真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷(ぜろくろ)

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01:三国連合/一年越しの願い②

02-5/一年越しの“願い”2

 

 で…………

 

「なんか増えてる……」

 

 目覚めれば、赤い髪の女の子が俺の腕を枕にして寝ておりました。

 あの……確かこの娘、呂布……だよな?

 

「…………」

 

 ずず……と腕を引こうとすると、無意識なのだろうか……制服をぎゅっと握り、逃がしてくれない。

 ええ、と。これはどうしたら……。

 そんなことを考えていると、彼女の目がぱちりと開かれる。

 

「………」

「…………」

 

 気まずい。

 なにが気まずいって、大して面識もない相手に腕枕して、目が覚めたらあなたが居ましたって状況が気まずい。

 ほら、あれだ。女性が寝てたらいつの間にか見知らぬ男が隣で寝ていましたって状況?

 いや……相手にしてみたらって意味で。

 けれど呂布は、かふ……と小さなあくびをすると、ごしごしと俺の腕に顔をこすりつけるようにして再び目を閉じる。

 

「いやいやいやいや……!」

「…………?」

 

 目を閉じる呂布を言葉で止める。お願いだから二度寝は勘弁してくださいと。

 いや、はい、俺もしました二度寝。人のことを強くは言えません。だから優しく言います。

 

「あーの、りょ、呂布さんで……あらせられるよね?」

「……あらせられる」

 

 言って、微妙に傾げ気味に頷く彼女は、またも顔をこしこしと腕にこすりつける。

 ……いい匂いでもするんだろうか、くんくんと鼻を動かしている。クリーニングには出してたけど……そんなにいい匂いするだろうか。

 って、だからそうじゃなくて。

 

「どうしてここで寝てるんでしょうか……」

「…………セキト」

 

 ……セキト? と、目の前の少女のように首を傾げるとその腕の中で“わふっ”と鳴く犬のことを思い出す。

 この犬がもしかして、だろうか。……だからといって、寝てる理由と繋がるかといったらそうでもない気がするんだが。

 

「えっと……この犬がここで寝てたから、キミも?」

「………」

 

 普通に頷かれた。警戒心というものを知らないのだろうか。仮にもそう面識のない男の腕を枕に、とか……。

 

「…………ああ」

 

 なるほど、俺がなにかすれば、三国無双によって俺はミンチになるわけだ。そりゃあ恐れることはないよなぁ。……と、そこまで考えてみて泣きたくなった。

 一年やそこら修行したところで、この世界の女の子たちには敵わないんだよなぁ。うう、頑張れ、男の子……。

 

「でもそれとこれとは話が別で……えぇと、呂布?」

「………………恋でいい」

「え?」

「…………恋」

「……れ、ん…………って、もしかして真名のこと? い、いやでもそれは───」

「………」

「うっ……」

 

 無表情だけど、どこか期待を含んだような目が俺をじぃっと見つめてくる。

 女性が自分の腕を枕に寝て、その無垢な目が期待に揺れて……そんなものを断れる男を、少なくとも俺は知らない。

 断る男が居るのなら、それは紳士というものだ。

 もちろん時と場所を弁える意味でなら、俺だって踏みとどまれるさ。多分、きっと。

 だからこそ断ろうとした、と思いたい。

 なのにお犬様が続きを促すように、じいっと見つめてくる上、呂布も俺をじーっと見てくるわけで。

 もしかしてこれ、犬が気を許せば真名も許せるって、そういう状況なんでしょうか。

 そりゃね? 本能として“心を許すか否か”を選べる野生って意味では、下手な人間よりも信用できるんでしょうけれども! それで真名を許すかは、やっぱり別なのではないでしょうか。

 

「…………」

「……うっ……」

 

 ごめん無理です耐えられない。この娘なんだってこんなに熱心に見つめてきてるの?

 むしろ呼ぶまで逃げられそうにない。ならば呼ぶ、しかないのでは?

 ごくりと喉を鳴らして、緊張で嗄れてしまいそうな喉に力を込めたまま、一度だけ口にする決意を。

 さ、さあいざ───!

 

「…………れ、恋……?」

「……、……」

 

 真名を呼ぶと、呂……恋はもう一度腕に顔をこすりつけた。

 まるで手に頭を押し付ける猫だ。

 い、いけませんよ北郷一刀警備隊長! 俺は! 俺は魏を! 曹魏を愛する男!

 それをこんなっ……擦り寄ってきたからといって、他国の重鎮さんを召し上がったとあっては覇王に会わせる顔がない、なんて、する気もないことに焦っていたそんな時。

 なにかしらの気配とともに、なにかがぼとりと落ちる音。

 

「ひぃっ!?」

 

 背筋が凍ったなどというレベルじゃあなかった……喉から思わず悲鳴が出るほど……それこそ、死ぬほど驚いた。

 おそる……と音がした方向、つまりはなにかしらの気配がした方向を見ると……

 

「…………お兄さん?」

 

 ……風が居た。

 傍らにはペロペロキャンディーが落ちていて、さらには頭にあった宝譿までもが落ちていて……さっきの音はあれかな、と思うや、信じられないものを見た、といった風情でよろよろと近づいてくる。

 

「お兄……さん、ですか?」

 

 本当に信じられなかったんだろう。

 風とは思えないほどの動揺が声に表れていて、そんな反応でどれだけ自分が周りに心配させていたのかがわかって、俺はすぐにでも起き上がって風を抱き締めっ……

 

「………」

 

 抱き締め……

 

「………」

 

 抱……

 

「……あの」

 

 ダメです、起き上がれません。

 恋さんが俺の袖を掴んで離してくれません。ていうか顔こすりつけまくってます。マーキングです。などと状況に混乱するあまり、せめて頭の中だけは冷静でいようと努める現状の中、風がよろよろと静かに歩み寄ってきて───って風! だめだ風! そのまま進んだら宝譿ぃいいいっ!! 宝譿が! 宝譿が踏み潰されたぁああーっ!!

 

「……? ……どうして震えてる……?」

「い、いや……幼少の善き日が踏み潰された気分で……」

 

 隣の恋が無表情で首を傾げる。

 そんな顔を見ていた俺の傍らにスッと差す影……風だ。

 太陽を遮るようにして俺の顔を覗き、足を畳むようにして草むらに座ると、壊れ物に触れるようにそっと手を伸ばし、頬に触れてきた。

 

「…………」

「えーと……」

 

 言うべきことは決まってる。けど、ちょっと恥ずかしい。

 それでも空いてる手で頬をカリ……と掻くと、段々と潤んでいっている瞳を見つめながら───

 

「……ただいま、風」

「…………はい。おかえりですよ、お兄さん」

 

 やっぱりここが自分の帰るべき世界なのだろうと実感しながら、ただいまを口にした。

 

「…………」

「…………」

 

 恥ずかしい。けど、交差する視線はやがて近づき、太陽が視界から完全に消える頃───……ちむ。

 

「……?」

「わふっ」

 

 俺と風の間に差し込まれたセキトが、風の鼻先に口付けをした。

 

「……おおっ、お兄さんいつのまにこんなに毛深く」

「違うっ! って恋、いきなりなにを───」

「………………? 抱き締める?」

「いや、そうじゃなくて、どうしてセキト……? を、突き出したりなんか」

「…………目を閉じてた。……眠るなら抱き締めると暖かい……」

「……エ?」

 

 ……じゃあ、なんだ。

 邪魔をしたとかじゃなく、眠ると思ったから「寝るなら湯たんぽをどうぞ♪」的なノリだったと?

 

「むー……」

 

 しかしそんな親切に、口を波線にして唸る風。

 普通ならばキャンディを頬張って誤魔化すであろう口元も、それがないだけで随分と子供っぽく見えるもんだ。

 そんな風は、腕を掴まれながらでも少し上体を起こしていた俺を無理矢理寝かせると、

 

「お兄さん、右手をこう……こう、伸ばしてもらえますか?」

 

 と指示を出し、戸惑いつつも右手、というよりは右腕を肩から真っ直ぐ横に伸ばしてみれば、

 

「はいはい、ではではー」

 

 ……ことり。

 風が身を横に寝かせ、俺の右腕を枕に擦り寄ってきた。

 

「あ、あー、あの、風?」

『おうおうにーちゃん、そっちはよくてこっちは駄目なんて贔屓臭いこと言うんじゃねーだろうなー』

「……いや、風。宝譿もう大変なことになってるから。頭の上に居ないから」

「………………おおっ!?」

 

 きょとんとした風が視線を彷徨わせると、落ちた時のままの姿のキャンディーの隣で無残に踏み汚された宝譿の姿を確認。

 結構驚いたのか、パチクリして頭の上に手を当てている。

 寝転がってるんだから、そこにあるわけないのに。

 

「ところでお兄さん? 風たちに挨拶もなしに、なぜこんな場所で呂布さんとちちくりあってましたか」

「いや、んぶっ……実は、ここで服を乾かしながらぶわっぷっ! ね、寝てたら……ってやめろセキト! 喋ってるんだから舐めるなっ!」

「お兄さんはまさか動物もいけるくちですか」

「なに恐ろしいこと言ってるの!? いけないよ!」

「………………セキト、好き?」

「ど……動物としては、ね? 懐いてくる動物を嫌いって言える人、そう居ないよ?」

「そして好き合う一人と一匹はやがて恋に落ちるのですね」

「落ちないよ! 落ちないから! なんか呂布が真に受けそうだからやめてくれって風!」

「………~♪」

 

 困っている俺を見て、どうしてか風は微笑んで俺の胸に頬をこすりつける。

 喜ぶ要素が今の会話の何処にあったのかは謎だけど、甘えられているようで悪い気はしなかった。

 

「………」

 

 空を見上げている。

 太陽が真上あたりってことは、今は昼なんだろうか。

 太陽が同じ周期、同じ速度でここから未来までず~っと回ってるのならそうなのかもしれない。

 

「……なぁ風。…………みんな、元気か?」

「そんなわけないじゃないですか」

 

 タイミングを見計らっていたことは確かだったが、ここまではっきり言われるとなかなかに辛い。

 

「お兄さんが居なくなってからの魏は、本当に抜け殻のようなものだったのですよ。天下を手にして一皮剥けて、中身だけ飛んでいって……残された抜け殻が風たちだったのです」

「いや……そうなのかもしれないけど、なんかヤなんだけど……その言い方……」

「華琳様からお兄さんが天の国に帰ったと聞かされた時のみなさんの動揺は、それはもう心臓を握り潰されたかのようなものでした」

 

 それはもちろん風もですよ、と続ける風の頭を撫でる。

 腕ではなく、頬擦りしたままの胸を枕にする風を撫でながら、仕方が無かったとはいえ魏のみんなにしてしまった罪の重さを噛み締めてゆく。

 ……って、あのー、恋さん? 真似して胸に頬擦りしなくていいですから。

 

「華琳はどうしてる?」

「普通ですよー? 普通に仕事をして、普通に女性と楽しんで、普通に日々を過ごしてます」

「……それは、すまん。異常だな……よくわかる」

「異常は言いすぎな気もしますけどねー。そういうことです」

 

 華琳が普通に日々を送るなんて、考えられない。

 普通よりも一歩先を目指す彼女だ、風の目から見てそれが普通だというのなら、それは華琳……いや、曹孟徳としての実力の低下を意味するのでは。

 それとも……

 

「……羽根を休ませたかったってことはないか?」

「それはないですねー。あれはまるで、張り合いを無くしたというか……自分の善いところを見せる相手を失くした子供のような姿ですしねー」

「………」

「おやおやお兄さん? 今お前も子供だろ、とか失礼なことを考えませんでしたか? 散々人を開発───」

「考えてません! ていうか開発とか言わない! 何処で覚えたのそんな言葉! 今すぐ忘れなさい!」

「おうおうにーちゃん、それは───」

「だから! 宝譿もう大変なことになっちゃってるから! いたたまれなくなるからやめて!」

「むう、お兄さんは少し意地悪になりましたね。風は悲しいです」

 

 ……そりゃ、一年もあっちの世界で暮らしてたんだ、変わりもするし、変えられもする。

 郷愁はあるわ口の利き方が悪いとじいちゃんに怒られるわ、変わらずに居られるほど穏やかじゃあなかった。

 勝手に決めた誓いとはいえ、強くなりたいと本気で思って立ち上がったりもしたんだ。意地悪っていうのは不本意だけど、変わることが出来たことを少しでも喜びたい。

 まあその、いい意味で変われているのなら、だが。

 

「……華琳様に会いたいですか?」

「みんなに会いたい」

「おおっ……即答ですねーお兄さん。さすがに気が多いだけはあるですよ」

「そういう意味じゃなくて。……うん。誰に会いたい、とかじゃない。みんなに……魏のみんなに会いたいよ」

 

 ずっと望んでいたのだ。みんなに会いたい、この世界に戻りたいって。

 服なんてほうっておけばよかった。フランチェスカの制服に着替えるのももどかしく、たとえ誤解されようが怒られようが、この足で走って、みんなに会えばよかった。

 そうしなかったのは───きっと。

 

「俺は……見苦しいところ、見せたくなかったんだろうなぁ……」

「あら。誰にかしら?」

「天下を統一させた、我が唯一の覇王に」

 

 影が差す。

 いったいいつから居たのか、俺を見下ろす姿。

 眩しい太陽を微妙に隠しきらないあたり、居なくなったことへの仕返しをしているのかどうなのか。

 けど……そんな反応が懐かしい。

 

「戻ってこれたことに(はしゃ)いで、感激して。喚きながら王に抱き付く姿を見せたくなかったんじゃないかな、って」

「そう? 私は見せてほしかったくらいだけれど」

 

 一年。

 

「……桂花が黙ってないぞ」

「黙らせるわ」

 

 一年間だ。

 

「集まってくれたみんなが引くぞ」

「引かせておけばいいわよ」

 

 この姿を何度思い浮かべ、何度胸を焦がしただろう。

 

「稟が鼻血噴くぞ」

「風に任せるわ」

 

 会いたくて、会えなくて。

 

「酒が、不味くなるぞ」

「そんなの、一年も前から不味いわよ……」

 

 会えないというだけのことが、あんなにも辛いことを俺は初めて知ったんだ。

 

「…………華琳」

「……なによ」

 

 この目を見ながら名を呼べる日が、また来るなんて。

 

「……我、天が御遣い北郷一刀。天命ではなく、貴女の願いにこそ応じ、参上した。……さあ、貴女が望むは天下泰平か? はたまた武と知を振るえる戦乱か」

「───……そんなもの、決まっているわ。貴方に願わなくても、天下の泰平など成し遂げる。戦がなくとも、武と知を振るえる場所など作ってみせる。私が貴方に望むことなんてたったひとつよ」

 

 伸ばした手が、彼女の頬をやさしく撫でる日が、訪れてくれるなんて。

 

「ほう。ではその望みを、この使者に」

「ええ。……天が御遣い、北郷一刀。貴方に命じます。……天より我がもとに降り、その一生を……魏に捧げると誓いなさい」

 

 こうして、再び引き寄せることが出来るなんて───

 

「……仰せのままに。我が王よ───」

「……ばか」

 

 目を静かに閉じ、唇が近づく。

 やがて太陽は遮られ、ふたつの唇が───……ちむ。

 

「………」

「…………風?」

「いえいえー、なんといいますかここまであからさまに二人の空間を作られては、邪魔をされた風としては立つ瀬がないといいますか」

 

 華琳の鼻先にセキトの鼻。

 ひんやりとした感触に華琳がババッと離れるが、すぐに平静さを見せるとこほんっと咳払い。

 

「風が邪魔をされた、とは……どういう意味かしら、一刀?」

「え? いや……」

「お兄さんは服が二着も汗で濡れるほどに呂布さんを愛し、それだけでは飽き足らず、飴が落ち宝譿がぐしゃぐしゃになるほど風を愛し抜いたのですよ」

「…………一刀?」

 

 ドスの効いた、まるで深淵からにじみ出るような低く恐ろしい声が耳に届いた。

 悲鳴を上げなかった自分に“お見事”を届けつつ、今の自分にエールを贈りたい。つまり助けて。

 

「ちっ、違う! 断じて違う! 誤解だ! 濡れ衣だ! ってどっかで聞いた言い回ししてる場合じゃなくて!」

「言ったはずよね? 私以外の女に手を出す、または出した時は、きちんと報告すること、と」

「今まで居なかったじゃないかーっ!! それでどうやって報告───ってだからそうじゃなくて!」

 

 さっきまでの甘い雰囲気が逃げてゆく! 手を伸ばしても届かない! さよなら愛情ようこそ理不尽!

 

「お兄さんは風の頬をそっと撫で、“ただいま、風”と囁いて、やがて唇を奪おうと───」

「っ! ……一刀。風には言って私には言わないとはどういうこと?」

「え? なにが?」

「なにっ……!? ……ふ、くくく……!! ええ、改めて確認した気分だわ……本当に一刀ね……。 妙なところで察しがいいくせに、こういう時にはまるで……! “なにが?”、“なにが?”と言ったの? 貴方は」

「う、うん……?」

「お兄さんは時々、英雄並みの苦渋の選択をしますねー」

 

 いや、なにを言われているのかよくわからないんだが……。

 ていうか風さん? あなた今この状況を滅茶苦茶引っ掻き回してません?

 ……あ、あれ? あの、恋さーん? 急に立ち上がってどこへ……え? 静かなのがいい? いやあのべつに好きで騒いでるわけじゃっ……ま、待ってぇええっ!!

 

「お兄さん、華琳様はお兄さんにただいまを言ってほしかったのですよ」

「え? そうなのか? だってそんな、当たり前のこと言ったって」

「!」

「おやおや……風に対しては当たり前ではなかったのですかー」

「む。それはちょっと違うんだが……俺、日本……天の国に帰ってからずっと、ここに帰りたいって思ってた。また会う時に恥ずかしい自分じゃいられないって、自分を鍛えたりもした。情けないことに泣いたりもしたんだぞ? これじゃ本当にホームシックだ」

「ほむし? なんですかーそれは」

「郷愁のことだよ。……だから、つまりな風。俺は自分の……天の国なんかよりも、華琳が辿り着いた天下。魏の空の下こそを故郷だって思ってたってことなんだ。魏は華琳の旗だろ? だったら、俺が帰るべき場所は華琳のもとで───っていたっ!?」

 

 え、いや……な、殴られた!? 今殴りましたか華琳様!

 

「っ……! っ……!!」

「……華琳?」

 

 風に向けていた視線を華琳に戻すと、華琳は涙と笑みを必死になって噛み殺しているような顔で真っ赤になりつつ、口をぱくぱくと動かしていた。

 

「っ……、ら……!」

「……ら?」

「だ、った、ら……ぁっ……! 勝手に居なくなるんじゃないわよっ! ばかぁっ!!」

 

 ……弾けるような声だった。

 結局涙も笑みも我慢しちゃった我らが孟徳様の行動は怒りで。

 華琳とは思えないくらいの、別の意味での真っ直ぐな言葉に面を食らった俺は、呆然としたままあることないこといろんな罵倒を浴びせられることになり───

 

 

 

03/背中合わせは夢想でご堪能ください

 

 ……その後私は担任の鬼山……ではなく、大将の華琳にボコボコにされた。

 

「ちくしょ~……」

 

 “私”と言った意味は全然ない。なにも問題はないさ、顔が痛いこと以外。

 結局、“言いなさいよ……いいから言いなさい!”って脅されて、ただいまを言わされた俺。

 その途端にボッコボコである。意味もなく“ワーオ! モートクー!”とか言ったのがマズかったようだ。

 涙こそ流さなかったけど、俺を殴る華琳は本当に子供のようで。

 “覇王”との約束を違えたって意味なら、殴られるだけで済んだのは破格。

 それ以上に愛しい人を泣かせたとあっては斬首も当然なのだろう。……こう、春蘭的に。

 ここに春蘭と秋蘭と桂花が居なくて本当によかった。

 泣いてないとはいえ、拳を振るう華琳の心は間違いなく泣いていただろうから。

 

「それで? 久しぶりの天はどうだったの?」

 

 で、現状といえば、斜に埋まった岩に背を預け、その足の間に華琳が治まり、胸に後頭部を預けている状態。

 風は…………宝譿の残骸の傍らで手を合わせてる。

 

「うん。華琳の目から見れば、大げさに言うほどの実りはなかった、っていうのが実際のところ」

「なによそれ。私が私の物語を生きていた中で、貴方はそんな物語を生きていたの?」

「……仕方ないよ、そればっかりは。天での暮らしよりも、ここでの暮らしこそが俺にとっての物語だってわかっちゃったんだから」

「……う…………そ、そう」

「ん、そう」

 

 あの世界での暮らしは無二だった。

 でも、必死になることを、生きる希望を、作り上げてゆく絆の大切さを知ったのはこの世界だった。

 世界の厳しさを、自分が知らない場所にある苦しさを、自分なんかの手で救える人が存在するほどの貧しさを、人としての俺を成長させてくれたのは間違いなくこの世界だったのだ。

 この世界は俺に勇気を、慈愛を、喜びを本当の意味で教えてくれた。

 ……俺が日本で暮らしてきた十数年などよりも、よほどに実りある僅かな時間。

 それをくれたこの世界だからこそ、華琳が治めた世界だからこそ、愛しいと思えたのだから。

 

「……一刀?」

 

 そっと抱き締めた。

 預けて貰っている体を、さらに近くに感じられるように。

 

「中途半端だったんだ」

「……?」

「この世界に来るまで、俺はなにもかも中途半端だった。成績は普通だし、やってた剣道も並以上になんか上がらない。じいちゃんに習っていたことも、やりながら“さっさと終わればいい、こんなのがなんの役に”なんて、学ぶことの大切さも考えないで否定ばっかりしてた」

「そう。それで?」

「ある日さ、友達……あ、及川っていうんだけどな? そいつが言ったんだ。“なんでもそこそこにやっとったら、そこそこの人生しか生きられんでー”って。それの何が悪いんだ、って俺は思った。普通のなにが悪いって」

 

 たとえば教室で。たとえば道場で。

 気の許せる友人に何気ないことを話して、話されて。

 

「でも、違った。俺の考えはその“普通”にすら届いてなかった」

「ええそうね。現状維持は悪いことではないけれど、進む気がないならそれは普通とさえ呼べないわ」

「うん。それに気づいたのは、勝ちたい人に出会ってからだった」

 

 目標が出来て、頑張ってみて、それでも届かなくて。

 

「でもさ、頑張ってみたけど届かないんだ。なにが足りないのかなって考えてみたけどわからない。どうしてわからないんだろ、って頭を掻き毟ったなぁ……」

「……ふふっ……今はどう?」

「ああ。足りないのなんてたった一つだった。俺には覚悟が足りなかったんだ。勝とうとする覚悟、負けても打ち込める覚悟。いろんな覚悟だ。相手は自分よりもいっぱい練習してるんだから、俺が負けてもしょうがない、なんて逃げ道ばっかり作って。そんなんで、努力をする人を倒せるわけがなかったんだ。……たとえ、同じだけ努力しても」

「それはそうよ。気構えの時点で負けているもの」

「きっぱり言うなぁ」

「言ってやらないとわからないでしょう? 一刀は」

「……すいません」

 

 言いながらも、華琳は散々殴った俺の頬を見上げるようにしてやさしく撫でてくれる。

 正直触れられるだけでも痛いんだが、罰だと思ってこの痛みは受け取っておこう。

 

「で、な。……えっと。その覚悟を、俺はこの世界で知った。正直な話……人を殺す覚悟なんてのは持ちたくなかったっていうのが本音だけど。天の国に戻った時、友達にどのツラ下げて会えばいいのか、怖かったくらいだけど。直接ではないにせよ、俺は人を殺しましたって言えばいいのかな、って思ったりもしたけど……さ」

「……ええ」

「でも……誰かの死は、取り返しのつかないことをやり遂げる覚悟を、俺にくれた。ひどい話だけど、俺は味方や敵の死でいろいろなことを学んだよ。……戦場、なんだもんな。武器を取って向かい合えば、相手が女でも子供でも老人でも、殺さなきゃ自分が死ぬ。それと同じように、勝ちたい人にだって勝ちたいって気持ちで……本当に勝ちたいって気持ちで向かわなきゃ、勝てるはずなんてなかったんだ」

 

 殺したかったわけじゃない。負けたかったわけじゃない。言い訳を言いたかったわけじゃない。

 いろんな思いが交差するこの世界で、それでも前を向いていられる理由が持てた。

 目標があるのなら進まないと。理由があるなら立たないと。

 あの日、俺の頭を抱いてくれたやさしいぬくもりに報いるためにも。

 そうやって、人の死を前に吐いてばかりだった俺はようやく立ち上がって、前を向くことが出来た。

 戦場の意味も知らない子供がようやく立って、魏のみんなと一緒に駆けて、笑って、泣いて。

 手が赤く染まるってわかっていても、生きたいと思うなら振り下ろさなきゃいけない時だってあることを知った。

 ───それが即ち戦場で、そうと知ってて向かっていくことこそが覚悟だった。

 

「……本当に、中途半端だった。今回天に戻ってみて、本気でそう思ったよ」

「あら。今は中途半端じゃないっていうの?」

「完全とはいえないけど、そうであってるつもり。足りないものが満たされてるって、そう思えるから」

 

 言いながら、華琳の髪に鼻をうずめ───た途端に額をべしりと叩かれた。うん痛い。

 

「あたた……はは、うん。及ばないことなんていっぱいあるけどさ。本気で鍛えて本気で勉強して、本気で願った場所へと辿り着けることってこんなに嬉しいんだなぁって感じられた」

「へえ……ともに天下を抱いた時はそうは思わなかったということかしら?」

「確かにあれは俺の願いでもあったけど、どちらかというと魏のみんなの願いだ。俺は案を出すばっかりで、本当の意味で身を費やしてなかったと思う。自分のためっていうよりは華琳や魏のみんなのために、っていうのが大半だ」

「……そう」

「天下を目指すための努力に比べれば薄っぺらくて、お前の充実感はその程度かって怒られるかもしれないけど、うん。俺は嬉しいって思えた。少しは中途半端から抜け出せたのかなって」

「………」

 

 言葉を届けると、背を預けたままにもう一度伸ばされた手が、俺の頬を撫でた。

 

「ふがっ?」

 

 ……次の瞬間には、俺の頬は伸びていた。もちろん、引っ張っているのは華琳だ。

 

「だったら、もっと高めていきなさい。この大陸で、あなたが望むままに。多少の馬鹿な行為くらい見逃してあげるから」

「…………」

「ふふぁ!?」

 

 仕返しに華琳の頬を両側から引っ張り、華琳の手から自分の頬を逃がす。

 「ひょっ……はふほ!?」なんて言われたが、聞こえないフリをしたまま、その頬のやわらかさとスベスベさを堪能する。それが終わるとパッと離した手で、引っ張っていた頬をこねこねと撫でながら言う。

 

「うん。それが華琳の願いなら、俺はずっとここで高めていくよ。自分の理想を、自分の信念を」

「……そう。なら早速だけれど覚悟を決めてもらう必要がありそうね……!」

 

 地鳴りのごとき擬音さえ聞こえてきそうな覇気とともに、修羅が振り向く。

 それに合わせて顔を突き出すと、怒気を孕んだ表情を驚きに変えてやった。

 途端に顔は真っ赤になって───でも、唇が離れることはなかった。

 


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