真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷(ぜろくろ)

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09:呉/傍らを歩く朱の君よ②

 で……陽も暮れようとする頃、城への道を歩く中で甘寧に言った。

 

「あのさ、甘寧」

「なんだ」

 

 感情が湧いた様子のない、押し退けるような声で返事がくる。

 やっぱり嫌われてるのかなと思いつつ、それでも話を続けた。

 

「いくら知ってる相手だからって、武器で脅すのはちょっとまずいんじゃないか?」

 

 水兵さんたちのことだ。

 あれから親父のところへ挨拶しに行って驚かれたりもしたけど、ずっとそれが気にかかっていた。

 

「将ではなくなったとはいえ、あれは私の管轄だ。即座に黙らせる方法はよく知っている」

「それにしてもだよ。どこから出したのか知らないけど、戦いは終わったんだってことを伝えたいのに刃物を見せたら、相手だって構えるだろ? そういった噂がどこからか流れたりしたら、民だって甘寧のことを怯えた目で見るかもしれない」

「私は構わん。それが民にとって、必要である緊張までを緩ませ過ぎんがための薬になるのなら───……なんだ」

 

 ザッと、先を静かに歩く甘寧の前に立つ。

 甘寧は足を止めて鋭い目で俺を睨むけど、その目を真っ直ぐに見て、自分は退く気はないんだとわからせてから───

 

「俺が構う。それは、俺が嫌だ」

 

 自分勝手なことを、それこそ真っ直ぐに甘寧へとぶつけた。

 町をゆく民たちがチラチラと俺と甘寧を見るが、立ち止まろうと思う者はおらず、後ろ目にしながら去っていく。

 

「貴様が? 私の都合で何故貴様が嫌悪感を抱く」

「俺は、民には甘寧にも自然体で向かってほしい。怖がることなんてしないで、子供達も笑顔で寄ってきてくれるくらい。……俺、民を見る甘寧がとてもやさしいことを知ってる。民のためならって、自分の地位を投げ出すやさしさを知ってる。だから───」

「黙れ」

 

 言葉の途中、甘寧がさらに鋭い目つきで俺を睨む。

 息をすることさえ許さぬといった威圧感とともに、その目に怒気さえ孕みながら。

 

「知ったふうな口を叩くな。民を見る目がやさしい? 地位を投げ出す? ……そんなものは打算でしかない。民のためなどではない、私はただ蓮華様のために───」

「違う」

 

 けど、そんな目に睨まれながらも、次に言葉を遮ったのは俺だった。

 いまだ怒気をぶつけられながら、話の途中に否定されたことに怒気を増させる甘寧を前に。

 

「違う、だと……? 貴様に私のなにがわかる。手を繋いでやった程度で全てを知った気でいるのなら、貴様という男の程度が知れるぞ」

「俺の底だとか程度なんてどうでもいい。底が知れるなら、むしろ知ってほしいくらいだし、教えてほしいくらいだ。でも、間違ったことは間違ってるって言ってやる誰かは誰にだって必要だ。……なぁ甘寧。甘寧の行動は全部孫権のためか? 将って地位を捨てたのも、俺の下につくことに頷いたのも……あの時、民を見て“悪くない”って言ったのも……全部孫権のためか?」

「そうだと言っている。私の全ては呉の、蓮華様のためにある。尽くすことを禁じられ、貴様の下につこうがその想いは変わらん」

 

 目を逸らすこともせず、真正面から言われた言葉が突き刺さる。

 彼女は本気だろう……呉のため、孫権のために自分はあるのだと心から言っている。

 けど、そこに民への思いが無ければ、あんなやさしい顔を見られるはずがないんだ。

 

「それでも……いや。それならなおさらだ。……笑ってくれ、甘寧」

「なっ……」

 

 なにを言い出す、と言わんばかりの戸惑いの顔。

 そんな顔を真っ直ぐに見つめたままに、俺は険しい顔を引っ込めて笑ってみせた。

 

「甘寧。雪蓮が目指す呉の姿は、みんなが笑っていられる国だろ? 全ての民、全ての将、その全てが……同じ時間、同じ場所、同じ日じゃなくてもいい、日を跨いででもいつか、笑っていられるような国があればって……俺だってそう思う」

「……だが笑ってばかりでどうする。泥を被ろうが、誰かが緊張を忘れぬための刃にならねばならん。それがたとえ王の願いだとしても、誰かが成さねばならんことがある」

 

 甘寧は引かない。俺を睨みつけたまま、視線を動かさずにずっと俺の目を睨みつけていた。

 

「ああ、そうだ。でもさ……」

「っ!? な、なにをす───」

 

 手を繋ぐ。俺の目を睨んでいた目は途端に繋がれた手へと落ち、振り払おうとする手を強く強く繋げた俺に、その視線は再び俺の目へと戻る。

 

「甘寧、俺に言ってくれただろ? 全部一人で背負い込むことはないって。今日、甘寧が泥を被ってくれたなら、明日は俺が被ればいい。明日俺が被ったなら、次は誰かが被ればいい。ずっとそうやって、みんなが笑っていられる国を作っていこう? ……俺は、みんなが笑ってるのに甘寧だけが笑ってないなんて、そんなの嫌なんだ」

「…………な、う…………」

 

 甘寧の顔が、じわじわと赤くなってきた気がした。

 ふと気づけば陽は沈もうとし、ああ、夕陽の所為かなんて暢気に思っていた。

 

「俺の仕事が民の騒ぎを鎮めることで、俺のやりたいことが民を笑顔にすることならさ。俺は今、甘寧っていう綺麗な女の子を笑顔にしたいよ。誰に頼まれたからじゃない。きっと、甘寧が庶人扱いになってなくても手を伸ばしたし、笑顔が見たいって思った。だからさ」

「あ、う、う……」

 

 陽が沈んでいく。

 人の通りもまばらになった町を、最後に朱が駆け抜けるみたいに。

 そんな朱は甘寧によく似合うな、なんて思いながら……大地に伸びる自分と甘寧の影をそっと見て、恐らく俺の肩越しに沈みゆく夕陽を見ているであろう甘寧を改めて見つめて。

 

「笑ってくれ、甘寧」

「───!」

 

 陽が、最後の輝きを見せる。

 自分の肩越しに見える光の所為か、目を細めた彼女に心からの笑顔を送って、繋いだ手から思いが届くようにと強く強く握って。

 

「………」

「……、……」

 

 やがて陽が完全に落ちて、暗くなるまでその状態は続いた。

 返事を……笑顔を待っているつもりだったけど、甘寧は俺の顔を見たまま動かない。

 硬直してる……わけないよな。むしろ……あれ? 夕陽は落ちたはずなのに、顔が真っ赤っかなような……?

 心無し、目が少し潤んでいるような……いや待て、肩も震えて……まさか風邪!?

 しまった、海(いや河か?)を見に行ったり歩き回ったり、案内されるがままで甘寧の体調のこと全然考えてなかった!

 ど、どうする? これはすぐに城に戻ったほうが……い、いや、ここで「風邪引いたんじゃないか?」なんて言えば、甘寧は否定し続ける気がする。なんとなく主思いというか、誰かを思ったら一直線ってところは春蘭に似ているし。人はそれを頑固と言うが。

 だったらここでの最善は、あー…………

 

 

 

-_-/甘寧

 

 …………不思議な感覚だった。

 味わったことが無い……ああそうだ、味わったことのない感覚。

 真っ直ぐに覗かれた瞳に、繋がれた手。落ちる陽に重なる男。

 私の目を見る男など今までで何人居ただろう。

 見たとしても即目を逸らし、あらぬ方向を見てはぼそぼそと用件を話す。

 錦帆賊の部下にしてもそう変わらない。

 たしかにこちらを見るが、目ではなく“甘興覇”を捉えて話すといった風情だった。

 目を覗きこまれ、そのまま意思を叩きこまれたことなど、呉の将や戦場以外ではされたことなどなかった。

 だというのにこの男は、少しも逸らすことなく真っ直ぐに私の内側へと語りかける。

 

 ───おかしい。

 心の臓の鼓動が早まり、それが肺臓の働きを阻害し、呼吸が乱れる。

 苦しいくらいに呼吸が乱れ始め、陽が完全に落ち切る頃には平静さを保っているのも辛くなってくる。

 なんだという。

 この男の笑顔が落ちる陽に重なった刹那より、私はどこかを壊された。

 この男を見ているのが、たまらなく辛い。苦しい。

 繋がれている手をとても振り払いたくなり、払った途端にこの男から逃げ出したく───……逃げる? この男から、私が?

 

「………」

 

 癪だ。

 武将ですらない男から逃げるなど、将ではなくなったとはいえ恥だ。

 逃げん。私は……わわ、私、は……逃げ、逃げ……!!

 

「う、うわっ! 呼吸が荒くなってきた……! 風邪、だよな、やっぱり……えぇっと……とにかく城にっ!」

「? ……っ!?」

 

 目の前の男……北郷が、繋いでいた手を急に引くと、情けなくもあっさりと体勢を崩した私を己の背に乗せ……な、なぁあっ!?

 

「き、ききき貴様、なななにをっ───」

「いいから任せて甘寧は休んでてくれっ! 大丈夫大丈夫、これでも体力だけには自信があるからっ!!」

「ちち違う、貴様はなんのつもりでこんな……!」

「風邪なら風邪だって言わなきゃだめだろっ! そんな、呼吸が苦しくなるくらい我慢してたら国に返す前に倒れるだろっ!?」

「…………なに?」

 

 今、なんと言った? ……風邪? 風邪と言ったのか、この男は。

 

「………」

 

 何故だろうな、この時の私は素直に苛立った。

 動悸も激しく呼吸も荒い、恐らくは顔も赤いのだろうが……なるほど、症状だけで唱えれば風邪と言えるだろう。

 だがこの息が詰まる衝動を風邪と、どうしてか他ならぬこの男に言われたことがとても癪だった。

 癪だったのだが……。

 

「はっ、はっ……はっ……」

「………」

 

 理由はどうあれ私のために走り、極力私の体が揺れないようにと、足を大きく振り上げて走るのではなく高さを保ったままの重心の低い走りをするこの男。

 そんな男を見ていると、不思議と癪だった心も治まりを見せた。

 

「………」

 

 誰にも届かぬような声で、もう一度だけ唱える。

 自分だけに届いたその言葉に自分で驚きながら、今さら何を言っても下ろさぬだろう男の背に、諦めの息を吐きながら体を預けてみた。

 

(……甘寧という女の子の笑顔を、か……)

 

 女として扱われたことに驚きを感じた。

 怒気を浴びても目を逸らさぬ在り方に驚きを感じた。

 私に笑ってほしいと微笑みかけた、北郷一刀という男に驚きを感じた。

 

(調子が狂う。こんな男は初めてだ……)

 

 こうして他人に体を預ける自分も意外ならば、こうすることで胸の高鳴りが落ち着きを見せたことも意外だった。

 よくはわからん。よくはわからんが───

 

(……別段、悪くはない、とは思う)

 

 自分だけに聞こえた言葉をもう一度繰り返し、目を閉じようとするその途中。長い自分の髪が、北郷が駆けるたびに揺れ、それが自分が女であることを思い出させる。

 この衝動がどういったものか、自分のことだというのに掴み兼ねているが……悪くないと思えるのなら、その方向へ歩んでみるのもまた新たなる一歩なのかもしれない。

 将としての自分は死んだ。

 ならばもう一人……ここから庶人として生きていく自分は、衝動に任せた行動を取ってみるのも一興なのかもしれない。

 

(……そうだな、貴様の言う通りだ)

 

 ふと目を開けると……城への道、最後に擦れ違った町人と目が合う。

 その目がすぐに逸らされることを、当然のこととして受け取ってしまっていた自分にようやく気づけた。

 私はもはや将ではないが、ならば将であった自分に出来たことはなんだというのだろう。

 睨みを利かせるだけなら今の私でも出来る。

 威圧感だけで場を鎮圧することすら、今の私でも出来るだろう。

 ならば、私が将であるうちにやればよかったことなど───

 

(笑顔か……)

 

 上に立つ者が常に気を張った顔をしていて、どうして下の者が心から笑えるのだろう。

 私は……笑っていればよかったのだ。

 笑って、民に戦は終わったのだと言ってやればよかった。

 すまなかったと、子をむざむざ死なせてしまってすまなかったと、心から謝ればよかった。

 それが真実、“地位よりも民のため”と胸を張れる行為だったのではないか。

 

「……北郷」

「なんだっ? はあっ……もう少しで着くぞっ、大丈夫だからなっ」

「………」

 

 声を掛けた理由もわかっていないというのに、どうしてか私のために走っていることが事実なこの男。

 そんな男に、不覚にも力が抜けるのを感じた。

 ……さて、私は……この男に何を言うべきだろう。

 もはや遅いことだが、気づかせてくれたことに対しての感謝? それとも───

 

「……、」

「ん……? うおっ!? か、かか甘寧!? ますます顔が赤いぞっ!? ごめんっ、俺足遅いかっ!? 一応不慣れなりに氣を使って走ってるんだけどっ……!」

 

 間近で覗かれた顔が灼熱する。

 だが、嫌な感じはいまだに感じない。

 

(なるほど。こんな男だから、曹操殿は……)

 

 こんな男を傍に置いておく魏の連中の考えがわからなかった。

 しかし、今ならわかる気がする。それはとても漠然としたものだが───不思議と、思わせてくれることが一つだけあった。

 

  “この男は裏切らない”。

 

 たとえ呉を離れたとしても、一度信じさせた者を決して裏切ることなく受け止めてくれるのだと。

 ならば───

 

「……甘寧? 急に喋らなくなったけど……熱とか上がったりしてるか?」

「“思春”だ」

「……へ?」

「私の真名だ。貴様に預ける」

「へー……えぇっ!? 真名!? 真名を預けっ……ちょ、ちょっと待ってくれ! 城まで運ぶお礼だとしたらあまりにも行き過ぎだろっ!」

「黙れ」

「だまっ……!? え、っと……その、いいのか? 甘寧は俺のこと、嫌いだと思ってたけど」

「“友”に真名を許さないでは、私の気が済まん。ただそれだけのことだ」

「───……」

「………」

 

 戸惑ってばかりの北郷に言ってやると、北郷は息を飲み、そのまま黙った。

 いつの間にか足も止まり、誰も居ない城の通路で二人、言葉もなく互いの鼓動と呼吸だけを感じていた。

 つくづく調子が狂う。蓮華様で占められていた私の意思を、少しずつ、だが確実に北郷という男が蝕んでいく。

 それが嫌でたまらないと口で言うのは簡単だが、私の内側にはそれを喜んでいる私がたしかに存在していた。

 

「……なにか言え」

「え、やっ、だまっ……黙れって言ったばかりだろ!? そりゃ話もなくこんなところで立ち止まって、なにか言わないのは変だとは思うけど───あ、甘寧っ!?」

 

 わあわあと焦ることをやめない北郷の、私の足を支える手を解き、自らの足で通路に立つ。私の身を案じているらしい北郷は、すぐに私と向き合い心配そうな顔で見つめてくるが───

 

「貴様は……よく、人と目を合わせて話すのだな。大事なものだ、逸らすことなく真っ直ぐに、そのままでいろ。……無論、今もだ」

「……いい、んだな?」

「何度も言わせるな。早く───、っ!?」

 

 何故か妙に気恥ずかしいので、さっさと言え、と言っている最中、目の前の男が急に手を握ってきた。

 

「だったら、まずはちゃんと手を繋がせてほしい。……届いた、って……伸ばしてくれたって、受け取っていいんだよな?」

「は、早くしろと言っているっ」

「ああっ、ははっ……よろしく、“思春”」

「………、───」

 

 その言葉に、その笑顔に、我が真名に、不思議と小さな喜びを感じた。

 それは、些細なことで蓮華様と喜びを共有した時のような感慨。

 ああ、私はどうなってしまったのだろう。誰かに説うたところで答えは来るのだろうか。顔が熱く、体から力が抜け、だが視線だけは目の前の男の目を見つめたままで───

 

(あの朱……)

 

 あの朱の陽が、私のなにかを破壊した。

 落ちる日差しにこの男の笑顔が重なった瞬間、私はその朱に惹かれていたのだろうか。答えを教えてくれる者はおらず、しかし目の前の男の目が、答えは足で探そうと言っている気がした。

 そう、この男は言ってくれた。“一人より二人のほうが、出来ることが増える”と。私だけでは見つけられぬものも…………見つかるのだろうか、この男とともになら。

 ……いや、だとしても、寄りかかるつもりなど私にはない。それでいい。

 

「で、ではな。私は戻る。……風邪など引いていない、そう心配そうな顔を向けるな鬱陶しい」

「うわっ、友達になっても容赦ないな……! うん、でもまあ……はは、甘寧……っと、思春らしくていいかも」

「………」

 

 もはや顔が熱くなっていくのを止めることも出来ない。

 ここまで我が身が思い通りにならないものだとは想像だにしなかった。

 そんな自分を見られることがなんとなく嫌になり、足早に城を出ようとするのだが。

 

「あ、待った思春!」

「なななんだ!」

 

 急に声をかけられ、勢いのままに振り返る。

 怒鳴るような声が出たことに自分こそが驚いたが、北郷はそんな私の怒声にも似た声を笑って受け止めた上で、切り出した。

 

「あの。そっち、出口しかないだろ? 思春は何処で寝泊りするつもりなんだ?」

「? そんなものは決まっている。馬屋だろうとなんだろうと、借りられるものを借り───」

「却下」

「?」

 

 ぴしゃりと却下され、思わず思考を停止し───否だ。

 

「待て、何故貴様に却下される。雪蓮様の許しを得たとはいえ、私は庶人であり町人とそう立場は変わ───」

「だったら一応の上司として言うから。そんなものは却下。女の子が馬小屋で寝るなんて、俺は許さないしみんなだって許さない。思春が俺の部屋で寝てくれ、俺が馬小屋に行くから」

「あれは貴様に宛がわれた部屋だ。貴様が使わんのでは意味がない」

「意味ならある。宛がわれたお陰で、友達がきちんと寝られるよ」

「…………~……!」

 

 “この男、いっそ殴ってくれようか”。

 何故こうも軽々とこういうことが言えるのかと考えていると、自然とそんな言葉が浮かんだ。

 この男について一つわかったことがある。

 “友”に対しては、随分と遠慮が無くなる。だがなるほど、それが友というものならば、それもまた当然か。

 自分はたしかに、この男に友と思われているということだ───が、それとこれとは話が別である。

 

 

 

-_-/一刀

 

 ……そうして、どれくらい経ったのだろう。

 俺が私が、貴様は関係ない、いいや関係あるなど、ギャーギャーと通路で訴えかけ合い、しかし決着などはつかないまま。

 甘……じゃなかった、思春がここまで頑固者だなんて思わなかった。

 友達になることを受け入れてくれたのは嬉しいんだけど、だからこそ友達を馬屋なんかじゃ寝かせられない。

 まして、相手は戦地を駆けた猛将とはいえ女の子なんだ、そんなことはさせたくない。させるくらいならいっそ───

 

「………」

「…………? どうした」

 

 いっそ……いやいやっ、それはまずいだろっ! 絶対に誤解されるって! そんな、“じゃあ一緒に寝よう”なんて……!

 せっかく友達になれたのに、いきなり絶縁状突き出されるようなこと言ってどーすんだ!

 

「やっぱり思春が使うべきだっ! 馬屋には俺が行くからっ、なっ?」

 

 口早に話し、そそくさとその場から離れ───ようとしたが回り込まれた!

 それは音も無しに動くという、暗殺者の行動にも似た素晴らしい動きで……! って感心してる場合じゃなくて!

 

「何処へ行く気だ。貴様はこれから軍師殿達と話をするんだろう」

「あ」

 

 顔が灼熱するあまり、これからの行動を忘れていた。

 しかしそれも仕方ない。相手も自分も譲らない上、浮かんだ結論は友達にも同盟国の人にも言うような言葉じゃない。

 勝手な行動は慎もうとか誓ったその日に、同じ部屋で同盟国の女性と一晩過ごすとか、危ないだろ……!

 わ、我が身我が心は魏とともにあり。なのにそんな、友達になったからって“部屋に来ないか”なんてさすがに節操がないにもほどが……っ……! ほどっ、ほどが……ほ…………ほど?

 

(……あれ?)

 

 節操? そんなの俺にあったっけ……。

 そんなことを考えてみたら、少しだけほろりと涙がこぼれ───そんな涙を見た思春はなにを思ったのか、少々困惑顔をすると、

 

「わかった。ならば馬屋ではなく兵舎を借りるとしよう」

「いやそれはもっとまずいからっ!」

「な、なにっ?」

 

 目を伏せ、小さく言ってくれた───言葉に待ったをかけた俺がおりました。

 規律に富む呉の兵達が、まさか思春に手を伸ばすなんてことはしない。しないが、たとえしないとはいえ女性が一人男たちの巣へ舞い降りてみろ。

 

(むしろ兵たちが可哀想だ)

 

 うん、ということで却下。

 そんなことさせて、兵たちに緊張と恐怖で眠れぬ夜を過ごさせるくらいならいっそ───い、いっそ……。

 

(困ったな……えぇと)

 

 少し考えてみて、実は自分が女性を誘うようなことをしたことがなかったと、今さら自覚する。

 どちらかというと魏のみんなからは誘われて行為に移ることばかりで、行為に移らなかったとしても、こうして意識して言うことなんてほぼなかった。

 ……じゃあ待て? これって俺が、初めて誰かを誘う行為になる……ってことか? って待て! 話が逸れてる! 誘うって言ったってそういう意味じゃなくて───ああもうなに通路の真ん中でこんなこと考えてるんだよ俺っ……!

 

「一緒に来てくれっ、思春っ!」

「なっ……?」

 

 このままだと埒が空かない。

 今はとにかく思春を一人にしないで、監視って意味でも一緒に居るほうが大事な気がしてきた。

 一人にしたらいつの間にか馬屋に居そうだし……仕方ないよな。

 これから冥琳達も話し合いに参加するんだから、その時に思春のことも話せば、きっと部屋くらい用意してくれる。

 

 

───……。

 

 

 ……さて、そうして。

 何故か俺の私室に集うことで始まった、蜀の軍師と呉の軍師を混ぜた話し合いなのだが。

 

「ほぉ……? 真名を許されたか」

「……!」

「手が早いですねぇ~、一刀さん」

 

 学校についての議題が持ち上がる前に、思春が何処で寝泊りするかを議題にかけてみたんだが……呉の将の反応は様々。

 一番に思春に真名を許されることが意外だったのか、多少の驚きを見せながらも悠然と構える冥琳。

 同じく思春が真名を許したことが意外だったのか、相当の驚きを見せ、口を長い袖で覆いながらふるふる震えている呂蒙。

 そして、なにを勘違いなさっているのかにこにこ笑顔で手が早いと仰る陸遜。

 諸葛亮や鳳統に至っては、二人で小さく話し合っては顔を赤くし、時折「きゃーっ」と声を殺して叫ぶという、器用なことをしていた。

 

「えーと……それで、思春が何処で寝泊りするか、なんだけど」

「今までの部屋で構わん……と言いたいところだがな……さて、罰は罰だと言った手前、そういうわけにもいかんな」

「では~、上司である一刀さんと同じ部屋で寝泊りする、というのはどうですかねぇ」

「ぶほっしゅ!?」

「ひゃあっ!?」

 

 ふむ……と腕を組み、眉を寄せる冥琳とは逆に、のほほん笑顔であっさりと言う陸遜に、思わず咳き込むように噴き出した。

 近くに居た呂蒙はそれはもう驚いたようで、カタカタと震えて……って、あぁあもう……!

 

「ご、ごめん呂蒙! ───陸遜っ、人が散々悩んでたことを、なにそんなあっさり言ってのけてるの!? さすがにそれはまずいだろって、それだけは口に出さなかったのに!」

「いいえぇ、お役に立てたのなら~」

「“言いづらいこと言ってくれてありがとう”ってお礼言ってるんじゃないんだけど!? 冥琳、何か言ってやってくれ!」

「ふむ。まあ、たしかにいろいろと問題は出てくるが───北郷が納得出来ないのであれば、誰かが言ってやるより他はないだろう。馬屋では寝かせたくない、だが罰は罰だというのであれば、そういう方法も手だ」

「えぇっ!? ……りょ、呂蒙……? 呂蒙はその……反対とかしてくれ……るよな?」

「い、い……い、一緒の部屋に、ででです、か……? 一刀様と思春さんが……? あ、あうあうあゎあ……!」

「あぁああっ、呂蒙! 考えすぎちゃだめだ! そういうのはないっ! ヘンなことは絶対にないからっ!」

「必死になるところがぁ……んふふふ、あやし~ですねぇ~っ」

「りぃいいくそぉおおおんっ!! 話をややこしくしないでくれぇええっ!!」

 

 一言。人選ミスである。

 冥琳はちゃんと考えようとしてくれているのだが、陸遜は赤面する俺を突付くことに夢中であり、呂蒙は真っ赤になった顔を長い袖で覆ってしまい、話をしようにも顔をふるふる振るって聞いてくれない。

 諸葛亮と鳳統は相も変わらず囁き合っているし……当の本人、思春は少し離れた部屋の隅で気配を殺して待機なさっておられる。

 ああ、なんだかもういろいろと困った状況になった。この場を鎮めて、話を進めさせるためにはどうすればいいのか。

 誰も不快にならず、場を鎮めるには……えぇと。

 

「───わかった。じゃあ……思春。今日からここで寝泊りしてくれ」

「はわっ!?」

「あわぁっ!?」

 

 決意を胸に口に出した途端、諸葛亮と鳳統がとても高い声で驚いていた。

 その一方で呉の将……冥琳と陸遜と呂蒙は息を飲んで俺を見て……あ。呂蒙が顔を真っ赤にして倒れ伏し───って呂蒙さん!? 呂蒙さぁーーーん!?

 

「呂蒙!? 呂蒙! しっかり! ああもう、ヘンなことはないって言ったのに……!」

 

 どうしたものかと悩んだりもしたが、ここは仕方ない。

 呼びかけても起きない呂蒙をお姫様抱っこで抱き上げると、寝台にぽすんと寝かせ、大きな溜め息を吐く。

 

「さて北郷。話の続きだが───まさか“ここで寝泊り”と、そうくるとは思っていなかった。が、いいのか? 仮にお前が手を出さなかったとしても、そういった噂は広まるものだぞ。主にこの者から」

「ひどいですよぅ冥琳さまー、わたしだって結ぼうと思えば口を結ぶくらいできるんですよぅ? ねぇ、一刀さんー」

「………エット」

「あぁんどうして目を逸らすんですかー!? 一刀さんは頷いてくれるって信じてたんですよぅ~!?」

「そういうことはその、人をからかう態度を改めてから言ってくれ」

 

 しかし、心に決めたからには曲げられない。

 そんな心が、どこかで“誰かが否定してくれないかな”なんて弱音を吐いているが、思春が馬屋で寝泊りすることや、兵たちに眠れぬ夜を過ごさせるよりはよっぽどマシってもんだ。

 ちらりと思春の表情を盗み見てみたが、目を伏せ微動だにしない様子はさっきとまるで変わっていない。……代わりに、顔がやたらと赤かった。

 

「じゃあ……学校についての話、始めようか……」

「そうだな。暇だと豪語できるほど、時間が余っているわけではない。───諸葛亮、始めよう」

「は、はいっ! それではまず、私塾との違いの明確化ですが……」

 

 そうして、ようやく学校についての話し合いが始まる。

 呂蒙がはうはうと目を回している中で、あんな話のあとだというのにみんなは真面目に話に乗ってくれた。

 俺の世界の学校の在り方や、こうであればいいなということ。それらをまず話して、効率問題やこの世界と天との相違点を議題に挙げ、煮詰めていく。

 そうしていると案外時間が経つのは早いもので、途中から目が覚めた呂蒙も混ぜた話し合いも終わりを迎え───

 

「………」

「………」

 

 沈黙の時、来たる……!

 諸葛亮や鳳統も案内された部屋へと戻り、俺達も食事を済ませ、風呂の時間も過ぎ、あとは寝るだけというところに至っていた。

 俺の部屋で寝泊りの件については、それはもうしっかりと陸遜の口から漏れ届き、一時は孫権が乗り込んでくるという恐ろしい事態にもなったのだが。

 孫権は俺の目をギンッと睨むと、何度も深呼吸をしてから一言だけ言った。

 

  “真名を許されたそうだな”

 

 ……たったそれだけ。

 それだけ言うと、来た時とは対象的にどこか嬉しそうな顔で、孫権は部屋を出ていった。

 

「じゃあ……寝よう、か……?」

「………」

「あ、いやっ! べつにヘンな意味じゃなくてっ! 大丈夫! 誓ってもいい! 間違いは起きないっ!」

 

 そう……高くあれ北郷! 胸を張って魏に帰れる自分であれ! 同盟国の女性に手を出してしまう節操無しではないんだと、胸を……!

 

(…………素直に張れないのはどうしてかなぁ……)

 

 前科というか……魏のみんなを愛した過去があるからでしょうか。

 ともあれ、手を出さないという覚悟を胸に、自分の中の(ジュウ)が暴れ出さないように構えるだけでも案外手一杯。

 暗くなった部屋で二人、一つの寝床に横たわると、思春の吐息とか行動がやたらと気になって───アウアーーッ!!

 

(無心だ、無心……! 寝苦しい夜でも“それが当然”と思えるようになれば寝苦しくない! そうだ、心頭滅却しても熱いものは熱い! ……ダメじゃないかそれ!!)

 

 ……結局。

 一年の禁欲生活に加え、戻ってきても華琳たちとその、いたしていなかった俺の衝動は膨れる一方。

 しかし手だけは絶対に出すまいと無理矢理に(ジュウ)を押し込め、耐えに耐え続け………………ようやく眠気が欲に勝ったと思った時、既に外は白んでいた。

 …………神様…………俺は本当に馬鹿なんでしょうか……。

 


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