真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷

325 / 454
114:IF2/親と子の生きる道②

-_-/曹丕

 

 ……苛々が募っている。

 

「すっきりしないわ……それもこれも」

 

 あのぐうたらの所為だ。

 聞いた時はまたかと思った。どうしようもない存在だとも思った。

 普段から仕事もしない上、まさか無断で呉に向かうなど。

 

「やはり相応しくないわ。何故、どうしてあれが父なの」

 

 納得がいかないことばかりだ。

 もっと全てに真っ直ぐな存在であったならばと何度も思ってしまう。

 ……自覚はそれほどなかったが、周囲からすれば私は潔癖症のきらいがあるらしい。

 こうでなければいけないと思うことに真っ直ぐすぎて、それから逸れるものを嫌う。

 なるほど、私だろう。

 けれどあの北郷一刀という存在を、私は認めたくない。

 幼い頃は……なるほど、自分に構ってくれた彼が好きだった。この人の傍に居れば自分は寂しくなどないと思っていたものだ。

 それが反転してしまったのは、彼が仕事をしていないと知ってからだ。

 誰かにそう訊いたわけでもない。

 けれど、いつもふらふらとそこらを歩いている姿を見れば、誰だってそう思うはずだ。

 皆が仕事で忙しく走っている中、彼だけが人に遊ぼうなんて言ってくれば、当然誰だって“そうなのだろう”と思うはずだ。

 

「………」

 

 私は、信じられないような無茶な仕事をしている父が見たかったわけじゃない。

 それが些細なものでもよかった。自分が、これが自分の父だと胸を張れる仕事をしてくれていれば、それでよかったのに。他人の評価なんてどうでもいい。私が、そんな父を誇りたかった。誰にでもなく、自分に。

 けれど、娘と遊ぶことが仕事だなんていうのなら、私はそれを認めない。

 呂琮はそう思っているようだけれど、とんでもない。だってそんなもの、私たちが成長してしまえば無くなってしまう仕事だ。

 仕事もしていない、鍛錬もしない、料理も普通で、女性の尻に敷かれるような性格。

 あんな存在をどう受け入れろというのだ。

 無理だ。私には無理だ。

 

「───」

 

 あの人は自分になにをくれただろうか。なにをしてくれただろうか。

 顔を合わせれば遊ばないかと言うばかりで、いつまで人を子供として見ているのか。

 ……もしやすれば、彼にとっての私はいつまでも子供の姿でしか映っていないのかもしれない。これから、どれだけ成長しようとも。

 

「そうよ。なにも知らないのよなにも───…………なにも?」

 

 言ってみて、ふと気づく。

 じゃあ私は彼の何を知っているのか。

 ぐうたら? ああぐうたらだ。女性にだらしないし、愛想を振りまくだけしか能が無いに違いないって思ってる。

 ……そう、思っているだけだ。

 じゃあ実際が違ったらどうするのだろう。

 

「………」

 

 見直す? 見直して、あなたを父として認めますとでも言うのだろうか。

 

「……っは」

 

 一度だけ吐き捨てるように、肩で笑う。あの人に対してではなく、自分に対して。

 それこそ冗談だろう。

 そんなことが叶うほど、今の自分と彼の関係は穏やかではない。

 散々と見下した目で見ておいて、実際は違ったからと掌を返すなど、私が最も嫌う行為だ。あの日、友達だと思っていた存在が急に子桓さまなどと呼び出してからずっと、掌を返すという行為は許せないものになっている。

 

「今さら引き返せないのよ。歩んだ道に後悔を抱こうと、私は私を生きるしかないのだから」

 

 姿見に映る情けない顔の自分にため息をこぼし、金色の髪の中で主張している黒を撫でた。昔からの癖だ。自分の髪の中にある黒を見ると触れたくなる。

 

(……無意識に、ととさ───っ……あの男を思っているとでもいうのかしら)

 

 あの男がだらしがないと知ってから嫌いになった筈の黒の髪。

 それをもう一度撫でてから、部屋を出た。

 いちいち気にしていても始まらない。

 せっかくの自由な日なのだ、つまらないことは考えず、私は私の時間のために───

 

「あ……」

 

 ……動こうとして、ふと思う。

 あの男は居ないのだ。

 ならば、普段は絶対に立ち入りを禁止されているあの男の部屋に、入ることが出来るのでは。

 

「………」

 

 入るな入るなと言われ続けてきた。

 そのくせに、公嗣だけは入ることを許可されている。

 大人気なく“なんで公嗣だけ”と思ってしまったこともある。

 そんな自分が嫌で、興味ごと捨てたつもりだったけれど……つもりはつもりだったようだ。一度気になってしまったら気になって仕方が無い。

 そもそも女を連れ込んでいるから入ってはいけないのだと思っていた。それが事実であるなら余計呆れるだけだが、もし。もし違うのなら───

 

「っ……」

 

 気づくと足は既に、その部屋を目指して動いていた。

 多くは望まない。

 ただそこにある真実が、“この国のため”に向いていてくれるのなら、自分はわざわざ人を嫌う意味を作らなくても済むのだ。

 人を嫌ったって辛いだけだ。つまらないだけだ。そんなことはわかっている。その相手が家族だというのなら余計だ。

 だから、出来ることなら───……もう、満足な会話が出来なくても、向けてくれる笑みにひどい言葉を返さなくてもいいように───!

 

「あ……」

「? あ……」

 

 いつしか走っていた自分の脚がぴたりと止まる。

 あの人の部屋から出てきた存在に、勢いを殺されてしまった。

 途端、普段から彼を嫌っている私が、“この部屋を目指すこと”自体に奇妙な罪悪感のようなものが生まれてしまい、言い訳めいたことを吐きそうになるのをなんとか耐える。

 

「子桓ちゃん、どうしたの?」

 

 にこりと笑顔を向けてくるのは月という真名を持つ、侍女姿の女性だった。

 布団を抱えている様子から、彼の部屋の掃除をしていたのだろうと想像がつく。

 

「え? 子桓? ……ほんとだ。珍しいこともあるわね、あんたがここに来るなんて」

 

 その後に部屋から出てきたのは詠という真名を持つ、同じく侍女姿の女性。

 自分が出てきた部屋を見て、「掃除する部屋、間違えてないわよね」と呟いている。呟きつつ、月が抱える布団を横取りして、そこいらの欄干によいしょと掛けてしまった。ものすごい適当っぷりだ。

 

「なんの用か知らないけど、ここは立ち入り禁止だって知ってるでしょ? 来てもしょうがないわよ」

「……知っているわ。知っているけれど、理由を訊いてもいいかしら」

「理由ねぇ。……子供は知らなくていいことだから、でいいんじゃない? 知る必要もないでしょ。あんた、あいつのこと嫌いだし」

「え、詠ちゃんっ……」

 

 じろりと半眼めいた目で見つめてくる。

 彼女は本当に、相手が誰だろうと遠慮しない。

 それが癪に障るどころか、ありがたく思える自分はどうかしているのだろうか。

 

「詠ちゃん。知る努力を始めてくれた子桓ちゃんを、そんな風に言っちゃだめだよ」

「知る努力? この子の場合は知る努力じゃなくて知識欲でしょ。ちょっと疑問が浮かんだからそれを満たしてやらなきゃすっきりしないだけ。あいつのことが気になるからじゃなくて、自分のもやもやを消したいだけよ」

「───」

 

 遠慮無い物言いに、胸がずぐんと痛んだ。

 ああ、本当に遠慮がない。

 そしてその通りだ。私は私がこの状況から脱したいだけなのだ。

 真実呆れる他無い人ならそれでいい。尊敬出来る人であってくれたならそれでいい。

 私はただ、中途半端な今が嫌なだけだ。

 つまらなそうに目を向けられ、そう言われたって仕方が無いだろう。

 

「ねぇ子桓。あんたはこの部屋を見て、たとえばあのばかち───コホン。北郷一刀って存在があんたが願うような立派な人だったらどうするつもり?」

「変わらないわよ。掌返しは趣味じゃないわ」

「まあ、そうだろうとは思ったけどね。だったらべつに見なくてもいいじゃない。ここにはあんたの知識欲を満たすものなんてないんだし」

 

 変わらず、半眼でこちらを見ながら言ってくる。

 この人は私が嫌いなんだろうか。言うにしたってもう少し言葉を選んでもいいと思う……って、私が言えた義理ではないのか。こんな態度、私があの人にやっているのと大差ない。

 

「うー……!」

「……あ、あの……月? どうしてそこで月が睨んでくるの?」

 

 けれど、そんな詠を月が睨む。

 ……そういえば、出会って早々に真名を教えられたけど、私は彼女らの姓名を知らない。当然、字もだ。母が言うには、侍女の仕事はしているけれど、将と変わらぬ態度で接しなさいとのこと。

 言われたからにはとそう接してきたものの、本当に……何者なのか。

 

「うー……じゃあ月に免じて訊いてあげるけど。なんで今さらなのよ。もっと小さい頃───あんたがあいつの過ごし方に疑問を抱いた時点で、どうしてこうやって動かなかったの?」

「……それは」

 

 一言で言えば余裕がなかった。

 急に周囲の態度が変わって、父が頼りない人だと感じてしまって、このまま頼るわけにはいかないと思って、そんなくだらないことで母に相談するわけにはいかないと自分で決めてしまった。

 その時点で───

 

「どうせ、余裕を無くして相談相手も居なくて、じゃあ自分で覚悟を決めてしまえって意地を張って、その無理矢理固めた意地を貫くことで自分を保っているとかでしょ」

「!? なっ───」

 

 ……その時点で、私はとっくにただの意地っ張りになっていた。

 言われた言葉に自分の中身を見透かされたようで、顔に熱がこもるのがわかる。

 咄嗟に声を張り上げて反論しそうになるのを、なんとか抑えるだけで精一杯だ。

 

「どうせ誰かが言わなきゃ、今のあんたには届かないんだろうから言うけどね。あんたが掌返しだと思っていることって、覚悟の問題どころじゃなくて子供が意地張ってるだけよ。自分が誤解していることに対して、真実が見えたのに態度を変えずに嫌い続ける? そんなの、人の意見も聞かない、聞いたところで自分が正しいって言い続ける、器の小さな存在のすることじゃない」

「っ……あなたになにがっ───!」

「……なるほどね。こういう時はわかりやすいわね、あのばかチ……あいつの言う通りだ。……あのね、自分から歩み寄るとかせず、相手が侍女だからって理由で距離を取ってるあんたがそれを言うの? 知ってもらう努力を放棄している時点で、その言葉は戯言の域を出ないわよ。わかるわけないじゃない。あんたが勝手に距離を取ったり、自分のことを話そうとしないんだから」

「~っ……!」

 

 睨む。

 けれど、言われた通りだ。

 掌返しは嫌いなのに、私はあの日の……友達だと思ってた子達と同じことをしている。

 自分のことを知って、変わらず友達のままで居てほしかったのに……話も聞かずに勝手に距離を取って。それでも遊ぶ中で“様、じゃないよ、私は偉くないよ”って言っても気まずそうに距離を取る姿に悲しくなったあの日を今でも覚えているのに……私は、同じことをしていた。

 でも、じゃあどうしろというのだ。

 私はただ、父が私が思う父らしくあってくれたらと願っただけだ。

 その答えが仕事もせずに愛想を振りまくだけの存在だと知って、それでも私に変わらぬ態度を取れというのか。

 

「わっ……わかったふうな口を利かないで!」

「ふぅん? わかってないとでも思ってるんだ。これでも一応経験から言ってるんだから、難しくても受け取れるところから少しずつでも受け取っておきなさい」

「…………うー」

「だ、だから。どうしてそこで月が睨んでくるのよ……」

「いいよ。詠ちゃんがそうなら、私にだって考えがあるから」

「考え? ちょ、月? なにを───」

 

 続く言葉も封じられ、歯噛みする私に……月が私の傍まで歩み寄って、ひそりと言う。

 

「あのね。詠ちゃんってこうは言ってるけど、ずっと前は子桓ちゃんみたいに意地っ張りで、人の意見を聞かない器の小さな子だったの」

「月!? なななななんてこと教えてるの!?」

「あ、でもそのことについては知ってもらおうとしてるんだよ? ちゃんと、“これでも一応経験から言ってるんだから”って言ってたでしょ?」

「やめて月やめて! 言ったは言ったけど、前のことはあまり思い出したくないの!」

 

 …………ぽかん、だ。

 さっきまでの余裕な顔が嘘だと思うほど、詠が狼狽している。

 

「ご主人様の前ではいっつも、今の子桓ちゃんみたいに───」

「月ぇえええ~っ! お願いぃい~っ!!」

 

 ……終いには泣き始めた。

 二人の力関係がいまいち見えない。

 月……やさしそうな人だけど、実は凄い人なのかもしれない。

 

「……結局、なにが言いたいのよ」

「うう……ほらぁ、月の所為で話がややこしくなったじゃない……」

「へぅ……ご、ごめんね詠ちゃん。……でも、えへへ」

「……なに? 急に笑ったりして」

「ううん? 前までの詠ちゃんだったら、“月の所為で”なんて絶対に言わなかったなって」

「うっ……」

「へぅ……」

 

 ……人のことを放置して、なにを照れ合っているのだろうかこの二人は。

 

「はぁ。じゃあ話を戻すけど。器の大きさを自覚したいなら、“自分がやられて嫌だったから”って、その行為の全てを嫌うのをやめるところから進んでみればいいわ。あんなこと言ったけど、知識欲がきっかけだろうと、知ろうとすることが悪いって言ってるんじゃないんだから」

「じゃあどうして邪魔をするのよ」

「そんなの。掌返しを嫌っているあんたのままで知ってほしくないからに決まってんじゃない。まずは見直せるところがあったら見直せる自分になりなさい。ううん、なれ。そうじゃなきゃ、たとえあんたが覇王の娘だろうがこの部屋に入ることは許さないわ」

「…………そこまで言える真実がその部屋にはあるということ?」

「そんなの無いわよ。私物もろくにない、面白みもない部屋があるだけだし」

「え、詠ちゃんっ!」

「なによ、ほんとのことじゃない」

 

 面白みもない部屋。

 言われて、軽く想像してみるが、全然広がらない。

 ぐうたらで女にだらしがないとくれば、遊ぶためのなにかがそこかしこにある部屋なのだと勝手に思い込んでいた。

 でも、じゃあそんな部屋を立ち入り禁止にする理由はなんなのだろうか。

 

「……あなたたちにとって、北郷一刀は……」

「ばかちんこぅいたぁーったたたたた!? 月っ!? ちょっと月!? なんでつねるの痛い痛い痛い!!」

「ご主人様は見境無くああいうことをする人じゃないんだから、そんなこと言っちゃだめ。詠ちゃんだってわかってるでしょ?」

「う、うぅうう……月がぁあ……あの月がぁあああ……!」

 

 また泣いた。

 成長を喜んでいるのか、虫も殺せないようなやさしげな人からの抓りが涙腺を刺激しているのかはわからないけれど、泣いた。

 

「ねぇ子桓ちゃん。私たちはいろいろあって、そのことについては深くは言えないけど……でも、想像してみているだけの“その人”を嫌い続けることで、本当の“その人”まで……その、嫌いにならないでほしいな」

「うう……月? 私も今からそれを言おうと……」

「詠ちゃんのはそこまでいくのに遠回りしすぎなの。すぐに言ってあげればいいのに、いじめるみたいにいろいろ言うのは、詠ちゃんの……その、へぅ……わ、悪いくせ……だと思うよ……?」

「───!? ……! ……!!」

 

 ……詠が言葉に出来ない傷を負ったような切ない顔で、ぱくぱくと声にならない声をだしている。……そして何故か私を涙目で睨んできた。私がなにをした。

 

「嫌うのも、掌返しをしたくないなんて言うのも、その……もっと大人になってからでもいいと思うの。だから……」

「…………だから?」

 

 言葉を探す様子もないようで、用意された言葉を話す雰囲気はあるのに、どうしてか少し躊躇のようなものを見せる月。

 多分……いいえ、絶対に、この人は他人に対してどうしようもない冗談なんて言わない人だと容易く受け取れる。だから待った。言ってくれる言葉くらいは受け止めるつもりで、待った。

 

「……一度何かに呆れても、もう二度とそれを見ることをやめる、なんてことだけは……絶対にしちゃだめだよ? 自分が見て経験したものだから絶対に正しいなんてこと、それこそ絶対にないんだから」

「───……」

 

 キッと、真っ直ぐに私の目を見て言われる言葉。

 ……驚いた。

 この人、こんな顔が出来るんだ。

 とても侍女だなんて器じゃない、もっと大きなものさえも包めるような、人としての大きさを感じた気がした。

 そんな人の前で、気づけば静かに、こくりと頷いている自分。すると、キッとしていた表情がほにゃりと崩れて、にこーと笑ってくれる。

 なんなんだろうこの人。よく解らない。

 

「まあとにかくそういうことだから、ここに入ったってあんたの願いは叶わないわ。そうね、あいつのことを知りたいなら、手っ取り早い方法があるんだけど」

「…………べつに知りたく───」

「はい嘘。知りたくないならこんなところまで来る理由がないでしょ」

「ぐっ……!」

 

 もういい、確定だ。私はこの詠という人物が苦手だ。

 私の行動を先読みしているようにずけずけと言葉を続ける様に、どうしても苛立ちを覚えてしまう。

 

「私たちが言われてるのって、実はあんたたち子供をこの部屋に入れないことと、それに関することを話さないこと、だけなのよね。だからべつに他の部屋に入るのは止めないの」

「……だからなんだというのよ」

「べつに。それだけ」

 

 言うだけ言って満足したのか、欄干に掛けた布団を持って、歩いていってしまう。

 

「あっ、詠ちゃん、それは私が……」

「いいわよべつにこれくらい。じゃないとボクの月が穢れて───」

「……詠ちゃん、そんなにぎゅってしたら皺になっちゃうよ?」

「ぎっ……べべべつに抱き締めてなんか! 布団なんてこれくらいの扱いがいいの!」

 

 …………騒がしくも、そのまま行ってしまった。

 残されたのは、どうしろというのよと呟く私と……閉ざされた、北郷一刀の自室。

 鍵をかけた様子もないし、押し開けば入れる。

 入れるけれど……

 

「………」

 

 禁止されていることを破るつもりはない。

 これまで、母に誇れる自分たれと自分を律してきたのだ、それはしたくない。

 だったらどうしてこんなところにまで来てしまい、説教まがいのことまでされてしまったのか。……情けない。

 

「……あ」

 

 けど、おかしなことも聞いた。

 立ち入り禁止を言われているのはここだけ、とか。

 

「………」

 

 だからなんだというのよ。そんなことはわかっている。

 だからこうしてもやもやしているんじゃないか。

 

「……もういい」

 

 部屋の扉に興味を無くし、振り返ってから歩く。

 何を言われようがやっぱり私は私のままでいるのがいいに決まっている。

 母のように、意志を曲げぬ自分で───

 

「っ!」

 

 ───歩く途中、見回りをしているらしい兵と合い、姿勢を正してからの敬礼をされた。私はそれを一瞥しつつそのまま歩き去ろうとしたのだけれど……

 

「ねぇあなた」

「はっ」

 

 気づくと声をかけていた。

 理由は……言うまでもない、妹たちが仕出かした夜襲のこと。

 誰が話さなくても、こういうものは漏れるものだ。

 というか偶然見つけて、今まで注意しなかっただけ。

 

「妹たちが迷惑をかけたようね」

「えっ、あ、あー……な、なんのことでしょう。自分はなにも見ていませんが?」

 

 目を少し逸らしたのち、しかしもう一度しっかりと目を見て言ってくる。

 こういう行為をしてくる兵は、実のところ珍しい。

 位置的に偉いというだけで私と目を合わさない存在は結構居るというのに、なにが違うのか、兵の中にはこういうのが何人か居る。

 しかも、どうやら妹たちのことを見逃すつもりでいるらしい。

 罪には相応しい罰を、とこちらが構えているのに、言うつもりはないようだ。

 

「……あなた、所属している隊はどこだったかしら」

「え? は……北郷隊ですが」

「北郷?」

 

 ……北郷。

 あの人の隊、よね。

 耳にはしていたけれど、あの人の隊ということで距離を取っていた隊だ。

 当然、調べることもしなかった。

 

「───あ」

 

 その時だ。

 

  “私たちが言われてるのって、実はあんたたち子供をこの部屋に入れないことと、それに関することを話さないこと、だけなのよね”

 

 ふと、ひとつの言葉が頭の中に浮かぶ。

 そうだ。つまり、あの人の隊がある。

 そしてそこは立ち入り禁止ではないのだ。

 あの人の隊ということは、隊長はあの人。そして当然、それらの仕事を纏めた書簡なり竹簡なりが隊舎か倉庫にある筈。

 

「隊での仕事の行動報告は当然、竹簡なり書簡なりに纏めてあるのよね?」

「はい。そうでなければ改善案も出しにくいですから」

「で、で……その、だけど。その纏めた書簡とかはその。何処にあるのっ? かしら?」

「………………」

 

 キリッと格好よく言おうとしたら、一言目から躓いた。

 兵はそんな私を見てきょとんとしたのち、本当に小さく口角を持ち上げた。

 

「あー、そうですねー。一応それは隊のものでありまして、たとえ娘様であれど、おいそれと見せたり教えたりすることはできないものでありましてー」

 

 続いて物凄くわざとらしく声を大にして喋り始めた。

 

「ですから、そうですね。隊を知りたいのでしたら、一度隊に入って仕事をしてみてはどうでしょう」

「へ?」

 

 そんなわざとらしい様相からそんな言葉が続くなど、誰が予想するだろう。

 それが不意を突くカタチになって、へんな声で返事をしてしまうのだが……目の前の兵はにこりと笑うともう一度姿勢を正して「どうでしょう」と訊ねてきた。

 下から覗くように見上げたその顔は、なかなか歳をくってそうな感じ。

 でも、まだまだ若さの残る顔立ちだ。

 だから気になって訊いてみた。

 

「……隊に務めて長いの?」

「魏に居た頃から、北郷隊が出来る前より街の警備をしておりました」

「ふぅん」

 

 語る顔は楽しそうだ。

 というより、懐かしささえ浮かべて私を見ている。

 そんな顔のままに言うのだ。「北郷隊が出来る前にも、隊に入って隊の内情や警備体制を調べるために無茶をした人が居まして」と。心底楽しそうに。

 つまりあれだろう。

 内情を知りたいのであれば、その人のように入ってみろというのだろう。

 

「簡単に言ってくれるわね。私自身にも仕事があるのだけれど?」

「失礼を承知で申し上げますと、その方は魏国の在り方もろくに知らぬまま、十日で警備体制の下地と改善案を出してみせましたが?」

「十日!?」

「さらに申し上げますと、当時は随分と人手不足でして。今のように平和な頃とは違い、民同士の諍いなど茶飯事。間を置かずして問題が起こり、それを止めるために己が身ひとつで止めに入ったものです。当然、武器を手に脅してみれば威圧にしかならないため、その身を以って止めるしかないわけで。怪我がない日などありませんでした」

「………」

 

 ごくりと喉が鳴る。

 きっとその十日でいろいろと為してみせた人は、知力も武力もある将に違いない。

 当時というからには、まだ将としての活躍も見せていなかったのだろう。

 生きているのなら会ってみたい。

 

「その者の名は?」

「さて。それは隊の内情なので言えません」

「なっ……!」

 

 ここにきてはぐらかされた。

 随分としたたかな兵だ。けれど、そういう、きちんとした“自分”を持つ者は嫌いじゃない。気骨ある者と言えばいいのか、ともかく興味が持てる。

 

「いいわ。だったらその隊に入ってやろうじゃない。そしてその人物のことを───」

「それは無理です。新米に全てを見せるほどに警備の緩い警備隊がありますか?」

「くぁっ……! あ、あなたねぇっ! いいわ、だったら同じく十日で信頼を……!」

「ほほう。平和になったこの蒼の下、乱世の下と同じ日数で満足する気で?」

「じゃあ三日でいいわよっ!!」

 

 売り言葉に買い言葉。

 気づけば勢いのままに叫び、そのまま手続きは滞り無く進められ───報告に行った際、どうしてか母と秋蘭が顔を見合わせたのちに笑い出したのを最後に……私は、北郷隊(警備隊)に入ることとなった。

 

……。

 

 こととなった、というか…………───

 

「新入りー! 喧嘩騒ぎがあったらしいから鎮圧急ぐぞー!」

「またなの!? さっき起きたばかりじゃない!」

「言ってる暇があったら急げー!」

「わかっているわよ! というか、問題を起こすのが将ばかりってどういう───」

「新入りー!」

「わかっていると言っているでしょう!?」

 

 明日から、と言ったら間髪入れずに「今すぐよ」と言った母に困惑しつつ、今日から。しかも王の子だからと特別扱いなどはなく、新入りは新入りとして扱うようにと言われたために、扱いは本当に下っ端のそれだ。

 それは別にいい。

 受け入れられるし、初めてやることなのだから下っ端なのは頷けることだ。

 問題なのは、自分が思っていた以上に街というものには問題があったこと。

 あっちへ行ったりこっちへ行ったり、事が済んだと思えば迷子が見つかり、親が見つかったと思えば喧嘩騒ぎ。仲裁出来たと思えば壊れた椅子の修理を頼まれたり、そんなものは専門の者にやらせればと言おうものなら、壊れる度に呼んでいたら金がいくらあっても足りないという。専門の者に頼むのは直しようがなくなった時のみなのだそうだ。

 ああ、目が回る。

 直す際に槌で指を打ってもんどり。

 涙しながら、砂まみれになりながら、それでも隊の仕事は続く。

 今日初めて身につけた隊の服はとっくに汚れきって、それを見下ろす自分が惨めに思えた。

 こんなことが、治安の悪い、下地も改善案も無い乱世の頃からあったというのだ。

 それはどんなに大変なことだったのだろう。

 思うことはいろいろあるけど、自分が出来ることなどただひとつだ。

 

「………負けるもんか」

 

 汗まみれの顔を拭って、自分を呼ぶ声に向かって駆けていく。

 その人が十日を駆けたのなら、三日でどうのの問題ではない。

 信頼がどうとかではない……私は国というものを、仕事というものを知らなきゃいけない。

 だから弱音は吐いても挫けないつもりだ。

 

「また迷子だー! 新入りー! 任せたぞー!」

 

 辿り着いた先で指示され、した者は別の問題解決に走っていく。

 一瞬、人に任せておいて、自分はさぼるんじゃないだろうかなんてことを考えてしまうけれど、そんな自分を氣を込めた拳で殴った。

 だからどうした。さぼろうがさぼるまいが、そんなことは私の目的には関係がない。

 ただ知ってゆこう。

 信頼を得て、過去を知って、何故この隊の名前があの人の姓とともにあるのか。

 そして、三国の人々が行き来するこの都で頑張ることで、三国というものがどういった人々の集いの下にあるのかを。


 ▲ページの一番上に飛ぶ