24/権力? なにそれ
城に戻るなり、兵から俺に告げられたのは玉座の間に行くこと。
雪蓮が待っているらしく、俺は心にきつくきつく覚悟を作り上げながら、長い長い通路を歩いていく。
甘寧は“庶人の私が行けるのはここまでだ”と城の前で待機することになった。
下に付くことになったならいいんじゃないかとも……まあその、遠慮がちに言ってみたんだが、首を縦には振ってはくれなかった。
そんなわけだから一人、城の通路を歩いているわけだが……自分はよっぽど怖い顔をしていたんだろう。途中の中庭からドスドスと歩いてきた周々が、俺の顔をそのデカい舌でベロォリベロリと舐めてきた。
「ぶわっぷ!? ちょ、周々!? いきなりなにをっ!」
離れようとするが、こう……ボクシングで言うクリンチをされるみたいにガシリと掴まれ……って重ォッ!! 重ッ……ぐぉおあああああっ!!
「んっ がぎっ……! くはっ……! し、心配っ……して、くれてるの……かっ……!?」
メリメリと足とか腰とかに来る重みを、筋肉に力を込めることで緩和させていく。
それでもハイ、重いものは重いわけですが。
「……ありがとな。そうだな、気負ってばっかりじゃあ潰れるのも早いもんな」
どんな命令をされようが、それは呉の国のためになる。
そう思えば、死力だって尽くせるってものだ。
命令だから、従わなきゃいけないからって理由で向かうんじゃなく、国のためになるならって前向きに行こう。
「……よしっ!」
ぽぽんっと周々の左前足を軽く叩くと、周々は舐めるのをやめてクリンチを外してくれた。
それからドスッと俺の腹に頭突きをすると、もうなにもせずに寝転がっていた位置まで戻っていく。
(……動物にまで教えられて……はは、まったく俺は……)
自分の頬を二度叩き、喝を入れる。
どんなことを言われるかなんて二の次でいいだろう。
呉に居る間は呉に尽くすと決めたからには、どんな命令や願いだって───!
……
覚悟を胸に、玉座の間に立つ。
段差の先の玉座に座る雪蓮を前にし、掌に拳を当てて一礼。
玉座の間に並ぶ呉の将を一度横目に見てから、真っ直ぐに段差の先の雪蓮を見る。
さあ、まずはどんなことが───と、ヘンに構えていたんだが。
「ご苦労様、わざわざ呼び立てたりしてごめんねー、一刀」
……ハテ? と首を傾げてしまう。
雪蓮の態度は以前となんら変わりなく、むしろ笑顔が何割か増している気がする。
いやいや待て待て、自国の将が将としての権利を剥奪とかそんな事態になってるんだぞ、それがこんな笑顔だけで終わるはずが───
「……一刀? ちょっと一刀、聞いてるのー?」
「へぇぁっ!? あ、ああ、聞いてる聞いてる」
考え事をしながらでもちゃんと耳には入れていたが……み、妙ぞ……こは如何なること……?
なんだか世話話みたいなものから始まって、罰のことも確かに話の中には出てきているんだが……いや、でも口を挟むわけにもいかないし。
「というわけで一刀には、呉に居る間は私達の言うことを聞いてもらうってことになったんだけど」
「ああ、それは覚悟してる」
「いいの? そんなに簡単に了承しちゃって。たしかに華琳から一刀への罰だけど、一刀の意思とか無視しちゃってるでしょ?」
「それについて、話をすることを許可してもらいたいんだけど……いいか?」
「うん、べつにいいけど」
……玉座に座ってるのにどこまでもマイペースというか。
普通、キリっとした顔で向かい合うんだろうに……いつかの宴の時で見せたみたいにさ。ほら、冥琳だって少し頭痛そうにしてるし。
「俺に罰が下るのは、誰も間に挟まずに一気に踏み込み過ぎたアホさ加減とか、民の分を俺が背負うってことで納得してるから構わない。意思を無視しているっていうよりは、きちんと汲んでくれてるんだって思えるから。でも、雪蓮はいいのか? 俺の所為で甘寧は───」
「思春のことは思春のことよ、一刀には関係がないわ。傍観していたのは思春の意思で、相応の罰を受ける事実に思春は頷いたんだから」
「……華琳は手紙になんて書いてきてたんだ? 死罪にならない程度に、王として貴女が罰を下しなさい、くらいしか書いてなかったんじゃないか?」
「わ、すごーい。よくわかったわね一刀~」
「………」
ビンゴだった。思わず手で顔を覆って俯いてしまうほどにビンゴだった。
しかもそれをあっさり認めてしまう雪蓮も……ああ、冥琳が溜め息吐いてる……。
「あ、でも一刀への罰はちゃ~んと華琳が考えたものよ? “その状況で民を許したいなら、貴方が罪を被りなさい”、って」
「……ん」
「あと、“騒ぎを鎮めに行ったのに、貴方が騒ぎを起こしてどうするの”って」
「はぐうっ!」
胸にグサリとくる言葉でした。
……うん、ほぼ予想していた通りだったからまだ耐えられるけどさ。
「とにかく、思春のことについてはちゃんと私が決めたことだから。罰は罰。一刀がどう言おうが、これは覆らないわよ?」
「……わかった、受け入れる」
息を吸って、吐いて。しっかりと胸に刻み込む。
自分がやったことが本当に正しかったのかは、各自が決めることだ。
親父たちは笑顔になってくれた。甘寧は呉のためになるならばと受け入れてくれた。
だったら俺が考えるべきことは───
「ってちょっと待った。雪蓮が決めたって言ったよな? ……俺、祭さんからは華琳からの罰報告として聞いてるんだけど」
「華琳がねー、そうしないと一刀が受け入れようとしないだろうから、そう言いなさいって。私もそっちのほうが一刀が慌てたりして面白いかなーって。ほら」
ばさっ、と巻き物らしきものが広げられる……が、生憎とここからではてんで見えやしない。
見えやしないが……あの、華琳さん……? 俺、今とっても母親と一緒に別の親御さんに謝りに行っているような気分なんですが……?
しかもそんなことを伝えるために巻き物一本って……書簡じゃあダメだったのか?
「そ、そんなことしなくても、それが罰ならちゃんと受け止めるつもりだったのに……」
「ほう? そうかのぅ。随分と食って掛かっていた気がするが?」
「うぐっ……うぅうう……」
横からの祭さんの言葉に、見事に言葉を詰まらせてしまう。
はい……思い切り食って掛かってましたね……。
それってつまり、全部華琳が予想していた通りの俺の行動だったってわけで…………穴があったら入りたいです、はい……。
「じゃあその……甘寧が俺の下につくってことを考えたのは……」
「? 私だけど?」
きょとんとした顔であっさりと言われた。
「罰は罰としても、それが善い方向に向かう罰の方がいいに決まってるでしょ? 死罪と受け取って死刑に処するくらいなら、孫呉に生きて孫呉に死んでもらったほうがいいに決まってる。それに、思春はどうもこう……ねぇ? 固いところがあるから。一刀の下に付くことになれば、柔らかくなるかな~って。それと一緒に民との交流も持ってくれればいいなって。ほうっておけば四六時中蓮華のことばっかり考えてるんだもん、これくらいしなきゃね」
アノー……雪蓮サン? 少し離れたところから冷気が……いや、鋭い殺気めいたものが……。
これ、彼女ですよね? 間違いなく孫権さんですよね……?
そんな孫権さんがクワッと雪蓮を睨み、声を張り上げた。
「雪蓮姉様!」
「え? なに?」
「なにではありません! そのようなっ……そのようなことのために、思春をこんな男の下につけたというのですか!!」
ズビシと指差された上にこんな男呼ばわりである。
やっぱり孫権には滅法嫌われてるようだ。甘寧があんなことになったんだから、仕方の無いことなのかもしれないけど、結構ツラい。
「こんな男って、失礼ね蓮華。一刀はね、こう見えて…………」
「………」
「こう見えて、見えてー……んー…………なにか特技あったっけ?」
「いや……うん……雪蓮さん? 虚しくなるからそこで俺に訊くの、やめようね……?」
自分で自分の特技を口にするのって勇気が要る。
しかも自分で考えてみても、自信をもってこれだと言えるものなんてまだまだ全然だ。剣術はまだ修行中だし、勉学だってまだまだ……あれ? じゃあ俺の特技ってなんだろ……?
なんて、顎に手を当てながら本気で考え込んでいると、ふと感じる視線。
見れば、孫権が俺を睨んでいた。
(きっ……嫌われたもんだなぁああ……)
だけど挫けない。
目標があるのなら挫けそうになっても進んで、挫けてしまっても立ち上がる覚悟をもって挑むべし。
挫けたら終わりなんじゃなく、立ち上がれなくなったら終わりなんだ。
だから今は“こんな男”でいい。特技が思い当たらなくてもいい。
魏のため、そしてこの国のため、自分に出来ることをやっていこう。
そうしてうんうんと小さく頷いている間にも、雪蓮と孫権は話を進め……いや、ややこしくしてるのか?
「そう睨まないの。心配だったら一刀に“思春に近づくな~”とか命令すればいいのよ。一刀は拒まないだろうし、貴女も満足するでしょ?」
あっはっはー、なんて暢気に笑いながら、ひらひらと手を揺らして言う雪蓮。
孫権はそんな雪蓮の言葉にムッと顔をしかめると、一度目を閉じてから息を吐き、吸ってから目を開いた。
「……姉様。私は北郷が民のためにとぶつかったことを、認めていないわけではありません。そんな存在に、自分が気に入らないというだけの手前勝手な理由で命を下すなど、出来るはずがないでしょう」
「え?」
首を傾げたのは俺だけ。
てっきりとことんまでに嫌われているんじゃないかと思っていたのに、まさか認められている部分があるなんて。
雪蓮はそんな俺を見て“にこー”と笑うと、孫権へ視線を戻して口を開く。
「それがわかってるなら、どうしてそんなにつんつんしてるのよ」
「つっ……つんつんなどしていませんっ! 私はただっ! こんな、他国の男に思春をつかせるという行為自体が間違いだとっ……!」
「じゃあ庶人のままのほうがよかった? 庶人のまま、呼び出さなきゃ城にも入れない状態のほうが?」
「そ……それは……」
「一刀の……警備隊長の下につくってことは、たしかに将としては屈辱に値するかもしれないけどね。同時に一刀が願えば城の中に入ることくらいは出来るってことなのよ。そこに王の許可も入れば、堅苦しいこと言いっこなし。ね?」
「あ……」
ぽかんとする孫権を玉座の上から見つめながら、組んだ足に立てた頬杖の上で笑顔を見せる。
下した罰をマイナスだけで終わらせないのは見事……なのかもしれないが、引っ掻き回される人のこともちょっとは考えようね、雪蓮。
いや、むしろその引っ掻き回すのを楽しんでいるのか?
「罰は下さないと示しがつかない。それは当然よ。でもね、一刀と殴り合う中で思春が割り込んだりしたら、民はそれこそなにも吐き出せないままに鬱憤を溜めてたわよ。一刀が何も聞かずに逃げても同じで、ただ殴り倒して満足して去っても同じ。そうでしょ?」
「それは……そう、かもしれませんが」
「極論みたいに言っちゃうなら、将の誰かを盾にするみたいに民の話を聞いたところで、山賊に人質に取られた子が、助けを呼べば殺すなんて言われてるような状況で“俺達への文句を言ってみろ”なんて言われてるようなものでしょ? 全てを丸く治める、なんてことにはならなかったけど、結果としてはあれはあれでよかったのよ。ね、冥琳」
「ああ。他にもやり方はあったろうがな」
あー……言葉がさくりと突き刺さる。
がっくりと項垂れた俺に、雪蓮が“落ち込まないの”と言ってくれることだけがささやかな救いだった。
「起こったことは変えられないし、変えられないなら少しでもいい方向に向かうように努力するのが大事なの。皆が笑っていられる国を目指すのに、一刀が受け止めたかったこととか民が言いたかったことを見守っただけで死罪なんて、あんまりでしょ?」
「だから、庶人扱いでも比較的に傍に居られるよう、北郷の下にと……?」
「どう結論づけるかは各々に任せるわよ。けどね、蓮華の下に庶人として付かせたとして、今までの扱いとなにかが変わる? 罰になる?」
『……………』
総員、沈黙。
みんながみんなそっぽを向きつつ、だけどきっと同じことを考えている。
“なにも変わらない”と。
「戦はもう終わったの。死を強いる必要なんてないし、死んでもらうくらいならその生をこれからのことのために尽くしてほしいって思う。なんでもかんでも死罪死罪で通したら……うん。たしかに騒ぎは治まるだろうけど、きっと誰も笑わなくなるわよ。そんなのは私が目指す呉の姿じゃないわ」
「姉様……」
「天下は取れなかったけど、極端な話をすれば、世が平穏に至っているなら争う理由も勝とうとする理由もないのよ。ただ、みんなが笑顔で今の世を生きてくれたらいい。……でもねー、思春ってばあまり笑わないでしょ? だったら一刀の下につかせれば、表情も豊かになるんじゃないかなーって」
「オイ」
思わずズビシとエアツッコミを入れる。
途中まではキンと引き締まった空気が流れていたのに、“でもねー”のあたりであっさりと吹き飛んだ。
「文官は知識を生かすことが出来るけど、武官はなかなか難しいのよ。乱世にあってこそ武を振るうことが出来るけど、平和になっちゃうと逆に自分が何を為すべきか、わからなくなるの。明命は一刀と“自分に出来るなにか”を探す気でいるみたいだけど、思春は自分から誰かに手を伸ばす性格してないからねー」
「本人が居ないからってひどいな……」
「そ? べつに本人が居ても、私は言うわよ?」
ぐ~っと伸びをして、座っているのにも飽きたのか玉座から降りて、たんとんと段差を降りてくる。
そんな様を、“あー、たしかに遠慮なく言いそうだ~”とか思いながら見守った。
「じゃあ最後に言いたいことだけ言うわね。一刀もなんだかんだで責任感じてるみたいだし。……思春の全権を剥奪したことで一刀を恨んでる者は、名乗り出なさい」
「っ」
ビクリと肩が震えた。
いきなりだったってこともあって、おそるおそる伺うようにみんなを見るが………………名乗り出る人は、誰一人として居なかった。
「え……なんで……」
首を傾げるどころじゃない。
雪蓮は“甘寧がしたくてしたことだから”みたいに言ってくれたけど、みんながみんなそれで納得出来るとは思ってなかったのに。
そういった考えが頭の中でぐるぐると回って、やがてなにも考えられなくなりはじめた頃。自分の両手が、なにか温かいものに包まれる感触にハッとした。
「一刀様、もっと胸を張ってください」
「周泰……」
「そ、その、えと……一刀様は、私達には出来なかったことを、し、しししてくださったのですからっ……」
「呂蒙……」
見れば───両脇に立ち、片手ずつを手に取ってくれた二人。
繋がっている手が暖かく、その暖かさと包みこむようなやさしさが、二人が心から自分を励ましてくれている証なのだと理解させてくれた。
「そうだよ一刀。ちょぉっと乱暴だったかもしれないけど、町の人たちが笑ってくれてたんだったら、一刀はちゃ~んと“呉のために”なにかが出来たってことなんだから」
「孫尚香……」
「むー……! シャオでいいって言ってるでしょー!?」
「ええっ!? ここで怒るのかっ!? い、今すごくやさしい雰囲気がうぉわぁっ!?」
俺の目の前でにっこにこ笑っていた孫尚香が、突如として俺と呂蒙の間を潜るようにして背後に回ると、俺の首に抱き付いてきて……はうっ! こ、このささやかだけどたしかに感じられるやわらかな感触……じゃなくて!
ややややめてくれぇええっ!! 押さえていた
「おうおう、随分と懐かれておるのぅ、北郷」
「……我慢は体に毒だぞ、北郷」
「ちょ、祭さん! これは懐かれてるとかじゃなくて首っ! 首が絞ま───冥琳!? がが我慢ってナンノコトデスカ!?」
「一刀さんはケダモノですね~」
「チガイマスヨ!?」
両手を周泰と呂蒙にやさしく包まれ、背中には孫尚香。
目の前には慌てる俺を見て穏やかに笑う、祭さんと冥琳と陸遜。
嫌われることがなくて良かったと安堵するのと同時に、少しでも認めてもらえたことが純粋に嬉しかった。
たしかに、やろうと思えばもっと別のやり方があったのかもしれない。
殴り合うんじゃなく、時間をかけて少しずつでも親父たちの心をほぐしてやればよかったのかもしれない。
そうすることが出来たなら、甘寧だって元のままで居られたのかもしれないけど───
「ほ~ら~……シャオだよ、シャ~オ~。言ってみて~一刀~……♪」
「ふひぃっ!? みみみみ耳に息吹きかけるなぁっ!!」
受け止めてやれるかもしれない状況で、なにかが出来るかもしれない状況で、歯噛みするだけの自分は嫌だった。
そんな時でも状況を弁えて踏みとどまるのが賢い生き方なんだろう。
あの時の俺は賢くなんかなかったのかもしれない。
「大人気だな、北郷」
「め、冥琳…………人気って言えるのかこれっ……って、そうだ。冥琳、一応聞かせてほしいんだけど、親父の青椒肉絲、冥琳の思い出の味に届いてたか?」
「───っ!? なっ、う……北郷! それはっ───」
「うん? 思い出の味の青椒肉絲? ……ほほう、それは興味があるのう公瑾」
「……いえ祭殿。これは北郷が適当なことを言っているだけで、私は青椒肉絲など……」
「そういえば北郷を見つけたのがお主だったわりに、公瑾。お主は戻ってくるのが遅かったと聞くが……」
「───ああ祭殿。話は変わりますが、次回の同盟会合のために寝かせておいた酒の
「うぐっ! …………あ、あー……いや、青椒肉絲なぞ、意味もなく急に食したくなる日もある……のぅ」
「ええ。酒を甕ごと飲みたくなる日などそうそう無いとは思いますが」
「ぬぐっ……! 卑怯じゃぞ公瑾!」
賢くなかったかもしれない───それでも。それでよかったんだって思える今がある。他に方法があったのかもしれない。他にやりようがあったのかもしれない。けど、生憎と人間は、最初から成功出来るようには出来ていないんだと思う。
殴られたり刺されたりもしたけど、その痛みの分だけ親父達が笑顔になるのも早かった。それが自分にとって嬉しいことだったのなら、喜ばなければ嘘になる。
もちろん、見守ってくれていた甘寧にとっては、とんだとばっちりになってしまったわけだけど、彼女がそれでもいいと言ってくれているのなら、俺も受け止めないと。
と、決意を新たにしながらも、現状といえば───
「もーっ! シャオだってば! いいから言うのーっ!!」
「ぶはっ!? ぶはははははっ! 孫しょっ……脇っ、脇はやめうひゃははははっ!!? わかった! 言う! 言うからやめてぇえええっ!! ヘンなところに力入って傷がまた開くから!」
……周泰と呂蒙に両手を封じられて、孫尚香に脇を擽られているなんて有様である。
どこの国でも女って怖いなぁとか思いながらも、一番怖いと思うと同時に大事に思える人の顔が浮かんでくると、こんなのも悪くないって思えるんだから不思議だった。
「じゃあほら、言ってみて? みんなが居る前で、た~っぷり愛を込めて」
「愛はともかくとしてちゃんと……あの、孫権さん? 甘寧のことで俺が気に入らないのはわかるけど、そう睨まれると……」
「に、睨んでなどいないっ!」
う、うそだっ! 隙を見せれば襲いかかってきそうなくらい睨んでた!
まるで理解に至らないものに出会った科学者みたいに……どんな顔だそれ。
「なに、権殿はお主の扱いに戸惑っておるだけじゃ。孫家の者として、功績は認めるべきじゃが……北郷、お主のやり方の問題もある。民を殴り飛ばして教え込むなぞそうそう出来ん。儂はこういったわかりやすいやり方も好きじゃがな」
「え……そうなのか?」
祭さんに言われ、孫権へと視線を移す。
孫権は目を合わせようとはせず、そっぽを向きながら思い悩むように呟いた。
「っ……守るべき民を殴ることで治めるなど……! だがその結果として民が笑んでいるのも事実…………貴様という存在がわからん。なんだというのだ、貴様は」
「なんだと言われてもな……どわっと!?」
孫権の方を見て戸惑っていると、ぐいぃと孫尚香に引っ張られる。
振り向かされれば、ぷくーと頬を膨らませる孫尚香。
「一刀、今話を逸らそうとしたでしょ~! ダメなんだからね、ちゃんとシャオのこと呼ばないと!」
「逸らっ───!? そんなつもりありませんが!?」
言いつつも、多少は認めてもらっていることに喜びと戸惑いとを混ぜた心境のさなか、目を逸らしつつさらに意識を逸らそうとする俺の腕を、さらにぐいっと引っ張って現状に戻すのは孫尚香。
いっそのことほうっておいてくださいと言いたいのに、今の僕は呉の将の願いを叶える御遣いさん。
だから呉の将の言葉は絶対で………………マテ。じゃあ、た~っぷり愛を込めてっていうのも死力を尽くさないといけないのか?
「……っ……、……」
「? 一刀様、どうかされたのですか? なんかすごい汗出てます」
「青春の汗です」
心配してくれる周泰に、スッと汗を拭って、ニコリと満面の作り笑いで返した。
その動作で二人と繋がっていた手は離れて、まずは深く深呼吸。
……そ、そう……そうだよ、な。これが民のための罰なら、俺は……俺は……!
「孫尚香っ!」
「あんっ、どうしたの? 一刀」
背後から目の前に立たせた孫尚香の両肩をがっしと掴み、その目を真正面から覗き込み…………そう、あたかも華琳へと思いをぶつけるかのような気持ちで───
「───小蓮」
心から、たった一言に想いを乗せて、彼女の耳元へスッと近づけた口で呟いた。
すると、“ぐぼんっ!”と音が鳴りそうなくらいの速度で、孫尚香……じゃなくて、シャオの顔が真っ赤に染まって……
「───………………はっ! あ、や、やぁだ~一刀ったら、そんなまるで伴侶の名前を呼ぶみたいに~!」
たっぷりと間を取ってから、彼女が反応を見せた。
妖艶に笑むのではなく歳相応といった風情で、俺に背を向けて。
そんな僕らの様子を見ていた祭さんが一言。
「なんじゃ。北郷は少女趣味か?」
「違いますよ!?」
ええ、そりゃもう全力で否定させてもらいました。
ここで言ってしまうのもシャオに悪い気もしたけど、誤解だけはしないでほしかったので本音をぶつける。
「……なるほど~、つまり小蓮様の真名を呼んだのは、小蓮様の命令だったからと~」
「だぁあっ! それも違うからぁっ!!」
誤解はさらなる誤解を生むっていうけど、どうやらそうらしい。
にっこにこ笑顔で間違ったことを言う(多分わざとだ)陸遜に待ったをかけ、さらに事細かに説明を……ああっ、なにやってるんだ俺っ……!
「じゃあ、ややこしいから決め事を作りましょ?」
「決め事? ……雪蓮、またよからぬことを考えているのではないだろうな」
「だ、だーいじょうぶ! 大丈夫だから! どーして冥琳はすぐそうやって疑うかなぁ!」
「疑われたくないのなら、私から必死に耳を隠すその手をどけてからにしなさい」
「うぐっ……一刀~、冥琳がいじめる~、やっつけて~」
「なんてこと命令しようとしてるんだぁっ!! そんなことに死力を尽くしたら、俺に明日なんて来ないだろっ!!」
「ぶー、一刀ったら私にやさしくな~い」
こんな状況でどうやってやさしくしろと!?
なんて目で訴えかけてみると何故か俺のすぐ傍まで来て、少し身を屈めて頭を軽く突き出す雪蓮。
……エ? あの……まさか撫でろと? 冥琳がやさしくないから、俺にやさしくしろと? ……無理です、無理ですから話を進めてください。
俺の反応を伺ってか、投げかけてくる視線にそう返すと、及川が拗ねた時みたいに口を尖らせてぶーぶー言う雪蓮。
ああ、及川よ……キミは今どうしている? 俺は今、とても困った状況に立っているよ。どうせ帰ったとしても一秒も経っていないんだろうけど。
「それで、姉様。決め事とは?」
「むー……冥琳?」
「ああ。では北郷、今日よりお前にはこの国を離れるまで、呉に尽くしてもらう。とはいえ、我々が言う言葉全てに死力を尽くされては、こちらとしても話し掛けづらくもなる」
「え? あ、あー……そう、だよな」
「そこでだ。北郷に命令をする時は、命令だときちんと伝えること。これを“決め事”とする。それ以外のことはあくまで“してもらいたいこと”に留める、ということでいいな、雪蓮」
「さすが冥琳、わかってるー♪」
……すごいな、言葉が無くても理解するって、こういうことを言うのか…………と感心してみるが、普通に雪蓮が話したほうが明らかに早かったよな、今の。
“ここはツッコんだら負けなんだろうか”と思いつつ、話を続けてくれている冥琳をじーっと見つめていた。
「私達が何気なく言った言葉でも、北郷は死力を尽くして実行しなければならない。そんなことになれば、北郷が保たないだろう。それはそれで面白そうではあるが」
「……途中まで少しでもじぃんと来てた俺の心のやすらぎを今すぐ返してください」
言ってはみるけど、すでに撤収モードに入ってしまったこの雰囲気は流せそうもない。
暗い気持ちなんてとっくに流されてしまっているし……ああ、いい。
流されてしまったなら、教訓としては刻み込もう。もう何度も何度も刻んだことだけど、もう一度。
そして、雪蓮が甘寧を俺につけた理由が罰と……それと彼女の笑顔を望んでのことなら、その願いを叶える努力を……うん。
(誰かのためかぁ……そういや、いつだったかじいちゃんが言ってたっけ)
他人のためではなく自分のために生きられる男であれ。
自分のために全てを行えば、失敗を犯した時も誰かの所為にすることもなく、己だけが傷つくだけで済むのだから、って。
自分が自分のために動くことで、結果として誰かが助かる……そんな生き方をしてみろって。
これは……どうかな。自分のためではあるのかな。
そう自分に問いかけてみても、そんな自分に対して漏れる苦笑しか耳には届かない。
つまり、それが答え。
「孫権」
自分の“苦笑”って答えを耳にして、一度笑ったあとに孫権へと向き直る。
呼ばれて振り向いた孫権とは違い、雪蓮は暢気に「がんばれー」って笑っていたりする。
今はそんな、声も笑顔もありがたい。
「まだ、少しでもいい。ほんのちょっとでも認めてくれている部分があるなら、見ててほしい。俺……もっと頑張るから。この国のために出来ること、頑張って探して返していくから。だから、いつか孫権が俺を本当に認めてくれたら……俺と、友達になってほしい」
そんな笑顔に励まされながら、握られないであろう手を差し出す。
そして、その予想通りに孫権は俺と目を合わせることもせず、俺の横を通りすぎようとするけど───その足音が、擦れ違った一歩目で止まる。
「……私は貴様を認めていないわけではない。祭の言う通りだ、貴様という存在を持て余す」
振り向こうとしたけど、振り向いちゃいけない気がして、静かに息を吐く。
「思春のことで苛立ちがないと言えば嘘になる。だが貴様の監視を思春に任せたのは私だ……そう、私が“監視せよ”と命じたのだ。思春は命令を忠実に守っただけで、本来罰などというものがあるのなら私が───」
「───……」
……ああ、そっか。
甘寧がそうした意味が、なんとなくだけどわかった。
「……そう言うと思ったからなんじゃないかな」
「なに……?」
だとするなら伝えたい。そう思った時には、もう口は動いていた。
孫権が振り向いたであろう音と気配に意識を傾けながら、自分は振り向かずに言葉を続けた。
「甘寧はさ、孫権がきっとそう思うだろうって思ったから、孫権が自分を責める前に“その罪で構わない”って受け入れたんじゃないかな」
「……思春は私のために、反論もせずに受け入れたと……?」
「誰かのためにとか、そんなのじゃないと思う。自分がそうあってほしいと思ったから、孫権に罪の意識を持ってほしくなかったから、そうしたんじゃないかな」
誰かのためにと頑張れば頑張るほど、人は案外挫けやすい。
自分のためだからと頑張れば、確かにどこかで自分を甘やかしてしまうのが人間だ。残念だけど、きっとそれは変わらない。けど……そこで挫けたままでいるか、立ち上がれるかは自分次第なんだ。
そして甘寧は庶人扱いでもいいと頷いて、罰を甘んじて受けながらも前を向いている。挫けていないのだ。彼女にはそんな強さがある。
「……そうだな。そうかもしれない。ならば───私がこうして悔やむことも、思春の行為を無駄にする」
「え? いや、無駄とまではあだぁっ!?」
「命令だっ、振り向くなっ」
命令って……! 振り向こうとした顔を無理矢理に捻り戻しておいて、命令もなにも……!
「と、とにかくっ。決まってしまったことは覆せない。思春は庶人扱いとなって、貴様の下についた。だがそれは貴様も同じだ。思春の上に立つというのなら、部下に不自由を強いるようなことは許さない。……“見ている”から、それを証明してみせろ、“北郷”」
「………」
……北郷。
貴様でもお前でもなく、北郷と呼んでくれた。
それがなんだか、むず痒いくらいに嬉しくて───
「ふっ……振り向くなと言っただろうっ!」
───振り向こうとしたら首を思いきり捻られた。
こう、骨を通して聴覚に直接響いたみたいな“ごきぃっ!”って音とともに。
するとどうだろう……全身から力がスゥッと抜けていって、体が傾き……あれ? 景色が明るい……。傾いてゆく真っ白な景色から、また天使っぽいなにかが───ウワァイ綺麗ダナァー…………
「…………北郷!? ちょっ……北郷!?」
「……? どうかされたのですか蓮華様……───一刀様!? かずっ……はぅわあっ!? かかか一刀様が白目むいて泡噴き出してますーっ!!」
「えぇっ!? ちょっ……なにしたの蓮華!」
「なななにをと言われても! 私はただっ……!」
視界の白さを越えた先で辿り着いたお花畑を前に、なにやらいろいろな声が聞こえてきた。
そんな穏やかな状況の中、俺は……何故かお花畑の先にある川のさらに先で、“なんでここに居るんですかー!”とか“隊長! 来ちゃだめだー!”とか叫んでいるかつての仲間たちと出会いながら、今日という朝……いや、仕事手伝ったり話したりで昼になっていた時間を、気絶って形で終わらせた。