真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷(ぜろくろ)

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07:呉/訪問者と罪⑤

23/認めること、生きること

 

 ───たとえばちいさな頃のこと。

 なにをするにも理由を求めず意味をも求めず、やりたいことをやっていた。

 楽しければそれでよかった。

 意味のないことが楽しくて、たとえそれで服を泥だらけにしてしまったとしても、それすらもが“楽しい”の一つだった。

 

 ───なにがいけないことで、なにがいいことなのか。

 そういうことを少しずつだけど知っていくと、“楽しい”もまた減っていった。

 自分は大人にならなきゃいけなくなって、いつしか“僕”は“俺”に変わり、見るものの全てが変わってしまっていた。

 小さなシャベルを持つ手はシャーペンばかりを持つ手に変わり、

 道に落ちていた木の枝を振り回していた幼い手は、竹刀を振るう手へと変わり。

 そうして気づけば大人になって……でも、砂場で山を作る楽しさを、砂に水をかけて泥にするだけでも笑えた頃を、時々だけど思い出す。

 そして、同時に考えるんだ。

 自分はかつて描いていた夢の自分に、少しでも近い自分でいられてるんだろうかと。

 子供の頃に描いた夢なんて、もう覚えてはいないけど───笑みを絶やさなかった自分は、当時なにを夢見ていたのか……そんなふうに過去を振り返ってみても、思い出せるのはどうでもいいようなことばかりだ。

 

 高いところに登っては、そこから全てが見えている気になっていた。

 怖いものなんてなくて、犬にだろうが猫にだろうがぶつかっていって、大人が気持ちの悪がる虫を手で掴んでは、自分は大人よりも優れていると笑っていた。

 けど……いつかはそんな自分ともさよならをしなくちゃいけなかった。

 恐怖を覚えた代わりに、純粋に楽しむ心を凍てつかせていく。

 恐怖を知ることが大人になるってことなら、それはどうしても避けられないことであって、受け入れなきゃいけない大事なことなのだろう。

 

 ……それでも、やっぱり思い出す。

 怪我をすることさえ恐れず、喧嘩をしても謝れば許し合えたあの頃を。

 どれだけ願っても、帰ることも辿り着くことも出来ないあの頃を。

 手を伸ばせば届くのだろうか。

 声帯が許す限りに叫べば、あの頃の自分に届くだろうか。

 そんなことを、本当に時々だけど、考えた。

 

……

 

 ───深く思考に沈んでいた頭を振って、溜め息を吐く。

 建業の街から仰ぐ空に感想のひとつも唱えず、視線を街に戻してから、ふと気になって振り向く。

 そこには何も言わない甘寧が居て、目が合うとギロリと睨みつけてくる。

 そんな目に少し苦笑気味に、振り向かせていた体を戻し、歩いた。

 

「……たぶんさ。華琳は民を許したいなら自分が罪を被れって言いたかったんだよな」

 

 独り言みたいに呟くけど、返事はない。

 そんなことにも苦笑しながら続けた。

 

「民への罰が騒ぎの禁止だとしても、ようは呉の民として、悪事らしい悪事を働かなければお咎めなんてないわけなんだから」

「………」

「そんな民への罰の“重い部分”が俺に降りかかって、でも……拒否権の剥奪っていったって、命を取ることもこの地に縛ることも禁じた。甘寧のことにしたって、俺が一人で出歩くのが危険だからって理由でわざわざ“俺の下”につくようにって言ってくれたのかもしれない」

 

 それでも気になることはある。

 どうして雪蓮や冥琳は、魏に処罰を任せようとしたんだろう。

 刺されたのが俺だからって、処罰の権利を他国に譲るっていうのは、それこそ部下や民に示しがつかないだろうに。

 権力に興味がないから? それとも華琳なら面白い裁き方をしてくれると思ったから?

 考えれば考えるほど、雪蓮っていう人物が掴めない。

 

「あのさ、甘寧。囲まれてボコボコにされる状況で民を殴るのって、罪になる?」

「なるわけがないだろう。そもそも貴様に罪があること自体がおかしい」

「……それってやっぱりさ、民を無罪にしたいなら俺に罪を被れってことで、いいのかな」

「罰を受ける必要があるとしたら私と民だけだ。罪は罪。相応の罰は受けねばならない。民の分をわざわざ貴様が被るというのなら、止めはしない」

「ん……確信なんてないけどさ、華琳は“死罪が嫌ならそれを除いた刑を、王としてすればいい”程度のことを書いただけで、詳しいことなんてのは書かなかったんじゃないかな。処罰というよりは、“意見”を書く程度で」

「何故そう思う?」

「えっと、それはその」

 

 “私が非道な王と思ったのならば……劉備、孫策。あなた達が私を討ちなさい”

 

 そうまで言ってみせた彼女が、理不尽な裁きなんてするはずがない……そう思ったから雪蓮たちは信じたんじゃないだろうか。

 華琳が家臣に求めるのは絶対の忠誠。桃香と雪蓮に“私に仕え、大陸を立て直す力を貸しなさい”とは言ったけど、平和を乱さない限り各国の在り方に干渉しないとも言った。

 それはつまり、他国のことは他国が決めるべきだってことで───

 

「華琳はさ、国が平和であるなら干渉はしないって言った。俺が刺されたことでそれは崩れかけたんだろうけど、罪は罪だからって理由で民の悲しみ全部を死刑で処理したら、それこそ平和が乱れるよ。華琳は望んで平和を乱すようなこと、しない。だから無罪だけは許さない方向で、こうしたらどうか、みたいに書いた……って、そう思うんだけど」

 

 華琳からの報せを見ることが出来ればいろいろと理解も早まるんだろうけど、今俺が許されているのは“民たちに罰を伝えること”だけだ。

 書簡か巻物かは解らないけど、王から王へ届けられたものを俺なんかが見ることは出来ないだろう。

 

「ならば貴様への罰はどう説明をつける? 曹操殿は貴様が罪を被ることも予測できていたというのか?」

「罰かぁ……拒否権を剥奪と、俺の口から民たちに報告、だよな?」

 

 予測もなにも、手紙を出してしまっている。

 あんな文章を見れば、俺が庇おうとしているのなんて丸わかりだ。

 雪蓮だって“俺が無罪にしたがっている”ってことは書いただろうし、予測できないはずもない。

 

「……愚問だったな」

 

 甘寧も自分で言って気がついたのか、目を伏せながら小さく呟いて、溜め息を吐いていた。

 

「甘寧はさ、華琳から届いた報せには目を通せなかったのか?」

「届いた時点で権利剥奪が決まっていたなら、私が拝見できる理由がない。私はその時すでに、将ではなく庶人だったのだからな」

「う……ごめん」

「いちいち謝るな、鬱陶しい。貴様が謝る理由がどこにある」

「だってさ、俺が───いや。そうだよな……うん」

 

 ごめんばっかりじゃだめだ。

 俺は俺がやりたいように動いて、甘寧はそれを止めずにいてくれた。

 刺されたことは想定外だったろうけど、自分の立場が危うくなることも知っていただろうにそうしてくれた。

 だったら言うべきことはごめんじゃなくて───

 

「ありがとう、甘寧」

「なっ───」

 

 歩かせていた足を止め、向き直ってから真っ直ぐに目を見て感謝を。

 止めようと思えばいつでも止められたあの騒ぎ。

 そうしなかったのは、祭さんとの会話を聞いていたのもあったんだろうけど───急に招かれた俺なんかにも考えがあったからだと思ったからで、雪蓮に呼ばれたってことでそれなりの信じる価値があると判断してくれたから。

 だからありがとうを。真相がどうあれ、あの時割って入ってこないでいてくれてありがとうと。

 

(………あれでもし、多少も問題が解消されなかったら、俺……物凄い最低男だったよな)

 

 自分の足りないものをいろいろと考えて苦笑いしていると、目の前の甘寧がやっぱりギロリと睨んできた。

 

「あっ、いやっ! 今のは甘寧を笑ったわけじゃなくてっ!」

「………」

 

 言っても睨むことをやめない甘寧は、さっさと行けとばかりに視線で先を促した。

 そんな態度に一度頭を掻いてから、料理屋目指して向き直って歩き出すと、逸らしていた思考をもとの位置へと戻してゆく。

 

(華琳からの罰……だよな)

 

 甘寧への罰が、本当に華琳からのものかは解らない。意見だけを書いて寄越したにしたって、一応は魏の人間である俺が刺されたことに対して、なにも言わないままっていうのもおかしい。

 ……これについては祭さんか雪蓮に訊いてみよう。

 で、俺の罰のことだけど───これは確実に華琳からの罰だとは思う。

 

  “貴方ね……騒ぎを鎮めに行ったのに、貴方自身が騒ぎを起こしてどうするの。少しは反省しなさい”

 

 ───的な感じで。

 その罰の内容っていうのが……1、呉の将からの“頼み”、または“命令”あたりを拒否することなく死力を尽くして行うこと。

 そして2、民への罰を、俺自身が一言一句違えることなく伝えること。

 ……1については、言われるがままに動くってことでもいいから、きっかけを作ってさっさとみんなと仲良くなって、力を合わせて迅速に問題を解決して、とっとと帰ってこいってこと……なんじゃないだろうか。

 もっと別のきっかけ作りの方法もあるだろうに……これってやっぱり、心配させたことへの報復だったりする……?

 じゃあ、2。俺の口から言えっていうのは───

 

(拒否権のことは置いておくとして、“俺の口から一言一句違えることなく民に伝える”っていうのは……刺された俺自身の口から言うことで、罪っていうのを民に刻み込むため……かな)

 

 “二度と騒ぎを起こさぬと誓い、呉の発展のために生涯を尽くすこと。これを破りし時は鞭打ちの刑とす”。

 この罰自体は……うん。呉の民として普通に暮らしていれば、そう間違ったことは起こらない。

 起こせば鞭打ちになるってわかっているのに、好きこのんでそれを受ける輩は居ないだろう。

 

(こういうことって、普通は民を集めてから言うんだろうけど……)

 

 一言一句違えることなく伝える。でも、伝え方くらいは選ばせてほしい。

 そうしたらもう我が儘は言わない。許可なく城を抜け出すこともしないし、華琳に心配させるようなことはしないから。

 

「……考えは纏まったか?」

 

 いつの間にか地面ばかりを見ながら歩いていた。そんな視線を真っ直ぐに戻すと、後ろから聞こえてくる声。

 それに「ああ」と返すと、少し速度を上げて歩く。

 

「今、仮説をいくら立てても仕方ないよな……知識は足で知っていくよ。今はまず、親父達に言うべきことを言わないと」

 

 言ってはみるけど気が重い。

 息子代わりになるって言って数日で、“罰がありますよ”なんて言わなきゃいけなくなるなんてなぁ……。

 

「…………おい」

「ん? なに?」

 

 仮説がどうこう言いながらもまた考え込みそうになっていた俺に、甘寧は特に感情を込めずに声をかけてきた。

 なんとなくだけど、振り向かずにそのまま歩いて聞けって言われている気がして、振り向けなかった。

 

「そういえば貴様は、民を親と呼んでいるな。子を亡くした者たちへの同情か」

 

 やっぱり随分とストレートな人だ。遠慮ってものを知らない。

 だからこそ返しやすいってこともあるわけだけど。

 

「……ん、同情なんだと思う。子を亡くす痛みはわからないけど、誰かが急に居なくなる痛みはわかってるつもりだから。……本当に同じ痛みを感じることなんて出来ないだろうけど、可哀想とも素直に感じた。どれだけ理屈を並べようと、同情以外のなにものでもないよな」

 

 でも、今ではよく受け取られがちの“見下す感覚”のそれとは違う。

 空いてしまった穴があるなら、俺を利用してでもいいから埋めて、微笑んでほしいって本気で思った。

 こういうことって、言い始めたらキリがないけどな。

 

「俺はいずれ魏に帰る。ずっとあの人達の息子代わりではいられないけどさ。たとえばこうして、今ここに居る間だけでも息子代わりになって、少しでもあの人達の心の隙間を埋めることが出来るならさ。それって、きちんと意味のあることだって思うんだ」

「そうして隙間を埋めておいて、時が来ればさっさと帰るか。……無責任だな」

「うん、それだけだったら本当に無責任だ。でもさ、思い出にだって隙間を埋める力はあるよ。息子さんの思い出でも、俺との思い出でもいい。それが“悲しい”だけの埋め方じゃなければ、きっと笑ってられるよ」

「………」

「……それにさ、二度と会えないわけじゃないんだし……まあ、二度と来るなって命令されたら、従わないわけにはいかないけど」

 

 俺じゃなくても、今なら呉の将だって民と積極的に繋がりを持とうとしてくれている。だったらきっと、俺が空けてしまう少しの隙間も埋まってくれると信じよう。

 

(うん)

 

 頷くと同時に、ザッ、と辿り着いたそこは親父の料理屋。

 まだ賑わっているらしく、中からは笑い声が漏れてきていた。

 その賑わいを崩すかもしれないと考えると、やっぱり気が重い自分が居る───が、ここでこうしていても始まらない。覚悟を決めると、店の中へと入っていった。

 

「んぐ? ……むぐっ……ほっ……ふぁぶふぉばべぇぱ(訳:一刀じゃねぇか)」

 

 迎えてくれたのは卓に着いて炒飯をモリモリと食べていた別の親父。

 その声に、次々と視線を俺に向ける食事中の皆様方。

 ……困った、予想以上にみんなが笑顔だ。

 

(でも、言わないとな───……よしっ)

 

 深呼吸をしながら、どう伝えるかを思案。

 ストレートに? それとも遠回しに? 遠回しって言ったって、一言一句違えることなくだからなぁ……。

 

「みんなっ! ……その……ちょっといいかな」

 

 笑顔を向けてくれる民たちに、まずは自分の声が届くように声を張り上げてから、あまり良い報せではないことを解らせるように沈んでいく声。

 故意にそうしようとしたわけでもないのに、自分の心境がそうさせた事実に自分が一番驚いた。

 

「な、なんでぇ、急に沈んだ顔して。もしかしてメシ食いにきたのに懐が寒いとかか?」

「はっはっは、だったら俺が食わせてやる! ……と言いてぇところだけどよ、俺の懐も寒いもんだしなぁ……」

 

 料理屋の中に笑いが響く。

 こんなふうにしてみんなが笑っていられる日を望んでいたはずなのに、それに水を差すっていうのは…………いや。罰は罰、だよな。

 

「えっと……さ。雪蓮からの“罰”を報せに来た」

『───』

 

 口にしてみればほんの一瞬だ。

 今まで賑やかだった場は凍てついたように静まり返り、耳を澄ませば一番離れた卓に座る人の息遣いまで聞こえてきそうな静寂に支配される。

 

「罰か……やっぱり流れたりはしねぇよなぁ……」

「覚悟はそりゃしてたけどよ…………なぁ一刀。俺達はどうなるんだ? 死刑にでもされるのか?」

 

 反応は様々だ。

 落ち着いて受け止める者、震え出す者、叫びたくなる自分を抑えて呼吸を荒げる者。

 そんな彼らに、俺は罰を告げる。死ぬことはないのだと、せめて早く伝えるために。

 

「“二度と騒ぎを起こさぬと誓い、呉の発展のために生涯を尽くすこと。これを破りし時は鞭打ちの刑とす”。これが、罰の内容だ」

 

 すぅ、と息を吸ってからしっかりと届ける。一言一句違えることなく、はっきりと正確に。

 すると親父達は、言葉を聞いていたにも係わらずビクリと身を竦ませて…………たっぷりと時間を取ってから、パチクリと目を瞬かせた。

 

「…………へ?」

「ん……あ……? ちょ、ちょっと待て一刀。今なんて言った?」

「さっ……騒ぎを……起こさなけりゃいい、って……?」

 

 それぞれ困惑を口にする。

 かつての敵国に居た者に暴行を加え、刺傷まで負わせたというのに、事実上の無罪───それがみんなに逆に不安を覚えさせる。

 

「ああ。騒ぎを起こさなければ大丈夫。呉に尽くすって部分も忘れずに暮らしていけば、問題らしい問題は起こらないはずだ」

「そ……う、なのか……?」

「や……けどよ。なんでそんな……」

 

 一度は静まった場が再びざわざわとざわめきを見せる。

 不安なのは俺も同じだけど、そんなにひどい結果にはならないはずなんだ。

 真っ直ぐに受け止めて、どうかまた笑顔を見せてほしい……そう思うんだけど、不安っていうのはなかなか取り除けないものだ。

 笑顔を取り除くことは簡単なのに、不公平だよな……。

 

「大丈夫だからさ、不安に思わなくても平気だ。きちんと決まったことだし、騒ぎを起こさなければ罰せられることはないよ。だから───」

 

 どうかわかってほしい……そう届けたいのに、みんなは不安を口にするばかりで俺の声を聞いてくれない。

 一刻も早く自分の中の不安を取り除きたいから質問を投げかけるのに、投げかけることに必死で俺の声が届いていないのだ。

 まるで報道陣みたいだなと思いながらも、一人一人の質問を受けるたびに、その人の目を見てから質問に答えていく。

 いっぺんに片付けようとするから届かないなら、一人一人に届けよう。それでもダメなら……えっと、どうしようか。

 そんなふうに少し困りかけていたその時だった。

 

「静まれ」

『───っ!!』

 

 低かったのによく通る声が、店の中を一瞬にして静寂の空間に変えてみせた。

 声を放ったのは……甘寧だ。

 

「かっ……甘将軍……!?」

「甘将軍がなぜ……?」

 

 キンと張り詰めた緊張が場を支配する中で、今度は疑問によって静かにざわめき始める場。

 しかしそれも、横に立った甘寧がギンとひと睨みするだけで静まってしまった。

 あの……僕の発言は彼女のひと睨み以下なんでしょーか……。

 

「………」

「あ……っと」

 

 軽く、本当に軽くショックを受けていると、甘寧が視線で先を促してくる。

 これじゃあいけないと気を取り直して、罰についてのことを事細かに説明していく。

 ……のだが、やはり納得がいかないのか、俺を殴ったことをそんなに重く感じてくれているのか、みんなは中々受け入れようとはしなかった。

 そうして、どうしたものかなと考えていると───

 

「納得出来ないというのなら聞け。お前達の罪の残りは、この男が被った」

 

 甘寧の一言で、場はあっさりと混乱の渦へと投げ出された。

 

「ちょっ、甘寧!? それはっ───!」

「黙っていろ。事実上の無罪では納得がいかないというのなら、多少の罪悪感を持たせてやればいい」

 

 民がそれを望んでいるならなおさらだ、と続ける甘寧に、思わずポカンと開口。

 そんな俺へと、彼女はさらに言葉を投げた。 

 

「貴様はこう言ったそうだな……“届けたいなら手を伸ばせ”と。ならば貴様も手を伸ばせ。自分だけが全てを背負う気で向かったところで、民も将も喜ばん」

「………」

「民が笑顔になり、代わりに誰かが背負いすぎるのが貴様の言う手を取り合うことならば、私から言うことなどなにも無いがな」

「───……いや」

 

 そうか……そうだ。また間違うところだった。

 手を取り合うって、一方的に背負ったりして相手の負担ばっかりを消すだけじゃないよな……。

 まいったなぁ、本当に。

 じいちゃん、俺……まだまだ守られる側、教えられる側みたいだ。

 

「かっ……甘将軍? 一刀が背負ったって……いったいどういうことなんで……?」

「お前達が受けるべき罪は重いものだ。騒ぎを起こすことには確かに理由があったとはいえ、同盟国の者への暴行。さらには刺傷までを負わせれば、無罪で済むはずもない」

「う……っ……そ、そうですが、なぜそれで一刀が……っ」

「この男がお前達の罪の軽減を願った。代わりに、とまでは言わないが、その分の罪はこの男が背負うことになった」

『っ……』

 

 みんなが息を飲み、ざわざわと話始める。

 けどその話し声も長くは続かず、シンと静まってから……親父がみんなより一歩前に出てきて、言った。

 

「一刀。正直に答えろ。お前は……それでいいのか?」

 

 真っ直ぐに俺の目を見て、虚言を許さぬ凄みを持って。

 だから俺も真っ直ぐに見つめ返して、頷くとともに返事を返した。

 

「ああ。それでこの件が治まってくれるならそれでいい。だから……みんな、お願いだ。今を、思いっきり楽しんでくれ。べつに俺は死罪を背負わされたわけじゃないからさ、死ぬなんてこともないし」

「一刀……お前……」

「ごめんな、親父、みんな。補うって言ったのに、もう手伝いとか出来ないと思うんだ。もう勝手な行動は取れない。ここに来た理由を果たすために、呉の国に尽くすんだ」

「理由? そりゃ、なんだ?」

「ん……」

 

 チラリと甘寧を見る。と、「好きにしろ」と目で返事をされた。

 

「……うん。えっとさ、俺が呉に来た理由ってさ。……民の騒ぎを止めること、だったんだ」

 

 その一言でみんなが再びざわめく。

 みんなが俺を見て、視線を外さないままに。

 

「でも、間違わないでほしい。確かに最初は頼まれたことだった。雪蓮は気まぐれみたいに頼んだんじゃないかなって今でも思うけどさ。でも……みんなにわかって欲しいって思ったのは俺の本音だ。戦いはもう終わったんだ、“笑ってやらなきゃウソだ”って言った言葉だって、俺の本当の気持ちだ」

「あたりめぇだ。下手な同情から出された拳があんなに痛くてたまるかよ」

 

 いやあの……こっちだってめちゃくちゃ痛かったんだけど。

 ああうん、今はそれはいい。

 

「うん。そうやってみんなと向かい合ってぶつかり合ってさ。今まで上っ面ばかりしか見えてなかったものの内側が、見えた気がした。考えるだけじゃわからないこと、ぶつかりあってみて初めて聞ける本音っていうのがあるんだって」

「……おう」

「……痛かったけどさ。殴られた場所も、殴った拳も痛かったけどさ。知ろうとすることが出来て良かったって今なら思えるよ。器用な人なら殴り合わずに解決できるのかもしれないけど……うん。こうして生きてる今だから言えるんだろうけど、殴り合えてよかった」

 

 殴り合えてよかったなんて、言葉としてはおかしなものかもしれない。

 戦は終わったんだって教えたかったのに、殴り合ったことがよかったなんて、本末転倒だ。

 でも……そんな中で斬られる痛みを知って、民の痛みを知って。自分は少しは以前の自分よりも“何か”を学べたんだと思う。

 

「おめぇはやっぱり、どこかヘンだよなぁ」

「天の国ってのはお前みたいなのばっかりなのか?」

 

 苦笑する親父たちが口々に呆れをこぼしていくと、さすがにヘンなんだろうかとか考えてしまいそうだが、どう思われようともそれが自然体なら胸を張れるってものだ。

 

「そんなお前が騒ぎを起こすやつを静めるってか……お前一人でどうこう出来る問題じゃあねぇだろう」

「ああ、それは俺だけでやるんじゃない………………よね?」

「私に訊かれたところで答えられん。私はもう将ではないのだからな」

 

 親父からの疑問に答えつつも訊ねてみると、甘寧はそんな俺をばっさりと切り捨てるように言った。

 うわーい、この人俺にはとっても冷たいやー。

 

「え……? か、甘将軍……? 今、なんと……?」

「私はもはや呉の将ではないと言った。現在の私の立場はお前達とそう変わらん。この男がお前達に暴行を加えられているところを傍観し、あまつさえ刺されるのを見過ごした。この結果は当然のことだ」

「っ……───申し訳ありませんでしたっ! あ、あっしらが騒ぎなんぞ起こしたばっかりに……!!」

「構わん。お前達が騒ぎを起こしていたのは、家族を失った悲しみからだろう。戦ばかりをしていた私達では、力で押さえることくらいしか出来なかっただろう」

 

 そこまで言ってから一度口を閉ざすと、甘寧は俺を横目で見てからもう一度口を開く。

 

「……それをこの男が、綺麗にとは言えないが、治めてくれた。お前達の心が少しでも救われたのなら、私の地位くらい安いものだ」

「かっ……甘将軍っ……!」

 

 言い方は素っ気無いものだった。だけど、すぐ近くで見ていればわかることがある。

 口調がどれだけ素っ気無くても、みんなを見つめるその目は鋭く冷たいものではなく、とても暖かいもので───あ、あれ? なんか急に目付きが鋭く……って甘寧さん!? なんで睨むんですか!? 俺ただ感動して見つめてただけだよ!?

 

「……そうだな、貴様の言う通りだ。戦はもう終わったのだ。今必要とされるものは武器を振るう手や立場ではなく、人を思う心だろう」

「え……甘寧?」

 

 睨む目は変わらず……なんだけど、口から出るのは目つきとは逆の言葉。

 ……素直に驚いた。さっきもそうだけど、この世界ではみんながみんな、自分の立場を大事にすると思っていたから。

 それを安いものだと言ってみせるなんて……自分の地位よりも民を優先させることが出来るなんて。

 

「……将としての甘興覇はもはや死した。命ではなく、地位を失うことで人が救えるのなら、今の私はそれを誇りに思うべきだろう」

「甘寧……」

 

 言いながら、睨む目を穏やかな色に戻し、自分を見つめる民たちを見渡す。

 そうしてから一言、小さく「ああ……悪くない」とだけ呟いた。

 ……そうだ。きっといろいろな人が思っている。

 武を振るい、戦い続けることで国を、民を守ってきた者は、戦を失ってからはどう国を守るべきか。

 ただずっと監視を続けていればいいのだろうか。騒ぎが起こらぬよう、警邏だけをすればいいのだろうか。

 そうだとしても、そこに今までの“将”としての地位は必要だろうか。

 戦に己の生を費やし、確かに国を守ってきた。

 けれども戦が無くなった今、国を守るのはむしろ将ではなく民なのかもしれない。

 食物を育み、人を育み、国を大きくしていくのは民の手であり武ではない。

 だったら───武から離れんとするその手で出来ることは、いったい何なのか。

 それは……

 

「甘寧」

 

 それはきっと、とても簡単なこと。

 踏み出す勇気さえあれば、誰にだって手が届くもの。

 戦が無くなる国を守るのが民の手だというのなら、自分も民の一人なのだと認めればいい。

 同じ“国に生きる者”として、武を振るっていた手を……今度は食物を育み、人を育む手へと変えて。

 

「俺と、友達になってほしい」

 

 ───手を伸ばす。

 民を見ていた彼女へと真っ直ぐに、この平穏を生きるために、国に返していくために。

 どこか優しげだったその目が驚きに変わるのを見ながら、伸ばした手と彼女の手が繋がることを小さく願う。

 

「……何を言っている。私が貴様に付かされたことを忘れたか。すでに将ではないが、下された罰は───」

「地位よりも人を思う心、なんだろ? 一緒に国に返していこう。一人より二人のほうが、出来ることが増えるよ」

「………」

 

 返事らしい返事はなかった。

 ただ少しだけ、将としての自分は死んだと言ったことに頭を痛めるような素振りを見せると───

 

「友として認めるかは後回しだ。下に付くからといって、貴様ごときに真名を許すほど、貴様という人間を認めてもいない。だが……国に返すという言葉と、経緯はどうあれ貴様が作りだした民たちの笑顔。それは認めよう」

 

 伸ばしていた手に、彼女の手が繋がった。

 

「ただし、こうして手を繋いだからには貴様の奇行は全て防がせてもらう。民と殴り合おうというのなら、実力を行使して黙らせるぞ」

「オッ……! ォ……オテヤワラカニオネガイシマス」

「私が認めたのは、“貴様の行動によって民の騒ぎが治まった”という一点のみだ。それを増やすも減らすも貴様の行動次第ということを忘れるな」

「……冥琳にも似たようなこと言われたよ」

 

 空いている左手で頭を掻いて一言。さて、そんな経験済みのことに対して、俺はどう返すべきか。

 ……思うままにが一番だな。

 

「甘寧、奇行を防ぐってことはさ、間違ったことをしたら止めてくれるって受け取っていいんだよな? ……ん、ありがとう。そうしてくれる人が居てくれるなら、心強いよ」

「なっ……!」

 

 心の底からの感謝とともに、自然と笑みがこぼれる。

 俺はまだまだ学ばなきゃいけない子供だ。そんな自分を戒めてくれる人が居てくれるのなら、こんなに嬉しいことはない。

 だから右手で握っていた手に左手を重ね、ありがとうを唱えた。

 途端に戸惑う風情を見せて、顔を赤くする甘寧……って、ハテ? 何故に顔が赤く? なんて思ってるとスパーンと手が振り解かれ、甘寧は俺からこれでもかってくらいにゴシャーと距離を取った。

 ……あの、そんなに離れてちゃ友達としてはどうかと……。やっぱり俺、嫌われてるのかなぁ……。

 そんなふうにして少し落ち込んでいると、親父たちの笑い声でハッと復活。

 

「なぁ一刀よ。お前はいつまで呉に居るんだ?」

 

 そんな親父が、前置きもなく単刀直入で訊いてきたのがこれだ。

 答える覚悟は以前からしていたから、多少驚きはしたけど……大丈夫。真っ直ぐに目を見て答えられる。

 

「ある程度の騒ぎが治まるまで……かな。それ以前に“貴方には無理だ”って上から言われればそのまま帰ることになりそうだけど」

 

 自分の力は過信しない。過信しないで、引き上げられるところを上げ続ける心が大切だ。

 慢心は敵だ。自分ならこれが出来るって突っ込んで、結果が何も出来ないんじゃあ笑い話にもならない。

 だってのに考えもなしに行動するのが自分で、殴り合ったり刺されたりするのも自分なら……それが監視だろうがなんだろうが、近くに居て“止める”と言ってくれる人が居るのは嬉しいんだ。

 自分がそういった行動に出る時は、もちろん相応の理由もあるだろうし譲れないこともあるんだろうけどさ。

 ……今はこんなことは後回しでもいい。今は……言うことをちゃんと言わないと。

 

「な、なんだなんだ? 帰っちまうのか一刀……」

「俺ゃお前はずっとここに居るとばっかり……」

「ごめん、そういうわけにもいかないんだ。すごく身勝手なことを言ってるって自覚もあるし、無責任だってこともわかってる。補い合えばいいって言っておいて、時期が来れば勝手に居なくなるんだ、怒られる覚悟も殴られる覚悟も出来てたよ」

「……だが、知ってほしかったってんだろ? 悲しいだけの思い出に浸ってんじゃねぇ、ってよ」

「親父……」

「あまり大人ってのを甘く見るなよ、一刀。俺の親父の言葉にこんなものがある。“思い切り泣いてから、涙を拭って立ち上がった野郎は弱くねぇ”。今よりも昨日よりも、一昨日よりも過去よりも。泣いてから笑うことの出来たやつってのは、以前の自分よりも一歩も二歩も前を歩いているもんだ、ってな」

 

 そう言うと、親父は俺の胸をドンとノックした。

 

「お前はお前のしたいことをしてりゃあいいさ。涙を流すのに大人も子供も関係ねぇ。散々絶望しても、せっかくの言葉も忘れて自暴自棄になっちまっても、またこうして前を向けたならよ、俺達はそう簡単にゃあ折れねぇよ」

「……うん」

「胸を張って前を見やがれ。お前が自覚しなくても、お前は俺達に悲しむ以外のことを思い出させてくれたんだぞ? 兵なんぞに志願して、勝手に死んじまった馬鹿息子を、“国のために戦った自慢の息子”にしてくれたんだ。……どんな肩書きがつこうが、悲しい気持ちが変わるわけじゃあねぇ。胸に空いた隙間が完全に埋まるなんてことはきっとねぇだろうけどよ。馬鹿息子じゃねぇ……自慢の息子なら、俺もいつか誰かに誇って話せるに違ぇねぇんだ」

「っ……」

「いつか、この世の中が本当に呆れるくらい平和になってよ。昔は戦なんてものがあったんだってことを聞かされた悪餓鬼がよ……? じゃあどうして戦は無くなったんだ、なんて訊いてきたらよ……」

 

 真っ直ぐに見つめる自分の目。そこに映る親父の顔が、まだ“作っている”ってところを払拭できていないけど、確かな笑みに変わる。

 

「こう……こうな? 笑顔で言ってやるんだよ……俺達の息子や、国を守るみんなや……同じように世の中を変えようとしたやつらが頑張ったから、戦は無くなったんだ、ってよ……」

 

 嗚咽が混ざった声だったけど。

 それを必死に抑えようとする、震えた声だったけど……それはとても胸に響いて、心を暖かくさせた。

 

「だからよ……お前は俺達がそうやって、俺達の息子やお前って息子を自慢出来る世の中を作ってくれ。天の御遣いってのがどんなことが出来るやつなのかわからねぇ。どれだけ偉いのかも知らねぇけどな。お前みてぇに真正面から俺達とぶつかり合ってくれたやつなんざ居なかった。それだけでも、信じてもいいって理由にはなるんだ」

 

 そんな嗚咽を誤魔化すように俺の頭を乱暴にわしゃわしゃと撫でると、ニカッと笑ってみせてくれた。

 

「全部やり終えたら、また会いに来やがれっ! そしたら美味いもん、たらふく食わせてやらぁっ!」

「親父……っ!」

「ま、金はもちろん貰うけどな」

「だぁっ!? ~っ……ちゃっかりしてるなぁおいっ!」

 

 こんなやりとりで、胸の痞えは取れるんだから不思議なものだ。

 見せてくれた笑顔に安心したって理由もあるけど、もしかしたら俺が被った罪のことで、城のほうに押しかけたりしやしないかって心配だった。

 ……そんな心配が顔に出たのか、親父は苦笑するように笑ってから真面目な顔をする。

 

「すまねぇな、一刀……今はまだ、罰を背負うお前に頼ることしか出来ねぇ。どんな罰かも知らねぇのに、こんなこと言うのはずるいだろうけどよ……死罪なわけじゃねぇって言葉を信じるなら、ここは笑ってやるところだろ?」

「───……ああ。笑って欲しい」

「よし、んじゃあ決まりだ。いつでも“帰ってこい”、馬鹿息子代理。どれだけ時間がかかろうが、俺はお前を迎えてやらぁ。みんなも……それでいいか?」

『………』

 

 他の親父たちに振り向いて言う親父だったけど、親父達からの返事はない。

 代わりにあったのは……その場に居た全員からの、俺の胸へのノックだった。

 ……うん、嬉しいけど、この人数全員からだとさすがにいろんな意味で胸が痛い。

 

「気になることはそりゃあ多いさ。だがお前が大丈夫って言うんなら、それを信じてやるのが仮だろうが親の務めってもんだ。お前が胸張って進んでいけてるんなら、俺達から言えることなんざ一つだけだ」

「けほっ……い、言えることって……?」

 

 最後にドンと親父にノックされて、軽くムセてるところに疑問の浮上。

 次から次へと降りかかる情報処理に苦笑を漏らしながらも、やっぱり真っ直ぐに目を見て受け取る。

 

「“元気でやれ”ってだけだ。刺しちまった俺が言うのもなんだけどよ」

「………」

 

 人が学べることって、なにも本や偉い人からの言葉だけじゃない。

 自分より経験の多い人だろうが、経験が少なくても自分とは違う感性を持った人が教えてくれることは多い。

 あとはそれを、自分がどう受け取れるかだけであって───

 

「ははっ……今すぐ帰るってわけでもないのに、帰らなきゃいけないムードになってるのはどうなのかな……」

 

 ノックしたあと、その高さのままに俺の前に差し出された腕が、自分を試しているようだった。

 その腕に、自分の腕をドスッとぶつけると、苦笑を笑いに変えて言う。

 

「ああ、元気で生きていくよ。親父達も元気で」

「おう。息子代理が教えてくれたことだ、もう間違わずに頑張っていけるさ。なぁ、おめぇら」

『おめぇに言われるまでもねぇっ!』

「うぉっ……たはは、手厳しいなぁおい」

 

 振り向いて言ってみれば、一斉に同じことを言われる親父。

 その顔が苦笑でも笑ってくれていることが今は嬉しい。

 ……うん、いつになるかは解らないけど、絶対にまた会いに来よう。

 そのためにはまず、自分に出来ることをしていかないと。

 

「じゃあ……行くな?」

「おうっ、行ってこい馬鹿息子っ」

「また来いよー、一刀ー!」

「絶対だぞっ、絶対にまた来いっ!」

「生きてその顔見せねぇと承知しねぇからなー!」

 

 一歩を引き、一礼をしてから歩き出す。

 背中には様々な言葉が投げかけられるけど、伝えたいことはきっと伝えられたから、もう振り向くことはしない。

 さあ、頑張ろう。

 全てが思う通り、願う通りにならないってことは、今回のことで痛いほど学べた。

 これからするのはその清算だ。

 どんなことが命じられるかなんてわからないけど、俺はそれを拒否することなくこなしていく。

 それが、俺が願った“親父達の未来のために出来ること”だったに違いないんだから。

 


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