-_-/黄柄
私には父が居る。
不思議な父。よくわからない父。
不思議というからにはそれはもう興味が尽きない父であり、……なんとも不思議。
「何をしているわけでもないのに慕われていること、近づくとすぐに気づかれること、部屋に居る時は絶対に私たちを近寄らせないこと、何より母に私を産ませたこと」
本当に不思議だ。
いったいなんなんだろうかあの父は。
絶対に何かを隠しているに違いないのだが……真実に近づこうとすると、いつの間にか距離を離されている。それがまた不思議でならない。
「そんなわけで邵」
「は、はい、なんでしょう柄姉さん」
邵、と呼ぶと、びくーんと肩を弾かせてパチパチと瞬きをする周邵。
引っ込み思案というか目立つことを嫌うというか、どうにも声をかけただけでもおどおどだ。もっと真っ直ぐになればいいのに、まったく。
「邵は気配を消すのが得意だったな。私の代わりに父の正体を暴いてはくれまいか」
「しょ……正体……?」
「そう、正体だ。父め、絶対に私たちになにかを隠しているに違いない。邵はおかしいとは思わないか? 私たちが寝ている時や鍛錬している時、少しずつ任され始めた仕事などで手を離せない時、あの父は私たちの目から外れるのだ。私はその時にこそ、父は何かをやっているに違いないと思うのだ」
「父さまは、父さまですよ……?」
「うん、父は父だ。もちろんそうだ。あの母に私を産ませた父だな。あの母だぞ? ただの父であるわけがない。今だってほれ」
ちょいと指を差してみると、母が陸延と袁術さまを引きずって中庭に向かう姿が。
鍛錬ならばついていくところだが、あの雰囲気は説教だろう。
なにせ袁術さまが「みぎゃー! 何をする離せぇえっ! 妾はきちんとやっておったであろー!?」と叫んでいる。巻き込まれたのだろう。
「はわー……袁術さま、綺麗ですよねー……。邵もあんなふうになりたいですー……」
「むむ。胸か。母も随分だが、私たちは……」
「………」
「………」
「……柄姉さまはまだいいですよ……邵は母さまがああですから……」
「言うな……。母がああなのに娘がこう、というのも……案外辛いものなんだぞ……」
とほーと溜め息が漏れた。しかしそうしていても何があるわけでもない。
「まあそれより父だ」
「乳?」
「胸じゃない。ええい自分で揉むな! 平べったさに落ち込むだけだぞ!」
「…………」
手遅れだったらしい。
じゃなくて。
「父が登姉に追い掛け回されているのは見たな?」
「は、はい」
「それを観察し、隙あらば総攻撃を仕掛けるのだ。現在、述も様子を伺っているようだ」
「述姉さんが?」
「ああ。ほれ、あそこだ」
「……?」
私が促す方向をじぃっと見つめる周邵。
その先に、ぴょこりと揺れるおだんご二つ。
甘述は髪の毛をお団子状にして纏め、その上から……あー、なんというんだっけか、あのお団子布は。名前がわからない。ともかく、布で二つ纏めている。
周邵も似たようなもので、父いわく“ついんている”とかいう結び方をしている。
ついんている……かっこいい名前だ。
だが私は父言うところの“すとれいと”……この自然なままが気に入っている。
すとれいとも格好いいからな! まあ長くて邪魔な分は切ってしまっているが。
「しかし述はあれで隠れているつもりなのか?」
「述姉さん、武に弱くても武を思う心は人一倍ですからね……」
「あーあー、兵に笑われてるじゃないか。よし、あの兵は今日の鍛錬の相手に決めた」
「だめですよ柄姉さまっ! 勝手なをことしたら黄蓋母さまの拳骨が……!」
「むう。だが産まれた時期が近すぎて、どっちが姉かもわからん私たちの間の述が笑われたんだぞ。これは我ら三姉妹への挑戦と受け取るべきだろう」
「もし予想外に強すぎたりしたらどうするつもりですかっ!? 絶対に泣かされちゃいますよっ!?」
「む。それは無いと断言出来るが、なにが起こるかわからないのがこの空の下。というか邵、お前はもっと自分に自信を持ったらどうだ。私たち姉妹の中で気配を殺すのが上手いのはお前くらいじゃないか。その氣の扱いの良さを利用して、あの兵をだな」
「まままぁああまま待ってください! どうして私が挑むことになっているんですか!? やややりませんよ!? やりませんからねっ!?」
「……ふーむ」
「? なななんですか? なにか、顔についてますか?」
慌てると妙な口調になる妹を見る。
本気で慌てたのか、少し涙目だ。
「いやなにな、母やらが言うには邵。お前の慌て方は父に良く似ているらしい」
「乳に!?」
「胸から離れろたわけ」
「い、いえ、私も乳が慌てるとはどういう状況なのかと少々………………あ、慌てついでに大きくなったりとか」
「子供のうちから大きい小さいと嘆いている暇があったら、国のために出来ることを探すべきだろうが。いいか邵。酒は敵だ。あんなもの、酔えば判断が鈍るし臭いし不味いしでいいことがないんだぞ。母は何故あんなものを美味そうに飲むのか。ああわからんわからん」
「柄姉さまの場合、ただ嫌いだからそう言うだけですよね? 好きな人にとっては大事なものなんですよきっと。はいっ」
しかしあれは飲めたものじゃなかったぞ。
一番上の丕姉……てっぺん姉でさえ無理をしてようやく飲めるくらいだ。飲んだあとは涙目だし。
大人になれば味がわかるのだろうか。
……大人になるって謎だな。不味いものが美味く感じられるなんて、理解が追いつかない。
「まあ、それより父だ。今日こそ正体を暴いてくれよう。真実弱き父なのか、それとも爪を隠した猛獣的な素晴らしき父なのか。……後者がいいなっ、後者がっ! 邵もそう思うだろうっ?」
「父さまは父さま、です」
「なんだつまらない。邵はいつもそうだな。なんだ? てっぺん姉のように父には興味がないのか?」
「………」
訊いてみると、周邵はフイと顔を背けてしまった。
父の話に踏み込もうとするといつもこうだ。
本人は隠したがっているようだが、周邵の父好きは周知の事実だ。
別に止めたりしないから、存分に甘えればいいものを。
あの父のことだ、それはもうでれでれな顔で迎えるに決まっているのに。
(言ってやるやさしさはあるだろうが、生憎だな邵。……正体がわかっておらん謎多き父に、お前を向かわせるわけにはいかんのだ!)
実は本当に、真実立派な父だったら心から尊敬するぞ父よ!
なにせこれまで、私たちに正体を見せずに隠してきたのだ! それのみでも十分に素晴らしいことだ! なにせいっつも人を見透かしたような態度のてっぺん姉までをも手玉に取っていたことになるのだから!
てっぺん姉はどうにもいかん。姉妹間のふれあいというものをてんで考えていない。
私は一人でいいとか私一人で十分だとか、そんなことを考えて生きているに違いない。
そんな人生はつまらんだろうに。
だから私は父の正体を暴き、てっぺん姉に父のことを認めさせ、それらを架け橋に今一度姉妹仲というものを見つめなおそうと思うのだ。
故に本当にぐうたらだったら、その時はこの黄柄も牙を剥こう。
くくく、父め。今から首を洗って待っているがよいわ。
父の首という首を、それはもう大変なことにしてやる……!
「……なぁ邵? 首、とつく部位は人体にどれほどあっただろうか?」
「ふえ? えーと、ですね……首、手首、足首、…………~……!」
「わかったもういい喋るな。父の乳首を攻撃する頭の悪い自分を想像してしまった」
頭を抱えて蹲ってしまう。
それを見た周邵が「困ってる時の父さまみたいですね」と言ってきた。
……なんだかんだで私たち姉妹は父に似ているところがあるらしい。
無意識だったというのに、なんということだ。
「まあそれはそれとしてだ邵。さあいけ」
「本当にやるんですか? 気配を消して父さまを追う、なんて」
「もちろんだ。見ろ、散々と追っては蹴りを繰り返していた登姉が、ついに父より先に疲れ果てた。その後ろでずっと追い掛け回していた述はその前からぐったりだ」
「でもでも、這いずってでも追おうとする述姉さんの根性は、見習うべきところがっ!」
「本当に。どうして武に恵まれなかったのだろうなぁ」
産まれた時、人は独特の氣を持って生を受ける。
知る限り、種類は大きく分けて二つ。
いわゆる“武”に向いている氣と“知”に向いている氣だ。攻守の氣とも言う。
私も周邵も武の氣を持って産まれたようだが、甘述は知の氣を持って産まれた。
父より母が好きな甘述にとって、当然それはよろしくないことだった。
「まあ、私たちが言っても仕方が無い。行こう。むしろ行け」
「柄姉さまは言うだけだからいいですよね……姉さまたちに気づかれたら怒られるのは私じゃないですか」
「大丈夫だろう。邵が危機になれば、あの父が黙っていない。……たぶん。娘には甘いからな。というかいつも誰かに甘い父だ。怒ることなんてあるんだろうか」
「さあ」
言いつつ、何故かフンスと鼻息も荒く前を向く周邵。
何が周邵の心を刺激したのか、物凄いやる気を見せている。
なにが、というか……父が黙っていない、って部分に賭けてみる気になったのか?
……黙っていないのは確かだろうが、怒らない父だからこそ“庇う”ではなく仲裁しかしないと思うんだが。それはお前を助けているわけじゃあないんだぞー……?
「………」
言わないやさしさ……なるほど、これがそうだな。
なにより面白そうだしほうっておこう。やる気に水を差すのはよくないものな。
「?」
水を差すというが、反対の言葉は熱湯でいいんだろうか。
……なるほど、熱くなりそうだな。心も体も。おまけに沸点も。
なんということでしょう。
4月愚者というステキな日に、なにも出来なかった……!