150/愛を育む人(再)
さらさらさらさら……
「………」
「………」
「………」
静かな時間が続く。
相も変わらず俺の足の間には人が居て、書類作業を見守っている。
「一刀、そこ。間違っているわ」
「オアッ!? ど、どこ?」
ただ、足の間に居るのは華琳であり、隣の丸机ではそれをなんだか羨ましそうに見つめる美羽が居たりする。しかしその美羽も特に騒ぐことはしていない。先に華琳に“せっかく大人になったのだから、大人しくして一刀に好かれる女性で在り続けてみたらどうなの”と言われてからあの調子だ。
誰かが急に大人になった~だのなんてことは、広めなければ案外静かに終わるものなんだろう。もちろんわざわざ大事にするほど暇ではない俺達は、特に騒ぐことも広めることもなく黙々と作業をして……腹が減れば食事を部屋まで持ってきて、食べた。
子供になった俺の例もあるからして、この状態がいつまで続くのかは謎だ。水で薄めることもなく原液で飲んでしまったからには本当の本当にいつ治るのかがわからない。や、この場合は“直る”か?
ともかくそんなわけで、“この状況”に慣れるためにも俺と美羽は華琳の言葉に頷き合って……こんな状況の中に居る。
どうして華琳が足の間に居るのかは、まあ俺が頼んだことでもあり……同時に華琳からの提案でもあったわけで。ようするに美羽に“我慢が出来る大人の女になりなさい講座”をやらせているようなものなのだ。
(以前に比べれば全然、様々を我慢出来るようになっているとは思うんだけどなぁ)
それでも華琳はその先を求める。
あんまりいっぺんにやらせようとすると折れるぞ~なんて言ったところで、どうにも華琳は袁家の者に遠慮がなさすぎる。
(……美羽の顔より体のほうに恨みがましい視線を飛ばしているところにも、いろいろと事情があったりするのかな)
そこのところはあまり深くは考えない方向で。
そういった察知能力が異常だからね、この世界の女性は。
大丈夫、俺だっていつまでも馬鹿じゃないよ。前にも似たようなことを言ったけど、今度こそ大丈夫さ。以前よりは……あくまで以前よりは乙女心というものを理解出来ているに違いない。
だからここで突っ込んだ物言いをするのは自殺行為と断言する。
無難がいいんだ無難が。
でもこの世界の女性に対する無難って何処までがセーフなのか、イマイチ理解しきれていないところがある。さすがにそれはって思うことでも“もっと踏み込め”的なことを言われる始末だ。
で、踏み込みすぎると武器突きつけられたり誤解されたり。
……じいちゃん。僕、この世界が僕になにを望んでるのかワカラナイです。
だがしかしだ。華琳の目が美羽の何処に向かっていたのかくらいはそのー……わかるつもりさ。だからここはこう言えばいいんだ。
「胸なんて個人差だし、俺は華琳の胸だったら大きくても小さくても目がァァァァ!?」
的確に目を狙われた! ゾブシャアとか鳴りそうなくらい……ではないにしろ、ズムと目を突かれた! なんということだ……振り向くことすらせずにこの北郷の両の目を!
「よくもそんなことが言えたものね、一刀。大きな胸があればすぐにそちらに目がいくあなたが」
「それは存在感があるものに目が向いてしまう人としての法則ってものでべつに胸が小さいからいかないとかそういう意味じゃ
今度は無言でギウウと腿を抓られた。
だが負けません。(なににだろう)
受けた誤解は解くためにある! なにせ誤りなのだから! そう、謎が謎のままなのは我慢ならない華琳なら、むしろ真相を知りたがる───より先に生爪とか笑顔で剥がされそうな気がした俺はもうヤバいのでしょうか。や、さすがにそれは非道の域だよね?
ああいやいや今はそんなことより誤解を解かなければ! 華琳は間違っている! 冗談抜きでそれは存在感の法則というものであって、おなごの胸といふものは、大きければいいというわけじゃあない! ……好きな相手の胸なら、どんな形でも触り心地でも愛を以って受け入れる───それが男の愛だろう!
わかってもらうんだ! そう……喩えを連ねることで彼女の高い理解力をさらに引き出し、心の奥底まで受け取ってもらう!
「存在感っていっても大きいものには目が行くのは当然だ! そうさ! 分厚い着衣で包まれた誰かの胸より、さらけだされた華琳の慎ましやかな胸に行くのは当然の目がぁああーっ!!」
再びの目潰しだった。
見えない! なにも見えない! なのに足の間にあるであろう小さな体から、見えないくせに確実にそこにあると理解させる殺気がメラメラと! 違うのに! 俺が欲しかった理解はこんな殺気じゃないのに!
「それはなに……!? 包まれた大きな胸に対して、私は胸をさらけださなければ見る価値もないということ……!?」
「あれぇ!? 喩えを出して深く理解してもらおうとしたことが裏目に!?」
まずい、これはやばい!
もう理解がどうのは───だ、大事だけど、今はとにかく回りくどいことを抜きにして真実の告白を!
「ちちち違うぞ!? 隠されてても曝け出されてても俺は華琳の胸が大好きだ! 大きさとかの問題じゃなくて、華琳の胸がブボベ!?」
喋り途中にビンタが炸裂した。それはとても綺麗なビンタでした。ええ、華琳さまも黒い笑顔でにっこりだ。
一言で言うなら“全力で伝えてみたらただのセクハラ発言でしかなくなってました”だ。真実って難しく、そして痛い。
「わかったからとりあえず黙りなさい」
「え、や、でも」
「だ・ま・り・な・さい?」
「……、……? ……ッ! ~……、───!! ……はぼっほ!」
黙る代わりにハッと思いつき、竹簡に“貴女の胸が大好きです”と書いたらビンタが飛んだ。うん、正直ごめんなさいでした。
しかしよくもまあ後ろ向きで器用にビンタを放てるもので……脅しと笑みを混ぜた時だけ振り向くのは本当に勘弁してほしい。
うう……困った、元からかもだけど、さっきよりも空気が澱んでしまった……。これはなにか適当な話題を出して、華琳が発する威圧感と不機嫌さを小さくしていくしか……! ……ていうか、俺踏み込みすぎたね。さっき気をつけるべきだと心に決めたはずなのに。
「……ちなみに天ではバストアップエクササイズ……胸を大きくする運動っていうのがあって───」
「………」
「フランチェスカで及川が女友達に教えて回ってたのを聞いただけだけど、やってみる?」
「………」
…………ワー、悩んでる。
なんというかこう、叩いた手前、乗り気でやり方を聞いてみることが出来ないのかもしれない。
ちなみになんで及川がそんな情報を知っていたのかは知らない。多分及川だからだろう。女の子と仲良くするためなら様々な情報を拾ってくる、いろいろと用意周到なヤツだ。
とりあえず俺は華琳のご機嫌を取るためにも、返事を聞かずに実践してみせた。
華琳の手を取って、胸の前で手を合わせて合掌のポーズ。
それから合わせた手を押し合うように力を入れさせて、胸の筋肉を刺激させる。脂肪は筋肉のエネルギーとして使用されるだろうが、それ以前に胸筋が無ければどれだけ大きかろうが垂れてしまう。
なのでまずは土台作り……そのためのノウハウを色々と囁きながら、次々と方法を教えてゆく。
そして……最初こそは手を動かして囁いていた俺だったが、いつしか自分の意思で動き出す覇王様。
次の方法を教えるたびに、集中している子供のように無言で小さくこくこくと頷く姿がなんというか可愛くて……!
「及川が言うには“良い恋愛をすると、女の子の胸はおっきくなるんやで~!”だそうだ。女性ホルモンの関係がどうとか言ってたな」
「じょせいほるもん……?」
「う……まあそのー……男が男らしく、女が女らしくあるためのバランス物質みたいなものかな? 男性ホルモンは筋肉に強く影響して、女性ホルモンは女性らしさに影響してとか、そんなところじゃないかな。俺も詳しくは知らない」
「女性らしく───…………一刀」
「ん? どした?」
筆をコトリと置いて小さく溜め息。
華琳の香りしかしない現状での呼吸はなんというかいろいろと大変だ。そんな中で深呼吸をすると、もう胸の中が華琳でいっぱいで───
「そのじょせいほるもんというのは、どうすれば得られるのかしら?」
「───」
───数瞬、思考を忘れた。
しかしハッとした時にはもう遅く、気をつけよう意識するより早く“その方法”を思い浮かべてしまった俺の主張が、華琳の一部を押し上げた。
「………」
「………」
「…………その。つまり、そういう……こと?」
「……ハイ……なんかすんません」
肩を落としてぐったりと謝った。
これは仕方ない。この状態で胸を張れっていうのはある意味男だが、俺はそんな男にはなりたくない。
しかし華琳は「……そう。なるほどね。だから良い恋愛をすれば、なのね」と得心したように深く何度も頷いていた。
「ところで一刀? 沙和が言っていたのだけれど、その…………む、胸を揉むと、大きくなるというのは───」
「あ、それは一部じゃ迷信って言われてるんだけど……ただ、好きな相手にリラックスした状態で揉まれるのは効果的らしいぞ? なんだったっけな、好きな人と居ることで女性ホルモンを分泌させて? さらに揉むことで乳腺っていうのが刺激されると大きくなる……かな?」
及川がぽんやりうっとり顔でトリップしながら言ってた言葉だから真実かどうかはわからない。“胸は脂肪と乳腺で出来ていて、胸は乳腺脂肪体というもので構築された神秘なんやでぇええ!”と、突然顔を真っ赤にして叫んでいた。あいつは何処へ行きたかったんだろうか。
「その乳腺っていうのが乳腺脂肪体っていうのを掻き集めて大きな胸になる。そして乳腺は女性ホルモンの分泌と適度な刺激で発達するらしいから、好きな相手に揉まれるのがいいんだとか」
「それは相手が女性であっても構わないのよね?」
「…………そういうこと、男の俺に訊きますか」
自分を好きだと言う男に女で構わないのかと言う覇王がおる。
これもう俺といたしましては泣きたくなるほど非道の域なんですが。
「んー……あのさ。華琳は相手が女でも自分が女であることを意識出来るか? どういう条件で女性ホルモンが分泌されるのか、詳しいことまでは俺も知らないけどさ。相手が男であることに越したことはないと思うんだけど」
「あら。一刀はそんなにも私の胸が揉みたいのかしら?」
「当たり前だ! 見くびるな!」
「えぇぅっ……!? そ、そう……?」
濃厚なる一夜を越えて俺も幾分成長出来たのだろうか。
なんかもう煩悩まみれでいろいろ目を瞑りたい気もするんだが、我慢がどれだけ恐ろしいかを覇王様を相手に理解してしまったこの北郷めといたしましては、出来るだけ本能は少しずつでも発散させるべきだとは思うのです。
「えっと……で、たしか……あ、そうそう。ストレスは……怒りとか鬱憤は女性ホルモンを殺すから、リラックスした状態じゃないと意味がないらしいぞ? 逆に脂肪を揉み解して胸を痩せさせる結果に繋がる可能性があるんだってさ」
「………」
ストレスに心当たりがありすぎるのか、華琳は眉間に指を添えて深い深い溜め息を吐いた。
「はぁ……呆れる事実ね。じゃあなに? 私の胸がその、こうなのは───」
「…………」
「……一刀? 何故そこで苦しそうに顔を逸らすのかしら?」
い、いやっ……これは決して“それはない”とツッコミたかったわけではなくて……! でも確かに女性ホルモンは結構殺されていると思うのだ。華琳って恋より仕事な人だもの。そんなんで女性ホルモンを発達させなさいっていうのは中々に難し───……あれ? でも結構女同士でアレコレやってるからそうでもない?
…………ああ、そうか……じゃあこれが彼女の“有りの
「一刀。怒らないから、その“人を哀れむ優しい笑顔”を私に向ける理由を話しなさい」
「怒ってなかったらこの腿つねりの説明が出来ないんだけど!?」
「あら。私は今怒っているのであって、これから言われることには怒らないと言っているのよ?」
「結局怒ってるだろそれ! そんな言葉遊びで怒られるなんて冗談じゃない!」
「はみゅっ!? ふぁ、ふぁふほっ!?」
抓られる腿の痛みに耐えつつ、反撃とばかりに頬を引っ張った。もうなんか定番の仕返しになりつつある。
「……華琳、これから大事な話をするよ。こうして華琳を足の間に座らせたわけだけど、よく思い出してほしいことがあるんだ」
「……
「華琳。ここが誰の椅子か知ってる?」
「…………」
ひょいと横から覗く華琳の表情。
口を横に引っ張ってるために少々カレーパンマン的な感じになっている彼女の顔に、たらりと汗がこぼれた。
「懐かしいよなー。俺も華琳に促されて玉座に座ったら、そこは王の椅子よーとか言われていろいろ大変だったよなー」
「……!」
華琳の視線があちらこちらへと飛ぶ。
まあ、結論を言ってしまうとここは支柱の椅子。
王にしてみればどの椅子も変わらないだろうが、同盟の証の椅子なわけで。それ言ったら雪蓮も美羽も座っているわけなんだが……言いだしっぺは華琳なわけで。
「………」
「………」
柔らかい口を離す。離した途端に、ババッと身構える。
なにかしらの反撃があるかと思いきや……華琳は静かなものだ。
……ハテ。
(静かなのが逆に不気味だと思う俺はもうおかしいのだろうか)
子供の頃の意識に引かれるがままに、普段言わないような意地悪なことを言ってしまったが……言っている間はいいんだが、言ったあとに“やっちまったァァァァ……!!”という恐怖が滲み出てくるのは人のサガでしょうか。
い、いや、この歳にもなって好きな子をいじめてでも気を惹きたいとかそんなことじゃない───は、はず……って……馬鹿な……! 断言できないッ……!?
「………」
何も起きない現在にどんどんと乾いていく喉をごくりと鳴らす。
気を紛らわすためにちらりと見た視線の先では、机から寝台に移っていた美羽が胸の前で手を合わせてグググと力を込めたり、もにゅもにゅとその豊満な胸を揉みってちょっと待ちなさいなにやってるの美羽さん!? 静かだと思ったらいったいなにを!? いや見ればわかりますね俺が言ったことを実践してただけですよねごめんなさい! そして及川! 今度会えたらオーバーマンのマスクのことも込みでキミを殴る! グーで殴る!
「やめなさい美羽! きみにはまだ早いから!」
「大丈夫なのじゃっ! 揉みほぐせば小さくなるのであろ!? 重いのじゃ邪魔なのじゃー!」
「そんな全世界の悩める女性を敵に回すようなこと言わない! そのままでいい! 及川曰く、そこには男の夢と浪漫が詰まって───はうあ言葉の途中から俺の足の間からモシャアアと殺気が溢れ出て……! ちち違うよ!? 今度ばっかりは大きいから目がいっていたとかじゃなくて、教育上の問題デシテネ!?」
「へえ、そう。教育上の。それは良い心掛けね」
「───」
殺気が黒い波となって華琳から溢れ出ている……! まるで砂糖がお湯の中で溶けていくようなゾルリとした黒い波が……!
「そ、そうっ、良い心掛けなんだっ! だから決してやましい気持ちなんて───」
「さっきは言えなかったのだけれど。一刀? あなた、美羽を抱きなさい」
「抱いてな───抱い……ハイ?」
「聞こえたでしょう? 美羽を抱きなさいと言ったのよ」
「………」
「………」
…………ワッツ!?
だ……抱く!? 誰を誰が!?
「あ、あああーああああの、ののの……!? 華琳さん……!? あの、すみません、なんかいろいろしたり言ったしてごめんなさいでした……! 謝るからさすがに笑えない冗談は───」
「あら。冗談なんかじゃないわよ? だってあなたは支柱であり父でしょう? 好きになる努力をする、支柱であることを自覚する。あなたの“のっく”付きの覚悟はもう散々聞いたし見てきたわ。……言ったでしょう? “初めては私がいい”という望みは叶ったのだからと。さあ、貴女がここで拒む理由があるかしら。それとも貴方は美羽が好きでもないというつもり?」
「くあっ……ず、ずるいぞその言い方! 美羽の前で! しかも事情を知ってるくせに!」
「ええそうね、だからはぐらかそうとしても無駄よ、紫苑から事情は聞いているから。───“意中の相手に好きだと囁いて、訊ね返されたら何度でも言う”。素晴らしいことね。私にさえ言いづらいことを言わせたのだから、貴方は当然言えるのでしょう?」
「ぎゃああああああああ!! 知られてたぁああああああっ!!」
思い返されるのは、通路の先で美羽に告白しまくったこと。
紫苑に大見得をきった少年の自分を呪い殺したくなった。
そして同時に美羽にフラレまくった痛みが胸にズキーンと走って、しかもそんな恥ずかしい事実を華琳にまで知られていて、穴があったら入って埋まって死んでしまいたくなりました。
そして……そして俺は、美羽に自分の気持ちを打ち明けなくてはいけないのか……!? ……あれ? でも俺、別にこの姿になってから美羽に好きだとか言ったわけでもないし、訊ね返されたわけでもないよな?
「な、なんだ安心───」
「美羽。貴方は一刀に自分をどう思ってもらっていてほしいのかしら」
「させて!? 安心させてよなに訊いてんのちょっと!」
「う、うみゅ? そうじゃの……」
「みみみみみみ美羽!? 言わなくていいぞ!? 無理に言わなくていいから! 言って、しかも訊かれたら俺も言わなきゃいけなく───ぐああああ!!」
言ってて自分で自分が最低に思えて泣きたくなった。
でもじゃあどうしろと!? 抱けといわれたから抱きましたとか俺には無理───でもなかったごめんなさい! 魏のみんな───主に春蘭が思いっきりそんな感じでした!
「……主様はやさしくて、時に厳しく、温かくて、妾、何より主様の目が好きなのじゃ。きっと妾に兄が居たならばこんな感じなのじゃろうのといつも思っておったの」
「───」
兄……! 兄……兄かぁ……。あ、あれー……喜んでいい状況な筈なのに、なんだか物凄くダメージが……! 子供の部分の俺がひどいダメージを受けてぐったりしている……!
ま、まあそうだよな。ああいう接し方だと兄とか父親みたいって思われるのが当然で、そもそもそこから愛だの恋だのに向かうほうがおかしいんだ。
そう思ってみたら少し心が軽くなった。
だから俺は華琳をソッとどかして椅子から立ち上がると、わざわざ素直に話してくれた美羽の前まで歩き、寝台の上にちょこんと座る彼女の頭を撫でて……同じ目線で笑って言う。
「そっか、ありがとうな美羽。兄みたいに接することが出来たかどうかはわからないけど、美羽がそう思ってくれてるなら俺はこれからも───」
───マテ。
あれ? なにかが引っかかる。
何が引っかかるのかと考えてみるのだが、どうにも引っかかりを掴み取ることが出来ないでいた。
ハテと首を傾げそうになったその時、撫でたままの美羽の視線に気づいてその瞳を見つめ返す。俺の目の奥を見るその視線が、いつものように俺の目から感情を読み取るようにじぃっと……あれ? 感情を読み取るって───あ。
「───!」
やばい───と思ったら美羽の顔が一気に灼熱した。
いやいや待て待て!? 俺は確かに美羽のことが好きだと少年期に言ったぞ!? でも今思ってたのはこの子を大切にしたいって思いだけであって、好きとか嫌いとかは特には───! 特には……あ、あー…………あぁあーっ!?
「っ……そ、それで……じゃの。その。兄のように“思っておった”のじゃがの……。この姿になってから、何故か主様を見ているとここが苦しくて……の……」
「…………!」
そう……美羽は“思っておったの”と。過去形で言っていたのだ……! 引っかかりはそれだ……! つまりそれは、今は違うという意味であり……あぁあああ嫌な予感が……!!
しかも体が大人になった所為か、無邪気だった部分が大きくなった体に追いつこうといろいろと頑張った可能性も高く、俺の目の奥をじっと見つめる美羽の目が潤んできて………
「の、のう、主様? 主様は、妾のことが……その、邪魔かや……? さっきも妾が足に乗っていたら辛そうにしていたのじゃ……。だというのに曹操を乗せた時は嬉しそうに……。妾、妾……」
ヘッ!? ホワッ!?
ななっ、涙!? 泣くっ!? アワワワーワワーッ!?
「いやいやいや違うぞ!? いや違わないけど! いや違うってのは辛そうにしてたってのが違うって意味で! 確かに華琳を乗せた時は嬉しそうな顔をしていたかもしれないけど───って華琳!? なんでこんな時に顔緩めてるの!?」
「へわっ!? ゆっ……!? ───こほんっ! ……何を言っているのかしら? 緩めてなどいないわよ?」
じゃあなんで視線逸らすの!? なんて言っている場合ではなく、……って訊かれた! どう思ってるとかじゃなくて邪魔かどうかだけど、訊かれてしまった!
え!? あの!? もしかしてアレなんですか!? さっきまでてれてれと俺と視線を合わせては恥ずかしそうにしてたのって、意識が大人に近づいたために起きた青春的なアレなんですか!?
そりゃ俺も子供に戻った時は、精神が無理矢理子供の状態に引っ張られたけどさ! つまり美羽の現状は、過程を素っ飛ばした所為で、物凄い勢いで美羽が大人になろうとしているような感じ……!?
……いや待て。この時代って結構若い内に結婚とかするんだっけ? ああだめだ頭が上手く回転しない! 頭の中の引き出しから上手く情報を引き出せない!
そうこうしている内に、美羽が自分の頭を撫でている俺の手を両手できゅっと掴んで、胸の前まで下ろすと……怖さとか恥ずかしさとか勇気とかをごちゃまぜにした不安げな表情で俺を見上げたまま、
「妾……主様のもとに全てを置くと決めたのじゃ……。だから……妾のことを邪魔だと思っておっても、どうか傍に置いてほしいのじゃ……。ここが痛くて、苦しくても我慢するから……の、主様……」
ギャアアアア!! そんな、そんな捨てられた子犬みたいな目で見ないでくれ! 胸が痛くて苦しいとか言わないで! 俺べつに悪いことしてない筈なのに胸が痛い! 痛……し、してないよね? 悪いことしてないよなぁ俺!
「の、のう曹操……? 胸が、胸がきゅうって苦しいのじゃ……これは病気なのかや……? 妾、死んでしまうのかの……」
「うっ……」
じわりと潤んだ目で見つめられた華琳がたじろいだ。
ああ……わかる、わかるぞ華琳……。
ちっこい美羽がこの顔をしたって“まあ子供だから”って感じなんだけど、大人……といっても俺達と同じかそれより少し上くらいの容姿でこの顔をされるとな……。妙な罪悪感とともに、手を差し伸べてやりたくなってしまうんだよなぁ……。ええと、つまり何事かというと……困ったことにとんでもなく綺麗でいて可愛いのだ。泣かせたって時点で罪悪感感じるくらいに綺麗で可愛いのだ。
とか思っている内に華琳がこちらをちらちらと見てきて、目で“なんとかしなさい!”と訴えかけてきた。……え? 俺? ななななんとかって、俺が!?
ってそうだよ、俺、嫌いかとか訊かれてたじゃないか!
「えっと……な? 美羽……」
「…………?」
俺のおどおどした雰囲気から最悪の返事でも連想したのか、美羽が急に身を縮み込ませ、上目遣いで俺を見る。……それでも握った手は離さないらしい。
「とりあえず、その……お、おれっ…………俺はっ」
「…………」
「俺は…………───あー……その。美羽のこと、嫌いってなんか、いないぞ?」
汗をだらだら流しながら放った言葉は、なんともまあ無難な言葉でした。“この状況でそれかヘタレ”と言われても否定できない言葉で、自分もそれを自覚しているだけに背後から届く殺気がギャア怖い振り向きたくない!!
「ま、まこと……まことか……? 妾、主様に嫌われておらんのかや……?」
「ももももちろんだとも!」
「なら───ならば、好いてくれておるのかの……?」
「ヘアァッ!?」
殺気がギシミシと骨を圧迫するような状況の中で急に言われた言葉に、思わず伝説の超野菜人のような声が口から飛び出た。
えっ、ヤッ……なんという予想外な……! 想定外……よもやこの北郷の思考の先を歩んでみせるとは……! これが一般人と袁家の者の各の差だとでもいうのか……!
などと心の中で言われた言葉の整理を懸命にしている内にも、返事をしない俺の瞳を覗き込んで、さらに不安を胸にぽろぽろと涙してゆく美羽がルヴォァアアーッ!!
焦る。
慌てる、心がざわめく。
頭が熱くなって、頭の中がぐちゃぐちゃになって、考えることが難しくなって───なのに、急に寒さを感じた。