子供の頃なんかは麻薬のために人を殺す漫画で、薬ってものを嫌ったこともあったが……まさかこんな身近なことで薬に恐怖を覚えることになるとは。
しかもその恐怖対象が惚れ薬だよ惚れ薬。
同じく漫画とかならよくあった薬の中の一つ。
飲んだら惚れるなんていう恐ろしい…………あれ?
(惚れ……惚れる?)
ふと気になることが頭の中にポッと出た。
「思春。ちょっと部屋に戻ってみよう」
「? 正気か? 抱き合っていた二人の様子とこの状況を鑑みるに───その」
話している途中で自分が見た光景を思い出したのか、少し赤面する思春。
俺も心配ではあるものの、なにか確信に近いものを抱いたまま、とりあえずは部屋を出て自室へと戻ってみた。
「………」
まずはノック。自室とはいえ中に人が居るのなら、当然ですとも。
返事がないことを確認しつつ、ソッと開いて中を見てみれば…………案の定だった。
「北郷?」
覗くだけで中に入らない俺を訝しんでか、後ろから思春の声がかかる。
俺はその声にパタムと扉を閉めて、思春に向き直った。当然、視線を合わせた上で。
「なっ───!?」
突然のことに対処出来ず、思春は自分を制御できないままに暴走。
同じく勝手に動く俺の体も思春を抱き締め、好きだ、愛してる、大好きだなどと愛の安売りをしだすわけだが───
「………」
口は忙しく動き、愛を語る。
頬だって赤いし、目の前の人が気になってしょうがないものの……まあ、予感は当たった。
思春は目がぐるぐると渦巻状になってパニック状態だ。対する俺は結構冷静です。
ああまあ……これね、“惚れ薬”だ。惚れるだけで、“それ以上”は存在しない。
ある意味すごいぞこれ。
「………」
けどまあアレです。
頭の中はひどく冷静だけど、体は勝手に愛を語っているわけで。
「すっ……すすす、すきっ……す、ぐっ……! ぐくくうう……! 好きだっ! 北郷! わわわわワワ私はきさっ、きささっ……! 貴様がっ……!!」
目の前で思春に、あの思春に好きだとか言われる破壊力は、なんというかこう……!
(怖い! あとが怖い!!)
ええ、怖かった。
果たして薬が切れた時……むしろ抱擁が解かれた時、俺はいったいどうしてしまうのでしょう。
そんなことを考えながらも、この珍しい思春さん劇場に心を奪われた俺は、どうせボコられるならもう少しこの告白劇場を堪能しようと……───油断してしまったのがいけなかったんだろうなぁ。
「───? ……ながっ……!?」
人の気配。次いで、絶句するような、普段ならば聞かないような言葉が、知っている人の声で聞こえた。
抱き締めている思春の肩越しにちらりと見てみれば……ひどく驚いた様相でカタカタと震えていらっしゃる冥琳さん。……ア、アー、そうだよねー……! さっきこの通路を使ってどこか行ってたんだから、戻ってくることくらい考えておかなきゃいけなかったよねー……!
「あ、いや、これはその」
深く抱き締めるという行動によって、こうして肩越しに冥琳を発見するに至り。当然視線は思春の瞳から外れたので、自分をしっかり持てば薬の効果からの脱出も可能だった。
心から慌てているのかどうなのか、思春が未だに抱きついたままなのは大変意外なわけではございますが。どうかこのままでいてくださいと思う俺はおかしいですか? だって正気に戻られたら鈴音が俺の頭部と首を乖離してしまいそうで。むしろこんな状況なのに、冥琳が“ながっ……!?”なんてヘンテコな戸惑いの声を出すことに貴重さを感じた俺はおかしいですか?
「い、いや。なんだ。わかっている。惚れ薬だろう。思春も飲んだのか」
こほんと咳払いをしてからの言葉。
軍師さんの頭のキレってどうなってるんだろう。こんな時にまで冷静に物事を考えられるなんて、正直言って羨ましい。……俺、慌ててばっかりだもんなぁ。
さて、そんな状況でもまだ頭の中がぐるぐる回っているのか、冥琳に気づかずに告白を繰り返す赤い人が僕の腕の中にいらっしゃるわけですが。どうしよう。俺、今すぐにでも首を洗うべきなのでしょうか。
「あ、あのー、思春? 思春さん? 目。目を……」
「好───……目?」
「ほ、ほらっ、そのっ、もう視線は合ってないんだから、努力と根性と腹筋でなんとか正気に戻っていただけると大変ありがたいといいますかっ……!」
───ぎしり。
俺の腕の中の女性の体が、一瞬跳ねた。
やがてカタカタと震えだし、ちらりと見た彼女の首やら耳やらがシュカアァアアと赤く染まってゆき───! ヒィ!? それと同時に殺気が! 殺気がだだ漏れてきてらっしゃいます! 思春さん!? 隠密はっ!? 殺気は殺さないとまずいよ!
「貴様を連れていってやろう……鈴の音が導く、無音の世界へ……!」
「怖ァアアアアアアアアアッ!!? やめっ、やめよう!? 怖い! すごい怖い!」
涙目、真っ赤、震え、鈴音抜刀。
何一つとして俺に対する救いがない状況がここに完成いたしました。
助けてとばかりに冥琳に視線を送ってみると、やれやれといった風情で胸の下で腕組みをしてらっしゃる。……え? いや、そんなありきたりの日常に苦笑するような反応されても! 俺そんなに誰かに襲われるような日々を送ってるとでも───…………あはははははは送ってたァァアーッ!!
ええいくそうもうヤケだ! 俺は生き残るためにあらゆる手段を使って今をやりすごすぞ! 一時の恥ずかしさで命が救えるなら、俺は迷わずそれを選ぶ! そんなわけで敢えて自分から思春と目を合わせ、抱き付いて告白劇場! そうすることによって、“今”だけは相手の自由を奪うことに成功し、胸の奥がきゅんと……おや?
「……え? あれ?」
きゅん? なんか今胸の奥がきゅんと鳴った。
胸を締め付けられる音が聞こえるとするのなら、きっとこんな音なのね……! などとラヴロマンスチックに背景に花を咲かせてやりたくなる心が、何故か俺の心に溢れてきて……!? あ、嗚呼……これが、恋……!?
いや、恋なら知ってるよ! 華琳相手に散々揺らしたものだよ! ……そしてこれは間違い無く恋の鼓動!? ちょっ……冗談じゃないぞ!? “視線が合った人に告白する”ってものがひどくやさしいものに思えてきた! 本気で好きになったらヤバいだろ! ああ! なのに! なのに胸がトクントクンと! ああもうやけに鼓動が大きいなぁ! 聴覚が鼓動の音に支配された気分だ!
(しかし大丈夫! いざとなれば強引な手段だろうが思春が止める! たとえ惚れ薬に操られようが、本気を出した思春さんはあんなもんじゃない! ……はず!)
人はそれを他人任せと言います。
でもね、うん。体はさ、自由に動くんだ。その点で言えば、さっきまでの告白地獄よりはよっぽどマシだと思うよ、うん思う。それはいい。それは。けど、相手を本気で好きって思っちゃうと、ある意味反射的に告白するよりもヤバい。ただ今、それを感じております。
「し、思春……」
自然と思春を熱っぽい視線で見つめてしまう。
すると思春の目が潤み始め、今まで見たこともなかった恋に恋する乙女のような瞳になっていき、俺と思春は互いに名前を呼びながら手と手を繋いで……やがて、唇が……!!
「落ち着けっ!」
『《ベリャアッ!》はうっ!?』
あと少し、というところで俺と思春は引き剥がされた。
この場で唯一まともな、冥琳の手によって。
……って、今俺何をしようとしてやがりましたか!? 熱に浮かされて、薬の効果に誘われるままにキスしようとしてました!?
「め、冥琳っ……ありがっ───あ」
「あ」
心の底から感謝を。
その礼儀として相手の目を見て感謝の言葉を届けようなんてしたことが裏目に出た。
バッと見つめてしまった先に冥琳の目。合わさる視線……!
「冥琳! 好きだぁあああああっ!!」
「うわぁああああああっ!!?」
もはや見境無しでございます。
体はもはや根性論ではどうにもならず、そのくせ涙だけは支配されていない“洗脳モノのセオリー”は守ってらっしゃるようで、視界は滲む一方だ。
だがやはり軍師は一足先を見据える者らしい。
飛び掛かり、抱きつこうとした俺は、サッと避けた冥琳の動作に腕を空振らせ、慌ててバランスを取ろうとしたところへスパーンと足払いをされた。冥琳にではなく、思春に。重力に従ってビターンと廊下に倒れる俺が、すぐに腕と足を腰の後ろで縛られたのは、その直後だった。
「…………ア、アノー、冥琳、思春さん? いきなり飛び掛ったのはごめんなさいだけど、さすがにここまでやることはないんじゃ───」
『こっちを見るなっ!』
「ごめんなさいっ!?」
そうまでされるに至り、さすがに自分の意識を取り戻した俺が抗議してみても説得力があるわけもなく。
少し寂しい気持ちを抱きながらも、自業自得の四文字を胸に諦めた。
……。
いろいろあって現在。
もう夜中と呼べる時間なんじゃなかろうかと思う、とっぷりと暗い闇の中、冥琳に用意された部屋にて、蝋燭の明かりを頼りに冥琳が惚れ薬の紙を見ていた。そうしてなにか思い立ったことがあったのか、部屋を出るとしばらくして戻ってきて、また紙を見てふむふむと言いつつも頭が痛そうに溜め息を吐いている。
俺と思春は極力人と目を合わせないように待機中。や、まあ、俺は両手両足を背中側で縛られてるから動きようがないんだけどね?
「ふむ……なるほど。ようするに目を合わせた相手に惚れ、同じ相手と目を合わせ続けると効果が変わってくる、と」
「そんな惚れ薬、初耳だよ……」
「そうだな。だが、解決策は見えた」
「え? ……ほ、ほんとかっ!? どうすればいいんだ!?」
バッと見上げる先に冥琳の顔。
なにせ支柱なのに床に転がされているんだから、見上げなければ表情が見えない。
見上げた先の冥琳は、なにやら呆れたというか疲れた表情だ。
「目を合わせ続ければいい。結局のところ、“惚れる”だけの薬のようだ。とことんまでに“惚れ薬”だ。見事だと感心するほどに。北郷の言う通り北郷の部屋も覗いてはみたが、あの二人に特別ななにかが起こったというようにも見えなかった。今は静かに寝ていたよ」
「ウワー……」
「その。つまり、体を動けぬ状態にして、互いに見つめ合えばいい、と?」
思春の言葉に冥琳は「ああ」と答えて縄を用意する。
それで思春に断りを入れてから彼女を俺と同じように縛り、俺と向き合わせた。俺と思春は咄嗟に視線を外して、冥琳の言葉に耳を傾ける。
「思うに、これを作った者は“惚れた時の心”というものを知りたかったんだろう。相手が気になってみてもそれが恋かなどとは確信が持てないものだ」
「恋心を知るために……って、また迷惑な……」
「ふふっ、そう言ってやるな。見ている分には中々に面白かったぞ」
「見ている分にはね!? 飲んだこっちはたまらないんだよ!」
俺だって出来れば傍観側で居たかった。
でも本当に見たかったか~と言われれば……そうでもなかったり。
やっぱり薬とかじゃなくて、本当に好きな相手とそうなってほしいだろう。
「まあ、そんなわけだ。北郷、思春。目を合わせろ」
「イ、イヤ、心の準備ガ」
「聞かん」
「《こきゅり》ハオッ!?」
冥琳の手によって無理矢理思春のほうへ向けられる顔。
背けていた視線も、その努力も虚しく打ち砕かれ、俺と思春の視線が合わさった。
途端に視界がピンク色になるのを感じた。
漫画とかなら思春の周りに花とかが無意味に咲いているかもしれない。彼岸花あたりが。そんな、あとで殺されたりしないでしょうかという心配とは裏腹に、心は思春に惹かれてゆくばかり。
手を伸ばせば届く位置に居るのに、手を伸ばせないもどかしさが心を突く。
……突くのだが、思春の様子がおかしい。
「…………ば……かな……。 これが……?」
戸惑いと恋心が混ざり合った人ってあんな顔をするのかな、なんて暢気に考えたが、明らかにおかしかった。惚れた心のままにやさしく「どうしたんだ」と訊ねる俺の口に、俺自身がびっくりしつつも返答を待つ。
「これが…………これが恋心、というものだとするなら、私は……私はいつから……!」
「?」
けれど俺の質問に対する“答え”らしい“応え”はやってこない。
その代わりに視線だけは合わさったまま、困惑という言葉を顔に貼り付けた表情で、俺と思春は見詰め合っていた。
しかし、どうだろう。
そうしていると好きだという感情が守ってやりたいというものに変わり、守りたいという感情が見守っていたい感情に。最後には見届けた気分になり…………胸のざわめきは、とうとう無くなった。
最後に残ったのは、人の成長を見守り通したような奇妙な達成感だけだ。
これが……子の成長を見届けた親の気持ちだというのなら、これほど嬉しいことはない。
いや、本当に奇妙な感覚なのだ。相手は思春なのに、妙に“よくぞここまで成長してくれた……!”とか言いそうになるくらいに満たされた自分が居る。
一言で言うならそう。
「なんなんだこの薬……」
だった。
でもまあアレだ。
元からヒネた考えを起こして見てみれば、“惚れる”にもいろいろな惚れ方があるのだ。
相手に心惹かれるって意味での惚れるや、相手の生き様に惚れる、武力に惚れる、知力に惚れる、意思に惚れる、夢に惚れる。挙げてみればもっといろいろとあるだろう。
つまりこの薬はそれを順番に出すようなもの……なのか?
だから全てが叶ったあとには奇妙な達成感だけが残される。
思い残すことはもはやない……と賢者のような気持ちになって、ひどく眠たくなる。
そう、手足を縛られているにも係わらず。こんな格好で見届けた男の顔をしている俺は、それはもうひどくおかしな男でしょうね。ちくしょう自覚出来るあたりが切ない。
「あ、あー……冥琳? 薬切れたみたいだから解いてくれるとありがた───大好きだ!」
「…………なんなんだこの薬は……」
視線が合った途端に叫んだ言葉に、今度は冥琳が溜め息を吐いた。
どうやら一人一人に対してきっちりと発動する暴走らしく、思春を見てももう惚れるだのと言った感情は湧かないものの、冥琳にはしっかり湧いたようで。
結局薬の効果が切れるまで、俺と思春は……一晩を床に転がりながら過ごした。
───……。
朝。
冥琳と目を合わせたことで興奮した勢いの所為か、てんで眠れなかった俺は、ぐったりしながら冥琳に解放された。
もう冥琳の目を見ても暴走することもなく、今更眠い頭を引きずるように部屋を出る。
思春はどうやらぐっすりだったらしい。羨ましい限りだ。
「眠くても仕事はあるんだよな……うう」
とりあえずこの薬は封印しようね……ほんと、本気で。
それよりもまずは水。
厨房へ行って水を喉に通して、顔を叩いて眠気を弾く。
呼吸を落ち着かせるとまた眠くなってしまうので、酸素を少し内側に篭らせるように呼吸をすると、内側の筋肉が震えて体を熱くさせた。
うん、これで少しの間は眠気は大丈夫。
「あとは……うん、あとは」
こくりと誰にともなく頷いて、ちらりと後方を見る。
すると、厨房の出入り口に隠れるようにしてこちらを見ている思春さん。
「あのー、思春? なんだって妙な隠れ方を? いつもみたいに気配を消してついてきてくれるならまだしも、気配がだだ漏れでわかり易すぎるんだけど……」
「!?」
あ、驚いてる。珍しい。……むしろ自覚がなかった?
でもいつも見守ってくれてありがとう。
感謝を伝えようと近くに歩くと、何故かシュヴァアと物凄い速さで疾駆。
……エ? と呆けてからすぐに出入り口から廊下を見渡してみたんだが、彼女の姿はどこにも無かった。……何事?
「や、まあ……薬の所為とはいえ、好きだ~なんて言った相手と一緒に居たくないのはわかるかなぁ」
俺も結構顔が熱いし。
しかしながら顔が熱いからって仕事が無くなってくれるわけもなく。
華琳への仕返しをどうしようかなんて考えながら、自室へ向かって歩き出した。
……ふむ、いっそ華琳にも子供になってもらうなんてどうだろうか。
稟じゃないけど、春蘭あたりが鼻血を出しそうな気がする。
(でも……仕返しか)
忙しさと楽しさがごちゃ混ぜ状態の今だけど、偉くなったもんだと笑ってしまう。
偉くなったもなにも、俺が一体何をしたんだって話だが……ただ知っている歴史に抗って、ここまで来ましたよってお話。
えらくずるい方法ではあるものの、自分の存在を懸けてまでやったことだ。今更悔いるというのは少々ずるい。なので、楽しめる今を十分に楽しんで、これからのことも手探りで経験していく。
手始めに意地悪な覇王さまに仕返しをするとして、そこまで険悪にならずに笑って済ませられる何かを考えてはみるのだが……悪事に向いていないのか、コレというものが浮かばない。
でも子供から元の姿に戻りましたよ~って報告をしなかっただけでアレはヒドイ。
なので───…………なので。
「…………」
子供になる前に、彼女になにをしようとしていたのかを思い出して、また顔を熱くした。
……自室に戻る前に華琳に会いにいこう。
好きだだのなんだのを薬の所為で叫んだ口から、普通に自分で出せる好きを唱えさせてやりたい。というか無駄に胸がトキメいた反動か、華琳のことを考えてからというもの華琳の顔が見たくてたまらない。
「……惚れるのって、なんというか…………弱いなぁ」
惚れるにもいろいろな意味があるように、弱いにもいろいろがある。
それを自覚しながら言葉にして、自室前まで歩いた足を別の方向へ向け、歩きだす。向かう場所が決まっている所為か、どうにも緩んでしまう顔をなんとか引き締めようと努力しながら。
内容とはまるで関係ないんですが、ドラクエの「いのちだいじに」の作戦を見ると、ドラクエ4を思い出すのです。
勇者が作戦を決めた途端、仲間が散り散りに逃走。
勇者は誰よりもまずトルネコの肩を掴んで引き止めたが、振り向いた彼は嘲笑を混ぜたような笑みとともに「誰だって自分が一番かわいいのさ……あんただってそうだろ?」と仰った。
その時のトルネコさんの顔がいつまで経っても忘れられない。いえ忘れたくないからいいんですけどね。
ドラクエ4コマはいろいろステキなところをつついてくる内容があって、好きだったなぁ。