25/朱の陽の落つる日に
同日、気絶から復帰した少し遅い昼のこと。
さらりと出た話題に二つ返事で頷いた俺は、ある場所のある人たちの前に行き、
「てめぇの所為で頭がぁあああっ!!」
「キャーッ!?」
錦帆賊……もとい、海軍の皆様に首根っ子を掴まれ、女みたいな悲鳴をあげていた。
「頭ァ! この野郎、
「沈がダメなら縛り上げて吊るして……やっぱ沈だ!」
「やめてやめてぇええええっ!! そんなっ、俺達出会ったばかりじゃないか! 話し合おう! 話し合えばきっとわかり合えるよ!」
掴まれ、持ち上げられ、熱き男たちの頭上に寝かされた状態で騒ぐ俺。
もちろんこんな体勢では逃げることもままならず、救いを求めて案内してくれた甘寧を見るが───
「やめろ。海が汚れる」
「助けるにしたってもう少し言い方ってものがあると思うなぁ俺!!」
所詮こんなもんだった。
それでも離してくれた水兵の皆様の行動に心からホッとしながら……解放された理由についてを考えて、果たして解放されたことを喜ぶべきかを少し考えた。
……さて。
いわゆる呉軍の軍事機密であるらしい海軍集まる港にやってきたのは、俺と甘寧。
目覚めてすぐに雪蓮に伝えられたことにたまげつつも、俺は甘寧とともに建業という町と城を歩いていた。
というのも雪蓮が───
-_-/回想
それは気絶から戻ってきたときのことだった。
綺麗な花畑、綺麗な小川を跨ぎ、散っていったかつての仲間たちと涙ながらの再会を喜んだあと。
誰かに呼ばれた気がして意識を浮上させると、自分は宛がわれた部屋の寝床に寝かされていて、目を開けた先には雪蓮。
無理矢理起こそうとでもしたのか右手を振り上げていて……ってちょっと待てぇえっ!!
「まま待ったぁっ! いきなりなんだっ!?」
「あ、起きた」
きょとんとした声とともに、振り上げられた(たぶんビンタ用の)手は下げられた。
起き抜けからどうして安堵の溜め息なんぞを吐かなければならんのかを、急激な覚醒を強いられた頭で考えてみるが、こういう時は纏まらないものだって決まっている気がする。
「あ、あー……あれ? お花畑は? あいつらは?」
見渡してみても、しんと静まった部屋があるだけ。
部屋に存在するのは俺と雪蓮だけで、雪蓮は寝床にきしりと腰を預けると、俺の顔を覗くようにしてにこーと笑う。
「ん……えっと、なに?」
彼女が笑顔になると、大体が俺に用があるって……なんとなくだけど感じた。
用もなにも、一人でここに居るってことは“用がある”ってことだけは確定なんだろうが。
「ん、これからの一刀が出来る行動について、言っておこうかなーって。目が覚めたら言うつもりだったんだけど、一刀ったら全然起きないんだもん」
「そっか。そりゃ悪いこと…………マテ」
目が覚めたら? 全然起きない?
「……あの。雪蓮さん? 貴女、仕事は───」
「それでねっ、話のことなんだけどねっ」
俺の言葉を遮るみたいに手をぱちんっと叩き合わせ、声を張り上げる雪蓮……って、誤魔化したよこの王様。
それでもなにを言われるのかと思いながらも体を起こし、聞く姿勢を取る。
一国の王の話を寝床に座りながらってのも問題すぎるとは思うが。
「───一刀。貴方は今まで通り、この呉で好きに行動していいわ。それなりの規律は守ってもらわないと困るけど、縛り付けるために呼んだんじゃないからね。貴方が“呉のためになる”と思う行動を、思う存分やってくれて構わない。あ、ただし必要になったら呼ぶから、その時はどんなことの最中であろうとも駆けつけること。これを“命令”として受け取って。あとは好きにしていいわ」
「………」
物凄く奔放なことを、一気に仰った。それこそ、途中で口を挟むことを許さないってくらいに一気に。
客将とまではいかないものの、他国の客人に好きに振る舞えなんて普通言わないだろうに。なのに言っちゃう雪蓮は、物凄い大物なのかただ単にお気楽なだけなのか。
「や……でもな。俺が勝手に出歩いたりするのは迷惑に───」
「城に閉じこもったままで、どうやって騒ぎを起こす民を説得する気?」
「あ」
本末転倒。
ここにきて、自分が呉に呼ばれた理由を思い出して赤面した。
「私は一刀に騒ぎを治めてほしいって言ったのよ? もちろん私達だって一刀だけに任せっきりにするつもりはないし、その中で、一刀は呉の子たちと手を繋げる機会を作ればいい」
「ん……」
「なに、打算的に言うつもりはないが、建業の民を先に鎮めたのは見事なものだ」
「そうなのか? って冥琳!?」
あ、あれ!? いつの間に!? さっきまで雪蓮しか居なかったよね!?
「部屋に入る時はのっくをするのが礼儀だ~って、華琳に教わらなかった?」
「ほう? お前がそれを言うか雪蓮。仕事をほったらかしにして身を潜めているどこぞの王に逃げられないよう、そっと入ったつもりだったんだがな」
「一刀が悪い!」
「なんで俺!?」
やっぱり仕事、ほったらかしだったのか。
しかもそのことを問答無用で人の所為にしようとするし。随分と自由気ままな王様だ。
「まあ雪蓮のことはひとまず置こう」
「そうね、うん。出来ればそのまま置きっぱなしの方向で」
「それは駄目だな」
キッパリだった。ものすごーくキッパリだった。
「一刀~、冥琳がひどい」
「そこで俺に振らないでくれ……で、あのー……冥琳? 雪蓮のことを置いておくのは賛成なんだけど、“ここ”の民を鎮───あ、そっか」
「………」
ハッと答えに行きついた俺の横で口を尖らせて沈黙している雪蓮を余所に、目を伏せて口の端を持ち上げる冥琳を見上げる。
あの、雪蓮さん? 置いておかれることを望んでたんだったら、そんなジト目で睨まないでほしいんだけど。
「まあ、そういうことだ。悲しみに追われた者は後先を考えずに行動するものだが、それも“先に動く者があれば”だ。民の騒ぎも最初にこの建業で起き、それに加わるような形で各町でも騒ぎが起こった。“呉の王や将の一番近くの町の者が騒ぎ出したから”だ」
「そっか……悲しかったとしても、進んで騒ぎを起こして処罰されたいわけじゃないもんな。だから、誰かが動いて、それに乗じる形で騒げば、少なくとも“一番に騒ぎ出したのは自分じゃない”って安心が得られる」
あとは簡単だ。
そうやって、子を失った悲しみや国に対する不満を持った者、果てはただ騒ぎたい者たちや関係のない者まで暴れ始める。
でもその始まり───建業の民たちが笑顔を取り戻してくれたなら、少しずつでも騒ぎの勢いは鎮まっていくのだろう。
……もっとも、それは鎮まるだけであって解決じゃない。
不満が募ればまた騒ぎは起こるだろうし、鎮まっただけであって笑顔を見せてくれるわけじゃない。
そんな人たちを笑顔にすることが……
「お前だけの仕事、というわけではないぞ、北郷」
「へ? …………あ、あれっ!? 声、出てたっ!?」
「一刀って結構隙だらけよねー。秘密とか話したら、ぶつぶつ呟いてそう」
「い、いや……そんなことは……」
ない、と言いたいんだが……たった今呟いていたところだ、きっぱりと言えるわけもない。
「北郷。最初に雪蓮が言ったが、お前の仕事は“民の騒ぎを鎮めること”だ。呉の将に存在する仕事を手伝う必要も、手伝わせるつもりもない。……そんな顔をするな、邪険にしているわけではない。ただお前には誰よりも民の傍に“在って”ほしい」
「民の傍に?」
「ああ。あれほど悲しみに暮れていた民たちに活気が戻った。他にやり方があったろうと言ったが、あれは私達には出来ないやり方だった。……いや、もし私達がやっていたとしても、それは“上に立つ者”が一方的に押し付ける感情としてしか受け取られなかっただろう」
「自国の民を殴られたことに引っかかりを感じないでもないけど、あれはあれでよかったのよ。だ・か・らっ」
言葉のあとに、トンッと俺の胸がノックされる。
手の行き先を追っていた俺の視線が戸惑いとともに雪蓮の目を見ると、雪蓮はやっぱり“にこー”と笑って続きを口にした。
「一刀。貴方は貴方のやりたいことをやりなさい。それが呉のためになるなら、私達が妨げに走る理由なんてこれっぽっちもないんだから。なんだったら呉の将と好き合って、呉の人間になってくれても───あ、うちの蓮華なんてどう? あれでけっこう───」
「だぁああ待った待ったぁああっ!! いきなりなにっ!? なんで急にそんな話になるっ! どぉおして雪蓮はいつもそうなんだっ!」
「え? なにが?」
「っ……め……めいりぃいいいん…………」
マイペースな王様である。つい迷子の子供のような声で冥琳に助けを求めるが、「それがこの国の王だ、慣れろ」とだけ返される。
この時、雪蓮が“ソレ”扱いされたことに抗議申し立てを実行に移したが、物凄く綺麗にスルーされた。王様なのにこんな扱いって……。
「とにかくっ! たしかに俺はこの国に居る間だけは呉に尽くそうって覚悟を刻んだけど、それとこれとは話が別っ! 揺るがないって言っただろ最初にっ!」
混乱を払拭するように身振り手振りまで合わせて声を張り上げるが、「まーまー」と静かになだめられた。
途端に取り乱した自分が恥ずかしくなるが、対して雪蓮は冷静な笑顔を浮かべると、靴を脱いだ片足を寝台の上に立て、その膝に両手と頬を重ねた状態で俺の顔を覗きこんで言う。
「ね、一刀。本当の本当に揺るがないって言える? ここで仲良くなって、たとえば明命や亞莎が一刀のこと好きなっちゃったりしても、“俺は魏に生き魏に死ぬから断る”ってきっぱり言える?」
「えっ……や、それはっ……」
「あのね一刀。私はべつに、一刀に呉に降れ~とか言ってるんじゃないの。同盟国だし、たしかにそうなれば絆も深まるわよ? でも私が言いたいのはそういうことじゃない。本気で惚れちゃったりした子に対して、一刀が本当に国の名を理由に断るかどうかを訊いてるの」
「うぅ……」
何気に痛いことを言ってくれる。
そもそも複数の女性と関係を持つことに抵抗が……いやいや俺が今さらそれを言うか?
(けどな……! それだって魏の仲間だったからで……!)
困惑。
真剣に考え、自分の答えを探すが……断る? ……断れるのか?
覚悟を持って告白してきてくれた人が居たとして、例えば俺がその子の笑顔が好きだったとして……そんな子に笑顔以外の顔を、俺自身の言葉で……?
(…………でも)
そう、でもだ。俺にも譲れないものがある。
好きになって、守っていきたい、守ってやりたいって思える人が、町が、国がある。
誇り高くて気高くて、寂しがり屋なのに素直じゃなくて。そんな人の隣で、ずっと同じ覇道を歩いていきたいって思える心がここにある。
誰かの涙と比べていいものじゃないけど、魏を……彼女たちを悲しませてしまうくらいなら、どれだけ悪者になったって構わない───俺はその告白を断るだろう。
「……ごめん、雪蓮。それでも俺は揺るがないよ。俺は魏を、華琳達を“そうなる”ってわかってて悲しませる行動は取りたくない」
「ふーん……でもさ、一刀。好いた惚れたに国の都合を出して拒否するなんて、男として失格じゃない?」
「ああ、そう思われちゃうなら仕方ないよ。それでも譲れないものがあるなら、どれだけ自分の評価を落としてでも貫く覚悟が俺にはある」
「……ほう」
トンッと胸をノックして、真っ直ぐに雪蓮の目を見る。
と……どうしてだろうか。雪蓮の目はつい先ほどよりもやさしいものとなり、そんな笑顔のまま俺を見つめている。
「そっか、一刀は“華琳のもの”じゃなくて“魏のもの”なのね。私が言っても散々断ってた華琳が、こうして一刀を送り出した理由……なんとなくわかっちゃったかも」
「え?」
俺が……なんのものだって? と訊き返そうとしたんだけど、穏やかな笑みがまたも“にこー”に変わると、雪蓮は声を出して笑って……冥琳は溜め息を吐いた。
「でもね、一刀。意思が強くてちょっぴり頑固な貴方に教えてあげる」
「? 教え……?」
さて、どうしてだろうなぁ。この、目の前でにっこにこに笑う彼女を見ていると、こう……背中の辺りがゾワゾワと寒気に包まれていくんだが。
ああっ、なんか続く言葉がとっても聞きたくないなぁ! どうしてなんだろうなぁ! 本能!? これが本能ってものですか!?
「一刀が魏や華琳達に悪いからって罪悪感があるなら、その魏の象徴である華琳に許可を得ればいいのよね?」
「……ひゅふっ!?」
ぞくりとした寒気が現実のものとなって襲いかかってきた! お陰でヘンな声出た! よろしくない……この状況はよろしくない!
コマンド:どうする!?
1:たたかう(説得)
2:まほう(巧みな話術で対抗)
3:ぼうぎょ(聞こえないフリ)
4:どうぐ(携帯電話を見せて話題をすりかえる)
5:にげる(知らなかったか? 大魔王からは逃げられん)
6;たすけをよぶ(冥琳への救難要請)
7:ねる(堂々と。おそらく殴り起こされます)
8:いしんでんしん(華琳へ届け! この思い!)
結論:1! 正々堂々、試合開始!
「待った! もうさっきから何回待ったをかけてるかわからないけど待った! 許可がどうとか以前に、同盟国から呼ばれてきた俺なんかを呉の人たちが好きになるわけがないだろっ!? なのに華琳に許可なんてとったら、ただ恥をかくだけだぞ!?」
と、押し退けるように言ってみるのだが───
「そう? なんだかんだでみんな一刀のこと認めてるし、あとでどうなるかなんて一刀にだってわからないでしょ?」
「ぬごっ!?」
あっさりと反論を殺された。だめだ……なんとなくだけど、俺って一生、言葉じゃ女性に勝てないような気がしてきた。
いや……いや! 困った時の冥琳さん! 彼女ならきっと、雪蓮のこういった行動を諌めてくれるに違いない!
「冥り───!」
「“あとがどうなるかわからん”という点については……なるほど、頷こう。私は軍師ではあるが、予知ができるわけではない。私が北郷に惹かれることが無いとは、残念ながら言いきれない」
「アイヤーッ!?」
何故か頷いてらっしゃる!
そんなっ、あなたが頼りだったのに! この大魔王を止められる勇者は、きっとあなただけだったのに!
「それともなんだ? 北郷は我々では全てにおいて魏に劣り、不満だと言うのか?」
「えっ!? やっ、やややっ! そんなことはっ! ってそうじゃなくて! いやでも、それは、不満とかそういう話じゃなくて、そりゃ綺麗だし可愛いし───って何言ってるんだ俺はぁあっ!!」
神様助けて! なにか、なにか黒い陰謀が俺の知らないところで渦巻いている気がする! 頭に太陽をシンボルにしたような人形を乗せた軍師さんの力が、何故か俺だけ狙って蠢いているような……!
風!? 風ーっ!! これってどういった陰謀なんだ!? まるで俺を大陸の父に仕立て上げたいみたいな……!
……いや落ち着け……逆だ。そうだ、逆に考えるんだ。
雪蓮は“華琳に許可を得る”って言ったんだ。そんなことを、果たして華琳が許すか?
(…………)
“一刀に惚れた? まぐわいたい? ……そうね、ならば双方ともにどう可愛がったか、どう可愛がられたかを行為のあとに私に報告しなさい。さらに、そうした者全ての女性は私とも閨をともになさい? そうすると約束できるのなら、許可するわ”
(……許しそうだぁああ~……!!)
頭を抱えて、心の中で思う存分叫んだ。
そんな俺の様子を見てだろうか、ハッと気づいた時にはもう遅く……雪蓮は満面の笑顔を見せると、
「じゃ、私行くから。思春のこと、ちゃんと気にかけてあげてね。民の前でも笑顔になれるくらいにしてあげてねー」
「へっ!? や、ちょっ……待ってぇええええっ!!」
軽い言葉のわりにズンズンズンズンと足早に歩くと、扉を開けてさっさと出ていってしまった。
止める声虚しく、伸ばした手もなにも掴めず、俺は軽く目尻に涙を浮かべ、自分のこれからを思って頭を抱え直したのでした。
……うん、そんな俺の肩を、何も言わずにぽんぽんと叩いてくれる冥琳が、いっそ女神に見えました。……助けてくれなかったけどね、冥琳も。
……。
-_-/一刀
そんなわけで、俺と甘寧は建業を歩き回っている。
詳しく言えば甘寧に案内してもらう形で……まあ探検みたいなものだ。
孫呉の王直々に今まで通りに過ごしなさいと言われ、さらにそれが自分の仕事だとまで言われては、部屋の中でうじうじしているわけにもいかず。
夕方あたりまでを広い城内の散歩(みたいなもの)、夕方からは宛がわれた私室にて諸葛亮、鳳統と学校についての話。これには冥琳、呂蒙、陸遜も参加してくれるらしく、随分と豪華で大掛かりな話になったもんだと苦笑する。
……まあ、どちらにしろそんな言葉があったからこそこうして動けるわけで。
我が儘を言わずに、城の中で国のことを考えるつもりだった俺にとってはありがたい言葉ではあった。
そんなことを祭さんに話してみれば、雪蓮に次いで祭さんにまで「城に閉じこもったままでどう民を説得する気じゃ」と呆れられたのは記憶に新しい。
「それで頭ァ、今日はなんだってこんな男を連れて来たんで?」
「やっぱ沈ですかぃ!?」
束ねた縄を“ギュッ♪”とウキウキした顔で握る水兵さん。貴方の笑顔が今、とっても怖い。
「その束ねた縄を何に使う気だよ! たたた助けて甘寧ぃいいっ! 沈されるぅうううっ!!」
「あっ、てめっ! 頭を呼び捨てたぁいい度胸じゃねぇか! やっちまえ!」
「だぁあああっ!!? 待っ……うわわわわぁああっ!?」
「やめろ。お前らの拳が腐る」
「腐らないよ!? って、だから助けるにしたってもう少し言い方ってものが……!」
どうしてだろう。
助けられてるのに、甘寧の言葉のほうがとっても痛い。あはは、泣いてもいいかなぁ俺。
「私が将としての全権を失ったのは、全て自身が原因のことだ。この男がどう動こうが、止めなかった私にこそ罪がある。生きて恥を被るくらいなら、とも考えたがな……私は生きると決めた。ここに寄ったのは私がこの男の下につくことになった事実を教えに来ただけだ」
「なっ……ありゃ本当だったんですかい!?」
「てめっ! やっぱ沈だ! 頭がてめぇなんかの下につくだなんて冗談じゃねぇ!」
言うや、男たちが俺を組み敷いて縄でぐるぐると縛ァアーッ!?
「うわーっ! うわーっ!! やめやばば縛るな縛るなぁぁああっ!!」
「やめろ。ソレが死んだところで何も変わらん」
「…………うっうっ」
もう素直に泣きました。
連れてこられて縛られて、挙句の果てにソレ扱い……俺って……俺って……。
「北郷。そんなところに転がってないでさっさと起きろ。次へ案内する」
「ふ……ふふふ……どこへなりとも行きますよ……。もういっそのこと、自分が人ではなく“ソレ”でしかないとわかる果てにまで……」
「……? なにを言っている」
はたはたと泣きながら、縛られかけていた体を起こして縄を払う。
水兵の皆さんもなんだか呆気に取られているようで、ぽかんとした顔で甘寧を見ていた。
そんな様子を見て、さっさと歩いていってしまう甘寧を小走りに追って、耳もとで囁いた。
「なぁ甘寧? あれ───はぶしっ!」
痛っ……って、あれぇ!? 殴られた!? なんで!?
「なんのつもりだ……! 急に耳に息を吹きかけるなど……!」
「えぇっ!? ちがっ……ただ内緒話のつもりで───」
「頭ァ! どうかしたんですかい急に殴って!」
「やっぱ沈ですかい!?」
「ヒィ!? ちがっ! それこそまさに違うからっ!! なんでもないからウキウキ笑顔で走り寄ってこないでくれぇええっ!!」
笑顔……それは、笑顔を忘れた人達に思いだしてほしいもの。
だけどこの笑顔はちょっと種類が違っ……違うから縛らないで縛らないでぇえええっ!!
「よっしゃあ
「腕が鳴るぜぇええ……!!」
「扱くだけなのにどうして腕が鳴るんだぁああっ!! かっ、甘寧! 甘寧ぃいーっ!! 止めてくれるって! どんなことでも阻止するって言ったよね!? 今こそその言葉を真実に───」
「───よせと言っているのが聞こえなかったか!」
『っ!!』
俺の悲鳴を遮るように張り上げられた声が、縛った俺を抱えて走る水兵たちの足をビタァと止めさせた。
叫んでいた俺さえもが、喉をぎゅっと絞るようにして息を止めるほどの威圧感。
そして、おそる……と振り返る水兵たちの目には、ツリ目をさらに吊り上げた鋭い眼光を放つ赤の魔人が……!!
「たしかに私はもはや呉の将ではなくなった。だが武力までは捨てたつもりはない。聞き分けを知らず、平定した呉の内部で騒ぎを起こす気であるなら───、……我が“鈴音”で貴様らの首を刎ね、黙らせるまでだ」
(こっ……怖ぁあーっ!!)
恐らく、俺を含めた男の全てがそう思っただろう。
氣が使えなくたって、気配を感じられなくたって、生命としての本能が報せる“恐怖”ってものがある。
庶人の服に身を包んだ彼女のソレ……殺気といわれるものは凄まじく、暗殺なんてとんでもない……“呉のためならば本気で黙らせるまでだ”って顔で、俺達を睨んでおりました。
「へ、へいっ! すいやせん頭ァッ! お、おらっ! てめぇもっ!」
「へあっ!? ご、ごめんなさ───あれぇ!? 俺なんか悪いことしたっけ!?」
どこから出したのかわからない曲刀に陽光が反射する様を見ながら、もうこんがらがってしまった頭の中でいろいろと考える。
うん、こういう時ってとことん纏まらないよね。わかってたさ。
ともあれ地面に下ろされ、縄をほどいてもらうと足早に甘寧の傍へと駆ける。
そうしなければ危険な気がしたんだ。水兵の皆さんではなく、甘寧が。だからなんとか説得して刃を納めてもらい、ようやく安堵。
「今度はてめぇ一人で来やがれぇーっ!」と叫ぶ水兵さんの皆さんに引きつった笑顔で手を振りつつ、彼女の案内のもと、建業を歩き回った。