?」
「きちんと向き合って話をする! よくわかんないけどジョルジュにそうしろって言われたし、相手の言葉を受け止めないのはなんか卑怯だから受け止める!」
「あらあら……ふふっ」
頭の中が魏のことばかりだった青年の頃とは大違いかもしれない。
そう思って、彼女は笑った。
これで青年に戻ったらどうなるのだろう。
想像してはみるものの、鮮明にはいかなかった。
「なんかな? 言われた言葉に対して、“ん? なんか言ったか?”とか言うのは卑怯らしいんだ。聞こえてるのにそれ言うのはひどいよなっ! 聞こえてないなら、聞き直そうとしてるだけいいと思うけど」
「…………あらあら」
「でもさ、それって“なんか言ったか?”って訊き返されるほど小さく言ったほうもひどいと思わない? 俺、漫画で読んだことあるけどさ、あれってちょっとずるいよな。なんか言ったか~って訊き返してるのに、女はいっつも“ううん、なんでもないっ”て誤魔化すんだ。なのに男だけが悪いことになるんだぜ? ずっるいよな~」
「うっ……」
少し耳が痛かった。
確かに訊き直そうとしているのに、なんでもないと返すのは卑怯だ。
けれど、ならば……たとえば意中の相手に好きだと囁いて、訊ね返されたならもう一度言えるのか。それを少年に訊ねてみると、
「出来るに決まってんじゃんっ! みんな根性が足りないんだって! もし俺にやれって言うなら今すぐにだって出来るぜっ!?」
子供というのは調子に乗りやすいものである。
大人に出来ないことを出来ると言いたがるのも子供ならではなのだが、この場合は時と場所がまずかった。
「あら、それはすごいわ。それじゃあ見せてくれる?」
「え゛っ……!?」
ぎしりと固まる、踏ん反り返っていた少年K。
まさかそう返されるとは思っていなかったが故に、目を泳がせながらもなんとか逃げ道を探す。そ、そう、そういえば自分は鍛錬に行く途中だった。それを言えば───
「あら美羽ちゃん、丁度いいところに。ちょっといいかしら」
「むぁ? なんじゃ?」
「うひぃえっ!?」
そしてそんなところへ通りかかる意中のお方。
少年の心に絶望の二文字が浮かぶが……“やると言ったからには逃げはせぬ!”と無駄に雄々しく覚悟を決め、少女の前にずんと立つと、真っ直ぐに目を見て自分の思いを解き放った。
「え、袁術! 俺、お前のことが好きだ!」
溜めもなにもあったもんじゃない、しかし心からの告白。
付き合ってくれなんて言葉も出ない子供の、精一杯が放たれたが───
「うみゅ? なんじゃと?」
いきなりのことに耳を疑うか、はたまた理解が追いついていないらしく、彼女は彼に首を傾げてみせた。
見事に先ほど言っていた状況の完成だ。
紫苑が「あら……」と少し焦った様相で一刀を見るが、しかし彼は怯まなかった。
「う、ぐっ……な、何度だって言ってやる! 俺はうそなんてつかないんだからな! 俺は! 袁術が! 大好きだ!」
顔は真っ赤に、けれど自棄にはならない程度の理性を胸に、彼は叫んだ。
今度はきちんと耳にした少女はといえば、しばらくぽかんとしていたと思えば急にニンマリと笑い、くすくすと笑いだす。
「お主、妾に惹かれるとは中々に見所があるようじゃの」
「お、おおっ! 見所───見所ってなんだ?」
「妾のことが気になって気になって仕方がないときたか。うははははっ、まったく仕方のない孺子っこよのう」
にんまりだった顔がどんどんと緩んでゆく。苦笑した紫苑が止めに入るほどに。
そしてそこまで言ってない。
「しかし残念じゃったの。妾は、妾の全てを主様のもとへ置くと決めたのじゃ。お主のような孺子っこには興味なぞ微塵もないのじゃ」
「えぐぅうっ!?」
言葉の槍が、彼の心を貫いた。
さすがに意地悪な振りをしてしまったと、紫苑がフォローに入ろうとするも、
「じゃ、じゃあ! 俺が主様とかゆーのより偉くなったら!?」
自力で立ち直った彼を前に、歩み寄ろうとする足を止めた。
「む? む~……ありえぬと思うが、そもそも偉さだの男らしさだのの問題ではないでの。妾は主様にこそ様々を学び、ともに歩きたいと思ったのじゃ」
「え、え? じゃあ……つまり?」
「うみゅ? ……わからんやつよの。主様以外となど冗談ではないと言っておるのじゃ」
「はぐぅうっ!!」
言葉の槍-第二章-。
彼は今度こそ足を震わせ、膝からズシャアと通路に倒れた。
……いや、辛うじて手をつくことで、転倒は免れた。
「っ!」
その状態から顔をバッと持ち上げ、立ち上がると再び少女を真っ直ぐに見つめる。
「そ、それでも好きなんだ! 誰が諦めるもんか! だったらその主様とかいうのに戦いを挑んで、俺が勝てば───!」
「あぁ……」
「ふほほっ、無理じゃ無理じゃ」
少年の言葉に紫苑が頬に手を当て困った顔をし、少女は口の傍に手の甲を構えて小さく笑う。なんだか馬鹿にされた気がしてカチンときたが、怒鳴るばかりの人は自分自身が嫌いだから、叫ぶのだけは耐えた。
「お主、甘寧にも華雄にも勝てておらぬのじゃろ? 主様はその二人よりも強い、呂布に勝ってみせたのじゃからの。お主とは、あー……じ、じげん? が違うのじゃ! うはーははははは!!」
拳をエイオーと突き上げ、まるで自分のことのように笑う少女。
そんな彼女を前にした少年はといえば、目の前がぐにゃりと歪むのを感じた。
泣いているわけではなく、そんな強いヤツが恋敵であることに眩暈を覚えた。
……相手が自分自身であるなどと、恋に突っ走る少年が知りえる筈もないままに。
「う、うぅうう……!! だ、だだだだったら、だったら……!」
「か、一刀くん、もういいわっ、もういいからっ」
カタカタと小刻みに震える少年の様子に気づいた紫苑が、一刀を止めにかかる。
しかし少年は“自分に正直に生きる”を貫かんとし、さらに言葉を重ね───!
……。
───コーン……
「…………」
「あ、あの……か……一刀……くん?」
「…………」
数分後、通路の欄干の傍に頬擦りするような姿で、へたり込んでいた。
どれほど言葉を連ねようとも相手にすらされず、彼は恋に敗れた。自分に正直に生きるという意志を貫くことには成功したものの、ダメージが酷すぎた。
既に美羽は七乃のもとへと歩み消え、紫苑は一刀を慰めているのだが……彼自身は「ツメタイ……柵ガツメタイ……」とうわ言のように呟き、欄干にしがみついたまま動こうとしない。
しばらくして華雄が探しにきたのを見て紫苑は安堵するも、強引に引っぺがされて連れて行かれる姿に、相当な罪悪感を覚えたのは言うまでもなかった。
今度、璃々と一緒に何かを食べに連れていってあげよう。そんなことを、通路を歩きながら考えた。
「さあ、一刀よっ、今日も鍛錬だっ」
「うおおおおおおおおお!!!」
「おおっ!? なんだ、元気があるではないか!」
さて。一方の中庭では、少年一刀が華雄に促されるままに叫んでいた。
一種のヤケクソである。
もはや何も失うものなどない、愛など要らぬといった状況でもあり、涙腺に血が溜まるのであれば血の涙だって流せただろう。無理だが。
「お姉! 俺、一歩大人になったよ! 頑張れば好きになってもらえるなんて幻想だったんだ! 俺なんかがモテるだなんて考えること自体が間違ってたんだ! だから俺、強くなるんだ! 好きになってもらえなくてもいいから、“お友達”を守れるくらい強くなるんだ!」
「お、おぉお……? どうしたんだ、そんな血の涙すら流せそうな形相をして」
「強さを見せるためには“主様”を倒さなきゃいけないのに、倒したら嫌われるしそもそも敵わないとか言うし、もうどうすればいいのかわからないんだよ! 恋なんてっ……恋なんてぇええええっ!!」
「……よく解らんが、強くなるのはいいことだ。うむ、お前のその考え方は間違いではないな。難しく纏めることなどないのだぞ? ようは“力”に理解のある伴侶を得ればいい」
「? はんりょってなんだ?」
「夫婦となるための夫か妻のことだ。お前が口にするのなら、妻ということになるな」
「力に理解のある妻…………そ、そっかなるほど! そういえば袁術は力って感じじゃなかったもんな! でも強ければ好きになってくれるヤツなんて居るかなぁ。好きになる相手が自分より強いと、なんか悔しくない?」
「ふふっ、なにもわかっていないな……。それを認めることが出来る相手こそが、理解があり包容力のある存在というものだろう」
「───!」
少年は華雄の言葉に“理解を得た!”といった表情になり、こくりと頷くと木刀を強く握った。
主様という相手も武器が木刀らしいので、これで打ち負かすのが最近の目標となっている。そういえばこの木刀、じいちゃんが持っていたのと似てるなーとか思いつつも、目標になっている。
もちろん簡単に勝てるとは思っていないので、必要になる鍛錬は生半可なものではないだろう。けれどそれに耐えてこそ、見えてくるものがある筈だと彼は信じた。というか信じなきゃ恋する気持ちを放棄しそうで怖かった。
そもそも北郷一刀という男。広く浅くといったA型典型の血液的性格関係があるかどうかはともあれ、物事に深く入り込まない性格をしている。剣道の実力も中途半端であり、知識面でも広く浅く。三国志についての知識はそれなりではあったものの、一般が持つ知識に多少の上乗せがされた程度だ。
人付き合いで言っても押しに弱いところがあり、女性との関係のそもそもが相手に押し切られる形になっているのがほぼだ。それを知る者からすれば、子供とはいえ北郷一刀自身が告白に走るというのは貴重な場面ではあるものの、ある意味で初恋は実らない。
いっそぐいぐいと引っ張っていってくれるような相手こそが似合っているのだろう。だからこそ、華雄の言葉に素直に頷いた。
弱った心に一日かけてみっちりと叩き込まれる熱き心(武の心)は、出来たばかりの目標に近づくための近道だと彼の心を鷲掴みにし、思春が見回りの過程で中庭に訪れた頃には……
「よし復唱!」
「武・スバラシイ! 武・サイコウ! 突撃イノチ! ソンサクオノレ! ソンサクオノレ!」
一人の小さな洗脳戦士が出来上が───
「なにをしている貴様ぁああああああっ!!!」
「うわっ!? 思春!? い、いやこれはだなっ!」
───る前に、止めが入った。
思春の怒声により、子供の素直さに調子に乗っていた華雄がハッと正気に戻るのと、慌てるとともに頭の中に様々な言い訳が思い浮かぶのはほぼ同時……ではあったものの、言い訳が放たれるより先に正座と説教が始まった。
のちに拳骨を頭頂に落とされることで正気に戻る一刀だが、
「ねーちゃん、俺……強くなるよ! 突撃っていいよな! カッコイイよな!」
「………」
「い、いや…………すまん」
武に対する意識の全てが消えることはなかったそうな。