147/ド・マイヤールとか言いたくなる
動かしていた足をビタァと止めたのは、意気揚々と足を踏み出した少しあとだった。
気づいたことがあったのだ。
とてもとても重要なことだ。
「華琳の部屋、シラナイ……」
なんてことだ。
子供に戻ってからというもの、華琳が自室を訪ねる以外に華琳との交流は特になかった。仕事の時は華琳が俺の部屋に来たし、寝泊りしていくこともあったが……華琳の部屋自体を知らないとは。
「仕事もあるし、大人しく戻るか」
華琳が来たら何処だっけと訊けばいい。
そ、そうそう、がっつくのはよくないよな。
俺はただ好きって言いたいだけなんだし、部屋に来てくれた時に言うのでも一向に構わないわけだ。
「………」
積極性に欠けるだろうか。
こういう時はもっと突っ走るくらいが男らしい? ……んん、眠いから頭が正常に働いてくれない。しかしまあ、男らしさ云々と仕事とを取るなら…………仕事だな。国へ返そう。
「っし!」
ズバームと頬を叩いて悶絶しつつ、部屋へと戻った。
さあ、今日も一日頑張りましょう!
仕事仕事ォオオ!!
あ、でもその前に……子供薬と大人薬と惚れ薬、全部この部屋に持ってこようね……。また何かしらの悪戯とかに使われても困るし。
───……。
ドシュシュッ! バオバオッ! ビッ! ブバッ!
でげででげででげでで~ん♪
「………」
仕事が終わった。
脳内で霊幻道士の鍛錬の音を鳴らしてみたが、意味は当然ない。
……って、あれ? なんか外が暗い。
メシは? 小休憩のシエスタは? むしろ華琳は!?
華琳が来たら少し休憩入れようって思ってたのに!
昨日の今日だから、惚れ薬のことで絶対に来ると思ってたのに!
むしろ空腹にも気づかずに仕事に集中ってどうなんだ俺!
-_-/華琳
…………。
「………」
来ないわね。
昨日の今日だから、惚れ薬のことで必ず来ると思っていたのに。
それとも仕事でも溜めていて、それを今やっていると?
「……サボってばかりだった頃からすると、考えにくいことね」
今では有り得ることなのだから、人の成長というものは不思議だ。
一刀の言っていた言葉の通りね。出来ないのならば出来るように導いてやればいいのだと。支柱自らがそれを示すのなら、これほど学ぶ者にとって教訓になることはないわ。
「それにしても……」
来ない。
いったい何をしているのかしら。
子供になっていた頃の仕事ならば、私と冥琳とで大体は捌いていた。
今更そこまで
「…………はぁ。仕方ない───……わね?」
行ってみようか、などと考えてからハタと気づく。
そういえば彼は───私が居る部屋を知っていただろうか。
「………」
来ない原因がわかったと同時に、どれだけ自分が足しげく一刀の部屋を訪れていたのかを自覚してしまった。ちりちりと顔に熱が篭るのを感じて頭を振るが、困ったことにその熱はしばらく引いてくれそうになかった。
「……これは、無理ね」
小さく呟いて窓を開けた。
涼しい風が吹くと、少しだけ心が落ち着いてくれる。……顔は変わらず熱いわけだが。ともかく一刀の部屋へ向かうのは無理だ。
「明日ね。先延ばしは好きではないけれど、急くほどのものでもないのだから、余裕を以って動けばいいのよ」
まるで自分に言い聞かせるように言う。
誰に向かって言っているのだかと自分で自分を鼻で笑った。自分に向けてとはいうが、誰が聞いているわけでもないのだからおかしな話だ。
……いえ、待ちなさい? 明日は冥琳や霞が近辺の邑を回る日で、しかも護衛に華雄と思春を付ける上、七乃も情報交換のために出る筈だから───
「………」
二人きり……とまではいかないけれど、まあ、その。あれね。
二人で過ごす時間を久しぶりに取れるということ……ね。この際子供の一刀との時間は横に置くとして。
「………」
机に存在する書類の山を見る。
魏から送られてきた確認が必要なものと、ここに住む中でやっておかなければならない書類が積まれていた。
……やれなくはないわ。やれなくはないけれど……睡眠時間は削る必要があるわね。
「……まったく。いつかの自分を思い出すわ」
一刀との一日のために徹夜で書類整理をした日を思い出す。
結局途中で眠ってしまったけれど、そう悪くはない一日だった。
そして今目の前にある書類はある日よりも少ないもの。
徹夜はしないと話し合いはしたけれど、ようは徹夜でなければいいのよ。ええ、ええそう。……というか、どうしてわざわざ言い訳じみたことを自分自身で確認しなければならないの。
「…………」
思いつつも既に取り掛かっている自分が居た。
不思議と先ほどよりも手が早く、頭もすっきりとしている。この調子ならそれほど時間もかからないだろう。
……これで一刀が仕事を残していたらどうしてくれようかしら。
そんな不吉な考えも浮かぶものの……まあ、それならそれで仕事を見ているのも悪くはない。なにも一緒に出かけることばかりが息抜きではないのだから。
-_-/一刀
「……いやいや、いいんだ、国には返せた!」
ポジティブにいきましょう。
仕事を早く終わらせることが出来たのは実に見事。
すっかり暗いけど、それだけ集中することが出来たのは俺にとってはプラスなことだ。やっぱり氣の集中鍛錬とかが役立ったのだろうか。そう考えると……はは、なんか嬉しいな。
「よしっ! それじゃあこれを華琳に確認してもら───って、魏じゃないんだから俺が決定しなきゃいけないんだった」
不慣れなことはまだまだあるな。
華琳が傍に居ると、どうも体を傾けたくなる。
早い話がこう……あー、んん……体重を預けたくなる……って、言えばいいのか?
「それを惚れた弱みって言っていいのかどうか」
寄りかかるのと依存するのは違うよなー……。
男としてそれはどうなんだーとか考える気はもちろんない。だってこの世界、むしろ男が弱いし。“男として”って言葉がちっぽけに聞こえるから不思議だ。
だからこそしっかりしなきゃって気持ちが無いわけでもないんだけどね。
男女の差別を考えるより先に、性別云々じゃなく一人の人として出来るなにかを探したいと思うのですよ。この世界じゃ特に。
「………」
三国の父。支柱。種馬。いろいろと名前を頂いてはいるものの、思い返すと少し遠いところを見たくなる。国に返すって意味ではこれほど大事なことなんてないとはさ、そりゃ思うけど。ああいい、もうやめやめ。悩むのやめだって覚悟決めたろ、俺。
「にしたって……」
たとえばそういう状況になるとして、どうやってそんな雰囲気になれと?
自然とそうなったら~とか三羽烏の時のように言ってはみたが、そんな自分は今から想像できやしない。
「惚れ薬の勢いで~ってのは一番勘弁だよなー」
や、そりゃそんなので告白してOKする人なんて居ないとは思うよ?
だってどう考えたってあれおかしいもん。いきなり抱きついて好きだー! なんてさ。
普段の俺を知っている人なら、まず間違い無く冥琳みたいな返しでくるはずだ。
…………アイアンクロー抜きで。
「……顔面って鍛えられるんだっけ?」
筋肉は成長させられない今の俺だが、こう……氣で包み込めば……!
「はぁあああ……!! ───潤い肌!!」
顔を氣で包んでみた。
…………姿見で見てみたら、ツヤツヤと輝いてらっしゃった。
太陽の下でならフェイスフラッシュとか出来そうだ。美肌の輝きってレベルじゃない。
「…………」
頭の中がごちゃごちゃしてるな。
寝よう。気づかなきゃ空腹も覚えなかったくらいだ、なんとかなるだろ。
もうこの暗さじゃ夕餉も終わってるだろうし。
(ああくそ、アニキさんの店に行きたい)
溜め息をひとつ、寝台まで歩いてドフリと倒れる。
珍しくお客らしいお客もなかった自室でひとり、やわらかく自分を受け止める睡魔を抱き締めて、いざ───
……。
…………。
「………」
朝だ。
馬鹿な……こはいかなること?
あのパターンだと絶対に来訪者が来て安眠妨害~ってオチでは?
「………」
ちらりと見れば美羽が寝ている。
ぽむぽむと頭を撫でてみると、「んにぅ~」と奇妙な声を出す。
そんな反応に笑みをこぼすと、それを今日の活力にする気で立ち上がった。
ぐうっと伸びをすればバルバルと震えるインナーマッスル。
それが、どこか重い朝の体に熱をくれる。
筋肉を震わせて熱を出す。シバリングと同じだな。
体温低いと朝が辛いって聞くし、熱は大事だよな。
「カロリーは寒いところに居たほうが消費するってテレビでいってたっけ。シバリングで筋肉使うからっていうのもあるけど、その熱で代謝が上がるからとも聞いたよな」
じゃあシバリングを自在に使えるようになれば筋肉を使用することで筋肉が大きく。基礎代謝も上がる。つまり太ってしまった場合はそれを行使すれば、綺麗に効率よく痩せられるんだろうか。
「COOOOO……!!」
波紋が疾走しそうな呼吸とともに体を動かす。
朝の準備体操もいいけど、たまには一工夫を。
まずは美羽を起こして伸びをさせたあと、説明をしつつ朝の体操+α。
「うむみゅ~むむむ……なんじゃ……? なにをするのじゃ……?」
「オーバーマンズブートキャンプへようこそ! 大丈夫! きみなら出来る!」
こしこしと瞼をこする美羽と対面しながら細かく説明。久しぶりの快眠も手伝って、少しテンションがおかしいのは気にしない方向で。
や、説明っていってもそう難しいものじゃない。
動きを真似してくれ~って頼んでから、その動きのひとつひとつを説明するだけだ。
まず肩幅に足を開いてお尻にギウウと力を込め、その状態で少し爪先立ちをして腿の裏側にも力を入れるイメージを足に叩き込む。
そうしてから力を入れたまま軽く、あくまで軽く中腰になり、一番尻と腿に負担がかかる位置をキープ。脹脛にも力を込めて、その状態のまま次は両腕を肩の位置まで上げて、背中側に逸らす。肘から上は上に向けて、背中の筋肉を刺激するようにぐぐぐ~っと後ろへ。
さらにその状態のまま肩幅に開いてある太腿を内側に絞めて、まあようするに足は開いたまま膝から上を閉じるイメージでギウウと力を込めて、さらにさらに腹筋に力を込めたまま上体をゆっくり後方へと傾けてゆく。その際、腹筋や腹斜筋にも力が入ったままになるように腹は引っ込めるイメージで。
某半裸頭巾の師範が“あ゛ああぁぁ~っ!!”とか叫びながらゲージを溜めているようなポーズだ。
これを、ゆっくり吐いてゆっくり吸う呼吸をしながら続けられるだけ続ける。
もうだめだと思ったそこから2秒耐えてみよう。
その2秒が叶ったらまた2秒。
自分の想像の限界をぶち壊した先で本当の限界が来たら、急いで力を緩めるのではなくゆ~っくりと力を緩めてゆく。休む時間は多くて10秒。10秒経ったらまた同じことの繰り返し。
これで朝に必要な熱は解放出来る筈だ。
「ふくくっ……!? く、くるしいの、じゃ、じゃじゃじゃじゃ……!!」
「辛くても頑張って! 辛い時こそ我慢だ! 呼吸を合わせて! はい! イー! アール! サーン! スー! ウー! リュー! チー! ワンモアタァイム! ゴー!」
「い、いー、ああああーる、ささささ……! わんもあとはなんなのじゃー!」
ぷるぷると震えていた美羽が、結構な速さで諦めた。「ぷあはー!」と可愛い声を出して構えを解いたのち、「なんなのじゃこれはー!」と久しぶりに俺へと文句を飛ばしてくる。
「オーバーマンズブートキャンプだ!」
「だからそれはなんなのじゃと問うておろー!?」
「大丈夫! きみなら出来る!!」
「なにがじゃ!? なにがじゃーっ!!」
ビリー先生は基本、聞いてはくれません。だって画面の先の人だから。
なので次。
「次に紹介するのは、先ほど絞めた背中を広げるものだ! よーく見て、同じ動きをしてみよう!」
「う、うー……」
文句は言っても結局は俺の言うことには頷いてくれるらしい美羽。
そんな美羽の頭をやさしく撫でてから、もう一度説明に戻った。
体の熱を解放する構えその2。
今度は足を肩幅よりも少し広めに開き、同じく尻と腿に力を。
さらに同じく腹も引っ込めるイメージで脇腹と腹筋に力を。
腹を引っ込ませるのと同時に背中を引っ込ませるイメージを高めてみると、脇腹にも力が入りやすい筈だ。
次にそこから上。胸筋を盛り上がらせる感覚で胸と肩に力を込める。その状態で胸の前で手と手を合わせ、押し合う。某半裸頭巾の師範が“ん゛んんんんんーっ!!”とか叫びそうな構えだ。
「む、ぬむむ……!」
その構えが完成したら、再び足は開いたままで太腿を閉じるイメージで力を入れてみよう。
熱のスイッチは太腿を閉じることだと体に覚えさせてみる。
もちろん肩幅以上に足を開いているのだから、太腿が合わさることはない。が、それでいいのです。閉じるイメージはただ単に閉じるのではなく、腿の内側の筋肉で絞める感じで。あくまで筋肉を刺激する体操なのだから当たり前といえば当たり前だ。
ほぼ全身に力が入り始めたところで、次だ。
「次はその状態で大きく息を吸って、吐いてみよう! 背中は開くイメージ! 胸は閉じるイメージ! 吸う度に背中の筋肉を開き、吐く度に腹筋と脇腹と丹田を絞めるイメージ! 絞めたらその状態を保ったまま吸って、吐く時はさらに絞めよう!」
「ん、んぎぎぎぎぅううう~……!!」
自分の手同士で腕立てをするイメージで押し合い、胸筋から肩甲骨、肩から手のひらまでミシィッと力を込めてこれをキープ。あとはシバリングのイメージを丹田で燃やして、息を大きく吐いて吸ってを力を込めたまま続ける。
「ぜえぜえと荒く吸ってはいけない。長く吸って長く吐くんだ。吐く時は口をすぼめすぎると風船を膨らませようとした時のようにジンジンしてくるときがあるから、某師範のキャラ絵のようにニヒルな剥き歯で吐いてみよう!」
「師範とは誰じゃ!?」
「……すごい漢だ」
疑問を飛ばす美羽とともに朝の体操(?)。
すぐに体が熱くなったようで、構えを解く頃には汗だくでぜえぜえと息をする美羽の姿が。
「では最後に体を大きく開いて背伸びの運動。足の幅はさっきの広さのまま、両腕をそれぞれ斜め上へと突き上げ、うおおおおーっ! と叫ぼう! はい! うおおおおおーっ!!」
「う? う、うう……? うおーっ!! お、おぉおお~っ……!」
ぷるぷると震える体で背伸びの運動をする美羽。
力は込めずに体を伸ばすだけだということを伝えると、彼女は喜んで背伸びをした。
まあ、眠気覚ましの伸びのようなものだ。伸びの際のプルプルとした筋肉の感覚を覚えておけば、案外発熱運動もやり易くなる。
「は、はうっ……はぅうう……!」
上手い具合に脱力出来たのか、美羽が寝台の端にぽてりと尻餅をつく。
尻餅つくカタチでよかった。もうちょっと足りなかったら寝台のカドに頭を強打していた。
「ん、んん~! ……久しぶりにやると結構キツイなこれ……!」
「うみゅ……じゃが確かに体は熱くなったの……。汗がすごいのじゃー……」
「眠気は醒めただろ?」
「う、うみゅ……しかしの、主様……。それを目的とするならば、最初のだけで十分だと思うのじゃがの……」
「ついでだよ。続ければ美羽も足腰丈夫になって、いろんなことが出来る基礎を体に叩き込めるぞ」
「な、なんじゃとっ!? おおお……そうなれれば妾も主様のためにいろいろと出来るようになるのっ!」
「………」
……ほんと、どうしてこんな素直な子が、あんな我が儘少女だったのか。むしろ逆か?
「体が小さい時に無理な筋肉をつけると体が成長しなくなるらしいから、無理はしない程度にね」
「なんじゃとっ!? う、うみゅ……それは困るの……」
「まあ、よっぽどのことがない限りは大丈夫だと思うから」
自分の知る9歳の子供がとてもゴリモリマッチョで、だけど長身に育ったのを知っている。漫画だけど。
初めて超野菜人2になった少年や、巨岩を背に腕立て伏せ3千回をやってみせる魔法先生は、いったいどうやってあんな長身に……。気にしたら負けか。
「よし、じゃあ目も覚めたところで……っと、はは……朝餉にしようか」
「おおっ、そうじゃのっ」
どうやら中々早起きだったようで、いつもなら外から聞こえる喧騒も穏やかなもの。どうせなら今日は朝から腕を振るってみようかと、着替えながらにんまり笑顔で思っていた。
しかしまあ、筋肉を使う運動をしても筋力は上がらないのは哀しいものだ。……頭はスッキリしたけど。