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都の街は賑やかだ。
三国の中心にある、三国から見れば随分と小さな場所だが、それ故に。
別の国を目指すのならば大体の者が通るため、人も歩けば仕入れも頻繁。
ほぼ自動的に各国での噂も集まるし、いい噂があれば皆が自分のことのように喜んだ。
さて。
そんな街の中で、ふむむと思い悩む人が一人。
「璃々、どうかしたですか?」
「あ、ねねねお姉ちゃん」
「……その呼び方はやめるです」
璃々である。
ここ8年で大きく成長した彼女は、街の一角、食べ物市のひとつの前で悩んでいた。
隣へやってきたのは音々音であり、服装は大して変わっていないものの、すらりと伸びた身長もあって人目も惹く格好で、大きな帽子をぽむぽむと自分で撫でつつ呟いている。
通り過ぎる人が彼女の足へと目をやるのは格好の問題もあるのだが、彼女自体はもう慣れたものである。
「ねねさん、足、足見られてるよ」
「別に気にしないのです。というか、他のやつらがあんな格好の中、ねねだけ恥ずかしがっててどうするですか。ねねはこの服が気に入っているのですから、それを恥と思うこと自体が恥なのです」
言って、「大体」と続ける。ピッと璃々を指す指は、彼女の鼻を今にもつっつきそうなくらいズズイと攻められたものだ。
「璃々に言われたくなどないのです。いつまでそんな大人し目な服を着ているつもりです? 言ってはなんですが、王らの子供よりも子供っぽいです」
「うぅっ……い、いいんだもん。ご主人様は、そんな璃々ちゃんが好きだよって言ってくれたもん」
「あのぽけぽけ支柱が言った言葉はそのままの意味で受け取るべきです。どーせ可愛い子供に向ける以上の意味などないのです。動物を可愛がる意味と大差ないに決まってるです」
「い、言われないよりはいーんだもん!」
「ねねよりちびっこいのに一部分だけは無駄に育ちやがったくせに、大人し目な服を好むとかあれですか、ねねに喧嘩売ってるですか」
「この前お母さんに買ってもらった服を着てみたら怒ったくせにー!」
「当たり前ですなんですか喧嘩売ってるですかなんですかあの服は無駄に胸を強調してあれですかねねがこんなだから見下してやがるですか」
「ねねさん怖いよぅ!」
璃々にしてみれば、すらりとして整った顔立ちに体型、さらりと腰まで伸びた髪に少しブカッとした服など、羨ましいと思えるものだらけな音々音なのだが、音々音にしてみればある一点の隆起において敗北しているだけで、その羨みはとても深いらしい。
母からの遺伝なのかはわからないが、年々大きくなるコレには正直戸惑っている。
……戸惑っているのに、迷惑だと言おうものなら様々な方向から怨念が飛んでくるので軽く口にすることも出来ない。
はぁ、と溜め息を吐くと、彼女のツーサイドアップの髪がぴこりと揺れた。
「それで? なにをうんうん唸っていたですか?」
「あ、うん。これ」
すっと指差す先に鎮座ましていらっしゃるのは大きな大白菜。
その隣の小白菜と見比べてはうんうん唸っていたようで、音々音はきょとんとするばかり。
「大白菜がどうしたというのです? もしやこのおやじが有り得ない値段をふっかけてきやがったですか」
「いやいや馬鹿言っちゃいけねぇよお嬢ちゃん! 俺っちはきっちりと時期にあった値段で卸してらぁ! これ以上安くしたらカカァに締められちまう!」
じろりと睨まれた店主が慌てて言う。嘘はなさそうだし、そもそも聞いた値段も普通だ。なら璃々はなにが不満なのか。
「大きいほうは少し崩れてて、小さいほうはしっかりしてて。みんないっぱい食べるだろうから大きいののほうが“おとく”なんだろうけど、それだといっぱい食べられないから、こういう時はどうすればいいのかなーって」
「大きいのを買っていっぱい食べさせれば文句など言わないのです。どうせお腹に入れば同じという猪ばかりなのですから」
「……嬢ちゃん、可愛い顔してひでぇこと言うなぁ……」
「ねねさん、これ、恋お姉ちゃんの分もあるんだけど」
「!」
言いつつ大白菜に伸ばしていた璃々の手が、がっしと止められる。
手首を掴んで止めてみせたのは、言うまでもなく音々音である。
「それを早く言うのです! 恋殿はあれで“ぐるめ”ですから、ならば小白菜を買うのです! ああ、その他大勢の分はそっちで構わないですよ」
「だ、だめだよぅ、おかしなの買っていったらお母さんに怒られちゃうもん」
「嬢ちゃんらなぁ……人の店をなんだと思って……」
額に鉢巻をした腹の出た店主は、だはぁと溜め息を吐きながらも「ああもう好きにしてくれ。ただしそこまで言うならぜってぇ何か買ってってもらうからな」と言う。
さすがに好き勝手言い過ぎたこともあり、音々音も璃々も頷く他無く……璃々は完全に巻き込まれただけなので、いっそ泣きたい気持ちだった。
「ほあああ……! 主様、主様ぁああ……!」
「お嬢様? さすがにそろそろ一刀さん離れをしませんと、将来的に大変なことになりますよー?」
その一方、部屋を訪れた璃々に買い物に誘われた美羽は、七乃を連れつつそわそわしていた。彷徨う視線はいつでも主様サーチ。完全に依存状態ともいえる。
「なにを言うておるのじゃ七乃は……今まさに主様と離れておるから探しておるのであろ……?」
そして、進言への答えは“とひょーう”と吐かれた溜め息とともに返ってきた。
笑顔が苦笑に変わりそうになる七乃も、これはこれで苦労しているのだろう。
「さ、さっすがお嬢様っ、言われた言葉を都合のいいように置き換えるところなんてまるで成長が見られませんっ」
「誰がまるで成長しておらぬのじゃーっ!!」
「あ、ああ~っ……!? やっぱりここあたりはわかっちゃいますかっ!?」
「七乃っ! そこへなおるのじゃっ!」
「あぁんごめんなさいお嬢様ーっ!!」
怒られるところまで入れての一連のやり取り。
散々と騒いでも周囲の反応がそこまで変わらない理由は、いつものことだからで済んでしまう。8年は長いのだ。
「毎日毎日よくもまあ飽きないものです。あれは璃々が誘ったですか」
「うん。一応護衛にって、お母さんが」
「むむむ。確かに北郷一刀にべったりで、鍛錬も期待に応えようと無駄に張り切っていたですから、そこいらの兵よりは頼りになるのです。しかしああ騒がしくては、ここにいるぞと叫んでいるようなものです。ねねが人攫いならば、居場所が簡単にわかってしまってむしろお得な護衛ですね」
「美羽ちゃん、強いよ?」
「強いのはわかってるです。ただ言葉で簡単に騙されて、護衛がどうのどころじゃなくなりそうです」
ちらりと見た美羽は、今まさに七乃に騙されて目を輝かせてこくこくと頷いている。
先ほどの怒りもどこへやら、食べ物のうんちくかなにかに感心しているのだろう。
「あれで護衛になっていると言えるですか」
「なってるんだよー? だって、こうしている今も私に氣をくっつけて、注意してくれてるもん」
「……氣の使い方も随分と多用になったものです。北郷一刀がいろいろとやる前までは、戦いや治療以外に使えるとは思ってもみなかったのに」
「一定距離を離れると引っ張られる感じがして、それで解るんだって。すごいよね」
「……ちなみに、璃々はそれ、出来るのですか?」
「うん。私もご主人様にいっぱい教わったから」
……子供の頃から調教ですか、恐ろしい種馬なのです。
ぼそりと呟いた言葉はしかし、璃々には届かなかった。
「ではちょっと試してみるです。今現在、目の前にぶらさげられた甘いものに夢中のあの幸せ娘が、きちんと気づくかどうかを」
「ふわっ!? あっ、ねねさん、だめっ───」
引っ張って走り出す。
すると目には見えないのに逆の腕を引っ張られるような感覚が璃々に走り、途端。
「妾に喧嘩を売るとは良い度胸なのじゃあああぁぁーっ!!」
どごーん、と。
つい一瞬前まで幸せ笑顔だった美人さんが咆哮。
氣を手繰り寄せるようにして地面を蹴り弾き、呆れる速度で走る姿は鬼のよう。
「ななななんですとーっ!? ほんとに気づいたですーっ!!」
「ねねさんっ、離してっ、今ならまだ間に合うからっ」
「は、離せばいいのですねっ!? 離したですっ!」
ぱっと手を離すと、直後にその場へ美羽が到着。
普段のほにゃりとした雰囲気が嘘のようにキリッとした迫力に、音々音は内心驚いていた。というか黙っていれば相当の美人がキリッとした顔をすると、こうまで人の目を惹くものかと感心もしていた。
「璃々っ! 賊はどこじゃっ!? 主様のおらぬところを狙って都に来るなぞ、よい度胸なのじゃ!」
到着早々、辺りをぎろりぎらりと睨みつける美羽。
その迫力に周囲の民たちも驚き……つつも、綺麗な顔立ちに見惚れたりしていた。
そんな視線を浴びつつも、「賊ならば見つけだして、産まれたことは祝福しつつも罪を犯したことを後悔させてくれるのじゃ……! ……七乃が」「えぇっ!?」などというやりとりがあったが、騒ぎ自体は都名物のようなものなので、民も笑みながら歩くことを再開した。
「もう、お嬢様? 急に走り出して、なにかと思ったら……。ねぇ、陳宮さん?」
「う……べ、べつにねねは関係ないです。ただちょっと璃々を引っ張っただけです」
「うみゅ? なんじゃ、お主がひっぱっただけなのか。まったく、街の賑やかさに釣られて、手を取って駆け出すなぞ……うほほ、子供よのぅ」
「おまえに言われたくないです! いつまで従者引き連れてお子様気分なのですか!」
「むぐっ……な、七乃は勝手についてきているだけなのじゃ! わわわ妾ほどの猛者になれば、街を一人で歩くくらいどうということもないのじゃ!」
「そうですかー……では今度からはお嬢様お一人で……」
「………」
「……その、口先軍師の服を掴んで離さない手はなんなのです?」
「こっ……これは、日々の憤りを七乃の服に八つ当たりしているだけなのじゃ。おおおお主にも経験があるであろ? なにかしらの悔しさを抱いた際に、服をぎううと握ってしまうということが」
“つまり、今悔しいんだね、美羽ちゃん……”……それは、璃々の心の声だった。
見知った人が傍に居ないと不安なのは今も変わっていないようで、そもそも一刀に心を許してから今まで、いつも傍に誰かが居た彼女にとって、一人きりで大勢の中を歩くのは不安以外に抱けるものがなかった。
HIKIKOMORIからは脱出出来たのだろうが、心は未だに篭っていた。
「もうっ、お嬢様ったらさすがの残念美人っぷりですっ」
「誰が残念美人じゃーっ!!」
「くうっ、もはやこの言葉でも喜んではくれないのですね……! ああ、日々勘違いをして騙されてくれる言葉が無くなる事実に、七乃は涙と悲しみを噛み締めるばかりですお嬢様っ……!」
「そもそもからかうでない! 七乃は主をなんだと思っておるのじゃまったく!」
日々は大体こんな感じ。
街が騒がしくない日がないように、将もまた元気であり、騒ぎを聞きつけてやってくる兵らも元気だ。またいつものですかと苦笑を漏らしている。
「えと。ところでねねさん」
「んあ? なんです、璃々」
「……結局、さっきのお店でなんにも買わなかったんだけど」
「あ」
散々ケチつけて、氣の連結を試すために疾走。
店のおやじにしてみれば突然逃げ出したようにしか見えない。
それ=……
「………」
「………」
ちらりと後方を見てみると、人垣の隙間の奥で、なにやら叫んでいるおやじがちらちらと見えた。
「……ねねさん。怒っていい?」
「ふっ、ふふふ不可抗力ですっ、ねねは悪くないですっ!」
めらりと、笑顔の璃々の姿が揺れて見えた。
アスファルトの上の熱現象にも似た、陽炎、とでも言えばいいのか、ゆらりと揺れた先にあったのは笑顔の殺気。
彼女の母に良く似た暗黒スマイルを前に、音々音はそれが陽炎ではなく彼女の体から溢れ出る氣であることを……とっくの昔に理解していた。
紫苑に歳のことを言うべからずとは暗黙の了解となっているが、怒らせると怖いというのはどうやら遺伝するらしい。
モシャアアアと某グラップラー漫画のように景色が歪むほどの氣が溢れ、それを見るや音々音はすぐに謝った。年齢云々は関係無し。悪いことをしたなら誤魔化すよりも謝ろう。
「もうっ、すぐ戻るよっ? 謝って、ちゃんと買わなきゃっ」
「ううっ、戻るですか。もういっそ別のお店で買って、二度と近寄らなければ───」
「行商さんの情報伝達能力を侮ったら後悔するのは自分だ、ってご主人様が言ってたの! ぶちぶち言わないでいいから行くのー! お店の人を怒らせて、お母さんに怒られるの私なんだからー!」
「わたたっとと! わ、わかったのです! わかったから引っ張るのをやめるです璃々っ!」
「む? 戻るのかの? ……ははん? さては買い忘れじゃの? うはははは、仕方がないのう璃々は」
「ああ、他人の失敗を前に無理矢理お姉さんぶって胸を張る姿なんて、まさにいつも通りのお嬢様っ……! そんなことよりお嬢様っ、あそこのお店でちょっと摘んでいきませんっ?」
「大きな目的の前に買い食いは天敵じゃと主様が申しておったであろ! だめじゃ!」
「くっ……物で釣ることすら通用しなくなってきました……! このまま何も通用しなくなったら、七乃はどうしたら……!」
「なので大きな目的は妾が果たす! 七乃っ、今すぐ人数分買ってくるのじゃ!」
「さっすがお嬢様! 欲望に完全に打ち勝てない中途半端なお嬢様が大好きですっ!」
8年でなにが変わるのか。
人に寄りけりなのだろうが、根っこはそう簡単には変わらない。
そんな、お話。