んん、と考える私を前に、ひと息。
続けて語られる言葉は、私には結構難しい。
「だから、誰々のように強く、なんて思うなってことさ。上を目指すのはいいけど、限界はここだって決めた時点で成長はしなくなる。経験談だ、疑らずに受け取ってくれ」
「む……難しいです」
「ああ、難しい。だから子供のうちに頭の中を変えちまえばいいさ。ただし、傲慢には育っちゃだめだ。出来て当然って思うのはいいけど、出来なかった時の周囲への迷惑は考えような。自分の強さでいうなら迷惑はかからないだろうから、そこは思い切りだ」
「余計に難度が上がりました」
「よかったじゃないか、目指す位置が高くなった。まだまだ伸ばせるぞ」
軽く言ってくれる。
けど、そのくらいがいいんだろう。
だったら……なるほど、向かえばいいのか。
「相談することは恥ずかしいことじゃない。まず覚えるのはそこだ。そして、助言を貰うからには受け取れる自分になること。あ、でもあんまりにも押し付けがましい意見は……あまり参考にならないかもなぁ。夏侯惇や張飛あたりには気をつけろ。あれは教える気があってもこっちが理解できない」
「そ、そうなんですか」
想像してみる。
……なんだかすぐに理解できた。
“ここはどかんとやって、そこは近づいて殴ればいい”とか簡単に言いそうだ。
いや、これじゃない。もっと簡潔に……うん。
(突撃と粉砕と勝利しか教えてくれなさそうだ)
結果的にはそうなんだろうけど、それで何を学べというのか。
私には無理だ。まだ私はそこまで理解力もないし、簡単なことでも難しく考えてしまうのだから。
「ええと。そこまで強さに素直な人が、実際に居るのでしょうか。少なくとも私は知りません。皆、自分なりの強さを持っていて、誰かから学ぼうとする人自体が少ないと思います」
「そうだなぁ。私もまだそういう意地は取りきれてないし、完全にってのは難しい。でも、強くなるために手段を選ばないって意味でなら……いろいろなやつに教えられて強くなっているってやつなら、一人。とびきりの馬鹿を知ってるな」
「ど、どういった方ですか!? 私の知っている人ですか!?」
興奮。
フンスと鼻息も荒く訊ねてみると、伯珪様はやっぱり苦笑。
「知ってはいるけど、実は秘密の話だから教えられない」と言われた。
残念だ。ひどく残念。
その人にいろいろと教えてもらいたかったのに。
「それでその。その人はどのくらい強いんですか?」
「へ? あ、いやー……どのくらい、か。そうだなー…………」
悩む、というよりは言うべきかを迷っている様相で、伯珪様が首を捻る。
腕を組んでうんうん唸る姿が、なんだかひどく似合って見えるのはどうしてなんだろう。
「そうだな。まず……孫策に勝ったことがある」
「えぇっ!?」
それだけで驚きだった! 大驚愕! あの叔母……雪蓮さまに!?
最近では華雄さんと戦ってばかりだけど、傍から見ても化物じみたあの人に!?
……って、まさかその人って華雄さん?
「星……趙雲からも一本取ってるな」
「ちょうっ……!? ……う、うわー、うわーうわーうわー!」
「あ、お、おい、興奮するなとは言わないけど、そんなに目を輝かせるなって」
もっともっととねだるように見上げる私に、伯珪様は困ったような顔をする。
けれど話してくれるようで、やっぱり迷うそぶりを見せながらもぽそりと言った。
「あと。偶然の要素も多大にあるけど、恋……呂布に勝ったこともある」
「誰ですか弟子入りします!!」
「うわっと!? だ、だから秘密なんだったら!」
「だってあの奉仙様ですよ!? あの人に勝つなんて何者ですか!? 陳宮さんが言うには、かつては雲長様や翼徳様を同時に相手にしても負けはなかったとか!」
「ねねの恋絡みの話は大げさになりやすいから、あまり信じすぎないようにな」
興奮したまま、握ったまま少し持ち上げていた手をふんふんと上下させながら熱弁。
……思い切り引かれてしまった。
「では名前だけでも!」
「名前って。それ、全部教えるようなもんだろ……」
呆れを孕んだ顔でキッパリ言われてしまった。
けれどハッとすると、少しニヤケた顔で口にする伯珪様。
「そうだなぁ、じゃあ名前だけ。校務仮面ってやつだ」
「こうむかめん!」
姓がこう、名がむ、字がかめん、なのだろうか……凄い名前だ、なんだか強そう。
「女性ですよね!?」
「お前、そうやってずるずる答えを引き出すつもりだろ」
「うぐっ……だ、だって」
気になるのだから仕方が無い。
むしろ自分でも信じられないくらいに自分の行動に素直だ。
前は武にも知にもこれくらい素直だったのに、今は自分の駄目なところばかりを見つけるのが上手くなって、素直に行動できなくなってしまった。
褒めてくれれば嬉しいのに、他の姉妹とは違って出来が悪い私は、微妙な顔で見られるばかりになってしまってからは、頑張る理由を見つけられなくなってしまったのだ。また微妙な目で見られるだけの時間が始まると考えてしまえば、事実がそうじゃなくても落ち込んでしまうものなのだ。
「まあ、見つけられたら弟子入りなんかしなくても、じっくりと教えてくれることは確実だ。もちろん、お前がちゃんとそうなりたいって願えばってのが前提だけどな」
「う………………あの。私なんて、最初はよくても途中で───」
「お前なぁ。そいつの前でそれ言ったら、絶対に次の日……いや、当日でも足腰立たなくなるぞ? そういう自虐はやめておけ。いいことなんてないから」
「でも」
「でもじゃない。説教にしか聞こえないだろうけど、“でも”で何かを考えてる暇があるなら、上達する道を探してみろ。つまらないことでも、探し続けていればほんの僅かな光くらいは見つかるかもしれないぞ。……まあ、そんな僅かも他の暗さに飲み込まれやすいってのはよくあることだけどな……はは……」
「伯珪様こそ、笑顔に陰が差してますよ……」
「報われない努力って辛いって知ってるからなー……。けどな、今のお前の歳でそれを唱えるのはまだまだ早い。私だって優秀な人材の中でもがきまくって、壁を知りまくって、へこみまくって、溜め息を吐き散らしながら生きてきたんだ。それくらいのことは先駆者として言ってやれる。まだまだ頑張れ。“頑張れ”なんて言うだけなら簡単だ~なんて、言ったヤツに悪態つける元気があるなら、まずその“頑張れ”を言ってくれる人が居るだけマシだって思っとけ」
「……期待を込めてというより、表面上を繕って言っているような人でも、ですか?」
本当はそうではないのかもしれない。
心から頑張れと言っているのかもしれないけれど、自分にはそう見えてしまう。
「素直に受け取っておけばいいじゃないか、背中を押されたことには変わりない。頑張れって言われたら、“ああ”とでも“うん”とでも、“ありがとう”とでも言ってみろ。自分を変えるっていうのは、そんな些細から始めるくらいが丁度いいんだ」
「……ていうか、些細なことくらいからじゃないとまず実行できないんだ。私たちみたいな“才能”ってものが一点に集中してないやつは」と続けて、がっくりと項垂れてとほ~と溜め息を吐く伯珪様。
……なるほど、物凄く経験が積み重なったような溜め息だ。
それに急に大きなところから変えてみろと言われても、確かに反発したくなる気持ちもあったのだ。言われなければ気がつけないくらい、自分は自分の些細なことすら変えたくないくせに、自分は何をやっても駄目だと言い続けていたのだと。
そのくせ、自分のやり方には妙な誇りみたいなものがあって、他者の意見を心が受け入れようとしない。
こんなんじゃ上を目指す気がないのと同じだ。強くなりたいのに、上手くなりたいのに他者の言葉を否定して自分が正しいと怒鳴り散らしているようなものだ。
でも、自覚が出来たからってすぐになんとか出来るかといったらそうじゃないんだ。
それが出来るならとっくに直していた筈だ。それが出来ないから、才能がないことを理由に逃げてしまうから、そして実際にやってみても上手くいかなすぎるから、心が挫けてしまう。
そんなことを、私たちは言葉にしなくてもわかり合えてしまった。
「失礼かもしれませんが……他人のような気がしません」
「うへっ……よしてくれ、私はもう随分とひねくれちまってるさ。子供のように無邪気にとはいかないさ」
やだやだとばかりに手をひらひらとさせる。
少し年寄り臭く見えたけど、顔は笑っていた。この人なりの冗談らしい。
けど、「ただ」と続ける伯珪様にきょとんとすると、伯珪様は少し笑って言ってくれた。
「先人として教えてやれることは結構あると思うぞ。別に、もう今さら自分より年下に追い抜かれて~とか言う気分でもないし」
「でも、やっぱり悔しいですよね」
「……言うなよ」
やっぱり理解し合える気がした。
私もそれは妹たちの実力を見て味わったことだから、悔しいのはわかるのだ。
それでも伯珪様は教えてくれるという。……いい人だ。この人はいい人。
「これでもいろいろと悔しくて、それこそ自国のやつらや他国のやつらに氣の扱い方とか強くなる方法とかを訊いたりしたんだ。さっきも言った通り、“自分の在り方”を自分で潰すようで辛かったけどな。……ぶっちゃければそれでも上を目指したかったんだ。形振り構うくらいなら、恥なんて一時のものだって思うくらいに」
「いつまでも普通普通って言われるのが悔しかったからな」と続けるその表情は、当時を思い出したのか本当に悔しそうだった。
……私はたぶん、姉妹内で言う中の“普通”にすら辿り着けていない。
伯珪様の表情を見るだけでも悔しいって感情が沸いてくるのは、その所為だろう。
「まあ、それにその。そういう気持ちを受け取って、鍛錬に付き合ってくれたやつもいるし」
しかし、そんな悔しそうな顔が一転、ぽむと赤く染まる。
子供心に“ははぁん”と思ってしまうあたり、私も随分と好奇心とかいうのが大きいのだろう。あまりこういうのは好きじゃないのに。
……基本、私たち姉妹は都に集まった軍師が管理する私塾で勉強をする。元は桂花様の私塾だったらしいけれど、あまりにも教える知識が偏っているという理由で、各国の軍師が日によって教えるという体制になったのだとか。
なんでこんなことを思い出したのかといえば、まあ……そこで教えてくれることの中には、色恋についてのこともあるからだ。それが結構どす黒い。主に桂花様の所為で。
知力向上を願って、民の中からも勉強をしに来る者も居て、かつ男の子も居るというのに“男は害虫である”なんてことを平気で言う。
なので桂花様が担当する時間や日は、男の子がほぼ居ない。我慢強い子なんかは来たりもするのだけど……まあ、言うことはきついけれど知識は本物なのだ、仕方ない。……って、子桓姉さまが言っていた。その男の子も本気で自分の知を役立てたいって思ったから我慢したのだ、と。
とまあそんなわけで。……人の黒さとか色恋については、困ったことに知っている。
ははぁん、なんて嫌な思考が働いてしまうのも全部桂花様の所為だ。人の所為にして生きるのはやめようって思ったけれど、こればっかりは無理だ。
「それで、その。私たちのような才の無い者が強くなるには、どうしたら……?」
「ん。まずは才能って言葉なんて忘れちまえ。その言葉は邪魔だからなぁ」
で、訊ねてみたら、あっさりとそんなことを言った。
それは、わからないでもない。才能が無いなら才能才能言ったって仕方がないし。
「で、あとは自分に合った鍛錬方法を探すんだ。自分の中では何が一番伸びるのか。これが地味に時間のかかることでさぁ……って、愚痴なんか聞きたくないよな。……まあ、これが結構面白いことに繋がるんだ。ようやく見つけた一つを伸ばしてみると、いつの間にか他のものも伸びてたりする」
「他も……?」
「ああ。必死に勉強して必死に鍛錬してるんだから当たり前って言えば当たり前なのかもしれないけどさ。よ~するに私たちは、他のやつらにしてみれば一点に集中してる“伸びるなにか”が全体にある所為で、時間はかかるけど万能にはなれるって感じだ。それが“広く浅く”だ。……はは、まあ、随分と底の浅い万能ではあるけど」
「えと、えと……?」
「ああ、ええっと。一言で言うとだな。……誰にも勝てないけど、誰の手助けも出来る。そんなやつになれるぞ。私はそんなものの一番を目指した。結果が今で、こうして書簡整理や纏めなんかをやってるわけなんだけどな。……周りにしてみれば雑用係りにしか見えないこれも、私にとっては“自分に出来る最高の仕事”だ」
「………」
一瞬でも“それって結局雑用仕事なんじゃ”、なんて思ってしまった自分が嫌になった。だって、どんなものでも誰かがやらなければいけない“仕事”だ。
そして、それは知力が高ければ誰にでも出来るわけでもなく、武力があるからって誰でも出来るわけじゃない。どちらも高くて周囲に目を向けられる人じゃなければいけないんだ。それも、周囲に目を向けて、相手の言葉を自分の意地で潰してしまわないような人でなければ。
「……すごい」
そう思えたからか、自然とそんな言葉が出た。
伯珪様はそんな私の言葉にきょとんとしたあと、大きく笑ってから言う。
「すごいって思えるなら、進んでみりゃいいさ。その先で胸を張れれば、今までの上手くいかない自分なんて馬鹿馬鹿しくなるぞ」
「あ……は、はいっ!」
ハッとして、伯珪様の笑い声に負けないくらいの大声で返事をした。
……向かう道を見つけた。
それは、才ある人にとっては地味なものだと笑ってしまうようなものだろう。
王の子なのにどうしてそんなことをと言われるかもしれない。
でも、じゃあ訊こう。
そんなことを言ってくるあなたは、私にどんな道をくれると言う。
期待するだけして、駄目ならば溜め息しか吐けない口で、なにを願ってくれる。
この道は、味わってみた人でなければわからない。
だから私は……たとえ歩みが遅くても、一番にはなれなくても、いつかはみんなの助けになれて、みんなにありがとうって言われるような人に……なってみせるんだ。
「ところで……その奉仙様に勝ってみせたお方は、才能に満ち溢れた人で───」
「いや。戦が終わって三国が落ち着くまでは、氣の扱い方すら知らなかったそうだぞ」
「えぇっ!? ……い、いえ、いえ……それってやっぱり才能があったからでは」
「いやぁ……それがさぁ。氣を使わない状態なら王の新鋭兵にも勝てないらしいぞ……? 何度か打ち合って、相手の動きを知って、ようやくついていけるってくらいだそうなんだ……本人が言ってた」
「えぇええ……!?」
……前略お母様。
世の中にはよくわからない人がいっぱいのようです。